サービス残業を嫌がる奴はリストラされてもいいの?

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75金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/04(土) 13:17:55
労働者から補填を受けないと経営できない奴は死ね!!
76金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/04(土) 13:26:39
>>75
激しく同意
最低、経営者を辞めるべき
77金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/05(日) 14:51:23
78金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/05(日) 15:34:30
根本的に間違えているみたいだけど
有能な人材ならサービス残業をしなくてもリストラされない。
無能な人材ならサービス残業をしてもリストラされる。
つまりサービス残業などする奴がバカで勘違いしているということだ。
会社が支払える人件費には限度があるわけだが、たとえ残業代が出なくても
もっと働きたい、という社員は大勢いる。そんな社員の意欲に水を差すのが、
日教組から教わったゴネ得の精神丸出しで「サービス残業」などと騒ぎ立て、
残業代を請求するような輩だ。そのような人間を組織の中に置いておくと
全体が腐ってしまうため、必然的にリストラの対象となる。
80金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/12(日) 08:19:38
残業代払ったら経営傾くってバカだろ
81金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/14(火) 03:21:39
法律を守らない人間は犯罪者であり、その犯罪者が何故企業のTOPなんだ?
まぁ、低成長時代の長時間労働が結果的に何をもたらすかは韓国見ればわかるかと。
サービス残業以前の問題としてな。
日本人は従順で真面目なので労働力として雇うにはいい。
しかし管理職にはお世話にもいいとは言えない。
慎重過ぎると聞こえはいいが、即決というものをしない。
何をするにも上から許可を求める。
ビジネスに置いてそんなことをしていたら
時間がかかり過ぎてまともに仕事が出来ない。
決定権がないなんてこの人はきっと下っ端なんだろう、
その場で判断出来る権限者が来ないのならば、
今日の打ち合わせは何なのか、と相手は思うわけだ。
それに責任範囲が極めて曖昧だ。
肩書のためだけに役職に付けるなんて日本以外ではありえない。
しかも同じ名前の役職でも部署によって業務内容や権限範囲がまるで違ったりする。
誰が何の仕事をしているのかが本人達はわかっていても、
端から見れば全くわからないのだ。
個人の仕事の範囲が曖昧だから、他人から安易に仕事を任せられるし、
組織図が曖昧だから誰に許可を得るべきかわからず、時間ばかりかかるのだ。
さらに時間に対する概念がそもそもないように見える。
上にも書いたが平気で日程を送らしたりするかと思えば、
いきなり無茶苦茶な期限の仕事を頼んできたるする。
84金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/14(火) 23:02:11
マリコ 津慶 知代子 どうか仲良く がんばって ママをたすけてください。
パパは本当 に残念だ きっと助かるまい 原因は分らない 今5分たった
きのうみんなと 食事をしたのは 最后とは 何か機内で 爆発したような形で
煙が出てきて降下しだした どこえどうなるのか 津慶しっかり たんだぞ
ママ こんな事 になるとは残念だ さようなら 子供達の事 をよろしくたのむ
今6時半だ 飛行機は
まわりながら 急速に降下中だ 本当に今迄は幸せな 人生だった と感謝している
85金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/14(火) 23:26:44
>>83
慎重だから、サブプライムローンなんてヘンな物に手を出さなくて
助かったんじゃない。
俺はサービス残業してがんばって技能・知識・資格を習得したのち、
>>1のような馬鹿経営者に辞表をたたきつけて
残業代タップリもらえる会社に転職した。
みんなで一斉に会社やめて馬鹿経営者が一人で苦労すればいい。
技能を身に付けさせて頂いた会社に
恩を仇で返すような真似をするなんて
どこまで恥知らずなんだよ。
まさに戦後の日教組教育が生み出した
腐った日本人の典型だな。
>>87
仕事に見合った給料貰えるとこなら辞める人は出ないと思う。自業自得だ
仕事が出来るようになった時、辞められないように給料を見直さない雇用者が無能なだけ
89金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/30(木) 03:12:09
非正規を解雇して、ダウンサイジングしているけれど、拡張期に拡大できる体制がつくれるとは思えない。
90金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/30(木) 03:31:40
ユニクロ本社は7時までで、残業無いぞ
やっぱ賢いわー
残業そのものが社員のマインドを下げ、反対に間接費用を押し上げている・・・
といいかげん気が付いて欲しいもんだが。
92金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/30(木) 08:00:00
>>1
ちんかす野郎
93金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/30(木) 11:27:30
>>87
おまいは、昔の丁稚奉公の考えしかないのか。
今の時代は、労働力は金で買うものでしかない。その代わり、経営者は
儲かっていれば、遊び放題だし、儲からなければ24時間仕事してでも頑張ら
ないと、会社は潰れる。
94金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/30(木) 23:09:13
>>87
社畜登場
マジで乙w
95金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/30(木) 23:40:00
ホワイトカラーエグゼンプションが導入されたら、治安がヨハネスブルグ以上に、悪化するんじゃない?

殺人発生件数:5000件/1日
交通事故発生件数:13500件/1日
鉄道事故発生件数:550件/1日
航空機事故発生件数:100件/1日
96金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/30(木) 23:44:57
>>87
その理論だと誰も幸せになれないな
んなわけねぇだろw

職場に早く帰る怠け者がいないか互いに監視し合うような、
そんな緊張感ある労働環境が醸成され、日本は国際競争力を取り戻す!
98金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:31:46
離陸してすぐ、私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。女性や子供の姿が多く、いつ
もの大阪便とはちがうな、という印象はありました。私の席の周囲にも、若い女性の姿が目立った。
禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。

 そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ−ン」という、かなり大きい音がしました。テレ
ビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パ
ーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常
は、まったく何も感じませんでした。

 音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体
的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じま
せんでした。機体も揺れなかった。

 お客様からは、「うわっ」という声がした。女の人だと、「きゃっ」という、一瞬、喉に詰ま
ったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。耳は,痛くなる
ほどではなく、ツンと詰まった感じでした。ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。
しかし、それもすぐに直りました。

 「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。ジャンボの場合、
席の数プラス・エキストラのマスクが落ちてくるので、私の座っていた「56」の二席には三
つありました。それが機内にいっせいに落ちてきたときは、マスクが、わんわんわん、とバウ
ンドするような感じでした。ひっぱると、酸素が流れだして、口もとの袋がふくらむ。酸素が
出てこないのもあったけれど、足りないということはありません。

 ただちに録音してあるアナウンスで「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」と
日本語と英語で流れました。マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズに
つけていました。
99金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:33:24
ベルトについての指示はなかった。お客様はまだベルトをしたままでした。煙草をすぐ消すように、
という注意はアナウンスでも口頭でもありませんでしたが、禁煙のランプのサインは自動的につい
たようでした。あとで気がつくと、離陸してまもなく消えていたはずのサインがついていましたか
ら。

 しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。急減圧のと
き、酸素マスクがおちてくることは、もちろん知っていました。急減圧は何かがぶつかったり、衝
撃があって、機体が壊れたときに起きると教わっていましたから、そういうことが起きたのだな、
と考えたのですが、しかし、何が起きたのか想像もつきませんでした。酸素マスクが落ちてくる光
景は、訓練では見ていますが,実際に経験するのは、もちろんこれがはじめてでした。

 やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、
うっすらとしか見えないほどです。

 私の席のすぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」あ
たりのところが濃かったように見えました。ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワー
デスが立っていたのですが、その姿がボヤ−ッと見えるだけでした。

 その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうあり
ませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じ
だったのです。

 匂いはありませんでした。こうした白い霧というか、靄のようなものが出るのは、急減圧の場合
の現象だ、ということも、もちろん訓練のときに教わっていたことでした。はじめはスチュワーデ
スもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直した
りして、まわっていました。そのときは、エキストラ・マスクをひぱって、口にあてていました。
マスクのチューブは伸ばすと、けっこう伸びます。三列くらいはひとつのマスクをつけたまま、ま
わっていたようでした。
100金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:34:25
このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、
何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。

 あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホ
ール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあり
ます。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。 きょろきょろしていたとき、
私は、トイレの上の横長の壁がほとんど全部、はずれていることに気がつきました。トイレのドア
はしまっていましたが、その上の壁がすっぽりはずれて、屋根裏部屋のような感じで見えたのです。
壁はちぎれたとか、破壊された、というふうではなく、継目が外れたと言う感じでした。壁のパネ
ルがどこかにいったのかはわかりませんでした。

 そして、壁のはずれた向こう側に、運動会で使うテントの生地のようなものが、ひらひらしてい
るのが見えました。オフ・ホワイトの厚地の布のようなものです。ぴんと張ったのでもなく、ヒダ
の多いカーテンのようでもなく、一枚の布を垂らしたような感じでした。これもあとで整備の人に
聞いたのですが、裏のほうには、そういう布があるのだそうです。それが破れたというふうではな
く、風にあおられたように、ひらひらしていたのです。
 そこから機体の外が見えたとか、青空がのぞいた、ということはありませんでした。

 もひとつ、私の頭上の少し前の天井に、整備用の50センチ四方の長方形の穴があって、蓋がつ
いているのですが、その蓋が私のほうに向いて開いていることに気がつきました。壊れたのではな
くて、何かのはずみで開いたという感じです。内部は暗く、何も見えませんでした。ただ天井の荷
物入れが下に開くということはありませんでした。
101金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:35:54
このときにはお客様は全員、酸素マスクをつけていましたから、しゃべったりはしませんでした。
酸素マスクをして、呼吸するのに懸命で、とても会話どころではなっかたのかもしれません。で
も、とても不安そうにして、きょろきょろしたり、窓の外を見たりしていました。赤ちゃんの泣
き声がしたかどうか、覚えていません。

 いつ点灯したのか気付きませんでしたが、「EXIT」と「非常口」を示す、エマージェンシ
ー・ライトはついていました。座席上の空気穴から空気が出ていたのかどうか、記憶にありませ
ん。ライトをつけていて人がいたかどうかも、覚えていないのです。時間的にはそろそろ暗くな
るときですから、つけていてもおかしくないのですが、気がつきませんでした。

 こうしているあいだも、飛行機が降下している感じは、ほとんどありませんでした。ゆっくり
と左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてか
らです。

 「パーン」という音から、たぶん10分くらいしてからのように思います。このころになって、
酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。ただ、ほとんどのお客様がマスクを
していましたが。

 ダッチロールという言葉は、知りませんでした。飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように
左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いている
という揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、スローです。
だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。

 私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えま
せんでした。
 お客様は窓の外を眺めたり、なかにはスチュワーデスに「大丈夫か」とたずねる方もいました。
機内の様子は、あわただしい雰囲気とかパニックなどということではなく、この段階では、まだ
何とかなるんじゃないか、という気持ちがあったように思います。ただ、コックピットからの連
絡は何もなくて、みんな不安な表情ではあったのです。
102金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:43:46
そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、
酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、18分
くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。でも、
ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。

 ちょうどそのころになって、私のうしろのL5(最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスが、
まわりのお客様に「座席の下にある救命胴衣を取りだして、つけてください」という指示を出し
ました。その指示がどこからきたのか、わかりません。ふだんのコックピットからの連絡はチー
フ・パーサーを通じて各スチュワーデスに伝えられたり、急な場合は、乗務員席の電話が全部コ
ックピットと同時につながって受けることができる「オール・コール」でくるのですが、今度の
場合は、それはありませんでした。ライフ・ベストをつけるように、という指示は、機内アナウ
ンスではなく、スチュワーデスの口頭で行っていました。まず、スチュワーデスが着用して、こ
のようにつけるんです、と教えながら、座席をまわることになっています。今度も、そうしてい
ました。

 前のほうでも、いっせいにベストの着用がはじまっている様子が見えました。スチュワーデス
は口頭で、座席ポケットのなかにある『安全のしおり』を見て,救命胴衣をつけてください、と言
いながらまわりはじめました。私はすぐに座席下から救命胴衣をひっぱりだして頭からかぶりま
した。

 私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ち
ょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。
 しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わっかても、ひっぱっ
て取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所が
わからなくて、取り乱している若い女性のたちがいました。そのときになって私は、席を立って、
お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全
のしおり』を取りだしました。
103金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:45:28
私が席を立ったとき、となりの窓際の席にいた男性のKさんが「スチュワーデスの方ですか」と、
声をかけました。私は「はい、そうです」と答えて、Kさんが救命胴衣をつけるのをお手伝いし
ました。とても冷静な方でした。ご自分のをつけ終わると、座席から手を伸ばして、前後のお客
様の着用を手伝ってくださったのです。

 私は通路に出て、L5のスチュワーデスの受持ちのお客様のお手伝いをして歩きました。彼女
が私の席よりうしろのほうをまわり、私は、前のほう二列分くらいの左右のお客様を指示してま
わりました。

 しかし、このころになると、機体の揺れは、じっと立っていられないほどでした。激しい揺れ、
というのではなくて、前と同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、
座席につかまって二、三歩、歩いて、お客様の座席の下のベストをひっぱて、ちょっと座って、
また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、あたりを見てまわる、ということはもうでき
ません。

 救命胴衣は飛行機が着水して、外に脱出してからふくらませることになっています。機内でふ
くらませてしまうと、体を前に曲げて、膝のあいだに頭を入れる安全姿勢がとれないからです。
しかし、私の席の周囲では、ふくらませてしまったお客様が、四、五人いました。男の人ばかり
です。
 こういう場面になると、女の人のほうが冷静なようです。泣きそうになっているのは男性でし
た。これはとても印象深かったことです。ベストをふくらませてしまった若い男性が「どうすれ
ばいいんだ」と弱気そうな顔でおっしゃるんですが、ふくらませてしまったのは仕方ないですか
ら、そのままでいいですと、安全姿勢をとっていただきました。ひとりの方がふくらませると、
そのとなりのお客様もふくらませてしまう。他のスチュワーデスも私も、それに私のとなりのK
さんも、「ふくらませないで!」と叫びました。
104金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:47:01
機内にはまだいくらかの空席がありました。ひとりだけポツンと座っている人は、不安になったん
だと思います。救命胴衣をつけているあいだに、席を詰めて、固まるようになりました。
 私は何も聞かれませんでしたが、制服を着ていたスチュワーデスはお客様からいろいろ質問され
えいました。「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」。聞いていたのは男の方ばかりでした。
家族連れの女性は、男の方が一緒だったせいでしょうか、そういう場合でも、男の人がいろいろ質
問していました。

 スチュワーデスはお客様に不安感を与えないように、できるだけ冷静に行動していました。いろ
いろ聞かれても、「絶対大丈夫です。私たちはそれなりの訓練も受けています。絶対大丈夫です。」
と答えていました。そのせいもあって、客室内がパニックに陥るようなことがなかったのだと思い
ます。ただ、笑顔はもうなく、彼女たちの顔も緊張していたのですが。赤ちゃん用の小さいライフ
・ベストが上の棚にあるのですが、このときにはもう、それを取りだす余裕はなく、大人用のベス
トをつけたと思います。

 子供の声が聞こえました。「おかあさーん」という声。大きくはなかったのですが、短い叫びの
ような声でした。大人のお客様は叫んだり、悲鳴をあげたりすることはありませんでした。声も
出なかったのかもしれません。不安と緊張の機内でした。

 全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わっ方は、となりの方を手伝
ったりしていました。救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあった
のです。正確には覚えていませんが、「急に着陸することが考えられますから」というような内容
です。それと、「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像で
は、二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思い
ます。落着いた声でした。
105金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:48:44
揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わ
ってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。そのときには、眼鏡をはずしたり、先の
とがったものは座席ポケットにしまったりとか、上着があれば、衝撃の際の保護になるように着用
してください、と指示するのですが、そんな時間的余裕はありませんでした。

 私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に
座りました。安全姿勢は、頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワ
ーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」
「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。こういうときは、「・・・
してください」とは言いません。
 お相撲さんや、妊娠してお腹の大きい女性の場合、腰をかがめるのは苦痛ですから、逆に背中
を伸ばして、脚でしっかり床を踏み、椅子の背に上体を押しつける安全姿勢のとり方があるので
すが、このときにはそういう姿勢をしているお客様はいませんでした。

 安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなか
ったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せ
ておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最
後です。

 そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルー
トを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白
い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきま
す。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。
106金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:50:50
頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くが、ピー
ンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だ
ったのかもしれません。安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。
船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありません
でした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞
こえました。聞こえたのは、それだけです。

 そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛
が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそん
なふにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。

 怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。お客
様はもう声もでなかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました。振動は
ありません。窓なんか、とても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をと
りつつ”けるしかけるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。座席下の荷物が飛んだり
したかどうか、わかりません。体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います。
「パーン」から墜落まで、32分間だったといいます。でも、長い時間でした。何時間にも感じる
長さです。羽田にもどります、というアナウンスがないかな、とずっと待っていました。そういう
アナウンスがあれば、操縦できるのだし、空港との連絡もとれているのだから、もう大丈夫だって。
でも、なかった。
 衝撃がありました。
107金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:56:43
衝撃は一度感じただけです。いっぺんにいろんなことが起きた、という印象しか残っていません。
回転したという感じはありません。投げだされたような感じです。衝撃のあとも安全姿勢をとって
いなければいけないのですが、私はもう怖くて、顔をあげた。その途端、顔にいろんなものがぶつ
かってきました。固いもの、砂のようなものがいっぺんに、です。音は、まったく記憶にありませ
ん。音も衝撃も何もかもが一度に起きたのです。

 衝撃が終わったあとは、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだ
けです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのは、このときでした。

 すごく臭かった。機械の匂いです。油っぽいというより、機械室に入ったときに感じるような機
械の匂いです。
 体は、ちょうど座席に座っているような姿勢です。左手と両脚は何か固いものにはさまれていて、
動かせません。足裏は何かに触っていました。それほどの痛みはなく、もうぐったりしているとい
う感じです。

 目には砂がいっぱい入っていて、とくに左の目が飛び出してしまったように、とても熱く感じま
した。失明するだろうな、と思っていました。これはあとで知らされたのですが、左右どちらかわ
かりませんが、コンタクト・レンズがどこかへ飛んでしまったのか、なくなっていました。すぐに
目の前に何かあるんですが、ぼやーっとしか見えません。灰色っぽい、夕方の感じなのです。耳に
も砂が入っていたので、周囲の物音もはっきりとは聞こえていなかったのではないかと思います。

 呼吸は苦しいというよりも、ただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、とぼん
やり思っていました。ぐったりして、そのとき考えたのは、早く楽になりたいな、ということです。
死んだほうがましだな、思って、私は舌を強く噛みました。苦しみたくない、という一心でした。
しかし、痛くて、強くは噛めないのです。
108金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 00:57:43
墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣い
です。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。
 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
 次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わか
りません。すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。私は座ったまま、
いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりに、たぶ
んとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すで
に息はしていません。冷たくなっていました。

 シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて、苦しかった。右手を使
って、ベルトをはずしました。動かせたのは右手でけです。頭の上の隙間は、右手が自由に出せる
程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。右手を顔の前に伸ばして、何か固いもの
があったたので、どかそうと思って、押してみたのですが、動く気配もありません。それを避けて、
さらに手を伸ばしたら、やはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。パー
マをかけた長めの髪でしたから、女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは
全然ありません。

 どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたり
には荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。

 それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになる
のです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右
手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。
>>1
いいんじゃね?
110金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 01:00:14
突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあ
がったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」
と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。
 私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしか
できませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂
いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。

 やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっ
きり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振り
ました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生
懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・
・・・。
 このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の
声は、もう聞こえてはいませんでした。

 体は熱く、また右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで、私はぼんやり考えて
いました。私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、などと。父のことも考えました。母親
が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだら、とても不幸だ、と。母は私がス
チュワーデスになったとき、「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げ
ることになっているんでしょ。そんなこと、あなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で
言っていたものです。それからまた、どうして墜落したんだろう、ということも考えました。
時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないで、もっとうまくできる
のに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。
111金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 01:01:28
涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。
そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました。

 気がつくと、あたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。まったく静かになっていまし
た。生きているのは私だけかな、と思いました。でも、声を出してみたんです。「がんばりまし
ょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、
もう聞こえませんでした。
 あとで吉崎さん母子や川上慶子ちゃんが助かったと聞きましたが、このときにはその気配を感
じませんでした。たぶん、それから私は眠ったのだと思います。

 風をすごく感じたのです。木の屑やワラのようなものが、バーッと飛んできて、顔にあたるの
を感じました。はっと気がついたら、ヘリコプターの音がすぐそばで聞こえる。何も見えません。
でも、あかるい光が目の前にあふれていました。朝の光ではなくて、もっとあかるい光です。
 すぐ近くで「手を振ってくれ」だったか「手をあげてくれ」という声が聞こえたのです。だれ
かを救出している声なのか、呼びかけている声なのか、わかりません。私は右手を伸ばして、振
りました。「もういい、もういい」「すぐ行くから」と言われました。

 そのすぐあとで、私は意識を失ったようです。朦朧としながら、ああ、助かったな、助かったん
だ、とぼんやり考えていました。どうやって埋まったなかから救出されたのか、どうやって運ば
れたのか、まったく覚えていません。
 体の痛みも、空腹も感じませんでした。ただ、喉が渇いたのを覚えています。カラカラでした。
お水が飲みたい、お水が飲みたい、と言っていたというのですが、私は記憶していないのです。
応急処置をしてくれた前橋の日赤病院の婦長さんが、あとで「あのときは打ちどころがわるかっ
たらりするといけないから、あげられなかったのよ」といわれましたが、水を飲みたいと言った
ことはまったく覚えていないのです。
112金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/10/31(金) 01:03:34
目を開けたら、病院でした。お医者さんから「ここはどこだか、わかりますか」と聞かれて、奇
妙な返事をしました。「はい、二、三回きたことがあります」って。そんな馬鹿な、と自分では
思っているのですが、わかっていながら、そんなふうに答えていました。頭がおかしいんです。
でも、電話番号は正確に答えていました。「ここは群馬県だよ」とお医者さんは言いました。ど
うして群馬県にいるんだろう、と思いました。それで、あ、あのとき飛行機が落ちて、そこから
きっと群馬県が近いんだな、とだんだん考えるようになりました。

 家族がきていると教えられたとき、えーっ、と思いました。飛行機がおちたことはわかってい
るのですが、どうしてここまで家族がきているのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。現
実感がなかなかとりもどせないのです。
 たぶん、このときだったと思いますが、「何人助かったんですか」と聞きました。お医者さん
が「四人だよ。全部女の人ばかり」と教えてくさいました。それしか助からなかったんですか、
と思いながら、「へえーっ」と言いました。大変な事故を起こしてしまったんだと、また感じま
した。

 天井しか見えませんでした。酸素マスクをして、じっと天井を見ながら、一緒に千歳からもど
ってきて、同じ飛行機に乗った松本さんはどうなったのだろう、と考えました。私もほんとうは
もう助からなくて、死んでいくところなんだ、などとも考えていました。百幾針も縫ったのに、
痛みは感じません。麻酔をしていたせいだと思いますが、でも、あとで看護婦さんに聞くと、
「痛い、痛い」と言っていたようです。

 救出された日の午後3時過ぎ、夫と父と叔父が病室に入ってきました。私は「四人しか・・
・・・」と口にしたのですが、夫はすぐに「しゃべらなくていいから」といいました。
荒らされ始めたな
都合が悪いらしい
114金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/11/02(日) 18:28:00
今度はどこの工作員が乱入してきたやら。
115金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/11/02(日) 22:11:52
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アメリカ発金融恐慌は日本の脱製造業化を加速する
http://kenchoro.spaces.live.com/blog/cns!BECC9BB5EE7B96DE!812.entry

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116金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/04(木) 20:57:01
サービス残業という言葉は20年前にもあったけど、時間が違うだろうな。
117金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/04(木) 21:38:01
ホワイトカラーエグゼンプションが原因で発生した日航機墜落事故をテーマにした
小説「沈まぬ太陽 三 御巣鷹山編」が来年、クランクインされますね。
118金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/10(水) 23:45:50
不屈の精神で…「沈まぬ太陽」ついに映画化

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/12/09/01.html
119金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/14(日) 23:18:46
サービス残業は法律違反

みんなで内部告発しましょう。

詳細な告発方法はこちらをドウゾ。

http://homepage3.nifty.com/hubarai/
120金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2008/12/29(月) 21:44:48
サービス残業の最大の犠牲者は日本航空の高濱機長だな。
121金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/01/05(月) 02:13:12
普通の残業すら拒否、同僚の足を引っ張る へまばかり、怠ける事は熱心な俺んとこの課の馬鹿野郎が早く死にますようにw

サービス残業をつづけていくと、上長の計画立案能力が低下するので
本当は、その企業にとって良くないことだったのだが・・・

 サービス残業が常態となる
⇒現場の作業工数が見えなくなってしまう
⇒計画を立案する人間にはサービス残業時間分の工数が見えなくなる
⇒次に計画するときに、サービス残業時間分の工数をどうするか考えずに計画してしまう
⇒サービス残業でなんとか吸収
⇒利益幅を拡大する必要がでてきたので計画も拡大することになった
⇒サービス残業で吸収する部分まで拡大することになり、どうやっても人が足りなくなる
⇒計画的ではない人員増加のため品質が維持しづらくなってくる

部門損益で赤字決算だすのを嫌がるのも同じ理屈で、
その企業にとって良くないことをやっている。

法律違反うんぬんの前に、収益増加の見込みの芽を摘んでしまう要因になっていまうのよ。
123金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/01/14(水) 01:49:42
サー残は生産は高めても、生産性は高めない。

労働生産性の向上とは10時間で完了するところを半分の5時間で完了できるようになる時言う。

労働生産性の高さは成長率の源泉であり、労働生産性が低くなる時成長は弱まる。

サー残は成長を止める駄目な方法。
サビ残をしかた無しにやってる奴はまだいい
サビ残を正当化する奴は死ねば良い
オナニーに他人巻き込むな