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そうした人々がコミケに第一に求めるものは、同人誌を通じた表現者同士の
発信と受信ではなく、同人誌に携わる者同士の、ムーブメントの共有にある。
萌えという共通言語を通じたグルーヴ感こそが第一目的なのだ。
同人誌はそれを更に高めてくれる興奮剤であり、それがあったという思い出だ。
>>197での秋葉氏の発言は、それらを伺わせる一端ではないか?
スタッフチケットや青封筒などに対する不満は、その不平等さも手伝っているとは思うが、
実はこのお祭り気分のせいもあるんじゃないかと、漏れは勘ぐっている。
つまり、お祭りではみんな「より強く、このお祭りを楽しみたい」と思っている。
この”より強く”というのは言い換えれば”誰よりも楽しみを享受したい”という
わがままが潜んでいる。
39氏は、そのわがままの匂いを感じ取ったので、それらに対するレスで
「参加方法は個人で選べるのだから、好きな方法で参加すればいいだろう」
と突き放してしまっているのではないかと、
そう漏れは想像している。(もちろん漏れの下種の勘ぐりだ)
長々と書いてきてしまったが、そろそろ漏れの結論に入ろう。
今のコミケ参加者の意識の変化については、そこが自由な発言の場である以上、
仕方のないことだろう。
だが、考えられることとしては、お祭り気分でいる部分をやや抑えることで
多少の変化があるんじゃないだろうか?
例えば、参加サークル数を少し抑えてみるとか、逆により多くのサークルが
参加できるように開催日数や開催時期を増やしてみるとか。
>>483氏が、複数会場方式もあるとも言ってるしな。
そうして、参加者にコミケ「しか」ない状態から、コミケ「も」選択のうちだと
考えさせるようにしてみては。(これは
>>502氏も言っていることだな)
それらは勿論、参加者・運営団体双方の努力があって成り立つものだが、
そうした努力を経て、参加者も運営者も渾然とコミケを考えるようになれば
いいんじゃないかと。
ここまでの長文、最後まで読んでくれた人はサンクスコ。