■ 社会主義の呪縛からどう脱するか ■
このメールマガジンのある読者の方から、小泉政権の「聖域なき構造改革」の
行方をどう見るか、というご質問をいただいた。
お答えを書き始めた。
書きながら、日本人ってどうしてこんなに社会主義が大好きなのかしらんと思った。
試みに日本史を振返ってみたのが、このコラムである。
与野党の代議士諸君は、自分が「社会主義推進派」なのか否か、とくと自問
してほしい。
我こそは社会主義の信奉者と思わん者は、「日本社会主義の本流」たる、
自民党「橋本派」に合流されてはいかがか。
農業・土建業社会主義こそ、日本人の骨の髄にまで染み入った基本原理と言って
よい。だから、「保守政党」が社会主義の信奉者であっても、何の不思議もない。
皇室と社会主義も全く矛盾しない。むしろ、今につながる「天皇」のありようが確立
されたのは、「班田収授社会主義」の成立のときと言ってもよい。
だから、惰性で政治を行えば、日本の政治はかならず社会主義に行きついて
しまう。
「聖域なき構造改革」とは、わが内なる社会主義にたたかいを挑むということだ。
国民の富の運用を、できるかぎり民間セクターにゆだねよう。役所がビジネスの
世界を食い散らかすのはやめてほしい。
あの、明治前期の躍動感がほしいのだ!
■ 「道州制」を導入して、責任財政を行政の世界に ■
と言っても、骨の髄に染みている社会主義とはおさらばできないから、さらに1つの処方箋は、
江戸時代に習っての「地方分権」、すなわち「道州制の導入」だ。
道州制が導入されていれば、本州と四国に3つの架橋ルートができることはなかったろう。「四国」
という単位で財政が仕切られていたとすれば、資金の効率的利用をもっと真剣に考えたはずだ。
愛媛・香川・徳島の「県人」が、それぞれに己おのれの県への架橋に奔走したのは、「ヒトの金」
でやれる事業だったからだ。
もし「四国」という単位の財政で処理する事業だったとしたら、岡山県と香川県を結ぶ1ルート
だけで済んでいたろう。
そして、たとえば「愛媛」を考えるなら、今治・尾道間の架橋よりも、松山・小松間の直通JR路線
(予讃線の新線)に投資したほうが経済メリットははるかに大きかった。
ところが、本四架橋なら「ヒトのカネ」(他地域の税収)をつぎ込みやすい。だから本四架橋推進
に奔走した。
「無責任社会主義財政」が、3ルートの本四架橋を生んだのだ。
あるていどの「社会主義」は、もう仕方ないとして、せめて「責任財政」でおこなってくれぬか。
これを実現するには、「道州制」しかないと思う。
/// 脱社会主義のすすめ・資本主義のすすめ 1 ///
竹内 靖雄著 「日本」の終わり―「日本型社会主義」との決別
日本経済新聞社 日経ビジネス人文庫 2001年発行 税込価格:\780 より
・・・・・
10章 脱社会主義のすすめ・資本主義のすすめ
◇ただいま社会主義者の高名な紳士がいわれたのは、要するに、利潤をあげる
ことは罪だということである。私は損失を生むことこそ真の罪だと信じている。
◇社会主義はすべてを所有し、すべてを計画し、すべてを分配し、かくてその
政治家と官吏が個人の日常生活を決定する全能国家に基礎をもつ思想である。
― チャーチル
/////////////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 2 /////////////
◇社会主義がうまくいくのは天国か地獄くらいのものだ。しかし
天国にはその必要がないし、地獄にはすでに導入されている。
― セシル・パーマー
◇社会主義とは何か。それは資本主義から資本主義へのもっとも
苦しい道程である。
― 旧ソ連の小話
◇金持ちを責めてはいけない。貧乏人がいつ君に仕事をくれた?
― ローレンス・J・ピーター
/////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 3 /////////////
日本は社会主義の国である
日本は戦後、資本主義をやってきたのではなく、実は社会主義をやってきた、と
見るべきではないか。ほとんどの人がここのところを錯覚している。たしかに、日本も
アメリカ、イギリス、ドイツその他の欧米諸国や韓国などとともに資本主義の国であり、
米ソ対立の冷戦時代には西側の資本主義陣営に属し、東側の社会主義と対立してきた。
自由主義と民主主義は、日本が自由世界の一員として掲げてきた大義の旗であった。
しかし見かけはそうであっても、そのホンネ、その精神の深層構造を見れば、日本の
正体は資本主義ではなくて社会主義ではないか。コウモリは鳥と同じように空を
飛び回っているので鳥の仲間のように見えるが、実は哺乳類である。日本も実は
鳥の姿をした哺乳類、資本主義の形をした社会主義の国ではないだろうか。
/////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 4 /////////
海外の日本研究者、とりわけアメリカで「リヴィジョニスト」(日本見直し論者)
と呼ばれた人々は、日本のコウモリぶりを観察して、「鳥にしてはかなり変だ」
という結論に達した。「アメリカ鳥」にくらべて「日本鳥」はいかにも鳥らしくない。
これは鳥とは別のものとして扱うのが正解ではないか、というわけである。
こうしたリヴィジョニストの言い分は、アメリカ型の資本主義以外のものを
「標準外」と見て拒否する偏狭な見方であり、資本主義にはアメリカ型
(アングロサクソン型)もあればドイツ型、フランス型、北欧型もあり、
アジア型もある。
/////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 5 /////////
そして日本型もあっていい、という反論が当然出てくる。その場合、資本主義にも
いろいろあって日本だけが特殊なのではない、アメリカ型も一つの特殊なタイプに
すぎず、それを標準とするのはおかしい、という相対主義をとるか、さらに一歩進めて、
「いろいろあっても日本型こそ普遍性のある優れたものである」といったネオ
ナショナリストの立場をとるか、いずれかになる。日本の社会主義の中枢にいる
官僚たちには、こうした形での「理論武装」が必要であった。
///////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 6 /////////
何をもって標準型の鳥とするか。ツルかカラスかコンドルか。しかし議論を
この次元に持ちこんでも仕方がない。標準となる鳥は、もっともよく繁殖して
多数派となった鳥である。英語が事実上世界の標準語になっているのも同じ
理由による。問題は「日本鳥」が標準か、「アメリカ鳥」が標準かということ
ではなく、そもそも日本は鳥ではなくてコウモリではないか、ということにある。
資本主義のふりをしているが資本主義ではなく、本当は社会主義ではないか。
///////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 7 /////////
日本のエリート官僚や保守主義者、ネオナショナリストたちが理論武装して堂々と
自己主張をするなら、「アイデンティティ」を曖昧にすることをやめて、自分が本当は
何であるかを堂々と主張すべきである。それはこういうことになる。
「日本は社会主義の国である。日本人は資本主義が嫌いで、本当は社会主義で
やりたいのである。日本は戦後五十年、日本流の社会主義がうまくいくことを実証
してきた。それを外から見て、変な資本主義だ、あれは資本主義ではない、などと
批判するのはナンセンスである。日本には日本に適した社会主義というものがある
のだから、放っておいていただきたい」と。
//////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 8 ///////////
社会主義の伝統
資本主義といえば、戦前の貧富の差のはなはだしかった時代、貧しい農村を抱え、
不況に苦しんでいた時代の日本は、今日よりも資本主義らしい資本主義だった。
マルクスの非難がよくあてはまりそうな、若くて荒っぽい資本主義をやっていた。
つまりそれは、少数の金持ちをつくりだしたけれども、農村を中心に貧困層が存在し、
企業は人々に十分な雇用を与えることができなかったのである。そのために、
アナーキズム、マルクス主義から国家社会主義まで、各種の社会主義が台頭した。
/////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 9 //////////
その中で弾圧を受けることなく、政・官・軍の内部に影響カを浸透させたのは、
クレムリンのコントロールを受ける日本共産党の正統派マルクス主義ではなくて、
国産の国家社会主義であった。北一輝の思想はその代表格であり、それに感化
された青年将校グループ(革新派)が、北一輝の理論と革命プログラム奉じて
二・二六事件という「国家奪取計画」を実行に移したのである。天皇を上に戴き、
天皇直属の権力機構を自分たちが握って、資本家、金持ちを抑え、平等化を実現し、
自由な金儲けのできない社会をつくること、これが彼らの目的だったのである。
//////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 10 /////////
この日本型社会主義の特徴は、資本主義や市場経済を一掃して私有財産も
階級も国家もない社会を実現する、というマルクス主義とは違って、「国家によって
コントロールされる資本主義」を認めていることにある。資本主義は制限つきで
やらせるが、貧富の格差が生じることは許さない。私有財産にも上限を設ける、
というわけで、これはソ連に登場したスターリン型社会主義とは明らかに別物である。
////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 11 ////////////
軍の中の「革新派」は挫折したものの、軍は全体として反資本主義・
社会主義志向の集団だった。同時に軍は国家(政府)のコントロールの
及ばない利益集団であり、戦争へと暴走し、結局政府も軍自身も自らを
コントロールできなくなって敗戦を招き、壊滅した。しかし社会主義の
「大義」は、生き残った官僚によって引き継がれたと見ることができる。
そしてこの日本型社会主義の理想は、戦後になって、官主導の下に
着々と実現されていった。
//////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 12 /////////////
戦後、政・官・財は協力して資本主義という「金の卵を生む鶏」を育て、その
肥育に成功し、金の卵、つまり経済成長の成果を取り上げては再分配する
ことで日本型の社会主義を実現した。めざましい成長と繁栄のエンジンに
なったのは資本主義であるが、その成果の大半は社会主義のために使われた
のである。日本の社会主義は資本主義が成長すればするほど自らも肥大して
いった。そして「政・官・財のトライアングル」構造による支配、官の規制と保護
による成長成果の再分配に加えて、他の先進諸国のあとを追って立派な
福祉国家もつくりあげた。こうして日本の社会主義は完成を見たことになる。
//////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 13 ///////////
日本型社会主義
日本はかつてのソ連と同じタイプの社会主義をやっているわけではない。
社会主義といってもいろいろあって、ソ連型社会主義はその標準型でも
何でもない。
冷戦時代の欧米では「社会主義」という言葉を「共産主義」とは区別して
使っていた。それによると、ソ連や東欧諸国や中国などの共産党独裁体制を
「共産主義」と呼び(たとえば「コミュニスト・チャイナ」といえば毛沢東の中国のこと)、
西欧で社会民主主義政党が政権を握って産業の国有化や福祉国家を推進
しているところを「社会主義」と呼んでいた。
/////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 14 /////////
ところが日本では「共産主義」という言葉が忌避され(この言葉を終始愛用
して党名に掲げているのは日本共産党だけである)、ソ連や中国のことを
「社会主義」と呼んでいた。このために、日本では社会主義といえば、ソ連や
中国型の社会主義しかないかのように思われている。「スカンディナヴィアン・
ソーシャリズム」という言葉も使われていたように、欧米流の定義では北欧諸国も
社会主義の国だったのである。
///// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 15 ////////////
かつての労働党政権下のイギリスも社会主義をやっていた。それをやめて
脱社会主義路線に切り替えたのが保守党のサッチャー政権であった。日本でも
同じ時期の中曽根政権の時に、脱社会主義的改革が行われた。その後も
看板だけは掲げられている規制緩和、民営化、行政改革、財政改革、税制改革、
金融ビッグバンなどの改革路線は、方向としては脱社会主義をめざすものである。
ただし、それがはかばかしく実行されないでいるということは、日本がいまだに
社会主義をやめる気がないことを示している。
//////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 16 /////////
この日本型社会主義とは次のようなものである。
@市場経済と資本主義は否定しない。これを全面否定してもほかに
やり方がないからである。
A官が業界(市場)ごとに自分のナワバリをもち、そこで行われる経済の
ゲームを管理する。
B規制によって参入を制限し、競争を制限して高価格を維持できるようにし、
弱い業界、企業を保護する。場合によっては、価格・流通を全面的に
国家管理とするような制度をつくって保護する(かつての食管制度)。
C「親方日の丸」の国営企業や類似の特殊法人などを増殖させる。
////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 17 /////////////
D金融部門を大蔵省の強力な統制下におく。
E財政を通じて中央から地方へのカネ(税金)の再分配を行う。
F「負担できる人が負担し、必要な人が受け取る」という各種の
社会保険制度を中心にして、福祉国家という福祉配給システムをつくり、
平等化をめざす。
G経済活動の主役を「従業員主権」の「会社」という社会主義的集団とし、
この「会社」が終身雇用・年功序列という社会主義的原理によって
雇用を維持し、分配の平等化を図る。
////////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 18 ////////////
これはソ連型社会主義とは違った、もう一つの「ソフィスティケートされた」
社会主義なのである。ソ連型社会主義は、@価格を政府が決めるために
価格メカニズムが働かなくなった「変則市場経済」であり(そこでは何をどれだけ
生産するかを政府が「計画」して決めなければならない)、A金儲けのゲームを
国家が独占して民間に許さない「国家独占資本主義」であった。それは
あまりにも変な市場経済であり、変な資本主義であったために、およそ
七十年の「実験」ののち、とうてい維持できなくなって、共産党独裁体制と
ともに瓦解したのである。
///////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 19 ///////////////
日本型の社会主義はこのような粗野で無茶な社会主義ではない。それは
普通の市場経済、普通の資本主義に近いことをやりながら、それに寄生し、
その成果を使って社会主義の目的を達成しようという巧妙なやり方なのである。
その目的というのは、ほとんど誰も意識していないようであるが、実は、「人は
その能力に応じて働き、その必要に応じて与えられる」という共産主義の
スローガンにほかならない。これはマルクスが一八四八年の『共産党宣言』で
謳っていたもので、日本の社会主義は、この共産主義の理想をマルクスや
ソ連とは別の方法で実現してしまった。
/////////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 20 /////////////
その方法というのはまことに単純なものである。国家によって、また会社のような
集団を通じて、徹底した再分配を行い、負担できる人に負担させ、必要とする人に
与え、結果を平等化するという手法である。実はこの簡単な原理をマルクス以後に
発見して採用したのが西欧の非マルクス的「社会民主主義」であった。これは
正統派マルクス主義にとっては、もっとも脅威となる、もっとも憎むべきライバルであり、
「修正主義」(リヴィジョニズム)というレッテルを貼られ、旧ソ連ではベルンシュタイン
などの本は禁書の扱いだった。
///////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 21 ////////////
マルクス自身は、再分配という手直しをすれば資本主義でやっていけるという
考え方を、それこそ渾身の力をこめて粉砕しようとした。そのために『資本論』を
書いて、資本家が労働者を「搾取」しているという見方を打ち立てようとしたのである。
資本家が合法的に労働者を「搾取」するシステムが資本主義だとすると、それを
根底から破壊する以外に人類の真の解放はない。そこで、財産の私有を否定し、
貨幣も市場も否定し、ついでに階級支配の暴力装置である国家まで否定し、
何もないところに共産主義をつくろうとした。
//////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 22 ////////////
それはもっとも徹底した「ユートピア」の構想であるから、レーニンやスターリンも
このような共産主義を建設することはできなかった。ソ連に出現した社会主義は、
マルクスの共産主義とは似ても似つかぬ「国家独占資本主義」だったのである。
戦後の日本では、ロシアのような暴力革命も共産党の一党独裁もなしに、また
私有財産の廃止といった蛮行も避けて、マルクスの共産主義の理想に近いものを
実現してしまった。つまり、日本型社会主義は、マルクスの方法を使わず、
マルクスの教義の核心(私有がすべての悪の根源であるということ)も無視して、
結果において共産主義に似たものを実現したという点で「ソフィスティケートされた」
社会主義なのである。
///////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 23 /////////
保守派はみな社会主義者
高度成長を経て日本が経済大国になった頃から、多くの保守派の論者が
この成功した社会主義を自画自賛するようになった。しかもそれを社会主義
とも気づかず、「日本型資本主義」と呼んでいる。それがお好みなら、呼び方は
それでもよい。ただし彼らが賛美したいのは資本主義の方ではなくて、右に
あげた@〜Gのような社会主義の要素であるらしい。
///////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 24 ////////////////
日本型社会主義は、「国家のない」マルクス的共産主義とは違って、国家、あるいは
官が民を管理することを基本とする「国家社会主義」の一種である。それは強力な
国家、「大きな政府」を不可欠とする。だから保守派の人々は「強い国家」を待望する
国家主義者でもある。しかし現実の日本型社会主義は、平等化をめざす分配を政治の
主な仕事としていることからも、大衆民主主義と相性がよい。この民主主義は、
子供=国民が母親=政府から福祉やさまざまのサービスを分配してもらうことを
中身としているので、政府はたくさんカネを集めて使う「大きな政府」ではあるけれども、
「泣く子」には勝てない子供本位のサービス機関に成り下がっている。
///////////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 25 //////////
保守派はそこが気に入らないらしい。政府は軟弱な母親ではなくて強い
父親でなければならない、ということであろう。この不満があるために、
彼らは福祉とサービスさえもらえばよいという「大衆」を蔑視し、自分たちは
エリート支配のプラトン的国家を志向する。ここまで来ると、日本型
社会主義の現実そのものからいささか遊離した頑迷な信条になる。
////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 26 /////////////
しかしもともと保守主義は何かを守るために戦うというよりも、何かに反対して
文句をつけるカウンター・イデオロギーである。保守派が戦意をかきたてる真の敵は、
実は資本主義なのである。彼らが規制緩和に反対し、秩序ある、管理された市場が
必要だといっているのは「ソフィスティケートされた」日本型社会主義を擁護している
ことになるが、競争や優勝劣敗の世界を嫌い、金儲けを目的とする「資本主義の精神」を
軽蔑し、貧富の格差が生じることを犯罪のように憎むことにかけては、戦前の日本の
国家社会主義者、軍の革新派の将校グループなどの心情と相通ずるものがある。
つまり今日の保守派もまた、戦前からの国家社会主義者の系譜につながる由緒
正しい社会主義者なのである。
////////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 27 /////////////
戦前の国家社会主義者は外来のマルクス主義に猛烈な敵意を示し、時には
「超国家主義者」、「右翼」、「ファシスト」、「天皇主義者」などと見られていた。
今日の保守派もまったく同じで、一貫して反マルクス主義の立場をとっていた。
「とっていた」と過去形になるのは、それが冷戦時代の彼らの態度だったからである。
米ソ対立の時代には、この保守派は親米・反ソで、マルクス・レーニン主義の
ソ連陣営を敵と見なすからには、アメリカ側について資本主義の支持にまわることも
意に介さなかった。本当のところ、保守派は市場や資本主義の何たるかを
知らないまま、ソ連・中国を敵視するあまり、自らも「資本主義者」のつもりで
いたのである。
////////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 28 //////////////
あるいは日本の社会主義を「日本型資本主義」と解釈することで、「資本主義者」に
なっていたのであろう。しかし冷戦の終わりとともに、マルクス・レーニン主義の
ソ連・中国が変質し、敵はいなくなってしまった。その時、保守派は本来の
社会主義者の自分に戻り、日本型社会主義を「保守」するという使命を自覚する
とともに、戦うべき本来の敵を見出したのである。その敵とは、資本主義の本家
アメリカであり、「アメリカ型資本主義」であり、規制緩和、競争、小さな政府をめざす
「改革派」のエコノミストたちである。したがって、この日本の保守派が奉ずる
「三種の神器」は、一に「反資本主義」、二に「嫌米」、三に「嫌民主主義」という
ことになる。
/////////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 29 /////////////
日本では、幕末維新の時もそうであったように、攘夷主義者・鎖国派は、
状況次第で簡単に開国主義者・国際派に変身する。彼らは「君子だから
豹変する」のかもしれないが、本当は、彼らも人並みに自分の利害を
中心にして物事を考えているので、穣夷・鎖国が自分たちの立場を
危うくすると思えば、すばやく開国・文明開化(西洋化)路線に転身し、
それでうまくいかなくなると、ふたたび欧米を批判して日本の文化・伝統を
自賛するナショナリストに転身する。
/////////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 30 /////////
それにくらべれば、大蔵省などはもう少し頭のいい現実主義者であるから、
「護送船団方式」は維持できないと知ると(その認識は正しい)、平然とそれを
放棄して、これからは弱い船は沈むしかない、これが自由競争の原理だと
いいだす。大蔵省を頂点とする日本の官が筋金入りの鎖国・攘夷派で、
国内の弱者を命がけで守ってくれるだろうと考えるのは「甘えの社会主義」に
酔っているだけで、多分そういう人たちは冷徹な官に裏切られることになる
であろう。現実主義者の官は保守派とは違ってイデオロギーをもたないので、
豹変する時は見事に豹変する。このように豹変する人はまだしも信用できる。
イデオロギーを守る人は熱心な信者を集めるが、その言葉は信者のための
気休めにすぎない。
///////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 1 ///////////////////////////////////////
未来はいま決まる - ビッグバンの予測と現実 フォレスト出版より
第三章 成功のシナリオ、失敗のシナリオ
堺屋太一 ピーター・タスカ
ビッグバンは知価革命の一部である - 堺屋
爆発的な成長を続ける情報通信産業によって、いま世界は縦横に張り巡ら
されたネットワークで結ばれています。そのネットワークの上を、膨大な情報が
リアルタイムで流れて、その流れのなかで新しい産業が次々と生まれています。
この点で、世界は間違いなく新しい時代に入ったといえるでしょう。
////////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 2 ///////////////////////////////////////
情報通信産業の発展がもたらしたこのような変化を、私は「知価革命」と呼び、
これからの社会を「知価社会」と名付けます。知価とは、知識の価値です。
産業革命以来二〇〇年間も続いてきた近代工業社会では、ハードなモノにこそ
値打ちがありました。しかし、知価社会ではモノよりも知恵、つまりソフトが重要に
なっています。ハードは知恵の値打ちを包む包装に過ぎないのです。それほど
大きな変化が、いま起こっているのだと私は思っています。
いま、この知価革命の大波が集中的に押し寄せているのが金融市場です。
金融取引はグローバル化し、マネーは瞬時に世界の市場を駆け巡っています。
この新しい動きに対応するため、一九七〇年代末に、まずアメリカが、続いて、
一九八〇年代にイギリスが、金融市場に徹底した規制緩和を行い、競争原理を
導入しました。これがビッグバンです。
////////////////////////////////////////////////// 「未来はいま決まる」 ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 3 ///////////////////////////////////////
この自由な金融市場のシステムは、ビッグバン発祥の地であるアメリカ、イギリス
だけでなく、アジアの市場にも続々と導入されました。香港、シンガポールといった
日本近隣の金融市場も、いまではアメリカやイギリスと同じ原理で動いています。
こうして、世界の金融市場は共通のルールで動き始めました。日本版ビッグバンの
開始は、日本もこの世界共通のルールを採用し、知価革命の時代に対応しようと
する動きにほかなりません。
ピーター・タスカさんは、二〇二〇年の日本を予測した『不機嫌な時代」(講談社刊)
という本を書かれました。そのなかで、二〇二〇年の日本は、次の三つのシナリオ
のうちいずれかの道をたどっているだろうといっておられます。
//////////////////////////////////////////////////////// フォレスト出版 //
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 4 ///////////////////////////////////////
第一のシナリオは、ビッグバンを含む大改革に成功した日本が、華やかな「デジタル
元禄」時代を迎えているだろうというもの。第二のシナリオは、ビッグバン改革を
拒否した日本が破滅の道をたどっていく「悪循環」の道。第三のシナリオは、建前
だけの改革でお茶を濁した日本が、ゆっくりと衰退していく「長いサヨナラ」の道です。
三つのシナリオのうち楽天的な予測は、第一の「デジタル元禄」だけということで
分かるように、タスカさんは日本の改革の将来に大変危惧を持っておられます。
タスカさんはどうして日本のビッグバンの未来にこれほど懐疑的なのでしょうか?
//////////////////////////////////////////////////////// 絶賛発売中! //
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 5 ///////////////////////////////////////
日本は資本主義社会ではない - タスカ
ビッグバン改革が日本に与える衝撃は、十数年前の本家のビッグバンが当時の
イギリス社会に与えたショックよりも、よほど大きいと私は思います。その強烈な
衝撃に、日本人と日本社会がどこまで耐えられるか。その点に、私は強い疑問を
持っているのです。
////////////////////////////////////////////////////// ピーター タスカ ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 6 ///////////////////////////////////////
一九八〇年代のイギリスは、すでに「資本の論理」がそのまま働く経済を作り上げ
ていました。金融市場だけが例外だったのです。ですから、すでに確立されていた
資本の論理を、そのまま金融市場のルールに適用すれば、それだけで改革を
始められましたし、イギリス人は素直に改革を受け入れられました。
ところが、戦後の日本経済は資本の論理がそのまま働く社会にはなっていません。
ビッグバンそれ自体は銀行、証券などの金融市場の改革を目指すものですが、
この改革の中身を実行すれば、日本社会全体を資本の論理が働く社会に変える
ことになるのです。その衝撃力には激烈なものがあります。
/////////////////////////////////////////////////////////// 1998年刊 //
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 7 ///////////////////////////////////////
私が見るところでは、日本の戦後システムの最大の特徴は、資本主義を採用して
いるといいながら、実際には資本の論理がまったく働いていないことです。資本主義
というものは、根本的には個々の資本家が自由に経済活動を行い、利益を追求
することによって成立しているはずなのですが、日本には本当の意味での自由な
資本家がいません。
個々人の自由意思による経済的利益の追求によってではなく、政治家と官僚に
よる統制によって経済活動が動かされています。その点を見ると、日本の経済
構造は社会主義かと見紛うばかりです。
////////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 8 ///////////////////////////////////////
諫早湾二三七〇億円の無駄遣い - タスカ
日本経済には資本の論理が働いていないことを象徴する出来事が、投下資本に
対するリターンの低さです。この十数年は特にそれが目立ちます。一九八〇年代の
後半以降、銀行預金にしても株式配当にしても、投資に対するリターンが一%を
切るレベルにまで落ちこんでいるのです。
日本人の個人金融資産は、総額一二〇〇兆円を超えています。他の国では
考えられないほどの、ものすごく大きな世界一の金額なのですが、この膨大な
金融資産が果たして国民の生活水準の向上に寄与しているでしょうか。
////////////////////////////////////////////////// 「未来はいま決まる」 //
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 9 ///////////////////////////////////////
一人当たり、一家庭当たりに換算すれば、受け取る金利や配当はすずめの
涙というのが実感でしょう。一二〇〇兆円の金融資産が、諸外国並みにせめて
五%前後のリターンで回収できれば、日本人はもっと豊かな生活が楽しめる
はずなのです。
資本へのリターンの低さを示すもう一つの例は、最近問題になっている諫早湾
の干拓事業です。私は総投資金額を聞いて驚いたのですが、このプロジェクトに
政府はなんと二三七〇億円を投下するというのです。
//////////////////////////////////////////////////////// フォレスト出版 //
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 10 //////////////////////////////////////
では、このプロジェクトが完成したら、いったいどれだけのリターンを生み出すの
でしょうか。これ以上田畑を増やすわけにはいかないのですから、ゼロに近いと
いうのが本当のところでしょう。それほど収益性の低い事業に、三〇〇〇億円もの
巨費を投じるのですから、日本が資本主義国家とはとても思えません。
諫早湾の問題は、全体のなかのごく一部の問題に過ぎないと思います。大小
合わせて無数の公共事業が、リターンが限りなくゼロに近い水準のまま至る所で
行われています。資本の論理が働いている社会なら、こんな馬鹿げた投資は
絶対に行われないはずです。
////////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 11 //////////////////////////////////////
国民金融資産一二〇〇兆円の悲劇 - タスカ
諫早湾の干拓には、税金と財政投融資のお金が投入されています。財政投融資
の主な原資は郵便貯金です。つまり、郵便貯金のお金は、諫早湾の干拓のように、
リターンが限りなくゼロに近い分野に投資されているわけです。
公共部門である郵貯が行っている投資全体が、民間金融機関の投融資より
リターンが高いとはとても考えられません。国民金融資産の一二〇〇兆円の約
四分の一が、このような無駄遣いに回されているのです。
////////////////////////////////////////////////// 「未来はいま決まる」 ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 12 //////////////////////////////////////
私のいう資本の論理というのは、何も難しいことではありません。一言で
いえば、お金というものは高いリターンが期待されるところ、儲かるところに
動く原則を持っているということです。そして、それは市場で決められます。
高いリターンが望める事業を行おうという人は、高い金利を払ってもお金を
借りようとします。金融機関はプロジェクトの採算性を評価したうえで、高い
金利を支払う人にまずお金を貸しますから、採算性の悪い事業にはお金が
回りません。
//////////////////////////////////////////////////////// フォレスト出版 //
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 13 //////////////////////////////////////
つまり、資本がどこに動くかを決めるのは、政治家や官僚ではなくて市場なのです。
これが資本主義です。しかし、日本ではそうなっていません。だから、預金金利も
株式配当率も、異常な低さにとどまっているのです。
若い起業家が、明らかにリターンが高いだろうと予測されるプロジェクトを始めよう
としても、担保となる資産がないかぎり融資を受けられません。その反対に、資産
さえあれば、リターンがどれほど低い事業でも日本の銀行は融資をするのです。
これは資本の論理に基づいた行動とはいえません。
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/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 14 //////////////////////////////////////
金融システムが資本主義を機能不全にした - 堺屋
日本人は戦後ずっと資本主義をやってきたつもりでいますけれども、タスカさんの
見方では、日本経済は資本主義というより社会主義的だということになります。
社会主義諸国で行われたように官僚が経済を統制してきたという意味では、
確かに日本は社会主義的だった、といわれても仕方がないかもしれません。
タスカさんの指摘されるように、このシステムの一番の問題は、資本の配分が
官僚統制の下で、担保を持つか持たないかを重視して行われてきたことでしょう。
担保資産といえば、日本では土地です。
////////////////////////////////////////////////////// ピーター タスカ ///
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 15 //////////////////////////////////////
日本では、土地を持っている人に金融がついて、持っていない人には融資が
されない。そして、仕入価格が安い土地を持っているのは、戦前からの伝統を誇って
いるような大企業です。しかし、こういう大企業では、新しい能力や産業は開発され
ません。 お金を貸している先が収益性の高い事業に成功しないのですから、銀行
だって高い利益が得られません。当然、高い金利を預金者に払えなくなります。
定期預金金利が〇.三%とか〇.三五%というあきれるほどの低金利になっている
のは、まさにこの土地担保融資がもたらした最悪の結果だといえます。
タスカさんのいうように、本来、資本は高い利益が見込まれる分野に投資されます。
しかし、日本ではお互いの顔のつながりとか、系列とか、業界の申し合わせとか、
長い取引関係があるとかで、投資先や融資先が決まってしまいます。確かに、
これは資本主義とはいえません。
/////////////////////////////////////////////////////////// 1998年刊 //
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 16 //////////////////////////////////////
ですから、ビッグバンが改革の対象にしているのは、単に民間企業の東京金融
市場だけではなく、郵便貯金や財政投融資などにも及ばなければならないという
ことになります。そうしないと、ビッグバン自体が機能不全に陥るでしょう。
ところで、タスカさんは日本が迎えるこれからの時代を、「不機嫌な時代」と命名
されました。近代工業社会はすでに終わっているから、その時代に作られたシステム
はだんだん信頼性を失い始めている。さりとて、まだ新しいシステムの姿は見えて
こない。そんな過渡的な時代を、大変おもしろいネーミングで呼ばれたのですが、
なぜ、不機嫌な時代なのでしょうか。
////////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 ///