異常な闘志を持った犬を闘わせる。そのことに問題はないとは思う。
逆に目覚めてしまってからはそうしないと却って鬱憤の溜まるとすら聞くし、実際楽しそうに闘ってる姿には惚れ惚れする。
でも人間の格闘技と違って犬は抜き身で闘うことのリスクを承知してるわけじゃない。
負ったダメージの責任は全て管理する人間の責任になる。
足を咬み折られる、目をつぶされる、睾丸を食い破られるなどされた犬が傷の癒えるまでにどれだけの苦痛とストレスを負うだろうか。
闘技中にチンコおっ勃てて痛みも感じないキチガイ犬が、しかし1時間後に戦意を失うほどの苦痛とはどれほどのものか。
ってもろもろ考えたらやっぱり結果として虐待といわざるをえないよ。
ヌルい土佐にしても最初の1分で上記のような傷を負って残り一生カタワになる可能性はある。防ぎようがないから人間にはその責任は取れない。
警察犬軍用犬等公益犬に殉職や名誉の負傷という概念があっても個人のワガママでそれを強いることは社会的にはとても受け入れられない。
闘わさないことがストレスになるんじゃい!つっても、じゃあそんな犬つくんなって話になる。
欧米では議論然するまえに禁止になって虐待という認識は当然のものとなったが、伝統文化扱いで天覧試合まで行われた日本では改めて議論せにゃならん上、
それ以前に闘犬よりずっと酷い現場が腐るほどあるから表立った反対運動にはなってない。やってるのがヤクザ絡みなのもあるだろうし。
でも愛護法に照らしても「みだりに」傷つけてるのは明白。医療行為でも殺処分でも駆除でもない個人の趣味で意図的に傷つけ合わせてるんだから。
土佐形式だけ認めるってな一部自治体の条例もダブスタだよね。
それ以外との厳密な線引きなんて役所にできるはずもない。よって厳格な規制の下ってのも不可能。
時間の問題なんだよ。
終わるとわかってる世界に今更入ろうとは思えん。