【イラク】高遠さんの著書に注文殺到、3万部増刷【美味しい】

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502その1
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紛争地域へ乗り込んだ記者の激白

今回は、イラク同様、紛争地帯となったアフガニスタンに、紛争終結後の2002年春に取材で訪れたフリー記者、
山田慶さん(仮名)に、なぜ紛争地帯にわざわざ行ったのか、その意義についてうかがいました。
なおアフガニスタンは現在も、イラク同様退避勧告地域となっています。

――なぜあなたはアフガニスタンに行ったのですか? 仕事を断ろうと思わなかったのですか?

「雑誌の特集記事取材のためです。その記事は紛争レポートではなく、現地に住んでいる人や
スチュワーデス、女子アナについて触れるものでした。断ろうとは思いませんでした。
なぜならば、戦後のアフガニスタンに一生で行ける機会はこれだけだと思ったから。
また、アフガニスタンのネタは様々な媒体に売ることができたため、派遣元以外での仕事が
取れそうだったことも行くことを決めた理由です。」

――命の危険は覚悟していましたか? もしテロに巻き込まれて、死ぬことになっても後悔しないと考えていましたか?

「命の危険の覚悟はしていました。なので、遺書は家に置いてきました。親にはニューヨークに行ってくる、とウソをつきました。
死んだ場合の責任は自分にあると思ってましたから、派遣元の会社を訴える気はなかった。
命の危険は常に感じていました。いつどこで撃たれるか分からないので、できるだけ早歩きで、木の陰を歩くようにもしてたし、
夜は絶対に外に出なかった。銃声もけっこうしていたしね。」

――現地の人はどんな対応でしたか?

「現地の人は概ね好意的でした。ものすごく印象的だったのが、ひとこと話を聞き、写真を撮ると『オレの家に来い』と
言われる。大丈夫かなと思いながら行くと、料理がジャンジャカ出てくる。
今回イラクで拉致された安田純平さんの、『客人としてもてなされた』『村中の人が遊びに来て挨拶してきた』という
証言がありますが、これは極めてイスラム的で理解できます。」

続く。