1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
この人は○経最強の学者らしいが、経済学の発展としてこの人の業績について知りたい。
何故か近経の論文でも彼の著書の引用があるし、謎の多い人なんだけど。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 04:23:06 ID:+KFH5psN
ちなみに彼は神戸大
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 04:52:49 ID:Yk5QZgvY
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 16:24:10 ID:TXAQaQMQ
これはファンの奴が一方的に書いているからね。
今の講師、助手や博士にはどのように映るのでしょうか。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 16:56:10 ID:sKJPKxqW
いまさら感が漂うスレだな。
置塩の定理は一回生のころ一般教養の授業で習った。
確か、経済学基礎論とかいう舐めた授業名だったような気がするが。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 17:23:07 ID:TXAQaQMQ
>>5 どこの大学の方ですか?
彼の著書「現代経済学T・U」は近経分野で引用されれたね。
マルクス主義なのに近経からも引用されている彼の凄さとは一体なんだろうか?
ちなみに神戸大では置塩の定理とかは全くやりません。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:30:28 ID:sKJPKxqW
そんなしょうもないことを教えるのは、もちろん京大です。
K藤先生の経済学基礎論……。
「基礎」というからにはIS-LMとかその類の話かなと思ってとったら、いきなり○。
腐っても京大ですな。まだまだ○が多い。
教科書名は『マルクス経済学概論』。大学構内の店に売ってます。
マルクス=置塩の基本定理だったか……そんな記述がありました。
数学というか、四則計算だけの簡単な算数でした。
資本主義的再生産の成立条件だったかな。
ギャグとしては面白い授業でした。提出物を出さなくてもテストが簡単だから80以上とれるし。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:46:04 ID:TXAQaQMQ
阪大ですら○経の本を図書館や図書室においてあるんだから全否定せんでも良いじゃん。
どういった意味で彼の業績が近経に対して影響を及ぼしているのかが興味のあるところです。
ただし日本の経済学部は近経のコースワークをしっかりやって欲しいものだけど。
最強かなんか知らんが○という時点で語る価値などなし。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:19:38 ID:TXAQaQMQ
それじゃ話にならないだろ
>>8 いや、全否定するつもりはないですよ。
K藤先生も、政策的にはマルクス主義というより、(オールド)ケインジアン的な傾向が強いみたいでしたし。
授業の後に、「先生の定義では、搾取は経済にとって必要不可欠な要素ではないのですか」
と質問しにいくと、「搾取という言葉が悪いだけで、搾取のない経済は成り立ちません」とおっしゃっていました。
置塩信雄先生の業績については、僕は○経は専門じゃないのでわかりません。
スラッファの勉強をしているときに、多少、触れる機会がありましたが。
あと、個人的に○経最強は森嶋先生だと思います。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:19:57 ID:TXAQaQMQ
>>12 彼は近経だと思うけど「マルクス経済批判」を書いているみたいね。
置塩氏も「近大経済学批判」を書いているが。
マルクス経済の考え方も一つの見方ぐらいってことか。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 23:20:19 ID:M8lOlaIT
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 10:43:43 ID:AyDZKoex
>>13 おまえはバカだな
マルクス以外に経済の見方を出したやつは
いないんだよ
近ケイはただのオモチャの寄せ集めだ
マル経の最高峰は宇野弘蔵に決まってるじゃろが。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 11:47:56 ID:vakHqbRg
足立英之
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 12:30:16 ID:f+l8FqrB
>宇野弘蔵
そういえば、そうですね。宇野と比べると、置塩も小物か。
でも経済板で語られるのは置塩が限界で、宇野や弟子は共産板に逝ってしまう
悲しい現実!!
>>18>>19 置塩は「基本定理」とあと「傾向的低下」について、部分的に業績は残し
てる。でも、景気循環なんかまんまケインジアンだし、マル経の全構成
の引っくり返しをやり遂げて、後進に新古典派とは違う道を残したのは、
やっぱり宇野でしょ。格が違う。
置塩が騒がれるのは、主流派の手法を使って、「基本定理」みたいなかなり
重要な部分でマル経が侮れないことを示したこと。逆に言っちゃうと、それだけ。
弟子はこぞって一風変わってるだけのマクロに転向、更にその後の弟子の世代と
いったら、もうマルクスなんて…w
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 02:08:27 ID:ut1LD7Qt
>>15 ○経専門の方ですか?
近経がオモチャの寄せ集めとは?
確かに分析道具って感じがするけど。
俺はアホなんでもう少し説明くれ。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 04:42:05 ID:ke1x66hr
>やっぱり宇野でしょ。格が違う。
景気循環論・恐慌論は論理が完全に破綻してるからダメだね。
恐慌論が支離滅裂っていうのはマルクス経済学としては致命的欠陥だからどうしようもない
置塩は世界的にも名前が知られているし、近軽の人も一目置かざるをえない
サミュエルソンですら置塩は別格扱いだからね
世界水準で言ったら宇野なんてのはただのドメ学者の一人にすぎん
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 04:46:11 ID:ke1x66hr
ちなみに置塩も宇野の恐慌論の論理破綻を明快に指摘している
宇野と置塩は生前以下のようなやり取りがあった
置塩:「先生の経済学は一流のものだと考えておりますが、お弟子さんたちのやろうとしていることは単なる亜流ではないでしょうか」
宇野「ふふ」といって微笑した
宇野自体は教条的なマルクス解釈から離れて徹底的に自分の頭で考えようとした人だった
頭はにぶかったが。弟子は中途半端な東大秀才で結局エピゴーネンになっただけだった。
> ちなみに置塩も宇野の恐慌論の論理破綻を明快に指摘している
もうちょい詳しくお願いしまつ
で、本人が書いたお勧めの本って何?
宇野は名前ばかり有名で入手困難な本が多い。
置塩はそうでないことを願う。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 09:49:52 ID:UgXO3aj9
最近はどちらも規範理論として再評価されつつある。
置塩 →松尾匡 『近代の復権』
宇野 →青木孝平『コミュニタリアニズムへ』
穴○ →松井暁 『ポスト・リベラリズム』
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 18:30:06 ID:Cwufi+2N
>>20 「基本定理」って、資本主義的再生産が成立するためには剰余生産物が必要である、
それでは剰余がどこに行くのかというと、資本家の手に渡っている。
つまり、労働者が生産したもののいくらかは必ず搾取されているのだ、という話ですよね?
なんだか当たり前の話に聞こえるのですが、○経的には何が画期的だったのでしょうか。
>>22 訂正しとくと、
置塩:「先生の経済学は一級品だと思いますが、宇野『学派』をつくったのは失敗だと思います。」
宇野:「僕がつくったんじゃないよ」といって微笑した
という会話が神戸大に宇野が集中講義で行ったときに、後の酒宴であったそうな。
それから宇野の景気循環に対する置塩の批判は(その弟子の長島ほどでないけど)
「内面化」をちゃんと理解して批判してないよ。「宇野の恐慌論は、第一巻第七編
の24章に尽きている」みたいなことを晩年対談で語ってるけど、そもそもテーマに
興味なかったみたいだし、誤解したまま死んじゃったみたい。
ところでレスつけたお方は、「頭はにぶかったが」とか言って、ずいぶん頭きれる人
みたいですね。でも引用くらいはちゃんできえるようにしとこうね。
以上、「頭のにぶい人」からでした。
29 :
22:2006/08/07(月) 02:30:13 ID:aFCU2CDV
>「基本定理」って、資本主義的再生産が成立するためには剰余生産物が必要である、
それでは剰余がどこに行くのかというと、資本家の手に渡っている。
つまり、労働者が生産したもののいくらかは必ず搾取されているのだ、という話ですよね?
なんだか当たり前の話に聞こえるのですが
そのとおりあたり前の話です。ホーキンスサイモンの条件といっしょです
置き塩の基本定理ってのは搾取説の「証明」には実はなっていません。
労働タームでやればそのようにみえるますが、石油タームでもバナナタームでも数学的には同値で
あとは社会観、哲学観の違いでしかありません。
搾取論っていうのは数理的証明は無理なんです。各人のイデオロギーしかない
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 03:23:49 ID:VT0/L3ke
ここの人たちはマルクス専門の人なの?
近経は理解しやすいが○経は哲学っぽくて難しい。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 10:27:56 ID:lzzNqQFI
搾取論なんて、どういう風に数学的に証明しても
しょせん、資本主義の不正を非難する規範理論でしょ?
しょせんは自由・平等の価値を普遍主義的に評価する
リベラリズムないしリベラルと規範的にさほど変わらない。
だったら数式より
>>26みたいに正面から規範理論として
論争した方がはるかに生産的に思える。違うかな?
>>29の言うことに尽きている。
これは○スレで散々いってきたことだけどね。
おきしおの定理は労働のみが投入物だ。
今労働に変えて労働以外の生産要素のみで生産が行われるとする、
するとおきしおの定理からその生産要素に搾取がある、ことになる。
変でしょ?これ。
ここから導ける結論は一つ。「搾取」という言葉がおかしいのだ。
どうしても労働に搾取があると主張したいならば、
同じ論理でもって他の生産要素も搾取があるといわなければならない。
そんなこと変でしょう。
だから搾取なる言葉もその程度の意味でしかない、ということさ。
>>31>>32 置塩学派は、今はアナ○に発展してるんですね(学説史的に言うと
置塩信雄→ローマーって感じですかね)。
むかし市民社会派っていうのがあって、今別のものになってるけど、
学問の発展ってのは、実に目出度い目出度い。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 02:51:21 ID:KY3x0lts
>>32 どうして他の生産要素までが搾取の対象になるの?
労働だけに限定してまずいことでもあるの?
>>34 ひょっとしてモデル分析をしたことがないのかな?
労働だけに限定することはできないのです。
なぜならオキシオの定理は極めて抽象的なモデル分析であり、解釈の自由度があるからだ。
おきしおの定理は労働のみが生産要素、これを使って生産物を作る、という技術が仮定されている。
そして複雑な証明や計算を経て「労働に関する搾取の存在=利潤の存在」という結論を得るわけだ。
そこで解釈を変えて労働の代わりに大豆、生産物として納豆とすると、同じ証明がそのまま使えて
納豆産業が利潤を上げる限り、大豆に対する搾取が存在することになる。
こういう理屈だよ。
オキシオの定理でもって労働に搾取があると主張したいのであれば、大豆にも搾取があるといわなきゃおかしいでしょ?
オキシオの定理を使って「労働には搾取があるが大豆にはない」なんて主張することはできないんだよ。
ちなみに生産要素が複数あるときは、その各々に関して搾取の存在が証明できる。
おきしおの定理の一般化だな。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 00:06:22 ID:Ha0wOMpn
レスサンクス。
>そこで解釈を変えて労働の代わりに大豆、生産物として納豆とすると、同じ証明がそのまま使えて
言わんとする事は判るんだけど、ここがしっくりこなくって。
マルクス自体やったことないけど、マルクスも面白いね。
マルクスから近経につなげる話をやってみたいな。
37 :
22:2006/08/09(水) 01:13:35 ID:U4jFr4nJ
>オキシオの定理でもって労働に搾取があると主張したいのであれば、大豆にも搾取があるといわなきゃおかしいでしょ?
数理的には同値だからあとは「労働力搾取は特別」っていう議論を展開しないといけない。
でもそれは各人の社会観の問題だから、置塩は当初もくろんでいて自分が証明したと
思っていたものとはまったく異なる。
結局置塩てのはマルクス主義者だけどマルクス主義の墓堀人だったわけだ。
彼の定理を一般化していくと結局マルクス主義経済学の破綻が論証されてしまう。
数理マルクス経済学をはじめた人は最終的にマルクス主義から離れていく。
置塩は最後まで踏みとどまったが、森嶋から指摘された問題点に最後までまともに返答
できなかった。
置塩は結局経済学外の「歴史の弁証法」やら「唯物史観」「生産力論」「歴史の法則性」
っていう論証不能なイデオロギーによってたつことでしかマルクス主義者ではいられなく
なったかわいそうな人。
38 :
22:2006/08/09(水) 01:16:28 ID:U4jFr4nJ
マルクス主義者の逃げ道ってのは大体三種類ぐらいある
「弁証法」
「物象化論」
「唯物史観」
いずれも経済学そのものではない。経済学者だが経済学ができないやつはこういうところに
逃げ込む。
特に論破されると弁証法を口にするマルクス主義者は
ごまかしをやっており悪質。もっとも今では弁証法の神通力などなく、「はっ?」という反応
をされるだけだが。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 01:33:21 ID:Ha0wOMpn
労働のみが生産要素、これを使って生産物を作る、という技術が仮定されているので、
他の生産要素に議論を変換するってよくわからん。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 02:47:44 ID:RxuNBGuF
マルクスの本には書いてないことばかり
自分でかってに妄想して
書き込んでる馬鹿が多いな
おい、かつて○、おまえみたいな馬鹿に
何を語る権利もないのだ。
いいかげんにして消えろ
【心の】旦那には絶対言えない過去【奥に】
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1154259322/ ・新婚早々、同居していた高校生の義弟に体を許してしまったことです
・大学生の時に、バイト先の社長と定期で会ってたこと。ピル服用、週2回の条件で月10万円は魅力でした
・旦那(当時彼氏)と交際中、4マタかけて、どの人と結婚しようか選んでいた
・長女の血液型、A型になってるんだけど実はABだってこと
・レディースだったこと。子供三回堕してること
・学生時代にシャブ中だった事。親からの仕送りも、殆ど覚醒剤に消え、風俗嬢と愛人やりながら、薬にドップリ溺れ逮捕された事は、旦那には絶対に絶対に言えない
・援、風呂、整形、堕胎。言ってない
・援 風 整形 過去の犯罪歴 隠して結婚してます。
・中学の頃円光・整形・家出・乱交やりまくり・
風俗・家庭内暴力・過食嘔吐・薬首吊りリスカの自殺未遂でicuに入った事
・経験人数40人以上
・結婚後の経験人数が40人超えてる私はどうなるの(笑)
・娘が実は旦那の子じゃない事
・援、風俗経験あり。ナンパや出会い系で知り合った男数人からあらゆる手段でお金をふんだくった。
・同棲、中絶、アソコの整形....。今の旦那とは全くイケないこと(フリしてる)。墓場まで持ってく。
・中絶・パチスロ・お水・風俗・へビスモ。おまけに股も緩い。でも、何故か見た目が無駄に真面目そうに見えるらしく
旦那を初め、過去を知らない人は、完全に騙されます
私の過去をほぼ全て知ってる従妹に喧嘩したとき
「あんたみたいに虫も殺さない顔して超絶DQNって一番許せない!!」と言われた
【番外編】・もし処女が良いと言っている男性諸君がいるなら敢えて告げて置こう
今は若い女性の方が処女率は低いと言う事だ
それは10代ぐらいの時から少女雑誌にそういう特集が書いてあって
処女だとカッコ悪いとかそういう者に躍らされて早く捨ててしまうからだ
・今どきの風潮では15歳で非処女は「だっせ〜」という感覚らしく
とある中学生の女子グループの中でひとりだけ処女の子がいて
リーダー格の子の命令で半ば無理やり同級生の男子に捧げさせられたそうです
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 18:27:09 ID:W3garM9c
ちなみに置塩やアナマルが搾取の数理的証明をやろうとしても
宇野ではそもそも搾取という概念そのものが否定される。
宇野の経済原則によれば、人間はいつの時代でも抽象的人間労働を
具体的有用労働として支出するが、およそ人間が労働をすれば
つねに必要労働を越える剰余労働をおこなうのであって、そのうちの
必要部分を消費して労働力の再生産に充てられる。剰余部分は
拡大再生産の基金や公共部門の補填、労働能力の欠如者の再生産に
充てられる。剰余部分が労働者のものにならないことを搾取というなら
人類は永遠に搾取を逃れられないことになる。
マルのスレに書き込んだけど、返事が無いので。
森嶋の「マルクスの経済学」で確か雇用関係で価値は観測できるとあっ
たと思うが、どういうことだかわかる? 本をアマゾンで買いなおすの
も面倒だし。
>>43 >宇野ではそもそも搾取という概念そのものが否定される。
どういう点で「否定」されているのか、論拠を示して教えてくれ。
>宇野の経済原則によれば、…およそ人間が労働をすれば
>つねに必要労働を越える剰余労働をおこなうのであって、そのうちの
>必要部分を消費して労働力の再生産に充てられる。剰余部分は
>拡大再生産の基金や公共部門の補填、労働能力の欠如者の再生産に
>充てられる。
どんな社会にせよ、「搾取」という収奪的なものであるかないかを問わず、
剰余労働部分が、個人的・公共的用途に充てられること(「各人は能力に応
じて、各人は必要に応じて」)が、マルクスや宇野とは違い、置塩においては
否定されているということは、寡聞にして初めて耳にしたよ。
どこでそんなこと言ってるの??是非示して欲しい。
だから
>剰余部分が労働者のものにならないことを搾取というなら
>人類は永遠に搾取を逃れられないことになる。
直接生産者の取得はいつの時代も(宇野流にいえば超歴史的に)
必要労働部分に限られる。剰余は直接生産者の所有に帰属しない。
これを「搾取」というんでしょ?この必要労働と剰余労働の
取得関係は、封建社会でも資本主義でも共産主義なるものでも同じ
ということ。これを宇野は経済原則を経済法則的に実現するといった。
宇野理論の基本中の基本であり、いたるところで述べている。
>>43 別に「宇野流」に限らず、
>直接生産者の取得はいつの時代も(宇野流にいえば超歴史的に)
>必要労働部分に限られる。剰余は直接生産者の所有に帰属しない。
>これを「搾取」というんでしょ?この必要労働と剰余労働の
>取得関係は、封建社会でも資本主義でも共産主義なるものでも同じ
>ということ。
なんていう命題は、○そのものの基本的な考えだと思うぞ。
置塩はその命題を、宇野以上に肯定していた(『経済学』『マルクス経済学』など)
と思うんだが?
仮にそれを置塩が否定しているのなら、その言説を是非示して欲しい。マジで。
そんなことはない。置塩も含めて正統派マルは、
剰余の実現を支配階級の階級支配にもとめる。
剰余の資本家による取得を不正とみなす。
だから搾取を「不払い労働の領有」などと表現する。
「不払い労働」というタームには、本来は労働者に
支払われるべきものというイデオロギーが暗に
混入している。だから正統派マルは社会主義に
「労働に応じた分配」を要求する。
資本主義は「自己労働に基づく所有」の否定であり
社会主義は「生産手段の共有のもとに個人的所有を再建する」
というのも同じ思考法だ。アナマルのコーエンも
マルクスにも自己所有権の思想が前提されていると言っている。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 14:14:35 ID:sXhZJfd9
なるほど。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 17:25:38 ID:2UJ58E+1
結局、経済活動がある限り、搾取が存在するということは、社会主義においても搾取があるということかー
オシオキの定理
>>48 おいおいちょっと待てよ。
>置塩も含めて正統派マルは、
>剰余の実現を支配階級の階級支配にもとめる。
>剰余の資本家による取得を不正とみなす
>>47との関連でば、じゃあ正統派は資本主義以前に搾取が無かったって言ってるのかい?
そんなこと言ってるわけないだろ。国王や坊主(聖職者)や武士(騎士)を養ってたのは
誰なんだい?多くの農民だろ。そんなことイロハだぜ。
>「不払い労働」というタームには、本来は労働者に
>支払われるべきものというイデオロギーが暗に
>混入している。だから正統派マルは社会主義に
>「労働に応じた分配」を要求する。
「不払い労働」という言葉は一種のアジテーションで、経済学的に言って正確な言葉じゃない。
マル経の価値の概念とは、「それが再生産が可能な労働時間」だ。そして労働力商品は資本の
生産物じゃないから、その価値は労働力を再生産する生活手段に投下された労働時間で間接的
に規定される。つまり労働力商品は価値どおり支払われているわけ。それでもなお剰余価値が
発生するのは、自分の価値以上の価値を形成することができる労働力商品の特殊性による。
それから「労働に応じた分配」というのは、マルクスによれば「社会主義の低次段階」の目標
に過ぎない。あくまでも大目標は「必要に応じた分配」だよ。『ゴータ綱領批判』にその当た
りのことが書いてあるから、読んでみな。
>資本主義は「自己労働に基づく所有」の否定であり
>社会主義は「生産手段の共有のもとに個人的所有を再建する」
>というのも同じ思考法だ。アナマルのコーエンも
>マルクスにも自己所有権の思想が前提されていると言っている。
アナマルの哲学者がどう言ってようが関係ないが、マルクス(主義)
の正統的理解は、第一部第七編の「領有法則の転回」に端的に表現
されている。その要点は、生産手段を自己所有し生産物を自己所有
した小商品生産者の世界→階級社会の発生による所有と生産の分離
した世界→社会主義によるその再統一の世界、というシェーマにな
って要るんで在って、「資本主義は『自己労働に基づく所有』の否定」
であるという言い方は全く不十分で、それを言うなら資本主義以外の
封建社会や古代社会も含めた全ての「階級社会」が「『自己労働に基
づく所有』の否定」している、と考えている。資本主義は階級社会の
一種(しかもマルクスによれば、最後の一種」)に過ぎない。
こんなことは、全くの初歩の初歩だよ。アナ○の前にそもそも『資本論』
読んだことあるのか?
だから私がいいたいのは、社会主義の低次段階だろうとなんだろうと
「労働に応じた分配」というのは間違いだということだ。
いつの時代も人間が労働をすれば必要部分を越える剰余を生産する。
そしていつの時代も自己の投下した労働と無関係に生産者は
必要部分を所有し消費する。言い換えれば労働と所有は無関係だ
ということだ。マルクスは冒頭の商品論で労働価値説を説いて
しまったために、生産者が剰余を取得できないことを何か不当な
ことと理解して「搾取」なる用語を使ってしまった。
必要に応じた分配は大目標ではない。いつの時代も人間は
能力に応じて働き、労働生産物のうちの必要部分を受け取る。
封建社会でも資本主義でも同じだ。宇野はこれを「あらゆる
歴史社会に共通の経済原則」と呼んだ。共産主義だろうと
同じ。ただし商品経済の法則によらず、経済原則が裸のまま
実現するというだけの違いだ。搾取なんて資本主義を
ことさら不公正なものとして批判するためのプロパガンダ
にすぎない。こんなイデオロギーを数式を使って論証する
なんて、置塩派は前提が狂ってるとしかいいようがない。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 20:34:58 ID:6IZqbceS
マル経ってのは、どうにも洗練されてないな。まあ、日本人しか
やってなかったから仕方ないのかしらん。
bargainingとmarketの二言で済むじゃん。
とりあえず宇野っていうおっさんが経済学を理解してたのはわかったよ。
今まで、マル経が搾取になぜあれほどこだわるのかマジ意味不明だったし、
ぶっちゃけキモかった。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 22:03:51 ID:C8ps+8ba
/~~⌒~⌒~⌒~ヾ
/ )
( /~⌒⌒⌒ヽ )
( ξ 、 , |ノ
(6ξ--―●-●|
> 、 ) ‥ )
ヽ_ _ ー=_ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ \
/⌒ - - ⌒ /\ / " \|
/ /| | | | (゜) (゜) |
\ \|≡∨ ∨| (6------◯⌒つ|
\⊇ /干\| | _||||||||| | ----------
| | \ / ι_/ / <ワシがサクヅョホぅ口ぅ人ジャ!
( /⌒v⌒\_ \____/ ----------
パンパン| 丶/⌒ - - \
/ \ | | / |
/ ノ\__| |__三_ノ| |
/ /パンパン| | | |
/__/ | | | |
⊆ | | ⊇
55 :
Spec:2006/08/11(金) 01:12:01 ID:nKoUMvIb
>>52 よく誤解されることだけど、
マルクスは、別に搾取を”悪い”などとは言ってない。
そこが、リカード派社会主義と違うところ。労働全収益権説を主張など
していない。
マルクスは、倫理的に資本主義を批判しているわけではない。
歴史的に扱っている。
当然、社会主義・共産主義でも、経済成長がある限り、搾取率は正となる。
だって、必要労働を超えた剰余労働がないと、資本蓄積ができないから。
肝心なのは、その資本蓄積にしろ、消費にせよ、その決定権を労働者階級が
持っているかどうかということ。
56 :
Spec:2006/08/11(金) 01:23:30 ID:nKoUMvIb
>>22=37,
>>39 労働を特別扱いすることは、十分意味があると思います。
労働はどんな場合でも、本源的生産要素なのだから。
労働を唯一の生産要素として、資本も労働で生産されると
考えて、消費財はその資本で迂回生産されると考えれば、全部労働に還元できます。
(もっとも、この考え方はバヴェルクに近いですが、バヴェルクもマルクスも案外
似ているところがあります。)
石油やバナナは、本源的生産要素とは言えないので、これらに還元するのは
きわめて不自然です。石油がなくても経済は成り立つが、労働がなくては
経済が成り立ちません。
57 :
Jimmy:2006/08/11(金) 01:33:52 ID:RtdDrx2t
>>55,
>>56 Specさんお久しぶり。お元気でお過ごしされているものと拝察いたします。
このカキコ見ても人間的に大変愛すべきお方と改めて感じ入りました。
しかし、残念ながら理論的にはあまりにも純朴すぎます。
もうすぐ、大爆撃に晒されるでしょう。ご無事をお祈りします。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 01:43:27 ID:d0s8YG5d
sss
>>56 @労働→資本→消費財
A消費財→労働
???
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 07:53:39 ID:GLb3smI5
この人の弟子リストお願い
「酸素と水と米と青菜」を特別扱いすることは、十分意味があると思います。
「酸素と水と米と青菜」はどんな場合でも、本源的生産要素なのだから。
「酸素と水と米と青菜」を唯一の生産要素として、資本も労働で生産されると
考えて、消費財はその資本で迂回生産されると考えれば、全部「酸素と水と米と青菜」に還元できます。
(もっとも、この考え方はSpecさんに近いですが、Specさんもマルクスも案外
似ているところがあります。)
石油やバナナは、本源的生産要素とは言えないので、これらに還元するのは
きわめて不自然です。石油がなくても経済は成り立つが、「酸素と水と米と青菜」がなくては
経済が成り立ちません。
米は玄米。米と青菜を十分取れば必要な栄養素は取れる。あと大豆食品ね。
訂正
「酸素と水と米と青菜」を唯一の生産要素として、資本も労働で生産されると
考えて、
→
「酸素と水と米と青菜」を唯一の生産要素として、まず労働が生産され、
次に労働から資本が生産されると考えて、
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 10:01:24 ID:p4U/C79W
>>56 説明がトートロジーだお
でも、労働は労働によって、労働(力、者)を再生産できるから、経済活動における本源的生産要素なのかもー
それから、お米さんとかは、自らの力で自らを再生産できましぇーん
だから、本源的生産要素ではない?
報酬をよこせなんて主張しませんしぃ
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 12:03:30 ID:7Yrclhch
ヒント1: 自生植物 野生植物
ヒント2: 酸素・水・食料なしで労働の再生産?
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 12:31:23 ID:p4U/C79W
>>64 うーん、、、
ヒント1?: 生産集合の中では、自生植物さんも野生植物さんも生産のための代替的手段の一つでしかないおー
彼らは人によって管理されてないから、収奪しつくしたら、もう終わりだ(再生産できない)ポ
ヒント2?: 所得分配において、空気さんやお水さん、食料さんは再生産のための報酬(処分費用を含む)をよこせなんて言わないおー
だから、持続可能な消費が難しくなりつつある、環境問題や環境経済学の課題・・・
ヒント3?: 労働者だって、もしかしたら本来の生物として生きるべき寿命をまっとうしてない可能性だってあるお
搾取や過剰労働のせいで・・・
66 :
Spec:2006/08/11(金) 19:51:03 ID:nKoUMvIb
>>61さん
労働の場合は、労働を資本財生産・消費財生産にどういう比率で振り分けて
生産するかを、将来の消費は現在の消費より割り引いて考えて(=時間選好率が正)
自己の長い間の効用の総和(=通時的効用)を最大化するように行動します。
水や空気などは、労働と違って最適化行動を行えません。
また、
>>65さんの書いているように、報酬も要求しません。
やはり労働は特別扱いするのが相当と考えられます。
>>Jimmyさん
お久しぶりです。専攻を経済学に変えちゃいました。
>>63さん
価格決定の話でなく、量の話だと考えてください。
きちんと、長期では資本の成長が止まり、一定になることが示せます。
ただし、規模に関して収穫逓減という仮定のもとでの話ですが。
それと、いわば”トートロジー”であってもよいのです。
消費財・資本財・労働の比率はきちんと決まります。
近経の一般均衡理論もそうでしょ?
>>66 あれ、俺の説話が通じなかったかな・・・。
労働自身の再生産はどうするのよ。
食べ物やその他がなけりゃ、再生産不可能だよ。
他の財サービスの投入なしに生産でき、他の財の生産のために使える財?
そんなのあるわけないじゃん。
本源的生産要素とは何か、これも答えの出ない擬似問題だな。
>>63 説明が足りなかったか。
米と青菜は自然採集だ。食い切れないほどあるとしよう。
この世界ではspec氏に理屈で行けば米も青菜も本源的生産要素だよ。
何?それでも収穫のとき労働するって?
それでも労働と同格の本源的生産要素だわな。
69 :
22:2006/08/11(金) 23:04:36 ID:n+keNPWQ
おいこれ置塩のスレッドだろ
話が○一般なら○のスレッドでやったら?
置塩か数理マルクス・分析的マルクス主義あたりに話題を限定したほうがいいんじゃないか?
青木孝平「社会哲学」ヲタがチラホラw
>>32>>67>>68 かつ○氏。
かつ○氏が評価する「一般化された商品搾取定理」については、今のところ数理的に反論
できる論文は出てないでしょうね(最初に書いたのは、ギンタス・ボウルズ。ジミーさんは
80年代後半といってたが、前半にはもう出ています)。ローマーなんかの方が洗練されて証
明を使ってるんで、いまや彼が代表格ですが(尤も彼は「一般化された」定理の内容が指し
ている結論に従い、『マルクス主義』であると言うことを止めたようですが)。
かつ○氏に聞きたいのは、ただ「定理」といっても、それを認識する主体は人間ではない
ですか、ということです。鉄が搾取されようが何が搾取されようが、生産要素一般の向上に
過ぎませんが、人間の場合は、その「定理」認識している主体自体です。
この点、ミクロのように資本ー企業、労働ー労働者という風に生産要素自体に割り切って
も(私のはオールド理解なんでお目こぼしください)、それを悟性的に認識しているのは人
間(経済学者)ですから、どう見ても人間の視角から検討していることになる。ただし、労
働はその「報酬」として賃金を得ているのではなく「定理」によっても「搾取」されてるわ
けです。この点はミクロの考えと大きく異なるわけですね。
「経済学」をどう捉えるかにもよると思いますが、どんなものであれ、鉄の立場から出なく、
人間の視点が入る(公正でも搾取でも分配でも)り、純粋理論でも人間の認識から創られて
るものである以上、鉄と労働力が一緒だ、というのは明らかに認識主体の立場(その有利・
不利の分析が、規範的にいえば経済学の根本でしょう。純理論でも人間の視角から論理ゲー
ムを考えてるわけですよね)が抜けているのではないですか?
>>72 意味不明だよw.
>ただ「定理」といっても、それを認識する主体は人間ではない
ですか、ということです。
それはそうでしょう。それがどうしたのですか?
もっとわかりやすい言葉で記述してください。
私のコメント・意見はその後差し上げましょう。
>>73 大人げない糞ガキだな。確かにわかりにくいけどさ、要するに、
進化の頂点にたつ人間は地球を支配する至高の存在だから別だろ
って言いたいんでしょ。ミジンコや生命活動すらしない無機物と
一緒にするなよという意味だろ。んなもん、おき塩なんて名前しか
知らない俺でもわかる。
>>72 > ただし、労働はその「報酬」として賃金を得ているのではなく
>「定理」によっても「搾取」されてるわけです。
> この点はミクロの考えと大きく異なるわけですね。
これって、ところで、どの程度の話なの?賃金が限界生産性で
決まってないってこと?不完備情報で契約を結べば決まらないでしょ。
雇い主から生産性以上の「不当」な賃金を得ている場合は、雇い主が搾取
されてるっていうのかな?
マル経のフレームワークはよくわからん。認識云々をいうなら、マル経の
視点から社会を見てるほうが、見誤ることは多いと思うよ。マルクスなんて
大英博物館にこもって当時のイギリスを妄想してただけのおっさんだろ?
>>73 >意味不明だよw.
そりゃどうも。じゃあもうチョット分かりやすく言ってみますね。
要は認識論の問題です。
ここは置塩スレなんで、カビの生えたマルクス主義哲学の話を
少し例え話にしてもいいでしょう。
レーニンに『認識論と経験批判論』(1902)というものがあります。
この時代スイスに亡命していたレーニンは、新カント派の影響を受けた
自党派(ボルシェヴィキですね)のボグダーノフの影響の増大を嫌い、
唯物論の認識論とは何かについて、ながーい本を書いて反論しました。
この本の要点は、物質というものの他に認識があるのか、という点です。
レーニンがこの本で繰り返し言っていることは、物質が先であって認識は
先ではない、人間の認識は物質の反映と見るのが唯物論の立場だ、という
ことです。つまり人間の認識も、いわば物質の反映にすぎない、ということ
が彼は言いたかったんですね。
この立場は、マルクス主義の盛んだった日本やフランスでは、ずいぶん前から
批判されていて、アメリカのマルクス主義なんかには、そもそもアメリカでマル
クスは研究されてなかったし盛んじゃなかったから、紹介されてなかったでしょうが
(当然アナマルにもそんなこと眼中に無いでしょう)、要するに認識している主体と
対象の問題が全く抜けている、ということです。経済学という認識体系は、「賃金が
限界生産性で決まってない」んじゃないか、という認識から、鉄が搾取されてるという
問題に至るまで、人間の人間を主人公にした対象に対する認識体系に過ぎません。鉄と
労働力の搾取について言えば、労働力の搾取には、その労働者の認識や主体性が存在し、
そこに経済学というこれまた人間の認識体系が介在して、賃金水準や厚生等も規範的分野
によっては問題にしている。しかし鉄には、鉄から眺めた経済学はない、あるとすれば鉄
という材質を生産手段という面から考察する(人間がね)経済学しかないわけです。
簡単に言ってしまうと、そういう「人間と自然との物質代謝」を考察する経済学(マル経は
『経済学』そう考えますが)で一番に問題にして考えるのは、鉄にも搾取がある(とも見れる)
という認識ではなく、賃金について文句を言うような主体性を持っている労働者に搾取がある
(『定理』に妥協して言えば、そうとも取れる)、ということだろう、ということです。
鉄と人間を並べてどっちにも当てはまるから証明されてない、なんつう考えを一生懸命言ってる
のは、鉄じゃないだろ、ということ。
>もっとわかりやすい言葉で記述してください。
>私のコメント・意見はその後差し上げましょう。
正直、あなたの不遜さを我慢してレスしましたが、これで分かりますか?
鉄を主人公にした、鉄也小麦の経済学者なら、鉄の搾取も小麦の搾取も
問題になるだろうけど、ミクロもマルもそうじゃないだろう、ってことが
言いたかった、というです。
あなたが、また「意味不明」と考えてコメントしたくないなら、勿体なくもわざわざ
コメントしていただかなくて結構ですが(書いてスッキリしちゃったしな)、ものにゃ
言い方つうもんがあるくらい、大人なら分からねえかなあ。俺があなたの同僚なら一発
いってますね。尤も、こんなとこで不遜なことを言う奴ほど、現実の世界では、そんな
こと言えない小心者が多いだろうがね。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 00:59:45 ID:M9FPDVjU
ポエムですね
>>76 まあ、この人、明らかにポモwだからw
軽やかに相対化して消えていってもらうといいと思うよ。
>>75 おい、おっさん、俺の質問に答えろよ。
>>75 横レス失礼。それは労苦の問題と搾取の問題をごっちゃにしているだ
けでは?
つまり搾取の問題から言えば、今では鉄でも搾取できるというアナ○
関連の話をよく聞きますが、これはこれでひとつの説明でしょう。
ただ、労働ということが問題になるのは労苦という問題があるわけで
それは独立して語らなければならないことでしょう。
置塩先生は過剰労働について何か語っていたのでしょうか?
80 :
22:2006/08/13(日) 04:45:43 ID:bHE0cbhC
>76 はポモではない 数理的には鉄搾取と労働力搾取は同値だが価値的(日常用語での)
には同値ではない、といいたいのだろう。それはそれで見当に値する。経済学かどうかはわからないが。
81 :
Jimmy:2006/08/13(日) 08:41:45 ID:LmlODG3C
労働者が労働生産過程の主体的要因で、生産手段が客体的要因だてしても、そこから利潤の唯一の
源泉が剰余労働であるという命題は出てこない。
唯一の主体的要因は剰余労働であるという、トートロジーが出てくるだけ。
>簡単に言ってしまうと、そういう「人間と自然との物質代謝」を考察する経済学(マル経は
『経済学』そう考えますが)で一番に問題にして考えるのは、鉄にも搾取がある(とも見れる)
という認識ではなく、賃金について文句を言うような主体性を持っている労働者に搾取がある
(『定理』に妥協して言えば、そうとも取れる)、ということだろう、ということです。
ポイントはここだな。
そしてアンタと私の議論の決定的な違いはこうだ。
私:「オキシオの定理→労働搾取の存在」は無理がある
アンタ::「オキシオの定理+認識論→労働搾取の存在」はいえる。
とりあえず私としては
「オキシオの定理のみを根拠にして労働搾取の存在を
主張しようとするとへんなことになる」
という点だけを理解していただければいい。
「全ての生産要素は投入量に見合っただけの成果の支払いを受けていない」
というだけだ。これがオキシオの定理に対する正確な読みだ。
そして労働に関しては、このことを搾取と呼んでるわけだ。
そこで私は労働のみを特別扱いする理由が見当たらない。
だから搾取という言葉を使うならば他の生産要素も搾取されているといわなければ
議論の仕方がフェアではない、
といったんだね。
少なくともオキシオの定理を根拠にして労働への搾取を正当化しようとすると、
全ての生産要素に対する搾取の存在も認めねばならない、というわけ。
オキシオの定理では労働と他の生産要素を区別するものは何もない。
誰かが言ってたけど「労働には労苦が伴うから、違うんだ」なんて点も
モデルの中には反映されていないのだな。
そして「他の生産要素はともかく、労働だけは投入量分の支払いを受けるべきだ」
というのは一つの規範的要請であり、これはオキシオの定理の守備範囲外だ。
無論そのことをはっきり自覚し、
「とにかく労働は投入分に見合う支払いを受けていないことはわかったんだ。
それは他の生産要素も同じだが。しかし、労働は他の生産要素とは違う」
といって先の規範的要請を根拠付けて提出するならそれもいいだろう。
ただその規範的要請を無意識のうちに刷り込ませてオキシオの定理の解釈をするのはいかんな。
ああ、それとレーニンの認識論ね。これ自体にどうこうコメントするつもりはないが、
使い方は少し乱用してるのじゃないですか?
例えば、
>鉄にも搾取がある(とも見れる) という認識ではなく、賃金について文句を言うような主体性を持っている労働者に搾取がある
(『定理』に妥協して言えば、そうとも取れる)、ということだろう、ということです。
それなら鉄の所有者だって「鉄が搾取されている」と文句言えますよ。
結局どの生産要素も同格になりませんかねえ?
>鉄と人間を並べてどっちにも当てはまるから証明されてない、
どちらにも当てはまるから、片方にいえることはもう片方にも言える、
こういいたかったんです。
>>81>>82>>83 どうもジミーさんもかつ○さんも、私が言ってることを誤解してるようですな。
>労働者が労働生産過程の主体的要因で、生産手段が客体的要因だてしても、そこから利潤の唯一の
>源泉が剰余労働であるという命題は出てこない。
>唯一の主体的要因は剰余労働であるという、トートロジーが出てくるだけ。
その通り。だからその「主体的」という問題がジミーさんにとっても
私にとっても重要なんだろう、ということです。「トートロジー」って
認識してるのは誰ですか、という問題といってもいいですが、つまりこう
いうことです。
私が言いたかったのは
>「労働には労苦が伴うから、違うんだ」
という意味ではなく、経済学という学問(その他もそうだが、ここでは物理学
と認識主体とかいう科哲的問題は措いておく)は人間が、その五感という限ら
れた外部世界に対する認識方法によって創られたものでしかなく、それを体系
化しているのはほかならぬ人間の脳髄だ、ということが言いたいんですね。
>それなら鉄の所有者だって「鉄が搾取されている」と文句言えますよ。
>結局どの生産要素も同格になりませんかねえ?
だから鉄自身が「搾取されてる」と文句言うんじゃなく、その「所有者」
=人間が文句を言うわけ。どの生産要素も「同格」だ、と認識するのは、ほか
ならぬその生産要素の「所有者」しかいないだろう、ということが言いたい
んですね。ここで主役を演じてるのは、徹底的に人間なわけです。
そうなれば当然、鉄所有者(つまり資本家)は生産要素を提供しているん
だから鉄が「搾取」されてる分の報酬をよこせ、ということになるでしょう。
つまりアナマルの言ってることは、物の関係のように見せてはいるが、実は
徹底的に人間関係(経済学的に言えば生産関係)の問題でしかない。
もっと言っちゃうと、アナマルが「所有」論にシフトしてるというのも、この
過渡的・近代的生産関係を永続化するところから来てるんんではないでしょうか、
という疑問があるわけです。
土地の所有や労働力の所有が近代になって確立されたようにね。労働者の所有権は
他の商品と異なりその主体性から分離できない、資本主義以前から変わらない唯一の
「単純商品」です。人間が主役でしかない生産や生産関係を取り扱っている「経済学」
にとって、だから鉄が搾取されてる、なんていうことは要するに鉄の所有者の近代的
「所有権」が侵害されてる、程度の問題だろうということ。アメリカ人にはその「所有権」
は裁判しても勝ち取りたい権利だろうが、経済的に見る価値の源泉としては、経済学という
人間の認識から見て、そこに相違点が見出せるのではないでしょうか。
しかし別スレでもそうだが、ジミーさんは中野=竹内ショック以降、かつ○さんと言ってる
ことが変わらなくなりましたな、別に他意はなく、かつ○さんの考えが私と異なるということ
が言いたいんですが。例の論争、良かったらまたいつかやりましょう。
85 :
Jimmy:2006/08/13(日) 15:29:43 ID:LmlODG3C
↑
携帯からしかカキコ出来ないので失礼しています。
人間の認識一般論と「搾取」がどう繋がるのか理解できていません。
私の言いたいのは、単に利潤の唯一の源泉は剰余労働であるという命第は、
他の要素(例えば鉄)が唯一搾取されているのだと主張するのと
同様誤りであるといいことです。
労働者の存在しない純粋ロボット資本主義でも、
生産的であれば利潤が存在することが示せます。
労働者の「搾取」は必要労働ー剰余労働
の対概念でなく、生活水準や
それこそ、資本の生産過程における主体性の
侵害などで論じたほうが・・
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 15:53:12 ID:yexwk0vk
>>82 >「全ての生産要素は投入量に見合っただけの成果の支払いを受けていない」
>というだけだ。これがオキシオの定理に対する正確な読みだ。
でも、資本家が生産手段を独り占めしてる資本主義社会を考えると、現実はそうじゃないおー
シバク・オシオキの定理をより現実にあわせた形で解釈しなくちゃいけないおー
そうすると、労働力こそが搾取される商品であって、本源的生産要素だおー
だからこそ、マルクスは生産手段の共有(所有権の是正)を主張したんだと思うおー
そういう意味で、かつ○さんの自然採集のお米の例は、所有権の設定がオミットされてるおー
それから、認識論はグッドアイデアだと思うにょ
量子力学じゃないけど、観察してそれを解釈できる労働者がいるからこそ、労働者の世界(理論)がはじめて存在するんだおー
なんか、くろしろーの四次元理論みたくなってきた
お騒がせ、スマソ
社会科学における認識論なんてポモが散々なぶってきた戯言の典型だろ。グッドじゃなくて陳腐すぎる。
無駄とはいわんが、それだけじゃ何も生み出さない、いわば触媒みたいなもん。
素直に「『労働に関する』非搾取」を規範的公理として押し出し、
それをincentive-compatibleな形で実現する手段を考えればよいものを。。。
>>84 ウーム。いよいよわからんなあ。
わかりにくくしているのはアンタが話を広げすぎているからだな。
後半の土地所有の話なんか、特にそう。
オキシオの定理の解釈に関する問題なんだから、そこに話を限定してくれ。
オキシオの定理に関して俺のいってることは、このスレで色々書いている。
jimmyさんの
>>85 も俺とほぼ同じなんでけどなあ。
で、アンタの解釈は一体何なんだ?
>土地の所有や労働力の所有が近代になって確立されたようにね。労働者の所有権は
他の商品と異なりその主体性から分離できない、資本主義以前から変わらない唯一の
「単純商品」です。人間が主役でしかない生産や生産関係を取り扱っている「経済学」
にとって、だから鉄が搾取されてる、なんていうことは要するに鉄の所有者の近代的
「所有権」が侵害されてる、程度の問題だろうということ。アメリカ人にはその「所有権」
は裁判しても勝ち取りたい権利だろうが、経済的に見る価値の源泉としては、経済学という
人間の認識から見て、そこに相違点が見出せるのではないでしょうか。
これは「鉄にも所有者がいるだろ、だったら彼らの搾取されているのでは?」という俺の問いに対する解答だな。
これ自体としてはよく書けていると思うよ。
でもね、ここでの問題はオキシオの立てたモデルの世界での話だ。
一般化された基本定理の中のどこに、
>労働者の所有権は 他の商品と異なりその主体性から分離できない、資本主義以前から変わらない唯一の
「単純商品」です。
>鉄が搾取されてる、なんていうことは要するに鉄の所有者の近代的
「所有権」が侵害されてる、程度の問題だろうということ。アメリカ人にはその「所有権」
は裁判しても勝ち取りたい権利だろうが、
と鉄と労働を分かつ要素があるというのだ?
どちらも単なる生産要素にすぎず、モデルの中での両者の役割は全く同じだ。
モデル分析の結果の解釈はあくまでそのモデルに予め備わった要素のみで為されるべきだ。
あんたのやってることはモデルの外側から理屈を引っ張り出してきて解釈している。
それは反則だよ。
別にアンタの人間主体の認識論がどうのこうのといってるんじゃない。
基本的にモデル分析というものがわかってないんだよ。アンタはね。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 19:47:01 ID:yexwk0vk
>>90 モデルビルディングの目的は、現実世界の説明にあるにょ
オシオキモデルの限界がはっきりしたんだから、そのモデルを超える努力をしないといけないおー
>「所有権」が侵害されてる、程度の問題だろうということ
所有権すなわち他者に対する独占的使用権がどのようにして築きあげられたか、その正当性にメスを入れる必要があるんだおー
制度の問題
>>90>>91 かつ○さん。
最初
>わかりにくくしているのはアンタが話を広げすぎているからだな。
>後半の土地所有の話なんか、特にそう。
と言われたとき、俺がどこで土地所有の問題を?と思いましたが、
>>91 を見て得心がいきました。
ここで「土地の所有」と書いたのは、マルクス経済学では、「資本の原始的蓄積」という
考え――具体的な典型例で言うと18世紀イギリスでの第二次囲い込み運動――人類史のなかで
ズッと土地を耕し土地を本源的生産手段として生きてきた農民(つまりほとんどの勤労階
級ですね)が土地と暴力的に切り離され、土地が地主のものになると同時に、大量の労働
力商品が生まれるという歴史的画期を考える、そしてそれ以降、資本主義的生産が支配的
になっていくし、人口も爆発的に増えて近代社会になる、という前提があるんです。
この場合、労働者が労働力を商品として企業(資本)に売らなければならなくなるのは、
反面として太古からの生産手段だった土地から切り離され、土地に所有権が確立する裏側
の側面だと考えます。つまり労働力を売るという労働者の所有権は土地という本源的生産
手段に所有権がふとされるのと同値である、したがって小麦に所有者がいるのは、労働者
に労働力を売る権利があるのと同等なことだ、と考えているわけですね。
だから小麦の所有者が所有権ではなく搾取を主張することは歴史的に言ってオカシイが、
労働者が自分の労働力が搾取されていると考えるのは、労働力商品が労働者の身体と分離
できない以上、正当である、という考えがあるのです。
だから、マルクス経済学の場合、土地やそこから生まれる小麦の所有権と労働者が労働力
を売っている社会の成立を一緒に考えるのは、決して「話を広げすぎている」ということに
はならないんです。土地の所有権の確立があって、労働力が商品化するわけですから。
ここにはかつ○さんと私の「経済学」についての(学派的なものも含めた)相違が存在する
と思います。
>>91における「モデル」のかつ○さんの考え方についても、異見を持っているの
で、以下レスを続けます。
>>90 モデルビルディングの目的は、現実世界の説明にあるにょ
オシオキモデルの限界がはっきりしたんだから、そのモデルを超える努力をしないといけないおー
オキシオモデルの限界がわかってない人がいるから俺が説明してるだけだ。
その限界を超える努力はする必要がないなんて俺がいつ言ったんだ?
ただ一つ言わせてもらうと、オキシオモデルの線で搾取の存在を証明するのはおそらく無理だろうね。
もっと別の発想が必要だ。
>>92 >だから小麦の所有者が所有権ではなく搾取を主張することは歴史的に言ってオカシイが、
労働者が自分の労働力が搾取されていると考えるのは、労働力商品が労働者の身体と分離
できない以上、正当である、という考えがあるのです。
ご高説拝聴しました。
でもその考えをおきしおモデルにどう適用するの?
労働力は労働者の身体と分離できないなんて想定がオキシオモデルのどこにあるんだい?
それを聞いているんだよ、私はね。
(続き)
かつ○さん。
私はいわゆる近経の訓練をガッチリ受けたわけではありませんので
ここで「モデル」における外生変数・内生変数の話とかでしたら、正直
ローマーのモデルでは分かりません。ですが
>でもね、ここでの問題はオキシオの立てたモデルの世界での話だ
というのなら少し話は異なるでしょう。寡聞にして私は晩年の置塩氏が
自分の定理の「一般化」についてどう考えていたか、知りませんが、おそらく
>どちらも単なる生産要素にすぎず、モデルの中での両者の役割は全く同じだ。
>モデル分析の結果の解釈はあくまでそのモデルに予め備わった要素のみで為されるべきだ。
>あんたのやってることはモデルの外側から理屈を引っ張り出してきて解釈している。
>それは反則だよ。
とは考えなかったのではないでしょうか。あなたのやってるアメリカ流経済学や、その亜流の
「マルクス主義」がどう考えているか知りませんが、あなたの言う「反則」は、別の流派では
必ずしも反則ではありません。事実、私は数学を使う場合、何が本質かそもそも外部から分か
ってないと単なる「唯物(ただもの)論」になっちゃうよ、と転形問題にも功績のある高名な
マルクス経済学の先生に教わりましたし、よく知りませんが置塩氏も、数学を知ることは、「モ
デル」のからくりを見破るためにも必要だ、とどこかで書いていた気がします
そんなことより大事なのは、私自身「どちらも単なる生産要素にすぎず、モデルの中での両者
の役割は全く同じだ。 モデル分析の結果の解釈はあくまでそのモデルに予め備わった要素のみ
で為されるべきだ」という意見に、全く承服できないことです。何故労賃に不満を言う・労働
条件の改善を求めるといった主体性を持っている労働力「商品」と、誰某の所有物である物言わ
ぬ鉄「商品」が一緒になるのですか?仮にいったん生産要素としての貢献を認めるにせよ、
労働力と鉄とでは、全く経済学的にも意味が異なります。ミクロやマクロで「労賃」や
「ゲーム」、あるいは「失業率」「インフレ率」等々は重要な概念でしょうが、それは別に
鉄也小麦にとって重要なのではなく、人間(労働力商品)の経済活動にとって重要だから研究
されているんですよね。中国の影響で鉄の価格が高騰する場合、経済学的に重要なのは、鉄の
原子的構造ではなく、それが人間の経済生活に及ぼす影響でしょう。
森嶋通夫がマネタリスト(ベッカーの人的資本論か?)のことを最も「唯物論」的と言って
いるのを聞いたことがありますが、それに託けて言えば、私にはかつ○氏の意見は、マネタリ
スト同様の、「人間機械論」的な18世紀の機械的唯物論の再版にしか見えません。
>別にアンタの人間主体の認識論がどうのこうのといってるんじゃない。
>基本的にモデル分析というものがわかってないんだよ。アンタはね。
そりゃあ「モデル分析というものがわかってない」ですよw
だってそんな訓練受けたことないですもん。数理マル経については、
よく知らないし、特別今のところ知りたいとも思ってませんが、もし
かつ○さんの依拠するアメリカ・ローマー流の「モデル」分析のみを
輸入して、これこそ新しい○だ、というのなら、それは最早マルクス経
済学ではなく、単なる新古典派の一応用分野でしょうねえ。そっちで
いいんだ、というのがご意見なら、それはそれで一見識だと思います。
私と違いますが。
>全く承服できないことです。何故労賃に不満を言う・労働
条件の改善を求めるといった主体性を持っている労働力「商品」と、誰某の所有物である物言わ
ぬ鉄「商品」が一緒になるのですか?
だから何度もいってるだろう。おきしおモデルの世界では一緒だと見ざるを得ない、と。
モデルの外側に出れば確かにアンタがいってるような違いはあるかも知れん
例えばおきしおモデルとは別のモデルを立て、
そこではアンタの言ってる主体性とかが明確に定義されて、
意味を持つ設定になっているならば、違いは重要だろうさ。
しかし、おきしおモデルでは両者を分かつ要素はないんだもん。
共に生産技術に参画する生産要素のしかでしかないのさ。
だったら片方に搾取があり、もう片方にはない(あるいはあっても問題ない)
なんて結論は出せんよ。
俺が言ってることはわずかこれだけのことだ。
アンタの悪い癖は、「人間機械論」的な18世紀の機械的唯物論の再版など、造語し勝手に議論を広げ、
俺がそういったことをかのように妄想を膨らませることだ。
これもそうだ。
>かつ○さんの依拠するアメリカ・ローマー流の「モデル」分析のみを
輸入して、これこそ新しい○だ、というのなら、それは最早マルクス経
済学ではなく、単なる新古典派の一応用分野でしょうねえ。そっちで
いいんだ、というのがご意見なら、それはそれで一見識だと思います。
私と違いますが。
どうやら正体表わしたな、って一文だねえ。
最初からこういえばいいのにW
残念でした。俺はアナ○何ぞにゃ興味ないし、興味を持ってる友人には
「こんな下らんもの止めろ」と諭したこともある。
だから
>かつ○さんの依拠するアメリカ・ローマー流の「モデル」分析のみを
輸入して、これこそ新しい○だ、というのなら、
なんていうわけないだろうw.
お前ら、楽しそうだなwwwwwwwwwwww
>>96 久しぶりに盛り上がったなw
では、俺は寝るぜ。
書きかけの論文、今月には仕上げたいんでな。
>>94を一言で言うと「人間は無機物じゃないんだよ」ってことか。
x=人間 x=鉄 → 人間 = 鉄じゃないって言いたいだけで、
その根拠に認識論持ち出してきた。
しかし、この批判はまったく本質的じゃないな。
> ただ一つ言わせてもらうと、オキシオモデルの線で搾取の存在を証明するのはおそらく無理だろうね。
> もっと別の発想が必要だ。
かつ○の話で一番のポイントはこれじゃね?
鉄は人間じゃないんだ!!とか叫んでる時点で、わかりあうことはなさそうだ。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 00:11:49 ID:EdlTc0Ca
かつ○さんがフテ寝してるおー
疲れてるんだな、ナデナデ
>>97 付き合ってくださってどうも。私も楽しませてもらいました。
私も今月には、本業で締め切りの連続です。
結局俺の一言がきっかけで終息かよ。
俺ももう寝て明日こそは帰省するよ。あばゆお
102 :
Jimmy:2006/08/14(月) 03:51:29 ID:xlvZkFl4
どこまで行っても平行線ですか。
置塩の定理は、剰余労働時間が正であることと
利潤が正であることが同値であることを線形モデルで
証明したもの。
ところが、生産手段についても、この時
剰余が必ず生じていることが言える。
ところで、労働力は
このモデルでは一連の生活手段の「投入」よって生産される
と見なされている。これはマルクス的定義と変わらない。
労働力商品の特殊性とは、この生活手段の決まり方が他の生産手段と異なり、技術的一意性がなく、
歴史的・文化的・
主体的要因による点。
需給だけであれば他の一次産品と同じ
103 :
Jimmy:2006/08/14(月) 04:09:50 ID:xlvZkFl4
これ必要労働時間ー剰余労働時間の
分割比に生活手段の生産技術連関を介して
反映される。
労働力商品の特殊性はこのように記述できるが、
先に述べたようにだから利潤の唯一の
源泉が、剰余労働時間であるとは、
決して主張できない。
労働力商品の特殊性を認めるのにまったく吝かではないが、
それと源泉論とが、必然的に
繋がるとは言えないと考える。
104 :
Jimmy:2006/08/14(月) 04:32:28 ID:xlvZkFl4
置塩自身がどこまで労働力商品の特殊性を認識していたかは、これまた全く別の話だろう。
アナ○派では明示的に触れられた議論は
行われていないようだ。
クドイようだが、どんな特殊性を「媒介」
しようと、剰余労働時間が正であることが、利潤の存在条件で、この時同時に
他の生産手段についても剰余が存在しているのである。
このことは、線形モデルの基本定理で、
置塩が知らなかったとは思えないが、
正統○としては決して口に出せなかったのだろう。
105 :
Jimmy:2006/08/14(月) 08:08:55 ID:xlvZkFl4
粘着して、もう少しカキコすれば先にあげた、
労働者のいない、純粋ロボット資本主義でも正の生産性を
備えた技術体系のもとでは利潤が存在することが示せるから、唯一源泉論は決定的に
反証されるのではないか。
議論すべきことは何かがわからないから、
モデルの外側のことまで長々と喋りつづける。
思想史系の連中の悪い癖だ
107 :
小鉄ハン:2006/08/14(月) 12:37:25 ID:sXtajI7L
ジミーさん。
いつしかのご要望どおり、コテハンを名乗ります(ふざけたコテハンですいません)。
ここでまたジミーさんと「論戦」やらかすつもりはありませんが(だから適当に聞き流
して欲しいのですが)、
>労働力商品の特殊性を認めるのにまったく吝かではないが、
>それと源泉論とが、必然的に
>繋がるとは言えないと考える。
簡単な置塩モデル、H-S条件を見ただけでも、数学のできない私にも
それは分かります。おっしゃるとおり、あの置塩氏自身、労働力商品を
鉄商品に変えても「モデル」内部では変化なく証明可能であるとは、当然
分かっていたでしょう。
しかし置塩氏は、定理をアメリカ流に「一般化された」形にはしませんでした。
かつ○さんは、モデル内でしか考えないと頑として譲りませんでしたが、私には
「源泉」までが、置塩さんの作った「モデル」(というより、H-Sだのペロン-
フロベニウスだのといった数学定理)で証明できるとは思えません。
労働力がもし、生産の価値の源泉でなかったら、分からないことが多すぎる。
18世紀以降、人口がナゼ爆発的に増大したのか?ナゼわれわれの生活スタイルが
核も歴史上か割ってしまったのか?これは、宇野氏が言うとおり「労働力の商品化」
があったからこそであり、線形モデルの内部の問題ではなく、そうしたモデルを考え
られる歴史条件の大きな変化が線形モデルの外部に出来した結果だろうと思う。そして
それは、決して鉄が商品化したからではないと思います。
例に出される「純粋ロボット」が作り出せるような社会の構造を作った変化がナゼ
起きたのか、それが作られるようになるとしたら、それは鉄が商品化した結果でしょうか。
宇野氏の「無阿弥陀仏」という条件を無視して、狭いモデル分析で証明・反証する問題では
ないのではないですか。
因みに、
>>94で、数学だけでは何も分からないといった高名な先生とは、たぶんジミーさん
もよぅくご存知の方です。
108 :
Jimmy:2006/08/14(月) 13:19:19 ID:xlvZkFl4
↑コラコラッ!イヤミか?(激ワラ
労働力が価値源泉であることと、人口爆発や生活様式の
変化とがどう繋がるのか理解できていません。
前者は例えば、生きた労働が価値源泉で
あるから、人口爆発によって資本蓄積が
本格的に進んだと言うような関係を指しているのでしょうか。
ロボット資本主義へと至る経路自体は問題ではないですが、
例えば、生産性の向上を目指した結果などを想定しておけば十分でしょう。
転形問題で高名な先生?マコちゃんですか?
数学云々を言われるのもよろしいが、あの結合生産物の価値規定は
全くのトンデモですな。
109 :
小鉄ハン:2006/08/14(月) 15:28:21 ID:sXtajI7L
ジミーさん。
適当に流しますが
>労働力が価値源泉であることと、人口爆発や生活様式の
>変化とがどう繋がるのか理解できていません。
>前者は例えば、生きた労働が価値源泉で
>あるから、人口爆発によって資本蓄積が
>本格的に進んだと言うような関係を指しているのでしょうか。
うーん、つまり資本主義的生産が始まって以来、人口が爆発的に増大した
(それまで平坦だった人口〈2億くらいか〉が18Cから現在までの人口曲線が
数十倍〈60億〉に急上昇を示しているような事態)が生じたのはなぜですか?、
ということです。「生きた労働が価値源泉であるから」、それが大量の労働力
として様々な生産に対して開放されたという条件抜きには言えないだろうと。
>ロボット資本主義へと至る経路自体は問題ではないですが、
>例えば、生産性の向上を目指した結果などを想定しておけば十分でしょう。
そういう「生産性の向上」を志向する社会(ないし社会通念)が生まれたこと
自身を問題にしているんですね。資本主義社会以前に、年々の成長率の向上が至
高目的になっていたわけではないでしょう。
あと具体的な固有詞については伏せさせて頂きますw
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 19:04:24 ID:ZFmUtqMf
ここで誰かに置塩氏の業績とその偉大さについて簡単にまとめてもらいたいです。
>>107 >かつ○さんは、モデル内でしか考えないと頑として譲りませんでしたが、
おいおいおい。誤解してもらっては困る。
そんなことは何もいってないぜ。
あの議論の構図はだなあ。
次の二つの命題を巡っての話だったの。
@オキシオモデルの世界では
鉄の搾取=労働の搾取
A現実の世界では
鉄の搾取=労働の搾取
俺は@は成り立たざるを得ない、ということを主張したの。
そしたらそれに反論してきたわけ。
それがAが成り立つわけないだろう、だから@はなり立たん、という論法だったの。
で、俺はそれはおかしいでないの?といったわけよ。
奴さんはこの構図が最後まで理解不能だったようだな。
色々勉強されている様子だけど、その勉強が生きてないなあ。
とにかく、
「モデル内でしか考えない」ではなく、オキシオモデルの結論の解釈をモデルの外側から勝手な理屈を持ってきてやってはいかん、と。
これだけのことよ、俺が言ったことは。
しかし何だな、次々と阿呆が湧いて出て来るw.
面白いスレになったなw.
112 :
小鉄ハン:2006/08/14(月) 21:35:10 ID:1e32qKqx
>>111 >しかし何だな、次々と阿呆が湧いて出て来るw.
>面白いスレになったなw.
阿呆は昔からなんでw、もう直らないと思いますが
阿呆から見ると、
>奴さんはこの構図が最後まで理解不能だったようだな。
という「構図」がクッキリしたのは、
>>95あたりのかつ○さんで、
>>90(特に後半)
は、おっしゃる「構図」までには、かつ○さん自身の考えも整理されて
なかったような気がしたんですが…。
ま、これも阿呆のタワゴトとお見逃しをw.
うーむ、分からないにょー
商品価値は、投下された労働量で決まる
生産のために直接投下された労働、資本財・原材料を生産するために過去に投下された労働量
てことは、集計された商品価値は。過去からの投下された労働量の入れ子構造になっていると思うのですが・・・
よろしければ、数理○の薄くてよい参考書を推奨お願いしますでつ
>>112 たわけたことを・・・。
オキシオの定理に対する俺の解釈は一貫してる。
○スレから議論してきたことだしな。
俺の解釈に噛み付いてきた奴の意図を探るには時間がかかった。
それだけのことだ。
115 :
Jimmy:2006/08/15(火) 01:45:29 ID:C6P0cOO4
109←
人口爆発はどうなんでしょう、時期にもよりますが、殆んど
資本主義的労働市場の存在しない地域で
生じていませんか?
一つの仮説でもって説明しきれる事象じゃないでしょう。
仮に全てが労働市場に流入したとしても、それは生活手段生産
部門含めた資本主義的生産過程拡張再生産
の前提であり結果なのであって、さらにまた拡張再生産は置塩の定理で説明つく利潤の再投下によるものですから
依然として「労働が唯一の価値源泉」であることの証明には
なっていないでしょう。
生産性向上は、利潤追求の手段ですが、
116 :
Jimmy:2006/08/15(火) 02:02:45 ID:C6P0cOO4
(続き)何故そうなるかを追求すること自体は、重要なテーマでしょうが、
労働だけが価値源泉であるという命題を検証することとなんの関係があるのか、
理解できません。
何故かの深い根拠が解明できたとして、ロボット資本主義の想定自体が不可能になるとは到底思えないのです。
もしそうなるとしたらそれは唯一「労働だけが
価値源泉である」を証明抜きで絶対的前提にするときでしょう。
イギリスの場合、人口増加は産業革命期以前に起こったんじゃないかな。
何かの本で読んだことある。
産業革命によって人口が増加したんじゃない、って力説してたような。
歴史は俺の専門外だから、詳しく知ってる人いれば助かる。
118 :
小鉄ハン:2006/08/15(火) 11:34:44 ID:jqVJUdr9
>>115>>116>>117 軽く流してきましょう。あまり論争っぽくなるもの疲れるし、ここは「置塩スレ」だし。
>人口爆発はどうなんでしょう、時期にもよりますが、殆んど
>資本主義的労働市場の存在しない地域で
>生じていませんか?
いわゆる後進地域における人口爆発は、農業セクターにおける問題が大きく絡んできます。
「原理」的要因だけで解けるとは思いませんが、例えば外貨獲得のための商品作物の増大→
生活資料に対して相対的に過剰人口の大量の飢餓死、とか、アメリカ型穀物生産の生産過剰→
モノカルチャー化した後発地域に対する買い叩きと人口の相対的増大、といった点などは、
資本主義的「原理」と大きく交錯しているのではないでしょうか。
>一つの仮説でもって説明しきれる事象じゃないでしょう。
その通り。だからこそ「段階論」的研究も必要となるんでは?
>生産性向上は、利潤追求の手段ですが、
>(続き)何故そうなるかを追求すること自体は、重要なテーマでしょうが、
>労働だけが価値源泉であるという命題を検証することとなんの関係があるのか、
>理解できません。
直接には「生産性向上」と資本主義的生産の出現との関係の話になっているはずです。
労働源泉論は、更にその先の話で、直結させてはいないと思うんですが…。
>何故かの深い根拠が解明できたとして、ロボット資本主義の想定自体が不可能になるとは到底思えないのです。
誤解して頂きたくないのは、そうした「想定」が無理と言っているのではない、
ということです。そうした「想定」が意味を持つ社会の出現が歴史的な形成抜きに
語れないだろうという文脈で書いたつもりなのですが。
>イギリスの場合、人口増加は産業革命期以前に起こったんじゃないかな。
>何かの本で読んだことある。
イギリスの人口増加は、いわゆるノーフォーク農法の出現による「農業革命」が直接の契機でしょう。
しかし、歴史的にその後の長足の人口増大に繋がるのは、この農法による人口の増大→増産必要のための
「共有地囲い込み法案」の制定→第二次囲い込みによる大量の労働者の出現と資本主義的生産様式の勃興、
というシェーマになるんではないでしょうか。インド貿易や奴隷貿易から得た貨幣資本の蓄積、産業革命に
よる技術革新は、あくまでその側面を形成しているに過ぎず、人口増を契機とする偶然の重なりの結果、
とりわけ労働力商品の大量な出現こそ、人口の累積的変化をもたらした根本でしょう。
119 :
なんだろね:2006/08/15(火) 15:22:00 ID:F4xHtxNd
「一つの麦、もし死なずば唯一つにてあらん。もし死なば、多くの実を結ぶべし」
ということで、確かに「基本定理」は麦価値説にも石油価値説にも適応できますね。これは
疑いなく正しいでしょう。しかし・・・・。
もし、お百姓さんに「一粒のお米からたくさんのお米が獲れるのは、あなたの労働
とはまったく関係ない」と言ったら、怒るでしょうね。このお百姓さんの怒りは非科学
的なわけですが、なんとなく、私にはこの怒りはわかりますね。いや、非科学的な感性
なんですけどね。でも・・・・。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 15:58:58 ID:kOTqygBR
>119
論理的思考が曖昧なのか,意図的に混乱させているのか知らないが・・・,
>もし、お百姓さんに「一粒のお米からたくさんのお米が獲れるのは、あなたの労働
とはまったく関係ない」と言ったら、怒るでしょうね。このお百姓さんの怒りは非科学
的なわけですが、なんとなく、私にはこの怒りはわかりますね。
かつ○がいつ,そんな事を言った?「あなたの労働には価値がある」とは,限界生産力説でも
言っているわけなんだが・・・。
121 :
225:2006/08/15(火) 18:17:14 ID:xBLyk17h
マスゴミが隠蔽する、中韓以外のアジア諸国及び欧米の声
★シンガポール リー元首相:「靖国問題も中国が心理的なプレッシャーをかけているだけ」
★台湾、李登輝前総統:「国のために命を亡くした英霊をお参りするのは当たり前の事。外国が口を差し挟むべきことではない」
★台湾、陳総統:「中国の反発に負けずに靖国参拝をする首相を評価」
★カンボジア:フン・セン首相:「戦没者の霊を弔うことは当然のこと」小泉首相の靖国参拝に理解
★インドネシア:ユドヨノ大統領:「国のために戦った兵士のためにお参り、当然」靖国参拝に理解
★ベトナム:「我々は中国や韓国のような卑怯な外交手法をとるつもりはない」
★オーストラリア・マレーシア・タイ・フィリピン:「私たちはまったく問題ではない。問題にするのは中国だけ」
★パラオ、レメンゲサウ大統領:靖国参拝に「すべての人のために祈るのは正しいこと」と支持を表明
★ソロモン諸島のケマケザ首相:「日本とソロモン諸島の共通の文化は先祖に感謝すること。英霊が祭られている場所を拝見したい」
★アーミテージ氏:「中国は靖国問題に言及するべきではない。日本は戦後60年間、模範的な市民である」
★シーファー駐日大使:「アメリカ政府は、日本の靖国参拝に干渉することはない」
★ラムズフェルド長官:「中国は日本の靖国参拝への干渉を自制すべき」
★ウォーツェル米中経済安保調査委員長:「『歴史認識非難』は単なる対日攻撃手段、靖国参拝、中止すべきでない」
★トーマス・スニッチ氏:「中国には日本の戦没者追悼に対し一定の方法を命令する権利はない 」
★アーサー・ウォルドロン氏:「事の核心は日本に対し覇権を確立したいという中国の野望」
122 :
Jimmy:2006/08/15(火) 19:18:49 ID:C6P0cOO4
119←
誰もお百姓の労働がお米を生産するのに
なんの関与もしていないなんて主張していないですよ。
何度も言っているように、利潤の「唯一」の「源泉」が「ロ労働者の剰余労働時間」であるという命題は支持しがたい、それだけです。
お米が自らタンボに歩いていって栽培されない限り、
労働は主体的要因です。
123 :
Jimmy:2006/08/15(火) 22:58:45 ID:C6P0cOO4
簡潔に言えば、利潤を生むのは労働でも鉄でもなく、
生産的な技術構造であると。
だから労働者がいなくとも、利潤は存在するのです。
このことは、労働者が文句垂れようが、お百姓が不満持とうが、
それとは一切関係無く成立する。
文句や不満は、必要生活手段のバスケットの変動に還元されるだけです。
ホント何度も繰り返しますが、労働者の歴史的な所以や資本の生産過程での
境遇について、なにも考察する意味がないなど一切主張するつもりはありません。
ハハハ。Jimmyさんよ、お互い苦労するねえw.
>>例に出される「純粋ロボット」が作り出せるような社会の構造を作った変化がナゼ
起きたのか、それが作られるようになるとしたら、それは鉄が商品化した結果でしょうか。
宇野氏の「無阿弥陀仏」という条件を無視して、狭いモデル分析で証明・反証する問題では
ないのではないですか。
こういうのを読むと、理論家と歴史家の相互不理解をつくづく感じるねえ。
この場合は歴史家の理論無視だけど。
俺の大学には逆の人がいるな。理論家で歴史なんかイランと公言する人が。
自分のやってることだけが意味があり、他の分野には無理解って奴はどこにでもいるなあ。
歴史家の地道な実証によるケーススタディと理論家の鋭いモデル分析は本来相互補完的な筈なんだがね。
>>118 ありがとうよ。参考になったぜ。
125 :
Jimmy:2006/08/16(水) 00:23:26 ID:dfj3XY+q
かつて○さん
歴史的なファクタが、ある理論モデルに
どう反映するのか、
この場合労働力商品の歴史的あるいは存在論的??特殊性が
置塩定理あるいは一般定理に還元されるのかを、考える他無いと言うことだと思います。
労働力商品の特殊性に最大限の関心を払うならば、そうして資本主義の理論的解明を商品形態から
始めなければならないとしたら
そもそも何故、労働力商品の考察が要請されてくるのか、
そこまで遡ってみるべきでしょう。
小鉄ハン、なんだろねさん、そこのところどうでしょうか?
資本主義的生産の必然性と言うテーマで
126 :
Jimmy:2006/08/16(水) 00:50:39 ID:dfj3XY+q
その還元の形は詰まるところ、労働力再生産の消費財バスケットの
変動とそれに連動した利潤率のそれでしかないと言うことでしょう。
元々このモデルは産業資本形式のそれも商品資本の循環形式を線形に表現したものですから、
その形式のなかで考えるのが、当然なのであって、その外部をそのものとして
考察するのは、かえってこの資本形式の外部性に対する挙措を明らかに出来ない
のではないでしょうか。
127 :
小鉄ハン:2006/08/16(水) 00:55:35 ID:JQAGwDXI
>>124 かつ○氏。
>こういうのを読むと、理論家と歴史家の相互不理解をつくづく感じるねえ。
>この場合は歴史家の理論無視だけど。
たまたま私の文章が出しに出されているので言うのですが、マルクス経済学の場合、
例えば転形問題とか価値論とかしかやってない(興味ない)人は別にして(○にもこ
ういう困ったチャンはいますが)、普通「理論」のなかに(そのままではないですが)
歴史的要素も入ってきます。
だからある程度の経済史的知識がないと、理論の意味も実は分からない部分があります。
「この場合は歴史家の理論無視だけど」というお言葉ですが、別に私は経済史専攻だった
わけでも経済史家でもありません。
そこら辺は
>俺の大学には逆の人がいるな。理論家で歴史なんかイランと公言する人が。
>自分のやってることだけが意味があり、他の分野には無理解って奴はどこにでもいるなあ。
とか言ってる(おそらく)ミクロ(ないしマクロ無用論の『新しい』古典派マクロ)の人とは
異なります。
「自分のやってることだけが意味があり、他の分野には無理解って奴」が仮に私のこと
のことを指しているのなら、お言葉ですがそっくりお返しさせていただきますよw.
128 :
小鉄ハン:2006/08/16(水) 01:14:11 ID:JQAGwDXI
>>126 ジミーさん。
>元々このモデルは産業資本形式のそれも商品資本の循環形式を線形に表現したものですから、
>その形式のなかで考えるのが、当然なのであって、その外部をそのものとして
>考察するのは、かえってこの資本形式の外部性に対する挙措を明らかに出来ない
>のではないでしょうか。
通常商品資本形態で処理されるものを、原理論では再生産表式論として明らかにし、
それ以前(ないし以後)、労働力商品の特殊性を考えているのではないですか。
>外部をそのものとして
>考察するのはかえってこの資本形式の外部性に対する挙措を明らかに出来ない
としたら、原理論における生産論において、「資本の再生産過程論」は表式一本だけでOKで、
改めて労働力商品の確保条件の特殊性を考える資本蓄積論を別建てで立てている意味がなくなる
と思います。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 01:35:37 ID:G0iFI4/f
「ゴーダ綱領批判」の中で、マルクスは自然と労働が使用価値の源泉になるためには、自然と生産手段が労働者行為としての人間の所有物でなければならない、とありますたー
てことは、マルクスは、資本主義を支える所有権とか、制度(≒生産的な技術構造)のあり方が大切と考えてたんじゃ
置塩さんは、そのあたりどう捉えているんですかー
それから、労働にも資本にも帰属しない生産性向上分(残差)はどこに帰属するんですかー
オシオキ定理の実証分析はあるのですかー
130 :
Jimmy:2006/08/16(水) 04:47:04 ID:dfj3XY+q
小鉄ハン、さん?
なんかしっくり来ないな。やはり敬称略で。
「以前」「以後」の所の論旨うまく掴めません。
蓄積論が不要等ということではなく、まさに資本蓄積運動と
関わらしめて初めて資本主義的人口法則が明らかになる
そういう方法が必要だと私もずっと申し上げているのですが。
資本はその流通運動を通じて利潤を獲得するのですから、
そこに労働力商品の特殊性がどう受け止められるのか、それを終始問題にしていて、結局は再生産費用の問題に行き着くでしょうと。
資本主義の必然性は如何ですか?
>>127 ハハハ。まあまあとんがりなさんなって。
オキシオ定理のくだり、ロボット資本主義のくだりでの
議論を応酬を読んで感じたことを書いただけさ。
Jimmyさんがうまく問題を設定してくれたな。
ある理論モデルがどう歴史ファクターに反映するか、
そして
資本主義的生産様式(労働力の商品化)の必然性
か。
ただこれは解明は難しいだろうな。特に後者は。
132 :
小鉄ハン:2006/08/16(水) 10:27:55 ID:JQAGwDXI
>>130 ジミーさん。「小鉄ハン」(というコテハンw)で結構ですよ。
>「以前」「以後」の所の論旨うまく掴めません。
「資本の再生産過程論」は宇野(ないしオールドタイプ?)では、通常の商品のようには
獲得できない労働力商品を「人口法則」として確保する資本蓄積論を先ず先に置いて、労
働力商品を確保する条件を解いてから、(鉄商品その他の)全商品の再生産を商品資本形態
で説く「再生産表式」論、という構成になっています。
しかし最近では(日高氏→山口氏の流れですが)、これを逆転させて、「再生産表式」論
だけでは(つまり鉄商品と労働力商品とを平板に並べただけでは)分からない点(つまり
労働力商品の特殊性ですが)を表式の限界点とし、そこから「人口法則」=資本蓄積論を説く
順序(考え方)が主流になっています。
つまり、どちらにせよ再生産論がこの二本建ての構成になっていること自体、「結局は
再生産費用の問題に行き着くでしょう」という見解(繰り返すように、それなら表式一本で
OKなはずです)に対する強力な反論になっていると思うんですが。
>>131 それから、かつ○さんの
>ある理論モデルがどう歴史ファクターに反映するか、
>そして
>資本主義的生産様式(労働力の商品化)の必然性
>か。
という論点ですが(別に「とんがって」ませんからご安心をw)、多少話が専門的になり恐縮
ですが、マルクス経済学の体系には、「歴史ファクターが反映する」場面は(流通論から
生産論への移行、あるいは上記の再生産論等もそうですが)、いくつも存在します。
以上、簡単な反論まで。
133 :
Jimmy:2006/08/16(水) 14:01:41 ID:dfj3XY+q
小鉄ハン
「以前」「以後」の論脈了解しました。ありがとうございます。
しかし、私は再生論一本でOKだなんて言ってなくて蓄積論の必然性を示しているのですが。
その要が、資本自身が置塩定理によって利潤を獲得し、再投下する関係が成立していることなのです。
134 :
Jimmy:2006/08/16(水) 14:35:36 ID:dfj3XY+q
小鉄ハン
やはり、なぜ純粋の流通形態から出発して、資本主義的生産が必然的に定立されのか、歴史を無媒介に介入させることなく説き明かすことが必要ではないでしょうか。
要は、原理論体系で労働だけが価値形成的であると開示できるのかどうか。
そこの所をお聞きしたい。労働生産過程でのこれまでの証明は単に労働時間のタームで記述しただけで証明だと
言っているだけで済ませているのではないか。
135 :
小鉄ハン:2006/08/16(水) 17:38:37 ID:JQAGwDXI
>>133>>134 ジミーさん。
>しかし、私は再生論一本でOKだなんて言ってなくて蓄積論の必然性を示しているのですが。
>その要が、資本自身が置塩定理によって利潤を獲得し、再投下する関係が成立していることなのです。
その場合、労働力商品の確保という重要な要件は前提されているわけですよね。私が言いたかったのはここで、
「利潤の再投資」だけを考えるなら、鉄商品と労働力商品世を同一次元に並べ、「モデル」内でこの二つの要素を
同じ資格の生産要素として考えるほかなくなる、そしてそれは、商品資本循環(剰余価値の流通を含む循環形式)
で示される再生産表式論だけで、十分「利潤の再投資」によって拡大再生産を継続していくことは示せてしまうの
ではないか、ということだったのです。そこでは再生産表式(これも商品の特殊性の違いを見ない点では、置塩モ
デルと同じ前提に立っているわけですが)の外側で示されている重要な要件(資本蓄積論=特殊な商品としての労
働力の確保機構である『人口法則』)という折角の二本建て構成が生かされていない結果に終わってしまう。
しかしジミーさんが出されていると思われるもう一つの側面については、正直なところ上のように言い切ってしまえず、
考えさせられます。
>労働生産過程でのこれまでの証明は単に労働時間のタームで記述しただけで証明だと
>言っているだけで済ませているのではないか
ということは、置塩モデルにひきつけて言うと、労働生産過程(時間ターム)と生産価格論(価格ターム)
の問題ですが、生産価格論の場合では、モデル内部(置塩のモデルといってますが、ここではその『一般化
された』ものと無差別です)論証で言っても、価値方程式と価格方程式に分けてやる一般の手法からは、や
はり鉄価値と労働力の価値との違いを示すのは至難の業でしょうね。
では仮に問題を労働生産過程論にまで伸ばして、労働力の変わりに鉄に入れ替えるということをやった場合、
生産価格論ではなくそれ以前の労働生産過程でも、同じように鉄と労働力と無差別に説けるかというと、鉄が
労働時間に則って主体的に労働するという想定がナンセンスである以上、ここでは労働が少なくとも価値(利潤ではなく)
の源泉であることは言えませんか?もしそうとすれば、置塩モデルの「一般化された」ものは、もともと無理な
一般化をしている、ということが言えそうな気もするのですが。
つまりこれまでの文脈からすれば、かつ○氏流に「モデル外部」に条件を添加する、ということになるわけです。
いわば労働生産過程(宇野氏流に言えば『人間と自然との物質代謝』という視点)を、「定理」以前の段階で
「定理」の外で言う(というか「定理」の性質上、外で言うしかない)ということですが、如何ですか。
固まった見解でないので、ご批判をお願いします。
136 :
Jimmy:2006/08/16(水) 20:04:30 ID:dfj3XY+q
小鉄ハン
誰も、資本が直接生産できる鉄と必要生活資料の消費によって生産=再生産される労働力商品とで、
その面で同じだなんて言っていないでしょう。しかし、そうした違いから労働だけが価値源泉だと
いう命題はでない。私はその反証まであげていますよね。
何で生産価格論に話が飛ぶのか、全くついていけませんが、
労働生産過程の主体である労働のほうが価値形成的で、客体である鉄はそうでないといいきれるのか。
労働主体だけが価値形成的だから価値形成的なのだ、
というトートロジーを終始主張されている。
このブログでは結局マルクスの誤りを明確にすることになりますが、
やはり白紙からこれを書けといわれたらできないでしょうね。
その意味で小説のオリジナルを校正しているような感じです。
その意味ではマルクスの偉大さというべきか。
139 :
小鉄ハン:2006/08/16(水) 22:58:25 ID:SeILDa3O
ジミーさん。
私の言いたかったこと(の後半)は、生産価格論における転形問題だけに
限定すると、正直ジミーさんの言うとおり、労働だけを特権化できない、と
いうこと、そして労働が価値形成的であるという命題を価値形成増殖過程な
いし労働生産過程で考えることはできないか、ということです。
>労働生産過程の主体である労働のほうが価値形成的で、客体である鉄はそうでないといいきれるのか。
>労働主体だけが価値形成的だから価値形成的なのだ、
>というトートロジーを終始主張されている。
というご批判は当然予想していました。ジミーさんの価値形成増殖過程論、
というよりヨリ原基的な労働生産過程論についての考え(たぶん、批判)
をお聞かせ願えませんか。
ここでも、以前別の板でお話ししたことがあるように、例えば剰余労働
の原則的自由度などで労働の価値形成的性格を捉えようとする試みなどが
あります。労働の社会的配分が必要労働以下になることは、補填原理から
言ってできない。そしてジミーさんが言うように「労働生産過程の主体で
ある」労働の社会的配分は、明らかにその客体的要素であるに過ぎない鉄
の社会的配分を生産手段として動かしているのであって逆ではない、という
意味で最も能動的・原基的な要素である・ないし価値形成的である――仮に
そう考えたとき(そう考える、という仮定は私がそういう考えだということ
とは一応区別して考えてください)、そういう試みに対して、ジミーさんの
「トートロジー」という批判の中身が聞きたいのです。論戦的になるのでは
なく、阿呆に教え諭すようにw、聞かせてくれると助かります。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:28:04 ID:jCjSZq7o
「ケインズ経済学」復刊してください。
141 :
Jimmy:2006/08/18(金) 10:03:33 ID:siae/Kx5
>>139 小鉄ハン
生産価格論の件了解です。
かつて欧米マルクス主義を宇野派内部で議論した際、よく取り上げられた
ネオ・リカーディアン的アプローチとマルクス派的アプローチの差異という
様なことですね。因みに伊藤誠氏は、ネオ・リカーディアンらの物量方程式
でOK説を批判して、それでは人間が労働を介して自然に働きかける物質代謝
の側面が明らかにならない、というようなことを主張されていたようです。
(『価値と資本の理論』)もちろん労働時間の支出と補填の関係を明らかに
することは、経済原則の経済法則的な発現という見方からすれば、重要な
テーマであると思いますが、繰り返しになりますが、そことから労働だけが
価値形性的であるという主張が支持されるわけではない。
100Kgの小麦を一年間栽培して200Kgの収穫があったときに、この100Kg
の剰余生産物が、生きた一年間の農業労働の産物なのか、100Kgの種籾
の産物なのか、それともそれぞれ幾分かの産物なのかなどといくら詮索しても、
結論などでようもないのです。この生きた労働と種籾という生産手段の
結合比は技術的客観性によって決定された上、どちらも無しですませるわけに
行かないからです。労働無しには生産過程が可能にならないから、労働が価値を
生むに決まっているなどという、素朴人間中心主義を振り回すのは、もちろん
良い子の学校秀才だけが陥る戦後民主主義的イデオロギーの残滓でしょう。
労働対象のない生産過程も存在しないのですから。
142 :
Jimmy:2006/08/18(金) 10:20:27 ID:siae/Kx5
そもそも個別無政府的な流通形態の考察から出発する、宇野原理論の基礎
視角からすれば、流通過程を通じて利潤を個別的に獲得するに過ぎない
資本形式が生産過程を取り込むのはあくまでその流通運動において、市場における
価格体系の元で労働力を含めた生産に投入される生産要素と生産物の
価格差が獲得できるからで、その関係があらゆる生産部面に見いだされる
保証はあり得ないかぎり、ある特定の部面に資本主義的生産は成立するに過ぎない。
かつ価格差の形式で利潤を獲得するのは流通形態の資本形式と何ら変わらない
のであるから、何か生産過程のどれか特定の要素が利潤源泉であると
言うことはここからは決して導き出せない。
すなわち流通形態の方から労働生産過程を眺望しても、決して労働価値説が
必然性を持って導出されることはなく、それを可能にするのは別の要請あるいは
観点を原理論の外部から持ち込むことによってのみなのです。
143 :
小鉄ハン:2006/08/18(金) 13:46:57 ID:uAA3Fv6w
>>141 ジミーさん。
回答どうも。スラっフィアンに対して、
>因みに伊藤誠氏は、ネオ・リカーディアンらの物量方程式
>でOK説を批判して、それでは人間が労働を介して自然に働きかける物質代謝
>の側面が明らかにならない、というようなことを主張されていたようです。
という批判は、伊藤氏だけでなく、山口氏ほか「マルクス派的アプローチ」全体に
共有されていると思います。
>この生きた労働と種籾という生産手段の
>結合比は技術的客観性によって決定された上、どちらも無しですませるわけに
>行かないからです。
使用価値を生産するという点のみから言えば、仰るとおりです。
>労働無しには生産過程が可能にならないから、労働が価値を
>生むに決まっているなどという、素朴人間中心主義を振り回すのは、もちろん
>良い子の学校秀才だけが陥る戦後民主主義的イデオロギーの残滓でしょう。
この点、異和感を覚えます。私の意見に対して、人間と鉄とは同じでない、人間
は鉄じゃないんだ!!式の、かつて流行った初期マル的人間主議論と勘違いされている
方がおられるようですが、私が言っているのは単なるフォイエルバッハ流の人間主人
公論ではありません。仮に『資本論』以前の段階で「認識論的切断」があるにせよ、
経済科学というものが宿命的に持っている認識の問題と絡めて言っている。繰り返し
になって恐縮ですが、「この生きた労働と種籾という生産手段の結合比は技術的客観
性によって決定された上、どちらも無しですませるわけに行かないからです」と仰る
場合、その「技術的客観性」さらにはその目的である「200Kgの収穫」を目的とし
て表象するものは何か、ということです。その意味で原論体系は徹底的に人間中心の
視点(山口氏流に言えば、当事者の視点であれ分析者の視点であれ、です)で創られ
ている(これは何もマルクス経済学に限りませんが)。そして価格を形成するのが価値
というならば、ここに生産を表象し実現する主体と、それによって配分される客体
(ジミーさんがよく言うように化学作用が働くように配置される生産要素)が存在する
ことは、前者を価格を形成する主体的要因(価値を形成する要因)と考える強力な根拠
とはならないでしょうか。
144 :
小鉄ハン:2006/08/18(金) 14:44:54 ID:uAA3Fv6w
流通論の話ですが
>生産過程を取り込むのはあくまでその流通運動において、市場における
>価格体系の元で労働力を含めた生産に投入される生産要素と生産物の
>価格差が獲得できるからで、その関係があらゆる生産部面に見いだされる
>保証はあり得ないかぎり、ある特定の部面に資本主義的生産は成立するに過ぎない。
というところがよく分かりません。どのような生産部門を想定しているのか、もう少し具体的に
教えていただけますか。
>価格差の形式で利潤を獲得するのは流通形態の資本形式と何ら変わらない
>のであるから、何か生産過程のどれか特定の要素が利潤源泉であると
>言うことはここからは決して導き出せない。
ですから、流通論・ないし商人資本的形式が再帰してくる利潤論において、個別資本が利
潤を価格差としてしか認識できないのは当然だと思います。問題はその先の分析なのではあり
ませんか。
>流通形態の方から労働生産過程を眺望しても、決して労働価値説が
>必然性を持って導出されることはなく、それを可能にするのは別の要請あるいは
>観点を原理論の外部から持ち込むことによってのみなのです
この点には同意しますが、私が「流通形態から生産過程を展望し」ていると取ら
れるような文面があったでしょうか。流通の「外部」たる生産過程のことを言って
いたつもりなんですが。
どうやら議論は佳境に入った感じだな。
さて一つ質問がある。
@…経済科学というものが宿命的に持っている認識の問題と絡めて言っている。繰り返し
になって恐縮ですが、「この生きた労働と種籾という生産手段の結合比は技術的客観
性によって決定された上、どちらも無しですませるわけに行かないからです」と仰る
場合、その「技術的客観性」さらにはその目的である「200Kgの収穫」を目的とし
て表象するものは何か、ということです。
ここで言う認識の問題とは何か?
更に
「200Kgの収穫」を目的として表象するものは何か、ということです。」
とあるが、表彰するものは何なのだ?
もう一つ。コメント。
Aこの点には同意しますが、私が「流通形態から生産過程を展望し」ていると取ら
れるような文面があったでしょうか。
Jimmy氏同様、俺にもそういう風に読めたけどな。
146 :
小鉄ハン:2006/08/18(金) 18:34:51 ID:uAA3Fv6w
>>145 @について。
私の文章は、そんなに分かりにくいですか??
労働の成果をあらかじめ表象し、それを実現するように生産要素を合目的的に配置し
使用するのは、生産の主体である人間だろう、ということです。
Aについて。
うーん...。
私のどこの文章でしょうか?具体的に挙げていただけないですか。
@表象という言葉の意味がね。わからんな。
まあ、しかし全体としての意味はつかめる。
「労働の成果をあらかじめ表象し、それを実現するように生産要素を合目的的に配置し
使用するのは、生産の主体である人間だろう」
でその後どう繋がるのですか?仮にこのことを認めたとして、
その後どういうことが明らかになるのですか?
A
>>139あたりからかな。
生産価格論だけでは駄目、といったくだりあたりからか。
そのものずばりの文章があるというのではない。
文意の流れからそのように読まれる、ということか。
148 :
小鉄ハン:2006/08/18(金) 20:34:35 ID:RyD/oaaZ
>>147 かつ○さん。
マルクス経済学の価値論は、(とりあえず宇野体系を例に取ると)第二篇生産論の冒頭部分
(労働生産過程と価値形成増殖過程)、第三篇冒頭の生産価格論(価値の価格への転形)の
二段構えです。
@について。
表象(Vorstellungだったかな?平たく言うと、人間は作業する前にあらかじめ結果を頭に思い
描くこと)なるタームはマル経内では有名なくだりに出てくる言葉で、人間労働とミツバチやアリの
労働との相違を表わす文脈で使われるのですが、かつ○氏の言い方を真似れば、私は生産価格の
「モデル」外部にある上記前者(生産論冒頭の労働過程論)部分に、鉄商品と労働力商品との相違
を見出すことが可能ではないか、ということを言おうとしています。
Aについて。
うーん、「労働配分」という辺りが「流通」を連想させるのでしょうか?チョット分かりません。
ジミーさんがどう考えているのかも含めて、レスが欲しいところですが。皆お盆で、帰省でもしてた
のか、どうも反応がないですねえ。お二人の親友のくろしろー氏も見なくなりましたし。
このくだりだな。
>>では仮に問題を労働生産過程論にまで伸ばして、労働力の変わりに鉄に入れ替えるということをやった場合、
生産価格論ではなくそれ以前の労働生産過程でも、同じように鉄と労働力と無差別に説けるかというと、鉄が
労働時間に則って主体的に労働するという想定がナンセンスである以上、ここでは労働が少なくとも価値(利潤ではなく)
の源泉であることは言えませんか?
しかし、よくわからんな。
そもそも労働生産過程という用語の意味がわからんのだよ。
150 :
Jimmy:2006/08/18(金) 21:33:25 ID:hWI1su6r
イヤイヤ、私には郷里がないので、帰省はアリエマヘン。
夏休みで遊んでいて、今は家でマターリしています。突然アクセス規制食らって携帯に逆戻です。
労働者と鉄の違いは、分かっています。
その違いが、価値形成の根拠になるのか?その事が問われているんですよね。
ちなみに時間が問題なら、鉄の「労働生産過程」における、作用時間を定義してあげれば、鉄労働価値説も可能なのです。
ワタスは鉄価値論が排他的に主張できると言いたいのではありません。
特権的要素を取り出すことはできないと言っているだけです。
151 :
Jimmy:2006/08/18(金) 22:12:33 ID:hWI1su6r
ではこうしましょう。価値形成増殖の労働生産過程における主体的根拠は過程の主体である労働力の
時間で計られる支出であり、この時客体的要素に付いては、投入量を産出量を上回る関係が必ず成り立っている。
利潤を物量で表現することも労働で表示することも可能であるが、労働生産過程ね唯一の主体である労働者の、主体的活動性に還元すれば、労働時間による表現となる。いずれにせよこれらのことが成り立つのは、生産的な技術が用いられている場合に限られる。
152 :
Jimmy:2006/08/18(金) 22:25:50 ID:hWI1su6r
しかしながら、労働者の雇用されない機械の自動的生産過程も可能であり、主体の活動性に還元することは
勿論出来ないが、生産要素の投入量が産出量を下回る関係があるかぎり、利潤は正である。
153 :
小鉄ハン:2006/08/18(金) 23:36:10 ID:RyD/oaaZ
>>149 かつ○さんの以下の文面、
>このくだりだな。
>>(…私の文の引用)
>しかし、よくわからんな。
>そもそも労働生産過程という用語の意味がわからんのだよ。
という部分が、逆に私にはよく分からないです。続くジミーさんの
>>152 >労働者の雇用されない機械の自動的生産過程も可能であり、主体の活動性に還元することは
>勿論出来ないが、
というのも、同じような系論なのかも知れませんが、私には分かりません。
資本の有機的構成が高度化していった極限には「労働者の雇用されない機械
の自動的生産過程」というものが想定できる、というお考えとして取っていい
のでしょうか?まさかそうすると、労働力が相対的過剰人口となって…などと
いう『資本論』の窮乏化法則ばりのお考えなのでしょうか??その場合、労働
者は雇われないから「主体性」は発揮されない、よって労働はこの場合主体的
要素でなくなる、というお考えは、現実的にみて、あまりに夢物語のような気
がします。
>ワタスは鉄価値論が排他的に主張できると言いたいのではありません。
>特権的要素を取り出すことはできないと言っているだけです。
とか
>いずれにせよこれらのことが成り立つのは、生産的な技術が用いられている場合に限られる。
という部分においても然りです。生産的技術体系を作る場合にも、それが「生産的」
(投入-産出関係が正)と判断する主体が人間である点をどう考えておられるのか。
経済学が、マルクスに則って「人間と自然との物質代謝」と定義する場合、鉄価値
論は定義的に経済学の対象とはなりません。鉄の経済学者が書いた、鉄が主体的に
労働し、労働力を客体的な生産手段として社会手に配分する「鉄と自然との物質代謝」
を趣旨とする鉄経済学(この場合、鉄は主体的自然ということになります)というもの
を考えるならともかく、われわれが考えている経済学は、欲望の主体から生産的技術の
合目的的設置に至るまで全て人間がそれに当たり、人間が主体となって生産を行う経済学
なわけですね。労働だけが「特権的」でないと認識しているジミーさん自身の立場(すな
わち経済学の立場)は、ジミーさんが人間としての主体的頭脳活動で認識されている限りで、
充分に「特権的」ではないでしょうか?
念のため、私は人間中心論が言いたいのではなく、人間の経済活動そのものがその程度に
主観性(この場合、共同主観ですが)を持っていると指摘したいのです。
154 :
くろしろー:2006/08/19(土) 09:15:19 ID:yILNEjW2
アクセス禁止でかきこめません。ブロクを見てください。労働の特殊性と生産の五要素を議論が先に進むでしょう。
155 :
くろしろー:2006/08/19(土) 09:19:14 ID:yILNEjW2
訂正です。五要素をみてあてはめれば、にしてください。
>>153 どこまでいっても平行線だなw.
>生産的技術体系を作る場合にも、それが「生産的」
(投入-産出関係が正)と判断する主体が人間である点をどう考えておられるのか。
経済学が、マルクスに則って「人間と自然との物質代謝」と定義する場合、鉄価値
論は定義的に経済学の対象とはなりません。鉄の経済学者が書いた、鉄が主体的に
労働し、労働力を客体的な生産手段として社会手に配分する「鉄と自然との物質代謝」
を趣旨とする鉄経済学(この場合、鉄は主体的自然ということになります)というもの
を考えるならともかく、われわれが考えている経済学は、欲望の主体から生産的技術の
合目的的設置に至るまで全て人間がそれに当たり、人間が主体となって生産を行う経済学
なわけですね。労働だけが「特権的」でないと認識しているジミーさん自身の立場(すな
わち経済学の立場)は、ジミーさんが人間としての主体的頭脳活動で認識されている限りで、
充分に「特権的」ではないでしょうか?
念のため、私は人間中心論が言いたいのではなく、人間の経済活動そのものがその程度に
主観性(この場合、共同主観ですが)を持っていると指摘したいのです。
ここがさっぱり意味不明だな。
もっとわかりやすく説明してくれ。
>われわれが考えている経済学は、欲望の主体から生産的技術の
合目的的設置に至るまで全て人間がそれに当たり、人間が主体となって生産を行う経済学
なわけですね。
>人間の経済活動そのものがその程度に
主観性(この場合、共同主観ですが)を持っていると指摘したいのです
一つ知りたいのは、このような立場に立ったとき、Jimmy氏の言う
「ある特定の生産要素のみが価値を生むという言説は(オキシオモデルその他の○の理論からは)主張できない」
という命題は成り立たないのかね?成り立たないとしたらその根拠を説明してくれ。
>労働だけが「特権的」でないと認識しているジミーさん自身の立場(すな
わち経済学の立場)は、ジミーさんが人間としての主体的頭脳活動で認識されている限りで、
充分に「特権的」ではないでしょうか
これはただの言葉の遊びw。
そう仰る小鉄ハン自身も『人間としての主体的頭脳活動で認識されている限りで、
充分に「特権的」である』と言い返せるからね。
158 :
Jimmy:2006/08/20(日) 08:40:34 ID:j7pppJAf
依然アクセス規制解除されず、携帯からのカキコのため、要点のみ。
小鉄ハンの見解は
@労働のみが価値を形成する
A従って労働者の全く雇用されない完全機械自動体系=ロボット資本主義のもとでは、
利潤は発生しない。
でしょうか?
結論をお聞かせ下さい。
かつて○さん、小鉄ハン、「バラキン」でググッてみてください。
そこに過去のアナ○派とマルクス派の搾取をめぐる論争が
乗っていて、同じような平行線が、描かれています。
私はアナ○派には全く同調しませんが、十分分析的ではあるでしょう。
159 :
小鉄ハン:2006/08/20(日) 11:43:03 ID:ErBUbeIJ
>>156 簡単に。
>どこまでいっても平行線だなw
他の人(しかも数少ないそれ)が入って来れない言語空間が形成されてるのではw.
くろしろー氏的キャラが必要かとw.
>もっとわかりやすく説明してくれ。
誤解が入ることを承知で言うと、マクロ・ミクロだろうと、マルだろうと、
人間と生産要素との関係が体系の焦点になっている限り、鉄も人間も同じだ、
というのは似非客観主義にしかならんだろうということ、です。
>そう仰る小鉄ハン自身も『人間としての主体的頭脳活動で認識されている限りで、
充分に「特権的」である』と言い返せるからね。
その通り。私は「人間」が(人間の認識が)人間にとって「特権的」である、と主張したい
のですよ。
>>158 @そうです。
A「労働者の全く雇用されない完全機械自動体系=ロボット資本主義」など成立しない、と言っています。
>「バラキン」でググッてみてください。
>そこに過去のアナ○派とマルクス派の搾取をめぐる論争が
>乗っていて、同じような平行線が、描かれています。
>私はアナ○派には全く同調しませんが、十分分析的ではあるでしょう。
榎原均氏は元ブントの活動家・理論家の方で、宇野経済学批判など何冊か著書もお持ちだ
と思います(私も持ってます)。HPはたまに見てますよ。
挑発的なことを言って申し訳ないが、
>私はアナ○派には全く同調しませんが、
というかつてのジミーさんの立場が最近見えてきません。榎原さんが相手にしている、
アメリカのジャーナルに載せてることがご自慢のローマー輸入商・某Yと見解が似て
きてませんか??
160 :
くろしろー:2006/08/20(日) 12:17:18 ID:tj59IvBo
アクセス禁止ながすきです。専プラでも書けない。小鉄さんにひとこと、まず私のブログを見てください。そこでは生産のための五要素が書かれていますが、労働はそのひとつに過ぎません。
またロボットのみで生産することもそういう機能があればできうるでしょう。あなたは認識論としての人間を説きますが印刷機械の全てを人間が認識することは不可能です。そこには機械がこうしてくれるだという期待や信頼しかありません。
私は生産における五要素と労働の特殊性を別の問題としてとらえています。つまり種の存続こそそれだと言うことです。
161 :
Jimmy:2006/08/20(日) 12:54:05 ID:j7pppJAf
やれやれ、ホスト名にhとdが含まれているとアカンのか ワラ
小鉄ハン
人間の認識一般からどうして労働価値説が必然的に要請されるのか、さっぱり分かりません。
もしかすると私とかつて○両名はチューリングマシンで、小鉄ハンはそれを何とか見破ろうと、躍起となっているのか。
それから、ロボット資本主義が成立しない理由を教えて下さい。
162 :
小鉄ハン:2006/08/20(日) 14:07:01 ID:ErBUbeIJ
>>161 労働価値説:価値の源泉を労働と考える見方、であるならば、人間が
一定の労力をもって労働と生産要素を社会的に配分する、そこに価値の
源泉があると人間が思う見方、というのは労働過程論から自然に出てくる
と思いますが。生産要素が有用であるのは誰にとってか、ということです。
価格は社会的に需給で形成されるという見方も、その社会を構成している主体が
価格なるものを評価している。その評価は主観的(共同主観的)なものでしかありえない、
ということです。これはH-S条件そのものからは出てきませんが、一方H-S条件を認識して
いる「科学」的立場が、決して鉄の立場から出ないことは明らかです。
>それから、ロボット資本主義が成立しない理由を教えて下さい。
逆にそういうSF的な想定が成立する理由を教えてください。有機的構成が高度化
していって、極限には人間労働がいらなくなる段階が来ると、本気で思ってるの
ですか??ロボットを操作するのは(あるいは操作する機械を操作するのは、
あるいは操作する機械を操作する機械を操作するのは…)、この場合何になるん
でしょうか。
>>160 >印刷機械の全てを人間が認識することは不可能です。そこには機械がこうしてくれるだという期待や信頼しかありません。
それはウェーバーの近代専門家支配のことですか?くろしろーさんは、自動車の運転はできるでしょうが、
ナゼ自動車が動くのか一から説明できますか?
>私は生産における五要素と労働の特殊性を別の問題としてとらえています。つまり種の存続こそそれだと言うことです。
マル経についての勉強不足です。種の保存は「他人の再生産」と言って、
経済原則の一環に入っています。
独自の体系を考える以前に、何か一つでも(近でもマルでも何でもいいから)
読みかじりでない物の見方を血肉化すべきではありませんか。くろしろー理論
の構築は、その後からでも遅くはないはずです。
認識論ってもっともらしい言葉使ってるけど、
結局は「見えるやつには見える」としかいってねーよなコレ。
164 :
Jimmy:2006/08/20(日) 14:30:14 ID:j7pppJAf
小鉄ハン
労働生産過程の認識から自然に労働価値説が出てくるなら、私は人間ではないということですね。
確に2ちゃんの世界では、証明することも反証することもできない。
ロボット資本主義の技術的困難を指摘されているようですが、
人工知能による自律的生産システムです。
どうしてもスイッチをonoffする人間が必要ならそれは資本家によって
行われるので、いずれにせよ労働者は必要ない。
生産物は、資本蓄積と資本家の個人消費に全て当てられ、
生活資料の消費社としての労働者も登場しない。
レイチェル、君は美しい!
165 :
Jimmy:2006/08/20(日) 17:33:06 ID:j7pppJAf
鉄と人間が同格か?
「弁証法」的に言えば、そうであると同時にそうでない。
そうであるとは生産的な技術構造においては、単なる投入係数として、そうではないというのは、現在の技術水準のもとでは、
あるいは古典派的視角に淵源するヘーゲル=マルクス的な労働観によれば、主体であるという限りにおいて。
なおロボット資本主義に就いては、我が師竹内靖雄の『経済学とイデオロギー』、
イメージ喚起的作品としては、映画『ブレードランナー』等
参照されたい。因みにレイチェルはそこに登場する美しきアンドロイド。
>>162 平行線を打開すべく、一つ小鉄ハンの認識論とやらに身を投じてみるか。
ポイントはここだ。
>生産要素が有用であるのは誰にとってか、ということです。
価格は社会的に需給で形成されるという見方も、その社会を構成している主体が
価格なるものを評価している。その評価は主観的(共同主観的)なものでしかありえない、
ということです。これはH-S条件そのものからは出てきませんが、一方H-S条件を認識して
いる「科学」的立場が、決して鉄の立場から出ないことは明らかです
その通り。
だから鉄の価格も「その社会を構成している主体」が評価している。
主体の中には鉄の所有者がいるわな。
その所有者からみればだ。
労働者が自らの労働に対してみるのと同じ視線で鉄を見とるわな。
アンタの認識論とやらで、これでも労働と鉄を区別できるのかい?
167 :
くろしろー:2006/08/20(日) 19:46:55 ID:tj59IvBo
162コテツさん
つまり、認識できないから人間の認識論で生産要素をしばるのはむずかしいということです。種の保存が経済学にあらわらるのは当たり前です。経済学とはそのための道具なのです。
168 :
くろしろー:2006/08/20(日) 20:27:34 ID:tj59IvBo
ブログアップです。 137よりどうぞ。
169 :
くろしろー:2006/08/20(日) 23:26:01 ID:FvDSW7TD
test
しかし実にくだらないことに頭を使っていますね。
○の悪しき伝統ですな。
例えば人工的な市場の基礎について考えた方が重
要じゃないでしょうか?
まあカタをつければ、生産要素を認識するときに、人間は労働も他の要素
と同じようにしか見れないということです。
だから労働の特殊性を説くのは別の体系を作るしかありません。
資本主義社会だけでもありませんが、人間を単なる
生産要素としか見れないのが、悲劇を生むわけです。
だから、共産主義もそれを超えるヒューマニズムを
叫んだのだと思います。しかしそれはまったくの敗
退でした。簡単なことです。要するに共産主義には
それを作る理論がなかったのです。
「ですから」そういうヒューマニズムを求めるなら
共産主義の二の舞にならないように来るべき社会を
分析しなければなりません。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 01:45:24 ID:+MjBVhS7
スミスの頃は、職人たちが、資本と労働を提供して、生産にできたおー
でも、その後、職人は労働商品を提供するだけの労働者たちに姿を変えていったおー
それは、労働以外のその他の生産要素を産業資本家に押さえられたからだぽ
所有権の問題
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 03:13:40 ID:eVnQTkcY
1 先人 柴田敬がすでにマルクス再生産様式の連立方程式表示の英文を発表していた。
2レオンチェフのIO体系を適用すれば、間接投入は部門別投入のところで、
直接投入のところは最終需要のところで同時方程式を解けば、直接・間接労働
投入による価値の計測問題が片付くというアイデアを得た。
3 後は二階堂やサイモンの数学定理の応用演習を行い、経済的解釈をする。
以上が最初で最大の業績と言われたが、柴田敬とどちらが独創的か?
175 :
Jimmy:2006/08/21(月) 06:33:19 ID:GyXUMqtn
test
176 :
Jimmy:2006/08/21(月) 06:59:03 ID:GyXUMqtn
>>174 柴田敬の業績は先駆性という意味で素晴らしいと思うが、
戦後は皇国経済学の系譜に連なる学者と見なされて、遠ざけられていた
のは災いしたのか、貢献度の割に日の当たることがなかったのでは。
177 :
くろしろー:2006/08/21(月) 11:37:21 ID:jklvkfc4
かつ○さん マンキューマクロ入門・応用をもってますがそれでもスティグリッツマクロは買う価値がありますか?
178 :
糺すの森:2006/08/21(月) 20:43:46 ID:KtWHIb0w
柴田敬山口大教授はマル系? 嘘でしょ! 本来 高田保馬先生同様 正統学派と
思われるが!! 又、マルクス経済で数理経済学、計量経済学の研究は、東は
横浜国立大教授(学長)越村信三郎、神戸大教授置塩教授だろう。特に越村教授
は経済変動論の研究では海外で評判になったことがる。
>>172 アンタが早く人間として認識される日が来るといいな。
異次元人ではなく。
>>177 それだけ散財すれば十分だろう。
後はしっかり読み込むべし。
柴田敬か、懐かしいな。
確か金の生産が経済変動を決める、という理論を作った人だな。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 01:09:07 ID:9J4BI+2e
911 名前:132人目の素数さん :2006/08/21(月) 18:47:17
定理の証明を一度読んだ後で、本を閉じて自分でもう一度証明(というか
再構成)しようとした時、途中で行き詰まって、もう一度本を開けて証明
を理解して、もう一度本を閉じて初めから証明を書いてみるが、また行き
詰まったので、もう一度本を読み直し、次に初めから書いてみるとようやく
証明できることがたまにあるのですが、このように何回か行き詰まって
も、最終的に自力で証明できるようになれば、この定理は理解したと考えて
いいですか?
912 名前:132人目の素数さん :2006/08/21(月) 19:10:15
高木先生!著書はいつもお世話になってます!!この場を借りて〜
913 名前:132人目の素数さん :2006/08/21(月) 20:53:00
>>911 ま、そんなもんだ。
勉強が進展して行って、その定理を忘れた頃それを使う場面で、自力で構築しようとして
少し違う形で証明できたりすれば完了だ。
その内に、全然違う角度から理解できる様にもなる。
914 名前:132人目の素数さん :2006/08/21(月) 21:18:56
勉強は楽しいね。
915 名前:132人目の素数さん :2006/08/21(月) 21:20:56
>>911 行き詰まった点が自分では考えが及ばなかった限界、大切な点。
もう一度やって乗り越えられたら限界が広がったことになる。
916 名前:132人目の素数さん :2006/08/21(月) 22:55:54
俺も今読んでる。
がんばろなー
917 名前:132人目の素数さん :2006/08/21(月) 22:56:32
>>913 >>915 ありがとうございます。
181 :
くろしろー:2006/08/22(火) 12:38:15 ID:ELxn4ufF
かつ○さん、ありがとうございます。しかし僕も労苦に悩む一人ですわ。とにかくつまらない。異次元に行きたいですよ。
182 :
小鉄ハン:2006/08/22(火) 14:21:20 ID:5AJjv+nb
アク禁に引っかかってしまい、微妙に時間がズレてしまってますが、以下のレスを書きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと今、仕事が押してるので(今も仕事中w)、簡単に。
ジミーさん。
>労働生産過程の認識から自然に労働価値説が出てくるなら、私は人間ではないということですね。
「自然に」!? 一体どこで私がそんなことを言いいましたか?労働過程(例としてPCに向かって
文章を書く行為)において、労働手段を表象上の目的に対して配置・利用している(PCを生産手
段とし、言葉を脳髄から紡ぎだしている)のは人間であり、労働手段(PC)はここでは客体的要
素としてしか人間労働(ここでは書き込む作業)にとっては表われない。ここで主体的要素とし
て現れているのは人間であり、人間が合目的に生産要素を配置し生産を行なう(PCを机において、
思考を文面に物質化する)、ということを言っている。そこに人間の生産手段への作用・働きか
けがあり、そしてそれを齎しているものこそ人間労働である、ということを言ってるのですが。
労働過程論的に物量タームで考えて、生産手段が(人間に有用な形で)「自然に」(!)配分さ
れるのか(PCや机、その他を合目的に位置づけ・書き込みを行い、同じことを『私』という別の
労働主体に繰り返し言わせているのは、ほかならぬジミーさん・ないしジミーさんのの脳髄の化
学作用という形の労働ではないですか)、ということを言っています。
>なおロボット資本主義に就いては、我が師竹内靖雄の『経済学とイデオロギー』、
>イメージ喚起的作品としては、映画『ブレードランナー』等
>参照されたい。
本気で言ってます??残念ながら、僕にはSF映画を現実に投影する趣味はないんです。
昔はたとえ冗談でも「我が師竹内靖雄」なーんて言いませんでしたね。ジミーさんもずい
ぶん、お変わりになられたようw。悲しいですな。
183 :
小鉄ハン:2006/08/22(火) 14:23:44 ID:5AJjv+nb
かつ○さん。
>だから鉄の価格も「その社会を構成している主体」が評価している。
>主体の中には鉄の所有者がいるわな。
>その所有者からみればだ。
>労働者が自らの労働に対してみるのと同じ視線で鉄を見とるわな。
同じことを以前にも言って、正直繰り返しで消耗ですが、その「所有」そのものが
資本主義的な生産関係という特殊歴史的条件を前提にしている。労働力商品の場合、
擬制商品でしかないから、その使用価値と労働者の主体性(アブゼンティズムの減少
からサービス残業の励行まで、マルクス経済学の『資本の生産過程』論後半は労働者
の主体性を如何に引き出すか・資本主義が歴史的に如何にそれを引き出してきたのか、
を重要なテーマの一つにしていますが)と分離できない唯一の単純商品です。そして
それは歴史貫通的な・超歴史的な事実です。この点が、鉄の所有者の「所有」権意識
との決定的相違です。かつ○さんは歴史に弱いそうですが、大変失礼ですがこの場合、
率直に言ってその点が端的に認識の弱点として表われています。
それからジミーさんとかつ○さんにお願い。忙しい時もあるんで、私一人に集中せず、
昔のようにくろしろーさんの話にもレス、お願いします。私とお二人の話しばっかだと、
健全じゃないでしょ?(正直、答えてる私も疲れるしw.)
>>174 柴田敬?戦前の研究ですよね。
私は氏の業績に無知ですが、置塩氏のもう一つの業績である利潤率の傾向的低下の研究
の方に関係あるんじゃなかったでしたっけ?
詳しく教えて下さい。
184 :
小鉄ハン:2006/08/22(火) 14:32:29 ID:5AJjv+nb
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 18:20:49 ID:9J4BI+2e
>>183 見事俺の書けた罠に嵌まったねwww.
これは傑作だなwww。
残念だが、それは不正解。
いやまた反則したね、アンタ。
もう一度俺の質問を読むことだ。
「認識論」の立場から鉄と労働を区別できるか、と書いてるだろう?
あくまで認識論一本で論じきらなければ駄目だ。
「資本主義的な生産関係という特殊歴史的条件」を持ち出した段階でアンタの負けよ。
しかし、ここまでうまく決まるとは・・・。
久々に爽快な気分www。
小鉄ハンのご指名をいただき、Jimmyさん、かつ○さんに質問。
あなた方が現在可能であるという共産主義はどのようなものですか?
これはマルクスを前提にせず「参考」として使っていただきたい。
まあ私は1労苦の軽減、2労働選択の情報を充実させること、3種の保存
の確立くらいですか。
ああ、あと4機会の平等として、強度の相続税もありましたな。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 22:37:34 ID:lX0zcwo+
科学的経済学と「経済を題材にした哲学(ないし宗教)」をしたがってる人とでは、話が会うはずがないよな。
普通の、モデル解釈の立場から見れば、どっちが科学的であるかは明白。
もう完全に論破されてるよ。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 01:14:53 ID:m+UB82vy
>>190 >もう完全に論破されてるよ。
そっかなー
制度(所有権)の現状と経路依存を踏まえて、生産様式のあり方をどのように考えるかじゃないのー
モデルは○経の全てではなくて、○経を構成する一要素だぉ
192 :
Jimmy:2006/08/23(水) 12:14:08 ID:g3VLbkW0
小鉄ハン
人間の認識や労働生産過程の目的論的な解釈についての議論から、
置塩モデルの一般的拡張に対する決定的反証はなされていない。
私は、ロボット資本主義モデルを示して、そこでも利潤は生じる
と主張している。それに対する小鉄ハンの反論は「本気で信じているのか」
SF的議論は「好まない」などの非理論的なものでしかない。
労働だけが利潤の源泉であるを証明するには、「労働のない経済では
利潤が発生しない」を証明するしかないと思います。
193 :
小鉄ハン:2006/08/23(水) 16:26:54 ID:tHsxZKJY
>見事俺の書けた罠に嵌まったねwww.
>これは傑作だなwww。
>残念だが、それは不正解。
>いやまた反則したね、アンタ。
>もう一度俺の質問を読むことだ。
>「認識論」の立場から鉄と労働を区別できるか、と書いてるだろう?
>あくまで認識論一本で論じきらなければ駄目だ。
>「資本主義的な生産関係という特殊歴史的条件」を持ち出した段階でアンタの負けよ。
>しかし、ここまでうまく決まるとは・・・。
>久々に爽快な気分www。
ふー、いま漸くメール環境にきたけど、ナンなんだこの回答は?
「罠に嵌った」?
かつ○ってのは、思っていた以上に阿呆だな。
イヤー「罠」にはまっちゃって残念だなあ。
もう、あんたいいわ。
誠実さがまるでない段階で、あんたはもう失格。
自分が出した「認識論」とやらでしか、回答受け付けないのなら、そもそも対話不可能だよ。
いい年した大人がみっともねえ。あんた俺より年上だろう??
俺は俺自身の「認識論」なんてケッタイで大仰なものをあんたに持ち出された段階で、恥ずか
しかった。だから俺は労働過程における主体の認識を、「認識論」みたいな哲学話に大げさに
拡張しないで欲しい、という注釈も、最初はレスに書いておいたくらい(後で消したが)。「認
識論」の深みに入っていくと、簡単に片の付く問題じゃなくなってくるし、焦点も拡散するしな。
因みにあんたのお気に入りの「認識論」なんてご大層なものさえ、歴史的に形成されるんだが
ねえ。ま、学部の頃少しマルクスかじったくらいで、その後は数式遊び(しかも低級の)しかや
ってないあんたとは、そもそもソリが合わなかったようだな。
>>191あたりと、アメリカ流数式
オナニーでもやってな。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 19:06:29 ID:m+UB82vy
>>193 >オナニーでもやってな
何事もやりすぎには注意するピッ
>>193 気が済んだかい?
認識論の次は人格攻撃かw.
なかなかやるねえ、アンタ。
でもね。俺の人格をどんなに攻撃してもだ。
「アンタは俺の質問に対する解答が出せずに毒づいて逃げ出した。」
この事実は動かんよ。
この論争(最後は喧嘩別れ?)の評価はこのスレ見てる方々に委ねるとしよう。
最後に事実確認を。
>自分が出した「認識論」とやらでしか、回答受け付けないのなら
、そもそも対話不可能だよ。
これはいかんな。
認識論を持ち出して俺に論争挑んできたのはアンタのほうだよ。
その認識論とやらに俺は質問したんだぜ。それのどこが悪いんだ?
対話不可能にしたのはアンタの方だぜ。
>俺は俺自身の「認識論」なんてケッタイで大仰なものをあんたに持ち出された段階で、恥ずか
しかった。だから俺は労働過程における主体の認識を、「認識論」みたいな哲学話に大げさに
拡張しないで欲しい、という注釈も、最初はレスに書いておいたくらい(後で消したが)。「認
識論」の深みに入っていくと、簡単に片の付く問題じゃなくなってくるし、焦点も拡散するしな。
語るに落ちる。言い訳にしか聞こえん。
要するにアンタの「認識論」は自分自身でもよくわかっていなかった。
そういうことだ。
>誠実さがまるでない段階で、あんたはもう失格。
自分が出した「認識論」とやらでしか、回答受け付けないのなら、そもそも対話不可能だよ。
いい年した大人がみっともねえ。あんた俺より年上だろう??
年下かも知れんぞ。
しかし、多少挑発されたぐらいで剥きになるアンタも大人気ないよw。
自分のこと棚に上げて、よく言うわw。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 20:36:22 ID:1YGaW7A1
認識論っていうから、フランス哲学ぐらいは一通り知っていて
語ってるのかと思ったけど、存外、底が浅かったな。
とりあえず、新書レベルのお手軽知識で平気で語っちゃう
怪しげな○経もどき全開で正直萎えた。
経済で人文語るやつってのこんなのばっかり。おとなしく経済学
やってなさい。何が経済学なのかすら理解できないんだろうけど。
Jimmyさん。かつ○さん。
私をわすれてますぜえ。今日、共産主義と定義して、あなたはどのくらいの
ビジョンをもてるのか? 一週間のうちにお答えください。
これは濃いと思いますよ。
今日はブログなしだー。会社について考える。w
199 :
小鉄ハン:2006/08/23(水) 21:14:05 ID:tHsxZKJY
かつ○氏。
>しかし、多少挑発されたぐらいで剥きになるアンタも大人気ないよw。
>自分のこと棚に上げて、よく言うわw。
あなたの言い分のこの点だけは認めましょう。ただし「多少挑発」するにも
限度は存在するし、あなたが「多少」と思っても、相手はそう思わない場合が
あることを弁えてほしいと思います。
誠実さがまるでない、という言葉には「人格攻撃」の意味合いはありません。
ご自身で考えて、
>>187が「多少挑発」程度と言うなら、
>>193の私の言葉が「人
格攻撃」というのはフェアではないと思いませんか。それ以前の私の言葉
>>183に
おける
>かつ○さんは歴史に弱いそうですが、大変失礼ですがこの場合、
>率直に言ってその点が端的に認識の弱点として表われています。
も、失礼な言葉ながら充分礼節は弁えて、私は話していたつもりです。やりとりに
ついてなら、先ず私の質問に対して回答してから、私に「認識論」的観点からの回
答はどうしたのだ、と聞くのが筋であって、いきなり
>見事俺の書けた罠に嵌まったねwww.
>これは傑作だなwww。
などとやり返してくるのが、誠実な対話の態度といえるでしょうか。私はジミー氏、
あなたに対して、相手が自分よりおそらく年長者だと思ってそれなりの言葉遣いで
対応してきたつもりです。
200 :
小鉄ハン:2006/08/23(水) 21:18:14 ID:tHsxZKJY
さてではご希望通り、「認識論」的観点から回答しましょう。
>だから鉄の価格も「その社会を構成している主体」が評価している。
>主体の中には鉄の所有者がいるわな。
>その所有者からみればだ。
>労働者が自らの労働に対してみるのと同じ視線で鉄を見とるわな。
>アンタの認識論とやらで、これでも労働と鉄を区別できるのかい?
先の
>>183における回答とも重なりますが、鉄所有者に労働過程における認識は、
当然労働過程で鉄(製の生産手段)を動かしている労働者の認識とは異なります。
労働者はここで生産物の生成のために主体性を発揮しなければならず、鉄がわれ
われにとって(つまり人間にとって、ですが)有用な形に利用できるように配置
するには、ここで労働者の商品の使用価値である労働を媒介にしなければなりま
せんが、この商品の使用価値たる労働は、資本主義的生産における唯一の単純商
品である労働力の場合、労働者の意思という媒介と分かちがたく結びついており、
そこにこの生産様式の問題もあるわけです。この労働が労働者の人格と結びつい
ているという商品特性は、例えば鉄や小麦には存在しません。買ってしまえば、
そのままに使用価値を発揮するからです。しかし労働力商品を買った場合、ここ
でその使用価値を生産過程の中で引き出すのは、鉄の使用価値を引き出すような
わけにはいきません。だからこそ「資本の生産過程論」には、この労働がスムー
ズに引き出せるような買い手の努力、相対的剰余価値の生産、労賃後払い、協業
と分業の利用といったテーマが並べられているわけです。勤勉な鉄ははなから存
在しませんが、勤勉な労働力は歴史的に、また意思的に創出されてきたわけです。
これは端的に、労働力商品と鉄商品との相違であり、労働力商品の主体性や認識
はそれによって大いに変わるでしょうし、その使用価値である労働の質も大きな
変化が加えられます。やる気のある学生の成績とない学生の成績との相違と同じ
ように、です。
鉄所有者の認識の場合、その「所有」という認識の特殊歴史性のみならず、多
くの場合それで利潤を設けようとしている以上、それは同時に労働力商品の購買
も行っている認識でしょう。ですから
>その所有者からみればだ。
>労働者が自らの労働に対してみるのと同じ視線で鉄を見とるわな。
とはいえないでしょう。サボタージュする鉄はいませんが、鉄をサ
ボタージュさせている労働者は存在するからです。教科書は知識の
陳列という使用価値をサボりませんが、それを見る学生はいくらで
もサボり得る。そこで「鉄所有者」から見ても、繰り返すようにそ
の「所有」意識の近代性とともに、この労働力商品に対して、その
使用価値=労働を引き出すべく、特別な「認識」がこの商品の購入後
にも必要とされます。なぜか。それは何度もいうように、生産を統括
する主体は労働者であり、この擬制商品は、その主体性・意思を抜き
に使用価値を発揮しない特殊な商品だからです。従って、鉄商品と労
働力商品とをもし買い手が「同じ視線で」見ていたとしたら、彼の鉄
はあまり有用には使われず、「同じ視線で」見ていない鉄所有者(彼
は購買後の労働力に対して、鉄と違ってその意志を引き出す努力をし
ています)に比べて、彼の利潤もあまり大きなものとはならないでし
ょう。なぜならこの二人の鉄商品と労働力商品に対する「認識」は大
きく異なっていたからです。
201 :
小鉄ハン:2006/08/23(水) 23:22:35 ID:CxXDATj+
>>192 ジミーさん。
所用でレス遅くなり、失礼しました。話をロボット資本主義に絞ってお返しします。
>私は、ロボット資本主義モデルを示して、そこでも利潤は生じる
>と主張している。それに対する小鉄ハンの反論は「本気で信じているのか」
>SF的議論は「好まない」などの非理論的なものでしかない。
という反論ですが、以前に私が
>>162で、
>>それから、ロボット資本主義が成立しない理由を教えて下さい。
>逆にそういうSF的な想定が成立する理由を教えてください。有機的構成が高度化
>していって、極限には人間労働がいらなくなる段階が来ると、本気で思ってるの
>ですか??ロボットを操作するのは(あるいは操作する機械を操作するのは、
>あるいは操作する機械を操作する機械を操作するのは…)、この場合何になるん
>でしょうか。
という疑問を提示した際、
>>164で
>ロボット資本主義の技術的困難を指摘されているようですが、
>人工知能による自律的生産システムです。
>どうしてもスイッチをonoffする人間が必要ならそれは資本家によって
>行われるので、いずれにせよ労働者は必要ない。
>生産物は、資本蓄積と資本家の個人消費に全て当てられ、
>生活資料の消費社としての労働者も登場しない。
と答えられましたね。依然として私は、それはマルクスの有機的構成の高度化→相
対的過剰人口の増大という窮乏化法則の図式と変わらずに見えます。
>ロボットを操作するのは(あるいは操作する機械を操作するのは、
>あるいは操作する機械を操作する機械を操作するのは…)、この場合何になるん
>でしょうか。
という疑問について、もう一度答えてくれませんか。私には
>人工知能による自律的生産システムです。
>どうしてもスイッチをonoffする人間が必要ならそれは資本家によって
>行われるので、いずれにせよ労働者は必要ない。
という生産が支配的なる社会はあり得ないと思います。例えば「人工知能による自
律的生産システム」自体、増産するためには、設計したり配分したり設備を作り出
す労働者が必要です。これは、迂回生産が如何にすすんでも、拡大再生産や基軸産
業の変遷、あるいはもっと小さく「人工知能による自律的生産システム」の更新的
な改良を考えるとき、不可欠な問題だと思うんですが。
俺も参戦しよう。ジミーさん、かつ○さん。共産主義の件よろしく。w
印刷会社で攻めます。
確かに労働力は特別である。つまりそれは労働として使用されるときに、
その主体性を持って複雑極まりない「活動」をするのである。
しかし、その論法でいうならば印刷機も「人間ではできない」作業を行うの
であって、人間に特別さを見出すのであれば、「人間ではできない」「活動
」をするということで機械に特別性を見いださないことは、不平等である。
また素材の紙やインクは、そのもの特別に労働と印刷機の生産における対象
物として、その「存在」が労働や印刷機の「活動」と同じ用に独立性を持つ
働きを持つのである。これもまた「人間にはできない」働きである。
つまりこれも人間の特殊性とは違う、素材ながらの特殊性を持つ。
であるからして、生産場面で「冷徹に」「ヒューマニズムを考えず」
生産要素を位置づけることでは、労働、機械、素材ともに特別の働きを
しているので、どれが特別ともいえないと思われる。
ただ営業面、総務面や生産の監督、つまり会社の指示部門は人間でないと
勤まらないが、コンピュータ制御されてほしい。明日も仕事だ
ガンバるじゃないの。小鉄ハン。
>>誠実さがまるでない、という言葉には「人格攻撃」の意味合いはありません。
ご自身で考えて、
>>187が「多少挑発」程度と言うなら、
>>193の私の言葉が「人
格攻撃」というのはフェアではないと思いませんか。それ以前の私の言葉
>>183に
おける
>かつ○さんは歴史に弱いそうですが、大変失礼ですがこの場合、
>率直に言ってその点が端的に認識の弱点として表われています。
も、失礼な言葉ながら充分礼節は弁えて、私は話していたつもりです。
ハハハ。よく言うわ。「どうせお前は何々だから、そんなこというんだろう」とか
「お前は○○でもやっときな」なんて再三俺に言ったのはどこのどいつだ?
俺「しかし、多少挑発されたぐらいで剥きになるアンタも大人気ないよw。
自分のこと棚に上げて、よく言うわw。」
アンタ:あなたの言い分のこの点だけは認めましょう
絶句・・・。
じゃあ認識論を先に出したのはあんただろう、ていった俺の反論は認めんの?
スレの流れみりゃ明々白々だよ。
いかんなあ、事実を認めないとは。
学に志す人間のやることじゃないな。
で事実なんだが・・・。
Jimmy氏のロボット資本主義がSF的設定だとか言ってるな。
>逆にそういうSF的な想定が成立する理由を教えてください。
俺もアンタに教えて欲しいぜ。
>>92だ。あんたが書いたんだろう?
昔々、「農民が土地を収奪されて労働者になった」なんて書いている。
が、これは事実として実証されているのかね?
まさか○の連中が勝手に頭の中でこしらえたSFじゃないだろうなw。
アンタの認識論、読んだよ。悪いけどどこが認識論なの?
いってることは労働者と鉄所有者の生産過程における役割の違いでしかないよ。
せっかく鉄が出てるんだからさ。もっと具体的に説明してくれ。
専門用語使いすぎ。抽象的表現多すぎだ。
>>200 >買ってしまえば、
>そのままに使用価値を発揮するからです。
いや印刷機も取り扱い難しいし、インクも特色作るときは
色あいが難しいすぐむらが出るし、そのままの使用価値など
生まないね。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 00:54:20 ID:JGXhmJtC
> アンタの認識論、読んだよ。悪いけどどこが認識論なの?
いや、だから、この人には明らかに哲学を学んだ形跡ないから・・・・
文学部なら学部に入学したてのレベルのやつでも、こいつよりマシだから。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:35:45 ID:8mhUEF/N
207 :
小鉄ハン:2006/08/24(木) 01:41:21 ID:Ra5ncIL5
>>203 簡単に。
>じゃあ認識論を先に出したのはあんただろう、ていった俺の反論は認めんの?
>スレの流れみりゃ明々白々だよ。
>いかんなあ、事実を認めないとは。
>学に志す人間のやることじゃないな。
私が「認識論」という言葉を使っているのは、
>>73におけるレーニンの『唯物論と経験批判論』の
例の中でですね。これはかつ○氏が
>意味不明だよw.
と言ったところから出した分かり易くするための例ですが、それ以外に私が認識を問題にしているの
は、あくまで経済学の人間労働に関連しているはずです。
これは「認識論」と書くことで、ポストモダン系の話に誤解されたくなかったのと、「認識論」そ
れ自体は―マルクス主義における哲学上の問題だけでなく、それと繋がっているドイツ観念論の系譜
に限っても―私にとってとても手におえる問題ではなく、またここで問題が「認識論」そのものに流
れていくことは生産的ではない、と感じているからです。
>昔々、「農民が土地を収奪されて労働者になった」なんて書いている。
>が、これは事実として実証されているのかね?
>まさか○の連中が勝手に頭の中でこしらえたSFじゃないだろうなw。
私もあなたに教えて欲しいですね、別の見方があるのなら。かつて○なら、「資本の本源的蓄積」
くらい、それにめぐる論争点まで含めて、分かってるんでしょう?仮にもかつて○なら、ここの点は
学んだはずだもんねえ。先の「所有」観念の近代性の問題についてもちゃんと答えてくれませんか。
>アンタの認識論、読んだよ。悪いけどどこが認識論なの?
>いってることは労働者と鉄所有者の生産過程における役割の違いでしかないよ。
>せっかく鉄が出てるんだからさ。もっと具体的に説明してくれ。
>専門用語使いすぎ。抽象的表現多すぎだ。
上記の理由で私はカッコつきで「『認識論』観点」と言ってるので「アンタの認識論、読んだよ。
悪いけどどこが認識論なの?」などと言う大仰な「認識論」は語っていない。人がカッコつきで
言ってるときの含意くらい、読めないでどうすると言いたいところですね。「いってることは労
働者と鉄所有者の生産過程における役割の違いでしかないよ」と言うが、その通り、それの内容
が重要だと言ってるんですよ。悪いがこれ以上具体的に説明などできかねますね。充分分かって
もらえるように書いてあるつもりですが。と言うより、この程度の「専門用語」やら「抽象的表
現」やらが分からないのなら、かつて○などと名乗らないでもらいたい。
>Jimmy氏のロボット資本主義がSF的設定だとか言ってるな。
いつも不思議なのは、奇妙なくらいあなたとジミーさんの見解が一致しているところですね。
謹啓の学者さんは「ロボット資本主義がSF的設定」ではないと思っているんですか??じゃ、その
「ロボット資本主義」が成立する根拠、教えてくださいよ。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:49:47 ID:JGXhmJtC
いや、君にはポモを馬鹿にする資格無いから。浅田彰のほうが数万倍マシだ。
取ってつけたような、半可通ぶりが痛々しい。それらしい用語使ってりゃ
いいってもんじゃないんだけどね。
209 :
Jimmy:2006/08/24(木) 02:51:39 ID:NMovKX2P
>>201 「歴史法則」や「技術的可能性」に浮いて相変わらず疑問を呈されていますね。
簡単にいってロボット資本主義は一つの思考実験による構成物です。この思考実験
モデルに置いても「労働だけが利潤(価値)の源泉である」という命題が成立しているなら、
利潤はゼロでなければならないと考えますが、それは否定されている。
ロボット資本主義モデルの有効性を否定するには、資本主義の歴史的傾向や技術的可能性から
みて「絶対に成立しない」を証明する必要があります。
小鉄ハンの疑問は相変わらず「信じているのか」「可能性はあるのか」の
地点から進んでいないようです。
それからもしこの手の思考実験自体を否定されるのなら、理論的な考察の
大部分が無意味だと言うことになるでしょう。どうお考えですか?
210 :
Jimmy:2006/08/24(木) 02:53:32 ID:NMovKX2P
211 :
Jimmy:2006/08/24(木) 06:44:33 ID:NMovKX2P
>>209 >マルクスの有機的構成の高度化→相
対的過剰人口の増大という窮乏化法則の図式と変わらずに見えます。
マルクスの問題点は、固定資本の制約を全く考慮していないため、
不断の高度化による過剰人口の累積と窮乏かを一方的に説き、
かつ生産力の高度化による剰余価値生産の増進を全く捨象してしまったため、
利潤率の傾向的低落を同時に説いたところにある。
わたしは、ロボット化への経路は、景気循環を通じでの生産力高度化の
一種の極限として考えている。その際労働者が資本主義的生産関係から
排出されるが、その外部で別の生産関係に生きる、別の資本主義でもよいが、
とすればよい。
ロボット資本主義の技術革新は、研究開発を行う人工ロボットによって
行われます。現在人間が行っていることはすべて代替しています。
小鉄ハンが、ロボット資本主義では利潤が存在しないことをモデルを示して
反証しない限り、色々疑問を提出されても無意味ではないでしょうか。
212 :
くろしろー:2006/08/24(木) 08:54:12 ID:VG0b58cv
202つまり、ヒューマニズムではなく生産の要素のひとつと考えるとその要素はそれぞれ特性を表すことになり、労働のみを特別にするのはおかしいと言うことです。ちなみに労働価値説に僕は否定的です。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 10:36:06 ID:IOMxH7Sq
小鉄=くろしろ
214 :
くろしろー:2006/08/24(木) 12:28:24 ID:VG0b58cv
ぼくならばもっと回答しにくい問だい
215 :
くろしろー:2006/08/24(木) 12:33:50 ID:VG0b58cv
ぼくなら、もっと意地の悪い問題をだしますよ。w さあ、可能なるコミュニズムを提示してください。ジミーさん、かつて○さん。
216 :
小鉄ハン:2006/08/24(木) 13:09:55 ID:Ra5ncIL5
ジミーさん。
ご質問ですが
>ロボット資本主義モデルの有効性を否定するには、資本主義の歴史的傾向や技術的可能性から
>みて「絶対に成立しない」を証明する必要があります。
経済学が対象科学である以上、事実の重みと言う点は無視できないでしょう。例としてマルクスの窮乏化法
則について言いますが、仮に人口の自然増と資本蓄積とが同じ歩調ですすむのなら、相対的過剰人口も労働力
不足も存在しないことになります。しかし事実はそうでないし、そうでないことの方がありそうだということ
が重要となるのが、対象科学の対象科学たる所以ではないでしょうか。メソドロジー風に言えば、前提の実証
主義ということになりますが、
>小鉄ハンの疑問は相変わらず「信じているのか」「可能性はあるのか」の
>地点から進んでいないようです。
>それからもしこの手の思考実験自体を否定されるのなら、理論的な考察の
>大部分が無意味だと言うことになるでしょう。どうお考えですか?
というジミーさんの考えは、フリードマンと同じ前提の現実性を問わない理論の道具主義に見えます。この場
合、前提の現実性を問わず、演繹される結論部分のみ重要だと考えるのなら「もしこの手の思考実験自体を否
定されるのなら、理論的な考察の 大部分が無意味だと言うことになる」という言い分にも一理ありますが、私
はジミーさんの言うとおり、経済学が思考の健全性を保つためには
>小鉄ハンの疑問は相変わらず「信じているのか」「可能性はあるのか」の
>地点から進んでいないようです。
という重心は、重要だと思うのです。またマルクスを例に取りますが、現実から遊離した前提に立ってしまった結果、
彼の陥穽の一つに、窮乏化も利潤率の傾向的低落もかなり恣意的な前提(言い方を変えるなら『思考実験』的前提)
に立ちつつ推論を進めていってしまうという点がある。そしてそうした「思考実験」から出た結論は、一般的に言っ
ても間違っている傾向があると思います。全否定はしませんが、「思考実験」にも「『信じているのか』『可能性は
あるのか』の地点」はそれなりに決定的だと思うんです。
>その際労働者が資本主義的生産関係から
>排出されるが、その外部で別の生産関係に生きる、別の資本主義でもよいが、
>とすればよい。
この点はその通りだと思います。私が言っていることと同じなのですが。ただロボット化がすすんでも、その生産
部門内部でもスイッチのオンオフだけで済むようにはならないでしょう。「その外部で別の生産関係に生きる」こと
を認めれば、技術革新の問題は不可避だからです。
>小鉄ハンが、ロボット資本主義では利潤が存在しないことをモデルを示して
>反証しない限り、色々疑問を提出されても無意味ではないでしょうか。
いままでの話からもお分かりと思いますが、わたしは「モデル」(しかも『思考実験』としてのそれ)で「反証」
がなされるという考え方そのものに否定的です。結論が非現実的なら、むしろ挙証責任はそうした「思考実験」を行
う側にあるのであり、白いカラスを見つけてくるべきなのは、ジミーさんの方ではないでしょうか。
最後に私のほうから質問。ジミーさんは、かつてアナ○を批判して私を感動させてくれたのですが、最近「一般化
された商品搾取定理」を擁護する、その点でローマーらと何ら変わらない立場に見えるのですが、この点に関するジ
ミーさんの立場を、もう一度詳らかに説明してください。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 21:32:59 ID:iqIVkwjj
マル経スレの特徴
・レスが早い
・長文
・例が多いけどぶっ飛んでる
・コテハンが多い
>>216 いままでの話からもお分かりと思いますが、わたしは「歴史」(しかも『仮説』としてのそれ)で「反証」
がなされるという考え方そのものに否定的です。結論が実証されないなら、むしろ挙証責任はそうした「歴史仮説」を行
う側にあるのであり、白いカラスを見つけてくるべきなのは、小鉄ハンの方ではないでしょうか。
アンタのあげた歴史なるものも単なる仮説だろうがw。
>>92での歴史事実を実証しろ。
「昔々農民が土地を奪われ、労働者になりました」これをだ。
要するにアンタの議論はフェアじゃないんだよ。
ロボット資本主義に対するアンタの批判はそのままアンタの歴史的前提への批判として跳ね返ってくるのさ。
実証がなされんままではね。
自分のこと棚に上げてw.
よく言うわ、ホンマに。
>。「いってることは労
働者と鉄所有者の生産過程における役割の違いでしかないよ」と言うが、その通り、それの内容
が重要だと言ってるんですよ。悪いがこれ以上具体的に説明などできかねますね。
おお、以外に素直なとこあるじゃん。
いえるよ、具体的に。
要するにだ。
鉄もハンマーも、道具も材料も全部揃ってます(労働生産過程の始まり)。
後は労働者がこれも使って自動車組み立てる化けです。
はい、ここで主体的意思を持って動いているのは労働者だけですね。
だから鉄と労働は役割違うんです。
これだけじゃん。いってることは?
これはこれで猛爆を食らうのだがな。
念のため一ついっておきたい。
俺は別に「ロボット資本主義が非現実的である」という批判。
これが全く的外れだ、といってるわけじゃない。
「ロボット資本主義が非現実的である」という主張をしつつも、
自己がよってたつ資本主義の「特殊歴史的前提条件」が現実的かどうか
(つまり事実としてあったかどうか)は確かめようとしない姿勢。
これはフェアではないといってるのだよ。
ホイ。三発目だ。
俺:昔々、「農民が土地を収奪されて労働者になった」なんて書いている。
が、これは事実として実証されているのかね? まさか○の連中が勝手に頭の中でこしらえたSFじゃないだろうなw。
小鉄ハン:私もあなたに教えて欲しいですね、別の見方があるのなら。かつて○なら、「資本の本源的蓄積」
くらい、それにめぐる論争点まで含めて、分かってるんでしょう?
正直だねえ。見方(理論仮説)じゃないの。
本源的蓄積が事実であったかどうかの実証だ。
この一文でアンタ自身も歴史仮説という「理論」を無自覚に信じている連中の一人
であることが「実証」されたねw.
自分自身が批判の対象だったわけさ。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 22:03:13 ID:8mhUEF/N
>>216 >ロボット資本主義モデル
小鉄ハンの立場だと、ロボットの技術的側面より、ロボットの経営(管理、操作・・・)と所有は誰なのかを攻めるほうがおもしろいおー
例えば、労働者所有の労働補助ロボット、資本家所有のロボットとか、、
経営課題の今日的トレンドは、なんたって固定資本の変動費(流動)化だから、小型の人型ロボットなら、労働者自らが小額資本の供出やリースで自営業として起業するんじゃー
つまり、労働者が資本家になり、ロボットから労働商品を搾取する立場になる可能性も
下部構造の変化が上部構造を変える異次元経済学ー
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 22:33:04 ID:fmaFWIzx
>>32 初学者ですが、
置き塩の定理は、労働を唯一の生産要素としているのではなく、
資本と労働の2つを考え、その二つを用いて作られた生産物が100%労働の再生産にあてられることはないという、
きわめて当たり前のことを言っているのだと思っていました。
要するにこのようなことは、複数の生産要素を用いる経済において、どの要素も、それが寄与した生産物が100%わりあてられることはないという、
自明そのもののことに過ぎないわけです。
労働が唯一の生産要素(たとえば純然たる採集経済など)なら、なるほど「搾取」なき社会はありうるw
○系がおかしいのは、複数の生産要素が寄与しているのに、それを唯一の生産要素(労働)に、全て与えられるべきだ、
そうでないのは不正義だと叫んでるからではないですか?
あと、ジミーさんのいう、資本家のスイッチひとつで動くロボット資本主義においては、
資本家は全員自営業者でしょうね。もちろん、利潤に相当するものはあると思いますが。
>>222 正確にはそれは「一般化されたオキシオの定理」だけどね。
アンタみたいなものわかりのいい人ばかりだったら話は早いんだがw.
約一名、それじゃいかん、と暴れる人がいてね。
それで盛り上がってるのよ。
>○系がおかしいのは、複数の生産要素が寄与しているのに、それを唯一の生産要素(労働)に、全て与えられるべきだ、
そうでないのは不正義だと叫んでるからではないですか?
そう、それがマルクスの正義論だな。
この正義論は確かにおかしいと俺は思う。
これはプラトンの系譜を引く自然主義的誤謬に毒された時代遅れの正議論だ。
また機会あったら議論しよう。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 22:49:27 ID:8mhUEF/N
>>222 >資本家のスイッチひとつで動くロボット資本主義においては、
>資本家は全員自営業者でしょうね。
まさに、スミス時代の親方と熟練職人の世界だおー
搾取される丁稚ロボットとシバク・オシオキの定理ィィ
225 :
Jimmy:2006/08/24(木) 23:01:42 ID:bEBIa4kA
222さん
自営資本家のつもりですが、雇われ経営者がいたらどうなるでしょう?
今度はまた価値生産的労働とはナニかをめぐって大紛糾になるでしょうか?
ワクワク(^_-)-☆
226 :
Jimmy:2006/08/24(木) 23:14:03 ID:bEBIa4kA
レンタルロボもなさそうかな。ほっときゃどんどん働いて稼ぐンだから、それをわざわざレンタルに出す所有者はいないでしょう。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 23:32:07 ID:JGXhmJtC
このくだらない流れより、こっちのほうが面白い。これ考えた人
けっこう頭いいと思った。
【日本国のしくみ】
・団塊の世代(サヨク世代)・・・・日本を悪くした張本人、
反権力、フェミニズム、
育ちが悪くカネにがめつい、金融資産は多い、
社会貢献なんてクソくらえ、日本が困ると喜ぶ、
・バブル世代(貴族世代)・・・・・子供時代からワガママ放題、校内暴力全盛期をつくる、
大学時代は遊び放題、オニャンコクラブ、
就職は楽勝、親になってもワガママ放題、
いまだに失業率は最低維持、高級車乗り、貯金が多い
・就職氷河期世代(ポチ犬・マゾ世代)
・・・・命令すれば何でもやる、
この世代の7割は将来ホームレス確実なのに何も主張しない(出来ない)、
どんなにいじめても大丈夫、未婚率・彼女彼氏居ない率が異常に高い
虐待されても主人にすがるポチ犬、マゾの奴隷そのもの
・ゆとり教育世代(ハサミ世代)
・・・・・○○とハサミは使いよう、カラっぽなので使い方次第、
ただし使い方を誤ると切れやすくとても危険
228 :
小鉄ハン:2006/08/24(木) 23:50:01 ID:7ws0A91e
簡単に。
>アンタのあげた歴史なるものも単なる仮説だろうがw。
>
>>92での歴史事実を実証しろ。
>「昔々農民が土地を奪われ、労働者になりました」これをだ。
通説化された事実の場合、反証責任はそれを批判する側にあると言ってるんですよ。「反証主義」はあなたたちの世界の
仁義でしょう。
>要するにアンタの議論はフェアじゃないんだよ。
結局人の人格攻撃をして(況やこの場合、自分に対しての回答ではなく、ジミーさんに対する質問に口を出している!)、
私の質問内容に応えるのを避ける。あなたの「議論」のやり方は定型化されてますね。
>はい、ここで主体的意思を持って動いているのは労働者だけですね。
>だから鉄と労働は役割違うんです。
>これだけじゃん。いってることは?
>>218からの議論を見ていて思うのは、あなたは本当に私と議論するつもりがあるのか、ということです。私は、資本の
労働生産過程論の内容にまで立ち入って説明し、あなたのレス特有の不遜さにもかかわらずキチンと回答を示しているつも
りです。それならマルクス経済学の体系の、ここが具体的にオカシイという内在的な批判の姿勢を取るのが「学徒」の態度
でしょう。関連してその不遜な物言いですが、
>これはこれで猛爆を食らうのだがな。
とか
>約一名、それじゃいかん、と暴れる人がいてね。
>それで盛り上がってるのよ。
という文章から垣間見れるように、世の中の○に対する評判の悪さを後方支援と考えた上でやってるのがアリアリなのも、
率直に言って不快です。それならこれほどフェアでないことはないと思う。マルになら何でも言っていい、という態度では
真っ当な議論ができるわけがない。
ジミーさんがどう応えるのか、待つことにします。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 01:07:14 ID:fWMKsWJ+
>>228 かつ○は基本的に形式論理のルールに則って議論を展開している。それは○系だろ
うと謹啓だろうと,経済学が科学である以上,共有すべき議論のルールだからな。
キミはおそらく,数理的な理論分析には全く疎い人だと思うから,そこら辺が解ら
なくても仕方ないかもしれないけど。
置塩定理によって解こうとされた問題を考える場合,労働・生産過程における労働
力と他の生産要素との間の主体性の違いというのは,semanticなものであって本質
的な点ではないのだと思うよ。もし本質的だったら,置塩自身がその主体性の違い
を組み込んだモデルを作って議論したろうし,置塩がやらなくてもその他の数理系
○の学者がやっただろうね。
それから,置塩定理の労働搾取論的含意を擁護するために,歴史主義的な議論を持
ち込むのがキミのやり方のようだけど,それがそもそも議論を混乱させているんだ
と思うぜ。置塩定理も特定の解釈を正当化するための形式的論証として提示された
数理的命題である以上,形式論理のルールに則って解釈なり,批判なりしないと,
ポイント違いな論争になってしまう。かつ○もJimmyもそのルールに従った解釈を
言っているだけだよ。
念のために言っておくが,俺は叙述的理論体系における歴史主義的手法を否定する
わけではないんだよ。数理的な分析は叙述的理論体系の中で呈示された命題の一定
の妥当性を確保するために,形式論理のルールに基づいて成される説得手段に過
ぎないのだしね。だからこそ,逆に数理的な定理から導かれる含意が叙述的理論体
系の妥当性を揺るがしかねない場合には,そこで歴史主義的手法で叙述的理論体系
の妥当性を擁護してもなんら説得力が無いわけ。
つまり,数理的論証手法に基づいて議論されるべき課題に首を突っ込んだ以上,キミ
もそっちのルールに従って,置塩定理の労働搾取論的含意を擁護する論を張らないと
駄目なわけ。別に高度な数理的解析をやれと言っているわけではない。自然言語でも
法学の連中がやるように,形式論理ルールに則った議論はある程度は出来るのだしな。
それをする力が無いのだったら,静かに立ち去るのみだよ。
230 :
小鉄ハン:2006/08/25(金) 01:37:08 ID:wj5/kEy5
>>229 多少は読んでくれている人もいるようで、どうも。
>かつ○は基本的に形式論理のルールに則って議論を展開している。それは○系だろ
>うと謹啓だろうと,経済学が科学である以上,共有すべき議論のルールだからな。
私は形式論理内部での「一般化された」定理については、
>>107で書いたとおり、
それが定理のなかでは完結していることを認めています。「数理的な理論分析に
は全く疎い人」なのはその通りですがw、簡単なH-S条件だけで考えても、転形論
のレベルでは鉄商品と労働力商品とが区別できない程度には、定理を理解してい
るつもりです。「疎く」はありますが、その程度の線形代数の勉強は必要に迫ら
れてやった経験があるのです。そこでご指摘の点ですが
>置塩定理の労働搾取論的含意を擁護するために,歴史主義的な議論を持
>ち込むのがキミのやり方のようだけど,それがそもそも議論を混乱させているんだ
というのは、私の意図を誤解されている・ないし少なくとも半分しか理解していない
ようです。私は、歴史的な問題も入れていますが(後述)、同時に転形論が舞台となる
叙述以外の部分での問題を提起している。それが価値法則の論証部分を含む「資本の生
産過程」論の話です。繰り返しになりますが、ここでは鉄商品を客体的に配置する主体
としての人間労働についての物財タームの議論を行っています。そして、それは後の
「一般化された」定理の外部で、鉄商品とそれを合目的的に配置する労働力商品との
違いを明示している。これは全く論理の次元の話です。
231 :
小鉄ハン:2006/08/25(金) 02:04:49 ID:wj5/kEy5
転形論争の内部ではなく、その外部の問題を語っていることが一点。
マルクス経済学の普通の「定理」批判でも剰余労働の原則的自由度
などの問題も、転形論のみからは言っていないと思います。
>だからこそ,逆に数理的な定理から導かれる含意が叙述的理論体
>系の妥当性を揺るがしかねない場合には,そこで歴史主義的手法で叙述的理論体系
>の妥当性を擁護してもなんら説得力が無いわけ。
そして上記にも関係しますが、歴史性とは、その「一般化された」
定理の内部での話にそれを持ち込もうとしているのではなく(その点
で「歴史主義的手法で叙述的理論体系 の妥当性を擁護してもなんら説
得力が無い」のはその通りです)、そうした鉄と労働力が転形論の外部
で、定理が意味を持ちえるように形成された歴史的形成過程(これはマ
ル経内部の問題で言えば「流通論」と「生産論」との次元における「断
絶」ですが)の事を指しています。その意味で
>数理的論証手法に基づいて議論されるべき課題に首を突っ込んだ以上,キミ
>もそっちのルールに従って,置塩定理の労働搾取論的含意を擁護する論を張らないと
>駄目なわけ。
という点について言えば、私は「首を突っ込ん」でいない、自分の能力を
弁えて、転形問題以外の部分がマルクスの体系にはあるんだと言ってるん
です。「一般化された」定理を現時点で覆すことができないのは、その限
りではもちろん認めているわけ。数理的に見てその内部に入れば、鉄商品
と労働力商品の区別はつかない、そしてその限りで「一般化された」定理
を、取りも直さず認めていることになりますね。同じ次元で、違うモデル
を提示したいわけではないことは誤解しないで欲しい。
そして、マルクスの経済学体系は、あなたの言うとおり数理的に展開で
きる形式論理に則った部分と、そうではない定性的部分の複合体です。私
が歴史について語っているのは、後者についてであって、端的に言って「
一般化された」モデルに出てくる労働力の商品化は自明のことではなく、
その形式論理に還元される以前に、それを可能ならしめた過程があるだろう、
と言っています。
232 :
小鉄ハン:2006/08/25(金) 02:16:14 ID:wj5/kEy5
「静かに立ち去るのみだよ」と言われるまでもなく、議論が私に集中している
のが何故なのか、私にも分かりませんw。私は「静かに」見ていたいのですが、
(そして「置塩」スレでこんなにも語りたくもないのですが)、言われ続け、
納得できなければ反論する、と言う当たり前のことをやっているうちに、私に
曰く「猛爆撃」がかけられているという現状です。
反論なぞしなければいい、というのが、現今の経済学界におけるマルの位置
なのは分かっていますが、納得いかないのに、曰く「猛爆撃」が怖いから、と
いうのも、私の趣味じゃないもので。興味ない人、下らないと思っている人も
いて恐縮なんですがw。
233 :
229:2006/08/25(金) 03:19:10 ID:fWMKsWJ+
>>小鉄ハン
>端的に言って「 一般化された」モデルに出てくる労働力の商品化は自明のことではなく、
その形式論理に還元される以前に、それを可能ならしめた過程があるだろう、
と言っています。
この主張それ自体はその通りだろう。その事は,少なくともJimmy氏は理解しているわな。
しかしこの主張が妥当であるからと言って,「労働が唯一の価値形成的生産要素」であると
いう主張の論証には成っていない。Jimmyやかつ○から一貫して指摘されているのはその点
だと思う。
今,一通り,キミの発言部分をおさらいしたが,キミの主張のエッセンスは以下の発言にあわられていると思う。
>何故労賃に不満を言う・労働 条件の改善を求めるといった主体性を持っている労働力「商品」と、誰某の所有物である物言わ
ぬ鉄「商品」が一緒になるのですか?
>仮に問題を労働生産過程論にまで伸ばして、労働力の変わりに鉄に入れ替えるということをやった場合、
生産価格論ではなくそれ以前の労働生産過程でも、同じように鉄と労働力と無差別に説けるかというと、鉄が
労働時間に則って主体的に労働するという想定がナンセンスである以上、ここでは労働が少なくとも価値(利潤ではなく)
の源泉であることは言えませんか?
>「労働生産過程の主体である」労働の社会的配分は、明らかにその客体的要素であるに過ぎない鉄
の社会的配分を生産手段として動かしているのであって逆ではない、という
意味で最も能動的・原基的な要素である・ないし価値形成的である
>生産を表象し実現する主体と、それによって配分される客体
(ジミーさんがよく言うように化学作用が働くように配置される生産要素)が存在する
ことは、前者を価格を形成する主体的要因(価値を形成する要因)と考える強力な根拠
とはならないでしょうか。
これらを読んで思うに,やはりsemanticな議論でしかないのだよ。鉄は物を言わない,
主体ではなく客体にすぎない,だからそのような客体は価値形成的生産要素になり得ない。
また,不当性に対する不満や怒りなどをもたない鉄の「搾取」など,ナンセンスだ。キミが
言っているのは,時間が無いので舌足らずな表現での整理で申し訳ないが,ほぼこれらに
尽きるよね。でもその種のsemanticな議論は「置塩一般化定理」への本質的な批判にならな
いよ。数理的にその内部に入る,入らないの問題ではなくてね。主体的生産要素は労働力だ
けである事は,誰もが了解するだろうけど,
主体的生産要素は労働力だけである事=価値形成的生産要素は唯一,労働力だけである
は自明には成立しないのよ。Jimmy氏がいみじくも,
>100Kgの小麦を一年間栽培して200Kgの収穫があったときに、この100Kg
の剰余生産物が、生きた一年間の農業労働の産物なのか、100Kgの種籾
の産物なのか、それともそれぞれ幾分かの産物なのかなどといくら詮索しても、
結論などでようもないのです。この生きた労働と種籾という生産手段の
結合比は技術的客観性によって決定された上、どちらも無しですませるわけに
行かないからです。
と言っているようにね。キミは上にまとめた等式が真であることを論証しないと
いけないわけだが,その事には成功していない。労働力商品の資本主義的歴史的
特殊性についての君の議論は,そうした論証としては機能していない事を認識す
る必要があるよ。
234 :
229:2006/08/25(金) 04:05:00 ID:fWMKsWJ+
ともかく誰もが了解する出発点としての事実は,資本財と労働,両方の生産
要素が投入されて,ある一定量の剰余生産物が生産可能なくらいに生産性が
高まったと言う事。このある種自然科学的事実を,
>それが「生産的」(投入-産出関係が正)と判断する主体が人間である点をどう考えておられるのか。
経済学が、マルクスに則って「人間と自然との物質代謝」と定義する場合、鉄価値
論は定義的に経済学の対象とはなりません。鉄の経済学者が書いた、鉄が主体的に
労働し、労働力を客体的な生産手段として社会手に配分する「鉄と自然との物質代謝」
を趣旨とする鉄経済学(この場合、鉄は主体的自然ということになります)というもの
を考えるならともかく、われわれが考えている経済学は、欲望の主体から生産的技術の
合目的的設置に至るまで全て人間がそれに当たり、人間が主体となって生産を行う経済学
なわけですね。(小鉄ハン)
という人間中心主義的目的論の観点に基づいて,
>労働価値説:価値の源泉を労働と考える見方、であるならば、人間が
一定の労力をもって労働と生産要素を社会的に配分する、そこに価値の
源泉があると人間が思う見方、というのは労働過程論から自然に出てくる
と思いますが。生産要素が有用であるのは誰にとってか、ということです。
と理解しているのが小鉄ハンなわけだ。しかし同じ人間中心主義の立場でも,
全く別の議論が展開可能だ。例えば,
「生産過程への個々の人間の関与の仕方は直接,労働力を提供するという関与の
代わりに,鉄の所有者が生産要素としての鉄を貸与するという形での関与があ
る。そして生産要素としての鉄の投下が不可欠であり,また,それが稀少な存
在である場合,鉄の所有者に生産物の一部が「レンタルへの見返り」という形で
配分されるようになる。」
この議論では,鉄は主体ではなく,あくまで鉄の所有者たる人間が主体的に生
産活動に関与している,鉄を生産要素として貸与するという形で。そして鉄所
有者への生産物の一部の配分(すなわち○系的には労働への搾取)が合理的経済
活動の帰結として説明される。いわゆる標準的な新古典派の議論だな。
俺が言いたいのは,新古典派の議論が正しい,正しくないという議論ではなく
て,「人間中心主義」から小鉄ハンが主張するような「労働価値説」が直ちに論理
的に導かれるわけでは全く無い,ということ。
「人間が経済活動の唯一の主体」を認めること=労働価値説の受容
を意味しないわけ。従って,小鉄ハンは一貫して自分自身のイデオロギーを繰
り返しているだけで,そのイデオロギーを共有しないかつ○やJimmyに対して,
なんら誠実な論証的議論をしてきていないのですよ。小鉄ハン自身は,自分で
は誠実な議論をしているつもりだろうが,言葉遣いが丁寧か,それとも(かつ○
のように)ぶっきらぼうか,ということと科学的議論に対して誠実に対応してい
るかという事とは別なのよ。
235 :
Jimmy:2006/08/25(金) 06:57:18 ID:CEJMbADp
229さん
大変明晰かつ適切な議論の整理有り難うございます。あなたの理論的能力の
すばらしさには大いに感銘を受けました。(マジです)
小鉄ハン
私の言いたいことは229さんの言明につきています。これ以上私が言うことはない。
本筋でないことを、付け加えると、
転形問題の内部で生産価格を導くのに物量タームも労働タームも同格であるとは
標準的○経では考えていませんよ。「内部」でも厳然たる区別がある。その点
小鉄ハンは一貫しない。(伊藤誠『価値と資本の理論』参照)
それから、何故小鉄ハンだけが「猛爆撃」受けるか理解できないようですが、
労働価値説を無制限に人間主義的観点から擁護しようとするからです。
本来私が「猛爆撃」を警告した方は別の参加者だったのです。このスレの
ずっと前の方をたどって私の最初のカキコを見つけてください。それで分かります。
その方こそ「学校秀才」なのです。
人間労働は労働生産過程の主体的要因である。生産手段(=鉄)は客体的要因である。
従って価値形成の主体的要因も人間労働であるが生産手段はその客体的要因である。
これが労働生産過程論から論理的に導出できる、正確な命題ではないでしょうか。
人間労働が価値形成の唯一の源泉であるという命題とは明らかに異なる。
このことが認められないようであれば、これ以上の議論は無意味です。
小鉄ハンが疑問を呈されている本質的とは私には思われない題材については、
後日お答えしましょう。それなりにまとまった時間がいります。
236 :
Jimmy:2006/08/25(金) 08:14:56 ID:VtTL5WCb
労働だけが価値生産要因であるケースも勿論モデルを作れる。
即ち土地など人間の位置する自然に所有がなく、人間は一切の生産手段なしに、一種のエネルギーを放射する。この時このエネルギー純生産が正であればよいのですが、これは一種の超常空間でしょう。しかしこのように自由にモデルを立てる思考の柔軟さを持つべきでしょう。
237 :
くろしろー:2006/08/25(金) 09:47:57 ID:mWWdrrXx
コテツさん あなたのやろうとしたことがわかりました。定理は認めるがそれが外部、つまり現実に適応するのはソゴがあるといいたいのどすね。しかし、資本論にもあるようにむしろ主体性を削減し強度分業、機械での単純作業などとしているのではないですか?
>>229=Jimmyだろw。
長さといい文体そっくりだもん。よくやるよ、お前らwww.
239 :
Jimmy:2006/08/25(金) 11:28:10 ID:LtgMWU6H
>>238 フフフッ、よく見破ったな。
ワタスの自作自演よ。
・・・・・・・
んなわけないだろが。
私は例えばsemanticというようなタームを使い慣れていないし、恐らく
科学認識論についてそれなりの素養をもたれていると推察される229氏
には全く太刀打ちできないだろう。
まぁこれも証明も反証も出来ない事柄だがな。ワラ
240 :
小鉄ハン:2006/08/25(金) 14:46:53 ID:OPrAZJaE
229さん。
時間もないのに、わざわざ私の発言を整理され、意図を汲んでくれようとしたご厚情
非常にありがたく存じます。
そうした労苦に報いるには、大変心苦しいが、私にはやはり229さんの仰る点にも納得
がいかないことを率直に申した方がいいんでしょうね。
>主体的生産要素は労働力だけである事は,誰もが了解するだろうけど,
>主体的生産要素は労働力だけである事=価値形成的生産要素は唯一,労働力だけである
>は自明には成立しないのよ。
というのがご指摘のエッセンスだろうと存じますが、ジミー氏の発言についての私なりの解釈
を示しておきます。訓古解釈になりますが、マルクスが『ゴータ綱領批判』という手紙を編集し
た本があります。その手紙の中で、マルクスは「労働は富の唯一の源泉」であるという綱領
の文言に対して、「労働が唯一の富 reichtum の源泉ではない。自然も労働と変わらぬ富
の源泉である」と言っている部分に関わる問題のように思えます。マルクスは価値の源泉
である労働を否定している、と捉えられている読み方もできるし、また事実そう解釈している
「市民社会派」(その後レギュラシオン学派w)というマルクス学派もいるほどです。しかし私
には、富とここで指しているのは、価値の条件たる(つまり価値には一歩届かない)使用価
値のことを言っているようにも読めるのです。
そして、その点から見ると
>この生きた労働と種籾という生産手段の結合比は技術的客観性によって決定された上、どちら
>も無しですませるわけに 行かないからです。
と言っている「技術的客観性」はこの場合、価値というよりも使用価値に関連しているの
ではないか、という気がします。もちろん商品体に使用価値があることは、商品が価値を
有する条件ですから、両者を截然と切り分けるわけにはいかないでしょう。
ただこの場合、私の詰まらぬ発現をさらってくれた方に対して、繰り返しになって恐縮
ですが、私には自然の化学的作用そのものは、「価値」という人間の共同主観を齎す条
件にはなり得るにしても、その「価値」を社会の共同主観として流通させる実体とは考え
られないのです。もし仮に「技術的客観性」のみで「価値」が定まるとすれば、科学的作用
を合目的的に配分する農業社会においても、「価値」(ないし貨幣タームで考えれば『価格』)
は正確に現象していたでしょう。そうではなく、労働力が社会的需要に対して自由に部門
移動できる社会になって、初めて「価値」も全社会的に通用するよう(な共同主観)になった、
という事実は、きわめて重いと考えます。さらに
>主体的生産要素は労働力だけである事=価値形成的生産要素は唯一,労働力だけである
>は自明には成立しないのよ。
という論点も、ならば労働力以外の他の財が商品化していたならば「価値」は共同主観化
していたかと考えるとき(中世社会でも剰余生産物は商品化していました)、そうはならな
かったろう、何でも創作できる労働力――これが商品化していなければ「価値」は社会の
共同主観とはならなかったろう、その限りで上記の等式は成り立つであろう、と私としては
考えざるを得ません。
241 :
小鉄ハン:2006/08/25(金) 14:47:47 ID:OPrAZJaE
お疲れのところ、愚考を整理してくださった229さんには申し訳ないのですが、現在のと
ころ、やはり私には、以上の点から「主体的生産要素は労働力だけである事=価値形成的
生産要素は唯一,労働力だけである」と考えるしかないのです。
また私の「人間中心主義の立場」の理解について出されている新古典派的解釈について
も、この議論では、
>鉄は主体ではなく,あくまで鉄の所有者たる人間が主体的に生
>産活動に関与している,鉄を生産要素として貸与するという形で。そして鉄所 有者への生産物>の一部の配分(すなわち○系的には労働への搾取)が合理的経済活動の帰結として説明される
というご説明には、また繰り返しになりますが鉄を「貸与する」「所有者」と労働力の所有者との
「所有」の歴史的出現過程(私が商品化する場合の過程が重要だろうといった相違)が全く異な
る以上(所有権の確立の近代性、物権と債権の分離のことです。労働力が商品化し、土地の商
品化ができて初めて確立される封建的領有権との相違です)、やはり説明としては完全ではあ
りません。
これらの点について、「人間中心主義の立場」の「イデオロギー」と申されるならば、私の立場
からは、鉄と労働力とを同等に並べること自身の方が近代的所有観が齎した「イデオロギー」で
はないか、ということになります。
242 :
小鉄ハン:2006/08/25(金) 14:48:38 ID:OPrAZJaE
ジミーさん。
ご指摘の
>転形問題の内部で生産価格を導くのに物量タームも労働タームも同格であるとは
>標準的○経では考えていませんよ。「内部」でも厳然たる区別がある。その点
>小鉄ハンは一貫しない。(伊藤誠『価値と資本の理論』参照)
という部分は私の文章の
>転形論争の内部ではなく、その外部の問題を語っていることが一点。
>マルクス経済学の普通の「定理」批判でも剰余労働の原則的自由度
>などの問題も、転形論のみからは言っていないと思います。
という部分を直接には指していると思われますが、私の説明に舌足らずな点があった
ことを認めた上で、私はここで労働生産過程論と利潤論のことを言いたかったのであり、
前者については、物財タームより更にそれを齎す労働編成についても言われていること
を念頭においていました。仰るとおり、物財タームとそれを齎す労働タームでは、スラッファ
の批判以降、労働生産過程・価値形成増殖過程でも「『内部』でも厳然たる区別」がなされ、
労働編成にまで踏み込む必要の根拠が説明されています。この点を短絡しているわけで
はないので、付記しておきます。
>人間労働は労働生産過程の主体的要因である。生産手段(=鉄)は客体的要因である。
>従って価値形成の主体的要因も人間労働であるが生産手段はその客体的要因である。
>これが労働生産過程論から論理的に導出できる、正確な命題ではないでしょうか。
>人間労働が価値形成の唯一の源泉であるという命題とは明らかに異なる。
>このことが認められないようであれば、これ以上の議論は無意味です。
そうですか。では、私の方からもこれ以上の議論は、とりあえず納めておきましょう。ここで
私に議論が集中している間に、○スレは全く動かなくなったしw、くろしろー氏の「疑問」は無
視されるしで、以前言ったように、健全さを欠いていましたしね。正直、議論の応酬にも疲れ
てきましたし。ただ
>それから、何故小鉄ハンだけが「猛爆撃」受けるか理解できないようですが、
>労働価値説を無制限に人間主義的観点から擁護しようとするからです。
という点と
>小鉄ハンが疑問を呈されている本質的とは私には思われない題材については、
>後日お答えしましょう。それなりにまとまった時間がいります。
という点とは、私の疑問――以前のアナ○評価との整合性――として、「まとまった時間」が
かかっても、ぜひお答え願いたい。正直、私にはそれが一番知りたかったかも知れません。
243 :
小鉄ハン:2006/08/25(金) 16:22:30 ID:OPrAZJaE
>>242 スラッファの批判以降→スラッファ-スティードマンの批判以降
244 :
229:2006/08/25(金) 16:59:07 ID:Wmqdvhpq
>>小鉄ハン
俺は最初にキミに対して、「置塩定理の労働搾取論的含意を擁護するために,
歴史主義的な議論を持ち込むのがキミのやり方」とコメントしたときに、論理
の次元の話をしていると反論していたと思うが、結局、最終的には歴史主義
に走っているよね。以下は、キミの今回のレスだ:
>もし仮に「技術的客観性」のみで「価値」が定まるとすれば、科学的作用
を合目的的に配分する農業社会においても、「価値」(ないし貨幣タームで考えれば『価格』)
は正確に現象していたでしょう。そうではなく、労働力が社会的需要に対して自由に部門
移動できる社会になって、初めて「価値」も全社会的に通用するよう(な共同主観)になった、
という事実は、きわめて重いと考えます。
>ならば労働力以外の他の財が商品化していたならば「価値」は共同主観化
していたかと考えるとき(中世社会でも剰余生産物は商品化していました)、そうはならな
かったろう、何でも創作できる労働力――これが商品化していなければ「価値」は社会の
共同主観とはならなかったろう、その限りで上記の等式は成り立つであろう、と私としては
考えざるを得ません。
>やはり私には、以上の点から「主体的生産要素は労働力だけである事=価値形成的
生産要素は唯一,労働力だけである」と考えるしかないのです。
ここでキミが言っているのは、「価値」の普遍的確立についての歴史的起源論ないしは
歴史的生成論だよね。その種の歴史的生成説が今日の歴史学の到達点からどう評価さ
れるかという論点はとりあえず置いておくよ。上のキミの話は結局、労働価値が人間
社会一般(この言い方も曖昧だが、とりあえず近代の西洋社会をイメージしておいて
くれ)において普遍化するのは、労働力が商品化されたからだという事を主張している
に過ぎない。「労働力が社会的需要に対して自由に部門 移動できる社会になって、初め
て「価値」も全社会的に通用するよう(な共同主観)になった」と言っているようにね。
以上の議論は、「労働力が唯一の価値形成的機能を有する生産要素である」という命題と
は全く別の問題についての議論だよ。価値概念の普遍化についての話しと剰余価値生成
機能の話しとを混同している。キミが論争を挑んでいたのは「置塩定理の一般化」の話で
あり、それは「剰余価値生成機能を有する生産要素は唯一、労働力だけである」ことを論
証しようという課題だった筈だ。価値概念の(共同主観としての)普遍化についての議論
は、むしろ労働価値の妥当性に関わる話だろう。つまり、価値の「実体」は労働か鉄か、
という論争の論脈で主張するのであれば、歴史的起源論に走っているとはいえ、まあ筋
違いな議論ではないと言えるかも知れない。しかし、労働力という生産要素が唯一、剰
余価値生成機能を有すると言明できるのか否か、という論点に対しては何の論証機能を
有さないよ。
245 :
229:2006/08/25(金) 17:23:13 ID:Wmqdvhpq
>>小鉄ハン
>また繰り返しになりますが鉄を「貸与する」「所有者」と労働力の所有者との
「所有」の歴史的出現過程(私が商品化する場合の過程が重要だろうといった相違)が全く異な
る以上(所有権の確立の近代性、物権と債権の分離のことです。労働力が商品化し、土地の商
品化ができて初めて確立される封建的領有権との相違です)、やはり説明としては完全ではあ
りません。
これらの点について、「人間中心主義の立場」の「イデオロギー」と申されるならば、私の立場
からは、鉄と労働力とを同等に並べること自身の方が近代的所有観が齎した「イデオロギー」で
はないか、ということになります。
これは全く無意味な反論だね。俺が出した議論は、
「人間中心主義」→「利潤の起源=労働力」
という論理的結論は導けないよ、という話であり、そのために新古典派風の利潤が生産手段所有者
に帰属する説明方法を反例として提示したに過ぎない。この議論の流れの下では、「所有」の歴史
的出現過程云々の話はまったく関係ないよ。キミ、○系の一通りの知識はあるみたいだけど、それ
を全く理論的に使いこなせていないじゃないか!「人間中心主義」→「利潤の起源=労働力」という命
題は論理的に導けないよ、そうである以上、その命題はイデオロギーでしかないよ、というのが俺
の指摘。それに対して、
>鉄と労働力とを同等に並べること自身の方が近代的所有観が齎した「イデオロギー」で
はないか(小鉄ハン)
って、キミ、子供のけんかじゃないんだぜ!いや、だんだん、バカらしくなってきたよ。
人間中心主義の立場から置塩定理を擁護する議論は、松尾匡氏などもされているから、も
う少し勉強したらいかがですか?松尾氏の議論が妥当か否かはまた、別問題だけど、彼な
らばもう少し理論的に緻密な議論をしている筈。
246 :
Jimmy:2006/08/25(金) 17:36:49 ID:LtgMWU6H
小鉄ハン
告白するが私もあなたと殆ど同じ立場に以前は(うんと以前、2ちゃん以前)
をとっていた。現在の境地にどうして至ったか今振り返ってみている。
ただし、あなたが「変わった」というのは何か誤解があるのかもしれない。
まあ後ほど
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 17:52:52 ID:+smOYIZt
うーん、どこまで理解できたかは別としてなんか勉強になったおー
○は本当に難しいー
>生産手段の結合比は技術的客観性によって決定された
ところで、技術的客観性に、使用価値が含まれるのでつか、それとも交換価値が含まれる
のでつか?どなたかご教授くださいぃー
248 :
229:2006/08/25(金) 18:30:23 ID:Wmqdvhpq
訂正:
×「利潤の起源=労働力」
○「利潤の源泉=労働力」
以上で、俺はまたロムに戻ります。
小鉄ハン、まだ色々と言いたいだろうと思うが、まずは反論する前に、自分の発言を
よく整理してみてくれ。自分で無意識に論点をどんどんずらして、議論を延々と循環
させるという○系の悪い癖をキミも継承しているようだ。その癖を克服しない限り、
かつ○氏のような人とは生産的な議論ができないだろう。○系だから猛爆を受けるの
ではなく、上に描いたような論点ずらしに終始して、まともに論理的な話が出来ない
から猛爆を受けているのだ、という事をまずは反省すべきでしょうね。
かつ○さん、Jimmyさん、後はヨロシク!
>>240 >しかし私には、富とここで指しているのは、
>価値の条件たる(つまり価値には一歩届かない)使用価
>値のことを言っているようにも読めるのです。
ツーか、その訳大丈夫?
大月書店、国民文庫だと、
「労働は全ての富の源泉ではない。自然もまた労働と同じ程度に
、使用価値の源泉である。」
ってもろに書いてあるよ。w
250 :
初学者:2006/08/25(金) 19:44:21 ID:LJwVsM3d
マルクス経済学は、搾取を廃絶せよと叫ぶ。
しかし、減耗する生産要素が労働以外にも存在する以上、そのようなことはありえない。
実際、ソ連の社会主義だろうと、ユーゴの自主管理型社会主義だろうと、
企業の付加価値の全額が労働者に払われたわけではない。
社会主義的企業だって資本は減耗するし、内部留保もしなければならぬ。
それらは付加価値から当てるよりほかはあるまい。
資本を「社会的に保有」(実態はよくわからないが)することによって、言葉の上で糊塗しているだけである。
これは、何かに似ていないだろうか。
そう、イスラム経済である。
イスラム経済では、その教義により、利子が禁止されている。
しかし、実際の経済は、言葉の上のごまかしによって経済学的に利子と同値のものによって運営されている。
イスラム教を信じないものにとっては、このようなことはナンセンスでしかない。
なぜなら、利子は、時間とリスクに対する評価があるかぎり、必然的に発生するものだからである。
ひとつの生産要素に、全ての生産物を割り当てることができないという当たり前のことを道徳悪であると口走るマルクス主義者は、
利子を禁止するイスラム教徒とおなじく、ただの迷信にとらわれているに過ぎない。
マルクス経済学は、せいぜいイスラム経済学くらいの価値しか持たないように思われる。
>小鉄さん。
繰り返しになりますが、まず主体性とはなんでしょうか?
人が自発的にものごとをやったり、考えたりすること、
としておきますか。
しかし、資本主義発生後は自分の生産手段が崩壊した。
資本家にどれだけ搾取されても文句も言えない状態になった。
これがまず第一点の主体性の放棄です。
そして協業で誰ともわかりもしない人と仕事をする。
人の中だから自分のやりたいようにできない。
これがまず第二点の主体性の放棄です。
また職人的な全体的な生産を行うことがなく分業が
部品製作に極端に分かれた。自分で全体を作るので
あれば主体性を発揮できるかもしれないが、
そのような部品製作は主体性の発揮することはできません
それが第三点の主体性の放棄
とつまるところ資本主義的生産方式の下では、
むしろ主体性を放棄するかわりに生産力をあげ
るシステムであり、小鉄さんの言うところの
労働力は主体的だから他の要素とは違うんだ
というのは誤りです。
むしろそういう主体的要素の回復を目指したのが
マルキシズムだったと思うわけですが、
皮肉にもより主体性の発揮できない社会を作ってしまった。
ということです。
それで私がいつも言う、共産主義とはなんぞや、とか
作家になりたいとかは、あまりにもつまらないこの仕事
をどうにか心地よくできないものかということなのです。
>>251 僕はイスラム教徒ですよ。死んだらハーレムで酒は飲み放題だか
らです。それに断食というのは飢える信者のことを忘れないため
とかに感動するからです。マルクスごときとは年期が違いますよ。
で、結局新古典派と○ではどっちが優れているの?
>>228 今日は新刊本を夢中で、こっちは今覗いたところ。
頼もしい新人がいるようで、議論盛り上がってるな。
もう安心。俺があれこれ言う必要もなくなったなw.
人格攻撃だ、不快だなんてわめいてるなw.
好きなだけ言えばいいさw.
そんなことしても、アンタの議論の正当性が保証されるわけではないよ。
小鉄ハン、アンタの議論は残念ながらメルトダウン(自己崩壊)してるよ。
歴史的視点が重要だ、実証だといってもアンタ自身それに全然忠実じゃない。
>>248もいいこといってる。
耳が痛いだろうがね。
よく考えるんだな。
255 :
Jimmy:2006/08/26(土) 01:23:07 ID:yPv9iInA
フフフッ
ワータスがぁぁ、○経と違う地点、例えば論理実証主義??まぁいい、から
労働価値説を批判していると思う?
実ワァそうではなくってぇ、宇野理論のもっとも厳格な帰結を突き詰めたから
そうなんたんです。その非妥協的にして先鋭な理論家がぁ我が師竹内靖雄なんデツ。
小鉄ハンの不徹底なのは流通形態論の視角から生産とは何なのか?そこが
突き詰められていないこと。流通形態論から人間労働は絶対出てこない。
悲劇的ですな、実に。ワタスはそれを生き抜いた。orz
256 :
Jimmy:2006/08/26(土) 04:15:30 ID:yPv9iInA
流通形態は商品世界の一部に労働力商品を、単に安く買って高く売る流通運動
に取り込む一商品として発見するだけ。
労働力があらゆる商品の使用価値を生産する特殊な商品?
全くのフィクションでしょう。使用価値的制約を突破できるわけがない。
価値対象性が共同主観的に形成される?
単に商品流通があるだけでしょう。商品を貨幣が購買するその過程があって
初めて商品の価格が現実になる。労働力の流動的配分はどんな社会に
あっても存在しなければならない「経済原則」です。特殊歴史的規定性では
「決して」ない。
小鉄ハン
残念ながらあなたの主張する「価値対象性」の「特殊歴史的」「共同主観性」
という構図は全くの誤りなのです。
257 :
Jimmy:2006/08/26(土) 11:27:01 ID:yPv9iInA
小鉄ハン
窮乏化法則を一特殊例として含む資本主義的人口法則の具体的展開は、
労働人口増加率と、資本の生産力、固定資本の償却速度などの組み合わせによって
様々なものになる。
がしかし『資本論』のそれは一番あり得そうにないケースを資本主義的蓄積傾向
の「絶対的法則」として固定化しているところに一番の問題がある。
資本の利潤追求運動と相容れない、利潤率が傾向的に低落していくような資本構成の高度化
が、固定資本の制約を無視して絶えず進行しかつその一方で、労働者の資本主義的
生産過程からの排出も間断なくすす済むことから窮乏化を同時に説く、という形に
なっているからだ。
宇野原理論は固定資本の制約を景気循環論に取り入れて、利潤率の改善を意味する
資本構成の高度化を労働人口の吸収反発と連関させつつ説いたところに一つの意義を
見いだすことが出来る。ただしこの過程は宇野が繰り返し強調したような
自由主義段階の純化傾向としては実証できず、現実には労働力供給の逼迫と
労賃騰貴は起こらず食料・原料などの一次産品の好況末期における急騰が見られた。
(労賃騰貴はむしろ大不況以降の景気循環での現象)
また以前にも指摘したが恐慌→不況期に個別資本的蓄積の範囲内で、廃棄更新
出来るような償却期間と規模であるような、固定資本の特定のタイプが
画一的に想定されているが、自由主義段階のそれを直ちに「原理」として捉える
ことになっていないか。償却期間が極めて短く労働力あるいは本源的生産手段
の供給制約が現れる以前に、生産力の高度化が可能であれば、資本蓄積は
景気循環を全く経過することなく無限に進行する。
このような生産力の質はこれまでの資本主義の歴史において実現してはいないが、
その可能性を「原理的に」否定することもまた出来ない。
要は宇野原理論の景気循環論が絶対的な「法則」でもなんでもない、そのこと
が認識出来れば、それでよいのだが、窮乏化法則含めて何か特定のパターンを
「絶対化」することだけは避けるべきだろう。
ロボット資本主義はより高度な価値増殖運動を求める資本の性質と離反するような
想定では決してなくそこが「窮乏化論」との決定的違いなのだ。完全に余剰人口と化した
労働者群の生存が「社会問題」だというなら、資本家への所得税賦課によって
労働者にそれこそクーポンを配布して還付すればよいだろう。もちろんこのコスト負担に
耐えられないようであれば、ロボット資本主義は生産力的に未だ十分でない
ということだけだろう。
>jimmyさん
宇野に興味を持つものですが、どのような本を読めば全体像
がつかめるでしょうか? 教えていただければ幸いです。
259 :
Jimmy:2006/08/26(土) 12:21:04 ID:yPv9iInA
>>258 ウーン今や新刊書として書店で入手できる本は意外にないですねぇ。
大きな図書館へ行くことを前提にすれば
宇野弘蔵自身の著作では
経済原論
経済学方法論
経済政策論
恐慌論
の4冊で『宇野弘蔵著作集』があればすべて所収されています。
あと基本的な著作としては
鈴木鴻一郎編『経済学原理論』
” 『帝国主義研究』
” 「恐慌史研究』
『宇野弘蔵をどう捉えるか』
山口重克 『経済原論講義』
伊藤誠 『信用と恐慌』
” 『価値と資本の理論』
侘美光彦 『世界大恐慌』
吉富勝 『アメリカの大恐慌』
大内力 『国家独占資本主義』
原理論の最近の研究動向を知りたければ
小幡道昭 『価値論の展開』
さらに実証含めた全体として
SGCIME(御茶の水書房)シリーズ
まずは宇野自身の4冊から始めてはいかがでしょう。
260 :
小鉄ハン:2006/08/26(土) 14:50:33 ID:KoRIIP+u
>>257 ジミーさん。
>要は宇野原理論の景気循環論が絶対的な「法則」でもなんでもない、そのこと
>が認識出来れば、それでよいのだが、窮乏化法則含めて何か特定のパターンを
>「絶対化」することだけは避けるべきだろう。
宇野の恐慌論(景気循環論)が、もちろん一つのパターンに過ぎないという点
には賛成です。要はそのパターンのどこがどう変質してきたか(ないし変質して
いくか)を、現状分析に即して展開することでしょう。恐慌論自体は、分析のた
めの参照基準に過ぎません。
「ロボット資本主義」についてですが、
>>242で一応ああ断言した以上、ここ
でまた愚考を開陳することは避けておきますw。やはりこの点でも最後まで平行
線でしたが、一応自分の意見を言ったし、また
>>242以降でもいろいろご意見(批
判)を賜っているようですが、そこまで含めて、結局私は、論争過程で自分の見
解を変える必要を感じるような批判に出会いませんでした(それはお前の限界だ、
という批判もあるでしょうがw)。ただ議論に付き合ってくれたジミーさんをはじ
めとする方々には、自分の考えを言葉にすることで、頭を整理する機会を与えて
くれた点は、感謝しています。
これからは、盛り立て役はくろしろー氏などに任せて、暫らくはもう少し無責
任に、ロムしたり面白い時に口を突っ込むくらいにします。ガチンコは疲れます
からね。あと、ジミーさん、
>>242での質問の回答、待ってますから忘れないで
くださいよ。正直、他の疑問は私には最初からどうでもよかったんです。
あと、○レスが動いてないんですけどw。ロムしてる側としては寂しいです。
261 :
Jimmy:2006/08/26(土) 15:31:38 ID:FTSISIYe
小鉄ハン
ご自分の見解を変える必要を迫るような批判はなかったとのことですが、
恐らくそれは、拡張置塩定理自体は認めているが、労働生産過程での労働の主体的な位置付けを
認識すれば「自ずと」価値形成の唯一の要因が労働であるという「認識」が成立するのだという立場を採っているからだと
思います。しかし少なくとも私は「主体性」を認識しているが、「唯一説」を支持してはいない。
これだけで小鉄ハンの見解は、反証されてはいないか。「共同主観説」に至っては尚更です。そんな「見解の一致」が全く成立していないのですから。
あのさ、議論は平行線をたどってるとかいってるけどさ、
置き塩の定理についての評価はカツマルやジミーのいってることが一方的に正しく、
主義者はなんら有効な反論ができないものだから、本質的にそれと関係ない議論を持ち出して煙に巻こうとするものの、
カツマル、ジミーその他に読まれて、その誠意のなさを攻撃されてるって構図だろ。
あるいは主義者の言いたいことは、沖塩の定理を突きつけられても、自分の信仰はごうも揺るぎませんと、ここで信仰告白したいだけじゃないのか?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 16:40:45 ID:M6WFrlye
>>262 その通りだな。あれだけ根本的に批判されていながら、見解を変える必要がない
何て、自分の馬鹿さ加減を丸出しにするだけだって事くらい気付けよ、って事。
はっきり言って、小鉄ハンみたいな誠意のない奴は○系にとってもいい迷惑よ。
>>259 ありがとうございます。宇野の本から読んでみたいと思います。
>>264 4冊の中ではやはり原論だろう。
ただ文体が古く、読むのは根気がいるぜ。
それと恐ろしく理論的だからな。
言葉だけを使ってモデル分析してるような箇所もある。
感動したぜ。
一度読んだぐらいでは理解は難しいかもね。
何度もトライするしかないな。
俺は学部4年のときに読んだな。
267 :
Jimmy:2006/08/26(土) 20:55:10 ID:yPv9iInA
>>266 宇野弘蔵という人は非常に複雑な知性の持ち主で「原論」も、ある時は
極めて分析的というかモデル論的でありながら、別のところでは「弁証法的」
であったったり「物神性論」に固執したりというところにそれが現れている。
それゆえの難解さというのもあるのだろう。
私自身で言えば未だに「利子生み資本」の展開ストーリーは咀嚼しきれないでいる。
(トンデモ理論だからなのだが)
>>267 弁証法的な部分は、諦めたなw。
結局よくわからずじまいで終わったよw。
弁証法というのは論理学って言われるけど、形式論理とは明らかに別種のものだな。
「物事の見方」のような類の思考法だと思う。
「全ての現象には原因と結果がある」といった類のね。
「全ての事物・現象にはその内部にそれを打ち消す力がある。正と反ね。その二つが新しい段階(合)に昇華する」って感じか。
物事を弁証法的に捉えたら今まで見えなかったことが見える、っとことだな。
弁証法自体が良い・悪いなんて評価してもあまり生産的ではないな。
物事を見るための道具にすぎんから。
問題は使い方。弁証法をどれだけうまく使えるか、使い手の腕にかかっている気がする。
下手すると単なる言葉の遊びになってしまうんじゃないかな。
269 :
Jimmy:2006/08/26(土) 21:58:47 ID:yPv9iInA
>>268 弁証法的な部分というのは特に「価値形態論」だね。
商品の二要因を価値としての同質性とそれを制約する異質性としての使用価値
として捉えて、その対立によって価値形態を展開しその止揚の極点に貨幣形態の
生成を説くという論法。この同質性の要因について宇野は率直に貨幣による表現
すなわち価格形態であると価値形態の展開に先立って述べている。
さてこれを循環論証として退けたものか、それともそのようにしてのみ貨幣の生成は
説けないとするべきか・・・
270 :
Jimmy:2006/08/26(土) 22:11:48 ID:yPv9iInA
オッとちとスレ違いの話題に触れすぎたかな。
置塩定理については、もいっか。
労働力以外の本源的生産手段が存在する場合の取り扱いなどを巡る拡張ってのも
ありだが。それと結合生産物だな。
>>266>>267 経済学方法論以外はアマゾンで売ってました。
難しそうですがw、原論からよんで見たいと思います。
272 :
Jimmy:2006/08/27(日) 08:56:34 ID:BpqDIVIi
270さん
そうですか、尼にありましたか。原論はカナリ怪しげな理屈がいっぱい詰まっていますが、
資本主義の全体的な仕組みと運動をスケッチした名品でしょう。
273 :
Jimmy:2006/08/27(日) 08:58:23 ID:BpqDIVIi
270→271
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 12:59:01 ID:f3yI8N7M
素朴な質問なんですが、
小鉄ハンの本職は著述業かなんかでしょうが、(あるいは『前衛』とかにでてくる「経済研究者」かw)
アカデミズムの世界で、いまどき子鉄ハンのような議論を嬉しそうにする若手研究者って存在するんでしょうか?
275 :
小鉄ハン:2006/08/27(日) 14:05:31 ID:Krf/XVjR
274さん
煽りかもしれませんがw、内容に関係ないことなんで、お答えしておきましょう。
>小鉄ハンの本職は著述業かなんかでしょうが、(あるいは『前衛』とかにでてくる「経済研究者」かw)
『前衛』(共産党の機関紙)系じゃあありませんよw。
職業は、まあフツーの職業です。
>アカデミズムの世界で、いまどき子鉄ハンのような議論を嬉しそうにする若手研究者って存在するんでしょうか?
「若手」ということで何を指すのか分かりませんが、共産党系の人では
いまだに(そう、この『主義者』で『不誠実な』小鉄からみてもいまだにw)
「総計一致の二命題」を、マルクス的に擁護する人々もいます。
まあ知らない方には仕方ないとは思いますが、私は「一般化された商品搾取
定理」(何か一部の人が誤解してるように『置塩の定理』ではないんですよ。
問題が『置塩の定理』のレベルだったら全く問題ないわけ)を(消極的な形で
ですが)認めている、それに宇野弘蔵氏の体系を評価しその中で考えていると
いう点で、『前衛』系とは実は全く違うんですねえー。
マルクス経済学にもいろいろあって、もしよければこのレスをたどって(ほ
か○レスにもコテハン抜きで書いてますから)見てください。私の「信仰」と
やらが揺るがないのも、煽り目的の周りの蝿が、『前衛』・置塩氏と宇野氏と
の区別や置塩定理と「一般化された」定理の区別が付かないような人がイッパ
イだったから、というのが大きかったかもしれませんw。
276 :
小鉄ハン:2006/08/27(日) 14:06:58 ID:Krf/XVjR
レス→スレ
277 :
Jimmy:2006/08/27(日) 19:06:18 ID:IWkcQRdS
議論がここまで紛糾したのは。元をただせばマルクス経済学が労働価値説
を完全な形で証明するのに失敗しているからであって、小鉄ハンが流通形態論
とは全く異質な「労働哲学」を持ち込まずにいられなかったのもそこから来ている。
「原理論」は「一般定理」が提出される以前に書かれたものばかりで、
冒頭商品論での証明は破棄されて資本の生産過程にその舞台を移したとはいえ、
資本論以来の剰余価値論を無反省に繰り返していたにとどまる。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 19:06:57 ID:hBYfmpsR
>>274 じゃ、くろしろーは一体なんなんだー
異次元の人かW
>> 258
吉富勝って、官庁エコノミストのですか?
279 :
Jimmy:2006/08/27(日) 19:13:08 ID:IWkcQRdS
>>278 そう、その昔の経企庁経済研究所長。
玉野井門下で大恐慌の研究者。侘美光彦氏がもっとも影響受けた、宇野学派最高の
実証研究者。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 19:19:49 ID:hBYfmpsR
>>279 ○の本は、入門書ですら二度断念してますが、、、
そっちの本なら読めそうなので、トライしてみますでつ
そのうち、感想なぞご披露させていだだきますでつ
281 :
Jimmy:2006/08/27(日) 19:25:06 ID:IWkcQRdS
>>280 楽しみに待ってます。
『アメリカの大恐慌』も図書館でしか手にすることは出来ませんが。
古書で5-6,000円します。実証分析の古典的名著だな。
282 :
Jimmy:2006/08/27(日) 19:30:06 ID:IWkcQRdS
>>281 今調べたら、もっと高くなっていて、12,000円以上。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 00:57:43 ID:7YLAStTk
じゃ日本共産党系の人間は置き塩の定理をどう考えているの。
つか、おき塩自身が大月から本出してることから考えて、
共産党系の人間であることは確かだが。
大月や鴨川は基本的に共産党の見解に忠実な本しか出さないはず。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 01:08:22 ID:7YLAStTk
>>278 くろしろーはアカデミズムの人なの?
いや、マジで、労働だけが唯一の価値形成的生産要素だなどと主張する
(つか、価値形成的でない生産要素とはなんなのか?)アカデミックな
40歳以下の若手研究者が存在するとは、実際信じられないんだが。
いかにマルに同情的な研究者であっても、こんなたわごとが通るとはよもや思わないだろう。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 01:42:22 ID:yBRAdKSU
>>282 >12,000円以上。
はーっ、、
図書館に行くしかないでつ
ちなみに、先日までの論争を調べてみて、分かったこと
もしかして、不正論と転倒論の違い、ですかね?
不正論→賃金労働の搾取に絞り、価値論は価値実態としての労働を重視する。
歴史・哲学派の小鉄ハン?
傾倒論→人間の資本への従属を問題とし、人間と自然の関係も資本に媒介されて、存在しうる。
価値論は価値と使用価値の対立矛盾を動力とする価値形態に注目する。
なお、傾倒論は戦後の日本(宇野弘蔵氏?)において発掘され、理論的新解釈を施した。
理論派・モデル派のジミー氏・かつ○氏?
以上、古本屋にて本日入手した「資本と労働の経済理論」福留久大 著(九大出版会)のまえがきより、抜粋・要約してみますた。
286 :
小鉄ハン:2006/08/28(月) 01:44:56 ID:uCC2Orlg
>>279 ジミーさん。
ところで聞いておきたかった疑問、回答考えてくれましたか?
いま、過去のスレを見てたんですが、結局私が分らないのは、
今現在の(私のことを指して言っている)
>「原理論」は「一般定理」が提出される以前に書かれたものばかりで、
>冒頭商品論での証明は破棄されて資本の生産過程にその舞台を移したとはいえ、
>資本論以来の剰余価値論を無反省に繰り返していたにとどまる。
という立場と、かつての
>ただし私はこの定理について全面的に支持しているわけでは
>ありません。労働力商品について、システム外で再生産されしたがって再生産費用も
>内的には決定されない点を完全に見落としている。他の生産要素は技術的に一意な
>費用が決定される。
とか
>分析的マルクス主義派は、マルクス理論とは無縁な数理ネオ・リカーディアン
>で、分配論的視角に更に何か別の、しかし人間中心主義的な規範立てて資本主義の不正を
>明るみに出そうとしている。
といった立場との整合性なんでしょうね。因みに
>小鉄ハンが流通形態論
>とは全く異質な「労働哲学」を持ち込まずにいられなかったのもそこから来ている。
とのお言葉ですが(『流通形態』と生産が異質なのは当然だと
思うがその点は措いて)、私は原理論の中で話しているつもり
でいましたが、「流通形態論とは全く異質な『労働哲学』」を
外から「持ち込んだ」というのは(例えば置塩センセのお弟子
さんの松尾匡氏は初期○疎外論まで持ち込んでるが)、原理論
における資本の生産過程論がそもそも「労働哲学」だ、という
ことなんでしょうかね。
もうこの点そのものについて議論したいのではありませんが
(散々したしw)、アナ○については宇野体系を、そしてここ
でのオーソドックスな(?)資本の生産過程論と利潤論の二本
建てに対しては、「一般定理」の擁護を、というジミーさんの
立場の整合性について、ご自身ではどう考えているのでしょう
か。私が見るに、最近価値論については最早アナ○と言ってい
いんでは。それとジミーさんの宇野体系に対する評価は、矛盾
すると思います。
これは、
>>260で聞いていた疑問にも重なりますから、
>>246 で言っていた通り、回答待ってます。
それと、以前のスレ見てて思いましたが、最近くろしろー氏
は元気ないですねえ。前みたいにドンドン書き込んでくれない
ですか。○スレ、沈んでまっせ。
287 :
278:2006/08/28(月) 01:46:43 ID:yBRAdKSU
>>284 本当、くろしろーさんって何者なんですかねー
異次元かもしれないけど、ブログを見て感心しますた
すごい努力家だと思います
もしかして、アカデミズムを目指してるんでしょうか?
288 :
小鉄ハン:2006/08/28(月) 02:01:34 ID:uCC2Orlg
>>283>>284 党員ではないけれど、人脈的に近いところにはいたんでしょうね、置塩センセ。
共産党が置塩理論をどう考えているか、ですか?「置塩定理」については、公的
には何も言ってませんが、好意的なところに入るんでしょうね。とりわけ置塩センセ
の「定理」以外の○経理解についてはかなり「正統的」ですから、明らかにそうだと
思います。
宇野については猛批判しましたが(今も同じ)、共産党が置塩センセを名指しで批
判したことはないし、大月から本出してますしね(冷戦下でね。今は宇野経の先生の
本も出してますよw)。党員教程に出てくるほどは公認ではないにしても、好意的で
あるのは事実でしょ。
あ、それから、あなたの言う「置き塩の定理」と「一般化された」奴とを混同しな
いでね。あなたの言う「こんなたわごと」は、置塩先生も言ってたわけだから。
289 :
小鉄ハン:2006/08/28(月) 02:24:33 ID:uCC2Orlg
>>285 キューダイ(久大)センセの本もいいですが、僕なら最初は、降旗節雄センセの本を
オススメしますね。青木公平氏の先生で、分りやすいから独学に向いてると思いますよ。
でも降旗先生の本は、私よりも「護教」的なんでw、とりあえずその後も他の人も読ん
だらいいと思いますよ。ジミーさんがリスト作ってるようですね。
宇野原論は二冊あって、いま岩波全書に入ってる(?)のは新原論と呼ばれてるもの
ですが、原論だけなら日高普『経済原論』(有斐閣選書)が,一番分かりやすいと定評あ
る本です。宇野先生の本からイキナリ入るのは、辞めておきましょうww。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 02:32:32 ID:5K5RovDe
>284
小鉄ハンはおそらく40代かそれ以下のアカデミズムの人間よ
それも、おそらく最高学府出身だろう
こいつの関心は、宗教的忠誠心にしかなさそうだ。自分の理論的破綻は棚にあげて、
Jimmyに執拗に「穴丸に寝返ったんか?」みたいな質問繰り返している。信者的発想の
典型だな?だからたわごとをたごととおもわんのだろw
丸にはこんな奴、多いみたいだが名
291 :
Jimmy:2006/08/28(月) 02:33:52 ID:WSI6Tf0i
小鉄ハン
原理論に沿って今まで主張されていたとおっしゃるなら、
産業資本形式の必然性をまず説明してください。G-W-G'から、なぜ生産過程の包摂が必然になるのか。
更に労働に価値増殖の根拠を資本が求めざるを得ないことを。
292 :
Jimmy:2006/08/28(月) 02:52:08 ID:WSI6Tf0i
それから小鉄ハン
あなたが引用されている私のアナ○批判は、今でも変わらないし、
そこには労働価値説的インプリケーションは全く含まれていないでしょう。よく読んで頂きたい。
293 :
小鉄ハン:2006/08/28(月) 02:53:04 ID:uCC2Orlg
>産業資本形式の必然性をまず説明してください。G-W-G'から、なぜ生産過程の包摂が必然になるのか。
>更に労働に価値増殖の根拠を資本が求めざるを得ないことを。
通説的には、「必然性」は出てこず、そこに「断絶」を見出したのが、旧原論と新原論との違いではない
でしょうか。産業資本的形式では、本源的蓄積と労働力商品の大量出現という歴史性が背景に出てこざるを得
ないと、宇野氏も注に書いていたと思います(いま手元に本がありませんが)。
最近の議論では、山口氏などは、最早三形式論の考えを変えていますね。産業資本的形式(商品生産資本だっけかな)
は、流通論の最後に出てきません。マニュファクチャーのように、労働力が個別的・偶然的に手に入ることを想定している
のだと思います。
294 :
小鉄ハン:2006/08/28(月) 03:02:31 ID:uCC2Orlg
>>292 そうですか。
引用文中の、特に上のものなど、私の立場と同じように読めるもので。
分りました。文脈については、読み直してみます。
私が最初に引用しようとしたのは、松尾氏に対する批判だったのですが、
そこでは、マルクス体系を労働価値説のみに切り縮めている点で、アナ○と
替わらないと断じた文章ですが、価値論が虚構だとすると宇野体系は成り立つ
のでしょうか。価値論はとりあえず括弧に入れておいて、体系のみ借りてくる
ということでは批判は成り立たないと思うんですが。
295 :
Jimmy:2006/08/28(月) 06:54:08 ID:WMzfJFCz
>>293 諸説を並べるのではなくて、本源的蓄積によって大量に出現した
無職の労働者を労働力商品として生産過程に取り込むその事態が
どうして流通形態から出来してくるのか、そのことをお聞きしているのです。
>>294 引用文で「全面的に支持しているのではない」ということは「部分的」には
支持しているという意味で、それこそ労働が唯一の利潤源泉であるという
労働か稚拙をアナ○が批判しているその一点に限ってということです。
私とかつて○氏との最初のやり取りにそれは出てきます。
宇野体系というか○経の体系は全く虚構です。成り立っていません。
最初の価値形態論がいきなりクラッシュしています。そのことはすでに
「論理的に」指摘しました。それに対する小鉄ハンの反論は単に経験主義的に
行われているに過ぎません。
296 :
285:2006/08/28(月) 07:17:52 ID:yBRAdKSU
>>289 小鉄ハン
>降旗節雄センセの本をオススメしますね。青木公平氏の先生で、分りやすいから独学に向いてると思いますよ。
早速、お勧めありがとうございますぅ
降旗節雄センセをアマゾンを検索したら、センセは現在もご活躍されている貴重な○の方なのでつね
ジミー氏のお勧めテンプレとあわせて、降旗・日高センセのお名前もよく記憶しておきますでつ
まっ、まずは手元のキュウダイセンセとここのスレのやり取り・くろしろーさんの異次元?ぶろぐを参考にしながら、独学に専念いたすことにしますでつので、今後ともよろしくお願いいたしますでつ
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 08:23:53 ID:EekI85A6
>>488 >あ、それから、あなたの言う「置き塩の定理」と「一般化された」奴とを混同しな
>いでね。あなたの言う「こんなたわごと」は、置塩先生も言ってたわけだから。
それを峻別することは、そんなに大事なことなのかなあ。
おき塩の定理は生産要素として「資本と労働」を選んでるけれど、それこそヒルベルト流に
「ビ−ルとジョッキ」を選んでみたって成り立つ。
成り立つ以上、沖塩のそれは受け入れるが一般化したそれは受け入れないなどということはいえないはず。
率直に言って、沖塩がたわごとに終始したのは、まさに沖塩自身が信仰の域に入ってしまったことを証明しているだけで、
実際おき塩が森嶋から猛爆撃を受けても有効な反論はできなかったんだろう?
それはおき塩の限界でしかないんだよ。だから置き塩の弟子はみんな穴マルやポストケイジアン的立場に離れていったじゃない。
298 :
283:2006/08/28(月) 08:36:21 ID:EekI85A6
>>290 本人が否定してるんだから、それは違うでしょう。
最初本人が「これから書き物をしなくちゃいけない」とか、著述業かと思ったけど。
普通の職業というからにはおそらく、公務員かサラリーマンでマルクス趣味者だろう。
大卒だろうが、経済学部出身でもないかも知れぬ。
いやだって、コテツハンのような議論をしてる若手の研究者なんて、実際いないって。
コテツハンがあげる論点を論点であるとしてうれしそうに議論する学者は50,60以上の人間しかいない。
若手でこういうこと言ってるやつがいたら、教えてくれ。
299 :
Jimmy:2006/08/28(月) 08:51:50 ID:VC62kp+f
それからね、労働だけが利潤の源泉だとすると何故資本家の労働は
利潤を生まないのかという難問に答えなくてはならなくなる。
これへの答えはプロレタリアートだけが被搾取階級なのだという信仰
を振りかざすしかなくなる。
○経の価値論は形態論理としても実体論としても全く破綻しているのですから、
今やその廃墟に立ちつくすしか残された路はないのです。
ああ新古典派に行きたい?どうぞどうぞ止めやしませんが、そこにもある種の
分配に関する正義論の侵入なしとせずではないか。
300 :
Jimmy:2006/08/28(月) 09:00:33 ID:VC62kp+f
>>298 松尾匡氏。
労働者だけが自分の支出する労働時間で獲得できる消費財の
効用を認識する主体で、それ故より少ない労働時間で等効用を
獲得できるにもかかわらず実際の労働時間はより長くなっているなら、
その差だけ搾取されているのだという主張をされている。
これもまた一種の人間中心主義の表明だろう。
301 :
283:2006/08/28(月) 10:47:38 ID:bA1mJu2k
>>300 そう?
松尾匡って、典型的な穴マルに見えるけど?
で、「労働だけが唯一の価値形成生産要素」だなんていってないでしょ?
ジミー氏の上げてる文章だって、ようは
「労働だけが主体的生産要素だから、労働に限っては搾取という言葉を使おう」
といっているに過ぎないように思える。
もちろんおれにはこれに異論があるけど。
だいたいおき塩の定理の言ってることは、
搾取は邪悪な道徳悪によって発生するものではなく、労働以外の消耗する生産要素を使用するということから発生するにすぎないということだ。
ということは、もはや「搾取」という価値判断を含む概念そのものがおかしいし、
これを取り除くことを目的とする思想もおかしいのだ。
したがって、松尾の「搾取」概念擁護の議論も世迷いごとに過ぎない。
302 :
Jimmy:2006/08/28(月) 11:00:48 ID:VC62kp+f
>>301 あなたの言うとおりです。松尾氏の名をあげたのは「労働者の
搾取」だけを特権化する立場を依然として取っているからで、
もちろん「一般搾取定理」を氏は理解しているでしょう。
置塩氏自身は「労働だけが唯一の利潤源泉である」という立場で、
あなたの解釈は「一般搾取定理」でしょう。
マいずれにしても、松尾説も仰るとおり「トンデモ」であることに変わりない。
正統派てき「搾取」=「不正」説とアナ○理論の混ぜもの。
303 :
283:2006/08/28(月) 11:17:51 ID:bA1mJu2k
>置塩氏自身は「労働だけが唯一の利潤源泉である」という立場で、
おき塩は定理の発見者だが、ずいぶん妙なことを言う人だな。
あの定理の構造からすれば「資本も労働も、利潤源泉である」にきまってるじゃん。
おき塩は解釈のレベルで間違い。(これは価値観の問題ではない)
304 :
Jimmy:2006/08/28(月) 11:34:49 ID:VC62kp+f
>>303 だからその弟子筋(=松尾氏)も妙なことを、置塩の「精神」を受け継いで
主張しているわけ。
置塩自身はどうだったか?(推測)
1.資本(=物量ターム)と労働時間に関して同型であることに気付かなかった
→解釈のレベルで間違い
2.気付いていたが、労働を特権化していた→「価値観」の問題
さてどちらだったかは、私の知るところではないし、知ることに意義もない。
305 :
283:2006/08/28(月) 12:58:30 ID:MvCEm2le
おそらく、定理を最初に証明した段階では1だったんだろうが、
その後の批判で2になったんだろうな。
置き塩みたいに長年党員?みたいな立場にあった人間が、
資本をも利潤源泉足りうるなんて認めたら、党から背教者として除名ものだろう。
共産党員であったがために大学教授になれたような人間が、
党を除名されれば、いかに惨めな将来が待っているかは、自明なのである。
それは1970年ごろまでは実際に現実的な恐怖だろう。
それにくらべりゃ筆坂なんでめぐまれてるもんだw
もっとも、沖塩は党の力を借りなくても学者生命は維持できるだろうが。
306 :
283:2006/08/28(月) 13:23:03 ID:MvCEm2le
もっとも、松尾の研究は、しょうもないたわごとを取り除いて、
穴マル的な分析に限れば、見るべきものがないともいえないだろう。
つか、現代の若手経済研究者がマルクスやろうとしたら、松尾流にならなるを得ないぜ。
もっともコテツハンは気にいらないだろうがw
しかし、いまどきコテツハン的な議論に終始する若手(そんなのいるのか?)を採用したら、
学生は寄り付かないだろうし、学会からブーイングがくるんでねえの?
307 :
Jimmy:2006/08/28(月) 13:40:04 ID:VC62kp+f
>>306 レオンチェフ−フォン・ノイマンでいっちょ上がりとも。
テクニカルな面白さなら、吉原あたりだろうな。
技術選択を入れると、複数の価値体系が競合して云々という批判もしているな。
これも実はトンデモ説なのだが、見抜けた人はいないようだ。これが現今の
○の水準なんだろう。
なお学会(経済理論学会)からブーイングもあり得ない。アナ○派の一部を除いて
正統派は勿論宇野派も労働価値説の信者であること、老若問わず変わりないからだ。
283
お前自身はどうなの??
○で、かつ若手研究者なのか?
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:36:54 ID:yBRAdKSU
すいません
置塩氏がモデル分析に使った労働の定義とは一体なんなんですかー
近経では、経済成長や技術革新との関係で、労働の質や教育の重要性が必ず指摘されますしぃ、経営(学)ではナレッジ(知識)・ワーカーとか、ナレッジ・マネジメントなんてものに注目が集まっていますぅ
単純に労働と言ってしまうと、労働の背後にある能力や質、経験っていうものが、議論からすっぽり抜け落ちてしまうような気がするんですがぁー
それに、日本では、十数年まで職能給制度なんてものが主流でしたしぃぃ
日本が発展途上国ならともかく、産業構造の急激な変化やフロント・ランナー化を考えると、労働価値説を単純労働との関連で考えると見誤るような、、、
310 :
283:2006/08/28(月) 18:11:40 ID:yS0CcyuO
>>308 おれは研究者じゃないよ。まったくの他学部出身者w
まあ、研究者ならかつ○氏や229みたいにもっともガッツりした文章を書くんじゃないの?
おれは正直まくる巣主義者の転形論だかなんだか、そういうのにもぜんぜん通じていないw
以前大槻の薄い本で、沖塩の経済学入門みたいな本を読んで、
○系にしては珍しく数学使ってる学者もいたんだなあ程度の知識しかないヨンw
ただ、その本に出ていた、基本定理の証明読んで、こんなもん自明やんと思った記憶があるw
>>309 おき塩は、労働は基本的に時間で計られるもので、質とかそういうものは考えてないよ。
質を考えてしまうと、労働市場での評価を考慮に入れなければならず、
結局市場原理を前提としたモデルしか作れないことになる。
マルクスの再生産標式とか、それから出発した沖塩のモデルは、基本的に労働市場での評価を考えなくても作れるから、
それはそれでいいんじゃないの?
そもそも、労働の質をうんぬんするつもりなら労働価値説にこだわること自体ナンセンスだと思うが。
正直、沖塩は先にあげた薄い本でも投下労働量(おき塩的には労働価値と同一)についてああでもないこうでもないと論じてたけど、
多分こんなのにこだわらなくてもおき塩経済学のエッセンスは成り立つ。
つか、投下労働量にこだわると、結合生産の時の各生産品の投下労働量の定義が定まらないというか、
おかしくなってくると思う。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 18:29:42 ID:9dqBPZcU
>>283 研究者じゃないと言う割りには、若手研究者の傾向とか置き塩定理の解釈とか
やけに詳しいジャンw
研究者でもなくてどうやって、若手にはコテツハンタイプがいないと解るのさ?w
>>284>>278 僕はただの労働者ですよ。
一時期ひどい労働環境にあったので、左傾化しただけです。
あのブログもメンヘルで休んでたから、リハビリに書いて
ただけです。w
ちなみに
>いや、マジで、労働だけが唯一の価値形成的生産要素だなどと主張する
>(つか、価値形成的でない生産要素とはなんなのか?)アカデミックな
とはまったく正反対の考えです、そもそも産業資本だけでなく金融や
商人資本も、一種の産業資本だと思ってますし。
労働、対象物、機械、それらを位置づける社会や自然環境も価値を付加
すると思ってます。まあ要するに労働が資本の源泉などたわごとで、
左もこれじゃあ、労働者も救われないなあと思ってます。
>>285 あのブログは、マルクスの機械の生産力を重視して書いてるんだけど、
この前読んだら間違いでした。w まあ機械が生産力を上げたもっともの
原因だとは思いますけど。
314 :
283:2006/08/28(月) 19:01:36 ID:yS0CcyuO
>>311 いや、コテツハンが一生懸命歴史を持ち出しているが、
いまどき歴史解釈でマルクス的な解釈が当然妥当する考えてる人はいないし、
ましてそれを持ち出して、労働は唯一の価値源泉だなんて、とてもじゃないけどこれから将来のある研究者が
いうはずがないとおもうから。
若手学者がいうにはあまりにもイタすぎるよ。
こんなこといってるのは立命館あたりの老大家か、「前衛」「経済」にでてくる年老いた「経済研究者」くらいなもんだろう。
もちろんこんなのはタワゴトであり、何の説得力もない。
人間中心主義に基づく労働力非搾取の要請を、
規範経済学の公理=ある種の衡平性基準として採用するなら悪くない、
とは思うけどなあ。
で、通時的生産経済においてパレート効率性や誘因整合性などとの
両立可能性を考えてみる。
不可能性定理に至るかもしれんが、それはそれで「どの規範的要請を
あきらめねばならないか」について有用な視座を与えてくれるとは思う。
両立可能なら、それを実現するメカニズムを考えるのが次のステップ。
ただし、松尾氏は「青写真」に過ぎないと批判してますけどね。
確かに、これまでのメカニズムデザイン論には政治的実現性という観点が
欠落してるから、この批判はかなり正当。政治的実現性という制約をも
クリアするメカニズムを発見できるか、がカギでしょうか。
まあ、これはもろに小鉄ハンの大嫌いな穴○的思考なわけですけどw
でも、経済学は「説得の学」という側面を嫌が応にも持っているわけだ。
歴史的必然性という「来世」の話よりは、メカニズムの改良という「現世」
の話をした方が広範な支持を得やすいと思う。
そらあ、「来世」の話が大好きな層も一定数いますがw
>>283 ふつう専門外が、立命とか雑誌の経済とか知らないと思うがw。
それに置塩の薄い本って、数列レベルでしか書いてないぞ。
一般定理との同型性まで言うんなら、置塩が行列使って一般化してある本まで読まんと
分らんはずだがな
317 :
Jimmy:2006/08/28(月) 20:18:45 ID:WMzfJFCz
>>315 あんた言葉の遊びしているの?
労働非搾取=利潤ゼロでしょうが(源泉論とは無関係。一般定理の帰結)
それでパレート最適?まぁいいや。
資本蓄積のない資本主義だよね。
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 20:37:33 ID:29xiqBmK
>>371 横レスだけど、
>>315は公理として採用したら、不可能性しか導けないかもって言ってるじゃん。
それとも○系では、
>>315の公理を採用したメカニズムの可能性はすでにやられちゃってるのかな。
319 :
Jimmy:2006/08/28(月) 20:42:18 ID:WMzfJFCz
>>318 すぐ○かXXかとか言うが、ばかばかしい空論はやめなさいっていってるだけでしょ。
どうしてこうもイデオロギー的なのか。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 20:51:14 ID:29xiqBmK
>>319 なに切れてるのかよくわからんけど、メカニズムデザインって
axiomaticなアプローチするじゃん?
321 :
Jimmy:2006/08/28(月) 20:52:30 ID:WMzfJFCz
Jimmyジジイは、コテツハン憎しでますます狭量になってるんだよ。
ジジイって、どんどん世界が狭くなってくからw
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 20:58:53 ID:vUja7cM0
>>315 横レスだが,少なくとも静学モデルでは比例解が全部満たすと
確認できる。『分配的正義の理論』とか見てみ。
>>317 労働非搾取=利潤ゼロとは限らんよw
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 21:04:07 ID:29xiqBmK
>>321 いや、俺もaxiomaticなアプローチは嫌いなんだけどね、あれは相当
好き嫌い分かれると思うよ。ただ
>>315みたいなアプローチは存在するし、
少なくとも、ジミーが思ってるほどひどくはないと思うよ。公理の要請を
ちゃんとやるってところがミソなんだけど。公理として最初に要請されたら
価値判断しやすいだろ。
○系はそれがあいまいっぽいから拒絶しておくほうが安全なんだろうね。
>>322 小鉄は論外だったね。あれが研究者なのかと思ったらゾッとしたが、
どうも素人の政治かぶれのプロ市民系らしいので安心した。
あれじゃ、まともに議論できないよ。
325 :
Jimmy:2006/08/28(月) 21:33:24 ID:WMzfJFCz
>>323 >労働非搾取=利潤ゼロとは限らんよw
置塩モデルあるいは「一般搾取定理」モデルでそういえるんでしょうか?
教えていただきたい。
異なるモデルあるいは異なる「搾取」の定義されているのならそれを明示すべきでしょう。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 21:43:49 ID:vUja7cM0
>>325 それは貴方が置塩モデルあるいは「一般搾取定理」モデルをどう定義
しているかによるな。
三土修平『経済学史』とか,読んでみたらいかが?
328 :
Jimmy:2006/08/28(月) 21:52:15 ID:WMzfJFCz
>>328 いくつも定義があるんでしょうか?
>>325の私の質問に簡単に答えていただきたい。
あなたの依拠する置塩モデルとはなんなのか。
で、結局、○と新古典派ってどっちが優れているの?
ツーか俺はよくわからないけど小鉄ハンは労働に主体性を持つ
とか逝ってるのが間違いなんですよ。機械や組織に振り回され
て主体性なんかできっこない。だから労働は苦しいわけで、
その主体性をどう取り戻すのかが問題ですよ。
>>328 熱くなんなよ、ジジイ、じゃなかったジミー。
332 :
Jimmy:2006/08/28(月) 22:09:02 ID:WMzfJFCz
あらら自分のカキコにアンカー付けてるわ。orz
333 :
315:2006/08/28(月) 22:18:56 ID:E0MLKwua
>>317 必ずしも競争市場を前提にしていませんので、置塩定理を前提としません。
まずは、競争市場を含むがそれとは限らない、あらゆる資源配分ルールの
集合を考えるんです。
例えばcomplete autarchy(各人が完全自給自足)は労働非搾取の要請を
満たしますが、明らかにパレート効率的ではありませんね。
競争市場解(置塩のそれはアローデブリュー的なそれとは異なるが)が
一定の技術のもとで労働力非搾取の要請を満たさないことは、
置塩の定理により従う。
でも両者を満たす解が存在するかもしれない(し、存在しないかもしれない)
334 :
315:2006/08/28(月) 22:28:39 ID:E0MLKwua
>>223 >横レスだが,少なくとも静学モデルでは比例解が全部満たすと
>確認できる。『分配的正義の理論』とか見てみ。
Thanks. 今度読んでみます
335 :
Jimmy:2006/08/28(月) 22:40:22 ID:WMzfJFCz
>>333 ああなるほど貴方は、別のモデルの可能性を探りたいと言うことですね。
確かに存在するかもしれないし、しないかもしれませんね。
こうした方向の探求の意味がどこにあるのか私には、量りかねますが、
一概に否定されるべきものでもないでしょう。
失礼しました。
お、スレの流れが大分変わったな。随分よくなったじゃないかw.
>>333 要するに、あれだな、望ましい理想の資源配分メカニズムは存在するか?
するとしたらどんなメカニズムなのか?
っていうアプローチだな。
まず一つの経済モデルを立てる。
その経済での資源配分ルールを考える。
これはいろんなルールがあるだろうな。
>まずは、競争市場を含むがそれとは限らない、あらゆる資源配分ルールの
集合を考えるんです。
そう、そういうルールを全て集めるんだ。
その中には競争市場で配分するルールとか、計画経済でやるルールとか、無数のルールがあるはずだ。
その中でどのルールが望ましいかを考える。
望ましさは公理によって表現するのだ。
例えば
公理NE(Non exploitation)
労働者に対する搾取は存在してはならない。
(搾取を明確定義する必要があるが)
公理PO(Pareto optimality)
パレート最適を達成しなくてはならない
公理KH(Kuroshiro Happiness)
くろしろーがハッピーになるべきだ
さて、ではこれら全てを満たすルールはあるのか?
定理
以上三つの公理を満足する資源配分ルールは存在しない。
あるとすればそれは異次元にある。
こんな感じだよw.
337 :
283:2006/08/28(月) 22:43:49 ID:v5ei6qBd
置き塩の定理って、競争社会を前提にしてるの?
つか、社会主義社会で、資本と労働を使う場合でも、
おき塩モデルはそのまんま使えるよ?
338 :
315:2006/08/28(月) 22:55:28 ID:E0MLKwua
>>337 たしかに、私的所有による競争市場経済を前提とせずとも、
パレート効率性を課す限り、それはなんらかの利潤最大化を通すことに
なるから(支持価格定理の議論により)、一般的に搾取は避けられないでしょう。
でも例えば、``全員が全員を等しく搾取しあうのはまあOK''という具合に
要請を緩和すれば、まだ可能性はあると思います。
:+A7PXRKz
*日本の政党について
■ハイこんにちは。暑いねえ。w
今日は政党について話しますか。
■まずですね。いれたい政党って
ありますか? 僕はありません。投票の
ときはいっつも「オナニーには愛想がつ
きる」
とか書いて投票しています
続きはここです。
http://d.hatena.ne.jp/kurosiro1/
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 00:58:13 ID:ep7AUWFm
異次元経済学のくろしろーさんは、有限な閉じた経済空間を扱わんほうがいいおー
スラッファなぞどう?
とういうわけで、みんな消えたので、あげておきしおー
341 :
くろしろー:2006/08/30(水) 08:35:33 ID:KBpbYm6P
異次元と無限とはちがうのだ。まだまだだなフッフッフ
http://d.hatena.ne.jp/kurosiro1/ ■恋と革命
■今日はこれで行きますか。
そもそも恋は生殖前の興奮状態なのでしょうが、
さまざまな動物に比べて一年中興奮しっぱなし
なのは人間ぐらいだといいます。
だから人はこんなに増えたんですね。
■さて恋は経済と並ぶ人類再生産の要です。
しかし、恋じゃなくても都合で結婚するのが、
大正より前にあったのですね。それを動機付ける
富国強兵、つまりは近代の輝きがあったからそう
できたのでしょう。
■それが今日では恋のシステムを基盤をするよ
うになった。しかし時代は不透明です。
343 :
なんだろね:2006/08/31(木) 16:25:17 ID:QebhmcS3
お久しぶりでございます。基本定理については以下のような説明で充分だと思います。
あの社長の馬鹿息子が乗ってるBMW、誰のおかげであの馬鹿が乗り回すことができると
思う。そうだ。俺たちの汗水のおかげだ。俺たちの汗水は奴らにかっぱられているんだ。
あんたも、マルクスってオッサンがそういうのを「搾取」と呼んだのは知ってるだろう。
それを日本の置塩さんっていう偉い先生が難しい数学を使って証明したんだ。この証明は
マルクス嫌いの先生方もこの証明の正しさには脱帽しているそうだ。
まあ、アジには科学的に正しいかどうかは関係ないわけで、人を動かす力があれば、それ
でいいんじゃないですか。「基本定理」もまあ役に立つことはあるようで・・・。
といっても、いまどきの若い労働者がこんな話で立ち上がるとは思わないですけどね。
344 :
松尾匡降臨:2006/08/31(木) 18:10:35 ID:eRmyRGSh
>>338 うーん
置き塩の定理は単純な産業連関表しか仮定してないから、
競争市場も、パレート最適も、全部関係なく成り立つと思うけどね。
>>343 だから、なんでそんな解釈になるんだよ。おれたちの汗水が「かっぱらわれる」ってなんだよ?
置き塩の定理が証明しているのは、労働の寄与する生産物の一部が、労働者に回らないのは、
資本の消耗と補填に当てられているから、ってことだろうが?
で、そのことは本質的に、資本の寄与する生産物の一部が、労働に当てられていることとまったく変わらない。
なんだろうの解釈は、明白に間違いまちがい。
346 :
Jimmy:2006/08/31(木) 20:22:32 ID:gtjbMFtD
>>344 労働力再生産費用を控除した「純生産可能性」を考えろってことですか?
済みません数式追っかける気力がないので。
347 :
283:2006/08/31(木) 21:01:39 ID:xJUsWrDG
>>344 URLを直接入れても、つながらないので、改めて探して追記を見つけた。
ようするにたとえば、
(石油、バナナ、労働)を生産要素とする経済で、経済が存続する条件は
石油が寄与した生産物>石油産出に必要な生産物
だけでなく、別個労働の搾取が必要である、ということが言いたいようですが、
(石油、バナナ、労働)を生産要素とする経済で、経済が存続する条件は
石油が寄与した生産物>石油に当てられる生産物だけでなく、
別個
ばななが寄与した生産物>バナナに必要な生産物
も必要なので、労働を特別視する理由にはならんと思う。
348 :
小鉄ハン:2006/08/31(木) 21:20:02 ID:wVtP0+Sf
>>344 ホントに松尾さん?
前に来たということは、聞いたことがあるけど。
>>344であげたURL、繋がらないんでHPから入りました。
主張点のエッセンスは
労働の搾取に比べて、バナナの搾取は
>通常の純生産可能条件の一部である
というより、でしかない。
>この条件は労働の搾取よりも緩い。しかし何らかの社会的な分配条件には違いない。
補足として、石油採掘から利潤が出る例については
>一般的商品搾取定理は、よく「石油1リットル掘り出すのに直接間接に1リットル以上石油が必要ならば利潤が出ない」
>というふうに説明される。
>この説明自体は間違いではないのだが、この場合の「間接」には、労働を経由したものも含まれることに注意されたい。
>石油1リットル掘り出すのに直接間接に必要な石油が1リットルに満たないということが、
>技術的な条件として言われていること(1−van>0)ならば、
>利潤が正になるためには別途労働の搾取(1−tb>0)が必要なのである。
ということでしょうか。置塩センセに対する批判の連発に頭きたようですが、
実名で「降臨」しない方がよいかと。2ちゃんだからね、ここは。
349 :
315:2006/08/31(木) 22:13:23 ID:NQE1l47V
>>345 普段産業連関モデルで働いてないから外してるかもしれないけど、
それって生産が完全補完的ってことだから、
あらかじめ生産側の効率性(消費者側は置くとしても)は仮定している、
ってことでしょうか。
で、シャドープライスは不定(というか定める必要がない)という理解で
いいのかな?
技術の設定によって、効率性概念の一部がimplicitlyに仮定されてる、
というのが私の理解です
とすれば、競争市場ともパレート効率性とも関係無しに(上に述べた留保つきで)
置塩の定理は成り立つ、と。
350 :
283:2006/08/31(木) 22:43:14 ID:xJUsWrDG
>>349 たしかに、マルクスも沖塩も、生産財、消費財は与えられた一定の比でおのずから、
過不足なく、分配され再投下されるようになってるから、
そのように分配されること自体、生産の効率性を仮定してるといえなくないけどね。
でも、社会主義者もかつでは産業連関表を緻密に作ってコンピュータで解けば社会主義経済はおのずとうまくいくと思ってたから、
純理論的には、このような投入産出図式には、直接市場経済を仮定しなくてもいいんじゃないの。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 04:40:50 ID:3sSpTfBy
>>344 松尾ハン,こんなん公開していいんかいな?
「理論経済学の専門家」を看板にしてるんやったら,まずいんちゃうの?
松尾ハンがやってる事は,一般的商品搾取定理を定理として「強めてる」だけやん。
つまり,従来と同じ定理を今までよりもより「弱い」仮定で証明しているだけよ。
今まで,一般的商品搾取定理は純生産可能条件の仮定の下で,労働搾取と一般的商
品搾取の同値性を導いていたわけやろ。松尾ハンがやったのは純生産可能条件の仮定
をわずかだけ「弱めた」としても,労働搾取と一般的商品搾取の同値性が導ける,ちゅ
う事やん。つまり,通常,
仮定:純生産可能性(I−AのH-S条件)
結果:労働の搾取⇔正の利潤の存在⇔任意の商品の搾取
として証明されている定理を,
仮定:任意の商品nを除いた純生産可能条件(I−A_のH-S条件)
結果:労働の搾取⇔正の利潤の存在⇔商品nの搾取
でも証明できる事を示しているだけやん。これで「一般的商品搾取定
理によるマルクスの基本定理批判が成り立たない」ことを証明したな
んて言うたら,普通,理論家としてのセンスを疑われるんちゃう?
ホンマ,大丈夫かいな?
それから,マイナーな点やかもしれないけど,松尾ハンの書いている
純生産可能+労働の搾取 ⇔ 正の利潤の存在
という論理式は,厳密には正しくないわな。正しくは,
仮定:純生産可能,労働の搾取 ⇔ 正の利潤の存在
と書かないかん。松尾ハン自身は意識していないみたいやけど,
彼の説明自体がその事を証明しとるよ。大学院博士課程以上の理論家
やったら,注意深く読めば解るはずや。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:43:31 ID:D+UQ95a/
松尾匡さまー、○の神さまが現れますた!
文字いっぱいの○テキストを読むより、松尾さまーの行列表示入りの解説のほうが分かりやすい
置塩モデルていうか再生産表って、構造的にはレオンチェフのクローズ・モデルだぉー?
基本定理に関するところを読んだ○初心者の感想
その他のページも読んで、定理の意味をよく理解するつもり
でも、肝心の労働価値説の意味がさっぱり分からないんだよねー
353 :
Jimmy:2006/09/01(金) 23:19:02 ID:tolK2EGA
松尾ハン
所詮、投入産出分析の世界では生産手段も労働力も投入−産出の
量的関係に還元されているんですから、もうそこで差別はなくなっているんですよ。
かりに「一般定理」の「誤解」を訂正したところで、この基本構図が止揚されたのでも何でもな。
どうでしょう、「労働だけが搾取されている」が論証できたのでしょうか?
極めて疑問です。
それから労働者の効用関数から「搾取」が有意であるのは労働者だけであるとした、
以前の論旨はどうされたのか。あまりに恣意的な想定であることを悟られて
撤回したと・・・
http://d.hatena.ne.jp/kurosiro1/ ■松尾匡氏の一般化された商品搾取定理批判について
■置塩スレに松尾氏の一般化された商品搾取定理の
反論をリンクしていた。これについては私も疑問が
ある。確かに、数学的にその定理を証明するのはい
いことだろう。しかし、その前に気づけよというのが
私の感想だ。そもそも剰余労働が利潤の唯一の源泉
などというたわごとを盲信する人々が信じられない。
■もう2ちゃんねるで書いたが、ある印刷会社が、
機械60万+人件費20万+搾取20万=100万
(搾取率100%)という結果をえることにする。
ここで実は搾取はもう20万あったとする。
(搾取率200%)だったのである。
これが商人資本の利潤20万になる。
■これは決定的におかしい。産業資本家の目には、搾取
など眼中でなく。見るのはKという費用であり、そこから
利潤が40万出てくれれば、喜び勇んで、商品の値を
120万で売ることになるだろう。つまり商人の利潤
なんか知ったことではないのだ。商人は120円は
原価だから利潤率20%として24万を「乗っけなけ
ればいけない」企業が市場を経るたびに販売価格を原
価の上にしても誰も怒らない、それはその作業として
の社会的な役割賃である。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:03:35 ID:rg7Utynn
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:21:46 ID:DG51OSuk
労働価値説の意味もよく分かんないけど、搾取の意味も分かんないおー
「搾取」の定義とは、生産(交換)マイナス投下労働量(労働者の初期保有量)でつか?
それなら、搾取といっても、置塩のシステムに参加することで労働者の生活状態もパレート改善されてんじゃー??
搾取があるってことは、拡大再生産という勝手な前提をしての話ですがぁぁ
357 :
351:2006/09/02(土) 01:26:07 ID:uqwMXnCh
>>353 松尾ハンが理論経済学者である以上は,351のコメントで気づいていらっさる
はずでっしゃろが,「「一般定理」の「誤解」を訂正」してはおらのんダス。
松尾ハンが実際にやっとるのは,
定理1
仮定:商品nを除いた純生産可能条件(I−A_のH-S条件)
結果:労働の搾取⇔正の利潤の存在⇔商品nの搾取
の証明に他なりまヘン(その計算結果は彼を信用して間違いないものと想定してマス)。
それは
「利潤の存在のためのI−A+の行列式が正という条件
がdet[I−A_](1−van)(1−tb)>0に書き換えられる」
(det[I−A_]という記号は,[I−A_]の行列式という意味ダス)
の部分より明らかダス。(I−A_)のH-S条件という仮定からdet[I−A_]>0ダスから,
det[I−A_](1−van)(1−tb)>0であるためには,1−tb>0ならば1−van>0ダスし,
1−van>0ならば1−tb>0ダスから。これは(I−A_)のH-S条件という仮定の下で,
利潤が存在→「労働の搾取⇔商品nの搾取」
である事を意味するダス。この逆(←)も容易に示せるダス。
ところで,純生産可能性(I−AのH-S条件)ならば,(I−A_)のH-S条件は自動的に
満たされるダス。だから上の定理1が成り立つ以上,
定理2
仮定:純生産可能性(I−AのH-S条件)
結果:労働の搾取⇔正の利潤の存在⇔商品nの搾取
も自動的に成り立つダス。つまり,I−AのH-S条件を仮定しても,またそれを仮定せずより弱い
(I−A_)のH-S条件を仮定しても,労働は利潤の唯一の源泉にはなりまヘン,という結果になるだ
けダス。「労働だけが搾取されている」の反証がより強められただけダス。
松尾ハンはご自分が実際になさった事を十分に整理して理解する前に慌てて,「一般的商品搾取定
理によるマルクスの基本定理批判が成り立たないこと」の論証と勘違いされたのだと思うダス。松
尾ハンがまっとうな理論経済学者であるんなら,351の指摘でご自身の勘違いに気づくはずダスし,
ご自身の主張を撤回されるはずダス。逆に何の撤回もなさらん場合には,理論家としての能力を疑
われるハメになるダス。
358 :
283:2006/09/02(土) 02:02:00 ID:1+zrBLOG
おれも、松雄センセの論文熟読してみたが、
ようするにわれわれが日常使っている「純生産」の概念が、労働を特別視しているから、
松尾センセのように、他の生産要素も搾取されていると考えると、純生産の意味が違ってくるぞ、っていう結論になるんだと思う。
すなわち、通常の国民経済計算では
純生産=人件費+純利益 (他人資本はないものとする)
がなりたつが、ここで人件費は単純に労働者に支払われる全額が計上される(たとえば必要経費が差し引かれるわけではない)のに対し、
資本に対する利益はあくまで純利益すなわち粗利益ー資本減耗として計上されるので、
人件費と純利益は微妙に対照となっていない(すなわち純生産概念は、労働と、他の生産要素をまったく同様に扱っているわけではない)
という点から、松尾センセがいうような、バナナを労働のように扱うと純生産の意味が変わってくるぞ、見たいな理屈が生まれるんだと思う。
でもそれは、松尾さんが言うような搾取概念の正当化というより、
純生産じたいに労働を特別視する思想が入っているから、見かけ上そうなって見える過ぎないと思う。
たぶん数学的にみれば
総生産(=人件費+粗利益)のほうが筋が通った概念だろう。
359 :
351:2006/09/02(土) 04:12:38 ID:uqwMXnCh
>>358 松尾ハンの仰りたいことはワテも了解しとりますダス。こういうことダス。
マルクスの基本定理とは,
純生産可能(I−AのH-S条件)+労働の搾取⇔正の利潤の存在
であり,一般的商品搾取定理は,
「純生産」可能性(I−A*のH-S条件)+商品nの搾取⇔正の利潤の存在
である。正の利潤の存在を純生産可能(I−AのH-S条件)と労働の搾取の2条件に「分解」
することは意味があるが,「純生産」可能(I−A*のH-S条件)と商品nの搾取の2条件に
「分解」するのは意味が無い。なぜならば,「純生産」可能(I−A*のH-S条件)は自然な
条件とは言い難いからである。
以上が松尾ハンの商品搾取定理批判のロジックやナ。しかしこのロジックは,まず上に
書いたような定理の論理式が数学的に正しくあらヘン。正しい定理の論理式は,351でも
指摘したように,
マルクスの基本定理
仮定:純生産可能(I−AのH-S条件),
労働の搾取⇔正の利潤の存在
商品搾取定理
仮定:「純生産」可能性(I−A*のH-S条件)
商品nの搾取⇔正の利潤の存在
とまずは書かれなアカン。つまり,利潤の存在条件を純生産可能条件と労働搾取の条件
とに「分解」はできん。なぜそうなるかはエクソサイスや。
それから,上のような論理式に訂正した上で,依然として商品搾取定理の前提する仮定
(I−A*のH-S条件)はマルクスの基本定理の前提する仮定(I−AのH-S条件)と比べて,
経済学的に不自然や,だから商品搾取定理は経済学の定理として無意味や,という批判
を松尾ハンは主張できると思うとるかも知れん。しかしその種の批判が有効なのは,商
品搾取定理の前提する仮定とマルクスの基本定理の前提する仮定と同一の事がありえん,
ちゅう事を示せたときだけや。実際には,何度も繰り返すが,
仮定:純生産可能性(I−AのH-S条件)
労働の搾取⇔正の利潤の存在⇔商品nの搾取
という論理式が成立するんや。つまり,二つの定理の前提する仮定は同じになっとる。
同じ事は仮定を「純生産」可能性(I−A*のH-S条件)に置き換えても成り立つ。つまり,
仮定:「純生産」可能(I−A*のH-S条件)
労働の搾取⇔正の利潤の存在⇔商品nの搾取
も成立する。つまり,マルクスの基本定理も一般的商品搾取定理も,同じ仮定を前提
して成立している事態を示しているわけで,定理の前提条件の不自然さという見方で
の一般的商品搾取定理批判は成功していない事を意味しているわけヤ。
さあ,ここまで丁寧に説明したら,ワテの最初の松尾ハン批判の意味も解ってくる事
と思うダス。
360 :
283:2006/09/02(土) 10:36:55 ID:76Z/DkFs
>>359 おれは、数式は追っていない。松尾ハンの計算結果を正しいものとみなしてるw
で、なんて松雄さんの言うような、バナナ中心でみれば純生産の意味が奇妙なものとなる、
という主張が出てくるのかを考えてみた。
松尾さんの計算結果を見ると、労働中心だろうと、バナナ中心だろうと、全く同型の結果が出ており、数学的に異なるととはいえんことは確かである。
では奇妙な結果となるのか? それは結局純生産の定義から来るものだと思う。すなわち
純生産=人件費+他の生産要素の純増
である。ここで注目すべきは、人件費(=労働に当てられる生産物)とほかの生産要素の純増では、行列上の位置づけが異なることである。
本来、第2項の生産要素の純増ースに労働ベースで該当するのは、労働の純増である。
ところが労働の純増は純生産にカウントされず、かわりに人件費が全額カウントされる。
とすれば、かりにバナナ中心主義で純生産を計算するとどうなるか。
純生産=バナナ件費+他の生産要素の純増
である。このばあい、バナナに投下される生産物は全面的に純生産とみなされるいっぽう、
バナナの純増は純生産にふくまれず、かつ労働の純増は純生産にふくまれる。
よって、松尾ハンのいう「奇妙」さがでるというわけである。
ようは、純生産(よく考えてみると総生産もそうだ)概念に特定生産要素(ふつうは人間だ)中心思想があるではないかといいたいんだろう。
361 :
283:2006/09/02(土) 11:28:47 ID:FLi7E81f
通常の、マルクス沖塩のモデルでは労働の純増、純減はないとみなされる。
しかし労働の純減がありうる社会では
利潤がプラス、純生産が0以上でも(しかも成長率0以上としても)、
「搾取」がない場合はありうる。
だから(一般化した)おき塩定理の前提条件としては
純生産が+であることより
全ての生産要素の純増>=0、全ての生産物は複数の生産要素を必要とする、
のほうが、適切であろう。
数理自体よりも、利潤の源泉が労働だけとは信じられない。
使用価値を取り除いて抽象的労働が価値だとすると、抽象的
機械、抽象的対象物、抽象的社会、抽象的自然まで、ありう
ると思うのはいけないことだろうか?
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 20:17:22 ID:KwQRfEAe
神戸大学関係者の著作に必ず名前が出るよね
364 :
283:2006/09/02(土) 23:26:06 ID:S+pVKdz0
なんとなく松尾ハンの主張のからくりがわかってきたよ。
つまりこういうことだ。
ホーキンスサイモンの純生産の条件すなわち各生産要素の算出−投入>=0、
っていうのと、国民経済計算上の純生産とを、意識的にか無意識的にか、混同してるんだよ。
たしかに、普通のレオンチェフ表では労働を生産要素とはしないから、
レオンチェフ表でのホーキングサイモンスの条件と、国民経済計算上の純生産の存在は一致する。
だけどマルクス沖塩の産業連関表では、労働が生産要素として入っているから、両者は一致しないんだ。
その理由は
>>360に書いてあるとおりだ。
だからじっさい
生の利潤があり、純生産があるどころか成長経済であっても、労働が純減しているような経済では、
搾取がないことがありうる。
これはホーキンスサイモンの純生産条件を国民経済計算の純生産と混同して考えていると
一見置き塩の定理に対する反例のように見えるが、実はそうではない。
365 :
351:2006/09/03(日) 00:11:28 ID:jjpXvIwa
>>283 >ホーキンスサイモンの純生産の条件すなわち各生産要素の算出−投入>=0、
っていうのと、国民経済計算上の純生産とを、意識的にか無意識的にか、混同してるんだよ。
全然,混同ではないダスw。松尾ハンは純生産可能条件(H-S条件)と国民経済計算上の純生産と
の区別はしているダス。283ハンの言いたい事の「気持ち」はわかるダスが,経済学的には両者は
そもそも別の概念ダス。
>生の利潤があり、純生産があるどころか成長経済であっても、労働が純減しているような経済では、
搾取がないことがありうる。
「労働が純減」という意味は,283ハンの仰る事に即して経済学的に解釈すると,1−tb<0を意味する
ダス。つまり1単位労働供給のために必要な財の投下量の労働評価額が1より大きい事態ダス。これは
労働搾取が負であることを意味するダス。このときには利潤は正にならないダス。それは「マルクス
の基本定理」の証明の正しさから明らかダス。
だから283ハンの「定理」,
「生の利潤があり、純生産があるどころか成長経済であっても、労働が純減しているような経済では、
搾取がないことがありうる。」
は真ダス。なぜならば,この「定理」の前提条件である「生の利潤があり、純生産があるどころか成長経
済であっても、労働が純減しているような経済」は存在しないからダス。前提条件が偽である定理は全
て自動的に真になるダスw。だから283ハンの「定理」は,283ハンの仰るとおり,「一見置き塩の定理に
対する反例のように見えるが、実はそうではない」ダスw。だけど言うまでも無く,こんな「定理」は全く
無意味ダスw。松尾ハンの主張とも全く関係ない話ダス。
366 :
283:2006/09/03(日) 00:40:05 ID:PDHThSVO
>>365 労働が純減」という意味は,283ハンの仰る事に即して経済学的に解釈すると,1−tb<0を意味する
ダス。つまり1単位労働供給のために必要な財の投下量の労働評価額が1より大きい事態ダス。これは
労働搾取が負であることを意味するダス。このときには利潤は正にならないダス。
本当か?
おれが言う労働が純減とは、労働を生産要素の中に組み入れたとき、
ひとつの経済において、投下した労働量よりも、算出した労働量のほうが小さい社会をいってるんだけど。
つまり今のロシア(相変わらず人口は減っているが実質経済成長はプラス)見たいな経済を言う。
日本もまもなくそうなるw このときホーキンスサイモンの条件は満たさない。
そのような社会で果たして利潤は存在しないだろうか。
それはちょっとおかしいんじゃないの?
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 05:27:41 ID:5t1U4fnS
>>283 283ハンのおっしゃる「労働の増減」とは労働人口の増減の事ダスカ?それは
むしろ、「労働力の増減」と言うべきダス。労働力の増減はレオンチェフモデル
で内生的には決まらないダス。H−S条件とも全く関係ないダス。それから労働
力の増減は、マルクスの基本定理の成否には無関係な変数ダス。だから283ハンの
「定理」
>生の利潤があり、純生産があるどころか成長経済であっても、労働が純減しているような経済では、
搾取がないことがありうる。
は、「労働の純減」の意味が「労働力の純減」だったら、成立しまヘン。なぜなら、
この「定理」の言っていることはマルクスの基本定理と矛盾するからダス。
松尾ハンの「一般搾取理論」への批判は、その定理が(経済学の人間中心主義を前提
する限り)不自然な「純生産」条件を前提にしているからだ、ということダス。
それに対して283ハンの反論は、人間中心主義を当然視してるから不自然に見えるだけだ、
というロジックだす。つまり、別に人間中心主義を当然視する必要はないという含意があ
るダス。この場合、議論は人間中心主義か否かという価値観の問題になってしまうダス。
ワテ自身は、「人間中心主義」でいいじゃないか、思うダス。しかし、たとえ「人間中心主義」
を前提しても、あるいは前提しなくても、松尾ハンの批判は批判として成り立っていないダス、
って事をワテは、359で言うとるダス。ワテのこの批判では、「価値観の相違」という逃げ道は
ないダス。ワテの論証に誤りがない限り、その批判を受け入れざるを得ない、という性質のもの
ダス。だから「強い批判」なんダス。
368 :
351:2006/09/03(日) 06:03:27 ID:5t1U4fnS
367はワテだす。
あなた方の言うH−S条件とか、レオンチェフとか、
ホーキンスサイモンとかは何の本に載っているのですか?
暇ができたら勉強したいです。
370 :
283:2006/09/03(日) 09:59:44 ID:13l0QgOY
>>生の利潤があり、純生産があるどころか成長経済であっても、労働が純減しているような経済では、
>搾取がないことがありうる。
>は、「労働の純減」の意味が「労働力の純減」だったら、成立しまヘン。なぜなら、
>この「定理」の言っていることはマルクスの基本定理と矛盾するからダス
あのさあ、労働でも労働力でもいいけどさあw、おき塩の定理とHS条件を結び付けるには、レオンシェフモデルに直接「労働(力)」を生産要素として、
レオンチェフモデルに放り込むしかないぜ。現に松尾もそうやっている。
お舞らもそういう思考様式に従っているから、労働を他の生産要素と同様に扱うべきか否かって議論できるんだろ?
でさあ、労働を生産要素としてモデルに放り込んだとき、労働の純減があるってことは、たとえ国民経済計算上の純生産が可能でも、すでにホーキンスサイモンの条件を満たしてないってこと。
(ここわかるよね?)HSを満たしていないモデルなんだから、マルクス沖塩の定理など成立するわけがない。
だから、おれの結論がマルクスの定理を適用すると矛盾するからありえないというのは、ナンセンスもいいとろころだぜ。
351さんさ、脳内で、利潤率20%、産出労働力が半分になってしまうモデル考えてみなよ。
産出労働力には容易に、その労働力が投下した生産物以上を受け取ることがわかるはずだ。
371 :
351:2006/09/03(日) 13:51:46 ID:jjpXvIwa
>>370 >でさあ、労働を生産要素としてモデルに放り込んだとき、労働の純減があるってことは、たとえ国民経済計算上の純生産が可能でも、すでにホーキンスサイモンの条件を満たしてないってこと。
(ここわかるよね?)HSを満たしていないモデルなんだから、マルクス沖塩の定理など成立するわけがない。
283ハンの考えてらっしゃる事が,どうも正確に伝わっていないかもしれないダスが,
「労働力の増減」に関わる変数は,松尾ハンのWebページでのモデルでは総労働量Lだけダス。
松尾ハンの拡大レオンチェフモデルの行列I−A+にもI−A*にもこの変数Lは入ってないダス。
H-S条件は行列I−A+にせよ行列I−A*にせよ,その任意の首座小行列式が正になることダス。
つまり変数Lの増減とH-S条件の成立とは全く関係ないダス。これがワテの
>「労働力の純減」だったら、成立しまヘン。なぜなら、
この「定理」の言っていることはマルクスの基本定理と矛盾するからダス。
の主張の根拠ダス。この説明で納得いかないのであれば,283ハンの言う
「労働の純減」とは,モデル上の変数の何れに関する事なのか,明確に定義して
欲しいダス。
372 :
283:2006/09/03(日) 17:17:49 ID:b0HITHGj
>283ハンの考えてらっしゃる事が,どうも正確に伝わっていないかもしれないダスが,
>「労働力の増減」に関わる変数は,松尾ハンのWebページでのモデルでは総労働量Lだけダス。
そりゃ違うだろう?だって、追記の最初の部分でn+1行、n+1列目に明確に『労働力部門』をいれて
行列A+にたいするマルクスの定理を導いてるじゃん。
そして次にn+1行、n+1列目に一般商品(鉄でもバナナでもよい)をおき、n行n列に、労働力を置き換えても、
本質的に変わらないと論じている。
いずれにせよ、松尾は明らかに労動力を直接行列の中に一般生産要素と同様に落とし込んでいることがわかる。
よってHS条件は労働力要素の純増>=0として現れてくる。
労働力が純減したときに、HS条件は満たさず、マルクスの定理も成り立たない。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:36:46 ID:WKv2q5zy
374 :
283:2006/09/03(日) 18:01:44 ID:b0HITHGj
あと、松尾はんがいろいろ行列展開していろいろ論じてるけど、おれには意味不明だぜ。
351さんよ解説してくれ。
具体的にはA(n行n列)A-(n-1行n-1列)A※(n行n列)A+(n+1行n+1列)
見たいにたくさんの行列を定義して
AXとA*Xの(つづく)
377 :
283:2006/09/03(日) 18:17:19 ID:b0HITHGj
(承前)
第1行目を差し引いて、
anXn-bLn(添え字が表記できないが理解してくれ)な式を導いてるが、
このような計算はAとA*の各行列がおなじ生産要素じゃないと意味がないぜ。
(行列のかずがあってるだけではたりない)
で、A*のn行n列は労働力部門なのだから、Aのそれもおなじであり
A=A*なのである。よって
anXn-bLn=0となる(笑)・・・@
よく考えてみるとこれは当然のことであり、実際松尾はんは@左辺第1項はn部門への投入であり、第2項は労働者への生産物の取り分(賃金)であると認めている。
当然両者は同じものである。
そうすると以下のanXnは純生産に含まれるが、bLnは含まれない云々は理解不能であり、
実際のところ松尾ハンも労働を生産要素とした場合のHN条件と国民経済計算上の純生産とを混同してるんじゃないかと疑われる。
378 :
283:2006/09/03(日) 18:41:21 ID:b0HITHGj
松尾はんの論文読んでると
>>360はかな〜り好意的解釈だということがわかったよw
実際はもっと理解不能だったわw
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 02:41:24 ID:oek1/8Lc
産業連関分析入門(宮沢 健一)を眺めつつ、松尾匡さまーの主張を考えてみたおー
置き塩モデルはクローズドモデルだから、家計部門は中間投入の中に扱われて、行と列が一つずつ増えて計算が大変そうだったので止めにしたおー
で、入門(p204)注にあった逆行列の分割表示法を使って、スレ住民の主張どおり、バナナ投下価値も労働者と同じく対照的な形で示せると思ったおー(理論的には)
でも、バナナベースで部門取引を考えると、取引の一部に穴が空くから、特定部門においては活動停止するケースも出てくるおー
だから、バナナ投下価値で考えると、産業全体では労働投下価値よりも小さくなると思うおー(実証的・計数的には)
つまり、生産手段としてバナナは労働ほど汎用性がないということだおー
そういう意味では、土地投下価値とか、エネルギー投下価値のほうが例としていいかもでつー
ここは、どなたかエロい人にバナナを含む仮設IO表を作っていただき、労働ベースとバナナベースの実数比較をしていただきたいにょ
あー、○経における労働価値説の意味がさっぱり分からないのに、産業連関の動学モデルの項に気もそぞろ状態、、、
もう寝る
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 22:35:26 ID:oek1/8Lc
置き塩モデルでいうところの「搾取」とは、資本主義システムに参加することへのショバ代(税金?)みたいなもんだろーw
ここのスレに書き込むことに「搾取」はないがーw
381 :
Jimmy:2006/09/04(月) 23:15:42 ID:q1uV43KI
ハーゲンダッツ クッキー&クリームで一杯やってます。
さてとワタスご愛用の小麦経済で労働価値説と小麦価値説ヲバほろ酔い加減で
やらかします。
小麦100Kgを期初に播いて1年間の農業労働の結果200Kgの
収穫ありました、と。
この一年間の農業労働の再生産費は50Kgの小麦です。
さてマルクス流労働価値説によれば、きしょの100Kgの小麦は生産手段で
労働生産過程では不変の価値しか生産せず、一方労働力の方は新たな価値を生むとされているので
期末の200Kgのうち100Kgは期初の小麦価値がそのまま再現し、残りの100Kgは
1年間の生きた農業労働によって新たに生産された部分と解釈される。
このうち50Kgは労働力再生産費として控除されて、最後に残った50Kgが
剰余価値として資本家に取得されるというわけだ。
この期初にあった小麦100Kgと期末の収穫200Kgの差100Kgが
純正産物であるとするのが標準的なレオンチェフ経済だろう。
今度は小麦価値論の世界に移るとすると、
期初の労働力は小麦50Kgで評価されるが、あくまでも生産手段出会ってその価値を
増やしも減らしもしない。いっぽう期初の100Kgの小麦は自ら増殖する主体的
要素な訳だ。だからこの場合期初に投入される客観的生産手段は50Kg小麦の
体化している労働力のみで、期末の200Kgの収穫のうち150Kgが
純生産物であり、そのうちから100Kgが主体的生産要素である小麦の
再生産費で控除されて、残余の50Kgが剰余価値となる。
こうしてみると標準的レオンチェフ経済というのは依然として労働価値説
的世界に留まっているとも言えるのか。
つーか、俺が哲学板や共産党板にいたころの持論の焼き直しだろうが。
学問的に破綻しているのにそのカリスマは凄いがな。
そもそもハードな印刷営業やってたおれは、労働価値説? ハア、産業
労働の搾取で利潤が説明している。じゃあ契約取ってくる俺は何?
契約でこれだけの利益上げたんだけどなーと疑問に思ってた。
それもそのはずまずこういうからくりなわけだ。
まず使用価値を商品から捨象すると残りが価値、いわゆる
抽象人間労働なわけだ。しかしだよ。
これはいつも俺のいうところの、自然の土台、社会の土台
対象物、労働手段、労働が生産の要素としてあるわけだな。
だから使用価値を商品から捨象すると、抽象的自然、
通称的社会、通称的対象物、抽象的労働手段、ということも
できるからだ。抽象的自然なんかは観光地とか、抽象的社会
は独占とか、抽象的対象物はその素材である、その生産におけ
る特殊性、抽象的労働手段としてはさまざまな機械が、
利潤の源泉としてなりたっているわけですよ。
まあ、マルクスの階級闘争に合わせるよう。
労働を見出して、それがかなりのシンパシー
を覚えたことは確かだが、迷惑なんだな。
マルキシズムというものは。労働者にとって。
V1(自然)+V2(社会)+V3(対象物)+V4(労働手段)
+V5(労働)+M(剰余価値)=Wと書けるわけですよ。
ここで問題なのがこの可変資本は商品的適性によって、数々
の剰余価値生産に生産物の唯物的限度があるため、例えばV1
が利潤率がいいから、そこに資本が集中してしまうということ
はないんですよ。つまりV1からV5まで商品としての特性か
ら、V1からV5が決まっているということ。
ただここで難しいのが、どこから剰余価値を生んだのか?
見えなくしたことです。
すし屋にとっての魚・米は対象物(V3)であって、海や農地の豊か
さ(V1)にささえられている。同様に彼の労働手段(V4)である
包丁もさかのぼれば自然(V1)に与えられている。ここで労働(V
5)も熟練労働で握りによっている。そしてこれら全ては社会(V2)
がすしを作ることを許していること。この問題ですね。
とはいえあまりに変数が乱舞していてどこから利潤が発生するのかわ
からない。マルクスはここまで考えた末に共産主義を作ったらそれは
成功したかもしれない。
ここで搾取ということを考えてみる。
要するにV1〜V4まで一定として、
実質必要労働(すし屋+すし職人の家族の生活費+
すし職人の腕前)
に比べてV5の給料が低い、ならばこれは搾取と認
めてもよいと思います。
ただマルクスはここで終わってしまうわけですが、
必要労働喪名目必要労働でしかないし。
実際にはV1〜V4までも考慮にいれなければならない。
まとめます。
まず、マルクスの基本定理は要するに労働じゃなくてもいい。
一般化された商品搾取定理の読むことも可能ということでした。
小鉄ハンがたたかれていたけれど、それも終了。
ここの俺が介入し、そもそも生産を考えれば、利潤の源泉は、
労働だけによるわけではない。自然の土台、社会の土台、対象
物、労働手段があってはじめて、労働が行われるのであり。
全て可変資本になりうるという自説を展開。
V1(自然)+V2(社会)+V3(対象物)+V4(労働手段)
+V5(労働)+M(剰余価値)=W
というマルクスの「やり直し」のための数式を展開。
ここでジミー氏の全てが可変資本なら利潤最大の可変資本に
資本投下が始まり、すしにならないという批判が、以前にあった
ので、すしはすしであるために、この五個の利潤の源泉をある一定
の割合でしか変化させられないとしました。要するに他人にとって
の使用価値であることが原則とした。
あと重要な名目必要労働(マルクスの必要労働)と実質必要労働
に分けた。必要労働をお金と生産手段で考えることにより、
単純に名目必要労働を捉えるのはナンセンスだということです。
391 :
Jimmy:2006/09/11(月) 09:35:58 ID:6TQaaafZ
ホレ。
一般定理の基底に基本定理の含意を見いだしたところで、基本定理そのものが
「人間労働だけが搾取されている」の証明に失敗しているのだから、松尾ハン
の「批判」は全く無力だな。労働時間のタームで剰余を表現したからそれで
「搾取」が証明できたなんて幼稚もいいところ。
人間労働だけが「搾取されている」を主張しようとすると、モデル外のなにか
「世界観」「労働主体の哲学」を持ち込まない限りそれは不可能だということが、
この間の一連の論争で明らかになっている。
つーかここのくらいの議論が、もっと昔にでき手いれば資本論
もまた変わったものになっただろうに。
393 :
なんだろね:2006/09/11(月) 13:03:30 ID:lcz8Awg7
Jimmyさんのご意見にまったく同意します。ただし、「世界観」「労働主体の哲学」
なんてインテリさんの観念じゃなくて、「物の見方」程度のフツーの人のフツーの
感覚に基づいていることだけはお忘れなく。
だから、私めは「搾取」という言葉を使い続けます。
394 :
Jimmy:2006/09/11(月) 13:27:32 ID:6TQaaafZ
>>391 続き
松尾ハンの肩を少しだけ持つならば、対象となっているモデルでは、
唯一の本源的生産手段として労働力が考察され、それ故にその再生産費用
は他の商品と異なり生産技術的な一意性が存在しないこと、従って、
それへの純生産物分配についての制約が認められること、このことを
手を変え品を変えて力説されているとすれば、それはその通りだといえる。
ならば本源的生産手段一般にも同様な制約条件は成立するのであって、
この面からも「労働だけが搾取される」は証明しがたいのである。orz
>>393 「フツーの感覚」なら、何で労働価値説がフツーにならんのか?
もっと言えばそんならとっくに資本主義は廃絶されて社会主義に全面移行
しているだろうに。そうじゃない?
>>391 物の見方のふつーの人は労働価値説を認めないでしょう。
労働価値説が異常だから。
396 :
小鉄ハン:2006/09/11(月) 14:26:29 ID:QqHL4oeB
>>391 >人間労働だけが「搾取されている」を主張しようとすると、モデル外のなにか
>「世界観」「労働主体の哲学」を持ち込まない限りそれは不可能だということが、
>この間の一連の論争で明らかになっている。
そうか?
「マルクスの基本定理」に対する距離のとり方については、ここでは三つあったと思う。
1)「基本定理」と商品搾取定理との間に断絶を認めず、労働価値説を棄却する立場
2)「基本定理」と商品搾取定理との間に断絶を認めたうえで、その前提を問題にする立場
3)「基本定理」と商品搾取定理との間に断絶を認め、「基本定理」を擁護する立場
私の立場は以前示した通り。「この間の一連の論争」では、1)と2)の立場はあったように思うが、
3)つまり松尾氏のような立場はあまり前面に出ていない。わずかにspec氏となんだろね氏が単発的に
レスを返したくらい。
3)の立場は、「基本定理」内部で労働の本源性を示す必要があるが、必ずしも頭から不可能と決め
付ける必要もないのでは(私には無理だがw)。ギンタスボウルズが1981年、置塩が50年代だったこと
を考えると、もう少し長い目で見ていいかも、とも思うんだが。
397 :
小鉄ハン:2006/09/11(月) 14:34:06 ID:QqHL4oeB
訂正:2)「基本定理」と商品搾取定理との間に断絶を認めたうえで、その前提を問題にする立場
→2)「基本定理」と商品搾取定理との間に断絶を認めないうえで、その前提を問題にする立場
398 :
なんだろね:2006/09/11(月) 15:16:52 ID:G4O/ujYS
「オレの働いた結果の一部が会社ものになっている」という感覚と「労働
価値説」とは距離があるわけで・・・・。「社会主義」となると
もっともっと距離がありますよ。この感覚自体はまさに「私有財産者」の
意識ですから。この感覚からは「オレが社長になって・・・・」という意識
も生まれてくるからです。
しかし、こうした意識こそ「資本主義体制批判」の始まりでもありますね。
>>398 こう資本主義が高度化すると、資本主義の外部がない。
外部に資本主義でなく、必要時間分だけはたらいて、
労苦の少ない経済体制がないと、必要労働がどこかと
いうのがはっきり見えない。また別に労働価値説を信
じていないような俺は生産を、自然の土台、社会の土台、
労働対象物、労働手段、労働を五段階に捕らえてはいる
が、やはり直接に人間がかかわるものの労働というもの
のありかたに興味がある。
他人に対しての使用価値であるから、労働生産が
つまらないのも当たり前だ。これを何とかできないか
よく考える。
1自分の好きな仕事に就けるよう、教育や転職のレベル
を向上させる。
2労働条件をよくし、余暇に自分の自己実現を計ること
ができるようにする。
3部分的な労働の社会的統合性を感じさせ、労働が役に立つこ
との認識的直接性を感じさせる。
このくらいしか考えは浮かばないが。
400 :
Jimmy:2006/09/12(火) 00:20:57 ID:K900wf2X
私はオヤジなのでサウナが大好きである。今晩も例に漏れず帰宅途中でチェックイン!
で一汗流したあとの水風呂で急冷中に、今まで血液の行き渡っていなかった
脳のハンシー部位がどういう訳か復活して、松尾ハンのこだわりがなんなのか
一寸閃いたんだな。かれは一労働日のうち労働者が自分のために働いている時間と
資本家のために働いている時間=搾取があることを主張したいんだな。
これだけなら、何が面白い?で終わってしまうんだがこれと「利潤の唯一の
源泉は剰余労働である」あるをあわせて証明しようとするから、迷路に
入り込んでいるんだな。この二つは一個同一の問題なのか、それとも全く
別のものなのか。
さあどうよ?
ここは置塩スレなんだから、マンセーの人もっと参戦してくれないと盛りあがらんガナ。
401 :
Jimmy:2006/09/12(火) 12:31:54 ID:6hngkJzm
>>398 その程度のものの見方なら労働者(これもなんなのか全く不明)だけでなく
誰でも持っているともいないとも言えるような代物ですね。
なるほどそれなら労働価値説という理論体系に直接関係もないでしょう。
402 :
松尾匡再降臨:2006/09/15(金) 15:51:36 ID:+k2vlshZ
403 :
小鉄ハン:2006/09/15(金) 17:11:40 ID:sOmlVY8r
いま少し見た限りですが、松尾さんの主張は、端的に言うと、労働の搾取がH-S条件と重なる
場合にのみ、利潤の存在が言えるのであり、他の商品の「搾取」ではたとえH-S条件と重なろう
と利潤の存在は言えない、ということですね。以下のように。
>I−Aのホーキンズ・サイモン条件が満たされて、第n財の搾取が存在しても、
>I−A*がホーキンズ・サイモン条件を満たさないために利潤が正でなくなる
>ケースがあるということです。当然この時には、労働の搾取もないわけです。
>自然な純生産可能条件であるI−Aのホーキンズ・サイモン条件と単独で組み
>合わさって利潤の存在が言える商品搾取は労働の搾取だけで、他の商品搾取
>はI−Aのホーキンズ・サイモン条件と単独で組み合わさってもそれだけでは
>利潤の存在を導けないということです。
>>396で書いたとおり、「基本定理」内部で労働力商品の搾取のみが利潤の存在を示す強い主張
だと思います。
できれば匿名でいろいろ書き込んでもらうと、よかったと思います。正直なところ、まともな
置塩マンセー派の人はこんなところにはいないようですし、アカデミズムでも置塩氏の「定理」
の主張を継承している方もわずかだと思うので(三土修平氏が好い例。マルクス派が健在すれば
こそ存在意義があった反対派ばかり)。ここで書き込んでもらえれば、興味を持つ若い人も出て
くると思います。
404 :
小鉄ハン:2006/09/15(金) 17:15:38 ID:sOmlVY8r
利潤の存在を示す強い主張→利潤の存在を示すという強い主張
405 :
Jimmy:2006/09/15(金) 18:16:45 ID:dtCM1PTO
>>403 イヤだから、「労働だけが搾取されている」ではないでしょ?
406 :
小鉄ハン:2006/09/15(金) 18:33:57 ID:sOmlVY8r
>>405 ?
趣旨が分かりません。松尾氏の議論そのものについて言っているのですか、
それともジミーさんの批判点の主張ですか?
松尾氏の議論は「労働だけが搾取されている」点が利潤の存在を導くのに
決定的な条件であると言っているのでは。それに対して、結局松尾氏の議論
では、労働「だけが」搾取されているとは証明されていない、ということな
ら分かりますが。どっち?
407 :
Jimmy:2006/09/15(金) 18:54:00 ID:dtCM1PTO
>>406 >結局松尾氏の議論
では、労働「だけが」搾取されているとは証明されていない
です。
408 :
小鉄ハン:2006/09/15(金) 19:01:26 ID:sOmlVY8r
>>407 分かりました。
私も(言えるにこしたことは無いが、今のところは)言えないことを無理に言わない方がいい、
という立場です。
>>俺はオキシオの定理を評価している。
しかしそれはオキシオのフォロワーとは反対の意味でだ。
「搾取」という概念がマルクスの体系の中で如何に無意味かを論証したをいう点を評価している。
労働に搾取があるなら他の生産要素にも搾取があると認めざるを得ない。
搾取という概念はこの程度の意味しか持たんのだ、ということを証明したのだな。
オキシオの定理はこの方向でマルクスの理論を展開することははっきり不可能だ、ということを明らかにしたといえる。
マルクススレの人間がこっちのスレに流れてきているようなので、
何が面白いのかとパラギン雑記を読んでみた。まだ吉原氏が最初の
答えを出すところまでしか逝ってないが、途中の感想ということで
少し箇条書き的に書いてみる。
まず高増氏が出した不払い労働の話は高増氏の失言だと思う。
等価交換の中で、労働力の使用価値として剰余を引き起こす
不払い労働は、要するにそこに生産手段を持たない労働者が、
資本家に隷属せざるをえないという重要な意義がこめられ
ているので、単なる不払い労働ではない。
第二点としては社会的平均労働の問題で、いったん作ったものが
社会に出されそしてその時点で社会的平均労働を作り出している
とすれば需給関連のもと、社会的平均労働が可変的であるとは
全然考えたこともなかった。もちろん相場というものがあり、
それに基づいて生産しているんだろうが。
第三点はやはり必要労働のいかがわしさである。資本制のほかに
剰余労働を行わず、必要労働のみで生きていける外部がない
と必要労働などとはいえたものではないと思う。
まあこれはマルクススレで考えていくだろう。
411 :
Jimmy:2006/09/16(土) 01:17:57 ID:qCdrpO2t
100Kgの小麦を播きました。一年間の農業労働しました。
200Kgの収穫ありました。
一年間の農業労働の賃金は、200Kg−100Kg=100Kgの純生産物
(通常のレオンチェフ経済での)の範囲内にないと利潤は存在しません。
これが置塩モデルの一切で、以上でも以下でもない。どこで「労働だけが
利潤の源泉である」が証明されているのか?そう言うためには、そもそも
「純生産物」が「生きた」一年間の労働「だけ」の成果であると主張
しなければならない。この「だけ」にまつわる「世界観」の「共有化」の
困難さ「だけ」はこれまでの一連の論争でイヤと言うほど示された、という
わけだ。
>>411 まあなんだかんだ逝っても労働には不満を持っている中で
謹啓はその行き場をうまく吸収できないんでしょうね。
だから○に流れ、また失望すると。w
夜型は非効率なので私は寝ます。
413 :
Jimmy:2006/09/17(日) 01:04:08 ID:fetdBWRB
松尾ハン、あなたマジ、異次元でっせOrz
パラギン半分まで読んだが、榎原氏の「社会的必要労働」が実際
に商品として相対的に現象できないと価値として凝結しないと言
うことはわかるが、いちいち、そんなことをやってたら、商品経
済は成り立たない。ここは相場という交換比率がいつの間にか
それこそ「社会的必要労働」の「相場」という物が出てくるだろう。
そしてそれが成功したときに「相場」の近似値に「社会的必要労働」
が成り立ち価値が凝結すると言ったことだろう。
この場合沖塩氏の定理はこのように成功した「価値の凝結」の単純
な一モデルを使っていると思われるから、いちゃもんをつける必要
はないと思う。よれよりもこのとき「相場」を考えない榎原氏の
方が、ャヴァイ.
パラギン論争全部目を通した。松尾氏のマルクスの基本定理をみた。
半日つくしたので、講評を書いてみる。
1まず
>>411 A・B農場で同種の小麦100gの小麦それぞれ買い、
同等な労働力を投入する。しかし、小麦の生命力に
勝るAでは労働力を省略でき、100gの小麦を作る。
B農場では労働力を目いっぱい使って100gの小麦
を作る。ここではA・Bの小麦の質が生産量に対する
労働を違わせている。このことから自然的土台と労働
対象物の差(小麦の品質の差)があるわけで。労働が
全ての利潤の源泉であることを証明しない。
その後松尾氏はマルクスの基本定理を守るべく、効用を使った
モデルを作ったそうで、これは何かの折にまた目を通すことに
したい。しかし、利潤の源泉は労働だけにあるわけではない。
いや、まだ経済学会は労働についてまだ何も知らない。労働
は自然の土台、社会の土台、労働対象物、労働手段、労働者
からなる希少物なのである。であるからして、この5つの源
泉を考慮することが必要だと考える。
もちろん上に書いたことは、労働だけでなく、人間の行動全てを
まとめうるものである。あえて労働としたのは、商品が使用価値
を捨象して愁傷的な価値を見出すためには、この自然の土台、
社会の土台、労働対象物、労働手段、労働者を抽象してみなけれ
ばならないと思うのである。
そしてもうひとつ問題点がある。それは必要労働とは何ぞや?
ということである。簡単ではないか。労働力を守る労働だとい
うことになる。しかしそれだけで生きていくことは可能か?
といわれればそういう必要労働を実際に作ることは今のところ
不可能である。で、あるからして、資本主義社会を保つのも
実質必要労働なのである。
>>416 松尾氏の論文を見ようとしたら、インターネット上で公開されてなかった。
ぜひインターネットで見れるようしていただきたいものである。
しかし効用を基にしたということはすでに初期段階でバナナの搾取を
切り捨てている。ある意味それでいいのか? という気がする。
まあそれは論文を見てからの話であるが、
私は、一般商品搾取定理のような労働が他の生産要素と同質である
というような冷徹なモデルも必要だと思う。実際に利潤の源泉は
自然の土台、社会の土台、労働対象物、労働手段(機械等)、労働者のそれぞれ
か、またはそれの組み合わせによって成り立っていると思うからである。
例えば労働のみが利潤の源泉であるなら、労働力投入を目いっぱいにして
生産すればよいが、結局は労働手段(機械)を持った有機的構成の高い
企業に競争を挑んでも、その生産力の差から敗北するのは必至である。
そうして敗北した労働力最大投入の企業に成り代わって、有機的構成の
高い企業の利潤がスタンダートなものになり、結論的にはその方向
できたのが、今の資本主義社会ではあるまいか。
他方、その資本主義の発展した中で人間ガ搾取されたり、人間らしく
扱われなかったりしたことも事実であって、ヒューマニズムの点から
これは見逃せない点である。であるから規範的に、そういった問題意
識をもって社会をみることも大切である。まず必要労働で暮らしてい
ける社会を目指していくことが肝要だと思う。
上のレスと重複するが、マルクスの剰余労働に火がついたので、今度は
必要労働に火をつけてみたいと思う。例えば資本主義の下、剰余労働なんざ
まぴらごめんだ。必要労働だけで生きようと思っても、この資本主義下
ではそんな社会は外国に行って、原始的な生活をする人々に混ざるしかな
い。それは資本主義そのものが一種の「実質」必要労働になっているから
である。つまり全人類が資本主義を脱して、必要労働をして暮らせる社会
が存在しないのである。であるからして必要労働とはマルクスの概念的な
フィクションであって、現実にはない。それはこれから研究していかねば
ならないことなのである。これこそ社会主義、共産主義に近づく第一歩で
あろう。しかし歴史的な大敗北をなした社会主義や共産主義はその名前
からしてアレルギーを招く。であれば改良資本主義がこれからの活動には
ふさわしい。なぜなら革命は核の発達で不可能となり、これからは社会改
良に継ぐ改良で、改善していかなければならない問題なのである。その上
で一番強力なのが言葉であり、ロジックである。ただ経済学で、解決する
ならば、もはや新古典派がそれを成し遂げていてもおかしくはない。
ロジックをもってしても市場を制御できないのが現代の経済学の貧困であ
って、ある意味ではそれは不可能なのかもしれない。だがしかし、それす
ら確かなのかどうか、わからないのである。だからこそ、あえてやってみる
べきなのだろう、と思う次第である。
また、このようなことつまり資本主義社会が実質必要などと書くと
物象化だという非難をされるかもしれない。しかし、では物象化
じゃない社会を見せてくれというと、見せられるものはいないだろ
う。つまり物象化自体がフィクションなのである。
この問題はこういうことである。貧困、搾取を「対処」できる物語
がある「かもしれない」。乗るか、乗らぬか?
>>417 >商品が使用価値
>を捨象して愁傷的な価値を見出すためには、
商品が使用価値を捨象して価値を見出すためには
ご愁傷様でした。
422 :
Jimmy:2006/10/14(土) 18:31:41 ID:yTQZcZZt
松尾ハン、
痛々しいよ。
どんなに、一般定理を補正しようが、労働「だけ」が搾取されているを証明できないって。
気の毒過ぎィ
頭ワリィ〜のがマルクスなんて厄介ものにてを出すなって!
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:11:02 ID:RtYDG1k8
このところ、産業連関の本をずーっと読んでたおー
で、疑問です
労働以外の本源的生産要素が成立するとなると、(非)代替定理との関係はどうなるのー、と思った
もし本源的生産要素が複数あるとすると、IOモデルでは技術的関係が一意に定まらないのでは??
424 :
Jimmy:2006/11/03(金) 16:08:22 ID:BhqlDESX
425 :
Jimmy:2006/11/03(金) 16:39:04 ID:b6a7zUgO
>>424 (補足)
労働以外の本源的生産要素にも賃金バスケットを「定義」する。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:04:02 ID:RtYDG1k8
>>425 ありがとうございます
>賃金バスケットを「定義」する。
うーむ、難しすぎるおー
結局は、二部門モデルで考えるってことでしょうか?
でも、節約すべき本源的生産要素が人からバナナに変えると、投入係数そのものが変わるような気もしますが、、
考え方)
W(人)、W(バナナ、小麦)の2部門再生産表をバナナタームで表示する
例えば、W(バナナ)、W(人、小麦)に組み替える
しかし、賃金バスケット同士、それからバスケット内でそれぞれの分配率が違うので、投入係数が変化してしまう
すなわち、タームを人からバナナに変えたとたん、異次元パラレルワールドになってしまう??
これって、くろしろーさん並にトンデモ経済学ですかー??
427 :
Jimmy:2006/11/03(金) 19:47:44 ID:BhqlDESX
>>426 例えば石油を産油国から購入するケースだと、石油一単位と交換に引き渡される財ベクターを考えれば、
「賃金」と同じ処理をしていることになるよね。本源的生産手段が一つだろうとN種あろうと同じこと。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 02:10:07 ID:+oGg791p
>>427 レスありがとうございます
うむむー、どう表現してよいのか混乱してるのですが、
IO表の構造が完全に分割可能でならおっしゃるとおりかもしれませんが、、
そうでない場合、賃金バスケットの組み合わせそのものができないとか、もしくはその比率が変わってくるような気がするのですが、、
大学で遠い昔に経済学を学んだレベルなので、証明スタイルで書けないので悪しからずです
ただ、この秋、産業連関のテキストを読み直して考えた結果です
429 :
Jimmy:2006/11/04(土) 08:39:49 ID:utS4KzQN
>>428 >そうでない場合、賃金バスケットの組み合わせそのものができないと
か、もしくはその比率が変わってくるような
ここの疑問が何を指しているのかよく分かりません。私の石油の例だとどうなる
ということでしょうか。
だおーさんの元々の疑問である、本源的生産手段が労働以外に存在したら
IO表の一意性が崩れるのではないかという点至極ごもっともです。
「搾取」がどうたら言う以前にもっとこういうベーシックに解決しなければ
ならない問題があることに目を向けるべきでしょう。
これはリカードゥ以来の「外国貿易捨象の論理」をレオンチェフ経済モデル
でどう表現するかというテーマだと思います。私自身もこの問題があるのを
一年ほど前に気付いていたので、すぐにレス出来たのです。
因みに投入労働時間Lそのものを投入要素と捉えて、相対価格体系を
解こうとしても過小決定になってそれは不可能です。方程式がn本に対して
均等利潤率rと相対価格が賃金率含めてn個あって未知数が1つ多い。
そこで賃金バスケットが登場してくるわけです。
これに石油が加わっても事態に変わりはない。
430 :
だおー:2006/11/05(日) 04:05:04 ID:XNbIsNf9
>>428 >だおーさんの
では、お言葉に甘えてだおーを名乗らせていただきます
>リカードゥ以来の「外国貿易捨象の論理」
はー、そういったテーマがあるんですか、びっくり!
ただ、JIMMY先生の問題意識と、私の疑問が同じかどうかよく分からないので、私のトンデモ経済学の主張をここで簡単にまとめさせていただきます
(石油で具体例を作るのは難しそうだったので、これで勘弁してください)
私のそもそもの問題意識を突き詰めると、ワルラス流の一般均衡とレオンチェフ流IO表の違いに起因するかと思います
>本源的生産手段が労働以外に存在したらIO表の一意性が崩れる
1.技術選択のレベルでは、複数の本源的生産手段の存在は、そもそも(非)代替定理の主張に反する
2.さらに、本源的生産手段が複数になることを認めたとしても、節約すべき生産手段の選び方次第で技術体系(投入係数)そのものが変わってきます
(石油(バナナ)を目的関数にするのか、人を目的関数にするかで、ということです。線形計画の問題?)
理由は、インプットの最小化とアウトプットの最大化を目指す技術体系の選択とは、裏返せば本源的生産手段の節約の問題だからです
(未だ労働価値説の意味がよくわからないのですが、IO表には労働価値説の考え方が隠されているのだと思います)
よって、松尾匡先生の提示されたモデルを操作して、人資本主義からバナナ資本主義に変形しても、投入係数そのものが変化するので投入係数や均衡解が変化します
(異次元パラレルワールドの出現です!)
3.その上、通貨(というより生産技術)バスケットとの関連で言えば、IO表を分割できるか、できないかで、均衡解が変化します
例えば、人資本主義のもとでは、人+バナナ+鉄+機械で車を生産していたものが、バナナ資本主義では、人+小麦+木材+機械で車を生産するようなものです??(笑)
(これは、IO表の前提に反するかもしれないのですが、インプット・レベルや技術結合の変化により、収穫逓減や逓増、結合生産の発生を想定してます)
4.ワルラス流の一般均衡では、(相対)価格メカニズムにより技術選択が行われるが、IO表にはそれがない
よって、一般均衡ではニューメレールの選び方に関わらず、陰関数的?に生産手段が決定され、均衡解は一意的かつ同一の解に決まる(相対価格が変わらない限り)
が、IO表では、節約すべき本源的生産手段(目的関数、節約目標?)の選び方や分割・非分割といった表の構造によって、既存の技術体系そのもの(投入係数)が変化し、解が変化するもしくは一意的に決まらないと思うのです
つまり、本源的生産手段が複数個あるIO表の場合、技術体系の選択の変化を通じて、産業構造の表現の仕方・均衡解が思いもかけず変わってくると考えました(異次元パラレルワールドの発生?)
ちなみに、新飯田宏先生の産業連関のテキストを眺めていたら、レオンチェフ・クローズド・モデルの場合はHS条件が成立しない(解が不能になる?)と書いてありました
ご存知のとおり、比率だけが解として決まる固有値の世界です
ですので、HS条件の成立を前提とする松尾匡先生の再生産表は、もともと搾取すべき利潤が前提とされている特殊なクローズド・モデルなのかなとも、思いました
長々と、おやじ学部生レベルでトンデモ経済学を語らせていただきました
最後まで読んでいただけましたら、幸いです
あー、疲れたおー
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 01:42:53 ID:aA3nZk8H
もっと置塩先生をマンセーしろ。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 01:11:14 ID:qvT/jYyP
ハァハァで良いですか?
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 16:42:13 ID:LJSLV/Ce
置塩信雄の弟子で教授は多いが
成功して業績があるのは近景で○経を引き継いでいるのにロクなのがいないのですが。
434 :
Jimmy:2006/12/08(金) 20:24:54 ID:KDdRFg8V
>>433 ンで誰よ、ロクでもないのは?
謹ったって、PKじゃね?
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 22:46:07 ID:kVKS6JW8
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 17:57:25 ID:xTo6IwVN
置塩氏の弟子
近経:三野(阪大)、二神(阪大)、下村(神戸大)、足立(元神戸大)
○経:中谷(神戸大)
これ以外にも多く存在すると思うがよくわからん。
第二ゼミナールを含めるともっといる。
業績は近経に進んだ人の方が遙かに上であることがわかる。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 14:53:58 ID:bUBNoJmo
>>436 なるほど、親父に比べて子供が小さすぎますね。
>>437 世界の置塩、すげっ!
すばらしいプレゼントありがとうございます
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 01:20:58 ID:0ExSb1CL
森嶋通夫の「マルクス経済学」に置塩信雄氏へ答うというappendixがあって、
その当時の論争を見ることが出来て面白い。
森嶋はマルクスを理解した近代経済学者に対して、置塩は近代経済を理解したマルクス経済学者。
この二人の各イデオロギーの重鎮の戦いはかなり面白い。
今読んでも今後の研究にあまり役に立ちそうにないけど。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 02:53:59 ID:Dk3DeX16
>>440 貴重な情報ありがとうございます
いつかはトライしたい
置塩、森嶋
当面は、マクロ動学とドブリューの理解という大目標があるので、それどころでないけど、、
今度、図書館で眺めてみます
また、コピーだけが増えそう(涙)
森嶋全集の解説コピーをちらちら眺めてましたが、ノイマン、結合生産、不等式の活用あたりがポイントみたいですねー
このスレで感じた問題意識がそのまま論文になってた感じで、漏れもなかなかイイ線逝ってると思いますた、プッ
でも、全集にトライするには、まだ実力が不足してることを痛感しますた
解説の基本定理は、簡潔で分かりやすかったー
appendixは○全般の知識がないせいか、よく分かりませんですた
置塩先生の論文もコピーせねば、、
>>441 マクロ動学とドブリューやれるんなら、森嶋御大のマルクス本は余裕じゃないの?
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 10:53:00 ID:H8FVh1zv
置塩はケインズ批判が功績。
445 :
今年こそ○:2007/01/22(月) 18:35:58 ID:3VJ9+DE2
>>441 >マクロ動学とドブリューやれるんなら
いえ、これから1−2年かけてやるつもりの大目標でつ
おそらく、森嶋御大のマルクス本を学習できる時間的余裕はないでしょう
必須のゲームだってほとんどやってないし、、
ノイマンは現代経済学の出発点だから、やり始めたら追いきれないとオモタ
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 12:32:34 ID:w9RXU67Q
>>433 きんけいで「業績あり成功した」という人々、単に細かい計算をして
他人の仕事にコメントを加えるだけの細かい人々で、そのスケールは
はるかに恩師とは比較できない。例外的に、下村の英文論文数は突出して
おりその点では恩師をこえているが、細かい内容で国際的評価は低い。
郷愁を捨てて新しいことをやれ
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 15:25:52 ID:QEkyqSIA
>>446 置塩先生のネームバリューは凄いんだな。
449 :
今年こそ○:2007/02/05(月) 17:40:49 ID:pBA5Ke4U
これって、エネルギーと食料のどちらを優先させるべきかの闘争、、
やはり本源的生産要素は労働なんじゃ?
エネルギーは食べれないから、
「トルティージャ食わせろ」 高騰にメキシコで抗議デモ
2007年02月05日10時11分
メキシコで主食のトルティージャの値段が急騰していることに国民の怒りが高まっている。
先月31日には数万人の市民がメキシコ市中心部でデモ行進した。値上がり幅はこの3カ月で40%以上。
材料のトウモロコシが米国でバイオ燃料の原料として需要が高まり、値上がりしたのが一因とみられている。
台所を直撃された庶民の間で、カルデロン新政権に対する反発が強まっている。 (略)
http://www.asahi.com/international/update/0205/003.html
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 17:41:46 ID:pBA5Ke4U
一応、あげとこう
置塩経済学を研究する大学院生のホームページが閉鎖された。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 19:46:13 ID:6uPsYMJV
置塩信雄先生最強
弟子
末廣
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 00:55:20 ID:4Z5VF+P/
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 17:52:38 ID:4KLyCagZ
終了
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 16:43:21 ID:xKq4P3qp
すいません、ちょっと素人がお邪魔します。
私はからっきしのマル経オンチのくせに、今は亡き某論客の著書にアジられ、別板に以下のようなハッタリを書き込んでしまいました。
私のタワゴトはどの程度バカで、どの程度マトモなんでしょうか? 置塩氏始め、マル経に詳しい皆さんからご批判を頂ければ有難いのですが・・・
> 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/11(日) 19:09:51 ID:iYuDtVZ5
> どうも>>○さん以外には、基本的な誤解がまかり通っているようなのだが・・・
>
> マルクスは資本論(の少なくとも純理論的な部分)では、「資本家は『搾取』するから悪い!
>労働者よ、諸君は『搾取』されているのだぞ!立ち上がれ!」などというアジテーションは、断
>じてやっていない。
> マルクスは剰余価値率に相応する部分の利潤を、確かに「搾取」と呼んでいることは呼んで
>いる。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。ただ淡々と「これこれの部分は搾取ですよ」と
>言っているだけだ。
> 「搾取」という言葉は、たしかに響きが悪い。しかし資本論においては、さしあたり中立的、没
>価値的な概念であって、そのかぎり牛飼いの娘が牝牛の乳を搾る「搾取」と何ら変わらない。
> その観点からは、>>○さんの指摘にヒントを得て、あるいは訳語を変更した方がいいのかもし
>れない。
>
> マルクスは「ゴータ綱領批判」で「『公正な』分配とは何のことだ?ブルジョアは今の分配が『公
>正』だと主張しているじゃないか?確かに、今の生産様式の基礎の上でなら、唯一の『公正な』分
>配じゃないのか?」とも言っている。
> 「搾取が悪いから資本主義を打倒すべし!」などと考えてはいなかった。
>
> マルクスが資本主義を批判した要点は、「賃労働制」だ。
> 労働者は、いずれかの資本家に雇用されざるを得ないこと、そのときに労働力を売らざるを得
>ないこと、労働力を売れば労働時間中は資本家の命令どおりに働かされること、資本が増殖す
>るための剰余価値を作る手段としてのみ生かされる生き物になってしまうこと、だ。
> 上記「ゴータ綱領批判」でも、「賃労働制は一つの奴隷制であり、労働者の受け取り分の良し悪
>しにかかわらず、労働の社会的生産力が発展すればするだけ苛酷になるという奴隷制度であるこ
>と」を俺が明らかにしたのだ、とマルクスは言っている。
>
> もちろん、マルクスは「搾取」されている労働者を見て義憤を感じなかった訳ではないだろう。感じ
>なかったら、「資本論」など書かなかっただろう。
> しかしマルクスによれば、共産主義社会でも、減価償却費、生産拡大充当分、保険用積立、一般
>管理費、共同設備費、労働不能者扶養費は社会的総生産から控除された上で、残りが消費用に
>配分される。
> 特に「生産拡大充当分」の控除は、資本主義社会での「搾取」にかなり近く、きわどい所だ。
>
> だが労働者は共産主義社会では、もはや資本家に雇用されず、労働力を売らず、資本家の命令
>でなく生産管理担当の当番労働者の指示に従って労働し、もろもろの拠出はするが価値増殖の手
>段にすぎない生き物であることを辞める。各人は能力に応じて労働し、各人には必要に応じて配分
>される。
> これがマルクスの労働者解放の眼目だ。
>
> 教育水準の低い労務者向けにマルクスの思想を通俗化したアジテーションを共産党員がガナリ立
>てて、特高警察の監視下でメーデーの歌を歌いながら赤い旗を押し立てて市電が通るのを横目にデ
>モをやってた時代じゃないんだから、「労働者諸君、諸君を搾取する資本家共を打倒せよ!」式のマ
>ルクス誤解は、もういい加減にしてくれ。ウンザリだ。('A`)
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 22:29:09 ID:Da0gGpte
し
ね
こ
う
わ
す
が
わ
ら
ま
さ
の
り
か
い
し
ゃ
つ
ぶ
れ
ろ
459 :
Logyちゃん♪ (‘0‘@)~ ◆B0gvDPNxVM :2008/07/19(土) 12:37:13 ID:j5aFETPu
やっぱ、この大御所ださネエと。
誰かバスケット論スキなのがいるだろ。
高血圧者には、不吉な名。(置塩)
だが、料理には不可欠だ。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 13:58:45 ID:H9MW93e0
関西はこの人の弟子が多いから東大や一橋に行くべき
隠れ○経に汚染されちゃダメ
11月8日は命日です。
なム〜〜〜。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 22:35:57 ID:0WUvqKkW
保全
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/04(水) 19:24:36 ID:AUamHLfO
置塩信雄は神だよ
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 03:36:06 ID:gN84Mea3
仏じゃないの?
しかし読みにくいスレだな
内容じゃなくてレスの体裁が
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/06(火) 18:38:13 ID:fqyv604s
だな
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/15(日) 00:26:45 ID:GtfNZPza
置塩先生、4単位ありがとう。あれで卒業できました。合掌
もっと長生きして欲しかった。頭の抜群に切れる、いい先生だった。
在学時代、ジョーンロビンソンと Economic Journal 上で
論争していた。
今の世界的経済不況について、先生の分析を聞きたかった。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>6 超亀レスで恐縮
私は神戸の経営だけれど、「置塩の定理」とは言わなかったが
ご本人の講座で、教えてもらった。当時のノート大切に置いてある。