N速+を生温かく見守ろう7

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327金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
――内閣府はHPからミードの学説を取り去るべきだと考えるか。

 もし私が内閣府のアドバイザーなら、「本当に男女に機会の平等が与えられるべきだと考えるなら
、マーガレット・ミードに言及する必要はない。人々を平等に扱うのは、人道的な考えであり、誰の説
も必要としない」と言うだろう。

――男女共同参画局が、ミードを引用しているのは、ジェンダーという言葉が生物学的性別と無関係
だということを言うためではないか。

ジェンダーとセックスを切り離すことはできない。男らしさ、女らしさを除去しようとしても不可能だ。
力仕事のために人を雇うとき、恐らく男性の方が向いているし、保育のために人を雇うとき、多分、
女性の方がうまくやる。だからといって、力仕事をしたいと欲する女性や、保育をやりたがる男性を
門前払いすべきではない。

恐らく、日本のフェミニストは、ジェンダーという言葉を男女という生物学的意味にも「男らしさ、女らしさ」
という社会的意味にも用いようとしている。それが彼らの利益になるからだ。そのために混乱が生じている。

――そうした用語の混乱があり、政府もジェンダーに間違った定義をしているため、「男らしさ、女らしさ」を
否定するジェンダーフリーが男女共同参画社会基本法に入り込み、行政が男女の意識改革を迫るような
政策を推進している。

行政は、それを強く推進することはできないだろう。なぜなら、社会がそれに反発するからだ。
だから、どの程度、それを推進するかは社会が決めているのだ。

個々人は、すべてが同じになるよう強制されるのを望むとは思わない。人々は、個人に応じた扱いを欲している。
カテゴリー的に女性または男性として、というのは意味がない。
なぜなら、ある女性は他の女性とは違うし、ある男性も他の男性とは違うからだ。