UFJ銀行が三菱東京と統合することに関して裁判所から待ったがかかったかと思うと、
今度は三井住友がUFJとの統合話に名乗りを上げるという事態に発展した。このこと
は、経済的にも銀行行政のあり方を考える上でも非常に重要である。
2002年10月当時、竹中大臣は「年末までに公的資金を受け入れなければ国有化も
辞さない」という、自由主義経済ではあるまじき強制投入路線を打ち出すが、四大銀行
はみなこの当局の暴挙に応じず、膨大なコスト高になるにも拘わらず自ら資本調達に
走り、結局は一行も竹中大臣の脅しに応じなかった。大手四行から総スカンをくらった
金融庁は、四大銀行に続く規模のりそな銀行の繰り延べ税金資産にケチをつけ、
公的資金を注ぎこんで「国有化」することに成功した。その後、足利銀行を同じ理由で
血祭りに上げたが、四大銀行の一つを落としたくて、標的になったのがUFJだったよう
に思われる。
マスコミ報道によると、UFJが泣きついて三菱東京にすがりついたのではなく、実は
三菱東京サイドから出ていたことが明らかになっている。金融庁からの度重なる圧力
で自主再建を諦めたUFJが、5月からあった三菱東京側からのオファーに自ら乗った
という形で表面化した。ここで住友信託へ売却するという話が裁判所によって
「待った」が入ったが、このチャンス逃すまじと、三井住友が統合話に割りこんだ。
一連の三菱東京や三井住友の行動が何を意味するのかといえば、金融庁が潰しに
かかったUFJは、実は、民間から見れば大変大きな経済価値のある存在だったと
いう点である。競争に勝たなければ生存さえ許されない民間は、価値の無いものに
は絶対にカネを出さないからだ。
ここで問われるべきは、収益も上げ、他行からも大きな経済価値を認められている
UFJを、敢えて自主再建放棄へまで追い込んだ当局の責任と見識だろう。これだけ
市場が価値を認めているUFJを敢えて危機に追いやり、公的資金を注ぎ込もうとした
ことは、不必要な混乱を招いただけでなく、巨額の納税者の金の無駄遣いにもつながり
かねなかったからである。しかも今回の統合話で、日本の銀行界の寡占化が大幅に
進むことは避けられず、そこからくる消費者や借り手企業の不利益も、今回の当局が
もたらした結果ということになる。
UFJをここまで追いこんだ金融庁の行政手法は、金融サービスの受益者や納税者が
受ける不利益という観点からみても再検討すべきである。折しも参院選に出馬した
竹中氏はわずか72万票しか取れず、同氏の話がうまい割には、国民は説得されて
いなかったことが表面化してしまった。そのような中で、「公的資金ありき」で突っ走る
金融庁が、本当に今の日本経済にとって有益な存在なのかどうか再検討することは、
政府にとっても急務だと思われる。
しかも三菱東京や住友信託といった日本のトップバンクが次々と公的資金の返済に
回っているということは、これらの公的資金は決して銀行の経営にプラスになっていない
ことを示している。経営陣にとっては本来、株主が増えることは喜ばしいことであるはず
なのに、敢えて国との資本関係を断ち切ろうとしているのである。これは銀行の経営側
から見て、国という株主が存在することのデメリットの方が、メリットよりはるかに大きい
ことを意味している。実際に資本が投入されているというだけで、官にいいように振り
回されて経営の自由度は失われ、「箸の上げ下げまで指示されている」という声さえある。
これは結局、資本投入が官僚による銀行支配の手段になってしまったことを意味する。