脚本の良さ・悪さで芝居を語るのは邪道なのか?

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174名無しさん@公演中
いい脚本が欲しかったら簡単なことだ。
本書きに、まったく意見しないことだ。
物語は書き手の生理で書かれている。たとえ拙い部分があったとしても
生理のバランスがとられている。仮にそこだけ直させても整形美人のように
「妙に違和感のある美人」にしかならない。

物書きに意見しない………ただし、これにはひとつ条件がある。
演出家や役者はけっして脚本を書いてはいけないということだ。
彼らは台本に書かれた世界を客の前で具現化するポジションにあるため
芝居に対して「受けよう」「誉められたい」という邪念がある。
この意識は、演出や演技に専念しているのなら、悪いことではない。
しかし、物語を創造する作業と結びつくと、たちまち邪悪なものになる。
物語それ自身が内包するテーマに「受けたい」「誉められたい」という
製作的なテーマが結びついてしまうからだ。