みんな1日のアクセス数ってどれくらいある?【6】

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608名無しさん@どーでもいいことだが。
 こうして抱かれることがこれほどの悦びであるかぎり、その誘惑のささやきに逆らうことなんて、できるはずもない。私には、いつでも服を脱ぐ用意がある。
 体の力を抜いてすべてをゆだねるだけで、音が遠ざかり、気持ちがとけ込んでいく。
 なにも考えなくていい。それだけで、いらないことを忘れさせてくれるのだ。
 ――ずっとこうしていたい。
 でも、それは許されない。
 ひとつになっていられる時間は短すぎる。
 ……息が続かないから。
 空を見上げるために、水中で体をひねり、そのまま仰向けになって浮かび上がる。
 遠くに聞こえていた音が、だんだん耳元に近づいてきた。
「そっか、雨降ってたんだっけ……」
 もう時間も遅い。あかるい空がないのは当たり前だったんだ。
 空が暗くなるまで、ひとりきりで練習をするのは慣れたけど、いつまで経っても寒いのだけはだめ。今日はそろそろあがろう……。
 ここで風邪をひいたら、いい笑い者だ。
609名無しさん@どーでもいいことだが。:2001/07/02(月) 02:09
 更衣室の電気をつけると、いちばん奥のシャワーブースに入って、勢いよく蛇口を回した。
 体が冷えているときに、ちゃんとお湯が出てくれるのはすごくありがたい。
 視界が湯気で真っ白になっていく。
 タオルを隣のドアに掛けると、私は思い切って頭から飛び込んだ。
 シャワーの熱さが冷えた体を塗り替えていく。
 首筋をなでて、胸へと伝わり、やがて足元にまでたどり着く。
 全身にぬくもりが染み込んでくる。
 ――気持ちいい……。
 同時に練習のあとのけだるい感じが、重く圧し掛かる。
 温度の上がった体が、もう動きたくないと言いはじめた。
 ――このまま寝れたら幸せなんだけどな……。
 毎日のように思うけど、結局いつも我慢することになる。
 それは今日も同じで、こうして水着に手を掛けるしかない。
 肩紐を落として、両腕を抜く。膝くらいまで下ろして、右足だけを抜いてから、左足を上げて膝にまとわりついた水着を拾った。
 シャワーの勢いをさらに上げる。
 
610名無しさん@どーでもいいことだが。:2001/07/02(月) 02:09
 水の中にいるときとは違うけど、それでも音が遠くになっていくような感覚が気持ちいい。
 首をがっくりと床に向けると、排水溝に集まっていく水の渦が見えた。
 しなだれかかってくる髪の毛が真っ直ぐに下を目指している。
「…………」
 タイムを縮めるためには切ったほうがいいって、ずっと言われて来た……。
 でも、誰に何を言われても、その分ムキになって練習して、ここまでたどり着いたんだ……。
 別に、伸ばしたい理由があるわけじゃない。
 ただ……意地っていうか、なんて言うか。
「……でも」
 あんなことがあったから、髪を気にしてしまう。
 考えないようにしても、あのことを思い出してしまう。
「やっぱり……髪、切ろうかな……」
 ――あんなことがあったから……。
611名無しさん@どーでもいいことだが。:2001/07/02(月) 02:12
(中略)
612名無しさん@どーでもいいことだが。:2001/07/02(月) 02:13
「どうでもいいことなのかな……」
 その言葉は、し〜んとした更衣室に響き渡った。
 短くても、長くても、どっちでもいいってことなのかな……。
 水滴の落ちる、ぴとんって音だけが、透明な空気を真っ直ぐに伝わって、私の耳を刺激した。
 タオルを取って頭をしぼるようにして巻き付ける。
 これのおかげで大きいのが2枚も必要になるから、どうしても荷物がやたらとふくらんでしまう。
 毎日、どこかにお泊りみたいなバッグを持って歩くのは、それだけで大変だったりする。
 制服に着替えたところで頭のタオルを外した。
 ――わさっ……。
 首筋に濡れた髪が触れてぞくっとした。
 鏡に映った自分の顔を見て、短くしたらどんな感じかを想像したけど上手くいかなかった。
 軽くドライヤーを当てて、1本に束ねる。
「よしっ」
 ニッと笑ってみせてから、鏡の前を離れた。
 バッグを肩に掛けて更衣室のドアを開けた。その瞬間、通路を吹き抜ける風が足元をさらっていった。
 
613名無しさん@どーでもいいことだが。:2001/07/02(月) 02:15
 空からは大粒の雨が降ってきて、乾かしたばかりの髪を再び濡らしていく。
 ――そうだった。
「雨、降ってたんだっけ……」
「ったく、独り言の多い奴だな」
「うああああっ!」
 ――なに!? 誰!?
「なに、びびってんだよ」
 ……あ。
 私が濡れないように傘を傾けて、すぐ横に彼がいた。
「だいたいおまえ、うわあってなんだよ。女なんだから、もっとかわいい悲鳴を……」
 おどかさないでよ、もう。
 まだ心臓がどきどきしてる。
 でも、なんで? どうしているの?
「勇人が行けってうるさくてな」
「……勇人が?」
「急に降ったろ……おまえ傘持ってないだろうって」
「あ、うん……」
「大会前の猛特訓はいいけどさ、雨降ってまでやるか?」
「……うん、そうだね」
「なんだ、やけに素直だな」
 だって……こんな風にしてくれたら、うれしいに決まってるじゃない。
 文句なんて、言えない。
614名無しさん@どーでもいいことだが。:2001/07/02(月) 02:17
「ほら、行くぞ。向こうで勇人も待ってっから」
「あ、うん。でも、なんで、こんな時間まで学校にいたの?」
「ん? ああ、勇人が図書室に用があるって言うから、それに付き合って……」
「こんな時間まで?」
「まさか」
 鼻で笑って、裕之は歩き出そうとする。
 なら、どうして、こんな時間までいたのよ?
 他に用事もないんだから、さっさと帰ればよかったのに。
 いつもなら、誰よりも早く学園の門を出て行くくせに。
 最後に来て、最初に出ていくのが裕之のパターンでしょ?
 それなのに……。
「おい、ボーっとしてんなよ。濡れて帰られたんじゃ、意味ないだろ」
「あ、うん……」
 ――あっ……。
 ……まさか……待っててくれた……の?
 練習が終わるまで……?
 私のためにこんな時間まで待っててくれたの?
 ……どうして?
 昼休みのこと、気にして?
 まさか……反省なんて、裕之らしくない。
 でも……なんだろう……これ。
 ――すごくうれしい。
615名無しさん@どーでもいいことだが。:2001/07/02(月) 02:18
「――って、お前、オレの話……聞いてる?」
「え? ――あははっ、ごめんごめん」
「……なんか気色悪いぞ」
 ……はぁ、考え過ぎか。
 やっぱりいつもの裕之だ。
 でも、今は気分がいいから特別に許してあげる。
 昼間のこと――もう、どうでもいいや。
 こうして待っていてくれていたことが、本当に大切なことだと思うから……。
 ――でも……だけど、ここから先には……。
 ――進んじゃいけないんだ。
 大切なままで終わりにしないと……。
「ほら、ちゃんと傘に入れ」
 そうでないと、もうひとつの大切なものを裏切ることになってしまう。
 はじめはそんなつもりじゃなかったのに……。
 いつからこうなっちゃったんだろう。
 ――裕之は駄目だって……わかってるのに。
「あのな……」
「はいはい、わかりました」
 私……この時間を手放したくないって思ってる。
 ずっとこのままだったらいいのにって……。
 それはいけないことだってわかってるけど……。
 スタート前になら、このレースを棄権することもできた。
 だけど、私は……気付いてしまった。
 もう水に飛び込んでしまった後だという事を……。