70年代の韓国、日本に小便を輸出してがんばっていた

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1FinalFinanceφ ★
工産加工品が主力輸出品になった70年代にも主力の原材料輸出品があった。
まさに小便だ。

履き物や繊維、電子産業などが注目するほどの成長を遂げて重化学工業が始まった時期にも、
小便は価値ある商品だった。
「1滴でも筒の中に!」と叫んで学校や予備軍訓練場、バスターミナルなど
公衆便所ごとに白いプラスチックの小便筒が並んだ。
小便の中に含まれるウロキナーゼが脳卒中治療剤を作る主原料に使われたためだ。
当時ウロキナーゼは1キロで2000ドル。
国民の誰もが「十匙一飯」で出し合い、化学処理をした後に日本に輸出した。
小便で稼いだお金だけで73年には50万ドル、74年には150万ドルに達した。
http://japanese.joins.com/article/156/179156.html?servcode=300&sectcode=300