国際金融財閥の動向を語るスレ

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28バブル崩壊の手口

当時の多くの日本人投資家は、「日経平均株価は10万円に到達する」と
信じて疑わない人が多くいました。誰もが強気で、今こそ、この好景気に
乗って、買いに転じる時機(とき)だと確信していたのです。その結果、
バブルは急速な加速度をつけて、瞬く間に膨らみ始めました。
 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街
で展開していました。
 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、
『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。

 『プット・ワラント』とは、「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という
新商品であり、この商品をアメリカの大口機関投資家に大量売り込みを図って
いたのです。また、これには大口投資家も飛びついたのです。
 彼等の新商品に対するキャッチ・フレーズは「年末から年始に掛けて、
日本の株式は大暴落するから、60年前の《1929年10月24日の暗黒
の木曜日》の時と同じくらいの大儲けが出来ますよ」でした。

 しかし日本の株価は、ついに40,000円台に突入するかのように見えました。
1989年12月29日、株価は空前絶後の38,915円になり、40,000円まで、
後一歩のところまで迫りました。日本国内は株価の高騰で湧きに湧いて
いました。
 日本人投資家の多くは、年明けとともに40,000円台に乗る事を誰もが確信
していました。

 しかし、1990年1月2日、ニューヨーク・ウォール街では、日本とは
逆に、信じられない現象が起こっていました。突然、為替が円安へと向かった
のです。この円安はソロモン・ブラザーズが『プット・ワラント』販売に因
(ちな)み、債券や為替や株価の「トリプル安」を企てたものでした。
 そして1月が過ぎ、2月に入り、その月は既に中旬に入っていました。
この頃、日経株価はジリ安でしたが、大暴落の兆しは現われていませんでした。