794 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:
>>793 日銀は明治時代にやったリフレ政策の失敗の二番煎じだけはすまいという
決心でひたすら金融引き締めに傾くんだろうね。紙切れにひたすら価値を持たせて
どんどん紙切れを神様にして祭らせていくという。これで日本は安泰だ!!という
信仰をどこまでも信じている、、と。
紙切れはあくまで紙切れであってそれの連続的な価値の持続という概念自体は
本当はなんら正当な根拠などどこにも存在してはいない、これが真実なのにね。
日本はお金を価値の権化、実体だと勘違いして信じ込ませるモーメントで子供の
時から国民にずっと教育し続けてるんだよね。
「紙切れ=アプリオリな価値」だと勘違いして一生を終わる偶像崇拝教の姿を
そこに見る。紙切れはただの道具、社会構築上の便宜的な手段でしかないのに
それそのものを 「価値の実体」 にしてしまっている。日銀が必死で守る信仰も
実はそこにあるとすらw
796 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/27(土) 14:07:40
本当は、紙切れの価値は、その紙切れが社会内を十分に価値を動かして
実体経済の価値の移転、循環、構築、蓄積、再生産に寄与した度合いで決まる
に過ぎない。
それを、紙切れ自体に価値がそのまま何か魂のようにして埋め込まれていて
生きた神様のような勘違いをしてそれ自体をどこまでも守り通してたんすに
しまい込んでおいても、未来永劫その 「本当は擬似的なものであるに過ぎない
ただの”価値の循環媒体機能”」 への信頼がずっと継続するのだと思い込んで
いる。そういう 「なんの根拠もないただの信仰」 をひたすら日本人に信じ込ませて
人生を終わらせていく。
これがたぶん 「日銀の自覚する使命」 なんでしょう。
そこには本来、なんの根拠もないというのにね。
797 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/27(土) 14:14:21
>>795 >管理通貨制度
わかってるよ、そのぐらい。ww
俺が言ってるのは、その 「管理」 自体が何者なのかということまで
言及してるということ。
管理が成立するのはなぜかな?
それは実は社会の安定性に最初に基づいている。社会が仮にお金という
社会的産物に一切信頼を置けないほどに悲惨な世界だって実はいつでも
ありうる。
それがいざやってきたらお金には意味がなくなる。お金に意味と価値を
付与するものは、現実には社会の 「社会性自体」。それが前提でようやく
維持される便宜上の産物が、価値の循環媒体としてのお金だ。
それを偶像にして価値そのものであると拝んでいる。それがデフレの
始まりであり、日銀の抱く信仰の根源であるとさえ、喝破したい。w
798 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/27(土) 14:33:44
>>797 (続き)
だから、それは要するに、あのエンデの説いた 「価値の劣化する貨幣」
という観念が欠けている貨幣では常に発生する誤謬だろうね。
インフレは要するにこの、「価値の劣化する貨幣」 の観念そのものの
一つの具現化形態でもあるかもしれないね。
お金の価値は本来は黙って持っているだけなら自然劣化していって形は
あってもその利用価値は自然に下がり、インフレが進行いていずれが
価値がほとんどなくなる。そういう方向に動かして行かなかったら、人は
どんどんお金を溜め込んでたんすにしまいこむようになっていく。
それが
>>794>>796>>797の事態を生んでいる根源ということ。
つまり、お金はあくまでも便宜上の循環媒体としての価値でしかないこと
を自覚してどんどん使って、実体としての社会内の価値に置き換えて循環
させていかない限り、それ自体の価値はどんどん目減りして行って最後は
何も買えなくなるんだよ、
そういう道具としてのみ存在しているようなものに過ぎないんだよ、という
理解、認識を子供の頃からきちんと論理的に納得させていく教育が必要だ。
それが本来のお金を社会で流通して健全な社会の発展に寄与させるという
ことに繋がり、日銀に適宜適切に円を劣化させる必要性と正当性を自覚
させることに繋がっていくはずだ。
そうならないといつまでも貨幣信仰という偶像崇拝だけが残り、その一方で
実体価値の喪失、消失だけが進んでいくことだろう。
要約すると、「日銀は、インフレターゲットを導入しろ。」 だな。
なんでそんなに長い文章になるんだ?
800 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/27(土) 14:55:05
>>798 (続き)
貨幣の目的の一つには、「価値の蓄積機能」 を上げることがあるが、
これは本当は正しくない。
何も 「貨幣自体」 に価値の蓄積機能があるのではない。
価値が蓄積するのは、あくまでも社会の中の現実世界の価値として
蓄積されるところの、物質、物体、エネルギー、サービス機能などの
社会内の実体そのものであり、
それらの何もないところで [貨幣だけ存在してそこに価値が煮詰まって
蓄積していく」 のは全然ない。
生産活動で生まれた富が社会内に蓄積するとき、同時に貨幣が対価
としてばら撒かれて、等価交換の原理としてそれも増えていくという
理屈で蓄積されはする。
しかし、社会内の実体の価値がなんらかの理由、事情によって毀損し、
消失して全部なくなってしまったときには対価として存在したはずの
貨幣はただの紙切れとして残るだけである。
このように、現実に蓄積して社会に積み上げて次世代に引き継がれて
持続的に幸福を生み出し利用可能な状態で残すべきものは、あくまで
も貨幣ではなく、実体としての価値の側である。
つまり、それらを増大させ蓄積しさらに拡大していくことそれ自体が
価値であり、その循環活動のための媒体としてのみ価値があるのが
貨幣である。それを無制限に残し続けていくことを目的にしてあらゆる
根底が営まれてさえいる、今の日本の基礎が、実はその偶像崇拝信仰
なのだ。その先にあるものは、実体としての価値の目減りであり、消失
なのだ。 (ここまで)