1 :
ぺこぽん:
手前の大学なのだが掲示板上には悪口にすらまったく名前が出て来ない。
合併で10年後に消滅の噂も耐えないし・・・・・。
大学は金大と京大が牙を剥く戦場にして在野に下れば金医大卒の院長に
こき使われるわれらに、存在価値はあるのか?(って書くと「そんなん
ねえよ」って書かれるンだろなあ)
2 :
名無しさん@おだいじに:2001/05/24(木) 09:34
4時間経ったけどホンとに誰あれも何あんにも書かないな。
潰れても困らない医学部って言うより「潰れても誰も気づかない」って感じだね。
地方小都市の郊外で生まれ育った服胃は、幼稚園の頃から、他所の子と比べ少し早く文字を憶えたり、
算数の計算ができ、近所で評判の「良くできる子」であった。小学校へ進んだ後も、相変わらず成績
はよく、カケッコをやれば1等賞、絵を書けば金賞など勉強以外の面でも、その才能を発揮していた。
中学でも同じく、あらゆる面で他の生徒達の模範とされ、生徒会長を勤める事には「神童」と言う
あだ名が付いていた。当然のごとく、地元で一番の公立の高校へ進学した。
高校進学後も服胃はその神童ぶりを発揮し、定期試験では常にトップであった。
そんな服胃が初めて敗北を味わったのが、2年生の3学期に行われた英数国3教科の
信研模試であった。服胃を抑えてトップに立ったのはHで、2位はT、服胃は校内
3位であった。しかも、あろうことかHとTが成績優秀者として、模試データの冊子
に載っているではないか。もちろん二人とも定期試験でもそこそこの成績をおさめて
おり、トップになっても不思議な事ではなかったが、服胃にとっては初めての屈辱で
あった。
やがて春になり、服胃もいよいよ高校3年生である。田舎の公立高校のため、
文系・理系の選択は高校3年生のクラス編成の直前に行われる。服胃は理数系が
得意であったため迷わず理系ヘ進んだ。先の信研模試トップのHも理系で、2位の
Tは文系ヘ進んだ。模試での惨敗以来、それまで何の悩みもなく天真爛漫に高校
生活を送って来た服胃にちょっとした変化があらわれていた。友人との会話が少
なくなり、放課後は道草もせず帰宅した。また、ぼそぼそと独り言をつぶやく事が
多くなった・・「負けるもんか、、負けるもんか、俺は神童だ」。
6 :
名無しさん@おだいじに:2001/05/24(木) 11:56
死骸スレのコピペですよ
7 :
4=5=6です:2001/05/24(木) 12:00
ってゆっかー
8 :
3=4=5です:2001/05/24(木) 12:04
スマソ!7は誤爆です!
もともと、俺が書いたんだよ!でも、屍骸スレでは続きを書かれちゃって、
出番が無くなっちゃったんだよー。
9 :
名無しさん@おだいじに:2001/05/24(木) 16:48
親切上げ
今日生化学のM先生がキレました。
怖いのでageられない...
11 :
名無しさん@おだいじに:2001/05/26(土) 23:06
エムってだれ?
そんなのおったっけか?
俺のころと変わったのだろうか。