【生活世界に】犬の訓練学へ【犬がいる】

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170168:2005/04/25(月) 00:10:23 ID:JVijNMko
841さん

レスがついて喜んでいる168なんですが…
斜め読みしただけで、気軽に書き込んだのを激しく後悔している最中です…
前スレでも散々ガイシュツの、「専門学校卒の半端者」です。
一応、「家庭犬のしつけを教える」を生業としているものです。

>なんかお悩みありません?

色々あるにはあるんですが…
出直します。(と言っても、出直せるほどになれるかどうかは疑問)
すみません。以下、何事もなかったかのように続きをどうぞ。
スレ汚し、失礼しました。
171わんにゃん@名無しさん:2005/04/26(火) 02:42:33 ID:JuurOrkE
別に後悔せんでも・・・つかいじめてないでしょうに。
せっかくの2ch、出身は無関係だし、専門学校卒かどうかと力は
関係ないし。

気が向いたら気軽に何か書いてやってくださいな。
172859:2005/04/26(火) 02:43:22 ID:KRqFu44+
841氏

>至近要因として強いか弱いかはまた別のハナシでっしゃろ?

別の話と言えばそうだし、密接に関係しているとも言えますよね。

>自分としては、好子/嫌子2分法にいささか疑問を
>感じている。間に深くて暗い河があるわけじゃなくて、中立子(←いい
>かげんな造語)を挟んで相対的なものではないかと。しかも各刺激の
>位置は、シチュにより流動するのを前提としたほうが硬直せんですむの
>ではないかと。つまり、2分法では嫌子といヴきものでも、
>「そのシチュにおいては相対的には好子であって強化が成り立つ」と表現
>するほうがわかりやすい気がするわけ。

まったくその通りですよ。行動分析学もそのスタンスです。
行動分析においても好子/嫌子2分法ではありません。
中立子とはいいませんけど(笑)。相対的に考えるのも同じです。

841氏と議論の行き違いが出るのは、分析対象となる行動の
次元、標的、構成要素のどの部分の話をしているかが
微妙にずれているからですね。

例えば、カプサイシイン依存ですが、辛味は生得的には嫌悪的です。
赤ん坊のミルクに辛味を加えたら、ミルクを飲む行動は弱化しますよね?
赤ん坊と言えども、完全に生得的な行動だけを取るわけではありませんが、
初期の学習ヒーラルキーにおいては生得的な反応が強いことは同意していただけますよね。
では、なぜ、カプサイシイン依存が起こるのかと言えば、
生得的な嫌悪が快感に変わるのではなくて、生得的な嫌悪の強度が耐性であったり
その他の理由で弱まり、かつ、その嫌悪よりも強い何らかの快感を得られたり、
その嫌悪よりも更に強い嫌悪が減少することで、相対的に強化子として
働くようになったからです。辛い物を好んで食べる行動を強化しているのは、
辛味ではなくて、辛味が弁別刺激となる何らかの別の学習要素であると考えます。

純然たる辛味と辛味が信号となって引き起こさせるなんらかの後天的学習要素を含めて、
「辛味」が何らかの正強化子となるというなら、プロパーとしては
用語の定義上かなり気持ちが悪いのですが同意します。
トゲウオの時と同じで、構成要素をどこまで含めて「解発子」とするかと同じです。

個人的には、841氏と噛みあわなかった理由がわかったのですっきりしました。
言っていることは同じことだとわかりましたから(笑)
173859:2005/04/26(火) 02:44:56 ID:KRqFu44+
あら、同時レスですね(笑)。

あと、メール出したのですが帰ってきちゃうんですよ。??
174わんにゃん@名無しさん:2005/04/26(火) 02:52:40 ID:y8N2WxFM
何だかんだ語っても、しょせん畜生は畜生。
175859:2005/04/26(火) 02:59:52 ID:KRqFu44+
>雰囲気の違い、よく判る。
>だけど、その原因は理念かなあ?

いえいえ、理念が違う団体がそれぞれ採用している手法とか、指導者の傾向とか
あって、雰囲気の違いが出ると言いたかったんですよ。
言ってみれば、何を正しい方向とするかという理念とか、まぁ、悪く言えば
「好み」の問題(笑)。結局、どうあるべき論がちょっとずつ違っていて、
そこから派閥が出来て、どちらの派閥に属しているかで、指導者も影響を受ける。
そして、その指導者についている被指導者も当然影響を受けています。
面白いもので、同じセラピストについている患者さんって、症状は全然違っていても、
その雰囲気って似てることが多いですね。
私の友人の訓練士が指導している犬も、やっぱり似ていると感じます。
また、訓練所ごとの色合いも感じますし、訓練士とインストラクター?が
指導したそれぞれの犬も、雰囲気が違いますよね。
その評価においても、好みの問題でしょうけど。

潰瘍が10個@@@。うわー、辛そうですね。大事にしてくださいね。
私も昔、胃に穴があいて腹膜炎で緊急入院したことがあります。
胃潰瘍は舐めていると酷いことになるので、本当にお大事に。
176841:2005/04/27(水) 01:31:35 ID:bRNqHDKC
↑171 はワタシです。

 859氏のレスのあと、もちっと考えてみると、たしかに2分法というのは
不適切だったなと。
 ただ、後段はどうかしらん。
 たとえると(イメージが伝わるかな)、ホメオスタシスとらえるか
ホメオダイナミクスととらえるか、といった感じの違和感がぬぐえないのよ。
 そのあたりで用語の気持ち悪さがあるのではないかな。フィットする
語/ないし概念がないというか。
 たとえば即時強化すべし、という場合でも、タイムラグが問題なのか、
ある刺激の(委細ひっくるめた総合的なあり方としての)強化力/弱化力が、
ある瞬間t0と次の瞬間t1とで変わるのか。
 タイムラグに焦点を当てるのがすべからくいかんというわけではなく、
そのほうが節約できることもあり、その場合にはうまくいく。
 けれど、それだけか・・・?
 
 たぶん、ビヘイビアリストでも優れた臨床家は(どう把握しているかは
別として)、かなり細かい時間分解能を駆使していると思うわけです。
 けど、説明しようとすると、(そのビヘイビアリストの暗黙の了解を
共有していない)優れた臨床家には、ちょうど859氏が語法について感じた
のと同じような気持ち悪さを抱かせるのではないか、その隙間を
埋めるのが難しいのではないか・・・

 雰囲気。これならよっく判ります。
単純化すればマチョ/がさつvs緻密/臆病とか。

 胃潰瘍、痛かったです。普通はそんな激痛ではないらしいんですが。
 日経サイエンスの先月号など読みつつ、ビロリを調べるか思案中。

 メール普通すまんです。[email protected] 宛打ってやって
ください。
177859:2005/04/27(水) 02:56:57 ID:xS+WjIlF
>たとえると(イメージが伝わるかな)、ホメオスタシスとらえるか
>ホメオダイナミクスととらえるか、といった感じの違和感がぬぐえないのよ。

はい。それはそうだと思いますよ。172でも書きましたが、
分析対象となる行動の 次元、標的、構成要素のどの部分の話なのかだと
思います。つまり、学習ヒーラルキー全体の総合的な分析をするのか、
構成要素を個別あるいは一定の範囲を捉えて分析するのかですね。
もちろん、ヒーラルキー全体を捉えることも、構成要素を個別化することも
完全な切り分けや定義化は不可能ですけどね。

841氏は博学なのでライルの「カテゴリー錯誤」をご存知だと思います。
カテゴリーの構成要素の全てを取り上げなくても、カテゴリー化された
事象を捉えることも可能ですが、それで全てを語れるわけでもありません。
しかし、提議された問題を考える際、ある限定した要素だけで捉えた方が
問題解決に有効な場合も多々ありますね。
一方、実質的な問題解決が出来たからと言って、その事象の全てを
理解できたとも言えない。
更に、カテゴリー化や概念化、定義化するには言語が必要なわけで、
(個別事象としてではなく、共有概念としてという意味です)
そうすると、ゲンゴロウ問題とどう折り合いを付けるか考えなくてはいけない。
そうしないと、例えば「辛味」という刺激だって、「私の辛味」とか
「841氏の辛味」とか個別事象の話になってしまいますね。
しかしながら、実際には万人共通の「辛味」といのは無い訳で、
それぞれ個別(内言としての)の「辛味」の共通要素を探すことになると。
そんでもって、その共通要素は本当に共通なのかとか
「共通」って何?って話になって、またまたゲンゴウロウが回転しちゃうし、
カテゴリー錯誤に悩まされると。また、どこまで突き詰めていっても、
個別事象というのは必ずあるわけで、それを100%共有することは
できないし、個別事象を突き詰めれば、ココロとカラダ問題が
「いらっしゃいませ〜」とお出迎えしてくれると。。。

まぁ、これ以上やると完全にプロパー話題になっちゃうんで、
そろそろ、別ネタでもいきましょうか?
上の方で841氏が紹介下さった本で何か面白い話でもあれば
ネタ燃料注入お願いします(笑)



178859:2005/04/27(水) 03:02:06 ID:xS+WjIlF
ビロリ菌は是非調べて貰った方がよいですよ。
私は違ったのですが、逆にピロリが原因なら、対策すると根治しますから。
胃カメラで組織採取されるのがあんまり気持ちのよいものではありませんが。。。
いずれにせよ、早く直ることを祈っております。

メールの件了解です。送っておきますね。
179841:2005/04/29(金) 00:17:11 ID:cLDf+Iug
 日経サイエンスの件の記事というのは、ビロリを除去すると(悪性度の
さほど高くない)胃ガンは減るが、逆に逆流性食道炎から(悪性度の高い)
食道ガンが増えるっぽいというもので・・・
 心理や行動でもこういうゆり戻しあるなあ、などと。

 燃料。前出、いたずらマイク。
 いろんなネタがあるんですが、内的成熟、に注目。
 粗筋をいうと、名アイリッシュ・セターのレッドがいる。その一腹の仔の
うちで、やたら落ち着きのないやんちゃ小僧がマイク。
 飼い主たちはマイクをライチョウ猟犬にしたいが、強制訓練には
ためらいがある・・・
 父レッド(まあイヌたちが血縁を意識しているわけではないが)の
ポイントを邪魔してキツク齧られたり、いろいろあって成長していく・・・
 少し引用すると。

 略 ライチョウの匂いを、すぐ花でとらえて、マイクが近づこうとした
とき、ダニーの声がした。
「待て! 待て、マイク」
 赤い仔犬はその場で立ちすくむと、ぐるりを見回していたが、また首を
伸ばしてうっとりするライチョウの匂いを吸い込むなり、ピタリとポイント
した。
 まだ以前のかきたてられるような衝動は感じていて、獲物をつかめるか
どうかためしに跳びこんでいきたい心の乱れは感じてはしたが、これまでに
なく、なにかしらダニーの声の中にあるものが彼を引き止める。聞きなれた
命令でありながら、今日に限って別の意味を含んで聞こえるのは、やはり
いろいろな出来事の長いつながりの結末だろう。

 当然ながら、経験から来る学習は利いているわけですが、かといって、
経験さえすりゃいいというわけではなく、さまざまな肥やしがあるとき
初めてカッチリとかみ合って〈わかる〉〈できる〉ということがある。
 アルテンベルグ会談でいうところの「電撃」なわけです。
 どの程度ドラマチックかは別として、教えたことかは別として、
身近にも見られる(と、ヒトの目には映る)ますな。
 一度獲得されると、(ケアレスミスはあるとしても)、間違えることが
ないタイプのわかり方。

 私としては、こうした判り方をなるべく早く効率的にさせたい。
シェイピングしていっただけの場合(シェイピングを経てこの境地なら
いいけど)に比べてずっと安定だろうから。
 が、イヌの中で何かが熟さないとこれはない。

 このネタ、ないし周辺についてのお考えやいかに。
180わんにゃん@名無しさん:2005/05/01(日) 22:04:48 ID:O0AmCG2t
これが血統の為せる技、作り上げられた本能だと感じるが。
181859:2005/05/02(月) 00:43:24 ID:xyaI+jIK
841氏、いきなりすごい燃料がきましたね(笑)。

あくまでこの燃料に対する答えの一側面だけですが。。。
刺激-反応(行動)に至るプロセスや回路の簡易化と
処理速度の高速化の脳科学研究はヒントになるかもしれませんね。

個体のバックグラウンドにあるさまざまな肥しは、複雑なネットワークを
構成することになるわけですが、最終的に表出する行動に対して
推進方向と抑制方向の両方が働いていることが通常ですよね。
肥しが多ければ多いほど、それぞれの方向に対して影響を与える要素が
多いわけです。その要素の情報処理量と相対的に拮抗する割合が
高いほど、アウトプットに時間がかかり、また環境要因に影響を受けやすく、
アウトプットが間逆になることもしばしばあると。

そこで、841氏が「わかる」「できる」の判定基準をどう定めるかによって、
トレーニング方法は変わるのではないかと思います。

つまり、全ての肥しをひとつひとつ噛みしめた上で、一定のアウトプットを
個体が常に選択することを理想とするか、肥しというのは
溶解してもとの要素は厳密にはわからなくなるものだとして、
最終的なアウトプットに重きを置くか。
ブラックボックスの構造や機能への興味をどこまで持つかなんでしょうね。

違う側面での問題提議としては、言語を持たない(841氏にはこの意味がわかるはず)
人間以外の動物にとって、「わかる」とはどういうことなのかですよね。
(やっぱりゲンゴロウ君が転回しちゃいますね)

動物のトレーニングに関して私見を述べれば、心理学的あるいは哲学的ではありませんが、
訓練者の千里眼に頼るしか判断基準はないと思いますね。
本当に「わかっているか否か」は、普通の人が見落としてしまう
被訓練者のわずかな反応をどれだけ察知できるかと、その訓練者が定義した(無意識でも)
「わかっている」状態にどれだけ近いかになるのではないでしょうか。
182わんにゃん@名無しさん:2005/05/04(水) 22:17:41 ID:DlAX+7Kg
 簡略化、のほうはよく判るし、従来から扱われてきているべ。
 自動車教習所、たとえば左折、ウインカー、ブレーキ、クラッチ、
シフトダウン、バックミラー、サイドミラー・・・
 最初はそれぞれをやるのに目一杯、ひとつずつしかできない。
 それが、それぞれもなめらかに、いわば、半分無意識にできるようになり、
と同時に重複してできるようになる・・・
 
 しかしですな、それと、限界状況でクルマ全体の姿勢を
「全体として了解」するのと同じであるとは私には思えんわけです。むろん、
そこへ至る習熟過程においては要素技術の反復練習であったり、はある。
けれどそれだけか? 

 言語にしても、ヒトでも、「後追いで問われたら」説明できるわけだけど、
やってる最中に「言語化」しているかどうか。そのときにはなぜそうすべき
かは自覚できなかったんだけど・・・というのも多い気がする。

 転回にいっちゃうと終わりなんでその手前で少しあがいてみると、
ヒトという種の認知能力・認知方式の都合として、「わかる」
(つもりになる)はあり、
同じく、(ある程度)分類学的にまた行動パターンが近い動物については
「わかっているかどうか」「わかった」「気になる」もあるかと。

この部分は、ガチガチの理系的アプローチでも手続きと例数さえ取れれば
「何かが言える」かと。
というか、もう少し「明白な」(と多くのヒトが感じる)ものだと、
「感知器としてのヒトのバイアス」は無検証で論文になっている現状
がある。
 その差は、ロジカルなものでなく習慣的なものにすぎない気がして、
であれば、「どちらも自覚的に再検討」することによって
狭義の科学の俎上にも載せられるんでないかと。

たとえば、某水族館のリニューアルオープンだっていうんで、あちこちから
大勢が見に行く。その館のトレーニングのローカルルール知らなくても、
別の席で見ていても、感想を述べ合うと、余裕でうまくいった種目、
ギリギリだった種目、失敗した種目(ショーとしてはMCがごまかすこと
多し)、動物が先回りした種目、なんかについて「わかってる連中」だと
一致するわけですよ。
手続き的にはダブルブラインドとかしてないけど、まあそうした検証に
耐え得る気がする。特別な千里眼までいかんでも、目の付け所さえ
知ってれば、特にセンス欠如してなきゃ瞭然と。

そのへんにね、職人芸名人芸を一般化する手がかりがありそうな。
183859:2005/05/05(木) 00:57:30 ID:RAvoe3fl
>しかしですな、それと、限界状況でクルマ全体の姿勢を
>「全体として了解」するのと同じであるとは私には思えんわけです。むろん、
>そこへ至る習熟過程においては要素技術の反復練習であったり、はある。
>けれどそれだけか? 

反復練習が大きいと思いますよ。私は趣味でジムカーナをやっているのですが、
はじめた頃は、トップドライバーの車の運転は神か頭がおかしいのかどちらかだと
だと思っていました(爆)
いずれにしても自分とは全く異なる操作をとんでもない速さでやっているのだと勘違いしていました。
しかし、実はうまくて早いドライバーの操作は基本動作の積み重ねで、
驚くほど繊細かつ丁寧であることを今は身を持って分かります。
ドライビングは行動連鎖であるわけですが、その連鎖のひとつひとつの行動を
いかに反復練習するかですね。そして反復練習の中で、自然にセンサーが備わってきます。
正確な行動には行動連鎖を司る弁別刺激をいかに正確に捉える必要があります。
それには刻々と変化する環境に対し、シーケンシャルではなくフィードバック制御ができる
センサーが必要ですね。そのセンサーの良し悪しが、コントロールの鍵だと思います。
そして、そのセンサーを鍛えるのは、繰り返しの失敗からなのだと思いますよ。

>そのときにはなぜそうすべきかは自覚できなかったんだけど・・・

↑これこそ「言語化」ですよ。「無意識に」というのも言語化ですね。
つまり、710氏の得意とする現象学的に考えてみると、今この瞬間起こっている
事象とか現象が純粋なものだとして、それを感じて分かろうとした時点で
人は言語化から逃れられないわけです。
841氏だって、「転回にいっちゃうと終わりなんでその手前で少しあがいてみても」
しょせんはゲンゴロウから逃れられなくなることはご存知の筈ですよね。
100年も哲学者がさんざん悩んでも答えを出せないのですから。。。
184859:2005/05/05(木) 00:58:32 ID:RAvoe3fl
水族館の例は、やっぱり観察可能な行動によって分かるのだと思いますよ。
前スレの流れから思いますが、710氏も841氏もおやつで躾られた犬と
そうでない犬は、ダブルブラインドでも見分けられると思います。
例えハンドラーの手ばっかり見ているとか分かりやすい行動がなくても、
その醸し出す雰囲気がありますね。でもその雰囲気をセンサーが捉えるのは
普通の人が見落としているかもしれない何らかの犬の動き(行動)である筈です。
競技会でも、ものすごく意欲的に動いていて、一般の人が感心するような
動きをする子でも、強い罰を与えられた経験がある子はすぐ分かりますよね。
教える行動によって、どちらの雰囲気が好ましいかというのもありますし、
誉めるだけでも叱るだけでも確かな行動は形成されないので、そのバランスを
どのくらいの比率にしたら、自分の好みの雰囲気になるというのも
841氏なら経験上推測できると思います。
私が千里眼と言ったのは、優れた訓練者とは被訓練者の些細な動きを
敏感に察知し、理論的なのか経験的なのかは訓練者によりますが、
どうすれば、自分の好みのバランスに修正できるか知っていて、
そのチューニングを的確に行えるスキルとそれを感じるセンサーを
有しているという意味でそう表現してみました。

841氏が再三指摘するトレーナートレーニーの関係で考えると、
841氏は訓練者が自分で、被訓練者が動物であれば、何ら悩みはない、
あるいは少ないと思います。厄介なのは、被訓練者が動物とその飼主のペア
である場合ですね。飼主さんは841氏と同じセンサー、同じスキルは当然持ち合わせていない。
ここで、どう教えたらよいかと考えると、迷宮の入口ですよね。
なので、共有できる理論や手法、そしてそれらを統合するフレームが欲しくなる。
言い換えると、841氏の個別事象を共有概念化するツールが必要になる。
そのツールのひとつとしてエソロジーは大変有効だし、心理学も有効ですよね。
しかし、それらを統合できるフレームは何かと言えば、????となる。
そして、しょうがないので自分自身がベースフレームになるしかない。
すると、相手に個別事象を正確に伝えられないジレンマに再び悩まされるわけです。
勝手な推測をしてしまいましたが、そのへんはどう処理されているのでしょうか?
185わんにゃん@名無しさん:2005/05/06(金) 13:03:27 ID:chGiOLcJ
 反復練習が大きい、のには同意。
 でもしつこく問う、「それだけだろうか?」
 フィードバック回路、よく判る。だが、個別のループを乱立させていたら
(肉体の速度はおくとしても)処理がパンクする。代表する少数パラメータ
を立てたら精度が落ちる。
クルマだったら、3軸の角度と角速度、4輪の位置と重心位置およびその
配分で運動自体は記述できるはずだが、各パラメータは独立ではなく、
独立にコントロールできるわけでもなく。

 相似形だな。考察する際の枠組みにおいても統合する枠組みの不在が
問題であるし、個別の最適制御問題を考える場合も。
 で、哲学的なアプローチとともに、個別の最適制御においても
統合枠組みを探れないかと。
 イヌ見ていて、「あ、わかってらっしゃる」って感じ、あるやんか。
 マイクよりはたいぶレベルが落ちるが、子供の時に飼っていたイヌを
川に連れて行ったことがある。川を挟んで二手に分かれて、片方で
呼んで泳がせようと。
 イヌには初めていった場所、初のシチュエーション。
 呼ぶ、行こうとするから放す。
 イヌはどうしたか。・・・橋を渡って行きました。
 あるいはケーラーのチンパンジーの「洞察」ね。
186わんにゃん@名無しさん:2005/05/06(金) 13:24:38 ID:chGiOLcJ
 千里眼、中身了解。
 いくつかの思いが派生するな。

 ひとつはセンス。たぶん正規分布するのを日常的には段階として
扱っているわけだが、いずれにせよ、
先行トレーナー→未熟トレーナーの知識伝達上の一大難点ですな。
先行トレーナーと同じだけの反復を積んでもアカンという。

もひとつは、訓練と実践。
ワタシャ馬乗りでした。選手としては四流以下だったんで、
オリンピックに出るようなトップライダーを尊敬してる。
けれど、他方、真剣勝負といったって、「ゴッコ」にすぎん、とも
思う。
「弾の雨降る濁流を おまえ頼りに乗り切って 
 務め果たしたあの時は 泣いて馬秣を食わしたぞ」(愛馬進軍歌)
に比べれば。
イヌでも同じであって、確かに、「訓練」において悩むことはまず
ない。なくなった。悩むとすれば、やりたいことが物理的事情その他
でできない場合だな。そこには、「この問題には適切な方略は
存在し得ない」というアキラメもあるわけだが。
が、実践だと、そうはいかん。なぜなら、「おまえ頼りに」する、
のが実践だから。
イヌを信じ、ウマを信じる、そこに使役者の大切な何かを委ねる。
使役者のハンドリングから離れたところでの動物の判断に
依存することになる。しかもそのシチュそれ自体は自然に訓練して
反復練習させておくことが不可能である。要素は練習させられる
けどね。

自省的な言説は自分でも信じていないからました他人に信じて
もらおうとは思わないんだけれど、「コイツは信じられる」と
思うとき、感じるとき、信じるとき、本当に、「言語化から逃れ
られていない」のだろうかと疑問なわけ。
逆にいえば、そのときには非言語的に感じている、なのに、
誰かに説明する際には言語化しなくてはならないというギャップ
がイヤンだなあと。
187841 書き忘れてた:2005/05/06(金) 13:35:46 ID:chGiOLcJ
 言語化にしてもひとつじゃあるまい。
 しばらく非母語で暮らしていると、母語も出にくくなる。
 母語同士でも、長時間文章を書き続けた後では、喋りにくくなる。
 言語はひとつのハブではあろうけど、それ以外のハブがないとも
思えない。
 数式の意味が「わかる」、自転車の補助輪がとれる、水泳で
息継ぎができるようになる・・・
 いずれも反復は必要条件である。しかし、試行数を多くして
いっても充分条件となり得るとは限らない。
 何か一味がいるんじゃなかろうか・・・?
188841 :2005/05/06(金) 13:42:41 ID:chGiOLcJ
 直接関係するかはともかく、マイク。
 ライバルの英セと競争する。

 (英セは)どんな命令にも即座に反応するのだが、訓練士を見る
犬の目のなかに、なんとなくだが確かに見て取れる気配だけが、
ダニーにはせめてもの希望の綱だった。この犬の訓練は、少なくとも
その一部は力で押し付けられている。

 やがてマイクが急にスピードを上げて、イチヤク草の草むらに
むかった。これこそ赤い仔犬が自分で鳥の習性を覚えこんだからこそ
できることで、こうしたことは辛い目にあい、誤りを重ねたあげく
自分で覚えこんだものだった。

 反復は要る。
 けれど、させられた反復とやりたがった反復は結果において
違うだろう。同時に、反復しているときのイヌの心の中の様相も
違うだろう。
 「わかる」の電撃を用意するかもしれないひとつはそこにないか? 
189859:2005/05/09(月) 05:25:54 ID:lzbfFP0l
>でもしつこく問う、「それだけだろうか?」

うーん、どこに話を持って行かせたいのでしょう?

まず、マイクの話でマイクの分かっているというのはどんな感じなのですか?
まずはそこから聞きたいな。私には話しの前提がわからないので。。。

>イヌには初めていった場所、初のシチュエーション。
>呼ぶ、行こうとするから放す。
>イヌはどうしたか。・・・橋を渡って行きました。

うーむ、シチュエーションは初めてでも、過去の学習の応用と考えることもでいるし。

>ケーラーのチンパンジーの「洞察」

洞察も色々な経験の反復と積み重ねによって出来るようになるんじゃないかなと。

もう少し具体的に論点整理をして頂けるとありがたいです。
190841:2005/05/09(月) 23:40:37 ID:lNsml4pD
 前提と言われても一冊丸ごと書き写すわけにはいかないし、例は例に
すぎないので・・・

 つまりですね、動物を見ていて、リクツが判っているなあ、と思える
ことがあるわけです。
 何かをやった。同じことの反復練習歴があった。これは簡単。
 何かをやった。似たことの・・・少し微妙。
 何かをやった。似たこともない・・・ううむ。

 橋を渡ったイヌ。障害物を迂回した経験はあった、ただし反復って
ほど経験数は多くないはず。「その橋」に限らず橋を迂回路に使った経験は
ナシ。橋の付け根は汀線より下がっていますから、柵の横を回り込むのと
同じでもなかろうと。
 すると、応用するにあたって、(語法として正しいかはやや自信ないし、
言語的に考えたともいいませんが) 「一段階、抽象化した」のでは
ないか・・・

 ケーラーのナミチンも、箱に乗ってバナナを取る経験はあった。けれど、
ヒトの手を引いてバナナの下に導いてそのヒトをよじ登って・・・という
経験はない。
 仕方ないので言語的に表現しますが、
「このヒトの高さはこのぐらい、天井の高さはこのぐらい、上に登れば
届く!」というヒラメキを想定したくなるわけですよ。ヒラメキにも、
「色々な経験」が必要なのはむろん。
 けれど、他方、「何度も経験したことしかできない」こと、動物、
も多いわけです。
 どのぐらい似た経験があれば足るのか・・・というのは、連続量を
ぶった切ることであって、動物の把握と観察者の把握のズレその他
微妙なところではありますが、観察者から相当に「新奇」な課題を、
試行錯誤の後に(偶然に見えるように)正解にたどり着く場合と、
(時間の長短はともあれ)「沈思黙考」の後に一発正解とか、
試行錯誤するにしても「あれこれ試す」のではなく、「筋道だって考えて
から試す」ように見える場合、とがあるだろうと。

 ハンドリングに乗ってくれればいい、というシチュであれば、考えるのは
ヒトですみます。そういう意味で、「経験したことのある」状況のみである。
逆にそれを逸脱するのは、トレーナーの状況設定のミスである。
 けれど、ヒトが動物の判断力に依存するとなるとそれ以上を求めたく
なる・・・

 トレーナーの経験則としては、対象全個体ではないといった歩留まりの
悪さはあるものの(「猟師一代犬一匹」とか)、それを為しえた、と
思えることはあるわけです。
 その確率を上げ、かつ、他者のにやり方を説明することはできないもの
だろうか・・・

 としたら少しは伝わるかしらん?
191わんにゃん@名無しさん:2005/05/10(火) 00:18:06 ID:8O5vP14x
馬鹿はこのスレに来ちゃいけないんですか?
はい、そうですか・・・解りました。
192859:2005/05/10(火) 23:43:07 ID:GlwQLit+
概念形成より少し前の段階の「創造力」と表される部分ですね?
「これこれこうだからこうなんだろうな」よりさらに前段階の
「こうやってみたらうまくいくかも」という感じと、
さらに「ひらめき的」要素が強い、「あ!こうしてみよ!」という感じ。

創造力を働かすということは、その前段の抽象概念が分かっていて、
教えたことないのにこんなこともひらめいちゃうんだ、こいつなかなかやるなって
感じさせる行動を指しているのかなと思いました。
一方、創造力に頼る部分が上の例よりは少なくて、
「えーと、これはこーだから・・・、あっ、こーすればいいかも」という感じは
「筋道だって考えてから試すように見える場合」なんでしょうかね?

841氏が望んでいる論点と合致するか分かりませんが、
SSTプログラムに、訓練者が何も指示を与えず、表出する自発行動を何でも強化し、
一定のオペラント水準に達して、その行動を繰り返すようになったら
消去試行に移行し、他のオペラント行動の自発を待ち、再び同じように
一定水準に達すると消去することを繰り返すトレーニングがあります。
これは、弁別訓練(指示に従いその指示と対となる行動を選択した場合だけを強化する)
と平行して行われるのですが、フリーオペラントとかフリーシェイピングと呼ばれる
訓練手法があります。これを「創造力」の育成と呼ぶにはいささか問題がありますが、
これらの訓練プログラムを受けた被験者は、確かに「ひらめき」と感じさせる行動や、
「思慮深く洞察している」ように見える行動、また、「忍耐強く」課題に取り組む
姿勢が感じられるようになります。

フリーオペラント訓練の割合が多いと、課題に対して勝手な行動
(訓練者が望んでいる行動ではなく、被験者が選択した行動)を取る傾向があり、
一方、弁別訓練の割合が多いと、困難な課題や応用力を要求される課題に対し、
集中力の低下や拒否行動、逃避が多くなる傾向が見られます。
SSTプログラムでは、専門的なチェックリストがあって、バランスが取れているか
判断していますが、動物の訓練にも応用できそうな気がしています。
193859:2005/05/10(火) 23:56:29 ID:GlwQLit+
>>191

過疎スレとは言え、841氏と710氏以外の書き込みに対して
レスする気がないということはありません。
>180氏の意見に対しても、私としてはお答えできないので
遠慮しています。「本能」とは何ぞやという設問は私には専門外です(汗)
841氏にお願いしたいトピックです。前段階だけで大変そうだけど。。

194わんにゃん@名無しさん:2005/05/11(水) 00:09:20 ID:DdFFxQXV
今は大雑把に言うと「わかるってどゆこと?」って話?
で、「わかる」ってところに行くまでのプロセスはどんなの?って話?
195841:2005/05/11(水) 22:40:14 ID:Ul5978XK
 本能か・・・なるべく簡単に。
 
 生まれつき(=生まれた後の経験を必要としない)ある動物が持っている
傾向、というぐらいかな。
 ただし、特定個体だけに顕著な傾向はそうはいわないわけで、ある程度の
血縁集団が単位になる。種とか、亜種とか、個体群とか・・・
 品種あるいは系統の場合、「その品種の本能」といって言えないことは
ないけれど、性質とか、特徴とかいうことが多い。
例1 イヌは逃げるものを見ると追いかけようとする本能を持っているが、
   視覚ハウンドにおいてその本能は強い。

 むろん、生まれつき・・・といっても、本能だけで一生が完結するという
ものではない。皆無かは議論があるだろうけれど、事実上、野生においては
後天的な学習の余地がほとんどない動物の場合、わざわざ本能とは
いわないで、反射といったり、走性といったりすることが多い。暗に
「それ以外もあるよ」というときに本能という感じ。
196841:2005/05/11(水) 23:08:07 ID:Ul5978XK
 品種、系統、それらを裏打ちするものとしての血統、から見ると、
そういったものの影響はたしかにある。ただし、「種」に比べて、
孤立性・独立性ははるかに低い。
 品種改良で出来るのは、「ある形質(形態でも行動でもいい)が表現型と
して表れる確率を高める/低める」程度である。
 選択過程に(遺伝病を含む広義の)突然変異が関与するとある程度
決定的になっていくが、それにも限界が。事実上、「本能を作る」ことは
できない。
 たとえば、ポイントの原型はすべてのイヌに、オオカミにあるし、食肉目
の種の相当多くにある。
「獲物に忍び寄っている途中で、獲物が見えなくなり、音も聞こえなく
なったら立ち止まる」という本能があり、その立ち止まる方法の中に、
「その瞬間浮いている足を下ろさない」がある。
 これを元に「(野生時の一連の捕食行動と異なり)その後飛び掛らない」
「対象を主としてキジ科猟鳥に限る」というアレンジを施したものが
ポインティングドッグのポイント。その過程には2仮説があり、単純な
(連続的な)選択による、または、脳の神経系の異常を利用したものと
考えられている。
 作り出したのでなくアレンジに過ぎない、というのは、止まらない
ポインティングドツグもあるし、目的外の対象にポイントする
ポインティングドッグもあるから。
197841:2005/05/11(水) 23:18:31 ID:Ul5978XK
 なお、最近は、専門領域では本能という言葉はあまり使わない。
 ひとつには、しつこく繰り返されてきた
「氏(本能、遺伝etc)か育ち(学習、環境、教育etc)か」
論争にみんないいかげんうんざりしてきていて、また同時に、
この行動のどの部分は生まれつきで、どの部分は経験による、
というのを細かく調べることができるようになってきたため。
 生得的に○×という傾向を持つ・・・みたいな表現が多い。

 いまひとつ、日本においては、1970年代〜に、社会学関係で、
たとえば岸田秀が「人間は本能が壊れた動物である」といった
表現を使用したことと絡む。循環論的になるけど、本能は壊れて
もらっては困るわけ。壊れない(作れもしない)のが本能だから。
岸田の言わんとする指摘の適否はともかく・・・
 で、本能は、それが成立したころの環境をベースにしているから、
環境で自動的に決まる部分については決めていなかったりする。
と、環境の変化に本能の変化は必ず遅れる。環境の変化の度合いが
大きいと、そこではその本能はうまく働かない。壊れて見えるが、
本能が壊れたわけでなく、ミスマッチな条件に放り込んだがゆえの
きしみである、と。win機にmac版のソフト入れても動かない
みたいな。
198841:2005/05/11(水) 23:24:35 ID:Ul5978XK
 こうした語感の問題、日本語以外でもあるらしい。
 詳しくは知らない。というのはドイツ語が絡むからで、ワタシャ
具体的記述的な論文を辞書片手に読むのが精一杯なんで、あの、
単語が際限なく長くなっていく、語義語感にウルサイ言葉で、
ニュアンスまで追いながら思索的な長文は読めませんです。
 ただ、言語を生み出す本能は現代も Instinct だったりは
するなあとぼんやり眺めるのみ。
199841:2005/05/12(木) 00:03:05 ID:Ul5978XK
>194
 そのとおりです。
 ただ、859氏も私も、結論が出ないことは判ってます。
 チューリングマシンとか、その反証としての「中国語の部屋」とか、
心脳問題とか・・・世界の知性が結論見出せていないわけで。
 だから私は、「最後にはゲンゴローが転回する(言語学的転回、ね。)のは判ってるけど、その手前までやってみないか?」と
いい、859氏は「すごい燃料」と。
 たとえば、数学、まあ、分数とかでいいわけですが、
教えてもらってその概念に触れる、規則を参照しながら
規則通り計算できるようになる、規則はすっかり覚えてちゃっちゃと
計算できるようになる、簡単な計算なら考えるまでもなくなる、
割り切れないものもふくめてどういうことかわかる(←わかるとは
何かについて書いているのに、ここで「わかる」という言葉を
使わざるを得ないところが限界名わけ)、いろいろです。
 別に計算に限ったことではなくて、文法なぞでもいいし、
体を使うものでも一緒。意味も理屈も「わかってない」けれど、
反復練習で使えるようになる、と、意味や理屈が「わかる」とは違う
だろうな、と。「わかる」にしても、相対論解説書読んで
そのときだけ「わかった(つもりになる)」のと、他人に説明できる
のとも違うし、「わかって」いるからといって、実際に計算できる
とも限らない・・・
200841:2005/05/12(木) 00:47:06 ID:sBPU95JZ
 で、元へ戻りますが、>859氏。

 「創造力」は了解。そこのヒラメキ(電撃、ハハア体験、
なんでもいいけれど)をどう捉えられるだろうか? なわけです。
 少し幅が狭くなってもいいから認知的にどうよ? ですね。

 ただ、フリーオペラントはちょっと違うかなーと。
 一番プリミティブなのを考えると、ウマが退屈のあまり熊癖覚える、
サク癖覚える。それ以外のことやったら強化する。また次に新規の
ことやったら・・・
 新規のこと、を一生懸命考えるようになるだろう、そこは一段
抽象的であろう、は同意。けれど、流行の本(読む気はしませんが)
のタイトルから借りるなら、そこには文脈力がない。ないというと
ヘンか。きわめて不自然な文脈におかれている。
 そうではなくて、もう少し自然で、要素行動のドミノ倒し(単線
とは限らず迂回する伏線もあり)が起こりやすく、リッチで、という
ことは無関係な刺激は無視するという選択的注意があって、
それらが統合されて、その文脈上で大きな意味を持つ・・・といった
判り方・・・のつもりです。

 ヒツジの群を夏の放牧地から冬キャンプに移動させる。一部が
散って、声も届かない丘の向こうにイヌさんが探しにいく。
 主集団は移動していく。冬営地もそこへのルートも去年と同じとは
限らない。つか去年のルートを覚えているものかも判らない。
 何頭のヒツジがはぐれたのか、いくつの小グループになっている
のかもわからない・・・
 これは、山の向こうから「獲物を連れてくる」ような猟犬も同じ
ですな。

 あるいは、同じくヒツジの群を守っているガードドッグ。ヒツジ
泥棒は攻撃しなくちゃいけない。旅人は攻撃しちゃいけない。
 指示をくれる人間はいない・・・

 こういうときに何が生じているのだろう、それを教える方法は、
その教え方をヒト間で伝達する方法は・・・?

201859:2005/05/12(木) 01:33:20 ID:S7I3nEi7
841氏、もー、また無茶なお題を(爆)。
「少し幅が狭くなってもいいから」ということですが、
「かなり幅が狭くなってもいいよね」ってことでご勘弁を(汗)。

難題に対して、微力ながら私なりに論理展開を考えてみたのですが、
前段が噛み合わないとよからぬ方向へ行きそうなので、以下確認させて下さい

まず、文脈上(その文脈が偽であっても)「大きな意味を持つ・・・といった判り方」
というのは、「メタ認知」の領域の話に思えるのですが、表象で認知していることを認知する、
(正確な表現ではないですが自覚する)レベルのことを指しているのですか?
これは、必ずしも文脈の真偽や文脈の示す「意味合い」の合理性とは関係なく、
「何かが今ひらめいた。それが何かは説明出来ないけど、確かに何かを感じた(自覚した)」
という次元も含めてという意味なのですが。

次に、841氏は概論で結構なんですが、以下の認知理論をご存知でしょうか?
1.「Herrnssteinの自然概念形成理論とマッチング理論(選択行動理論)」
2.「Schmidtのスキーマ理論」

最後に、対象動物はイヌでよろしかったでしょうか?もしOKであれば、
犬にメタ認知があるかないか、どちらの前提にしましょうか?
(学説はご存知だと思いますが、あくまでここでの前提でかまいません)

以上宜しくお願いします。
202841:2005/05/13(金) 23:59:43 ID:rY2/ud/h
 エゲツない燃料ですけどさ、指示通り動くロボットが欲しいだけ
ならともかく、その先となるとどうしたって・・・

 材料はイヌは結構です。愛馬進軍歌を持ち出したのは、ヒトの使役動物に
対する依存の激しい一例として、なので。

 メタ認知。
 そここそがご意見を聞きたいところかも。
 
 真か偽かと絡めていえば、たとえば、光秀にとっての本能寺襲撃は合理的
であった、とする立場です。彼(または彼女)のおかれていた状況から
して選ばざるを得なかった目的の是非は問うてもしかたないですし、結果
が三日天下に終わったのも仕方ない範囲。下克上を狙うという「文脈」は、
後知恵でなければ充分に合理的ですし、そのためにもっとも手薄な本能寺を
選ぶのも合理的です。結果、信長を殺せたわけですが、仮に信長が脱出に
成功していても、合理的であったろうと。
 あるいは、風水をもとに四神相応の地として平安京を作った、も合理的な
範疇に。当時の最新の科学技術に照らせば合理的ですから。

 それら合理性を自覚しているかは問いません。多少の過誤も問題と
しません。火事から逃げるのに、ドアと思って行ったけど、カギが
かかってる、じゃあマドだ、は、文脈を「判って」いるうちだとしたく。
 ミソは「じゃあ」マドだのところですね。ランダムに試行錯誤するの
ではなく、合目的的なところ。

 ただのヒラメキは微妙なところ。
 これはメタ認知(むしろ意識の閾値か)と絡みますが・・・
 それが(彼または彼女のおかれていた状況、得られていた情報に照らして)
合理的なら可、という感じ。ジンクス(の元になるような)ヒラメキは
不可、でどうでしょう。
203841:2005/05/14(土) 00:25:50 ID:OjhxCR+K
 いずれも復習・確認およびROMのかたへのサービスかねて。
 859氏、看過できない誤りあれば本論前に訂正してやってください。

1の前段
 前提 通常の弁別訓練では、紛れない、対照的な(と実験者が
期待する)ふたつの刺激に対して訓練してみて結果を見るが、
概念ないしカテゴリーについては、ある共通項を持つ複数の刺激の
グループとそうでないグループとで実験する。
 これを、自然物が含まれるか否かについて実験してみると、共通項
にはその共通項自身(これ自体は共通の特徴を持たない)しか
含まれないのにもわわからず学習は成立し、それどころか、訓練に
用いなかった新規の(しかし共通項を含む/含まない)刺激に
正しく反応した。さらに、実験では2次元の映像を示したが、それは
3次元の物体の表象として解されているようである。

1 後段
 動物は、獲得しうる報酬を最大化できるように注意や労力を
振り分ける。
 
 ・・・この変形が生態学でよく出てきます。マッチングの実験と
異なり、刺激に対する反応のコストが違う場合ですが、たとえば
 シジュウカラ(アオガラだったかな)は、狩りの際、その時の
探索像を持つ。クモの卵をイメージしていれば、クモの卵が
ありそうな隙間がある場所に集中し、かつ、クモの卵ばかり探す。
容易に取れるところにいる青虫には、気づかないのか、無視する
のか、捕食しないことが多い。
 どこで何を探すのかは、群のサイズや構成、およびその種だけの
群れか、カラ類混群かによって使い分けられる・・・

2 身体制御においては、ある程度の(回数・バラエティはともかく)経験があると、外からの情報を待たずして、特定のトライが
成功であったかなかったかが自覚されうる。びみょ〜な場合でなく、
完全にうまく行った(or行かなかった)場合には、フリーキックを
蹴った瞬間、ホームランを打った瞬間に、「入った」と判るがごとく。
 反力がかえってくるはずがない射撃に手ごたえがあるがごとく。
204わんにゃん@名無しさん:2005/05/17(火) 13:33:53 ID:vy07EChH
スレタイ見てマターリ進行かとのぞきましたが
およびでない雰囲気ですね。とほほほ
205わんにゃん@名無しさん:2005/05/30(月) 14:59:13 ID:qYCR3Gii
保守
206841:2005/05/30(月) 22:52:52 ID:Taed9+gJ
>204
 荒れてない、カキコの間隔が空く、っつー意味ではマターリなんだが。
 ありがたい205のように保守してくださる向きもあるしさ。
207859:2005/06/10(金) 03:06:59 ID:NLgwc8RA
急な出張が入ってしまい、ご無沙汰してしまいました。

841氏が問題にしている点は、メタ認知過程とは違うところのようです。

>ミソは「じゃあ」マドだのところですね。ランダムに試行錯誤するの
>ではなく、合目的的なところ

まず、ここで整理しなくてはいけない点として、個体にとって「合目的的」でも
観察者からは「合目的的」に見えない行動がある点です。また、

>ジンクス(の元になるような)ヒラメキは不可

とありますが、FTSで迷信行動を意図的に実験する場合を考えてみて下さい。
どの行動が形成されるかは強化子の提示タイミングに「たまたま自発した」行動
ですが、初期段階では個体にとって「合目的的」ではないでしょう。
しかし、これが「ジンクス」と認知される頃には個体にとって「合目的的」行動と言えます。
これをジンクスだと認知しながら自分を客観視するならメタ認知となりますが。。。

合理性を自覚しているかは問わず、合目的的である行動としてしまうと、
ランダムに試行錯誤する行動も、目的を達成する為の合目的的行動と考えられます。
あるいは、正解(その個体にとっての)を模索する目的において合理的とも言えます。

行動的に言えば「オペラント水準」、認知的に言えば「長期記憶」から「作業記憶」への
コールバックの話ですね。そちらの方の話で進めてよいのでしょうか?
多分、841氏が望んでいるのはそういうことではない気がして。。。

逆に質問させて下さい。

放射状迷路実験で、例えば16本迷路があるとします。ラットは時計回りとか
反時計回りとか「合理的」な検索はしませんが、一度入った路にはまず入りません。
観察者側から見れば、ランダムに検索しているように見えます。
このようなラットの行動は841氏の規定によるとどのような行動となるのでしょうか。
合目的的?合理的?ヒラメキ?
208841:2005/06/14(火) 21:58:30 ID:mf6UKR8J
んと。
オペラントからは一度離れたいです。
ジンクスをそう認知するメタ認知もとりあえずおいておいて(有無は
ペンディング)くださいな。
ランダムが結果として合目的的である場合「も」あるのは否定しません。
つか、ベースはそれでしょう。ランダムの幅、ないし範囲が別の要因に
よって狭められているから「真の」ランダムより効率的なだけで。

どういうのがいいかな。
メタ認知の有無に関わらず、「正解がわかっている」ようにある一連の行動
を取り、結果として成功する(ないし失敗する場合も当初の判断自体は
正解であったように見える)ケースをどう解釈しようか、なわけです。
そこには、過去の行動の記憶の断片も関与しているでしょうし、
「過去の行動の記憶を使ってうまく振る舞えた」ことの記憶も関与している
かもしれません。一部にはランダム試行むも含まれるかもれません。
ただ、いま問いたいのは、それらの材料を「うまく組み合わせる」ように
見えることがある。「組み合わせ」は(ヒトでさえ、実験条件の統制に
悩むように)「可能性の数」が膨大になるわけで、組み合わせそれ自体が
ランダムだと、各段の選択がすべてランダムな場合の正解率は現実には
無意味なほど低くなってしまうだろう。どこかに、「グランドデザイン」
があると仮定するほうがよいのではなかろうか。複雑な状況に対処した
結果が生存や子孫維持に大きく影響する種の場合、そうした「グランド
デザイン」イメージを持つことが有利であるので、それを持ち得るだろう。

 というマクロな視点を、認知的に、ややミクロに説明できないもの
だろうか・・・なわけです。
 記憶に着目するのなら、全体に対するあるイメージを短期的に保持しつつ、
長期記憶のネタを引っ張り出してきてそこに当てはめるといった、
「複数のイメージの平行処理」ですな。ある瞬間を見ればどれかひとつの
イメージにアタマは占領されているのかもしれませんが、何かひとつを
考えたら前のことを忘れちゃうわけではない、と。しかもその
「忘れられない」ネタが、実体験の長期記憶でなく、「グランドデザイン」
のような、内的に作られたイメージである、と。

ラット。
時計回り・・・のような規則性を「2度同じ路に入らない」指標するのは、
ヒトにとつてはそういう世界認識のほうがラクだ、でしょうし、だから
ヒトにとって「合理的」に見える。
けれど、てめえの足跡の臭いが明々白々にわかるのなら、時計回り・・・
のような規則の記憶にコストを投じるのはむしろ合理的ではないでしょう?
「探索済み」のチェックマークついてるんだもん。
209859:2005/06/15(水) 03:01:34 ID:vUs4j3DC
「グランドデザインイメージを持つ」ということは、
ある程度「意図的」「随意的」であると言えますね。
確信の度合いは低くても、めちゃくちゃにやってみるよりは
目的の為に確率が高い(現実にはそうでなくても少なくても個体的には)との
認知がある状態と考えられます。

まず、生得的な選択行動ですが、回避反応を例に取ると、
外敵からの攻撃に対し、留まる(静的)と逃げる(動的)のどちらを取るかは
種によって様様ですよね。第1選択行動としてどちらが強い準備性があるかに
大きく影響します。しかし、学習性の回避反応では個体の過去の強化履歴に
強く左右される傾向があります。(もちろん生物的制約で準備性が崩れない場合もあります)
これらは、種にあらかじめプログラムされた「グランドデザイン」なのでしょう。

841氏が興味を持っているのは、上述の生得的機構ではなくて、準備性+学習性の結果として
個体が示すより洗練された選択行動なのでないのでしょうか?
つまり、課題解決により複雑な判断を要求される場面で見られる、
合目的的な選択行動なのだと想像します。

そうすると、認知では「画像概念」ではなくて「抽象概念」の研究トピックが
面白いと思います。もちろん「長期記憶と作業記憶」の概論の上に乗せて
話を進めなくてはいけませんけど。
最近では抽象概念のチャンクとかスキーマチャンクとかいわれる
抽象概念形成と自然概念形成の相関関係等が研究されていますが、
ある程度の理論骨子はあるにせよ、本当の所はまだわからないのが現状です。

841氏の投げかけた設問に完全な科学根拠を示した説明は今のところできませんが、
抽象概念形成過程を知ることで、多少道筋がはっきりするかもしれませんね。
この切り口で話を進めますか?それとももう少し限定していきましょうか?
841氏の議論したいトピックが今ひとつ私にはピンとこないもので。。。
ここで、例を限定してとりあえず話をすすめてみますか。
841氏の子供の頃飼っていた犬が橋を渡ってきた例でどうでしょう?


放射状迷路は足跡の臭いを弁別刺激にしなくても同じ結果になりますよ。
そんな単純なものではなくて。。。認知地図の話と記憶の話。
検索途中で一旦実験を中止して数時間後や数日後にやっても同じです。
また、嗅覚と視覚を麻痺させても同様の実験結果を得られます。
私が言いたいのは、この迷路の先には餌がもうないという認知と記憶を
どのような相関関係で各迷路に当てはめ、どんな思考の結果、
なぜその選択行動をしたのかがその個体の認知過程を示唆することであり、
その選択行動は合目的的?合理的?ヒラメキ?のどの要素が強いと
841氏はお考えになりますかという意味です。
「探索済み」のチェックマークがついてしまうことが変数となる幼稚な実験など、
紛い也にも心理学者であれば行いませんよ(爆)

210841:2005/06/15(水) 23:01:04 ID:+FI/OnpM
ふむふむ。
>課題解決により複雑な判断を要求される場面で見られる、
合目的的な選択行動

>「抽象概念」の研究トピックが面白い

整理さんくすです。ご本人にはピンと来ないのは不徳の限りだけど、
そのセンだと思う。
とりあえず、
>抽象概念形成過程
>犬が橋を渡ってきた例
で概説いただければありがたい。

>「探索済み」のチェックマークがついてしまうことが変数となる幼稚な
実験など、 紛い也にも心理学者であれば行いませんよ(爆)

臭いはモロだったか。でも、言わんとしていることにはあまり影響しない
のです。ハンス他、心理学者に限らず生物学者も含めて、だまされた例は
多いし・・・
嗅覚と視覚を麻痺させ、というあたりで、「ヒトバイアス」をやや疑う。
古典的だけど、脳のホムンクルスありますな。ラットなりマウスなりだと
ヒトと大違いで、つまりは世界認識の重み付けが違うだろうと。
統制された実験条件で、新規物に対する違和感を抱かせずに、
ネズさんにはわかるがヒトにはわからない手がかりを排除するのって
そう簡単ではないんでないかと。
認知地図が見たいという筋はわかりますが。
たぶんね、疑問の根は同じなんです。
統制しようとして、たとえば感覚剥奪条件にする。どの感覚にどれだけ
依存しているか、最終的にはヒトにはわからん。さらに、複数の感覚の
統合となると統制しきれない・・・
かといって、丸ごとを見ようとすると、ヒトの思いこみに引っ張られる・・・
といった縛りはある程度あきらめるとして、でも、その中で、
ある程度以上複雑なプロセスをまだしもうまく説明できる方策は
ないだろうか・・・なわけです。
再びラットでいうのなら、試供個体が「正常」(ほとんどあり得ないで
しょうが)かどうかとか、迷路のデザインが適切かとかいったあたりから
細かく見ていけばいろいろと問題が見いだせるのではないかと。
これまた心理学者をくさしているけではなくて、生物学者もいわば
同罪ですが、中央アジアの草原から、せめてそこらの下水から
捕獲してきたラットを使い、その生息地と合わせた条件にした実験は
ほとんどないでしょ? つまり本来のラットを見ている人はほとんどいない、
でしょう?
メタ認知でなく、長期記憶と作業記憶といっていいのかんはちと
わかりませんが、いわば重層処理は、「統制しきれないほど複雑な
環境、履歴によってしか発現しない」可能性があるんでないかと。
そいつを引き受けてなお大胆に考察してみれば・・・
211859:2005/06/17(金) 07:43:09 ID:7K36E19v
相当長くなる話なので、とりあえず触りから入りたいと思います。

841氏の愛犬が橋を渡った(川を迂回した)行動を選択したのは、
いくつもの概念形成が影響していると考えられます。

841氏のもとへ行くなんらかの動機があって、その目的を達成する
為に、個体は何らかの選択行動を自発することができるわけですが、
一番最短の選択は目の前にある川を突っ切って行くことでしょう。
しかし、個体はその選択をしなかった。それは、個体にとって目の前にある川が
動機を上回る程の障害であったからだと想像できます。

つまり、川を渉ることは何らかの不利益があると個体は概念形成していたの
かもしれないし、川という概念ではなく水は危険だと概念形成していたのかもしれない。
あるいは、普段地面から感じ取る知覚と違うものは警戒すべきであると
感じたのかもしれない。また水に対する視覚や嗅覚刺激がその個体にとって
何らかの危険を感じさせる文脈刺激になっているのかもしれない。

川を渡らなかったことだけを考えても、無限の概念形成が想像できますが、
その中のどれが841氏の愛犬の行動を統制したのか、あるいはいくつもの概念の
組み合わせが統制したのか確かな結論を導くことは不可能です。

さらに、川(水や足先の知覚でもよいのですが)やそれらは画像概念なのか
抽象概念なのか、あるいはその両方なのか、両方の場合、その比率は
どちらが大きいのかも断定することは不可能でしょう。
確かなことは、841氏の愛犬は何らかの概念を発達させ、川に入る選択を
見送った事実だけですよね。
212859:2005/06/17(金) 07:43:31 ID:7K36E19v
ここで想像ですが、生後間もない仔犬に同じ課題を与えたら、
多くの個体が川に入ってしまうかもしれません。841氏は私の愛犬の犬種を
ご存知なので話が早いのですが、彼らは本来水辺が得意な犬種です。
私の愛犬も生後4ヶ月の頃、川に遊びにいったことがあるのですが、
大きな岩場から水を覗き込み、そのまま何の躊躇いもなく川に飛び込みました(爆)。
それ以来、我が家の愛犬は水辺を避けるようになりました。

一方、仔犬でも最初から水を恐がる個体もいます。
生後間もない個体は、多岐にわたる概念形成をしている状態とは
ほど遠いと言えますが、概念形成だけが水を回避する行動の自発手がかりに
なっているわけではないことは明らかです。ただし、日常の様様な体験による
学習(雨に濡れたり、シャンプーされたり、偶然水を入れた容器に足を入れてしまったり、
川とは直接結びつかない些細な水に関する経験も、その個体の概念形成に影響を与え、
いざ始めて川を見たときにも選択行動の要因となり得ます。

おそらく、841氏の愛犬は生得的機構による危険察知と後天的な学習の
両方の影響を受け、動機に拮抗する抑止概念が形成されていたゆえ、
川をそのまま渉る選択を取らなかったと想像します。
確かな根拠データはありませんが、環境に対してより多く、合理的な概念を発達
させている個体(つまり経験豊富というやつです)の方が、生物学的に
リスクの少ない選択行動をするといわれていますね。

川を渡らなかっただけで、こんなに疑問が挙げられるわけですから、
迂回課題(この場合は橋を渉る)を解決した841氏の愛犬の認知は
想像を絶する複雑な要素の組み合わせによって形成されていることが
容易に想像できます。その個々全て、あるいは包括的に841氏が満足できる
説明を私にできる自信がありませんが、次回は迂回課題に関するトピックをご紹介します。
213841:2005/06/20(月) 00:27:49 ID:WT7QmhCD
さんくす。

とりあえずは次回トピックを先に聞きたいけど、ちと先走って。
「無限の概念形成」が想定できるのには完全に同意だし、確実なところは
言い難いのもわかるんだけど、イヌはその場で無限の可能性を
考察してはいないわね。
エキスパートシステムのように場合分けで絞っていく、あるいは
それほど論理的でなく「馴染みのいい」「相性のいい」概念セットのみ
を処理している、といったような(イヤそれ意外にもあると思うが)、
なんらかの、「対象を捨てることによる」「処理の簡略化」がなされて
いるんでないかと。まあフレーム問題だが・・・
イヌにおけるその一般的な傾向、というのは輪郭だけでもわからないもの
だろうか?

静かな水面にたぶんそれを見ずと思わず飛ぶ、というのは昨年死んだ
ウチのイヌ(橋とは別)も若い頃にやりました。もともと水たまりを
避けるぐらいだったのに、何考えていたんだが。
214わんにゃん@名無しさん:2005/06/27(月) 16:24:46 ID:MoKF/MD3
保守
215わんにゃん@名無しさん:2005/07/10(日) 20:20:12 ID:QBJiOPox
保守。
216わんにゃん@名無しさん:2005/07/17(日) 22:02:16 ID:l35v3P7q
保守。
217わんにゃん@名無しさん:2005/07/23(土) 16:20:59 ID:SrNYVyKy
>>841 メールをお送りさせていただいたら帰ってきました。
もしお差し支えなければご連絡くださいませんか。
218710:2005/07/23(土) 17:22:33 ID:SrNYVyKy
↑です。
219841
>710氏

[email protected] を使ってみてください。