金子や森永といった馬鹿達は、株の税金は安すぎると言う。ディトレーダーから税金で絞りとれとさえ言う。
なぜ彼らがそう言うかといえば、汗水垂らして働いている人の最高税率は50%だからなのだそうだ。
汗水垂らして働くという言い方事態が馬鹿丸出しなのだが、それはおいておくとして、じゃあ株は汗水垂ら
さずに簡単に稼げるとでも思っているのだろうか?
森永の馬鹿は、彼らは遊んで収入を得て、しかも税金は安い!と文句を言っている。確かに税金は表面上は
安く感じるだろう。ただしそれは永遠に儲けられるという前提の話である。森永の馬鹿は、株で損しても今ま
で払った税金が戻ってこないという、株税制の不利な部分には絶対に触れない卑怯者である。そして自分に
都合が良くなるようにアメリカを持ち出して、アメリカは総合課税だと言い放つ!だがおかしいではないか。
アメリカでは、損失を出した場合、過去に支払った税金が戻ってくる制度である。
だが、奴ら社会主義者はこの制度のことには絶対に触れないのである。
日本の場合、10%の税金であるが、損を出しても過去に支払った税金は戻ってこない制度になっている。
あいつらは馬鹿だから株で勝ち続ける難しさを何も知らない。日本の税制では、勝ち続けることでしか分
離課税の恩恵は受けられないのである。しかも10%は期間限定でいずれ20%に戻ってしまう。
彼らは知っててこれらのことに触れないのか、あるいは本当に知らないただの馬鹿なのかはわからない。
ただ一つ言えることは、いつまでも社会主義思想を撒き散らして、嫉妬心を燃やして金持ちいじめやるのは
もう時代遅れだということだ。
都市化が起こったときの一番大きな影響は、本来、十台半ばで職業につくはずだった
若者たちが、職業につかないで大学に行って遊ぶ暇ができたことです。これが大学紛争
の根本の原因です。この時、初めて人類の若い人に余暇ができた。
つまりそれまでは働かなきゃ食えないという状態が前提だったのに、働かなくても食え
るという状態が発生してきた。
ホームレスというのは典型的なそういう存在です。ホームレスを生み出すのは必ず都
会です。ホームレスは否定的に見られるし、妬まれたりもします。
しかしよく考えてると、実は、それは私たちが子供だった頃には理想の状態だったは
ずなのです。何せかれらは「働かなくても食える」身分なわけですから。
なぜ戦後の日本人が必死で働いたかというと、この「働かなくても食える」という状
態になりたかったからです。ところが戦後五十年以上経った今、今度はテレビで「失業
問題が深刻だ」とか何とかやっている。誰も飢え死にしないで食っているにもかかわら
ず、です。
一歩引いて考えてみると、漫画みたいではないでしょうか。要するに、「働かなくても
食える」というのが理想の状態だと思って、一生懸命働いてきた。実際、働いた分、経
済は成長し、社会はどんどん効率化していった。
ホームレスでも飢え死にしないような豊かな社会が実現した。ところが、いざそうな
ると今度は失業率が高くなったと言って怒っている。もうまったく訳がわからない。
失業した人が飢え死にしているというのなら問題です。でも、ホームレスはピンピン
して生きている。下手をすれば糖尿病になっている人もいると聞きました。
人間はコロッと忘れるものです。戦前の人が見たら、何と羨ましい人たちがそこかし
こ、公園や橋の下に寝ていることか、という状態なのです。働かなくても食えるという
のが暗黙の理想の状況だった頃を私はまだ憶えています。「あの人は働かなくても食える」
と素封家を羨ましがっていた時代が嘘のようです。
様々な「あべこべ」によって生まれた現象のおかしさが、ホームレスについての認識
に顕著にあらわれている気がします。
世田谷区ではあちこちから悲鳴が聞こえてきます。東京都区部でも唯一自然の豊かだっ
た世田谷区。しかし、土地の値段が上昇したことによって、大地主達は相続税が支払えず
に売るしかなくなってしまいました。
切り売りされた土地は都市化の波に揉まれます。庭のないミニ戸開発、マンション開発、
最悪なのはワンルームマンションです。屋敷林に住んでいた小動物の姿もどんどん消えて
いきました。相続税という存在は、不動産会社の自然破壊乱開発を生み出す土壌になって
います。相続税の影響で、喧騒な街となってしまった麻布みたいにしたいのでしょうか?
古代の律令制のもとに行われた、公地公民によって6歳より口分田を与えられ、死亡し
たら土地を返納する班田収授法がありました。つまり、実質的に相続税100%というこ
とです。しかし、人々はいずれ返納する土地を、真面目に開墾などしませんでした。その
ため、723年の三世一身法で3代に限って開墾地の私有を認めましたが、それでも土地
の開墾が進みませんでした。結局、743年の墾田永年私財法という実質相続税ゼロの社
会を作り、公地公民制を崩すことによって、結果、大幅に生産力が伸びていきました。
相続税というのは、人々の欲が築くパワーを殺す制度にすぎないことがよくわかるはず
です。平等という理想を追いかけていくことにより、人々の欲を殺し、人間が本来持って
るはずの能力を打ち消す悪法にすぎません。
日本もかつては大資産家が沢山おりましたが、相続税の影響もあって都内に500坪以
上の土地を持つ資産家はごくわずかになっています。山手線の内側にどれほどの屋敷が残
っているでしょうか?
最近格差が広がったなどと言う方が増えましたが、50年前と比べれば大幅に格差は縮
まっております。そして、その間に起きたことは、官僚の権力が強くなっていったという
事実です。今や彼らは天下りし放題です。
民間の人に財力という力が無くなったら官僚支配が強くなるということを見事に証明し
ました。更に相続税を強化しようなどというのは、官僚支配を強める結果になるでしょう。
「格差社会」という言葉が小泉政権のキーワードとなり、次期総裁選も絡んで話題とな
っている。「行き過ぎた市場原理主義の弊害」という表現が使われることもある。
時代の変化に適応した成長企業や一部の成功者の話を聞いて、自分の身の回りと比べ、
また人口の高齢化による介護の増大などを考え併せて、格差は拡大しているかもしれない
と思う人が多いのは自然である。
しかし、日本の所得配分の不公平が拡大しているという確たるデータは存在しない。「格
差社会」や「市場原理主義」の「行き過ぎ」などは、定義や具体的内容になるとあいまい
で、単なる政治的スローガンである。世界的に見て、日本が世界で最も格差の少ない平等
な社会を実現していることはよく知られている。
日本の課題の多くは、過去十年以上に及ぶ経済成長率の長期停滞と高齢化に由来してい
る。税収の低下と誤った景気政策による財政危機を背景に、小さな政府を目指す財政支出
の削減や規制緩和などが、既得権を持つ側からの批判対象となる。
課題の解決には、成長率の回復しかないし、そのためにはより一層の規制緩和とリスク
への挑戦を促す経済の活性化策が必要である。
成長が加速すると、常にその波に乗れた人とそうでない人との格差は拡大し、その後、
時間を経て成長の恩恵が全経済に及ぶ。格差の解決は成長に貢献する意欲と能力を持った
人材をいかに組織的に育成するかにかかっている。
要は、成功者を見て、自分にもチャンスがあると考えるか、自分には真似ができないと
あきらめるか、どちらの人が多いかである。その意味で、IT(情報技術)教育の充実や、
高齢者の労働市場確保などを通じて、可能性に挑戦するための機会を拡大することは重要
な課題である。また、高齢者は資産を有効に活用して、若者の起業・成長を支援し、その
配当を得ることができる。千五百兆円に及ぶ個人資産を有効に活用できない、金融システ
ムの変化も必要である。
長期不況後の成長は始まったばかりである。格差社会への批判が出ることは成長が始ま
った証しでもある。より多くの人が成長の実感と、将来の明るい期待を持つようになれば
単なるスローガンは力を失う。時期総裁選ではこのような政策論争が望まれる。
人間は、自分の欲求不満が合理的な方法で解消されない場合に、非合理的な適応の仕方
をして、自分を守ろうとします。これは、フロイトが打ち出した防御規制という概念です。
このうちで、「合理化」というものがあります。これは、自分の本当の欲求を自己欺瞞で
偽り、自分が今置かれている状況を正当化しようとすることです。
イソップ物語で「酸っぱいブドウ」という話があります。キツネが、高いところにあっ
て、手が届かないブドウを見つけたのだけど、食べることができません、それで、どうし
たかというと、「あれは、酸っぱくておいしくないんだ」と言ったわけです。
ブドウの価値を相対的に引き下げることによって、自分自身の欲求不満を処理している
のです。その本質は、「負け惜しみ」だということができます。
本当は彼らだってお金儲けはしたいだろうし、頑張っていた時期もあったと思います。
ですが、いろいろやってみて、自分には金儲けの能力がないとはっきりわかった結果、欲
求不満が生じたわけです。その結果、自分の金儲けに対する欲求と、自分が今置かれた状
況である稼ぐ能力がないという現実のギャップを解消しようとして、「世の中金だけじゃな
い」という発言をするわけです。ですから、そういう人に限って、金に汚かったりします。
これが行き過ぎると、ニーチェの言うところのルサンチマンとなり、遂には、「金持ちは
悪いことをして儲けているから金持ちなんだ。だから貧しく生きることのほうが正しい」
などと捻じ曲がった価値観になってしまいます。
「世の中金だけじゃない」と言う人たちは、儲けられないことを合理化するために、そ
のように主張しているのです。
富を軽蔑する人間をあまり信ずるな。
富を得ることに絶望した人間が富を軽蔑するのだ。
こういう人間がたまたま富を得ると、一番始末が悪い人間になる。
ベーコン(英・哲学者)
人間として最大の美徳は、上手に金をかき集めることである。
つまり、どんなことがあっても他人の厄介になるなということだ。
ドストエフスキー(露・作家)
「貧困は恥ではない」というのは、すべての人間が口にしながら
誰一人、心では納得していない諺である。
コッツェブー(独・劇作家)
所有している金銭は自由への手段であるが、追い求める金銭は隷属への手段である。
ルソー(仏・思想家)
金がないから何もできないという人間は、金があっても何も出来ない人間である。
小林一三(日・実業家)
若いときの自分は、金こそ人生でもっとも大切なものだと思っていた。
今、歳をとってみると、まったくその通りだと知った。
オスカー・ワイルド(英・作家)
人々はお金で貴いものは買えないという。
そういう決り文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠だ。
ギッシング(英・小説家)
人間よりは金のほうがはるかに頼りになりますよ。頼りにならんのは人の心です。
尾崎紅葉(日・作家)
身代をつぶす相続税
東京都千代田区麹町のある八百屋さんは近所の5軒の店とともに52坪の土地に
9階建ての共同ビルを建てていた。平成3(1991)年1月に店主が亡くなり、
店舗部分に課せられた相続税1億数千万円が息子夫婦にふりかかってきた。
共同ビルなので売ろうにも売れずに、やむなく税務署には延納を申請した。
息子は「自分の残りの人生は20年間税金を払い続けることなのか」と悔やんでいたが、
同年12月、くも膜下出血で突然、他界した。まだ58歳だったが、医者には
「心労が重なったからでしょう」と言われた。
新たに1億8千万円の相続税が未亡人にかかってきた。第一回分の1800万円は保険金や
預貯金を取り崩して、なんとか支払ったが、第2回分の支払いの目処は立っていない。
未亡人はこう嘆く。
『義父は優良納税者で税務署から表彰された人です。八百屋という商売は、引っ越しして
できるものじゃないんです。税務署には同情してくれる人もいますが、
「制度は制度だから」というばかり。生活させていただいた残りで、
相続税を払うということではいけないのでしょうか。』
現代の相続税は、優良納税者が一生かかって築き上げた店を一代で取りつぶし、
息子の命を奪い、残された未亡人の住む家まで取り上げようとしている。
江戸時代のいかな悪代官でもなしえなかった悪行である。
悪知恵のある人なら、会社組織でも作って所得税も相続税も逃れたろう。
この八百屋さん一家のようなまじめな納税者は身代をつぶしてしまい、
悪知恵のある人は栄える。そういう国家で国民は幸せになれるだろうか。
そもそもそういう国家が栄えるのだろうか。
金持ってる奴は、自分より金持ってる奴をみて
さらに頑張ろうと思っているんだよ
ところが貧乏人は、自分と同じか下を見て安心感を得て満足してるんだ
苦しいのはオレだけじゃない! みんな苦しいんだ、と
両者の相反するこの態度が、格差社会を助長させているんだ
ということを貧乏人は早く気づいた方がいいよ
大不平等時代の幕開けだと、メディア全体がかまびすしい。一度敗者のレール
に乗ったらもう這い上がれないなどと不安を煽る。
そうなれば、「せめて教育だけは何とかしたい」と思うのが親心。ぎりぎりの
生活費を切りつめて子供を塾通いさせ、母親は毎日パートへ――などという家庭
も少なくはないだろう。パートに出たら出たで、正社員と比べて「不平等」な実
入りに打ちのめされるのである。たしかに現代が厳しい環境であるのは確かなよ
うに思う。
しかしである。そもそも日本では大抵の家に風呂があり、お湯が出、図書館に行
けば本はいくらでも読める。仕事だって外国人労働者に頼らねばならぬほども
あるのである。その外国人労働者が見たらこう思うだろう。これのどこが下流な
のか不平等なのか、と。
たしかに上を見ればきりがないだろう。私も学生の頃、親の丸抱えで留学し
たり、結婚のお祝いに家やマンションを買ってもらえるような友人が羨ましくて
仕方がなかった。しかし、私はそういう幸運に恵まれなかったからこそ、逆に、
「考える」事を学べたのである。
すなわち最低限のお金とチャンスをどう活かすか。何を捨て、何を極めるか。
私はこれ以上ないくらい真剣に考え、行動した。お金もコネも情報も何もなかっ
たからだ。
今の日本に本当の不平等などありはしないと私は思う。一見不平等に見えるも
のは必ずチャンスになりうる。それを見いだせないのは、社会や国が悪いからで
は決してない。個人の気持ちの問題なのである。
負け組は、おもちゃ売り場やお菓子売り場で泣きわめく子供と同じだな、或いは、小遣いアップをせ
がんで泣きわめく子供と同じ。全く聞分けが無い。国が親ということだ。
負け組は、そういったダダをこねる子供と同じメンタリティーなのだ。
ただ、負け組が子供と違うところは選挙権もあるし、下手に知識(糞知識だが)があるし、有る程度、
詭弁を使う技術も身につけている。
但し、負け組はダダをこねる子供より遥かに有害である。
なぜなら、ダダッ子は親におもちゃ・お菓子を買うカネや小遣いアップのためのカネが無いのなら、
親にカネを持ってる人から強盗をしろ!とは、普通は言わない。
しかし、負け組は勝ち組に対して課税を強化するような強盗行為を国に対して要求するのである。デ
タラメな法律をつくって合法的強盗を可能にしようとする。しかも、それを恥と思ってもいない。
こういった状態が日本の現状である。間違った考え方によって、日本が恥知らず国家になってしまっ
たことは残念なことである。
スイス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、イタリア等
多くの先進国では、相続税はとっくに廃止になっています。
メキシコ、タイ、インドネシア、ロシアにも相続税はありません
イギリス、スペイン、ベルギー、オランダでは事業に関わる
資本について相続税は無税。
アメリカは2010年に廃止する 予定になっています。
相続税はゼロにして、
金持ちいじめを終わらせなければならない。
金持ちに更なるやる気を出させないと、資本主義は駄目になってしまう。
政府は、一部の馬鹿が格差廃絶主義を唱えているのを指をくわえないで見てないで、
金持ちを尊敬し、そして貧乏からでもリスクを取ればお金持ちになれる社会になったことを言わなければならない。
今は生まれがどこでも競争が出来る社会になっているのだから。
/// 脱社会主義のすすめ・資本主義のすすめ 1 ///
竹内 靖雄著 「日本」の終わり―「日本型社会主義」との決別
日本経済新聞社 日経ビジネス人文庫 2001年発行 税込価格:\780 より
・・・・・
10章 脱社会主義のすすめ・資本主義のすすめ
◇ただいま社会主義者の高名な紳士がいわれたのは、要するに、利潤をあげる
ことは罪だということである。私は損失を生むことこそ真の罪だと信じている。
◇社会主義はすべてを所有し、すべてを計画し、すべてを分配し、かくてその
政治家と官吏が個人の日常生活を決定する全能国家に基礎をもつ思想である。
― チャーチル
/////////////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 2 /////////////
◇社会主義がうまくいくのは天国か地獄くらいのものだ。しかし
天国にはその必要がないし、地獄にはすでに導入されている。
― セシル・パーマー
◇社会主義とは何か。それは資本主義から資本主義へのもっとも
苦しい道程である。
― 旧ソ連の小話
◇金持ちを責めてはいけない。貧乏人がいつ君に仕事をくれた?
― ローレンス・J・ピーター
/////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 3 /////////////
日本は社会主義の国である
日本は戦後、資本主義をやってきたのではなく、実は社会主義をやってきた、と
見るべきではないか。ほとんどの人がここのところを錯覚している。たしかに、日本も
アメリカ、イギリス、ドイツその他の欧米諸国や韓国などとともに資本主義の国であり、
米ソ対立の冷戦時代には西側の資本主義陣営に属し、東側の社会主義と対立してきた。
自由主義と民主主義は、日本が自由世界の一員として掲げてきた大義の旗であった。
しかし見かけはそうであっても、そのホンネ、その精神の深層構造を見れば、日本の
正体は資本主義ではなくて社会主義ではないか。コウモリは鳥と同じように空を
飛び回っているので鳥の仲間のように見えるが、実は哺乳類である。日本も実は
鳥の姿をした哺乳類、資本主義の形をした社会主義の国ではないだろうか。
/////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 4 /////////
海外の日本研究者、とりわけアメリカで「リヴィジョニスト」(日本見直し論者)
と呼ばれた人々は、日本のコウモリぶりを観察して、「鳥にしてはかなり変だ」
という結論に達した。「アメリカ鳥」にくらべて「日本鳥」はいかにも鳥らしくない。
これは鳥とは別のものとして扱うのが正解ではないか、というわけである。
こうしたリヴィジョニストの言い分は、アメリカ型の資本主義以外のものを
「標準外」と見て拒否する偏狭な見方であり、資本主義にはアメリカ型
(アングロサクソン型)もあればドイツ型、フランス型、北欧型もあり、
アジア型もある。
/////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 5 /////////
そして日本型もあっていい、という反論が当然出てくる。その場合、資本主義にも
いろいろあって日本だけが特殊なのではない、アメリカ型も一つの特殊なタイプに
すぎず、それを標準とするのはおかしい、という相対主義をとるか、さらに一歩進めて、
「いろいろあっても日本型こそ普遍性のある優れたものである」といったネオ
ナショナリストの立場をとるか、いずれかになる。日本の社会主義の中枢にいる
官僚たちには、こうした形での「理論武装」が必要であった。
///////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 6 /////////
何をもって標準型の鳥とするか。ツルかカラスかコンドルか。しかし議論を
この次元に持ちこんでも仕方がない。標準となる鳥は、もっともよく繁殖して
多数派となった鳥である。英語が事実上世界の標準語になっているのも同じ
理由による。問題は「日本鳥」が標準か、「アメリカ鳥」が標準かということ
ではなく、そもそも日本は鳥ではなくてコウモリではないか、ということにある。
資本主義のふりをしているが資本主義ではなく、本当は社会主義ではないか。
///////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 7 /////////
日本のエリート官僚や保守主義者、ネオナショナリストたちが理論武装して堂々と
自己主張をするなら、「アイデンティティ」を曖昧にすることをやめて、自分が本当は
何であるかを堂々と主張すべきである。それはこういうことになる。
「日本は社会主義の国である。日本人は資本主義が嫌いで、本当は社会主義で
やりたいのである。日本は戦後五十年、日本流の社会主義がうまくいくことを実証
してきた。それを外から見て、変な資本主義だ、あれは資本主義ではない、などと
批判するのはナンセンスである。日本には日本に適した社会主義というものがある
のだから、放っておいていただきたい」と。
//////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 8 ///////////
社会主義の伝統
資本主義といえば、戦前の貧富の差のはなはだしかった時代、貧しい農村を抱え、
不況に苦しんでいた時代の日本は、今日よりも資本主義らしい資本主義だった。
マルクスの非難がよくあてはまりそうな、若くて荒っぽい資本主義をやっていた。
つまりそれは、少数の金持ちをつくりだしたけれども、農村を中心に貧困層が存在し、
企業は人々に十分な雇用を与えることができなかったのである。そのために、
アナーキズム、マルクス主義から国家社会主義まで、各種の社会主義が台頭した。
/////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 9 //////////
その中で弾圧を受けることなく、政・官・軍の内部に影響カを浸透させたのは、
クレムリンのコントロールを受ける日本共産党の正統派マルクス主義ではなくて、
国産の国家社会主義であった。北一輝の思想はその代表格であり、それに感化
された青年将校グループ(革新派)が、北一輝の理論と革命プログラム奉じて
二・二六事件という「国家奪取計画」を実行に移したのである。天皇を上に戴き、
天皇直属の権力機構を自分たちが握って、資本家、金持ちを抑え、平等化を実現し、
自由な金儲けのできない社会をつくること、これが彼らの目的だったのである。
//////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 10 /////////
この日本型社会主義の特徴は、資本主義や市場経済を一掃して私有財産も
階級も国家もない社会を実現する、というマルクス主義とは違って、「国家によって
コントロールされる資本主義」を認めていることにある。資本主義は制限つきで
やらせるが、貧富の格差が生じることは許さない。私有財産にも上限を設ける、
というわけで、これはソ連に登場したスターリン型社会主義とは明らかに別物である。
////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 11 ////////////
軍の中の「革新派」は挫折したものの、軍は全体として反資本主義・
社会主義志向の集団だった。同時に軍は国家(政府)のコントロールの
及ばない利益集団であり、戦争へと暴走し、結局政府も軍自身も自らを
コントロールできなくなって敗戦を招き、壊滅した。しかし社会主義の
「大義」は、生き残った官僚によって引き継がれたと見ることができる。
そしてこの日本型社会主義の理想は、戦後になって、官主導の下に
着々と実現されていった。
//////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 12 /////////////
戦後、政・官・財は協力して資本主義という「金の卵を生む鶏」を育て、その
肥育に成功し、金の卵、つまり経済成長の成果を取り上げては再分配する
ことで日本型の社会主義を実現した。めざましい成長と繁栄のエンジンに
なったのは資本主義であるが、その成果の大半は社会主義のために使われた
のである。日本の社会主義は資本主義が成長すればするほど自らも肥大して
いった。そして「政・官・財のトライアングル」構造による支配、官の規制と保護
による成長成果の再分配に加えて、他の先進諸国のあとを追って立派な
福祉国家もつくりあげた。こうして日本の社会主義は完成を見たことになる。
//////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 13 ///////////
日本型社会主義
日本はかつてのソ連と同じタイプの社会主義をやっているわけではない。
社会主義といってもいろいろあって、ソ連型社会主義はその標準型でも
何でもない。
冷戦時代の欧米では「社会主義」という言葉を「共産主義」とは区別して
使っていた。それによると、ソ連や東欧諸国や中国などの共産党独裁体制を
「共産主義」と呼び(たとえば「コミュニスト・チャイナ」といえば毛沢東の中国のこと)、
西欧で社会民主主義政党が政権を握って産業の国有化や福祉国家を推進
しているところを「社会主義」と呼んでいた。
/////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 14 /////////
ところが日本では「共産主義」という言葉が忌避され(この言葉を終始愛用
して党名に掲げているのは日本共産党だけである)、ソ連や中国のことを
「社会主義」と呼んでいた。このために、日本では社会主義といえば、ソ連や
中国型の社会主義しかないかのように思われている。「スカンディナヴィアン・
ソーシャリズム」という言葉も使われていたように、欧米流の定義では北欧諸国も
社会主義の国だったのである。
///// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 15 ////////////
かつての労働党政権下のイギリスも社会主義をやっていた。それをやめて
脱社会主義路線に切り替えたのが保守党のサッチャー政権であった。日本でも
同じ時期の中曽根政権の時に、脱社会主義的改革が行われた。その後も
看板だけは掲げられている規制緩和、民営化、行政改革、財政改革、税制改革、
金融ビッグバンなどの改革路線は、方向としては脱社会主義をめざすものである。
ただし、それがはかばかしく実行されないでいるということは、日本がいまだに
社会主義をやめる気がないことを示している。
//////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 16 /////////
この日本型社会主義とは次のようなものである。
@市場経済と資本主義は否定しない。これを全面否定してもほかに
やり方がないからである。
A官が業界(市場)ごとに自分のナワバリをもち、そこで行われる経済の
ゲームを管理する。
B規制によって参入を制限し、競争を制限して高価格を維持できるようにし、
弱い業界、企業を保護する。場合によっては、価格・流通を全面的に
国家管理とするような制度をつくって保護する(かつての食管制度)。
C「親方日の丸」の国営企業や類似の特殊法人などを増殖させる。
////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 17 /////////////
D金融部門を大蔵省の強力な統制下におく。
E財政を通じて中央から地方へのカネ(税金)の再分配を行う。
F「負担できる人が負担し、必要な人が受け取る」という各種の
社会保険制度を中心にして、福祉国家という福祉配給システムをつくり、
平等化をめざす。
G経済活動の主役を「従業員主権」の「会社」という社会主義的集団とし、
この「会社」が終身雇用・年功序列という社会主義的原理によって
雇用を維持し、分配の平等化を図る。
////////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 18 ////////////
これはソ連型社会主義とは違った、もう一つの「ソフィスティケートされた」
社会主義なのである。ソ連型社会主義は、@価格を政府が決めるために
価格メカニズムが働かなくなった「変則市場経済」であり(そこでは何をどれだけ
生産するかを政府が「計画」して決めなければならない)、A金儲けのゲームを
国家が独占して民間に許さない「国家独占資本主義」であった。それは
あまりにも変な市場経済であり、変な資本主義であったために、およそ
七十年の「実験」ののち、とうてい維持できなくなって、共産党独裁体制と
ともに瓦解したのである。
///////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 19 ///////////////
日本型の社会主義はこのような粗野で無茶な社会主義ではない。それは
普通の市場経済、普通の資本主義に近いことをやりながら、それに寄生し、
その成果を使って社会主義の目的を達成しようという巧妙なやり方なのである。
その目的というのは、ほとんど誰も意識していないようであるが、実は、「人は
その能力に応じて働き、その必要に応じて与えられる」という共産主義の
スローガンにほかならない。これはマルクスが一八四八年の『共産党宣言』で
謳っていたもので、日本の社会主義は、この共産主義の理想をマルクスや
ソ連とは別の方法で実現してしまった。
/////////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 20 /////////////
その方法というのはまことに単純なものである。国家によって、また会社のような
集団を通じて、徹底した再分配を行い、負担できる人に負担させ、必要とする人に
与え、結果を平等化するという手法である。実はこの簡単な原理をマルクス以後に
発見して採用したのが西欧の非マルクス的「社会民主主義」であった。これは
正統派マルクス主義にとっては、もっとも脅威となる、もっとも憎むべきライバルであり、
「修正主義」(リヴィジョニズム)というレッテルを貼られ、旧ソ連ではベルンシュタイン
などの本は禁書の扱いだった。
///////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 21 ////////////
マルクス自身は、再分配という手直しをすれば資本主義でやっていけるという
考え方を、それこそ渾身の力をこめて粉砕しようとした。そのために『資本論』を
書いて、資本家が労働者を「搾取」しているという見方を打ち立てようとしたのである。
資本家が合法的に労働者を「搾取」するシステムが資本主義だとすると、それを
根底から破壊する以外に人類の真の解放はない。そこで、財産の私有を否定し、
貨幣も市場も否定し、ついでに階級支配の暴力装置である国家まで否定し、
何もないところに共産主義をつくろうとした。
//////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 22 ////////////
それはもっとも徹底した「ユートピア」の構想であるから、レーニンやスターリンも
このような共産主義を建設することはできなかった。ソ連に出現した社会主義は、
マルクスの共産主義とは似ても似つかぬ「国家独占資本主義」だったのである。
戦後の日本では、ロシアのような暴力革命も共産党の一党独裁もなしに、また
私有財産の廃止といった蛮行も避けて、マルクスの共産主義の理想に近いものを
実現してしまった。つまり、日本型社会主義は、マルクスの方法を使わず、
マルクスの教義の核心(私有がすべての悪の根源であるということ)も無視して、
結果において共産主義に似たものを実現したという点で「ソフィスティケートされた」
社会主義なのである。
///////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 23 /////////
保守派はみな社会主義者
高度成長を経て日本が経済大国になった頃から、多くの保守派の論者が
この成功した社会主義を自画自賛するようになった。しかもそれを社会主義
とも気づかず、「日本型資本主義」と呼んでいる。それがお好みなら、呼び方は
それでもよい。ただし彼らが賛美したいのは資本主義の方ではなくて、右に
あげた@〜Gのような社会主義の要素であるらしい。
///////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 24 ////////////////
日本型社会主義は、「国家のない」マルクス的共産主義とは違って、国家、あるいは
官が民を管理することを基本とする「国家社会主義」の一種である。それは強力な
国家、「大きな政府」を不可欠とする。だから保守派の人々は「強い国家」を待望する
国家主義者でもある。しかし現実の日本型社会主義は、平等化をめざす分配を政治の
主な仕事としていることからも、大衆民主主義と相性がよい。この民主主義は、
子供=国民が母親=政府から福祉やさまざまのサービスを分配してもらうことを
中身としているので、政府はたくさんカネを集めて使う「大きな政府」ではあるけれども、
「泣く子」には勝てない子供本位のサービス機関に成り下がっている。
///////////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 25 //////////
保守派はそこが気に入らないらしい。政府は軟弱な母親ではなくて強い
父親でなければならない、ということであろう。この不満があるために、
彼らは福祉とサービスさえもらえばよいという「大衆」を蔑視し、自分たちは
エリート支配のプラトン的国家を志向する。ここまで来ると、日本型
社会主義の現実そのものからいささか遊離した頑迷な信条になる。
////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 26 /////////////
しかしもともと保守主義は何かを守るために戦うというよりも、何かに反対して
文句をつけるカウンター・イデオロギーである。保守派が戦意をかきたてる真の敵は、
実は資本主義なのである。彼らが規制緩和に反対し、秩序ある、管理された市場が
必要だといっているのは「ソフィスティケートされた」日本型社会主義を擁護している
ことになるが、競争や優勝劣敗の世界を嫌い、金儲けを目的とする「資本主義の精神」を
軽蔑し、貧富の格差が生じることを犯罪のように憎むことにかけては、戦前の日本の
国家社会主義者、軍の革新派の将校グループなどの心情と相通ずるものがある。
つまり今日の保守派もまた、戦前からの国家社会主義者の系譜につながる由緒
正しい社会主義者なのである。
////////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 27 /////////////
戦前の国家社会主義者は外来のマルクス主義に猛烈な敵意を示し、時には
「超国家主義者」、「右翼」、「ファシスト」、「天皇主義者」などと見られていた。
今日の保守派もまったく同じで、一貫して反マルクス主義の立場をとっていた。
「とっていた」と過去形になるのは、それが冷戦時代の彼らの態度だったからである。
米ソ対立の時代には、この保守派は親米・反ソで、マルクス・レーニン主義の
ソ連陣営を敵と見なすからには、アメリカ側について資本主義の支持にまわることも
意に介さなかった。本当のところ、保守派は市場や資本主義の何たるかを
知らないまま、ソ連・中国を敵視するあまり、自らも「資本主義者」のつもりで
いたのである。
////////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 28 //////////////
あるいは日本の社会主義を「日本型資本主義」と解釈することで、「資本主義者」に
なっていたのであろう。しかし冷戦の終わりとともに、マルクス・レーニン主義の
ソ連・中国が変質し、敵はいなくなってしまった。その時、保守派は本来の
社会主義者の自分に戻り、日本型社会主義を「保守」するという使命を自覚する
とともに、戦うべき本来の敵を見出したのである。その敵とは、資本主義の本家
アメリカであり、「アメリカ型資本主義」であり、規制緩和、競争、小さな政府をめざす
「改革派」のエコノミストたちである。したがって、この日本の保守派が奉ずる
「三種の神器」は、一に「反資本主義」、二に「嫌米」、三に「嫌民主主義」という
ことになる。
/////////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 29 /////////////
日本では、幕末維新の時もそうであったように、攘夷主義者・鎖国派は、
状況次第で簡単に開国主義者・国際派に変身する。彼らは「君子だから
豹変する」のかもしれないが、本当は、彼らも人並みに自分の利害を
中心にして物事を考えているので、穣夷・鎖国が自分たちの立場を
危うくすると思えば、すばやく開国・文明開化(西洋化)路線に転身し、
それでうまくいかなくなると、ふたたび欧米を批判して日本の文化・伝統を
自賛するナショナリストに転身する。
/////////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 30 /////////
それにくらべれば、大蔵省などはもう少し頭のいい現実主義者であるから、
「護送船団方式」は維持できないと知ると(その認識は正しい)、平然とそれを
放棄して、これからは弱い船は沈むしかない、これが自由競争の原理だと
いいだす。大蔵省を頂点とする日本の官が筋金入りの鎖国・攘夷派で、
国内の弱者を命がけで守ってくれるだろうと考えるのは「甘えの社会主義」に
酔っているだけで、多分そういう人たちは冷徹な官に裏切られることになる
であろう。現実主義者の官は保守派とは違ってイデオロギーをもたないので、
豹変する時は見事に豹変する。このように豹変する人はまだしも信用できる。
イデオロギーを守る人は熱心な信者を集めるが、その言葉は信者のための
気休めにすぎない。
///////////////// 竹内 靖雄著 ///
■ 「班田収授の法」は日本社会主義の原点 ■
社会主義はマルクスが始めたものだと思っている人に、日本国の国体はもともと「社会主義」だった、
と説明しても、なかなか理解してもらえない。
そういう人に限って、「日本の民主主義はマッカーサーによって導入された」などと言う。
とんでもない話で、「社会主義」も「民主主義」も、日本には古代からあったのだ。
「政府が経済を一元的に支配し、平等主義に基づき、政府機構による富の分配で人民の福利を図る」
のが社会主義だ。 公的経済セクターが支配的な体制をいう。
だとすれば、大化の改新を契機にその後数十年をかけて実現をめざした「公地公民の制」こそ、ま
ぎれもない「社会主義」ではないか。
読者の皆さん、日本史の授業を習ったときに、そう思いませんでしたか?
唐朝中国で行われていたとされる(実際にどこまで実践されていたかどうかは検証を
要するが)、革新的な農地分配制度を日本式に焼き直した 「班田収授の法」は、
官僚制社会主義のひとつの理想形だ。
明治維新や昭和20年代後半を見ても分かるように、日本は異文明の制度をその理想形で
もって受け容れるのに長たけている。この「班田収授社会主義」もみごとに受け容れてしまった。
この班田収授社会主義、当時の日本人に大いに受けたのではなかろうか。
教科書の古代日本には 「豪族」なるものが盛んに登場する。今日的に言えば「武装
富豪」である。この富豪たちが群雄割拠し、人民の処遇がまちまちの自由主義経済よりも、
富豪たちが官僚制のなかで矮小化して平等主義がより徹底する社会主義経済のほうを、
ムラ社会の日本人たちは好んだのに違いない。
「公地公民の制」は、今日でも評判が非常によろしい。「税率が依然として高かった」とか
「施行が不徹底だった」とかいう批判はあっても、公地公民の制の理念そのものを非難する
日本史を見たことがない。
■ 社会主義経済から混合経済への移行を体験した古代日本 ■
ところが、この班田収授社会主義は8世紀前半にさっそく破綻してしまう。
農地開墾推進のために必要な「事業家精神」を、社会主義がつぶしてし
まったのだ。
農地開墾の奨励のため、平城京の社会主義政権は自由主義経済を認めるという
策に出る。(社会主義と資本主義を混合させた、いわゆる「混合経済」。)
開墾地の私的用益権・所有権を認める「三世一身さんぜいっしん法」(養老7年、
西紀723年)や「墾田永年私財こんでんえいねんしざい法」(天平15年、西紀743年)
がこれだ。
公地公民という社会主義の原則が崩れて、私有地が拡大していくことになる。
20世紀の社会主義国が、純粋社会主義ではうまくいかず市場経済を導入する
姿と、何とよく似ていることだろう!
農地開墾というのは、古代・中世においては最大の産業投資である。
「土建業」の発祥と言ってよい。農業と土建業は、つねにワンセットなのだ。
今でもそうでしょ?
この「農業・土建業」を、社会主義(班田収授)セクターだけでやるか、
自由主義(荘園)セクターをどこまで認めるか ―― 平城・平安の班田収授
社会主義政権にとっては深刻な命題だった。
■ 自由主義経済のための民法典まで作った鎌倉政権 ■
鎌倉政権は、班田収授社会主義を全否定した自由主義経済政権だった。私人
による土地の管理・処分が当然のこととされ、そのため社会主義の法律である律令
では対応できず、御成敗式目という民法典を制定する(貞永元年、西紀1232年)。
鎌倉時代とは、京都の社会主義政権と鎌倉の自由主義政権が融通無碍むげに
日本国を統治した時代と言えまいか。
建武の新政は、前政権が残した自由主義経済を社会主義化(中国風の皇帝が
君臨する中央政府の支配のもとに一元化)しようとしたのだが、純粋社会主義を
志向しすぎて失敗する。
室町幕府は、寄合い所帯のワケの分からない政権で、どこか平成の民主党を
彷彿とさせるところがある。
そして戦国時代は、社会主義体制が完璧に崩壊して混沌の自由主義経済
体制となった時期と言えようか。
■ 和の社会主義を完成し、再び混合経済へ向かった徳川時代 ■
豊臣政権は、社会主義体制の復活を目指した政権で、「太閤検地」でもって
中央政府が全国の「公地公民」を把握しようとした。
これを完成させたのが徳川政権だ。
徳川政治は、「儒教社会主義」と言うべきかもしれないが、イメージモデル
としては「公地公民の制」を目指していたように思う。
7世紀に確立した統一国家の社会主義こそ日本政治の本流なりという
意識は、日本の歴史を通じて根強いように思われる。
これが260年間も持ちこたえたのは、経済の地方分権が徹底していたからだろう。
徳川幕府が経済を司ったのは、全国約3,000万石ごくの土地のうち400万石と主要鉱山、
江戸・京都・大坂に限られた。全国の諸大名の領地は、それぞれの大名家の経済
官僚が政策を立てて統治した。経済政策の競い合いがあったことだろう。
社会主義経済も、適正な規模の分権が伴えば、それなりにうまく行くということでは
なかろうか。(平成のいま、いわゆる「道州制」が脚光を浴びるのもそのためだ。)
徳川時代の「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」という3大「改革」は、
自由主義商品経済化していく社会を、何とか「コメ本位の社会主義経済」に戻そう
という政策だったと考えれば分かりやすい。
「商業資本の抑制と社会主義農業の再生」が3大改革に共通するテーマだ。
文芸・芸能・遊興に対する抑圧という社会主義国の十八番も、ちゃんとこれら
「改革」のプログラムに含まれている。
徳川時代は、社会主義を理想形として幕府と各藩が経済政策を競い合いつつ、
結局は大都市の自由主義経済に押し切られた時代と言えるだろう。
無政府的戦国体制から社会主義経済を経て自由主義経済へ移行する――
この、マルクス・レーニンの教えとは 全く異なるプロセスこそ、人間社会の実相である。
見よ、大陸中国もまさに、無政府的戦国体制から社会主義経済を経て、
自由主義経済へ移行しつつあるではないか。
■ 自由主義経済を推し進めた明治政権 ■
明治政権は、徳川政権の「地方分権社会主義経済」に対して「中央集権自由
主義経済」を目指したと言えまいか。
マルクス主義歴史家からは極めて評判の悪い「地租改正」は、農地の商品化を
通じて農業の自由主義経済化を目指したものだ。
当時の先端技術を駆使した官営模範工場や、江戸幕府が絶対に外様大名には
渡さなかった鉱山利権を、なんと明治政権は次々と民間資本へ払い下げ、自由
主義経済の活性化を図る。
紡績工場や炭坑、製鉄所を、「紡績公団」「石炭公社」「製鉄事業団」といった名前で
社会主義セクターに押し止めておく手もあったろうに。(徳川政権ならそうしただろう。)
ところが明治政権は、大胆にもこれらを次々に民間資本化していく。
特殊法人の廃止に てこずってきた昭和・平成1桁の社会主義政権を思うとき、
明治政権の諸政策は痛快なまでに大胆だ。
私心なく自由主義経済の発展のために邁進し、数多くの民間企業を創設して
いった渋沢栄一のような実業家を、明治政権も国民も強く支持した。
自由主義経済を唱導し、これを健全に維持していくための国民意識の成熟を
願った福沢諭吉の思想こそが、よき明治の時代精神だった。
自由主義経済への信奉に1つの転換点がおとずれたのが、明治39年の鉄道
国有法制定だろう。
この鉄道国有化、各方面の支持を得ての政策だったらしい。時代精神が社会
主義へとグラリと動きはじめた。
鉄道の社会主義経営のための国家機関が、明治41年設立の鉄道院だ。
■ 「公地公民の制」を憧憬して、軍部と無産政党が結託 ■
欧米へのキャッチアップを一応果たした明治時代が終わると、日本人は波瀾万丈の
自由主義経済を疎うとましく思い、再び「公地公民の制」を憧憬しはじめた。
日本式社会主義を実現する勢力として期待されたのが、第二政府たる「軍部」で
あったと言えまいか。国民は、既存政党よりも軍部の方が、より平等公正な富の
分配を行うであろうと期待した。
≪1934(昭和9)年、陸軍が国の政策全般にわたってみずからの改革の構想を
発表して、世に大きな反響をよんだが、この構想の起草には有力な無産政党である
社会大衆党の幹部が加わっていた。≫(山川出版社『現代の日本史』高等学校用
文部省検定済教科書より)
社会大衆党は、日本社会党の前身である。
社会主義へと向かう時代精神を結実させたのが、おぞましき近衛文麿内閣の
国家総動員法(昭和13年)だ。
≪財界や立憲民政党・立憲政友会のあいだでは、国家総動員法案が、自由主義に
もとづく資本主義経済を否定し、議会の立法機能をそこなうもので、憲法違反である
として反対する声が強かった。一方、社会大衆党は、同法案をつうじて社会主義を
実現しようとして、法案を積極的に支持した。≫(山川出版社『現代の日本史』高等
学校用文部省検定済教科書より)
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