「三銃士」「モンテ・クリスト伯」など多くの血湧き肉躍る小説を書いたアレクサンドル・デュマだが、
ある時、彼の作品が他人の剽窃ではないかという噂が立った。
ある人が、ことの真偽を糾明すべく、デュマに訊ねた。
デュマは得意な顔で、
「そう、その通り。だが見てみろ。わしの書いたのの方が、ずっと面白いじゃろう」
例えば神話や伝承をもとに想像力をふくらませて作品を仕上げる人は、ジャンルを問わず大勢いる
わけで、この場合は決して盗用とは呼ばれない。その元ネタが同時代人の作品であったとしても、
本質的に差はないのではあるまいか。
元ネタの作者が泣こうがわめこうが、完成品としての作品がよくできたものの方が人々に受け容れられ、
後世に残ることになる。これはもう、どうしようもない現実なのである。
元ネタをオリジナルよりもうまく扱える自信があるならば、堂々と盗め。
表現活動において、素材の盗用とか類似とかいう事柄は、どう考えても法律判断に馴染まないと思う。
むしろ訴訟を起こした時点で、訴えた側は自分の作品が完成品として劣っていることを認めたと思われ
ても仕方がないのではあるまいか。
著作権法が扱うべきは、あくまで作品全体であろう。他人の作品とまったく同じもの、あるいはどう見て
も細部をちょっと補作したに過ぎない程度のものを、自分の「作品」として世に出したとすれば、それは文
字通りの盗作であり、許されることではないが、あるフレーズが共通しているとか、出だしがそっくりだとか
いう程度の「盗作」なのであれば、訴訟を起こすなどというのは表現者として恥ずべきことと思わなけれ
ばならない。
自信があるのならどんどん盗むべきだ。盗まれた方も、法律に訴えるなどという野暮なことはやめて、賞賛
あるいは挑戦と考えて奮起するべきである。盗まれるだけの魅力のある素材だったと考えればむしろ誇るべきだし、
その素材を用いて「おれならこうする」とばかりに作られたのならば堂々挑戦を受けて立つ気概が欲しい。
法律に訴えるのは表現者としての敗北に他ならないのである。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/micin/ese/ese30.htm