★元・手動写植オペレーターが集うスレ・Vol.3★
「銀細工」って知ってるだろ? 女性のアクセサリーによく見られる。あれは銀粘土で
作ることができる。作り方を教えている教室を街でよく見かける。「銀細工教室」っていう。
その銀粘土が廃液から作られている。
「銀粘土」をググルとわかるよ。
釣りかゴルフだな。
老後まで目に悪い細かい事はしたくない。
老後は山歩きだな。いつかある日、滑落して死んだら、自己責任と笑ってくれ
初期の明朝やゴシック程度しかなかった写植の時代、この頃の書体はもともと
縦組みを想定して作られていたという。なので昭和50年代に流行った詰め打ちで
横組みを打つと文字の一文字一文字が分からなくなってしまう現象が起きた。
で?
>>956 あの頃、うち上がった印画紙を見て「何だこれ?」と思って見てると他からも人が
集まってきて見てた。外注のものだったのでそのまま渡したが、おそらく先方で
字間を切って離したんだろう。
その後、横組の詰め打ちでも読める書体で指定してきた。
今のように株のネット取引が普及してない頃、引退した年寄りが証券会社の
店頭に陣取って、ほぼ一日中、雑談をしていたと聞く。
みなさんは株、やらないんですか?
>>959 >引退した年寄りが証券会社の 店頭に陣取って、ほぼ一日中、雑談をしていた
そういう世界が今もあったら行きたい。
オレが写植やってた会社は一応、マンションなんだが室内にトイレがあって男が
小便をすると音が部屋中にこだました。今はそんなとこ、ないだろうが。
こだました? 変わった表現だな
963 :
氏名トルツメ:2011/06/15(水) 12:24:18.92
写植時代は有限会社も結構多くて会社はアパートの一室だったりボロ屋を増設したような造りだったり
電算写植になって女子が増えたがそれまで男社会だった名残か和式便所一つを男女みなで使うような会社も多数だった
朝から毎日うんこを垂れるおやじには参ったもんだったな
同じく毎日ウンコで便所を長時間独占するヤツがいて過糞症男と呼ばれてた
個人で事務所を開いていたが、
住居兼事務所を借りる時、洋間は絶対条件で探したものだ。
ところが、畳の上に手動機を置いている人がいると聞いて、
唖然とした。板を敷けば大丈夫かなぁ。
事務所のトイレに窓・換気扇がなかった!
だから、うんこの後は大変。
おまけに、玄関の近く……。
会社へ来てうんこをする奴に限って、始業ギリギリに来た。それでトイレで
タバコをくわえながら数十分、ふんばってた。だから仕事の配分など責任者が
困っていた。
>>962 日本語の表現は豊かなんだよ。君は余り本を読んでないな。
969 :
氏名トルツメ:2011/06/15(水) 19:56:50.42
オレが勤めてた高田馬場の会社もアパートの一室で便所のドアがすぐ側にあり
胃腸が弱く下痢症の自分は
トイレに入る度におちおち屁や糞が飛び出す音が漏れないかと冷や冷やだった
得意先の可愛い娘が来てた時は『銀行へ行ってきます』と言い外で糞を垂れに行くこともあった
今では笑い話だ
30年くらい前まで、マンションと言ったって外壁だけがコンクリで部屋の中は
ベニアで仕切ってあったようなものだった。銀座のビルでも6階建てでも
エレベーターがなかったり、板橋区では水洗トイレではなかったりと「東京」
と聞いて抱くイメージと違う現実があった。
>>966 そういえばトイレに換気扇なんて無かったのにいつの間に普及したんだろう?
972 :
氏名トルツメ:2011/06/15(水) 21:18:22.28
むかしは洋式でも温便座じゃなかったから冬はきつかった
カバーしてあった会社もあったけどチビグゾが着いてたり
よけい不潔だった
でも仕事しながらタバコはスパスパ吸えたし事務員がお茶を入れてくれるし誕生日休暇にレクリエーションや社員旅行も楽しかった
昭和40年代頃、写植の通信教育、あったんじゃなかったっけ?あってもやらなかっただろうけど、
新聞で広告を見た記憶がある。あの頃、今、大人になって考えると、いかにも怪しい通信教育が
あった。記憶しているのをあげてみると「忍者育成」「広告企画ディレクター」。
「背が伸びる」なんていう広告もあったな。
みなさん、東京の写研に行って研修を受けたの?
それとも写植会社だから社内で研修?
私はどちらでもなく、独学した。
975 :
氏名トルツメ:2011/06/15(水) 23:57:45.45
>>974 写研+会社だな
てか独学ってDTPみたいにマニュアルが本屋に山のように売ってるわけでもなく今みたいにネットとか情報源がないし
ひとりだけだったら「解らない」で誰にも聞けず止まったままじゃないか?
その辺どうしてたの?
写研に電話して質問してた?
>>975 >写研+会社だな
「刑務所」って人も、結構いたりして…
東京だから、写研だな。
東京にいると、地方があるってことをしばしば忘れる。
>>975 うーん、忘れましたね、大昔のことで。
解らないことがあった記憶もない。写研に問い合せたことはない。
もともとデザイン+版下をやっていたので、
写植を体得するのにせっぱ詰まっていたわけではなく、
しばらく写植は外注してたってこともある。
のちにPAVO-KYに移行したが、あれのマニュアル本は
とても優れていたよね。
つづき。
正直、写研に行って研修受けたかったなぁ。
楽しいだろうなぁ、きれいなお姉さんに手を取ってもらって……。
20代半ばで写研の夜間コースを自腹で研修に行った
女性は色気のない地味女かオバハンだけだった
みんな「これで飯食って行こう」と頑張ったのにorz
アッと言う間に写研\(^o^)/オワタ
>>969 オレも同じようなことを経験したな。小便の音が部屋中に聞こえる会社だったから
息抜きに外へ行ってくると言って外の公衆便所で小便をしてたな。ある時、鼻が詰まって
鼻くそをほじくったら血が出て止まらなくなった。トイレの紙を詰めて帰った。
それにしても、こういう話、当時の仲のいい同僚と酒を飲んでも話さなかった秘密の
話だ。職場の同僚は必ず他の同僚にしゃべってしまうからな。
983 :
氏名トルツメ:2011/06/16(木) 11:16:40.27
写植オペは偏屈が多いからあんまり喋らない人が多っかた気がするわ。
もちろん真逆の奴も居たが、えてして我が儘自己中、傲慢、協調性ゼロ。
お客やクラとの折衝が少ない職人の人たちは、そうなりがちだよね。
そんなことはない。
“ほうれんそう”が足りないと仕事にならなかったから、
いまのDTPの人たちよりは、はるかにコミュニケーション力はあった。
記憶は美しい…ってね
987 :
氏名トルツメ:2011/06/16(木) 13:25:49.21
写植の人間も『変わり者』が多かったよ
人とコミュニケーションとれない人も
だがむかしは会社でも社員旅行やボーリング大会など社員どうしが触れ合う機会が多かったから参加してた人間は関係がスムーズだったけど
そういう行事が苦手な人は自然に淘汰されて辞めていったよ
>>979 写研の研修の講師はおじさんしかいなかったよ・・・。
受付以外で女性を見た記憶はないなぁ。
DTPに限らずパソコンの普及は、個人・企業とめざましい。しかし、だからといって、
GDPは伸びていない。パソコンによる仕事の合理化・効率化は経済に繁栄しないと
はっきり、データに現れている。
経済の繁栄は人手によらなければありえないのかもしれない。ムダと思われる人件費も
お金が回る経済の基本である。
>>981 もう30年位前だったのでハッキリしないが数万円?
「これで一生手に職が・・・」の筈だったのに
記憶は哀しい…ってね
992 :
氏名トルツメ:2011/06/16(木) 13:44:54.57
サギですね
サギ産業。潰れて当然
>>991 昔は「大型免許を持っていたら食いっぱぐれない」って
長距離トラックの運ちゃんのことを言っていた時代もあったから
他にも同じように、資格や免許が全然役に立たなくなった職業もあるんだろうね。
>>989 PC等のIT機器に頼らず、昔ながらの人の手を産業の手段としている国や地域が
どれだけ伸びているのか、みたいな比較がないと何とも言えないような…
>>993 電話の交換手とかバスガイドが花形職業だった時代もあるしね。
タイピストなんかも人気だったというし。
3年半かかったけどこのスレもそろそろ一杯。新しいの待ってるよ。
って言うか、今年だけでスレの後半が埋まったんだな。
何で伸びたのか?w
998 :
氏名トルツメ:2011/06/16(木) 15:46:29.23
写植やってた人間ってだいたい40歳以上だろ
その後に印刷業界から逃れた人も
DTPに移行した人も人生(職業)の折り返し地点なんじゃないか
だからむかし良かった時代を振り返りたいとか
999 :
氏名トルツメ:2011/06/16(木) 15:51:08.04
オワコンだからもう新スレ立てるなよ。
>>988 あっ、夢を壊した! いけないんだ、いけないんだ……
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。