エコノミストミシュラン

このエントリーをはてなブックマークに追加
69金持ち名無しさん、貧乏名無しさん
「経済学者たちの闘い−エコノミックスの考古学−」
若田部昌澄著 東洋経済新報社 ISBN4-492-37097-8
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492370978/

コラムA(P.8) 日銀理論

 金融政策の運営について、日本の中央銀行が奉じている「理論」。むろん、この呼び名は
もともと日本銀行金融政策批判派からつけられたものである。この「理論」はその時々の
日銀の方針に応じて絶えざる進化を重ねているから、一見したところとらえどころがない
ように思われるが、そかし、その理論には明確な「中核」があるといってよい。それは、
中央銀行はハイパワード・マネー(現金、日銀当座預金。ベースマネーともいう)、マネー
サプライ、物価については統御することができず。したがってそれについては責任がないと
いう思想である。そしてこの思想を共有しているという点では、日銀は、中央銀行の「正統
的」思想の継承者である。
 もとは、小宮隆太郎氏が外山茂氏などの日銀エコノミストとの論争の中で「日銀流理論」
と名づけたものである(『現代日本経済』)。そのときの争点は一九七三〜七四年のインフ
レについて、過剰なマネーサプライを供給した日銀の責任であった。小宮氏の日銀批判に
対する日銀側の「理論」は、ハイパワード・マネーという概念すらない、きわめて素朴な
ものであった。
70金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:03/11/02 23:59
 第二ラウンドは、一九九二年〜九三年に『週刊東洋経済』誌上を舞台に行われた、いわゆ
る「マネーサプライ論争」である。岩田規久男氏(学習院大学教授。当時上智大学教授)と
翁邦雄氏(日本銀行金融研究所長。当時日本銀行調査統計局企画調査課長)が中心であり、
この頃の「日銀理論」については翁氏の『金融政策』に一つの到達点を見ることができる。
 この段階では、第一ラウンドよりも格段に進歩しており、日銀側もハイパワード・マネー、
マネーサプライについては認めたうえで、その管理可能性が争点になった。岩田氏の整理に
よれば、この頃の理論は次の三点から成り立っている。第一に日本銀行はハイパワード・
マネー(現金、日銀当座預金)を管理する事ができない。第二に、日本銀行はハイパワード
・マネーをコントロールできなくても、コール・手形レートを直接変化させる事によって、
市場金利を変化させる、あるいはマネーサプライを変化させることによって、金融政策を
運営できる。しかし第三に、しばしばマネーサプライの変化は経済活動の結果であって、
日本銀行の金融政策とは関係がないと主張されることがある(岩田規久男『金融政策の経済
学』七〜八頁)。
7137:03/11/02 23:59
>>68 はぁ? 自然失業率は構造パラメータの代表ですが???
72金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:03/11/03 00:00
 そして九〇年代後半からは、長期にわたるデフレの責任をめぐって、第三ラウンドが進行
中である(岩田規久男『金融政策の争点』、日本銀行金融研究所編『ポスト・バブルの金融
政策』、小宮隆太郎・日本経済研究センター編『金融政策論議の争点』を参照されたい)。
論争当初、日銀はデフレの原因をグローバル化の進展による安価な輸入品の流入や流通機構
の合理化とする「良いデフレ論」を持ち出して、デフレが貨幣的現象であることを否定して
いたが、さすがに最近では、この種の意見は影をひそめており、あからさまに唱えられる
ことはない(例外は、速水日銀総裁の記者会見や国会答弁である)。しかし、デフレについ
ての「責任」になると、日銀の見解は明確である。すなわち、日銀は最善を尽くしているが、
デフレを止めることはできないというものである。これについては、本書「エコノミックス
の考現学B日銀の陰謀?」も参照のこと。