1 :
せいえもん:
江戸時代に武蔵野台地の微妙な地形を縫って作った玉川上水ってすごくないですか?
2 :
同定不能さん:2008/12/15(月) 06:35:14
その上水って何?
3 :
同定不能さん:2008/12/15(月) 16:58:58
てかおまえ誰
4 :
同定不能さん:2008/12/15(月) 21:27:27
____イ|______
〃" ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙゙̄ヾ、
/l| [準急 玉川上水] ||
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||| ∧∧ || < 逝ってよし
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L|  ̄ | ̄ l_l ̄__ヨ|叉[]| l_l ̄ ̄|「 ̄
\\L| ヘ ̄ ̄`゙ L== ̄ ̄=ニl " ̄ ̄7
\ ヘ. ────── /
ヽ___________/
5 :
同定不能さん:2008/12/15(月) 22:10:27
てか、上水って何?
6 :
同定不能さん:2008/12/16(火) 20:26:22
戦国時代、国力を競った各地の大名は新田開発を積極的に行なった。
食料が増産された結果、江戸時代初期には人口爆発が起こり、逆に食料
不足に陥ったため、17世紀半ば幕府は各地の藩主に水田面積の拡大を
命じ、各地で大規模な河川改修や用水路整備が行なわれていた。
江戸の町には人口が集中し飲料水の確保が課題となったため、43km
西の多摩川から高低差100m(約千分の2)の勾配を縫う難工事に
よって完成させたのが玉川上水である。
7 :
同定不能さん:2008/12/17(水) 08:16:14
>>6 よく判りました
,一-、
/ ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■-っ < いったんCMで〜す。
´∀`/ \__________
__/|Y/\.
Ё|__ | / |
| У.. |
8 :
同定不能:2008/12/18(木) 00:43:23
どうやって立川断層とかこえたの?
9 :
同定不能さん:2008/12/18(木) 18:19:13
10 :
同定不能さん:2008/12/18(木) 21:33:24
掘って水路を作るなら一緒じゃない?
まっすぐ掘り進んでいったほうが早いと思うのだが
>>10 ブルドーザーやパワーショベルが無い時代、人夫やせいぜい牛馬を使って
水路を掘る作業がどれほど重労働なことか。
仮に人海戦術でまっすぐに掘り進んだとしても、水の流れる勾配を維持しよう
とすると、江戸に着くころには地下何十メートルもの水路になってしまい、
もはや用水路として利用価値の無いものになってしまうだろう。
等高線に沿うように徐々に高度を下げながら、浅く掘り進んだほうが
作業量も少なく、用水路として利用価値が高いのでは?
12 :
同定不能さん:2008/12/18(木) 23:53:20
じゃなくて立川断層のところね
曲がって断層を回るならその分河床の勾配も下がるし、まっすぐ掘ったほうが早くない?
何か違うかな?
13 :
同定不能さん:2008/12/19(金) 00:39:06
じゃなくて立川断層はわざわざ回ると河床の勾配が下がって次の段丘に行くときにより深くなってしうのでは?
玉川上水の上流から見ると立川断層の壁に突き当たり、そこから等高線を
たどると右に迂回してもとの直線にもどるような地形だから、水位を保った
状態で迂回しているようだ。
玉川上水完成約3年後、砂川分水及び新田開発の許可が下りていることから
当初からまっすぐ掘り割って通すことは利水上考えていなかっただろう。
15 :
同定不能さん:2008/12/19(金) 02:35:44
なるほど
サンクス
16 :
同定不能さん:2008/12/20(土) 22:46:10
多摩地域が東京府に編入された理由が、玉川上水の管理のため。
廃藩置県の当初、多摩川水系に属する多摩地域は神奈川県の管轄であった。
軒(用水)を借りて母屋(本流)を取るような話である。
17 :
同定不能さん:2008/12/20(土) 22:52:08
>>16 へぇ、そうなんだ。東京は区部のみになる可能性もあったのね。
玉川上水は素直にすごいと思った。
が、いまローマ時代の水道を調べたら2千年前に三千分の一の勾配で作ってたそうで・・・
19 :
◆QMM2./GEis :
てあう