増税・負担増のみ先行する小泉構造改革

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/// 脱社会主義のすすめ 2 /////////////

◇社会主義がうまくいくのは天国か地獄くらいのものだ。しかし
天国にはその必要がないし、地獄にはすでに導入されている。
        ― セシル・パーマー

◇社会主義とは何か。それは資本主義から資本主義へのもっとも
苦しい道程である。
        ― 旧ソ連の小話

◇金持ちを責めてはいけない。貧乏人がいつ君に仕事をくれた?
        ― ローレンス・J・ピーター

/////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 3 /////////////

    日本は社会主義の国である

 日本は戦後、資本主義をやってきたのではなく、実は社会主義をやってきた、と
見るべきではないか。ほとんどの人がここのところを錯覚している。たしかに、日本も
アメリカ、イギリス、ドイツその他の欧米諸国や韓国などとともに資本主義の国であり、
米ソ対立の冷戦時代には西側の資本主義陣営に属し、東側の社会主義と対立してきた。
自由主義と民主主義は、日本が自由世界の一員として掲げてきた大義の旗であった。
しかし見かけはそうであっても、そのホンネ、その精神の深層構造を見れば、日本の
正体は資本主義ではなくて社会主義ではないか。コウモリは鳥と同じように空を
飛び回っているので鳥の仲間のように見えるが、実は哺乳類である。日本も実は
鳥の姿をした哺乳類、資本主義の形をした社会主義の国ではないだろうか。

/////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 4 /////////

 海外の日本研究者、とりわけアメリカで「リヴィジョニスト」(日本見直し論者)
と呼ばれた人々は、日本のコウモリぶりを観察して、「鳥にしてはかなり変だ」
という結論に達した。「アメリカ鳥」にくらべて「日本鳥」はいかにも鳥らしくない。
これは鳥とは別のものとして扱うのが正解ではないか、というわけである。
 こうしたリヴィジョニストの言い分は、アメリカ型の資本主義以外のものを
「標準外」と見て拒否する偏狭な見方であり、資本主義にはアメリカ型
(アングロサクソン型)もあればドイツ型、フランス型、北欧型もあり、
アジア型もある。

/////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 5 /////////

そして日本型もあっていい、という反論が当然出てくる。その場合、資本主義にも
いろいろあって日本だけが特殊なのではない、アメリカ型も一つの特殊なタイプに
すぎず、それを標準とするのはおかしい、という相対主義をとるか、さらに一歩進めて、
「いろいろあっても日本型こそ普遍性のある優れたものである」といったネオ
ナショナリストの立場をとるか、いずれかになる。日本の社会主義の中枢にいる
官僚たちには、こうした形での「理論武装」が必要であった。

///////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 6 /////////

 何をもって標準型の鳥とするか。ツルかカラスかコンドルか。しかし議論を
この次元に持ちこんでも仕方がない。標準となる鳥は、もっともよく繁殖して
多数派となった鳥である。英語が事実上世界の標準語になっているのも同じ
理由による。問題は「日本鳥」が標準か、「アメリカ鳥」が標準かということ
ではなく、そもそも日本は鳥ではなくてコウモリではないか、ということにある。
資本主義のふりをしているが資本主義ではなく、本当は社会主義ではないか。

///////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 7 /////////

日本のエリート官僚や保守主義者、ネオナショナリストたちが理論武装して堂々と
自己主張をするなら、「アイデンティティ」を曖昧にすることをやめて、自分が本当は
何であるかを堂々と主張すべきである。それはこういうことになる。
 「日本は社会主義の国である。日本人は資本主義が嫌いで、本当は社会主義で
やりたいのである。日本は戦後五十年、日本流の社会主義がうまくいくことを実証
してきた。それを外から見て、変な資本主義だ、あれは資本主義ではない、などと
批判するのはナンセンスである。日本には日本に適した社会主義というものがある
のだから、放っておいていただきたい」と。

//////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 8 ///////////

    社会主義の伝統

 資本主義といえば、戦前の貧富の差のはなはだしかった時代、貧しい農村を抱え、
不況に苦しんでいた時代の日本は、今日よりも資本主義らしい資本主義だった。
マルクスの非難がよくあてはまりそうな、若くて荒っぽい資本主義をやっていた。
つまりそれは、少数の金持ちをつくりだしたけれども、農村を中心に貧困層が存在し、
企業は人々に十分な雇用を与えることができなかったのである。そのために、
アナーキズム、マルクス主義から国家社会主義まで、各種の社会主義が台頭した。

/////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 9 //////////

その中で弾圧を受けることなく、政・官・軍の内部に影響カを浸透させたのは、
クレムリンのコントロールを受ける日本共産党の正統派マルクス主義ではなくて、
国産の国家社会主義であった。北一輝の思想はその代表格であり、それに感化
された青年将校グループ(革新派)が、北一輝の理論と革命プログラム奉じて
二・二六事件という「国家奪取計画」を実行に移したのである。天皇を上に戴き、
天皇直属の権力機構を自分たちが握って、資本家、金持ちを抑え、平等化を実現し、
自由な金儲けのできない社会をつくること、これが彼らの目的だったのである。

//////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 10 /////////

 この日本型社会主義の特徴は、資本主義や市場経済を一掃して私有財産も
階級も国家もない社会を実現する、というマルクス主義とは違って、「国家によって
コントロールされる資本主義」を認めていることにある。資本主義は制限つきで
やらせるが、貧富の格差が生じることは許さない。私有財産にも上限を設ける、
というわけで、これはソ連に登場したスターリン型社会主義とは明らかに別物である。

////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 11 ////////////

 軍の中の「革新派」は挫折したものの、軍は全体として反資本主義・
社会主義志向の集団だった。同時に軍は国家(政府)のコントロールの
及ばない利益集団であり、戦争へと暴走し、結局政府も軍自身も自らを
コントロールできなくなって敗戦を招き、壊滅した。しかし社会主義の
「大義」は、生き残った官僚によって引き継がれたと見ることができる。
そしてこの日本型社会主義の理想は、戦後になって、官主導の下に
着々と実現されていった。

//////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 12 /////////////

 戦後、政・官・財は協力して資本主義という「金の卵を生む鶏」を育て、その
肥育に成功し、金の卵、つまり経済成長の成果を取り上げては再分配する
ことで日本型の社会主義を実現した。めざましい成長と繁栄のエンジンに
なったのは資本主義であるが、その成果の大半は社会主義のために使われた
のである。日本の社会主義は資本主義が成長すればするほど自らも肥大して
いった。そして「政・官・財のトライアングル」構造による支配、官の規制と保護
による成長成果の再分配に加えて、他の先進諸国のあとを追って立派な
福祉国家もつくりあげた。こうして日本の社会主義は完成を見たことになる。

//////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 13 ///////////

    日本型社会主義

 日本はかつてのソ連と同じタイプの社会主義をやっているわけではない。
社会主義といってもいろいろあって、ソ連型社会主義はその標準型でも
何でもない。
 冷戦時代の欧米では「社会主義」という言葉を「共産主義」とは区別して
使っていた。それによると、ソ連や東欧諸国や中国などの共産党独裁体制を
「共産主義」と呼び(たとえば「コミュニスト・チャイナ」といえば毛沢東の中国のこと)、
西欧で社会民主主義政党が政権を握って産業の国有化や福祉国家を推進
しているところを「社会主義」と呼んでいた。

/////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 14 /////////

ところが日本では「共産主義」という言葉が忌避され(この言葉を終始愛用
して党名に掲げているのは日本共産党だけである)、ソ連や中国のことを
「社会主義」と呼んでいた。このために、日本では社会主義といえば、ソ連や
中国型の社会主義しかないかのように思われている。「スカンディナヴィアン・
ソーシャリズム」という言葉も使われていたように、欧米流の定義では北欧諸国も
社会主義の国だったのである。

///// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 15 ////////////

かつての労働党政権下のイギリスも社会主義をやっていた。それをやめて
脱社会主義路線に切り替えたのが保守党のサッチャー政権であった。日本でも
同じ時期の中曽根政権の時に、脱社会主義的改革が行われた。その後も
看板だけは掲げられている規制緩和、民営化、行政改革、財政改革、税制改革、
金融ビッグバンなどの改革路線は、方向としては脱社会主義をめざすものである。
ただし、それがはかばかしく実行されないでいるということは、日本がいまだに
社会主義をやめる気がないことを示している。

//////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 16 /////////

 この日本型社会主義とは次のようなものである。
@市場経済と資本主義は否定しない。これを全面否定してもほかに
やり方がないからである。
A官が業界(市場)ごとに自分のナワバリをもち、そこで行われる経済の
ゲームを管理する。
B規制によって参入を制限し、競争を制限して高価格を維持できるようにし、
弱い業界、企業を保護する。場合によっては、価格・流通を全面的に
国家管理とするような制度をつくって保護する(かつての食管制度)。
C「親方日の丸」の国営企業や類似の特殊法人などを増殖させる。

////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 17 /////////////

D金融部門を大蔵省の強力な統制下におく。
E財政を通じて中央から地方へのカネ(税金)の再分配を行う。
F「負担できる人が負担し、必要な人が受け取る」という各種の
社会保険制度を中心にして、福祉国家という福祉配給システムをつくり、
平等化をめざす。
G経済活動の主役を「従業員主権」の「会社」という社会主義的集団とし、
この「会社」が終身雇用・年功序列という社会主義的原理によって
雇用を維持し、分配の平等化を図る。

////////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 18 ////////////

 これはソ連型社会主義とは違った、もう一つの「ソフィスティケートされた」
社会主義なのである。ソ連型社会主義は、@価格を政府が決めるために
価格メカニズムが働かなくなった「変則市場経済」であり(そこでは何をどれだけ
生産するかを政府が「計画」して決めなければならない)、A金儲けのゲームを
国家が独占して民間に許さない「国家独占資本主義」であった。それは
あまりにも変な市場経済であり、変な資本主義であったために、およそ
七十年の「実験」ののち、とうてい維持できなくなって、共産党独裁体制と
ともに瓦解したのである。

///////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 19 ///////////////

 日本型の社会主義はこのような粗野で無茶な社会主義ではない。それは
普通の市場経済、普通の資本主義に近いことをやりながら、それに寄生し、
その成果を使って社会主義の目的を達成しようという巧妙なやり方なのである。
その目的というのは、ほとんど誰も意識していないようであるが、実は、「人は
その能力に応じて働き、その必要に応じて与えられる」という共産主義の
スローガンにほかならない。これはマルクスが一八四八年の『共産党宣言』で
謳っていたもので、日本の社会主義は、この共産主義の理想をマルクスや
ソ連とは別の方法で実現してしまった。

/////////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 20 /////////////

 その方法というのはまことに単純なものである。国家によって、また会社のような
集団を通じて、徹底した再分配を行い、負担できる人に負担させ、必要とする人に
与え、結果を平等化するという手法である。実はこの簡単な原理をマルクス以後に
発見して採用したのが西欧の非マルクス的「社会民主主義」であった。これは
正統派マルクス主義にとっては、もっとも脅威となる、もっとも憎むべきライバルであり、
「修正主義」(リヴィジョニズム)というレッテルを貼られ、旧ソ連ではベルンシュタイン
などの本は禁書の扱いだった。

///////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 21 ////////////

 マルクス自身は、再分配という手直しをすれば資本主義でやっていけるという
考え方を、それこそ渾身の力をこめて粉砕しようとした。そのために『資本論』を
書いて、資本家が労働者を「搾取」しているという見方を打ち立てようとしたのである。
資本家が合法的に労働者を「搾取」するシステムが資本主義だとすると、それを
根底から破壊する以外に人類の真の解放はない。そこで、財産の私有を否定し、
貨幣も市場も否定し、ついでに階級支配の暴力装置である国家まで否定し、
何もないところに共産主義をつくろうとした。

//////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 22 ////////////

それはもっとも徹底した「ユートピア」の構想であるから、レーニンやスターリンも
このような共産主義を建設することはできなかった。ソ連に出現した社会主義は、
マルクスの共産主義とは似ても似つかぬ「国家独占資本主義」だったのである。
 戦後の日本では、ロシアのような暴力革命も共産党の一党独裁もなしに、また
私有財産の廃止といった蛮行も避けて、マルクスの共産主義の理想に近いものを
実現してしまった。つまり、日本型社会主義は、マルクスの方法を使わず、
マルクスの教義の核心(私有がすべての悪の根源であるということ)も無視して、
結果において共産主義に似たものを実現したという点で「ソフィスティケートされた」
社会主義なのである。

///////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 23 /////////

    保守派はみな社会主義者

 高度成長を経て日本が経済大国になった頃から、多くの保守派の論者が
この成功した社会主義を自画自賛するようになった。しかもそれを社会主義
とも気づかず、「日本型資本主義」と呼んでいる。それがお好みなら、呼び方は
それでもよい。ただし彼らが賛美したいのは資本主義の方ではなくて、右に
あげた@〜Gのような社会主義の要素であるらしい。

///////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 24 ////////////////

 日本型社会主義は、「国家のない」マルクス的共産主義とは違って、国家、あるいは
官が民を管理することを基本とする「国家社会主義」の一種である。それは強力な
国家、「大きな政府」を不可欠とする。だから保守派の人々は「強い国家」を待望する
国家主義者でもある。しかし現実の日本型社会主義は、平等化をめざす分配を政治の
主な仕事としていることからも、大衆民主主義と相性がよい。この民主主義は、
子供=国民が母親=政府から福祉やさまざまのサービスを分配してもらうことを
中身としているので、政府はたくさんカネを集めて使う「大きな政府」ではあるけれども、
「泣く子」には勝てない子供本位のサービス機関に成り下がっている。

///////////////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 資本主義のすすめ 25 //////////

保守派はそこが気に入らないらしい。政府は軟弱な母親ではなくて強い
父親でなければならない、ということであろう。この不満があるために、
彼らは福祉とサービスさえもらえばよいという「大衆」を蔑視し、自分たちは
エリート支配のプラトン的国家を志向する。ここまで来ると、日本型
社会主義の現実そのものからいささか遊離した頑迷な信条になる。

////////////// 「日本」の終わり ///
/// 脱社会主義のすすめ 26 /////////////

 しかしもともと保守主義は何かを守るために戦うというよりも、何かに反対して
文句をつけるカウンター・イデオロギーである。保守派が戦意をかきたてる真の敵は、
実は資本主義なのである。彼らが規制緩和に反対し、秩序ある、管理された市場が
必要だといっているのは「ソフィスティケートされた」日本型社会主義を擁護している
ことになるが、競争や優勝劣敗の世界を嫌い、金儲けを目的とする「資本主義の精神」を
軽蔑し、貧富の格差が生じることを犯罪のように憎むことにかけては、戦前の日本の
国家社会主義者、軍の革新派の将校グループなどの心情と相通ずるものがある。
つまり今日の保守派もまた、戦前からの国家社会主義者の系譜につながる由緒
正しい社会主義者なのである。

////////// 「日本型社会主義」との決別 ///
/// 資本主義のすすめ 27 /////////////

 戦前の国家社会主義者は外来のマルクス主義に猛烈な敵意を示し、時には
「超国家主義者」、「右翼」、「ファシスト」、「天皇主義者」などと見られていた。
今日の保守派もまったく同じで、一貫して反マルクス主義の立場をとっていた。
「とっていた」と過去形になるのは、それが冷戦時代の彼らの態度だったからである。
米ソ対立の時代には、この保守派は親米・反ソで、マルクス・レーニン主義の
ソ連陣営を敵と見なすからには、アメリカ側について資本主義の支持にまわることも
意に介さなかった。本当のところ、保守派は市場や資本主義の何たるかを
知らないまま、ソ連・中国を敵視するあまり、自らも「資本主義者」のつもりで
いたのである。

////////////////// 日本経済新聞社 ///
/// 脱社会主義のすすめ 28 //////////////

あるいは日本の社会主義を「日本型資本主義」と解釈することで、「資本主義者」に
なっていたのであろう。しかし冷戦の終わりとともに、マルクス・レーニン主義の
ソ連・中国が変質し、敵はいなくなってしまった。その時、保守派は本来の
社会主義者の自分に戻り、日本型社会主義を「保守」するという使命を自覚する
とともに、戦うべき本来の敵を見出したのである。その敵とは、資本主義の本家
アメリカであり、「アメリカ型資本主義」であり、規制緩和、競争、小さな政府をめざす
「改革派」のエコノミストたちである。したがって、この日本の保守派が奉ずる
「三種の神器」は、一に「反資本主義」、二に「嫌米」、三に「嫌民主主義」という
ことになる。

/////////////////// 2001年発行 \780 ///
/// 資本主義のすすめ 29 /////////////

 日本では、幕末維新の時もそうであったように、攘夷主義者・鎖国派は、
状況次第で簡単に開国主義者・国際派に変身する。彼らは「君子だから
豹変する」のかもしれないが、本当は、彼らも人並みに自分の利害を
中心にして物事を考えているので、穣夷・鎖国が自分たちの立場を
危うくすると思えば、すばやく開国・文明開化(西洋化)路線に転身し、
それでうまくいかなくなると、ふたたび欧米を批判して日本の文化・伝統を
自賛するナショナリストに転身する。

/////////////// 日経ビジネス人文庫 ///
/// 脱社会主義のすすめ 30 /////////

それにくらべれば、大蔵省などはもう少し頭のいい現実主義者であるから、
「護送船団方式」は維持できないと知ると(その認識は正しい)、平然とそれを
放棄して、これからは弱い船は沈むしかない、これが自由競争の原理だと
いいだす。大蔵省を頂点とする日本の官が筋金入りの鎖国・攘夷派で、
国内の弱者を命がけで守ってくれるだろうと考えるのは「甘えの社会主義」に
酔っているだけで、多分そういう人たちは冷徹な官に裏切られることになる
であろう。現実主義者の官は保守派とは違ってイデオロギーをもたないので、
豹変する時は見事に豹変する。このように豹変する人はまだしも信用できる。
イデオロギーを守る人は熱心な信者を集めるが、その言葉は信者のための
気休めにすぎない。

///////////////// 竹内 靖雄著 ///
/// 社会主義が消えた 1 //////////////////////////////////////////////////

    堺屋太一著 "「次」はこうなる" 1997年 講談社刊 より

1 社会主義が消えた − 失われた二十世紀の前提

        確定論思想は敗退した

 ・・・・・いま、時代が決定的に変わろうとしている。それを象徴するのが、一世紀
にわたって人類の思想と政治に大きな比重を占めてきた社会主義の消滅である。
 日本においても、一九九六年の総選挙で、社会民主主義、民主社会主義を含めて、
およそ社会主義系統と見られる政党は激減、消滅寸前になった。
/////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 著 ///
/// 社会主義が消えた 2 //////////////////////////////////////////////////

 しかも、社会思想としての社会主義の衰退は、政治勢力としてのそれよりも
著しい。日本共産党ですら社会主義または社会主義革命の文字を一切表に
出さなくなった。旧ソ連や東欧でも、旧共産党の人脈人材が甦ることはあっても、
社会主義の思想と文化が再び支持を得ることは考え難い。世界的にみても、
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)などいまだに社会主義を唱えている国も
あるが、その実態は家族支配の二十世紀型絶対王政に過ぎない。「社会主義
市場経済」を標榜する中国の軸足は、完全に「市場経済」に移っている。

////////////////////////////////////////////////////// 「次」はこうなる ///
/// 社会主義が消えた 3 //////////////////////////////////////////////////

 社会主義が滅んだのは、政治闘争による敗北の結果ではない。社会主義の
前提にあった二つの根本原理が崩れた結果である。実は、このことこそ、
社会主義そのものの崩壊以上に重要な問題なのだ。
 その二つの根本原理の第一は、確定論的な社会科学理論である。
 社会主義の前提となっていた確定論的な理論とは何か。それは、この世の中は
唯物論的に動くのであり、正確なデータと理論(数式)を発見すれば、何事も
確実に予測できるはずだ、という考え方である。
///////////////////////////////////////////////////////// 講談社発行 //
/// 社会主義が消えた 4 //////////////////////////////////////////////////

 この考えの根底にあるのが唯物論的人間観、つまり人間はみな経済的な最大
利益を求める「経済人」だ、という見方である。もし、人間がそのような賢明な存在
だとすれば、それぞれの地域の自然環境やその時代の技術条件などから見て、
人民のすべてに最適の商品、サービス、制度が存在するはずである。したがって、
世の中の情報を正確に把握できたとすれば、有能にして善良なる専門家、いわゆる
「人民の官僚」ならば、あらゆるものの最適規格を発見できるに違いない。つまり、
それぞれの社会それぞれの時代にふさわしい最適の規格品がつくれる、というわけだ。
 自動車なら国民車、男子の服装なら国民服、レジャーや旅行なら国民休暇村の
ような施設が、善良にして有能な官僚によって発明されるだろう。これを大量生産
すれば、最も安価に最良の商品やサービスを全国民に与えることができるはず
である。
///////////////////////////////////////////////////////// 1997年刊 ///
/// 社会主義が消えた 5 //////////////////////////////////////////////////

 しかし、実際の社会主義国家では、そうはうまくはいかなかった。それを社会主義
の信奉者たちは、まだ情報が足りず、官僚も不慣れで、技術が不足しているから
だ、いずれ情報収集が進み理論が精緻になり、技術が進歩すれば、最適の規格が
発見されるに違いない、といい続けてきた。
 これは自然科学におけるライプニッツ的確定論思想を、社会と政治に代入した
ものである。天文学者は、条件さえ示されれば、未来を正確に予測できる。次に
いつハレー彗星が現れるか、いつ日食が起るか、きわめて正確にいい当てること
ができる。これは条件が単純で、理論が明確だからだ。

//////////////////////////////////////////////////////////////////////
/// 社会主義が消えた 6 //////////////////////////////////////////////////

 社会現象は条件が複雑で変わりやすいが、それでもやがては、情報収集が進み
理論が明確になれば、未来の姿は確実に予測でき、それぞれの社会の最適の
規格を発見できるはずだ。それを私利私欲のない「人民の官僚」が指導して大量
生産すれば、最も安価にして効率的な生産ができ、すべての人々がより多くの商品
やサービスを享受する幸せな世の中になる − 社会主義の根底にある思想は、
ざっとこんなものだった。
///////////////////////////////////////////////////////// 講談社発行 //
/// 社会主義が消えた 7 //////////////////////////////////////////////////

 しかし、いまでは人間の世は確定論的に動くものではないことが認められている。
物理学や数学の世界でさえ、カオスとかフラクタルといった非確定論的な理論が
一般化しているほどだ。この世の中の条件をすべて感知することはできないし、
感知したとしても、必ずしもただ一つの結論が出るわけではない。何よりも、人間
社会では、個々人の好き嫌いこそが大事だ。好みや感情は本質的な価値の一つだ、
といい出されるようになった。
/////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 著 ///
/// 社会主義が消えた 8 //////////////////////////////////////////////////

 社会主義の発想によれば、個人的な好みや感情によって求める規格が異なるのは、
誰かが誤った情報を教えた結果か、古い伝統のマインド・コントロールを受けてい
るためか、本人の無知または誤解などから生じる誤謬だ、とされていた。したがっ
て、人間が理性的になり、マルクスのいう「経済人」になれば、同じものを与えら
れれば、みな同じように喜ぶはずだと考えていた。

////////////////////////////////////////////////////// 「次」はこうなる ///
/// 社会主義が消えた 9 //////////////////////////////////////////////////

 だが、非確定論的なカオス理論が物理学の世界でさえ認められるようになった
いまでは、個人の感情や主観がまちまちなのは当然であり、個人が自分の主観を
満足させることこそ意義がある、とされている。
 宗教についてもマルクスは「精神の麻薬」といったが、本来の人間性が求める
心の安らぎではないか、という発想になってきた。
 要するに、条件(情報)を入れれば、確定した理論によって唯一の正しい結論が
出るという確定論の崩壊が、社会主義の第一の前提を取り崩したのである。

///////////////////////////////////////////////////////// 講談社発行 //
/// 社会主義が消えた 10 /////////////////////////////////////////////////

        資本と労働力が分離するとは限らない

 社会主義を支えたもうひとつの前提は、十九世紀の初めから産業革命が起きた
ことによって現れた、「資本と労働力の分離」という現象の絶対化である。
 それより以前は、農業も手工業も商業も、労働と資本は一致していた。農民は
自ら所有する農機具で自らが耕作権を持つ土地を耕した。こうした農民たちが集まる
ことで中世的な村落共同体が生まれた。つまり生産共同体としての地域社会および
家族社会というものが存在したのである。
///////////////////////////////////////////////////////// 1997年刊 ///
/// 社会主義が消えた 11 /////////////////////////////////////////////////

 ところが、産業革命の結果、生産手段である機械、工場、鉄道、汽船、商店など、
すべてが巨大化し、一人の労働者が所有することも、一つの家族が運営することもで
きなくなった。
 したがって、生産手段を持っている人間、いわゆる資本家やそれを抽象化した法人
と、労働力を持っている労働者とは分離されて行く。これが限りなく進み、双方を持
つ中産階級はいずれ消減する運命にある、と社会主義者は考えた。
 社会主義のこの理論は、広く資本主義国の行政官や技術者にも受け入れられていた。
たとえば都市計画の分野では、一方に労働力再生産の住宅地があり、他方に生産手段
集積地である工業地帯や商業地区が存在する。そしてこの間を鉄道や高速道路で結ぶ
のを理想とする考えが持ち込まれた。

//////////////////////////////////////////////////////////////////////
/// 社会主義が消えた 12 /////////////////////////////////////////////////

 産業経済だけではなく、教育や街づくりに至るあらゆる分野で、資本と労働は
限りなく分離する方向に進んでおり、そうなることが近代的な社会の仕組みだ、
と信じられていたのである。
 資本と労働の一致が残っている零細企業や個人商店は、前時代の残滓の
ようなもので、近代化が進むと、個人商店よりもスーパーマーケットであり、手工業
よりも大規模工場となるのが当然とされた。下町のように生活の場と生産の場が
混在して、住宅のそばに町工場があったり、商店の二階に住んだりするのは
悪しき古い状態で、コンビナートとニュータウンのように生産の場と住宅地は
遠く離れているのが理想である。将来はそうなるだろうし、そうしなければならない、
と考えられていた。
///////////////////////////////////////////////////////// 講談社発行 //
/// 社会主義が消えた 13 /////////////////////////////////////////////////

 戦後の日本では、都市計画も労働基準法も財政資金の投融資も、労働力と
生産手段とが分離した状態をつくるべく企画され、実施されてきた。
 社会主義のこの理論は、産業革命当時の主流産業である大規模製造業を
前提として考えれば当っている。しかし、一九八〇年頃からは製造業は経済の
主流ではなくなったし、製造業の中身も社会主義誕生当時に想定したものとは
異なって来た。いまや最も就業者の多い職業はデザイナーや医師、会計士などを
含む「その他サービス業」であり、どこまでが資本家でどこからが労働力か
分けられない業務である。
 もちろん、デザイナーには机や鉛筆が必要だし、医者には医療機具が必要だ。
しかし、そういったものは個人住宅よりも安価で、個人でも所有し運用しうる
規模である。彼らの最大の生産手段は、本人の知識と経験と感性だろう。

/////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 著 ///
/// 社会主義が消えた 14 /////////////////////////////////////////////////

 いまや資本と労働が分離している分野はどんどん収縮し、社会的な一般性を
失った。だから、「万国の労働者よ団結せよ」といっても、組合に入る労働者の率は
減る一方だ。組合に入ることにメリットを感じない勤労者が多くなったのである。
 こうした社会的条件からいっても、社会主義の前提が崩れた。このことはまた、
社会主義の前提を信じてきた戦後の日本的アカデミズムの衰退にも通じている。
 日本的アカデミズムは、十九世紀末、まさに社会主義の勃興時代に欧米から
知識を入れ、それにふさわしい組織をつくった。だから、本人が社会主義者で
あるか否かを問わず、自然科学から社会科学まで、あらゆる分野が確定論的な
発想と労資分断の前提に立っている。
////////////////////////////////////////////////////// 「次」はこうなる ///
/// 社会主義が消えた 15 /////////////////////////////////////////////////

 たとえば都市工学では、工場地域、商業地域、住宅専用地域を分ける「線引き」
が必要であり、オフィスやデザインルームやスタジオのある住宅は「古いタイプ」
という発想が容易に解けない。
 医学においても、地域医療は緊急時または保健的なもので、眼科は眼科、
皮膚科は皮膚科、循環器科、消化器科など、できるだけ専門に分かれた大病院
があるべき姿だ、というのが「常識」であった。社会主義を信じるか否かにかかわり
なく、二十世紀人のほとんどは社会主義を生み出した十九世紀的枠組みを信じて
いたわけである。
 いま起ろうとしている大変化は、ルネッサンス以来、主として西洋文明が積み上げて
きた近代工業社会の前提が崩壊する現象である。その中で、最も近代工業社会的な
思想と理論を備えた社会主義が、最も惨めな敗亡を見たのは、当然のことである。

///////////////////////////////////////////////////////// 講談社発行 //
/// 社会主義が消えた 16 /////////////////////////////////////////////////

        「知価社会」がはじまった

 二十世紀は何度かの大変化を経験した。第一次世界大戦の前後でも、第二次
世界大戦のあとでも、大変化があった。しかし、これまでの変化は、近代工業社会が
高度化する過程で起った変化だった。ところが、いまわれわれが直面しているのは、
近代工業社会そのものが終焉しようとする大変革である。
 これからはじまる社会は、これまでの状況が一段と進む高度社会ではなく、新しい
発展段階の初期の状況である。
///////////////////////////////////////////////////////// 1997年刊 ///
/// 社会主義が消えた 17 /////////////////////////////////////////////////

 これからの時代を、高度産業社会とか高度情報社会とかいう人がいるが、これは
正しい認識ではない。高度社会論者は、「いままでは中程度の産業社会または
情報社会であったが、これからは従来の社会がより高度化した社会になる」と
いっている。だから、「現在の枠組みの延長上に未来はある」、としか考えていない
わけだ。
 いま、われわれが直面している変化は、そんなものではない。産業革命以来の
近代工業社会が終わり、「次」の新しい社会、私の言葉でいう「知価社会」が
はじまろうとしている歴史的瞬間なのだ。
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/// 社会主義が消えた 18 /////////////////////////////////////////////////

 したがって、あらゆる概念が、これまでのアカデミズムの言葉では処理できなく
なってきている。たとえば経済分野でいうと、「生産性」という言葉がよく使われる。
労働生産性は、近代工業社会では明確にはかることができた。農業や素材産業や
規格大量生産の商品ならば、生産量と生産額が比例すると考え得たからである。
 ところが、これがブランド品ならどうだろう。あるネクタイ会社が、百人の従業員
を使って一本一万円のネクタイを月に一万本生産していた。それが百人の中の
五十人をデザイナーに替えて、三万円のネクタイを五千本つくりだした。

///////////////////////////////////////////////////////// 講談社発行 //
/// 社会主義が消えた 19 /////////////////////////////////////////////////

 この工場の生産性は増えたのか、減ったのか。数量でいえば、一万本が五千本に
なったのだから、半減したことになる。売上でいうと、一億円が一億五千万円に
なったのだから、五割増えたことになる。
 ところが、従来の考え方であれば、金額にはデフレーター(国民所得の名目額を
実質額に換算するのに用いる国民経済計算上の物価指数)を掛ける、つまり価格
上昇率を打ち消す数値を掛ける。したがって、この会社の生産性は低下したという
ことになりかねない。もっとも、デフレーターは国民経済全体の物価指数なので、
ひとつのネクタイ会社では左右されることはない。

/////////////////////////////////////////////////////// 堺屋 太一 著 ///
/// 社会主義が消えた 20 /////////////////////////////////////////////////

 いまや国民総生産の七割を占めるに至ったサービス業には、右の例に類似
したことがあるから、この問題(量でははかれない質)は無視できない。
 さらに、コンピュータ・ソフトやビデオ・コンテンツとなると、まったく違った視点が
必要だろう。
 このように、「生産性」という概念一つをとっても、従来のアカデミズムが規定
していた言葉が使えなくなっている。そしてそのことは、社会の新しい概念が
求められていることを象徴している、といえるだろう。・・・・・

////////////////////////////////////////////////////// 「次」はこうなる ///
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