そもそもツンデレって、ツンツンとデレデレなんだろ?
この二つがそろって初めてツンデレって言えるんだろ?だったらツンしかなかったり
デレしかしない奴ってのはツンデレとは言えないよな。ツンする上しかもデレする奴がツンデレなんだ。
ってことはツンデレ好きって公言する奴はツンが好きともいえずデレが好きともいえないな。
あくまで「ツンデレ好き」な奴はツンからデレに変わっていくのが好きなんであって、
ツン好きな奴は邪悪ヒロインスレに行けばいいし、デレ好きな奴は主人公だけで犯したいスレに行けばいいんだ。
ツンデレ好きにとって一番盛り上がる部分ってのはツンからデレに移行する部分であって、
それ以降はどーでもいいんだ。何でかと言うと後に残ってるのはデレ部分だけで
これはツンデレ好きにはどうでもいいからだ。
だがデレが続いていく以上、物語としては進んでいくわけだな。んじゃその物語はどこで終わるか?
それはもちろん最終回であって、エンディングだ。どうやって終わるかと言うと、起点に対する反駁で終わる。
つまり最終回というのはシナリオを進めていた要素の否定か、それ以上は語る必要がないという形式・内容になってる。
どちらにしてももはやそれ以上を語りえないということをもって物語は終わる。それは物語の絶頂を意味してる。
なぜなら最終回をもってして物語りは総括され、全てに決着をつける「最終決戦」となるからだ。
だがツンデレ好きはこれを無視する。彼らにとっての絶頂はツンからデレに移行する点であり、
それは物語の中間点でのみ達成される。なぜならこの移行点が物語の冒頭に記述されることはツン部分が少ないことを意味し、
最終回に近ければデレ部分が少ないことを意味している。ツンデレとはツンとデレの結合であることを考えれば、
ツンからデレへの移行点と最終回は絶対に重ならないことは明白だ。
それはツンデレ好きにとって物語をどうでもよいもの、とにかくツンからデレへと変わればいいので
物語の最終回などなくてもよいという思考へと導く。だが最終回の否定は即ち物語の破綻であり、
物語が破綻すればツンデレなど当然存在しない。ツンデレを追求する余り逆に消滅させるという矛盾が発生するのだ。
よってツンデレは物語そのものと調和し得ない、ツンデレは排除されるべき害悪だってことが分かる。