米国債買いまくって日本の金を流し続ける売国政府

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663名無しさん@そうだ選挙に行こう
月刊リベラルタイム 2010年7月号
政界黙示録/高橋 利行◎政治評論家
「米国債」買い増しでアメリカの機嫌をとった鳩山
ttp://www.fujisan.co.jp/Product/1276354/

米軍普天間基地移転問題の解決が遅れる鳩山由紀夫政権。
解決の「先延ばし」を公言できたのも、理由があった

          (前略)
 ゴールデンウィークの直前、キャンベル米国務次官補が来日した。先にタイ情勢の悪化を理由に
キャンセルした訪日の出直しであった。このキャンセルは「普天間」が拗れている「報復」ではないか
という観測もあっただけに、訪日が実現したことに政府も安堵したのである。
 肝心な「普天間」は、いまだに埒が明かない。宰相・鳩山由紀夫が「職を賭して約束した」はずの
「五月末決着」は反故になっている。「アメリカ」「地元」「連立与党」の三者の理解を、期限内に得る
ことはできなかったからである。
 だが、帰国する瞬間に覗かせたキャンベル国務次官補の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「普天間」が思うに任せないにもかかわらず、意外な表情であった。外交官の顔色に騙されては
ならないが、日米同盟に亀裂が生じている時の表情とは思えなかったのである。
 消息通によると、キャンベル国務次官補は、日本側との会談で「普天間」の経緯を聞くとともに、
「それはそうと米財務省証券(米国債)は買い増してくれるんでしょうな」と念を押したそうである。
その確約を取り付けたことで、「普天間」には、いわば「執行猶予」を与えたというのである。「普天間」
で、ぐいぐい追い込み、その裏でしっかりと「実利」を取ったというのである。いわば「敵は本能寺に
あり」とでもいうのであろうか。にこやかに帰国したのは、その大役を果たしたせいだという。
   《続く》
664名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 20:42:46
>>663《続き》
          (中略)
 中国が保有残高を大幅に減らした背景には、オバマ政権が、台湾への武器売却を容認したことや、
大型景気対策で巨額な財政赤字が見込まれることを受けて、リスク分散を図ったという見方がある。
中国が減少させた分、日本は逆に、大量増発された米国債を買い増しすることを、強く求められている
のである。アメリカの国力を支えているのは日本なのである。その金蔓が景気の低迷で、これ以上、
米国債を買えないというのでは、アメリカは困るのである。
 アメリカも、いまや斜陽である。ついつい棘のある態度になるのだろう。それが、普天間基地の移設
が頓挫したことで、日本には、アメリカへの弱みができた。一方で、移設が遅れたところで、普天間
基地は現状維持になるだけで、米軍の抑止力に支障が出る訳ではない。困るのは、約束を果たせ
なかった鳩山であり、沖縄県民なのである。日本が苦しみながら結論を出せばいいのである。
 それよりも、アメリカにとっては「国債の消化」の方が、喫緊の課題なのである。それを日本側が
呑んだことにより、もっとも難しい「アメリカの理解」を気にしなくてもいいことになったのは大きい。この
キャンベル国務次官補の来日を機に、鳩山内閣の閣僚が一斉に「先送り」に言及を始めたのには、
こうした背景がある。
 政治には複眼思考が欠かせないといわれる。なんとかの一つ覚えで突進したのでは、相手の術中
に嵌まる。押しまくっておいて、本当に欲しいものを容赦なく奪い取る。その選択肢が多ければ多い
ほど、巧みな外交戦略というのである。アメリカはしたたかである。縋るように頼み込んでくる宰相・
鳩山をただ突き放しても、なんのメリットもないことに気が付いている。
          (後略)
665名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 20:45:06
>>663-664
普天間問題の本質とその舞台裏
http://yomi.mobi/read.cgi/temp/society6_diplomacy_1183257300/617-619n
http://yomi.mobi/read.cgi/temp/society6_diplomacy_1183257300/622

【ゲンダイ】日本を真の独立国にしようとする小沢一郎の真意をアメリカだけが見抜き、警戒し、裏で画策している
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1278552318/
 また普天間基地問題の陰には地元沖縄の複雑な利権もからんでいると著者らは見る。
辺野古沿岸部への移設も旧自民党政権時代の利権がからみ、グアム移設案では代わりに
米国債の買い増し取引が行われているというのだ。