>>119 1990〜91年当時、小室はCDを出せば1位を取るが
ブレイク後のTMNはライト層受けしないファン専門の初動型タイプであった為
すぐにチャートから消えてしまい、ロングヒットしない事に悩んでいた。
そして、90年代初期に巻き起こるドラマ主題歌ブームにより
B'z、ドリカム、米米、マキハラなどの後輩アーティスト達がミリオンを連発し始めたが
TMNはうまくブームに乗ることが出来なかった。
当時小室は、タイアップ(ドラマ主題歌・CM)ありきの楽曲制作に驚いたらしい。
そこで、小室は初めて大衆を意識した楽曲を制作し
LOVE TRAIN/We love the EARTHをリリースする。(両A面)
プロモーション活動に力を入れ、売りに来ただけあって
50万枚を超えるTMN最大のヒット曲となったが
結局、マイレボリューション(小室の壁)を超えるヒット曲にはならなかった。
アルバムに関しても同じで、ロングヒットせずミリオン未到達である。
EXPO 1位 64.8万枚
続く
>>119 その後のTMNのシングルはWILD HEAVEN(91)、一途な恋(93)、Nights of The Knife(94)の
3枚となり、オリジナルアルバムは全くリリースせず
ライブ盤(92)、リミックス盤(93)、ベスト盤(94)などに留まる。
小室の心はTMNから完全に離れており、日夜マーケティングに明け暮れていた。
そんな最中MAX松浦と出会い、TMNソング・ミーツ・ディスコ・スタイル(92)というアルバムをリリース。
当初の予測を遥かに超える10万枚の大ヒットアルバムとなり、trfブレイクへの布石が打たれる。
1992年=trf結成 1993年=trfデビュー
ディスコ+カラオケのコンセプトで誕生した日本初のテクノ・レイブユニットtrfは
EZ DO DANCE(93) 78.4万枚 15位や寒い夜だから・・・(93) 67.6万枚 8位
などの曲をロングヒットさせブレイクする。
しかし、TMNでは果たせなかったロングセラーのヒット曲をtrfで生み出したものの
この時点ではまだ手探り状態であった為、TMNを終了させプロデュースに専念することを決めた。
続く
122 :
名無しサンプリング@48kHz:2007/05/04(金) 08:59:53 ID:cU9c1jIj
結果TVやラジオをひっかき回す事になりウザイと思われていたがそのまま続投しようとした為みんな腹を立てて小室を追い出した
終了
>>119 TMNプロジェクト終了へのカウントダウンと同時進行で行われた
ブロデュース業(93-94)はTMNプロジェクト終了と共にミリオンヒットを生み出し
先駆者のtrf、小室プロデュースの火付け役・篠原涼子を中心とし、一大ムーヴメントを起こす。
小室ファミリー・小室サウンド・小室系の言葉はこの頃に生まれる。
ロングセラー即ち、マイレボの様な多くの人に聴いて貰える楽曲
そんな願望を実現させる為にTMNを終了させてまで専念したプロデュース業ではあったが
trfがブレイクする土壌を作ったのはTM NETWORKの10年であり
無名の女性アーティストを小室マジックによりスターダムにのし上げる方式も美里が元祖である。
ちなみに小室が生み出した20作のミリオンの内、初動で50万以上出したシングルは
DEPARTURESとCAN YOU CELEBRATE?の2作のみであり、初動20万〜30万が一番多かった。
B'zやミスチルなどと比べるとと圧倒的に少なく、初動10万未満のミリオンが2作あるなど
当時の小室プロデュースの曲がいかにロングヒットしていたかが分かる数字である。
参照=小室哲哉 深層の美意識