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142:2005/12/26(月) 17:26:03
通信情報社会の確立を急ごう
世界は対面情報社会から通信情報社会へと転換した。
世界で進められている公的調達の公開入札制から企業会計の時価主義への改正などは
すべてを「機械で読み取れる」情報にするための措置である。
これに伴って地方都市への人口や機能の分散が進んでいる。
電話やインターネットを通して情報を交換する通信情報は
公平、迅速、正確、透明、安価である。
従ってグローバル化が進む知価社会においては
行政やビジネスが通信情報化されるのは文明の必然的流れである。
こうした流れに反して日本は東京一極集中が凄まじいばかりに進んでいる。
2002年には東京圏の人工流入は15万人。
2003年に東京区部で完成する超高層ビルの床面積は217万平方メートル。
バブル最盛期をはるかに上回る史上空前の規模である。
しかも東京圏のなかでも、横浜みなとみらい開発や千葉県の幕張開発は大幅に縮小。
15年前の計画の10分の1以下になった。
今や日本の富と機能は東京都心部100平方キロに集中。
(国土の約4000分の1)
それ以外の地域は悲惨なばかりの衰退に見舞われている。
世界の流れに逆行する現象を日本にもたらしたのは
官僚の主導による対面情報社会の強化である。
対面情報は相手によって情報の提供を選ぶため特定の人脈や顔のつながりが有効であり、
官僚OBの天下りの源泉にもなっている。
つまり極めて閉鎖的で不公平なのだ。
そのうえ情報流通が遅く不正確、不透明であり大変な費用がかかる。
このため国内では一人勝ちの東京も国際的な地位は急速に低下している。
特に金融、情報発信、国際物流などの面における衰退は著しい。
家族や友人の間では対面情報に寄る人間性の交流は大雪である。
だが行政や経済の分野には
人間関係による依怙贔屓や情実を持ち込むべきで無い。
日本では未だに対面情報への依存が強く、
対面情報の交換がしやすい東京一極集中の利点を説く人々がいるが三つの誤りがある。
第一に社交と仕事を混同した職縁社会の慣習に基づく発想だ。
東京一極に集中していれば政官業を集めたパーティーがしやすく知的刺激になる、
という主張は官業癒着の危険がある。社交の場で政治やビジネスが行われていたのは
20世紀前半までの悪習であり、今日の知的刺激はグローバル化した通信情報にこそある。
第二は情報の近代化がおくれた現状を前提にして
「日本人はやっぱり顔をみあわせなきゃ」というものだ。
日本でも情報を「機械で読み取れる」技術と慣習が育てば急速に改善されるだろう。
この点、若い世代の「メル友」現象は肯定的に捉えられるべきである。
第三はグローバル化の現象を無視していることだ。
たとえ日本の全機能を東京の都心部に集中させても世界ではごく一部。
グローバル化の中では「辺境」の域を出ない。
近年の日本の国際的地位の低下がそれをよく示している。
戦後日本では一貫して東京一極集中政策が押し進められて来た。具体的には次の三つがあげられる。
1 産業職能全国団体を作らせ本部事務局を東京都に置かせた
大阪に本部のあった繊維業界、名古屋にあった陶磁器工業会、
京都にあった伝統工業振興会などの本部事務局も所管官庁の圧力で
1970年代に東京に移転させられた。このため業界団体の快調になるような大企業の首脳は
東京に居住せざるを得なくなり各社の本社機能は東京に集中した。
2 情報発信機能の東京集中
書籍雑誌の印刷媒体については書籍取次会社を東京に集中させる事によって
出版社の東京集中を実現させた。このため大阪市で出版した本を尼崎市で売るのも
必ず一度は東京へ運ばねばならない。雑誌では締め切りが一日早くなるため
東京以外では発行が困難になっている。電波メディアでは世界でも珍しい「キー局システム」を敷き
すべてのキー局を東京都のみに許可すると共にキー局だけ全国放送編成権が認められている。
このため地方局で全国放送を製作する場合では東京キー局の審査を経ることになり
ごく少数の地方の番組しか放送出来なくなっている。
その結果新しい文科や流行は東京から興るように見える(現実は違うが)
3文化創造活動は東京都に集中
歌舞伎劇場、シンフォニーホール格闘技専門体育館は東京都のみ集中させる。
東京以外では補助金交付規則によって多目的ホールや標準体育館のみ建設させた。
このため本格的な文化芸能活動は東京でしかできなくなり、劇団、楽団、格闘技団体は東京に集中した。