ドキュメンタリー Nスペ 教養番組等 34

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355301
>>335
いや、既にあたってて、正直言いたい事は昔からかわらないんだなと。
パスカルのいう私はちっぽけな存在で宇宙が私を包み込む、しかし私は
思惟によって宇宙を包み込む。
っていう言葉が全てを表してるなと。つまり、ソクラテス以前のタレスなどは
外の世界について考察していたのだけれど、ソクラテスによりはじめて
哲学の対象が自己に向けられた(参照:岩波のソクラテス以前以後)。

それからの哲学(場合によっては宗教も含む)はまあ、いろいろな思想があるけれど
結局は、外の世界と自己とを共に考察するものになってると思う。

科学の発達や、デカルトやカントそしてニーチェ等みたいに革命的な思想でもっていろいろと
認識は変わってきてるけど。
356301:2008/11/01(土) 10:08:58 ID:M26Bafs40
誰かわすれたけれど、古代のギリシャ哲学者が、
・真理というのは存在し、既にそれを体得していると思う者
・真理は存在するけれど、体得は今で達成されず、模索している者
・真理などは存在しないとする者
と、大きく分けると哲学者には(オレは全ての学術者にあてはまると思う)
この三種類のタイプがいるといった。オレの立場は
・真理があるかは正直、わからない。しかし、うまく生きる術がを身に着ける事はできると思う。
という立場。
毒矢にささってからこれは毒かと考えるのは甚だ無益な事であるとお釈迦様がいったけれど
どっかの哲学者が現代人は病める動物であるといったのもそういう事だと思う。本質的にそういう生き物なのかなと。
ちょうどお釈迦様が、私は毒かどうかを考えるのでなく毒の治療を私はやってのける
と弟子にいったように、うまく世の中を生きていく術のために哲学は有効だと思う。

そういう意味でビトゲンシュタインじゃないけれど、もはや哲学は一通りは学び終わったなと。

スレ違いなのは認める。しかし、流れ的におkだと思った。

おじさまがたよ、象牙の塔で哲学のための哲学してたら意味ないと思うよwww

>>348-349
zzzさん、いつも有り難う。