【東大】東大vs慶應vs医科歯科【圧勝】

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267名無しさん@おだいじに


早稲田大学の物理学者大槻義彦教授が、東京大学医学部教授矢作直樹について公式ブログでコメントしています。

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/164071/145455


268名無しさん@おだいじに:2012/04/14(土) 00:36:46.20 ID:???
>>267 矢作教授は 良くも悪くも(?)“超人”でつ^^
http://kimuranobuaki.blogspot.com/2009_10_01_archive.html
雑誌「岳人」に「私も山が好き」というコラムがあり、それに矢作直樹という人が紹介されていた。
昭和31年(1956)生まれ、
昭和56年(1981)金沢大学医学部卒業、
現在東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部教授とあった。
生まれは横浜市だが、中学の頃は町田市にいて、裏山から高尾山まで歩いたという。
そして金沢大学医学部に入学、大学では何故か水泳部に所属している。
しかし山も半端ではなく、彼の言によれば、山には年間200日は入っていたと、
一方で「技術的には自分は絶対に落ちないという自信を持っていて、
そして更に高じて「山登りとは、冬季単独行のことだとしか頭になかった」とも、
でも今では当時は自惚れていたと述懐している。
大学2年の正月には三伏峠から北岳への厳冬期単独縦走、大学3年の正月には光岳から北岳への厳冬期単独縦走、
また大学4年の夏には剱岳八ツ峰の完全フリーソロを、そして翌年3月には、単独で
杓子尾根から白馬岳、鹿島槍ヶ岳、烏帽子岳、槍ヶ岳、南岳西尾根を計画し実行に移したが、
鹿島槍ヶ岳北峰頂上直下で雪庇を踏み抜き、カクネ里まで約1000mも滑落したものの軽傷で、
そこから天狗尾根を登り返して幕営し、翌日大川沢沿いに鹿島まで戻り、信濃大町へ。
ここで必要部品を調達して休息し、行動日の制約もあったことから、鹿島槍ヶ岳と烏帽子岳の間は割愛して、
烏帽子岳以降を再開し、踏破して新穂高温泉に下りたという。
そしてその年の年末、残った鹿島槍ヶ岳と烏帽子岳間をトレースすべく出かけたが、
針ノ木岳でアイゼンが脱げて、針ノ木岳北面の雪壁を100m滑落し、足を傷め下山することに。
「扇沢駅が近くなり、岩小屋沢の方を眺めていると、突然はっきりと『もう山へ来るな』という天の
声?が聞こえ、それは幻聴ではなかった」と。そして彼はそれっきり、キッパリ登山は止めてしまうことに。
彼の述懐では、「当時は全身全霊をこめて、特攻の心意気で山に臨んでいたし、絶対に生還できると確信していた。
今から思うと、何かにとりつかれていて、謙虚さと慎重さを欠いていた。二度の事故で生還できたのは奇跡に近い」と。