ここがヘンだよ貴方人・パート2

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「まことに申し上げにくいことですが……」
 1の主治医の、抑揚のない声が四畳半一間のアパートに響いた。彼の職業的無感動に支配された表情は、重い事実にも少しも変わることはなかった。
「……では、息子はもう?」
 対照的に1の母の顔には、すでに達観したような、諦めが色濃く漂っている。全てを捨てて看病を続けてきた彼女には、もう気力も体力も残されてはいないようだった。
「非常に珍しいケースなのですが」
 銀縁の眼鏡に手をやって、主治医は眉一つ動かさないまま続けた。
「空っぽになった精巣から侵入したウイルスが、すでに脳の言語野や海馬に達しています。今はかろうじて日本語で思考する能力が残されてはいますが、それももう時間の問題でしょう。それに、思考しているといってもそれはあくまで形式的な話で、日常生活に支障のないレベルは、すでにキープできていません。正直な話、日本の中学生が発症した例を、私は寡聞にして知りませんでした」
「そうですか……」
 母はそういって深く首をうなだれた。そのとき、1が最後の力をふり絞るようにして母のほうに手をさしのべた。1の口から、大量の涎が流れ出し、母は息子の頭を抱えるようにして、ゆっくりとそれを拭った。
「……メ……メ……」
「どうしたの? 何か伝えたいことがあるの?」
「……メ」
「さあ、言ってみなさい。生き延びて見せる、そう宣言してご覧なさい。」母は息子を愛撫しながら、そう励ました。
「……メ」
「さあ」
「……メロンパン」
 主治医の能面のような表情に翳りがさし、彼はそれを隠すように目をそむけた。
 あとには母のすすり泣く声だけが残った。