人生は夕方から楽しくなる:ドラマ「北の国から」の演出家、杉田成道さん
この人の周りには、雪の精が舞い降りるのか。東京都心に雪が降った14日の朝。北海道・富良野を舞台にし
た名作ドラマ「北の国から」の演出家、杉田成道さん(67)は自宅から保育園に向かって電動自転車をこいでいた。
まっすぐに続く上り坂。「電動でなければ、ほとんどギブアップ」。荷台には昼寝用の布団。前かごには、フ
ワフワの白い上着を着込んだ愛娘がちょこんと座り、ニンジン柄の靴をのぞかせている。
「その上着、野ウサギちゃんみたいなんだよね」
杉田さんが顔をのぞき込み話しかけると、「野ウサギちゃん」はうなずき笑った。
杉田さんには、30歳下の小児科医の妻、9歳の男の子、7歳と3歳の女の子がいる。子どもと歩いていると、
「おじいちゃんと一緒でいいね」と声を掛けられることもある。「何となく愛想笑いすると、子どもは傷つくわ
けですよ」と苦笑いする。
平日は、子どもに朝食のパンを食べさせ、末娘を保育園に送り、スーツに着替えて出勤。夜は長男に勉強も教
える。「家事の6割ぐらいが私の担当。妻はやる気持ちがあっても時間がないから、肩代わりせざるを得ない。
夜型だった生活が逆転しましたね」。杉田さん、すっかり「イクメン」ぶりが板についている。
「北の国から」は、81年から02年にかけて放送された。杉田さんは人生の思い出の数々を、ドラマと絡め
て記憶しているという。だから、22年を費やしたこのドラマは「人生のアルバムのなかでも圧倒的に重い」と
いとおしむ。
「北の国から '98時代」のリハーサルに、当時24歳だった妻が見学に来たことがなれそめになった。彼
女の一目ぼれだった。杉田さんは今の生活を思い、「こうなるとは思いませんでしたね、全く」と振り返る。5
0歳で前妻を亡くした杉田さんは、01年に再婚。シリーズ最終回の「2002遺言」の撮影時には妻が長男を
身ごもっていた。
視聴者は、ドラマと同時進行で実際に成長していく純(吉岡秀隆さん)と蛍(中嶋朋子さん)の姿に感情移入
した。「家族のドキュメントとしてドラマを撮っていたので、通常のドラマと違って結末が見えない。連綿と続
くと半分は思っていましたが、一方でいつ終わるのかという気持ちもありました」。放送終了を惜しむ声はやまなかった。
杉田さんは今も「北の国から」の俳優たちと毎年集まる。「田中邦衛さんとか純や蛍の家族と食事会をするん
ですよ。もう40歳になる純とは時々お酒を飲みますが、『監督は生き方が軟弱だ』とか説教されるんですよ」と笑う。
昨年末には映画「最後の忠臣蔵」を監督した。ラストシーンには、末娘が子役として登場している。「無精ひ
げをはやし、目をらんらんとさせて役作りする役所広司さんが近くに寄ると、『ひげのおじちゃん怖い』って途
端に泣き出しましたね」。撮影では、役所さんがひたすら雪原を歩くシーンもあった。「雪は大嫌いですよ。意
外ですか? 『北の国から』のロケ中もあまりに寒いから、早く東京に帰りたいと思っていました」
撮影の苦労も3日で忘れ、1カ月もたてば次回作に意欲を燃やすのが、演出家だという。「私も演出家の端く
れですから、また何かやりたくなる。まあ、人生は死ぬまで楽しいんじゃないですか」
人生、何が起こるか分からない。仕事中心だった杉田さんの傍らには今、ネコを見つけて喜ぶ末娘がいる。
「予測がつかないのが人生、だから飽きない。安定志向はあまりおもしろくないし、変化は必要ですね」。運
命論者だという杉田さんは、「占い論者」でもあるという。「昔から西洋占星術をちょっとやっていてね。だか
ら、子どもの運勢もちゃんと見るんですよ。でも、私が一番星回りがいいんですけどね」
家族が寝静まった1日の終わりには、一人ワインを飲む。「今日もせわしなくて何もできなかった」と思いつ
つ、充足感を味わっている。【鈴木梢】
■人物略歴
◇すぎた・しげみち
1943年、愛知県生まれ。日本映画衛星放送社長。舞台、映画演出も多数。近著に自らの結婚生活を題材に
した「願わくは、鳩のごとくに」。
:
http://mainichi.jp/tanokore/interview/004787.html