劇団☆新感線2014年春『蒼の乱』3

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472名無しさん@公演中
【 嫉妬とねたみあるいは羨望-その定義 】

(嫉妬とねたみ)
嫉妬の「嫉」も「妬」もともに「ねたみ」を表している(『新大辞典』講談社)。
また『広辞苑』(岩波書店)の「嫉妬」の項には、
(1)「自分より優れた者をねたみそねむこと」、および
(2)「自分の愛する者の愛情が他にむくのをうらみ憎むこと」とある。
つまり嫉妬と「ねたみ」とはあまり区別されずに使われてきた。
両者を区別したとしても、現象によっては、どちらとも言えない場合もあり、
また両者が混在している場合もしばしばある。
ときには、その違いをあまり強調しないほうが良い場合もあろう。

たとえば、
「嫉妬とは日常的な意味では、
 他人が自分より物心両面にわたってすぐれていることに対する『ねたみ』であり、
 また自分が愛している者が、他人に愛情を向けるのを『うらみ憎む』といった、
 激しい感情である」という研究者もいる。
その一方で多くの研究者たちは各々の言い回しで、
両者の違いを明確にしようとしてきた。
彼らは、日本語の嫉妬とねたみを区別するように、
ドイツ語、フランス語、英語でも
Eifersucht, jalousie, jealousyとNeid, envie, enyyを
区別してきたのである。

「嫉妬という術語にも混乱がみられる。羨望の意味に使われる時もあり、
 ほんとうの嫉妬を指すこともある」、
「患者が<自分は誰それの地位等々をたいへん嫉妬している>と
 千万言を費やしてしゃべりまくることがあれば、
 当人は実は羨望しているのに、気づいていないだけのことだ。」。
「人は自分の所有しているものに嫉妬し、
 他人の所有しているものを羨望する」〈ダランベール〉。