ワイマール共和国はアメリカだろ
日本は今も日本かイタリア
ヒットレルは必ず操れる。奴には欲しい秣を与え、いまや我々のパペットだ
227 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/08/11(木) 20:41:21.01
228 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/08/11(木) 22:34:10.63
政党は問題を永続化するために存在する、
我々は問題を解決するために存在する by ヨーゼフ・ゲッベルス
今の世界のデモは、民主主義の崩壊の始まり。
230 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/10/23(日) 00:49:04.67
233 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/11/28(月) 22:52:25.40
a
ネトウヨ死ねよ
>>220 なんでもナチスの手柄にしたがる馬鹿の言うことを鵜呑みにしない方がいいよ。
237 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/14(水) 14:25:13.37
ナチス=CFR
238 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/24(土) 16:53:15.10
ハイル・ヒットラーーー
豚箱ハイル・ボウズプロパガンダーーー
240 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/24(土) 17:05:05.19
241 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん::2011/12/24(土) 17:56:02.42
オタクぐらいしかCD買わないからな。
242 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/24(土) 18:59:59.93
国家社会主義の大衆集会
これに反して、国家社会主義の大衆集会は、もちろん「低罠」
集会ではなかった。そこでは、実に二種類の世界観の大波がたがいに衝突する。そして集会は、
なにか愛国的な歌を単調に歌って終るのではなく、民族主義的、国家主義的熱情の熱狂的な爆発
でもって閉じるのである。
われわれの集会では盲目的な規律を導入し、集会幹部の権威を無条件に確保することが、最初
からただちに重要であった。というのは、われわれがしゃべることは、ブルジョア的な「報告
者」のような無気力なムダ口ではなく、内容や形式によって、つねに相手を怒らせて抗弁せしめ
るようなものであったからである。そしてわれわれの集会には相手がいたのだ! かれらが数人
の扇動者をその中にまじえて、きょうこそはおまえたちと決をつけるぞ、という確信をみんなの
顔面に反映させながら、大挙してきたことが、どんなにしばしばあったことか!
そうだ。当時かれら、すなわち赤色のわが友人たちが、今晩こそあらゆるガラクタを投げあっ
て、すべて結末をつけてしまおうと、あらかじめ任務を教えこまれて、文字どおり縦隊になって
ひきつれてこられたことが何度あったか知れない。さらにまたすべてが一触即発の状態であった
こともしばしばだった。そして、わが集会幹部の仮借なきエネルギーと、われわれの会場防衛者
の断固とした猪突猛進性が、つねに敵の企図を阻止しえたのであった。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
疑わしい赤いポスター
きっとわれわれのポスターの赤色が、かれらをわれわれの集会場に
ひきつけたのだ。普通の市民は、われわれもまたボルシェヴィキの赤を選んだことに、まったく
驚いた。そして人々はそこに実に二種類の問題をみつけだすのだ。ドイツ国家人民党の連中は、
われわれもまたつまるところマルクシズムの変種にすぎないだろう、一般に覆面のマルクシスト
か、よくても覆面の社会主義者にすぎないだろうという嫌疑を、いつもこそこそささやいていた。
というのはこれらの人々は今日もなお社会主義とマルクシズムの区別を把握していないからであ
る。特に、われわれが、われわれの集会で原則として「紳士ならびに淑女諸君」と挨拶せずに、
「男女同胞諸君」と挨拶し、われわれの間ではただ党員についてのみ語られるということをなお
発見したとき、多くのわれわれの敵にとってはマルクス主義的幽霊が実証されているように思え
たのだ。われわれはこの単純なブルジョア的小心者が、われわれの由来とか、われわれの意図と
か目的とかについて、かしこそうに謎を解いているのを見て、なん度こう笑したかわからないく
らいだ。
われわれは綿密に、徹底的に熟考して、これによって左翼を刺激し、憤激させ、かれらをわれ
われの集会にくるように誘発し、かれらをたたきのめす−それだけであるが−ためにポスタ
ーに赤色を選んだのだ。それによって、われわれはこうして一般に世人に語ることができたのだ
った。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
敵がわれわれを一般に知らせる
ともかく、これと同じようなたえず動揺する戦術を、人々
は赤の新聞でも見いだした。かれらは、われわれをしばらく黙殺しようとする。この試みの無益
さを確信し、そしてふたたび反対のやりかたをするためにだ。われわれは毎日どこかで「言及」
された。そして実際、たいていは、労働者にわれわれの存在のすべてが笑止千万きわまりないこ
とを説明するためだった。だがしばらくすると、現象がそれほど笑うべきものであったなら、な
ぜ人々はその現象にそんなに多くのことばをついやすのか、という疑問が自然に多くの個々の人
々から生じてきたときに、これはわれわれに害にならないばかりか、反対に利益になるというこ
とを、紳士方は感じたにちがいなかった。世人が好奇心をもってきたのだ。かれらはとつじょ、
方向を転ずる。そしれ、しばらくの間は、われわれは人類の真の元凶として取扱われはじめた。
論説につぐ論説で、われわれの犯罪性の解説がされ、つぎからつぎへと新たに証明される。はじめ
から最後まで、でっち上げであるが、スキャンダルがさらに余計なものとしてはたらくというこ
とになる。だがこういう攻撃の効果のなさについては、かれらもしばらくするとわかったらしい。
つまるところ、これらすべては、実際に一般の注意をはじめてほんとうにわれわれに集中するの
を助けただけである。
わたしは当時、次のような立場をとっていた。すなわち、かれらがわれわれを笑おうと、のの
しろうと、道化役として、あるいは犯罪者として言明しようと、まったく同じである。かれらが
われわれに言及し、かれらがたえずわれわれのことに没頭し、われわれが次第に労働者自身の目
に実際に、目下ただ一つだけまだ対決している力があるのだと思われることが、主要事なのだ。
われわれは実際何であるか、われわれは実際何を欲しているのか、われわれは将来いつの日かユ
ダヤの新聞の暴徒たちにたしかに示してやるだろう。
当時なぜわれわれの集会が、たいていじかい強制解散にいたるまでいたらなかったかという理由は、
もちろん、またわれわれの敵の指導者たちのまったく信じられぬほどの臆病さにあった。危機的
場面にはいつも、かれらはわかいバカなやつを前に出して、せいぜい会場の外で強制的解散の結
果を待っているのだった。
われわれはほとんどいつも、紳士方の意図に非常によく通じていた。われわれが、それが有効
であるということ自体のために多くの党員を、赤色部隊の中へ編入していたからというだけでな
く、赤の黒幕たち自身が−残念ながらわれわれドイツ民族に一般に非常にしばしば見られるよ
うに、この場合われわれにとって非常に有利なじょう舌にかられていたからでもあるが、かれら
は何か悪事をたくらみだしたときには、秘密を守ることができない。そしてかれらはたいてい卵
も生まないうえに、コケコッコとやるのがつねだったのだ。だから赤色強制解散司令部自体が追
いだされる時期が切迫している予感さえもつことなしに、われわれはたびたびこのうえもなく
周到な準備をしたのだった。
このころは、われわれ自身で、集会の警護をどうしてもやらなければならなかった。当局の警
護はあてにすることができなかった。反対である。当局の警備は、経験によると、つねに妨害者
のためになるだけだった。というのは、当局の介入、しかも警察による介入の唯一の結果は、せ
いぜい集会の解散、つまり閉会だったからである。またいうまでもなく、それが敵の妨害者たち
の唯一の目標であり、意図だったのだ。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
不法な警察のやり方
一般に警察では、考えうるかぎりの最もひどい不法なやり方で訓練さ
れていた。すなわち、脅迫かなにかによって、集会の強制解散の危険があることが当局に知れる
と、当局は脅迫者を拘引せずに、他のもの、すなわち罪のないものに集会を禁ずるのだった。そうい
うやり方を普通の警察の連中は、非常に法外に自負している。これを称して「法律違反の防止に
対する予防処置」という。
かくして覚悟をきめた常習犯罪者は、いつでもまじめな人々に政治運動や政治活動を不可能
にすることができるのだ。安寧秩序の名において、国家権威が常習犯罪者に屈服し、そして他の
側には、すまないがかれらを挑発しないようにと頼むのである。このように国家社会主義者がど
こかで集会を開こうとし、労働組合が、それは組合員の側から抵抗がおこるだろうといえば、警
察はこれらの恐かつ者どもを獄に投ずるようなことは断じてせずに、われわれに集会禁止を命ず
るのである。いやそれのみか、この法の機関は信じがたいほど無恥であり、文書でわれわれにこ
れを数え切れないほどなん度も通知してきたのである。
人々がこうした万一の場合に身を守ろうとするならば、こうして妨害をしようとするあらゆる
試みを、あらかじめ萌芽のうちに不可能にするよう配慮しなければならなかった。
だがこれとともにさらに次のことが問題になった。すなわち、警護をもっぱら警察にやっても
らうような集会は、すべて大衆の目からみれば、その開催者が信用を落とすということである。た
だ大動員した警官を配置することによってのみ開催が保障されるような集会は、仮想の民衆を獲
得する前提というものが、つねに目に見えて存在している力であるかぎり、勧誘的な効果はない。
臆病者よりも勇気のある男のほうが女性の心を屈服しやすいのと同じように、警察の警護によ
ってのみ存続しているようなひきょうな運動よりも、勇ましい運動のほうが、民衆の心を獲得し
やすいのである。
特に最後にのべた理由から、この若い党は、自己の存在をみずから主張し、みずから守り、
そして敵のテロをみずから破るように配慮しなければならなかった。
心理的に正しい集会管理 集会警備は、
一、集会のエネルギッシュな、心理的に正しい管理と、
二、組織的な整理隊
によって樹立された。
われわれ国家社会主義者が、当時集会を開催したよきには、集会の支配者はわれわれであり、
他のものではなかった。そしてわれわれはこの支配権をたえず、どんな瞬間にも極度に鮮明に強
調した。われわれの敵は、当時挑発的名ものは容赦なくたたき出されるということを、じゅうぶ
んに知っていた。そしてわれわれのほうが五百人の中のわずか十二人にすぎなくてもだ。当時の
集会、とりわけミュンヘン以外のところでの集会においては、国家社会主義者が十五、六人であ
ったのに対し、敵は五百人、六百人、七百人、八百人であった。だがわれわれは、それにもかか
わらず挑戦に対して寛容ではなかったはずである。そしてわれわれが、屈服するよりは打ち殺
されたほうがましだと考えていることは、われわれの集会の出席者が非常によく知っていた。小
人数の党員がわめき、なぐりかかる赤の優勢な力に対して、豪胆にやり通したことは、一度なら
ずしばしばのことであった。
もちろんこういう場合に、十五人や二十人ではついに圧倒されてしまったであろう。だが、そ
の前に少なくとも敵は二倍か三倍かは頭をたたきこわされるだろうということを知っていた。そし
てかれらは生命の危険をおかすことを好まなかったのだ。
われわれはここでマルクス主義者やブルジョアの集会技術の研究から学ぼうとし、そしてまた
学びとったのだ。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」
フランス映画「サラの鍵 Elle s'appelait Sarah/Sarah’s Key」2010
朝鮮人や民主党だけでなく、財務省や日銀に対するテロが発生するのも時間の問題であろう。
251 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/25(日) 17:10:56.63
252 :
朝鮮人はゴキブリ:2011/12/25(日) 21:25:35.81
俺もヒトラーの我が闘争はけっこう好きな書籍だが、
日本語訳が分かりづらいし読みづらい。
253 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/25(日) 22:08:22.01
■ ウサマ・ビンラディンからのメッセージ(日本語版に向けて)
http://www7.plala.or.jp/nsjap/laden/laden01.html ラディン氏による直筆メッセージ
ハミッド・ミール氏は、私に関する本が日本語でも出版されると知らせてくれた。日本の読者に向けたメーセッジが欲しいという。
日本の歴史には大変興味がある。近い将来に私が殺されなければ、日本を訪れ、日本についてもっと知りたい。
第二次世界大戦中、アメリカが日本に原子爆弾を落とし、二つの都市を完全に破壊したことを、私は常に非難している。被爆国で
あるが故に、日本は核兵器に反対している。その見解は尊重するものの、一方で私は、自衛のために核兵器は絶対に必要であるとも
考えている。数十年前に、アメリカが広島、長崎の何の罪もない人々を殺戮したことについて、深い悲しみを表明する。
日本人は勇敢で勤勉は国民である。壊滅的な破壊を蒙ったのに、わずかな間に国を再建した。日本人に対しては嫌悪も敵意も抱い
ていない。私が戦っているのは抑圧者であり、日本人は抑圧の犠牲者なのだ。
本書を読み終えれば、日本の読者はきっと、まったく新しい私の相貌を見出すことになるだろう。ミール氏の質問はいつも厳しい。
私からあらゆる重要な情報を引き出すように最善の努力を尽くしている。彼が、私の人生の重要な側面すべてをカバーしてくれること
を期待する。重要なのは私ではなく、思想なのだ。私自身は平凡な人間である。
日本の読者の皆さんには、イスラムという宗教と、ジハードの概念について理解することを強く薦める。そうそうすれば、我々が
テロリストでないことが分かるようになるはずだ。我々はテロリズムの犠牲者なのである。
【三重】伊勢神宮周辺に「ええじゃないか」と連呼する集団が練り歩く・・・新成人には「新成人、新成人」とかけ声
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1326117161/ 国会の空転、景気の停滞、東日本大震災、原発事故など今の世の人々の不安な
気持ちを吹き飛ばそうと1月8日、「伊勢ええじゃない会」(石川雄一郎会長)が
「ええじゃないか、ええじゃないか」と明るく騒ぎながら伊勢神宮外宮から内宮までの約3キロの距離を練り歩いた。
同会は、幕末に「ええじゃないか」「ええじゃないか」と
明るく騒ぎ、社会不安を吹き飛ばそうと民衆の間から巻き起こった社会現象を再現し、
明るく楽しい世にしていこうと毎年仮装による伊勢参りを実施、今回で8回を数える。
傾奇(かぶき)者や女装、忍者などに仮装し「ええじゃないか」と
連呼しながら歩く集団が、内宮の門前町として栄え今も大勢の参拝客が行き交う
おはらい町通りに差し掛かると、一般人も巻き込みながら楽しく
「ええじゃないか、ええじゃないか」と盛り上がった。成人式を終えた
新成人を見つけると取り囲み、「新成人、新成人」と掛け声で祝った。
http://iseshima.keizai.biz/headline/1295/
国民と指導者の運命共同体
ある民族の勃興と繁栄とは、要するにその民族の中にいる貴族の分子が、肉体的にも精神的にも
健全であるかないかに因って、非常に左右されるものであって、この関係は歴史の経験から判断
しても、殆ど疑うことの出来ぬ明らかな事実なのである。一国に健全な貴族が存在しておればこそ、
国民は始めて道徳並びに国家の繁栄に導かれて行くものだ。反対に肝腎の貴族が弱くなるか或いは滅びて
しまうと、それに依って指導されていた国民一般もまた必ず萎縮する。従ってその萎縮を避けようと思え
ば、そういう危機に先立って、今までの貴族に代りうるような、何らかの新しい指導者層を、その上
に載せなくてはならぬ。『本来優秀でそして支配的であった貴族が、一旦その富なり教養なり政治的
精進の力なりを失ってくるか、或いは貴族以外のほかの人民層が、之に取って代りうるような状態になる
と、今までの貴族には自分の支配に対する確信がなくなり、従って、その国家は病気にかかったも同然
で、果ては憲法の改変も不可避となる』(トライチュケ)だから国民全体と、之を指導する層との間に
は、極めて密接な一個の運命共同体という関係が成立する。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
国民と指導者の運命共同体
ある民族の勃興と繁栄とは、要するにその民族の中にいる貴族の分子が、肉体的にも精神的にも
健全であるかないかに因って、非常に左右されるものであって、この関係は歴史の経験から判断
しても、殆ど疑うことの出来ぬ明らかな事実なのである。一国に健全な貴族が存在しておればこそ、
国民は始めて道徳並びに国家の繁栄に導かれて行くものだ。反対に肝腎の貴族が弱くなるか或いは滅びて
しまうと、それに依って指導されていた国民一般もまた必ず萎縮する。従ってその萎縮を避けようと思え
ば、そういう危機に先立って、今までの貴族に代りうるような、何らかの新しい指導者層を、その上
に載せなくてはならぬ。『本来優秀でそして支配的であった貴族が、一旦その富なり教養なり政治的
精進の力なりを失ってくるか、或いは貴族以外のほかの人民層が、之に取って代りうるような状態になる
と、今までの貴族には自分の支配に対する確信がなくなり、従って、その国家は病気にかかったも同然
で、果ては憲法の改変も不可避となる』(トライチュケ)だから国民全体と、之を指導する層との間に
は、極めて密接な一個の運命共同体という関係が成立する。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
族と意識的指導者主義
処が国民の指導が、ただ国民の優秀な層の手に委ねられているというだけの条件で、その優秀な才能
が何ら世襲的鞠養も育成もされないで放ってあるような場合には、その国民なり或いは国民の天分
なりというものが、やがてはきっと元も子もなく浪費され、荒れ果ててしまうに決まっている。素より、
一時は国民中のいい部分が上に立って支配しているのであるから、その限りにおいて、国が繁栄の域に
達しないという訳ではない。だがその繁栄は一時的な現象に過ぎない。その適例は近世における民主
主義の諸国の歴史である。即ち今まで貴族主義が支配していた所へ、忽然民主主義が取って代ったよ
うな国では、国内の体制がスッカリ変ってしまうのであるから、それまで下積みになっていた随分働き
のある有能な人間が、新たに人民の上層に立って、善治を行なうことも出来るだろう。だがこの民主主義
というものは本来妙な性格の持主であって、世襲の伝統に基づく人間の不平等を何よりも嫌いだという
のだから、今まで国民体の中へ遺伝的に植えつけられた値打ちのある能力などは、なるべく発揮させない
よう、頻りにこれを妨害したり、破壊したりしがちである。そこには民主主義の一番大きな欠点が発見さ
れる。即ち民主主義が台頭すると、一時は大いに栄え得ても、歴史の長い眼から見ていると、不思議に
も国民全体としての才能は次第に萎縮し、文化が枯死してしまうのが普通である。一体その原因はどこ
にあるのだろうか、との疑問はよく起る処であるが、右に述べた事情は、それに対する立派な答えの
鍵となるだろう。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
所有権と血族の連続
今日わが国民は、経済的思惟の点では、全く病気に罹って。貨幣経済の指示に従いさえすれば、同
時に文化まで向上進歩するというような、まことにとんでもないことを、真面目に信じ込んでいる。せめ
ては国民知識階級の、経済に対する理念が、こんなにも歪曲されないことを、もっとハッキリしたものを
掴んでいたとするなら、農業に対する今日の如き、妙な謬見なども、結局は生まれる筈はなかったと思
う。まだ私達の祖父の時代には、多少感情的にしっかりしたもの位は残っていた。少なくとも自分の耕し
ている土地との精神的連絡が、まだ全部失われていなかったのだ。
然るに今日の問題として、一番寒心に堪えないのは、土地にはもはや道徳的な、又生活法則的な任務
が喪失され、ただ財貨生産の一部分となって、その所有者の搾取意思に放置されているという事
なのである。
しかもこの現象中の一番悪い核心は、国民がゲルマン的=古ドイツ的な所有観念と絶縁してしまった
点である。所が世にはこの絶縁が、わが国の商工業の発達にとって、已むを得ざるのみならず、或いは
却ってその方が良かったのではないか、などと弁護する論者さえないではない。だが本当の憂国の士
にとっては、この絶縁が農業のために、従ってわが民族全体のために、実にその運命を決定するもの
であったことを、痛切に感じさせられる。
ゲルマン的な所有権の観念は、血族の連続としてのゲルマン的な家族の根本思想から、到底分離が
できるものではない。それはゲルマン人一般の世界観と同じように、本来ゲルマン的な神の観念に基い
て、それに結びついたものなのだ。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
マルクス主義と自由主義
これらの事実より推して、マルクス主義の音頭を取る人々が、いずれも申し合わせたように、農民主義を罵
倒する気持はよく分る。その例として二三を挙げても、こんなのがある。 『農民的経済は慣習的怠惰
と不合理とに充ちた経営である。それ以上に悪いのは百姓自身だ』(カール・マルクス)−『もう
一度ハッキリ言うなら、一体わが国の百姓ほど利己的で、思慮がなくて、残酷で、そのくせ頑固一
点ばりな階級は、どこを探しても無いだろう。だから世の中が退歩しても、なおそれで喜んでいられ
る者は、この層の存続に満足を見出すだろうが、人間の進歩は、そんなものが消えてなくなることを
条件とする』(ベーベル)。−『われ等は農業に於いても、百姓的小経営の没落を進歩させるよう、何処
に於いても、又何時でも努力されていなければならぬ』(エンゲルス)。−「社会民主主義は百姓から、
その土地所有への甘い愛着を剥奪する必要がある』(ゲック=カールスルーエ)
マルクス主義と提携して行くものは自由主義だ。自由主義は、土地問題については、反対の印をつけた
マルクシストである。その意味は、地代の要求を、一般の権利として通告はしないが、これを地主の権利
として通告するのである。だが自由主義は一言たりとも、血の思想に触れようとしない。即ち土地
の所有者には、その所有を享楽する以外に、血族に対する昔の意味にしろ、又民族に対する現代的
意味にしろ、いずれにしても血族を基とした義務がないのである。この問題に関する自由主義の世界観
的原理は、本質上マルクス主義のそれと、寸分違っていない。或いは自由主義とマルクス主義とは、ド
イツの土地思想を、両方の道から挟み撃ちにしてこれを刺殺するために組織された二つの世界観であると、
言って言へぬことはないだろう。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
地方環境の魂に及ぼす影響
多分読者の多くは、始めから、一体何のために、わたしの言う育圃なるものを、特に作る必要がある
かとの疑問を持っていられるだろう。そういう事をしなくても、その目的を達するためなら、
或いはその他にも手段はありそうなものである、例えば特定の家族に国家の補助金を与えて、それを所要
の条件に叶うように規定していってもよかろうし、それともこれに適当な住宅を設備して−(それ
から郊外田園都市のやり方でほぼ見当はついているだろうが!)−それを特定の家族に自由にさせても
よいではないか、と訊ねられるだろう。然し私は断じて、そんな事ではいかん、と答える。
なぜなら都会が−田園都市でもやはりそうだが−生育していく青年の魂の生活に、良い影響を
与え、そこから真に成熟した魂の貴族を含んだ指導者族を、作り出せるものとは、到底考えられない
のだ。その潤いのある調子を持ったドイツ魂は、何と言っても郷土の風物に根を下し、善い意味に於
て常にそこから成長しなくてはならぬ。一体数千年にわたる古い伝統と道徳の様々な因縁を絡ませ、
又そのドイツ魂の発展のために、細かい、そして計り知れない影響を与えてきた、ドイツの田舎の
風景なるものが、実際どんな意義を持っているかは、次のちょっとした現象でも明らかに説明がつく。
即ち、昔から詩人と哲人の民族だ、と自他共に許しているドイツ民族が、故郷を捨てて北アメリカへ
移住し、北アメリカ人の血統の大部分を占めるようになっているのに拘らず、その中から、少なくとも
北アメリカの土地で生まれた人間の中からは、奇妙にも言うに足るだけの詩人や哲人は、たった一人も
生まれてこないのである。
だがそれとて風景画、人種や民族を、肉体的に変化させてゆくという主張には、断然反対しなけれ
ばならない。そんな例も見当たらぬし、又そうであるという、十分な証拠もないのである。
或いは唯一の例外として、即ち地球の歴史が永い間進んでいるうちに、自然の作用で一種の淘汰が行なわれる
ものだとすると、人類の肉体もその地方の有様に順応して、間接には変化するのかも知れない。然し私がここ
に言わんとするのは、そんなことではなく、いかに自然の環境が、発育盛りな青少年にとって、大きな
影響を与えるものであるか、という点である。その青少年が大人になって後の魂の態度は、結局その幼時
に受けた慣用的な体験から来るものだ、問いう点である。
で、ドイツ魂から、自然に生育した田舎の風致を取り去ると、それはドイツ魂を殺すに等しい。そ
の意味で、どんなにキチンと設備の整った田園都市でも、田舎の風致の範疇には入らない。況や石畳
の大海原みたいな殺風景な中で、定まった棲家さえなく、魂の上では殆ど片輪になっている大都会
人の落着きなさと、街の空気を吸って、あまりにも早熟に育った青年達の独立性とは、精神生活を萎縮
させ、その只でさえ皮相浅薄な考えに、益々悪い入れ知恵をつけるだけなのだ。
だからエルンスト・ハッセが、『田舎は独りの人間の故郷だ。本当に大きな独りの人間、即ち「英雄」
は、いつでも田舎から出身する』と言っているのは、極めて正しい。魂の観点からして、生存するために
自らを強固にした『英雄』を必要としている。あらゆる大都会的な経験の水で洗った都会人は、なる程
『軽快』で『明朗』であり、少なくとも最初に見た時はそういう印象を受けるが、さて歴史上の重大
時局に直面すると、指導者に向かって、どうすれば本当に正しい措置が執れるかという、内部の示唆を
与え得るような、そんな才能は一向に持合せない。
リヒャルト=ワルター=ダレー著 「血と土」
>>6 戦争を起こすのは若者だ
鬱屈とした若者のフラストレーションが戦争を起こすんだよ
もし戦争を防ぎたいと思うのなら若者を優先して老人のことなど後回しにしろ
>>218 強姦レイプ略奪しまくったのは会津人だろw
外国人ですらがそういってるよ
268 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2012/01/28(土) 14:46:49.88
無理矢理徴兵するのはそんなことより重い罪だ。
騎馬戦の世界大会でもやるか?
271 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2012/02/04(土) 20:12:08.55
>>266 高齢化社会の民主主義国なんだから、年寄り重視になるのは仕方がない。
若者は少数派なんで政治にその声が反映されにくいから、
若者の不満から戦争が起ることはないだろ。
1933年にアドルフ・ヒトラーが権力を掌握すると、ドイツは、ユダヤ人を迫害するようになる。
その結果、ユダヤ人の科学者や資本家たちがドイツからアメリカへと大挙して亡命することになった。
これまでの事例においてもそうであったが、先端産業の担い手を迫害する国は没落し、
その国が享受した繁栄は、彼らが移住する国によって奪われる。
第二次世界大戦後、科学の最先端はドイツから米国に移り、これが米国の覇権を決定的にした。
多くの人は、ドイツは、第二次世界大戦で英米に敗れたので没落したと信じているが、
そういう結論で満足する前に、なぜドイツは第二次世界大戦に敗れたのかをさらに考えてみる必要がある。
第一次世界大戦での敗北は、ドイツにとって大きな負担になったが、ドイツは依然として、
科学技術の面では世界の最高水準にあった。
もしもヒトラーがユダヤ人を迫害していなかったなら、ドイツは原子爆弾の開発に成功して、第二次世界大戦に勝利していたかもしれない。
逆に、レオ・シラード、ニールス・ボーア、ジョン・フォン・ノイマン、エンリコ・フェルミといった迫害を逃れて渡米した科学者たちがいなければ、
米国は、原子爆弾を製造することはできなかったかもしれない。
科学技術力は、経済力を媒介にして、軍事力に間接的に影響を与えるのみならず、兵器の性能という点で、直接的な影響をも与える。
戦争の勝敗は、覇権国家の盛衰に大きな影響を与えることがあるが、軍事力が果たす役割は、二次的、三次的なものに過ぎない。
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/hegemony.html
274 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん: