北海道栄高校の集団万引き実行犯、日記で反省の色なし
プロ野球の名監督だった「意識革命」の広岡達朗は、よく自身の広島コーチ時代である「私の指導者としての原点は苑田にあった」などと語るが、
中村天風(広岡は天風の弟子になる)は広岡に「生まれたときは人は誰もが同じだが、育つ環境と受ける教育で違いが生じる。教育は受ける側の問題でなく、潜在能力を引き出すかどうかという、教える側の問題」
と言った。教育を受ける側も教育をする側も、やる気や根性、聞く耳があれば誰にでも伸びる要素を備わっているという意味である。
一方、野村監督も『巨人軍論』(岩波書店)という本の中で、自身が南海の選手兼任監督だった頃、巨人から移籍してきた投手に
「森さん(V9当時の巨人捕手)は出来上がった投手(堀内や高橋一三クラス)を扱うのはうまいが、ウチらみたいな芽が出ない下手クソな投手には散々でした」と回想され、「しかも、森さんは監督や投手コーチらがいる前で怒鳴りつけてきた」とも漏らした。
※こういう選手時代の森の上司などへのゴマスリ体質やポイント稼ぎが、長嶋や王らに嫌われる羽目になる。
「その点、野村監督の場合、森さんと反対に、捕手として伸び悩んでいる投手や芽がでない投手をうまく扱うのがうまい」とされ、それが“野村再生工場”と称されるはしりとなる。
これは、学校教育・授業でも同じなんじゃないかな。
森祇晶(昌彦)が教師だとして、カッコつけようとしたり自身のポイント稼ぎとも取れるような、出来上がった生徒(通知表の評価で4や5を取るような生徒)や学級のボス、やかましい女子、有力者・金持ち・PTAや教師の子などを扱うのは上手いが、
勉強が出来ない子やイジメられたり、経済苦、地味で萎縮して学力的に伸び悩んでいる生徒をボロクソに扱うのが名教師・いい先生だとは思えない。
その点、野村が教師なら、勉強が出来ない子や萎縮して伸び悩んでいる生徒を上手くリードするんじゃないかな。そして、そういうのが名教師・いい先生って言うんだよ。
教育力や教師力って、そういうところにあると思う。
今も昔も、学校教師って巨人V9時代の捕手・森みたいな性格した人だらけ(とくに中年)で、評定が4や5を取る生徒を扱うのは上手いが、1や2を取る生徒を育てるのはヘタ。
本当に生徒を育成する能力がある先生とは、広岡や野村みたいに「意識革命」により1や2の生徒の学力を再生させている。