1 :
名無しさん@お腹いっぱい:
そのへんのロジックがわからない
2 :
アソシエイショニスト:2001/03/04(日) 17:07
ヘーゲルの観念的弁証法と思惟、イギリス古典派経済学、フランスの各種「社会主義」
を総合したのがマルクスである。
唯物論的弁証法と叙述、研究は社会のアクティビリティーを掴むのに必要不可欠だからであり、
当時流行していた(今日でもそうである)形式論理学的経済観、静態的社会観を論破する
のにも役に立った。
では、今日のマルクス問題とは如何なるものか?
それは現代認識の限界超出点、としてのマルクスであり認識主義的偏向の大合唱の存在主義的対抗
でもある。
存在そのものを認識の枠に縮めて矮小化することはない。むしろ存在そのものに知を語らせることこそ
重要であって「存在を存在にそくして」把握するといった現代知の被制限性の再確認こそ、
マルクスの理論的唯物論である。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/04(日) 17:40
>>2 読んで分かるのは1の疑問には全然答えていないことだね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/04(日) 20:03
マルクスの信者(もはや宗教だね)は、
他者に理解してもらえることを望んでいません。
わけのわからない術語を振り回し、
「どうだ、俺様は賢いだろう、ひれ伏せ」
と威張り散らしたいだけです。
なにしろ経済学者ではなく、
煽り専門のジャーナリストが創始したんですから。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/04(日) 21:21
>1
キリスト教の被造論的贖罪史観(=神による最終審判)を
進化論的発展論(=史的唯物論)によって批判したからでしょう。
従来的労働行為(=原罪の贖罪)を窮乏化理論を梃子とした歴史の最先端を行くプロレタリアートの
革命行為(時代の進取)と再定義し、私的所有制―ブルジョア社会が
共有制―社会主義(組合主義)になり、最終的には 合有制―共産制になるとしました。
マルクス自身共産制に対して明確な青写真を示していたとは言いがたいのですが、
同時代の社会主義者(プルードン)を排撃したところからも、その罪は免れ得ないでしょう。
市場の否定や計画経済、官僚による一元的管理、私有財産制の否定によって
個人の領域が壊滅的なまでに切り崩され、市場といったフィードバックを欠いた官僚制が暴走の末
自滅したのは記憶に新しいことです。
マルクスの提示した商品論、貨幣論は未だに重要な問題なのでしょうが、
自称マルクス主義者の政治的動物が淘汰されない限りは批判的摂取といった
最低限度の学問的達成すらも覚束ないでしょうね。
なにせ、自説が論破されたら、テキストの真贋論争やテキストクリティ―クの自律性で
逃げますから。
ダメです、人間が腐ってます。
6 :
名無しさん:2001/03/04(日) 22:53
っつーか、ロシア革命の時、レーニンが正教会勢力を
押さえるためにマルクスのお言葉を借用しただけじゃないの?
それ以前にマルクス主義自体がユダヤ教の亜流なわけだし。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 01:22
いや、マルクス主義の中に「切断論」と言うのがあって、
そこから2の様な言説が派生して来るのでその点は徹底的にやらないと、
総合科学とはよく言ったもので、イギリス功利主義、フランス社会学、ドイツ観念論
を巧妙に取り入れた体系なので、緻密にやらないと状況如何によっては
また、あの悪夢のような政治体制が復活しかねない。
本来的にはカーの『カールマルクス』なんかも読んで見たいのだが、
生憎、絶版で・・・
8 :
>7:2001/03/05(月) 11:14
>>本来的にはカーの『カールマルクス』なんかも読んで見たいのだが
去年再刊されたので大型書店には並んでいると思います。
それに大学図書館や公立の中央図書館には必ずあるはずです。
9 :
名無し:2001/03/05(月) 14:14
ゴミ
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 14:15
ヨーロッパは歴史的に、キリスト教=教会が世俗的な支配権を持っていたからじゃねーの?
11 :
アソシエイショニスト:2001/03/05(月) 19:47
>7氏へ。
「マルクス主義の中に「切断論」と言うのがあって」って「認識論的切断」の
事ね。アルチュセールが『マルクスのために』(平凡社文庫版)なんかで力説している
説だねえ。まあ、私は勿論「マルクス主義構造主義」のスタンスに立脚している訳ではないので、
これには「?」だけど、初期マルクス(こういう捕らえ方自体が既に認識論的切断!)と後期マルクス
(=『資本論』マルクス)との差異性をやたらと強調したがるんだよねえ?
まあ、「資本主義的生産」は膨大な「ブルジョア経済学者」を生産するんだから、ここに巣づくっている
「資本主義教徒」「新古典派シンパ」「数学フェテシチズム」が大量的現象として存在する事自体、実にマルクス的で
あったりする。
12 :
7:2001/03/05(月) 20:17
>8さん
ありがとうございます!早速探してきます。
>11さん
あ、そうですか。私は、構造論的主体論やイデオロギー論(グラムシとは違う)
と思いました。いくらなんでも前期が悪くて(未熟)後期が良い(成熟)なんて
あまりにも虫が良すぎますよね。
構造循環論やイデオロギーの自己再生産及び自己同定(共産主義も含めて)なんかが課題ですね。
そう言った観点から、カーの懐疑論に興味をもったわけです。
貴方も体制選択論や一元的決定論は信じてませんよね?
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/06(火) 01:42
簡単なハナシ
反共産主義者が有神論者ばっかりだから
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/06(火) 02:01
ハァ?>13
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/06(火) 05:58
弁証法というのはそもそも絶対神にとってすごく都合がわるいのです
(旧東側のやってたのは弁証法じゃないよ)
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/07(水) 18:21
マルクスに限っていえば、
彼はユダヤ人であったが密教めいたカバラ主義的ユダヤ教の教義には
反発し、またユダヤ教と同じカノン(旧約全書)を共有するキリスト教と
イスラム教にも同意できなかった。
だが、共産主義での発展段階論などはユダヤ教的な教義の影響をかなり受けている
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/11(日) 04:37
経済学、って言うか哲学になってきてるね。
そもそもスレタイトルからして。
>>12 けど、廣松渉あたりが示した物象化の問題などは
かなり重要で示唆深いと思うのだが。
前期と後期の問題で言えば、
疎外⇒物象化と言う問題はかなり面白いと思う。
個人的には、物象化論が疎外の概念を超克したモノ、
と言う見解では無いのだけど・・。って言うか、
まだ勉強不足で判りません。スマソ。
18 :
1:2001/03/12(月) 23:45
いまのところ5の話がなんとなくわかった程度であとの人の切断論云々はさっぱりわからん。」
もちっと分かり易く説明できないのかなぁ…
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/12(月) 23:46
少年老い易く学成り難し
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/13(火) 02:27
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/13(火) 14:29
神が人間を創ったのではない。
人間が神を創ったのだ。
その神に、創造主である人間はどうしてとらわれなければならないのか?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/13(火) 15:54
23 :
OFW:2001/03/13(火) 21:49
>>1 >なんでマルクス=共産主義=無神論なの?
経済とは直接関係ないが、フォイエルバッハの人間学的唯物論あたりから
勉強したら良いのでは?(『キリスト教の本質』『唯心論と唯物論』)
キーワードは「神とは人間の類的本質の自己疎外である」ということ。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/14(水) 13:21
『ドイツイデオロギー』を読んだら?
>OFW
アジテーションご苦労さん
26 :
1:2001/03/15(木) 02:09
>23,24
読む暇ないので簡単に要点を説明してください。小学生でも分かるように。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:29
>>26 それ逆に難しくなるって。
弁証法とか唯物論とかの言葉使っていい?
多分に通俗的理解になっちゃうだろうけど。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 02:31
29 :
1&26:2001/03/16(金) 01:50
>27
通俗的理解になってしまうことを器具なされてますが、じゃあロシアなどの共産国家は国民にそのことをどう説明したのでしょう?なんて疑問もわいてきてますます最初の命題がわからなくなるんです。ゴルビーの「じつはロシア正教の洗礼を受けていた」発言が世界的なニュースになる(日本以外)ようなことの根底にある共産国家の無神論的支配みたいなものをソ連国民はどうとらえていたのか、政府はどう説明していたのかなど、薄学な私にはさっぱりわかりますんです。
30 :
1&26:2001/03/16(金) 01:50
器具→危惧
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/16(金) 04:37
>共産国家は国民にそのことをどう説明したのでしょう?
いいポイントですね、1970年代のブレジネフ時代の教科書だと、、、
---------------------------------------------------------
各宗教の教会組織は神様の言葉をタテに
ぼったくりをしてきた。
ローマカトリック教会は一般信徒に聖書を読ませることを禁止
して、神の言葉を理解したければ教会に来い!そしてお布施しろ!
と強要してた。
産業革命以降になると地主や都市のブルジョワ層と結託して搾取に協力して
ケシカラン!
カトリックに抗議したプロテスタント派(抗議派)ですら、聖書の記述に
したがって奴隷制度を肯定して非人道的な搾取を推し進めて行っている。
既存の宗教による教義(コーズ)に従えば安易で生産性の上がらない
低賃金労働に従事させられ多くの人間は苦しめられる。
であるから、そのようなしがらみを超越したマルクスレーニン主義理論を
きみたちは学ばねばならない!
-------------------------------------------------------------
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 01:18
けど、マルクスは一概に宗教を否定しているワケではありません。
寧ろ、類的本質を復活させるものとして一定の評価をしています。
但し、宗教が類的存在たろうとする人間の心情を利用して、
これを財産所有者の手に引き渡す役割を担ったことに対しては批判しています。
33 :
OFW:2001/03/17(土) 14:18
>>26(1)
>読む暇ないので簡単に要点を説明してください。小学生でも分かるように。
確かに、残業、休日出勤の労働者は読書の暇すらないが…。
神とは何か。たとえば、キリスト教では、「それは全知全能の存在であり、
有限な人間を超えた無限の造物主である」と言われています。
しかし、要は人類が自らの“社会的な本質力”を疎外(他者化)して、能
動的な主体として立てたものが「神」と呼ばれる虚構の存在だということ
です。現実には自分の力で生きているにも拘らず、「神様の力で生かされ
ている」と表象して、自己の力をありもしない主人に預け、仮託してしま
うことが、自己疎外と呼ばれる。それは人類が真に共同的な連帯にまで高
まらず、個々の個人の実存がバラバラである状態においては、必然的に生
まれる幻想です。階級社会において圧迫され、隷従的に生きるしかない人
々は、自己の労働の成果のうちに自己の力を認められず、それをむしろ他
者の力の現れとして受け取るしかない。自己の力の実現が自己の完全な喪
失として現象する、それが階級社会の本質であり、その幻想的な解決が
政治的には国家であり、精神的には宗教でしょう。
神とは現実的(働くもの)・共同的な人類の、逆さまに写された似姿です。
唯物論はその幻想の原因は地上の社会のうちにある、と考えるのです。
>>29(1&26)(横レス失礼)
>ロシアなどの共産国家は国民にそのことをどう説明したのでしょう?
旧ソ連は共産国家(何という形容矛盾!)ではなく国家資本主義国家です。
>共産国家の無神論的支配みたいなものをソ連国民はどうとらえていたのか
旧ソ連では国家幻想(国家こそが神だという中世的な考え)を徹底的に
叩き込まれ、マインド・コントロールされていたのでしょう。国家資本主
義者が既成宗教を最大限利用するのは、「日本は神の国ですぞ」という某
国総理大臣でも同様でしょうね。
34 :
OFW:2001/03/17(土) 14:18
>>32 >マルクスは一概に宗教を否定しているワケではありません。
「宗教の発生する根本原因を取り除かなければ、宗教は無くせない」
という意味なら、OKです。
>寧ろ、類的本質を復活させるものとして一定の評価をしています。
それは初耳です!?本当でしょうか?
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 16:55
ソ連の経済政策はネップ時代を除いて末期ロシア帝国の
インフレ政策、戦時体制をそのまま継承しているだけで
マルクス主義ではありません。
マルクス主義では公有や共有を目指しますが、
国家主義を否定しています
しかしいかに批判的な鋭い考察をもっていようとも
マルクス主義は資本主義の、国家独占資本の
補完物に過ぎなかったため国家主義に摩り替わっていった。
ですから、欧米ではあらゆる批判者をたやすく補完物にして
しまう権力とはなんなのか?という疑問からグラムシの
ヘゲモニー論、アルチュセールの「ISA論文(国家のイデオロジー論)」
が大衆文化の面から(映画批評、ポップミュージック、ファッションなど)
再検討されています。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/17(土) 18:44
日本も不破あたりに大統領やってもらうってのは?
>>34 確かに、『経哲』で「宗教においては人間的な想像力、人間的な脳髄、
人間的な心情の自己活動が、個人から独立して、即ち疎遠な、神的ま
たは悪魔的な活動として個人に働きかける」って言ってますからね。
32の論は、内田義彦とかが言ってたことだと思う。マルクスは明言して
ないとオレも思うのだけど。
38 :
法政経済の者だが:2001/03/18(日) 16:20
それにしても、経済板の人ってヤッパリ新古典派・実証主義ゴリゴリのが
多いね!
まあ、理論的矯正はしないけど最低限、大学経済学部の「経済原論」(法政経済
では「社会経済学T」「社会経済学U」)程度の認識は持って欲しい。
たしかに、直接的に実証的な事実だけを「真」とするイデオロギー風潮において、
やたらとマルクス経済学・社会認識にたいする風当たりが強いのは認めるが、
それが一般的風潮だろうとなんだろうと、むしろ「権威」言葉による「マルクス」
から、原理の言葉によるマルクス、を語る絶好の機会が到来したものだと感じている
次第である。
労働の社会的編成から生産過程を析出し、それを経済理論的な土台にして展開される
『資本論』の経済学=マルクスの経済学は、資本主義総体の全般的理解を助ける稀有な
理論書であることは疑いようも無い。
>>38 東大では○経を一切やらなくても卒業できます。
40 :
法政経済の者だが:2001/03/18(日) 18:46
>39。
東大経済でも宇野シューレの輩の「理論経済学」があるだろうに!
あと出鱈目だが、柴田徳太郎の講義とか、マルクス主義フェミニズムの
分野では、大沢真里が居るではないか。
まあ、勿論単位的にはやはりそのなのかも!?
41 :
この考え方ってどうよ?:2001/04/10(火) 21:09
不良債権処理 大企業の借金棒引き 税金投入リストラ後押し
「緊急経済対策」は、「不良債権の抜本的なオフバランス化」として、不良債権の最終処理(直接償却)を急ぐべきだとしています。
不良債権の最終処理とは、銀行の資産の内容を示すバランスシート(貸借対照表)から、回収が困難と見込まれる融資である不良債権をなくすことです。
政府・与党が強行しようとしている最終処理の方法の一つは、ゼネコンや大企業にたいし、いっそう大規模なリストラを条件に、「債権放棄(借金の棒引き)」をしてやろうというものです。
これとは別に、深刻な不況のなかで赤字経営におちいっている中小企業への融資を「不良債権」と決めつけ、会社をつぶして担保不動産などの売却で強引に融資の回収をすすめようというものもあります。
いずれの方法も、いまでも最悪水準の倒産や失業をさらに増加させることになり、個人消費を直撃します。不況はいっそう深刻化し、新たな不良債権が次々と発生します。
実際、九二年度以降、銀行業界は毎年度、公的資金も使って、最終処理を含む多額の不良債権処理をしてきました。にもかかわらず、不良債権は逆に増え続けています。
これは、自民党政治のもとで、不況が長く続いてきたからです。このうえ、不良債権の最終処理を急げば、不況をさらに加速させ日本経済を取り返しのつかない事態におとしいれることになります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/20104/0407/210407_keizai_taisaku_3.html
42 :
貧乏:2001/04/10(火) 23:07
共産主義はそのイデオロギーの全身で、宗教を必然として否定している。
43 :
春坊:2001/04/12(木) 07:37
ヘーゲル左派との関連を説明できる人いる?
44 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2001/04/12(木) 10:19
ヘーゲルの主張は「自己表現は言語表現の特別な場合である。」ヘーゲル左派の主張は、「よって自己表現は存在しない。必要でない。破棄すべき。」
マルクスの主張は「貨幣は商品の特殊な場合である。」共産主義者(=マルクス左派?)の主張は、「よって貨幣による商品の再配分は存在しない。必要でない。破棄すべき。」
ちなみに共産主義(=マルクス左派?)を批判するために導入された共産主義=無神論の図式は
神学の主張は「唯一神信仰は人間の信仰の特殊な場合である。」無神論者の主張は「よって神は存在しない。必要でない。破棄すべき。」
当時、「無神論者」というのは道徳的に最低の人間だというニュアンスでした。
45 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2001/04/12(木) 14:19
ようはキリスト神学の問題なんだよね。
イエスやペテロなんかは目に見えない法則性や規則性を説明したかったが
ゲルマンの民衆にはそんなヨソの観念論なんか必要なかったワケ。
だからローマ教会はあたかも目に見えるかのような神を作り出して
むりやり布教した。
カントやスピノザ、マルクス、ニーチェはそういうローマカトリックの
短絡さに飽きてしまったというワケ
>>45 この場合、『無神論者!』というのはただの罵倒語です。
47 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2001/04/12(木) 14:28
>>45 >ゲルマンの民衆にはそんなヨソの観念論なんか必要なかったワケ。
これ、どういう意味?
48 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2001/04/12(木) 14:36
ローマ帝国はゲルマン人を征服する手段として弾圧してた
キリスト教を利用した。
ゲルマン人はキリスト教なんて本当は信じたくない。
ローマ教会もゲルマン人にウソの教理を説かざるを得ないことに
本当は納得していない。
だが、皮肉なことにゲルマン人がプロテスタント神学を築いて
キリスト教の読みなおしを試みた。
それによってに資本主義の精神がゲルマン人諸国家から生まれてくる
49 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2001/04/12(木) 14:39
キリストはパレスチナ辺りの人なんだから黒人か褐色の人種
なのでは?
というとラテン系、アングロサクソン系の白人は
激怒するワケ(藁
聖書に出てくる人物のほとんどは今の自分たちと同じ種類の
白人であると(藁
話は変わるけど、先週の「世界遺産」を見たんだけど、
エジプトには人口の10%もキリスト教徒(コプト派)がいるらしいね。
セム系のイスラム教徒との混血を避け続け、自分たちが古代エジプト人の
末裔であると誇っているらしい。教会での一場面が映っていたが、
偶像がある点は別にしても、跪く光景などはまるでイスラムだった。