★マスゴミや民主党が金科玉条にし、大衆を教唆し騙している、『マニフェストの誤解を解こう』
◆「マニフェスト政治にもの申す」 豊永郁子 国際教養学術院教授
http://www.asahi.com/ad/clients/waseda/opinion/opinion158.html ■日本化されたマニフェスト
このマニフェストはイギリスにモデルがあるといわれ、日本にイギリス型の二大政党制をもたらすための切り札のようにもいわれている。
しかし実際には、日本で言われるマニフェストはイギリスの二大政党制下で長らく実践されてきたマニフェストとはかなり異質なものとなっている。
輸入の過程でイギリスにおける同実践の背景やその諸々の付帯条件が閑却されたということか。
それとも、『日本固有の問題に対する一種の対症療法として開発されたものに、民主主義先進国イギリスのブランド・イメージを拝借した』ということなのか。
■マニフェスト三原則
マニフェスト三原則といわれ、マニフェストに必須とされる要件がある。『数値目標、達成期限、財源の明示の三つ』である。
『この三つがたびたびマニフェストの定義として報道番組等で紹介され、しかもそこに常に「イギリスで行われている」という枕詞がついてまわることには閉口させられた。』
▼まず、『数値目標であるが、過去にイギリスで出されたマニフェストをいくらひっくりかえしてみても日本において見られるような数値目標満載のマニフェストは出てこない。』
日本のマニフェストのお手本になったといわれるブレア労働党のマニフェストにしても、ざっと一読すれば、数値目標は非常に限定的に、それゆえ効果的に用いられてきたことに気づかされるであろう。
1951年に保守党が始めたことだが、目玉政策をアピールするためにあえて数値目標を盛り込むということは長く行われてきた。
但し、『ここで重要なのは、その狙いがどちらかといえば、その政党の政策遂行能力、つまり政府をマネージメントする能力をアピールすることにあり』、
従って、『この手法は斬新な政策を打ち出せない陣営の側でこそ重宝されてきたということである。』
『ブレアの数値目標が注目されたのも、労働党が政策革新の党であることをやめ、国家の良きマネジャーであることを強調する戦略をとったことと関連している。』
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▼同様に、『第二の達成期限についても、任期中に成果を出すという以上に特定する一般的必要性は、イギリスの先例からは浮かび上がってこない。』
▼そして、第三の、財源の明示。
この部分は、まさにブレア労働党によって確立された手法であった。
裏返せば、過去数十年にわたって繰り返されてきた二大政党の交代劇にこの手法は介在してこなかったということである。
さらに言えば、『ブレア労働党にとって、これは労働党がネオリベラルの「小さな政府」のパラダイムを受け入れたこと、
つまり1980年代以降の保守党の路線を継承することを対外的にアピールするための道具という意味をもっていた。』
▼このようにイギリスではある特定の文脈において部分的に行われていたに過ぎない実践をとりあげて一般化しているのが、日本流に翻案されたマニフェストということになる。
その結果、日本のマニフェストに課される条件は非常に偏った厳格なものとなってしまっており、政治に本来必要な柔軟性がマニフェスト政治によって奪われる危険性さえちらつかせている。
■マニフェスト政治の落とし穴
要件の厳しさに加えて、マニフェストを絶対視する風潮がこの危険性をさらにリアルなものとしているのが現在の状況である。
『そもそも、われわれは着地点が簡単には見通せない状態、予期し得ない事態、次から次へと浮上してくる新しい問題に対処するために、政治家を選ぶ。』
『われわれがあらかじめ選んだプログラム(マニフェスト)がそのまま遂行されればすべてが済むのであれば、政治家は必要ない。官僚だけですむ話であろう。』
これまでの日本でのように政治家が融通無碍に過ぎるのにも問題はあるが、『この世の不確実性にこそ、政治家の存在根拠はある。』
『だからこそ、政治家は結果に対して責任を問われることを免れないのであって、
ある時点で与えられたプログラムを金科玉条と奉じるようでは政治家失格である。』
気がかりなのは、マニフェスト偏重の政治が政治家にこれらのことを忘れさせはしないかということだ。
『何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。』こと国政選挙に関する限り、マニフェスト依存症の政治に古の格言を引っ張りだし、警鐘をならしたくなる筆者は天の邪鬼であろうか。
★マスゴミの目的である民主党を勝たせるための道具として
…「マニフェスト」から「世論調査、イメージ戦略、ワンフレーズ・ポリティクス」へシフト
特にワンフレーズ・ポリティクスについては、民主党やマスゴミは、自らが批判した小泉のやり方を、参院選挙の年になってからすすんで使用するようになった。
■小泉の良し悪しは別として、小泉の街頭演説のイメージには民主党の街頭演説では勝てない
今回、小沢の街頭演説をマスゴミは殆ど報道せず。『大衆のイメージに残っている小泉の時と比べられてしまうから。残っているイメージは美化されるため、打ち崩すのは難しい。』
■マスゴミの目的である民主を勝たせるための道具として
…「マニフェスト」から「世論調査、イメージ戦略、ワンフレーズ・ポリティクス」へシフト
実は『政権担当能力のない民主党を、二大政党の一つのように偽装する道具がマニフェストであった。』
その代わりにマスゴミがやった事が、『世論調査の多用』と、『自民党は欠陥だらけ→だから民主党へ(≠共産党)(雪崩れ現象)というイメージ戦略』と、『ワンフレーズ・ポリティクス』。
以前はその道具として、マニフェストが使えるとマスゴミは思って「マニフェスト!マニフェスト!」と唱えていたが、今回は年金以外はマニフェストをあまり唱えなかった。
■『道具としてのマニフェスト戦略が使い物にならない事が、911郵政選挙で判明。
そして民主党大勝利の参院選挙においても、調査によると、大衆はマニフェストの読み比べどころか、1党のマニフェストすら読まず。
ましてや、ネットでの読み比べや、候補者の重要案件に関する賛否の立場の比較なんてやらない。』
◆参院選 好感度、民主リードさらに ネットモニター調査[毎日新聞 2007/07/25]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000000-maip-pol ◇いずれかの政党の参院選のマニフェストを読みましたか(%)
読んだ 27
読んでいない 72
◇<「読んだ」と答えた方に>
いくつの政党のマニフェストを読みましたか
一つの政党 28
二つの政党 38
三つ以上の政党 34
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■選挙の小沢・密室政治の権化の小沢は、『マニフェストは選挙の票には繋がらない』事を認識
◆「あの分厚いマニフェスト、誰も読まない。俺も読まなかった。」 by 小沢一郎・民主党代表 2007年2月 日本記者クラブにて
◆“変身”小沢代表が民主斬り[スポニチ 2006/04/10]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/04/10/01.html 》「あんな長い文章はだれも読まない。中身のある事を短いフレーズで言わなければいけない。」 by 小沢一郎
→つまり、『民主党やマスゴミが批判した小泉のやり方である「ワンフレーズ・ポリティックス」や「イメージ戦略」を推奨。』小沢一郎が民主党の象徴であるマニフェストを切捨てた。
党のトップが読まないものを、大衆が読むだろうか? 否。
「選挙は政策争いではない」「政策は議席を取ってから考えれば良い」というのが選挙の本質。
アメリカ大統領選で曖昧な事しか言わず変革と勢いのオバマもまさしくそう。
■国民が民主党に投票した理由は「自民の敵失(失策)による批判票(毎日の世論調査では8割近く)」であり、「民主の政策に期待」やましてや「政権交代に期待」ではなかった事が、毎日、朝日、読売の調査で明らかになっている。
国民は「民主党では自民党の受け皿には成り得ない」と判断しており、単に自民党にお灸を据えただけだった。結果は大火事になってしまったが。
つまりイメージ戦略として、徹底的に「自民党には欠陥がある→だから民主党へ(≠共産党)(雪崩れ現象)」と植えつけるだけで良かった。
雪崩れ先の対象を、マスゴミが操れず、広告代理店の談合などを暴いている、共産党にはしない。
■マスゴミの目的
◆椿事件:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6 マスゴミは、民主を望むというより、自民と民主のどちらの放送族議員がマスゴミの既得権益を守ってくれるかの忠誠度を計って、「逆らうとこうなるよ。だから忠誠を誓いなさい」と天秤にかけている。
『NHKに関して言えば、特殊法人であるがゆえに、どうしてもその存立を託す族議員が必要であるため、自ら作り出すかもしれない。』