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40恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/34025
大阪市の印刷会社の従業員や元従業員の間に、極端に高い率で胆管がんの患者が見つかっている事件については、
すでに各メディアで報じられているのでご存じの方も多いと思う。これまでに17人が発症し、そのうちの7人が死亡している。
私はNHK大阪放送局に記者として所属していたとき、この異様な事実を知って取材を重ね、初めて報道した。その後も取材を続けている。
そのいきさつや、これまでの番組で伝えきれていない内容を報告したい。
両親も病院に呼ばれた
10月4日の朝、本田真吾(30歳)は、大阪市阿倍野区にある大阪市立大学付属病院に入った。
受付までにはまだ時間がある。1階奥にある喫茶店に入った彼は、コーヒーと菓子パンを口にしながら話し始めた。
「今日これから入院して、明日から検査です。先生からは『ご両親にも来ていただくように』と言われました。
両親は後で着替えなんかを持ってきてくれます。もう僕も30なのに、入院に両親の同意が必要なんですかねぇ・・・」
本田は不安そうな顔に、無理に笑顔を作って話した。
彼も、入院の手続きのために両親が呼ばれたわけではないことを知っているのだろう。
検査の目的は、胆管がんの有無の確認だ。
胆管とは、肝臓で作られる胆汁を十二指腸に送る細い管のこと。
肝臓の内側から伸びており、内側を肝内胆管、肝臓の外に出ている部分を肝外胆管と呼ぶ。
本田はすでに胆管炎を発症している。そして腫瘍が見つかっている。
カルテに「胆管がんの疑い」と書き込まれたときは、打ちのめされたような気持ちになったが、「今は落ち着いています」と言う。
「明日の検査が終わったら、連絡します」
コーヒーに軽く口をつけただけで、本田は入院の手続きに向かった。
41恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:39:59.84
半端ではない洗浄剤の量、換気していない作業場
本田が大阪市中央区にあるSANYO-CYPという印刷会社に入ったのは2000年4月。
高卒者向けの合同就職説明会で話を聞き、印刷業に魅力を感じたからだった。
この会社が専門にしていた「校正印刷」とは、ポスターなどの印刷物を刷る前段階の、色合いを確認するための作業だ。
赤、青、黒、黄の4色のインクを順番に、ブランケットと呼ばれるローラーに伸ばして印刷する。
赤を刷った後は、赤のインクを洗い落とす。そして青を載せる。
青を刷った後は、青を洗い落として黒、黒の後は黄・・・という風に作業が続く。
こうして、数枚刷るごとに洗浄剤でインクを洗い落とす、という作業を繰り返す 。
そのたびに、洗浄剤をボトボトと布にかけて染み込ませ、それでブランケットを拭いていく。
作業場は地下1階。中は洗浄剤の強い刺激臭が立ちこめていたという。
「きつい刺激臭でした。洗浄剤を使うときは、息を止めてやっていました」
本田は当時を回想する。洗浄剤を使う頻度は半端ではなかった。
本田が働いていた100uほどの作業場には、印刷機が7台置かれていた。
それぞれの印刷機の下には大きな排気口があり、社長の自慢だった。
別の元従業員は、社長がこの排気口を指して、「日本一の換気装置や」と自慢していたのを覚えている。
しかし、この排気口は十分な空気を吸い出してはいなかった。
後の厚労省の調査で、この排気口の吸い出していた空気は、すべてを合わせて毎時1200立方メートルだったことがわかっている。
その4倍の空気を吸い出していたメインの排気口は、これとは別に壁などに設置されていたが、その空気は外部には排出されていなかった。吸い出された空気は部屋に戻されていたのだ。
これには理由がある。印刷業にとって避けたいのは紙の収縮だ。そのため、湿度と温度は一定でなければならない。
排気口は、その湿度を取り除くための装置であり、空気を取り換えるためのものではなかったのだ。
42恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:40:50.26
このままでは僕も死ぬんじゃないか
入社から6年経った2006年5月、本田は健康診断の結果を聞かされて驚いた。
肝機能の状態を示す「γ-GTP」の数値が1000を超えていたのだ。
γ-GTPの成人男性の通常値は50以下とされており、100を超えるとすぐに病院に行かねばならない。
本田の数値は、さらにその10倍になっていたのである。
慌てて病院に行って検査を受けると、「胆管が炎症を起こしています」と告げられた。
そのとき、本田の脳裏に一人の先輩の姿が浮かんだ。
「そういえば、柳楽さんが・・・」
兄のように世話をしてくれた先輩の柳楽正太郎だ。その2年前にがんで倒れ、27歳の若さで死亡していた。
「確か、柳楽さんは胆管のがんだって言ってたっけ」
ショックに追い打ちをかけるように、さらに記憶がよみがえってくる。
柳楽が亡くなった翌年にも、もう一人の先輩が死亡していた。その先輩も胆管のがんだった・・・。
「このままでは僕も死ぬんじゃないか」
そう思った本田は会社を辞めた。新たな仕事の当てはなかったが、とにかく死の恐怖から逃れたい。その方が先決だった。
それから6年。恐れていた事態が現実となってしまった。胆管がんの疑い。
本田は横になった病室で、今後に大きな不安を覚えずにはいられなかった。
あんた、中小企業を知らんやろ
この問題は最初、大阪で労働問題に取り組んでいるNGO「関西労働者安全センター」に持ち込まれた。昨年3月のことだ。
同センターでは事務局次長の片岡明彦が応対した。片岡は、アスベスト被害の追及で知られる労働問題のプロである。
43恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:41:36.90
持ち込まれた情報は詳細な内容だった。
ほぼ同じ時期に同じ職場で働いていた印刷会社元従業員5人が胆管がんを発症し、そのうちの4人が死亡---。
労働災害であろうことは容易に想像できた。
「胆管がん? 聴き慣れない病名やな。第二のアスベストか?」
そんな思いが片岡の頭をよぎった。彼はすぐ、産業医科大学准教授の熊谷信二に連絡を取った。
熊谷は労働環境における化学物質検査のエキスパートで、アスベスト問題のときには疫学調査も行っている。
片岡とは当時から同志といえる関係だった。二人はまず、寄せられた情報の確認を始めた。
医師でない熊谷は、情報確認と同時に、胆管がんという病気についても調べなければならなかった。
すると、B型肝炎やC型肝炎などを発症した後に発症することの多い成人病で、50歳未満での発症は極めて稀だということがわかった。
やがて、片岡と熊谷の調べで、印刷現場で使われる洗浄剤に問題がありそうだ、という可能性が浮上してきた。
私が最初に「印刷会社の従業員と元従業員の間で胆管がんが頻発している」という情報に接したのは、昨年の暮れのことだった。
片岡が、「ちょっと変な話がある」と言って教えてくれたのだ。
「そんなことが、この今の日本であるんですかねぇ?」
話を聞いても、私はにわかには信じられなかった。
「あんた、中小企業を知らんやろ。そういうことはあると思って調べなあかんよ」
片岡は、あまり乗り気ではない私の姿勢を見透かしているようだった。
実際、私はすぐには取材をしなかった。しかし、何となく気になってはいた。
結局、「あの話をもう一度聞かせてください」と片岡に電話を入れたのは、年が変わった今年2月のことだった。
「会社で何人も死ぬ人が出ている、怖い」と漏らした息子
片岡は、元従業員の遺族を一人、紹介してくれた。岡田俊子。息子の浩を胆管がんで亡くしていた。
44恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:42:41.45
持ち込まれた情報は詳細な内容だった。
ほぼ同じ時期に同じ職場で働いていた印刷会社元従業員5人が胆管がんを発症し、そのうちの4人が死亡---。
労働災害であろうことは容易に想像できた。
「胆管がん? 聴き慣れない病名やな。第二のアスベストか?」
そんな思いが片岡の頭をよぎった。彼はすぐ、産業医科大学准教授の熊谷信二に連絡を取った。
熊谷は労働環境における化学物質検査のエキスパートで、アスベスト問題のときには疫学調査も行っている。
片岡とは当時から同志といえる関係だった。二人はまず、寄せられた情報の確認を始めた。
医師でない熊谷は、情報確認と同時に、胆管がんという病気についても調べなければならなかった。
すると、B型肝炎やC型肝炎などを発症した後に発症することの多い成人病で、50歳未満での発症は極めて稀だということがわかった。
やがて、片岡と熊谷の調べで、印刷現場で使われる洗浄剤に問題がありそうだ、という可能性が浮上してきた。
私が最初に「印刷会社の従業員と元従業員の間で胆管がんが頻発している」という情報に接したのは、昨年の暮れのことだった。
片岡が、「ちょっと変な話がある」と言って教えてくれたのだ。
「そんなことが、この今の日本であるんですかねぇ?」
話を聞いても、私はにわかには信じられなかった。
「あんた、中小企業を知らんやろ。そういうことはあると思って調べなあかんよ」
片岡は、あまり乗り気ではない私の姿勢を見透かしているようだった。
実際、私はすぐには取材をしなかった。しかし、何となく気になってはいた。
結局、「あの話をもう一度聞かせてください」と片岡に電話を入れたのは、年が変わった今年2月のことだった。
「会社で何人も死ぬ人が出ている、怖い」と漏らした息子
片岡は、元従業員の遺族を一人、紹介してくれた。岡田俊子。息子の浩を胆管がんで亡くしていた。
45恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:43:14.38
なぜ遺族は「会社によくしてもらった」と言うのか
柳楽正太郎が死亡した翌年に亡くなった従業員がいた。仮に名前を藤井一郎とする。
藤井一郎の実家を訪ねて来意を告げると、母親が古い公団住宅のドアから半身を出し、
「何を言っているんですか? 息子は会社によくしてもらいましたよ。
会社のせいで死んだなんて、そんなことはありませんよ。葬式には社長さんも来てくれましたし」と言った。
嘘を言っている風ではない。マスコミが 訪ねてきて戸惑っていることは窺えたが、本当に会社に感謝している様子だった。
いろいろ説明したが、「洗浄剤? あなたは何を言っているんですか? まったくの誤解ですよ」と迷惑そうな答えが返ってくるだけ。
こうなれば、引き下がるしかない。
ふと、片岡の言葉が思い出された。
「あんた、中小企業を知らんやろ」
片岡の言う通りかもしれない。これが日本の中小企業の風土なのだろう、と感じた。
中小企業では大企業とは異なり、従業員同士の付き合いや、社長と従業員との付き合いも、親密で家族に近いものになる。
社長は「親父」であり、従業員は社長に直接こっぴどく叱られ、ときには罵倒されることもあるかもしれない。
しかし、その中で、ある種の「一体感」が生まれる。社員が死亡して葬式を出せば、中小企業なら社長が顔を出してくれる。
弔問金に心付けが上乗せされることもあるだろう。
当然、遺族は「会社に問題があった」とは考えない。それどころか、「会社にはよくしてもらった」という思いを強く持ち続ける。
この取材は苦戦しそうだ---。私は長期戦の覚悟を決めた。
46恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:44:07.92
血の涙を流して
ところが数日後、藤井一郎の別の遺族から私に「話したいことがあります」という電話が入った。
さっそく会ってみると、その遺族はこう語り始めた。
「一郎は本当にひどい死に方をしました。生きたい一心だったと思います。泣きながら死んでいきました。最後は、血の涙も流して・・・」
「血の涙?」
何のことかわからず、私は問い返した。
「一郎の手術は成功したのですが、すぐに再発したんです。
再発率は7割と言われたので、覚悟はしていたんですが、もう最後は病院側もお手上げ状態。
それでお医者さんが言ったのが、『一郎君、もう為す術はないから、胆汁を飲んだらどうですか? 
それでどうなるとは言えないけれども、何もやらないよりはいいかもしれない』と。
一郎は胆管を切っていたので、胆汁を外に出すための管を付け、それが体の外に出ていました。
お医者さんは本当に心配して言ってくれたと思うんですけど、胆汁って、ものすごく生臭くて、飲めるような代物じゃないんです」
藤井一郎は、しかしそれを飲み続けたという。生きたい一心だった。当然だろう。まだ36歳だったのだ。だが、やがて力尽きる。
「一郎の苦しみがひどくなったとき、『コーヒー牛乳が飲みたい』と言い出したので、
看護師さんに『大丈夫ですか』と尋ねると、『飲めないと思いますけど、好きにさせてあげましょう』と言ってくれました。
それで、コーヒー牛乳を買ってきて、一口飲ませたんですけど、駄目でした。
すべて吐き出してしまって、やっぱり飲めなかったんです。その翌日、一郎は息を引き取りました」
そして、血の涙が流れる。
「会社の洗浄剤が原因かもしれないというあなたの話を聞いて、あの光景を思い出しました。
心臓が止まったその直後、一郎の目から赤い血が流れ出したんです。一気にね。
もう怖くて、悲しさを通り越して、私も、一緒にいた私の子供も腰が抜けました。
あんな恐ろしい死に方をするのは、化学物質が原因となったとしか思えません」
そう話す遺族の目には、涙があふれていた。
47恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:44:54.88
凄い剣幕で怒り出した社長
北九州市の産業医科大学。6号館にある研究室で、熊谷はある数字を導き出していた。
600倍---。
SANYO-CYPの男性従業員が胆管がんで死亡する率が、平均的な日本人男性が胆管がんで死亡する率の600倍に達するというのだ。
疫学調査として導き出した数字である。
これは後日、さらに精度の高いデータで改めて算出した結果、2900倍にまで跳ね上がった。
この会社で行われている何らかの作業が原因なのは明白だった。その事実を、熊谷の地道な調査が証明したのだ。
会社はこの異変に気づいていなかったのか。
当初、私たちの取材申し込みに対して、会社は「弁護士を通してほしい」と返してきた。
そこで弁護士に連絡を取ったが、内容ある回答は得られなかった。
この弁護士は最初、片岡らが調査への協力を求めた際、「弁護士法違反の疑いがある」という趣旨の内容証明を送ってきている。
取材活動である私たちの申し入れに対しては、そうした対応はなかったが、 事実上の取材拒否を続けていた。
「真摯に事実関係の調査を行っている」
弁護士が出した会社のコメントである。
後はどのような質問を送っても、これ以上の回答が得られることはなかった。
そうなれば、さらに元従業員らへの取材を広げていくしかなかった。
こうした中で出会ったのが大成幸司である。
大成は、会社が現在の本社屋を建てた1991年よりも前に入社しており、99年に健康に不安を感じて辞めるまで、問題の校正印刷に携わっていた。
当時の洗浄剤の使い方や職場の状況などについて、大成は当時の記憶をたどりながら語ってくれた。
職場では、従業員の大半がうすうす「洗浄剤が問題だ」と感じながら、なかなか言い出せなかったという。
「会社では『夕会』というのがありました。朝のシフトと夜のシフトが交代するときに行うミーティングです。
その夕会の場で、劇症肝炎で長期入院した先輩が『社長、この洗浄剤、おかしいんと違いますか?』と質問したんです。
すると社長は、『何言うてんねん、証拠もないのにそんなこと言うな!』と凄い剣幕で怒った。
夕会の後で、その先輩は別室に連れていかれて、社長に罵声を浴びせられていました。
みんなそれを聞いているから、もう何も言えなくなったんです」
48恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:47:06.58
この話は、他の複数の元従業員からも聞いた。大成の記憶では、このやり取りは97年のことだったという。
この前年、つまり96年には、すでに1人が胆管がんを発症している。翌98年にも、胆管がんで従業員が死亡している。
会社は「気づかなかった」としているが、気づくチャンスはあったのではないか。そう思えてならない。
会社は本当に気づいていなかったのか
会社は、少なくとも2004年から05年にかけての時期は、「職場に問題があり、その原因は洗浄剤にある」と認識していた節がある。
前述の藤井一郎の遺族は、怒りを込めてこう語っている。
「一郎が胆管がんで入院した後、会社の総務部長から何度も、『容態を教えてくれ』と言ってきました。
一郎が嫌がっていたので、あまり連絡しないでいたら、総務部長は自分で病院に来るようになってしまった。
そこで、病院に頼んで一郎を面会謝絶にしてもらいました。
後になって、その時期に、一郎以外にも胆管がんで入院していた従業員や元従業員がいたことを知りました。
会社は知っていたはずです。絶対に許せない」
本稿の冒頭で紹介した本田真吾は、この時期から会社の中で、さまざまな”対策”が取られたことを覚えている。
「ある日、会社の幹部が活性炭を持ってきて、印刷機の下に置いたんです。
それで、確かに刺激臭は減ったんです。だから、ちょっと安心した記憶があります」
もちろん、活性炭で改善できる範囲は限られている。常識的に考えれば、がんの発症を抑えられるわけでもない。
しかし本田は、「会社が何とかしようとしていると感じて、妙に安心しました」と振り返る。
会社はまた、活性炭を置いた同じ時期に、洗浄剤の使い方に規則を設けている。
それまで洗浄剤は、一斗缶で購入したものを、ペットボトルのような容器に入れ替えて使っていた。
その容器は印刷機の下に、蓋もせずに置かれていた。その容器に蓋をすることが規則になったのである。
また、洗浄剤が染み込んだ使用済みのウエス(汚れの拭き取りなどに使う布きれ)を捨てるバケツにも、蓋をすることになった。
49恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【前編】:2012/12/09(日) 13:48:17.02
つまり、会社はこの時点で、洗浄剤が従業員の健康を蝕んでいることに、うすうす気づいていたと思われる。
しかし、洗浄剤そのものを変更する手立ては講じなかった。会社の説明によると、彼らはこの洗浄剤を06年まで使い続けたという。
会社は、従業員らに胆管がんの発症者が相次いだことについて、以下のようにコメントを寄せた。
「今回の件が判明して以来、会社としては非常に驚いています。亡くなられた方のご冥福をお祈りしますと共に、原因究明が早期になされるよう、会社としてもできうる限りのことを行っています。今後もできうる限りのことを行う所存です」
また、会社としては、現従業員及び退職した従業員に対して健康診断を実施するとともに、職場の環境改善に取り組んでいるとしている。
〈後編に続く〉
50恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:34:52.19
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/34120
規制されてないけど、吸ったら危険な物質ですよ
問題と見られる洗浄剤を作っているメーカーは、愛知県にあった。
取材交渉は難航するかと思いきや、二、三度の電話のやり取りで「取材に応じてもいいですよ」という答えが返ってきた。
私はさっそくそのメーカーを訪ねた。
質問に答えてくれたのは、工場長という肩書の年配の男性だった。彼は次のように説明してくれた。
「(問題となった)洗浄剤に含まれているのは、『ジクロロメタン』と『1,2-ジクロロプロパン』。どちらも塩素系の化学物質です。
このうち、ジクロロメタンは有機溶剤中毒防止規則で規制されており、取り扱いに規則があります。
まず、取り扱う際は防毒マスクの着用が義務づけられています。また、利用者は特別な健康診断を半年に一度受ける必要があります。
一方、1,2-ジクロロプロパンに規制はありません」
マスク着用を義務づけられるほど毒性のある化学物質を使っていることを、印刷会社SANYO-CYPはわかっていたのだろうか。
従業員たちはマスクなど着けていなかった。そして、規制されていないもう一つの化学物質。本当に規制の必要はないのか---。
私の疑問はつのるばかりだった。
工場の中を見せてほしいと頼むと、工場長は困った顔をしたが、会社の名称を一切表に出さないことを条件に、製造ラインに案内してくれた。
製造ラインでは、ジクロロメタンを主な成分とする洗浄剤が作られていた。
ペットボトル大の容器が横一列に動いていく。詰め込み場に来ると、管が容器の口の部分に密着して、シューという音を立てる。
化学物質が液体の状態で詰め込まれる瞬間だ。
その詰め込み場には、壁に排気口が設けられている。工場長はこう説明した。
「あれで『局所排気』をやっているんです。だから臭いがしないでしょ。それが大事なんです。
臭いがするということは、有毒な物質が充満しているということですから。
排気装置の設置も、ジクロロメタンを扱う上での規則で義務づけられていますよ」
51恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:35:47.29
この日は、1,2-ジクロロプロパンを使った洗浄剤の製造は見られなかった。私は工場長に疑問をぶつけてみた。
「ジクロロメタンは規制されていて、1,2-ジクロロプロパンは規制されていないわけですよね。
この二つの物質の危険性に差はあるんでしょうか?」
工場長の答えは明快だった。
「私たち製造現場の人間の立場からすると、両者には何の違いもありません。どちらも吸ったら危険ですよ」
驚いている私に向かって、工場長はさらに続けた。
「規制のないものを使うのは当然じゃないですか。規制がかかっているものを使うには、その対処に費用がかかる。
たとえば、あの局所排気装置をつけたりしなければならないわけです。
だから、その費用と手間が要らない、規制のないものを使うわけです。
でもね、規制がかかっていないから安全という訳ではないんですよ。
だから、製造現場の立場から言わせてもらうと、危険なものを使ってもいいようなやり方はやめてほしい。
使わせないという規則にすれば、皆、それに従うんだから」
夜9時のトップニュースで初めて報道
今回のような取材をメディア用語では「調査報道」と呼ぶが、この調査報道は、メディアにとって大きなリスクを伴う。
問題とされた組織や個人が、事実無根だとして損害賠償を求めてくるかもしれない。
メディアの人間にとって、及び腰にならないと言ったら嘘になるだろう。
そのため、取材を続けても、どこで報じればいいのか“出しどころ”がなかなか見つからなかった。
その状況を知った前出の片岡明彦が悲しそうな顔で、「あんたには無理かもしれんな」と呟いたことがある。
痛烈な皮肉でもあったが、私は「とにかく取材を続けるしかない」と考えた。
ただし、孤軍奮闘がずっと続いたわけではない。この問題の重要性に気づいたプロデューサーやディレクターが取材に加わってくれた。
後に「クローズアップ現代」(2012年9月26日放送)を制作するメンバーだ。
そして4月に入ると、夜9時のニュース番組、「ニュースウォッチ9」の編集責任者から電話が入った。
「胆管がんのこと、聞いたよ。大変な話じゃないか。俺が責任持つからウチでやろう」
この一言で、放送が決まった。
52恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:36:46.04
そして5月17日の午後9時、トップニュースとして「同じ印刷会社で働いていた従業員たちが連続して胆管がんで死亡」が初めて伝えられた。
しかし、この時点では、公的な機関にまだ表立った対応の動きはなかった。
こうした場合、表現は慎重な上にも慎重にならざるを得ない。訴訟のリスクがあるからだ。
スタジオで解説した私は、「何が原因なのか?」というキャスターの質問に、「その点はまだ何もわかっていないんです」と答えるしかなかった。
こうした報道をした後で気になるのは、他のメディアの対応だ。
経験から言って、調査報道は他のメディアから黙殺されることが珍しくない。追いかけるところはあるのだろうか?
翌日。私の心配をよそに、新聞各社が報じ始めた。
その結果だろう。厚生労働省も動いた。SANYO-CYPへの立ち入り調査が始まったのだ。
厚労省化学物質対策課と、同省から委託された独立行政法人「労働安全衛生総合研究所」が、原因の特定に動き出した。
アメリカでは25年前に「発がん性あり」とされていた
7月10日、厚労省は記者会見を開き、立ち入り調査や、関係者からの聴き取り調査で判明した内容を発表した。
「洗浄剤に含まれていたジクロロメタンと1,2-ジクロロプロパンが胆管がんの原因となった可能性が高いものの、引き続き調査を続ける必要がある」という趣旨だった。
ジクロロメタンは前述の通り、有機溶剤中毒防止規則で規制されている有害物質だ。使用には厳しい条件が課せられる。
印刷会社は厚労省の聴き取りに対して、この物質の使用を否定した。
一方、1,2-ジクロロプロパンについては取引記録を示し、長期間にわたって使用していたことを認めたという。
我々の取材結果とは異なる内容だったが、印刷会社が1,2-ジクロロプロパンの使用のみを認めるというのは、予想されたことだった。
有機溶剤中毒防止規則で規制されたジクロロメタンが胆管がんの原因だった場合、会社は明確な形で法令違反に問われる。
しかし、1,2-ジクロロプロパンが原因だった場合は、規制されていない物質なので、会社が法令違反に問われる可能性が低くなるからだ。
53恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:39:18.77
我々はさらに取材を進めた。本田真吾ら従業員の話から、どの洗浄剤をどの時期に使っていたかを調べた結果、
ほぼ100%、1,2-ジクロロプロパンで作られた洗浄剤のみが使われている時期があることがわかった。
そして、その時期にしか働いていない従業員からも、胆管がんの発症が見つかった。
規制されていない化学物質ががんを発症させたとすれば、単に大阪の一中小企業の倫理観の問題ではなくなる。
我々は1,2-ジクロロプロパンについて、海外の事例も調べていった。
まず、1,2-ジクロロプロパンは、アメリカで農薬として広く使われ始めたという。「DD」という名称で、1970年代に急激に普及している。
しかし80年代に入ると、アメリカの農村地帯で有毒性が疑われ始める。
DDが多く使われていた地域で、相次いでがんを発症する子供たちが見つかったといった報告が次々と寄せられた。
農薬として大量に散布された1,2-ジクロロプロパンが地下水に染み込み、それが飲料水となって人々の口に入り、健康を害したのではないか---。そんな疑いが指摘され始めたのだ。
54恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:42:17.95
こうした事態を受けて、アメリカ政府が動き出す。
86年、有害物質の検査を行う政府の研究機関NTPが、マウスとラットを使った動物実験の結果を公表した。
それによると、1,2-ジクロロプロパンを与えたマウスには、オスとメスの両方にがんが見つかった。
ラットでは、メスに一定程度の発がん性が認められ、オスには発がん性が認められないとされた。
後に、この結果をどう見るかは専門家の間でも議論が分かれるところになるのだが、
翌87年、EPA(環境保護庁。日本の環境省に当たる)は、暫定的な措置としながら、1,2-ジクロロプロパンを「B2」(人間への発がん性の恐れがある)に分類する。
その結果、主要な生産者だったアメリカの大手化学薬品メーカー「ダウ・ケミカル」は、国内における1,2-ジクロロプロパンの製造を中止した。
こうして80年代のアメリカでは、1,2-ジクロロプロパンの使用が急激に減っていった。
厚労省は「他国の行政機関の判断で日本が動くことはない」と
このような動きについて、化学物質の安全な利用を推進するNPO 「American Council of Science and Health」代表のギルバート・ロスは次のように話した。
「動物実験で発がん性が認められれば、人間への発がん性の恐れは当然出てきます。
仮に雇用主が、そのことを現場の労働者に警告せずに1,2-ジクロロプロパンを使わせ、労働者ががんを患ったら、
政府の罰則と共に巨額の損害賠償を払うことになります。誰もそんなリスクは取れないので、
結果として、発がん性の疑いが出た物質は市場から退場せざるをえなくなります」
55恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:44:48.24
なぜ、アメリカの情報は日本にもたらされなかったのか。厚生労働省に尋ねた。
取材に応じたのは、化学物質対策課長の半田有通 。
旧労働省時代から化学物質の問題に携わってきたその道のスペシャリストだ。半田は言った。
「NPTの実験結果は、発がん性を指摘するには不十分なものでした」
半田の言葉に、補佐の搆(かまえ)健一が付け加えた。
「報告書を読まれたと思いますが、マウスではがんが見つかっていますけれども、ラットでは、見つかる前に死んでしまったりしています。
ですから、あれの結果で、人への発がん性の恐れ(がある)という結論にはなりません」
実験結果をどう判断するかは容易ではないというのはわかる。半田は「発がん性の判断には厳密さが求められる」と語った。
確かに、そのこと自体に納得できないわけではない。
では、EPAが暫定的とは言え、「人への発がん性の恐れがある」と分類した点についてはどう受け止めたのだろうか? 
半田は次のように言い切った。
「EPAの判断というのは、それがどういうものであっても、他の国の行政機関の判断であり、
我々が参考にすべき客観的なものとは考えていません。もちろん、NPTの実験結果は客観的な事実ですから、我々も参考にします。
その結果、発がん性は確認できないと判断したわけです。
しかし、繰り返しになりますが、他の国の行政機関がどう判断したかで我々が動くことはありません」
半田は、「発がん性の指摘は慎重でなければならない」と強調した。ちなみに厚労省はがんを漢字で表記しない。
漢字で「癌」と書くと、英語の「cancer」、つまり狭い意味でのがんだけを意味するからだという。
「がん」と平仮名表記することで、「malignant neoplasm」(悪性腫瘍)という、幅広い意味での腫瘍を表したいのだという。
その説明一つとっても、厚労省ががんの問題に誠実に対処しようとしてきたことが窺える。
そうであれば逆に、胆管がんの連続発症を防止できなかったことが悔やまれる。
56恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:47:26.86
「職場の化学物質でがんになった」と知らずに死亡した人々
アメリカで1,2-ジクロロプロパンが発がん性物質とされた後、日本はどう対処したのか、事実関係を簡単に述べておこう。
2000年になって、ようやく旧労働省は思い出したかのように、1,2-ジクロロプロパンについてのがん原生試験を開始した。
そして2005年、マウスとラットの双方にがんを発見。
その試験結果を有識者会議で検証し、2011年に入って、「哺乳類を使った実験で発がん性を確認した」と発表している。
アメリカで人間への発がん性が指摘されてから、実に20年以上も後のことだった。
厚労省は毎年、「人口動態統計」というデータを発表している。それを見ると、年間にどの病気で何人死亡したかがわかる。
この統計によると、2011年の1年間で、全国で胆管がんで死亡した人の数は1万3707人となっている。
若い人には稀な病気だとされるが、実際、20歳以上、50歳未満の胆管がんによる死亡者数は701人だった。全体のわずか5%。
過去のデータをたどっても、ほぼ同じくらいの数字で推移している。
基本的に、50歳未満の人が胆管がんにかかるのは珍しいと言えそうだ。
胆管がんによる死亡者のうち、労災が申請されたケースはあるのだろうか? 厚労省に問うと、ないとのことだった。
おそらく、職場の化学物質によって胆管がんが引き起こされたと知らずに死んでいった人たちが、
SANYO-CYP関係者以外にもかなりいるのではないか。実際、そのことを示唆する調査結果が出てきている。
新聞がこの問題を活発に報じ始めると、各地で胆管がん被害の報告がなされるようになった。
最初は宮城県。続いて東京、石川、静岡の3都県。
また、厚労省は全国の印刷会社に立ち入り調査を行った他、アンケートなどで職場の状況を調べた。
そこでは、会社の従業員や元従業員の中に胆管がんを罹患した人がいないかどうかも問うている。
その結果、SANYO-CYP以外の印刷会社で、22人について胆管がんの情報が寄せられたという。
57恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:49:34.37
また、胆管がんについて労災を申請する人も出てきて、その数は10月9日時点で45人。
ただし、印刷会社で胆管がんにかかった22人とこの45人の間に重複している人がいるかどうかはわからない、という。
厚労省も、これまで出てきた胆管がん患者がすべてだとは考えていない。
「これ以上は(胆管がんにかかった印刷会社関係者が)出てこないと思いますか?」と問うと、
半田は「そう願いたいところだが、とてもそうは思えない」と率直な心情を吐露した。
そもそも当初から、厚労省の調査に限界があることは片岡らから指摘されてきた。その指摘が正しいことは、すぐに証明された。
先進国でなぜこんな事態が放置されてきたのか
9月、三重県に住む男性が記者会見を開いた。胆管がんを発症して治療を続けているという。
彼は1984年から95年まで印刷会社で働いていた。職場で使われていた洗浄剤は2種類。
1つにはジクロロメタンが、もう1つは1,2-ジクロロプロパンが含まれていた。SANYO-CYPのケースと同じである。
状況から考えて、いずれかの洗浄剤によって胆管がんになった疑いが濃い。
しかし男性は、厚労省のアンケートからは漏れていた。彼が勤めた印刷会社がすでに廃業していたからだ。
「私のように会社が倒産してしまったところで働いていた人間は、絶対に国の調査では把握できませんよ」
男性はそう言い切った。彼の話では、その会社で一緒に働いていた仲間は10人余り。
全員が男性と同じように有害な化学物質にさらされていた可能性は極めて高い。
記者会見の数日後、その男性を三重県に尋ねた。
彼が胆管がんの治療に使った医療費はすでに300万円を超えているという。その中には粒子線治療も含まれる。
そして抗がん剤。副作用で常に吐き気に苦しみながらの生活が続く。
今後、いくら治療費がかかるかもわからない。当然、妻も働かざるを得ない。男性は言った。
「この先進国の日本で、ですよ。こんなことがずっと放置されていて、今後も何も変わらないなんて・・・。
そういう事実が僕には本当にショックなんです」
58恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:51:35.75
妻のために、絶対に元気でいなきゃいかんのです
洗浄剤について語ってくれた前出の大成幸司は、大阪市内の下町の小さな町工場で父親と二人、金具を作っている。
訪ねていくと、大成は忙しく機械の間を動きながら、製造工程に間違いがないかを見守っていた。
父親は椅子に腰かけて、手製の金具を作っていた。母親がアイスコーヒーを出してくれた。
大成の父親は、もともと金具を製造する会社に勤めていた。大成がSANYO-CYPを辞めるとき、
父親も勤めていた会社を辞めて独立した。「息子に仕事をさせてやりたい」と思ったからだった。
以来、銀行の融資などで機械を揃え、親子で金具作りに励んだ。
出来の良さと納期厳守の徹底で取引先の信用を得て、不況の今でも注文が途切れることはない。銀行からの融資はまもなく完済する。
休憩時間になり、機械を離れた大成が話し始めた。
「何とかやっていますけど、今も不安と闘う日々です。いつ肝臓の数値が悪くなるかわかりませんから・・・。
家族と一緒にいて、楽しいことがあっても、本当に心の底からは笑えない。常に不安を背中に抱えているという感じです」
両親は黙って大成の話を聞いている。大成は両親の家の近くに、夫人と中学生の息子と小学生の娘の4人で住んでいる。
夫人は笑顔の素敵な女性だ。いつ取材に訪れても、嫌な顔一つせず、大成を呼んでくれた。
「このニュースが流れて、奥さんから何か言われませんか?」
という私の問いに、大成は静かに答えた。
「彼女も胆管がんで死んでいった仲間を知ってますから、そりゃ不安だと思うんですよ。
でも、僕には何も言わないんです。だから、彼女を絶対に心配させちゃいけない。絶対に元気でいなきゃいかんて思うんです」
一方で、こうしている瞬間にも病勢が進んでいる人もいる。
大阪市のある総合病院に、SANYO-CYPの元従業員がやはり胆管がんで入院している。
点滴をつけたまま弱々しく歩く彼は、目も顔も、すべてが鈍い黄色に覆われていた。強い黄疸の症状だ。
生体肝移植しか生きる術はないという。
59恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/09(日) 23:52:45.77
あまりの衰弱ぶりに驚きつつ来訪を詫びる私に、彼は言った。
「もう来ないでください。僕は必死なんです」
私は短く謝罪の言葉を述べ、立ち去るしかなかった。
ほとんどの化学物質が野放しになっている社会
10月12日、検査入院をしていた前出の本田真吾が退院した。東京にいた私は本田に電話を入れた。
医師からはまだ、明確な検査結果は告げられなかったという。腫瘍が他にも見つかったらしい。
さらに検査をする必要があるのか、手術は必要なのかといったことも、医師からの連絡待ちだという。
「不安なのは、検査結果がわからないことではなく、最近、急激に疲れやすくなっていることなんです。
今まで、こんなことはなかったのに・・・」
数日後、再び本田から電話が入った。手術をすることになったという。
「かなりの部分、肝臓を切り取るそうです」
「本当に手術を受けるの?」
「手術、します。それしかありませんから」
切除するのは胆管だけではすまない。胆管は肝臓の内部に入り込んでいるため、肝臓のかなりの部分を切り取ることになるのだ。
30歳の若者にとって、あまりにも重すぎる決断だろう。そのせいか、「迷いはない」と言う本田がなかなか電話を切らない。
私が「また連絡しますから」と言って電話を切ろうとすると、本田は急に我に返ったように「あっ」と声を出した。
そして「手術日が決まったら連絡します」と言って電話を切った。
彼の心の動揺が伝わってくるようで、辛くてたまらなかった。
60恐怖の「胆管がん多発事件」はなぜ起こったか【後編】:2012/12/10(月) 00:05:46.62
神奈川県秦野市に、化学物質の発がん性を調べる施設がある。
日本バイオアッセイ研究センターだ。
前述の1,2-ジクロロプロパンの検査も含め、国は、化学物質による発がん性の検査をすべてここで行う。
世界でもトップレベルの設備を誇るという。
この研究センターを取材した記者の報告を聞いて驚いた。
世界トップレベルの施設なのに、発がん性を検査できる化学物質は、1年間で2種類ほどだという。
ところが、新たに登場する化学物質は、1年間に1200種類もあるのだ。
もちろん、動物実験などには時間も手間もかかるので、一度に多くの検査ができないのはやむを得ない。

しかし、調べられる物質が年に2種類で、新たに出現する物質が1200種という差には愕然とした。

言うまでもなく、毎年登場する1200種類の化学物質すべてに発がん性があるわけではないだろう。

しかし、そのほとんどが国の検査を受けることなく、製造者の提出したデータによって使われていることは強調しておきたい。

少なくとも、私たちがそういう社会に生きているということは知っておいた方がよい。
今回の胆管がん多発事件については、有毒な化学物質が引き起こしたことが明らかになった。
しかし、他のどんな化学物質が、いつ、どんな形で私たちの肉体に襲いかかるかは誰にもわからない。
ひょっとすると、それはもう、どこかで始まっているかもしれないのである。