オンタリオ州セントトーマスで、ごくごく平凡に暮らしてきたベーカー夫妻は、妻のドロシーさんの方が夫のグレンさんより6つ年上だった。
妻がどこかへ行くときには必ず夫が付いて来る――そんな夫婦だった。いつも一緒にいる二人だった。
1946年にダンスホールで出会ったときからして、グレンさんはドロシーさんの“後を追い”続けてきた。
そのときグレンさんは、ダンスホールで偶然見かけたドロシーさんに一目惚れしてしまった。
ダンスに誘ったが最初は断られた。でも、彼はあきらめることなく、ドロシーさんの後を追った。
根負けしたドロシーさんは、結局、ダンスの誘いに応じた。これが二人の馴れ初めだった。
翌1947年の6月に晴れて夫婦となった。夫妻は、グレンさんのホームタウンであるセントトーマスに居を構えた。
ドロシーさんは、いくつかの会社で事務員として働いた。グレンさんは、30年にわたってデパートの家具売り場で働いた。
二人の間に生まれたのは、娘のリンさんただ一人である。
一人娘のリンさんが成人した後、旅行好きなドロシーさんが海外旅行に出かけるときは、必ずグレンさんが嬉しそうに付いて行った。
そうして二人で世界中を旅してきた。
定年後のグレンさんは、家の中でいつもドロシーさんの傍にいたがった。
ドロシーさんが付いて来てくれないと、外出したがらなかった。
しかし、ドロシーさんは老いと共に持病の肺疾患が悪化していった。
今年の11月5日、ドロシーさんは体調を大きく崩してセントトーマス病院に入院した。
彼女の肺はもはや治療可能な状態ではなく、緩和ケアを受けることになった。
家に残されたグレンさんは、その2日後に体の不調を訴えて同じくセントトーマス病院に運ばれるが、翌日に退院する。
だが、体調が戻らず、11月14日に再入院することとなった。
緩和ケア病棟に入院したドロシーさんは、ますます容態が悪くなり昏睡状態に陥った。
別病棟に入院していたグレンさんの方は、意識こそあったが衰弱が進んでいた。
そして、12月1日、いよいよドロシーさんの命の炎が消える時が近づいていることを悟った病院スタッフたちがグレンさんを
ベッドごとドロシーさんの病室に運び込んだ。
そして、意識レベルが下がりつつあるグレンさんのベッドを昏睡状態のドロシーさんのベッドの横にぴったりと寄せて配置した。
グレンさんは薄れゆく意識の中、ドロシーさんの手に自分の手を伸ばし、手を繋いだ。
午後7時、ドロシーさんが息を引き取った。享年88歳。そのとき、グレンさんも既に昏睡に落ちていた。
ナースたちは、亡くなった妻と昏睡状態の夫の手をすぐにほどこうとはしなかった。妻の臨終後2時間にわたって、夫婦の手は繋がれたままだった。
2時間後、ドロシーさんの遺体を安置所に移すためにナースたちが夫婦の手をほどいた。
手がほどかれた直後、グレンさんの容態がみるみる急変した。
30分後、グレンさんは、まさしくドロシーさんの後を追うように息を引き取った。享年82歳。安らかな死に顔だった。
一人娘のリンさんは言う。「両親は互いに尽くし合っていて、深く愛し合っていました。死さえも二人を分かつことはなかったということでしょうね」
ドロシーさんの緩和ケアを担当していた医師の1人は、グレンさんがドロシーさんの後を追うように息を引き取ったことについて、
こんなふうなことを話している。
「旦那さんは奥さんといつまでも一緒にいたかった。その強い思いが二人を天に導いた。医学的にあれこれ説明するよりも、
そう考えて二人の冥福を祈りたいと思います」
リンさんは、衰弱していく父を死に瀕した母の病室に運んでくれたナースたちの思いやりに心から感謝している。
病院スタッフたちにとって、二人の最後を見届けたことは涙なしには語れない体験となった。
緩和ケア担当のシャロン・ベーカー医師(夫婦と同姓だが親戚ではない)は、こう話している。
「その場にいた皆の心に熱いものがこみ上げてきました。愛の絆・・・それがあるからこそ、私たちはこうして日夜この仕事に取り組んでいるのです」
二人の遺体は、セントトーマスの墓地に仲良く並んで埋葬されることになっている。
リンさんは言う。「父は、どんなときも母と一緒にいたがっていました。純粋な愛、真の愛の絆で二人は結ばれていました。
こうして、両親は永遠に二人一緒にいることができるのです。そう考えると、悲しいことではない気がします」
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