京都地裁(京都市中京区)の近藤猛司裁判官が今月6日、
不動産の売却執行に対する執行抗告の却下決定をした際、
主文の肩書を「京都地裁」ではなく「東京地裁」と誤記していたことがわかった。
執行抗告は、京都市左京区の庭園「何有(かゆう)荘」の競売をめぐり、
同荘を所有していた宗教法人「大日山法華経寺」(解散命令確定)が8月、
競売による売却処分に対して申し立てていた。
京都地裁は今月6日、「抗告は不適法」として却下したが、
A4判2枚の主文は近藤裁判官の肩書を「東京地方裁判所第5民事部」、
裁判官書記官の肩書を「同日同庁」と記載したため、東京地裁が出した決定のようになっていた。
これに対し、宗教法人の代理弁護士は、最高裁に原因の調査と謝罪を求める文書を送付している。
京都地裁の那須彰所長は「誠に遺憾。再発防止に万全を期したい」としている。
■ソース
asahi.com[2006年09月22日10時04分]
http://www.asahi.com/national/update/0922/OSK200609220014.html 別人をモデルにして作られた上野公園の生みの親とされる人物の胸像が取り換えへ
上野公園の生みの親とされるアントニウス・フランシスカス・ボードワン博士の胸像がまったくの人違いだったことがわかり、10月6日に取り換えられることになった。
江戸幕府に招かれて1862年に来日したオランダの軍医、アントニウス・フランシスカス・ボードワン博士。
ボードワン博士は、幕末の動乱で荒廃した上野の山に自然を生かした公園を作ることを提唱し、「上野公園の生みの親」とされる人物。
しかし、この胸像、実はまったくの人違いだった。
東部公園緑地事務所の関田国吉さんは、「(ボードワン博士の胸像が人違いだったのは本当?)最近の調査によると、やはり、本当のようですね」と話した。
この人違いとされる胸像、特徴は立派なあごひげとはげ上がった頭。
しかし、実際のボードワン博士の写真を見てみると、あごひげはなく、髪の毛もしっかり生えている。
現存する写真のどれを見ても、ボードワン博士はあごひげがなく、髪の毛はしっかり生えていた。
なぜこんなことになったのか、真相を確かめるべく、ボードワン博士の母国・オランダの大使館を訪ねてみると、意外な答えが返ってきた。
オランダ大使のアルフォンス・ハーメル氏は「ボードワン博士は、オランダ領事の兄なのですが、(ボードワン博士の)子孫が間違えて博士ではなく、弟のオランダ領事の写真を渡してしまった」と語った。
ボードワン博士の実の弟、アルベルト・ヨハネス・ボードワン氏の写真を見てみると、立派なあごひげに、はげ上がった頭。確かに胸像の人物だった。
この人違い胸像が建てられたのは、上野公園開設100周年の1973年。
このとき、オランダ大使館が彫刻家に弟の写真を渡してしまったという。
この人違いに気づいて、岡山県の大学教授が20年以上も前に、論文で人違いを指摘していたが、今日に至るまで再建は実現されていなかった。
そのことを知り、ボードワン博士が大阪にいたときに住んでいたというお寺の山本信行住職は、2005年5月から、東京都や台東区、オランダ大使館に本物の胸像製作への協力を働きかけてきたという。
山本住職は「わたしどものお寺でも、ボードワン博士の顕彰碑を建てておりますから、みんなで(上野の胸像の)顔を確認したところ、『全然違うで』ということで、『こら建て替えなあかんな』ということになったんですね」と話した。
新たに作り直されたボードワン博士の胸像は、10月6日の除幕式でお披露目になるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20060922/20060922-00000292-fnn-soci.html