人形サイトのよもやま話

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175過去にも仲間割れ
ついんえっぐの歴史

 1991年冬のコミケットがサークルの正式デビューです。
以来毎回コミケットにを中心に、同人作品を発表して来ました。

 コミケットのサークル抽選の打率は三割程度でしたが、友人の
サークル『××××』と提携し、互いのサークルが落ちた時は
もう一方のサークルに間借りするという形で、三回に二回はコミケット
に参加してきました。コミケット以外では、創作畑に一回と、
神戸国際展示場のコミックストリートにも何度か参加しています。

 そんな感じでついんえっぐは活動していたのですが、片割れの
×××君が就職した1992年頃から、仕事の忙しさを理由に、
×××君が原稿をほとんど書かなくなってきました。勢い活動は
沈滞し、『ついんえっぐ』が段々香明の個人誌化してきたと、
×××君のボヤきが囁き始めます。

 そして、1998年にまつり君が会社を辞めたのが、決定打になりました。
×××君が『生活のために、食うのに関係のない原稿を書いている時間
なんてない。オレ、ついんえっぐを事実上降りる。続けるんやったら、
お前一人でやってくれ』といい、そう言う訳で、サークルは事実上休止
することになりました‥‥。トホホホ。

しかし、例い細々ながらとは言え、私も完全に活動を辞めるつもりは
ありません。ツインが片割れだけになったとしても、ツインはツインでしょう
(別に、私とまつり君が双子とか兄弟という訳ではありませんが‥‥)。
私と×××君のどちらかが同人活動を続ける限りは、このまま
『ついんえっぐ』といレーベルを続けたいと思います