>>905 お金の価値ってなんだろう。じっくり考えてみよう。
お金ってのは物を買ったり、サービスの提供を受けたりする時の対価として支払うものだ。
昔は物々交換だったわけで、n財の交換比率が問題となった。n財の交換比率というのは
n(n−1)÷2個の交換比率表が必要になり、とっても大変。そのため交換比率の地域に
よる偏在を利用して交易で莫大な富を得る事ができた。
さて、お金が登場するとどうなるだろう。全ての財はお金との交換比率で、それそぞれの財の
交換比率を表す事ができるようになる。n+1個目のお金という特殊な財を導入することで、
お金とn個の財の交換比率を定めればで全ての財の交換比率が求める事ができるという
寸法だ。n>2ならn(n−1)÷2>nとなり、お金があった方が効率が良い。
こうして、交換比率のブレが減り、交換比率の適正化=価格の裁定が迅速に行えるように
なったわけだ。神の見えざる手が働く市場が誕生した瞬間だ。
だけど、ここで新しい問題が発生した。お金が足りないと、物を買う事ができずにお金の価値
が上がってしまう。お金という架空の存在の価値が上がるという事は、本来必要であったn個
の財の価値が下がってしまうという事だ。これがデフレ=不況という事になる。
昔はお金が文字通り「金」や銀や、所によっては貝だったので、通貨の不足というのが頻繁
に生じていた。
時代を下って、お金が「金」で無くても良い事に気がついた人が現れる。最初は金の預かり
証だったり、手形だったり、とにかく紙切れで良くなった。これが「信用」という考え方で、
通貨の事を信用と呼んだりするのはここに起因する。
金の代わりに紙切れが使える事がわかると、今度は逆に紙切れを発行しすぎるようになった。
お金の量が増えても、財の量が増えるわけではない。今度がお金の価値が下がるようになった。
お金の価値が下がる事=物・サービスの価値が上がる事で、デフレよりは望ましい。けど、
物・サービスの値段の上がり方には、不足している物・サービスほど上がりやすいというずれ
がある。これ自体は価格の調整でもあり社会に必要な機能であるが、急激な成長はひずみ
をもたらす。
物価の上昇は投資を増加させ、生産量の増大をもたらす。ここに都心部へ流入する安価な
労働力という豊富な労働資源を考えてみよう。生産量が制限されている原材料と比較して、
労働力は比較的豊富であるわけで、物価に対して相対的に賃金が低く決まるのが自然だ。
この時代には、物価の上昇は民衆の窮乏化を生じ、この不満がマルクス経済学を通じて
拡大され共産主義革命の原動力となった。
さて、現代先進国においては、とっくの昔に労働力の偏在は大きな問題ではなくなり、賃金
は生産力の増加に伴い生産性の向上分を含めて実は物価よりも上がるようになっている。
にわかには信じられないかも知れないが、極端な物価の上昇でなければ、これが事実である。
一報、お隣の某国も含め、多くの発展途上国ではまだ都市部への労働力の流入は続いて
おり、これらの国ではインフレは社会にとっての大問題となりうる。社会主義・共産主義が
望まれるような後進的な経済状態だからこそ、インフレは大問題となるのだったりする。
というわけで、かなり脱線したけど、今の時代は管理通貨制度といって、本当に紙切れが
通貨となっており、通貨の価値と物・サービスの価値を上手く安定させる事が重要となって
いる。日本は左翼が強い国だから、インフレ問題がやたらと大げさに取り上げられるが、
今の日本における問題はデフレであるのだった。
ざっと、貨幣論と経済史の流れから説明しました。
一箇所訂正して追記。
>>911の
>物価に対して相対的に賃金が低く決まるのが自然だ
物価は財・サービスの指標だから、賃金も含めて考えた方が自然だ。とすると、財の価格
の上昇に対して、サービスの価格が低下する事が、後進的経済におけるインフレの問題と
いう事だ。
逆に発展途上国と比較して、遥かに完全雇用に近い先進国では(たとえ失業率が10%
オーバーでも)、労働力の方が不足気味であるため、インフレ期には財よりもサービスの
価格の方が上がりやすい。
左翼な人達が一生懸命に物質文明批判をするのは、財が不足してサービスが余剰な国
ほど共産化しやすいという経験則から来ているのではないかと、邪推してみたりする次第。
かなり脱線したけど、こうやって経済から歴史・思想を再構築していくと、それはそれで面白
いですよ。