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新潟県データファイル

総  面  積  (km2) 10,938.74

人   口 男 1,207,399
女 1,274,987
総 人 口 2,482,386
世 帯 数 738,615

年齢3区分
(千人) 0〜14歳 372
15歳〜64歳 1,604
65歳以上 514

平均寿命 男 76.98
女 83.66

出生・死亡 出 生 数 22,661
死 亡 数 21,273

結婚・離婚 婚 姻 数 12,986
離 婚 数 3,322

地方公務員 都道府県職員数 38,617
市区町村職員数 33,806

市町村数 市 20
町  村 92
県民所得 県民所得(百万円) 7,488,441
一人当(千円) 3,003

歳入・歳出 歳 入(千円) 1,396,661,894
歳 出(千円) 1,376,670,615

地方交付税
  (百万円) 道 府 県 分 335,484
市 町 村 分 272,688

地方税の歳入に占める割合(%) 20.7

地 方 債 現 在 高 (百万円) 1,260,003

インフラ
ストラクチャー 道路舗装率(%) 20.1
高速道路実延長(km) 361.1
水道普及率(%) 97.5
下水道普及率(%) 39.0
水洗化率(%) 64.3

エネルギー 使用電力量(MWh) 14,993
ガス販売量(1000kcal) 5,655,556,935
上水道給水量(千m3) 344,282
ゴミ排出量(t) 1,096,345

情報通信 テレビ受信契約数 984,116
新聞発行部数 893,766
電話契約数 1,012,876
移動電話加入数(100人当) 30.9
住宅・土地 住宅総数 762,400
持ち家率(%) 75.1
1住宅当り延面積(m3) 136.2
住宅地平均価格(円/m3) 46,300
商業地平均価格(円/m3) 175,600

自動車 自動車保有総台数(両) 1,707,621
普通運転免許保有者計 1,397,336
内女性保有者 575,497
女性免許保有率(%) 41.18

労働者平均給与 現金給与総額(円) 320,547
賃 金 格 差 72.0

勤労者世帯の家計 実 収 入 (円) 644,148
実 支 出 (円) 484,845

一人当りの預貯金残高(千円) 5,217

児童・学生数 小学校児童数 152,065
中学校生徒数 87,570
高等学校生徒数 87,532
短期大学学生数 4,608
大 学 学 生 数 21,011

医療・福祉 病 院 数 137
一般診療所数 1,669
歯科診療所数 1,102
医 師 数 4,209
歯科医師数 2,003
薬 剤 師 数 3,001
看護婦(士)数 11,916
国民医療費(人/千円) 223
社会福祉施設等 1,569
老人ホーム数 86

消 防 消 防 職 員 数 3,162
出 火 件 数 819
救急車出場件数 57,807
火災保険件数 146,585

警 察 警 察 官 数 3,666
犯 罪 件 数 24,530
犯 罪 率 985.1

交通事故 交通事故発生件数 13,734
交通事故死亡車数 221
自動車保険対人賠償普及率(%) 63.7
新 潟 県





越境の地
豪雪地帯
佐 渡
燕三条
教育不熱心県?
もらい癖
越後女
生粋県人率
新潟の味覚
中央優先からの脱却
新潟のキーワード
長い海岸線を持つ新潟(越後)。福井(越前)、富山(越中)も「越」で呼称されるが、越後は大阪や京都から最も遠い僻地としてとらえられていた。「越」とは「辺境の地」「落ちぶれた人びとの地」の意である。『古事記』によれば、「北日本は敗者の集まる所」と記されている。
 富山と新潟の境には、親不知、子不知という地名がある。山裾が海に直角に落ち込み、人一人通れないような難所である。ここを通過するとき、親は子を、子は親のことなどかまっていられない。「越」に行くとは、まさに命を賭けるのと同じであった。
 現在の新潟は越前や越中から離れ、関東甲信越という広域関東圏に区分される。新潟の県民性は全体的に保守的で、人情に厚く、いったん親しくつき合うと愚直なまでに人間関係を大切にする。
越後は大地主と零細農家の格差が著しく、大地主は殿様以上の生活をしていたが、零細農家は冬期には江戸に出て生計を立てていた。江戸時代、新潟には若者がひと冬を江戸へ出て稼ぐ風習があった。春に帰路につくと、「いっちょまえ(一人前)」と認められた。また西蒲原郡には、「毒消し」という行商があり、村の女性が反物やおしろい、はさみなどの日用品を売り歩いた。
 東京の米屋、豆腐屋、公衆浴場のルーツをたどると、その大半が新潟県人である。昭和40年代、都内に銭湯は2700軒あったが、そのうち1200軒が新潟人の経営であった。豆腐屋は3000軒のうち6割が新潟人であった。

 新潟の人間は、年間平均83日が雪、103日が雨という地理的条件のもとで生活している。雪質は長野や北海道のような粉雪ではなく、水分をたっぷり含んだベタ雪である。しかし最近は村おこしの一環として、雪を商品化する運動が始まっている。
佐渡は周囲227km、面積857km2で、沖縄本島に続く大きな島である。「渡りを佐ける島」という意味があり、古くは大陸と越国とを結ぶ要衝であった。「佐渡は新潟にあらず」といわれるように、新潟とは気候も風土もまるで違う。温暖で積雪もなく、年中、西風が吹いている。鹿児島、宮崎、長崎の言葉をルーツとし、小木の人はバッテン言葉(長崎弁)を使う。祭りなどを見ると、ここは鹿児島ではないかと錯覚するくらいである。
 佐渡では、能や人形芝居が盛んである。能の普及は、世阿弥が佐渡に流され、その後、金山を管轄する初代佐渡奉行・大久保長安が奨励したことによる。江戸期に入ると、佐渡の一円で能が盛んになり、百姓が能狂言の役者になって楽しんだ。現在、能舞台は34もあり、大阪ではすでにすたれてしまった人形浄瑠璃が生き続けている。 佐渡の文化は、国仲の公家文化、相川の武家文化、小木の町人文化の三つに区分される。相川を中心とする地区は温暖で耕地面積も多く、自給自足が可能であった。江戸文化が入り、日本有数の消費都市となった。古文書に、「金山繁盛して、江戸にも御座なきほどの遊山、見物、遊女など充満す。国々より来る金ほり、町人等‥‥‥」とあり、人口は10万人にものぼった。佐渡金山は最盛期には金百貫、銀1万5000貫を産出したが、これは世界の産出額の15%を占めたといわれている。またこの地には、苗を円形状に植える「車田」という独特の稲作方法がある。
 小木は江戸初期に積出港として繁栄し、北前船の寄港地にも定められ、繁栄をきわめた。小木湾は風待ち港として優れていた。20以上の問屋があり、屋号は日本各地の地名にちなんだものが多かった。能登屋、塩飽屋、薩摩屋、河内屋、播磨屋、紀伊国屋など。上方文化が色濃く残っている。
上越新幹線には燕三条という駅名があるが、燕三条という市はない。あるのは、燕市と三条市である。駅名をつける際に、燕市が「燕三条」を提案したところ、三条市が反発し、決着を見なかつた。そこで田中角栄が「名前は後にくるほうが偉い」といって三条市を説得し、ようやく燕三条で決まった。ちなみに北陸自動車道のインターチェンジは三条燕である。
 上越新幹線が開通し、その後、東京駅と直結した。全線の40%がトンネルというのはこの新幹線だけである。さらに関越自動車道、北陸自動車道の開通によって新潟は閉ざされた県でなく、広域首都圏の北の玄関口として機能している。ひなびた温泉街に観光客が急増し、トキの誕生もあって佐渡への観光客が増え続けている。

 明治、大正を通して、女性の小学校への入学率は全国で最低であった。新潟では、成人した女性は働くという風習が根強い。富山では公立大学への入学率がトップだが、新潟の女性の入学率は低い。女性に対する教育不熱心は伝統的である。また穀倉地帯の蒲原地方には、「馬鹿あんにゃの飼い殺し」という青葉があり、家督を継ぐ長男が利口になると家業に励まなくなるので、長男に対して教育投資をケチる因習があった。
新潟では、「入った金は使わない、出さない」という金銭感覚が根強い。ところが、たわいもないことに金を使い、散財する習性もある。これは米の単作地帯ということに起因するのかもしれない。収穫の秋にどっと金が入ると、このときとばかりに人が変わり、大盤振舞いしてしまうのだ。
 また景品や酒がつかない行事や寄り合いには参加者が少なく、それどころか、なけれぼ文句が出る。いわゆる「もらい癖」の土地柄である。

 新潟の女性は、夫思いで従順で、「働くことはつらい」という女性は少ない。新潟の会社を午後6時以降に訪問すると、残業している女性が非常に多いが、不満顔の人はいない。新潟の女性は粘り強く、黙々と働く。夫唱婦随タイプで、男性に心を奪われると、いつまでも思い続ける女性が多い。独身男性が新潟に赴任すると、新潟女性と結婚するケースが多いといわれる。
 ちなみに新潟美人を「こびりつく」という。これは相手にぴったりくっついて離れない美人のこと。また新潟では、「杉と男は育たない」といわれるが、これは冬に大陸から冷たい風が吹くために杉が成長しないことと、雪のように白い肌を持つ越後女の魅力に参ってしまい、男性がふぬけになることをかけている。
新潟は、両親とも新潟人という生粋県人率が全国でも群を抜いている。生粋県人率が高いということは、うち者の関係を重視し、他府県の人間とは一線を引いてつき合うという習慣を生む。こうした背景を十分に心がけておいたほうがよい。最初は入りづらいが、いったん打ちとけるとスムーズにまとまる。

新潟といえば地酒の宝庫だが、酒どころは雪国と密接な関係にある。男たちは春・夏・秋は稲作に従事し、冬は雪に閉ざされるため、農閑期を利用して酒をつくる杜氏となり、全国に移住した。この寒造りが新潟を酒どころに発達させたといえる。
コシヒカリとは「越の米」の意である。新潟が一番有名だが、福井に行くと、「福井がコシヒカリ開発の地だ」と主張するし、富山に行けば「新潟人が富山の米を食うと富山のほうがうまいという」と、「越」3県で主張し合っている。
 魚沼産のコシヒカリは、国内産の最高ブランドである。新潟でとれる米の生産量は年60万トンで、そのうち魚沼産コシヒカリは6万〜7万トン。中山間地が多い魚沼地域は夏場の気温差が大きいが、この気温差が独得の甘みとほどよい粘りを与えてくれる。中でも評価が高いのが、十日町周辺の中山間地ものである。
村上市は、新潟県の北端にある城下町で、「鮭の町」として有名。毎年、晩秋になると、三面川に数万の鮭が還ってくる。村上の人びとは鮭のことを「イヨボヤ」と呼ぶ。イヨは「うお」のなまり。ボヤは坊やの意で、「かわいくてたまらない」と愛情をこめていう。18世紀後半、世界で初めて鮭の回帰性が発見され、鮭が安心して産卵できる自然孵化増殖システムが考案された。「種川の制」と呼ばれるシステムを考えだしたのが村上藩の青砥武平治で、これが村上藩の財政を支えた。
 明治に入ると、旧藩士たちは鮭の人工孵化事業で得た収益の一部を教育費にまわした。学費の援助を受けた子弟は「サケの子」と呼ばれた。1878(明治11)年には日本初の人工孵化と放流が行なわれ、年間73万匹の鮭がとれた記録もある。

 黒埼町は国内有数の枝豆の産地である。とりわけ小平方地区でつくられる枝豆は香ばしく、ビールのおつまみに最高といわれる。もともとは山形県鶴岡市のだだ茶豆が祖先で、これは門外不出であったが、栽培技術を公開してもらい、新潟を代表する特産物となった。
「へぎ」とは長方形の盆のような器を指す。これに人数分のそばが盛られる。メニューを見ると、五合そば(二人前)、七合そば(三人前)とあるのが特徴。新潟には昔から冠婚葬祭の最後にへぎそばを盛って食べるという風習があり、それが定着した。つなぎに小麦粉や卵、山芋などを使わず、布海苔を用いるのが特徴。うっすらと緑がかかって美味である。

 「柿の種」は、約80年余り前に新潟で生まれた米菓のベストセラー商品である。浪花屋製菓(本社・長岡市)の創業者が小判型のあられをつくっていたとき、妻があられの金型を踏んづけてしまった。当時、金型は貴重品で代わりがなかったため、そのまま焼いたところ、焼き上がったあられの形が「柿の種に似ている」という声があり、「柿の種」と名づけたという。戦前は原料の米が高かったため高級品だったが、高度成長期以降、機械化による大量生産が可能になったため庶民の味になった。
JR山手線の電力は、信濃川発電所の電力が利用されている。その結果、農業用水が制限され、下流に流れる水が毎秒7トンしかなく、本来は清流を保てる河川である信濃川には、あおみどろが浮かび、死んだ川になってしまった。ダムの隣の十日町は世界一の豪雪地帯であるが、信濃川から取水ができないため、融雪水に苦しんでいる。
 このように日本の近代化政策は、中央優先の方針のもとに押し進められてきた。その見返りとして交付金が支払われたが、豊かな自然や環境の破壊が繰り返されてきた。21世紀は経済優先から地域文化優先の時代を迎えようとしている。そういう時代の中で、心を和ませるものが残る新潟の果たす役割が大きくなっていくといえるだろう。
≪新潟のキーワード≫
●白根町の凧合戟
   旧暦の端午の節句に、勇壮華麗な
   大凧合戦が締り広げられる。
●山古志村
   本州推一の闘牛試合の地。
   錦鯉の里。溜め池を利用することか
   ら始まった。
●水原
   越後の三角ダルマ。
●十日町
   「雪まつり」発祥の地。
   1950年にスタート。
●月潟
   角兵衛獅子のルーツ。
●佐渡「鼓童」
   和太鼓のグループ。
   ペルリン公演でいちやく有名に。
●寺泊
   南蛮海老が有名。唐辛子に似て
   いるところからこの名がついた。
●小千谷
   毎年2月下旬、「あぢや風船一揆」まつり。
   錦鯉の発祥の地。
● 朝日村vs朝日村  
   新潟と山形の県境に同名の村がある。
   きわめて珍しい例。
●粟島
   1998年6月に農協と漁協が日本で初めて
   統合を実現
●ガンキ
   雪よけのアーケード。
●けんさ焼き
   「焼きおにぎり」のこと。
   武士が剣の先におにぎりを突いて焼い
   たところから由来。
●ぽし
   農家の主婦が「ぼし」という覆面スタイル
   で田畑仕事をする。
●かんずり
   新井市周辺で塩恥けした唐辛子の雪さらし。
   伝統の香辛調味料。
●佐渡のたらい舟
   小木港はたらい舟の発祥の地。
●小千谷縮
   独特のシポとかすり模様が特徴の麻縮。
   1955年、製造技術が国の重要無形文化財
   に指定された。
衆議院議員

氏  名: たなか まきこ
田中 眞紀子
生年月日: 昭和19年 1月14日
選挙区: 新潟県第5区 当選: 3回



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<略歴・現職>
元科学技術庁長官
厚生委員会理事
政務調査会審議委員
憲法調査会委員
高齢者に関する特別委員長
社会保障制度審議会委員
災害対策特別委員会委員
豪雪地帯対策特別委員会特別委員長



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<メッセージ>
あなたは今の政治に満足していますか?

皆さんは今の政治に満足していますか?
今こそ、憲法に示されている通り主権者たる国民の皆様の意志を具現化する為に国会議員はその原点にたちもどる時を迎えています。
現在私は三本目の議員立法に取り組んでいます。
21世紀を迎えるにあたり、医療、福祉、介護等の社会保障制度の再構築はもちろんのこと農業政策、中小企業対策、安全保障、社会資本整備等の諸課題を解決するためにも、まずは国家財政を健全にすることが急務です。雪深き新潟、コメ所新潟県民の皆様の誇りと幸せを守る為に今後も最善の努力をいたします。
力強いご支援をお願い申し上げます。