N速+を生温かく見守ろう7

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ジェンダーフリーとは、社会的、文化的に形成された性差をなくそうとするものだとか。
しかし、社会的文化的な性差とは、基本的な性(sex)を元に成立しており、両者が無関係でない以上、
社会的文化的な性差をなくそうとする動きは、容易に性(sex)の否定につながってくると思います。
ジェンダーフリーは女性を不幸にする。

主観と偏見による奇矯でいびつな思想が、男女共同参画法という゛お墨つき゛を得て、学校や役所によって
広められつつある。謳い文句は「性別によって差別されたり、人権が侵害されたりすることのない社会を作ろう」
というのだが、現実はまったく逆になるだろう。なぜなら、「らしさ」とは社会をより安定させるために醸成されたもの
であり、そうであるがゆえに、「らしさ」が消失すれば必ずや悪しき影響が出るだろうからだ。
仮に、ジェンダー論者の言うように、「らしさ」をすべて排除すればどうなるだろうか。女性においては優しさ、繊細さが
失われていき、下品で粗野な行動が蔓延するだろう。母性の喪失は育児の意義や喜びを失わせ、子育ては面倒なもの
でしかないという意識から、放任や虐待が増えるだろう。子供の荒廃が家庭や学校の荒廃、ひいては社会の荒廃へとつな
がっていくのは自明である。また、子育てに積極的な意義を見出せない母親は、いかに保育所が完備し労働条件が整った
としても、進んで子供を産むことはないだろう。少子化が国の根幹を揺るがすのは論を待つまでもない。