飼い主として軽蔑する飼い主

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94わんにゃん@名無しさん
 たくさんの犬と猫が毎日毎日、全国各地で焼かれている。
自由な選択的消費の果ての、戦慄すべき気まぐれがここにある。
 この施設のセ氏八百度から九百度の高熱炉により日々『処理』されている犬たちは、
あえて乾いた理屈でいうならば、市場原理に合わなくなり、
有価物とはみなされなくなったモノたち、すなわち廃棄物と同等の存在なのかもしれない。
 だが、そのように乾いた理屈は、処理の工程を一目見るなり二度とは口にできなくなるであろう。
数分後にガスで殺されることになる犬たちの眼の色の深さは、いかなる理論をも無効にしてしまう。
そして、日々の業務として犬を焼かなくてはならない年老いた職員の、眉間の皺の深さはどうだ。
言葉はほぼ無力なのである。この仕事をして残虐と呼ばわるのなら、
残虐の根っこは消費社会の土中をこそ這いめぐっており、
残虐の芽は飼い主の気まぐれにこそ兆しているとはいえないか。
95わんにゃん@名無しさん:02/02/12 11:43
 この日、私は十六頭の犬たちに心のなかで別れを告げた。
バンダナを首に巻いた中型犬がしきりに私の眼を見つめている。
〈ぼくを捨てた主人はあんたにそっくりなんですよ〉とでもいいたげだ。
ほんとうに不思議なことではある。どの犬もこれからわが身に起きる事態を知っている風情なのだ。
悲嘆にくれる顔もあれば、諦め顔もある。長く尾を引く声で鳴く犬、眼でなにごとか私に訴える犬……。
困ったことに、どれも人の顔に見えてきてしかたがない。
 犬たちをケージから金属ボックスへと押し入れて、ガスを噴射して殺し、
さらに焼却炉へと送って灰にしてしまう一貫式の自動装置がこの国で製造されているとは知らなかった。
金属ボックスのなかの様子は操作室のモニターテレビで見ることとなる。
私は首にバンダナを巻いた犬を眼で追った。
数十秒の苦悶の後、皆が重なるようにうち倒れてしまうものだから、どれがどれか判別できない。
これは、たしかに高性能で怜悧で非情緒的な最新式装置なのだろうけれども、
映像化された犬たちの最期の姿態はなんだかフランシスコ・ゴヤ晩年のエッチングに似て、
おどろおどろしく、この世の終末さえ感じてしまう。
私は犬たちをまたも人に見立ててしまった。
十六頭が処理工程の最後にやっとのことでひとかたまりの灰になったとき、
私はいっそほっとしたことだ。