体制化したコミケ、そして主流になったコミケ

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漏れは主に90年代にコミケに参加してた香具師だが、ここ何年も参加してない。
そういう男の、主に少年創作と男性向け創作をメインとした感想だと思って読んでくれ。


80年代後半から90年代半ばまでは「自分探し」とか「独自のスタイル」などを
主張するのが流行だったと思う。
その頃の参加者は、サークルなら自分のスタイル(本)を魅力的に見せることを主眼とし、
一般ならばそれらの中からより”格好いい”スタイルを探して取り込む、
それがコミケの醍醐味だとされていたんじゃないかな。

なんでそのころ(もしくはそれ以前)のコミケがそういう捉え方をされていたかというと、
おそらく同人誌の位置づけが「自費出版物である」という意味合いが強かったからじゃないか?
つまり、自分の作品を発表したいけど、商業流通ではそれができない人々の
駆け込み寺としてのコミケ。そういう意識があったんだろうと。

だが、90年代後半にはそうした「スタイル」を探すという行為も時代遅れになり、
代わって一時のムーブメントやグルーブ感に乗って熱狂する事のほうが
重要視されるようになった。

そうなった背景には、肥大化するコミケの参加者数と、その過渡期にあった「皆が捜し求
めるようなスタイル(アニメなどの作品)の枯渇」があったと漏れは想像している。
証左としては、90年代後半から2000年くらいまでのコミケカタログには、サークルカット
紹介で何ページにも及ぶほどのアニメ作品を見出すことができないということ。

参加者は増加しているのに、みんなが一様に熱中できる作品を欠いていた状態で、
サークル参加者はどうしたか?
手っ取り早く読者に受け入れられそうなパーツに注目したんだろう。
要するにメイドとか巫女とか猫耳とかメガネっ子とかだ。
さらにはこれらをモチーフとして取り込んだPC(18禁)ゲームがヒットすることで、
流れは一気に増大する。
続く
続き 2/3
じゃあ、参加者はそうしたパーツに新しいスタイルを見出すのではないか?
そう思うかもしれないが、しかしそれは起こらなかった。
なぜなら、参加者はそこで新しいスタイルを見出すことより、それぞれのパーツを用いて
キャラクターをどう料理するかに着目するようになっていたからだ。
そして、その調理方法が格別うまいものに対しては、「萌える」という称号を
与えるようになった。

「萌え」という称号の普及に一役買ったのは、個人のニュースサイト郡及び、
2chなどのインターネットだろう。
コミケの無い時期にも、アニメ・マンガ・ゲーム・18禁ゲーム・小説などから幅広く
「萌える」素材を見つけ出し、紹介することで絶え間なくムーブメントを作り続けた。

しかもインターネットの特性は相互発信だ。
誰かが「●●は萌える」といい、誰かが同意する。
この「同意する人間」が多ければ祭りに発展する。
無論、その途中で反対するものや荒そうとするものもいただろうが、
それらは封殺されていった。
なぜならそれは、祭りに水を差す無粋な行為でしかないからだ。

こうしてインターネットで多発する「萌え祭り」に慣れていった参加者は、
その延長を同人誌に求めるようになる。
今現在多用される「萌え」という言葉は、そうした「祭り」をさらに煽るために
(より祭りを楽しむために)使われる、ある種の掛け声でもあるんだろう。
さらに続く
最後 3/3
そうした人々がコミケに第一に求めるものは、同人誌を通じた表現者同士の
発信と受信ではなく、同人誌に携わる者同士の、ムーブメントの共有にある。
萌えという共通言語を通じたグルーヴ感こそが第一目的なのだ。
同人誌はそれを更に高めてくれる興奮剤であり、それがあったという思い出だ。
>>197での秋葉氏の発言は、それらを伺わせる一端ではないか?

スタッフチケットや青封筒などに対する不満は、その不平等さも手伝っているとは思うが、
実はこのお祭り気分のせいもあるんじゃないかと、漏れは勘ぐっている。
つまり、お祭りではみんな「より強く、このお祭りを楽しみたい」と思っている。
この”より強く”というのは言い換えれば”誰よりも楽しみを享受したい”という
わがままが潜んでいる。
39氏は、そのわがままの匂いを感じ取ったので、それらに対するレスで
「参加方法は個人で選べるのだから、好きな方法で参加すればいいだろう」
と突き放してしまっているのではないかと、
そう漏れは想像している。(もちろん漏れの下種の勘ぐりだ)

長々と書いてきてしまったが、そろそろ漏れの結論に入ろう。
今のコミケ参加者の意識の変化については、そこが自由な発言の場である以上、
仕方のないことだろう。
だが、考えられることとしては、お祭り気分でいる部分をやや抑えることで
多少の変化があるんじゃないだろうか?
例えば、参加サークル数を少し抑えてみるとか、逆により多くのサークルが
参加できるように開催日数や開催時期を増やしてみるとか。
>>483氏が、複数会場方式もあるとも言ってるしな。
そうして、参加者にコミケ「しか」ない状態から、コミケ「も」選択のうちだと
考えさせるようにしてみては。(これは>>502氏も言っていることだな)
それらは勿論、参加者・運営団体双方の努力があって成り立つものだが、
そうした努力を経て、参加者も運営者も渾然とコミケを考えるようになれば
いいんじゃないかと。

ここまでの長文、最後まで読んでくれた人はサンクスコ。