古代、中世通しての日本での巨大建築物

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1城壁

西洋のように木造建築物以外の
巨大建築物が古代、中世通して
日本で作られなかった要因はなんですか?
2名無しさんの主張:2001/02/10(土) 16:42
地震
3名無し組:2001/02/10(土) 16:50
要は、気候風土が関係している。

http://www.archi.tohoku.ac.jp/labs-pages/history/intro.html
4名無し組 :2001/02/10(土) 17:27
そういやギリシャって地震多いらしいね。
でも石造りの巨大建造物が。
5名無しさん@:2001/02/10(土) 21:06
古代の出雲大社。
発掘からも文献からも超巨大木造建築物だったことが証明されている。
6名無し組:2001/02/11(日) 00:52
木造と石造のちがいだろ。
残ってんのはたまたま構造的に丈夫で運のよかったもんだけだから。
風も無いのにひっくり返る建物は、そりゃぁ、のこらんわ。
7せいやぁー:2001/02/11(日) 02:55
<古代の出雲大社
う〜ん興味あるなぁー
どのくらいでかかったの?
8LL:2001/02/11(日) 03:54
土人しかいなかったんだからろくな建築物が無いのはあたりまえでしょう。
9どきどき名無しさん:2001/02/11(日) 04:01
http://namikarex.ug.to/cgi-bin/nami.cgi
2ちょんの先生方このサイトを盛り上げてやってくださいm(__)m
10名無しさん@:2001/02/11(日) 09:10
神話の時代の大きさはわからんが、
平安時代でも東大寺よりでかいと言われていたらしい。
11名無しさん@1周年:2001/02/11(日) 10:50
直径1メートルの列柱の跡がみつかったとかいってたね。
まえにNHKでやってたけど何メートルだったかは忘れた。
12名無しさん@1周年:2001/02/11(日) 10:51
あ、列柱はもちろん巨木のです。
13名無し組:2001/02/11(日) 14:42
このスレッドの議題は、木造でなく
石造等のものでしょう。
ところで、中国、朝鮮とかの高い城壁
とかも日本で何故つくられなかったわけ?
14名無し組:2001/02/11(日) 20:01
age
15名無し組:2001/02/11(日) 21:20
良質の石が大量にとれる場所と建築場所がかけ離れていただけじゃないだろうか。
そもそも日本では八百万の神があがめられてたから
輪廻転生を実践していた節もある。

それよりなにより現在では考えられないような木材の質の高い物が
いくらでも手に入ったということも大きいかも知れない。
16名無し組:2001/02/12(月) 14:03
>15
材料の問題なの?
建築技術は稚拙じゃなかったの?
17名無し組:2001/02/12(月) 15:19
>16
当時の木造に関する知識と技術を知った上で言ってるの?
18名無しさん@:2001/02/12(月) 20:20
>良質の石が大量にとれる場所と建築場所がかけ離れていただけじゃないだろうか

大阪城の石垣のばかでかい石とか、遠くから運んでますね。

気温差の激しい日本では石の家より木の家のが快適であることを
昔の日本人は知っていたのでしょう。
19>13:2001/02/13(火) 01:37
必要じゃなかったからじゃない?もともと日本という島国自体が天然要塞みたいな
感じだったし。あとは中国と違って国民をコキ使い倒すような暴君が現れなかった
ことかな(ワラ
20名無し組:2001/02/13(火) 10:47
では、歴史を通して、
木造、石造の建築技術は
西洋のそれと決して劣ってなかったわけ?

煉瓦を日本は古代よりなんで使用されなかったわけ?
21名無し組:2001/02/13(火) 12:00
錦帯橋を考えてみれば、石造でも足場は木で造る。
日本人は足場の方が綺麗だと思うようにできてるんじゃないのか?
石造で大空間にはアーチが欠かせない。日本人はアーチを自力で
発見できなかったが、発見したとしてもアーチを組むための木の足場に
美を見出していたと思う。
22名無しくみ:2001/02/13(火) 19:11
城の石垣の組み方、特にそりのついた石垣に注目して
調べてみたら。
西洋より優れていたかはわからないけど、決して稚拙な
技術だったとは言えないでしょう。
23名無し組:2001/02/14(水) 14:46
age
24名無し組:2001/02/14(水) 16:10
>11
高さが48m。確か穴の直径は3mだったと思う。
その昔、でかい建物の順番を歌みたいにしたのもあったらしい。
一、出雲大社、二、東大寺、三、???
(スマン。よく覚えとらん。)

ところで木造以外の巨大構造物だけど、
日本のどっかの山(どこだか忘れた)が実はピラミッドぢゃないかって話
あったよね?
あれって結局何なの?(だれか情報を)
25名無し組:2001/02/14(水) 16:19
>>20
煉瓦は木材、石等の材料が簡単に入手できないのない土地で、
やむなく作られるものだからです。
アフリカでは代わりに象などの糞も、建築材料ですよ。
26名無し組:2001/02/14(水) 16:40
>>24
雲太和二京三で三番目は京都御所の太極殿。
ピラミッドは酒井勝軍が言い出したのかな。
検索かければ多分出るよ。
27名無しくみ:2001/02/14(水) 20:48
>24
地元民がクロマンタと呼ぶ東北の方の山に
7、8年くらい前に学術調査がはいったら、
山の表面が階段状に加工されていたことがわかったって
いう記事を昔読んだことがあるような気がする。
28名無し組:2001/02/15(木) 00:33
>>26
>>27
Thanks!
あった、ありました。
酒井勝軍やクロマンタで
検索するといろいろでてきますな。
29名無し組:2001/02/15(木) 01:20
>24
雲太、和二、京三デス。
出雲大社、東大寺大仏殿、大極殿(御所の中心の建物)の順に大きかった。
30名無し組:2001/02/15(木) 02:33
でかい事は何よりもすばらしい事である。
でかいチンポコを持ってる人は、並の人以上に人の三大欲求の
1つである快楽を、より多く提供する事が可能であるからである。
チンポコの大きさについては、今まで様々な議論が論客者によって
なされているが、やはりカリの角度、軒の出これらが共通に重要視
される重点項目であることを見逃してはならない。
              
                   
                 
31名無し組:2001/02/15(木) 03:08
古墳ってどうなの?巨大だけど建築物じゃないか、、、。
そういえば、海底に人為的な階段状の祭壇のようなものが沈んでたっけ。

32名無し組:2001/02/15(木) 13:11
日本は古代から煉瓦って一度も
作られたこと無かったの、
西洋から入ってくるまで
33名無し組:2001/02/15(木) 15:28
なによりもまず当時の日本においてはあたりが
うっそうとした森林に囲まれていたからではない?
わざわざ石を切り出すよりも木を使うほうが簡易であると。
戦国時代の城は山の上に建ってるしね。
34名無し組:2001/02/15(木) 17:45
>31
 古墳は典型的な土木だな。いわゆる建築ではない。でもよくも
あんなアホなもんつくったもんだ。役所のやることはヤマト以来
かわってないな。使用もされず、メンテもされず、将来の日本の
公共建築物を見てるようだ。

 日本で石造りが少ないのは夏の暑さだろう。建材はそこら中に
あるよ。煉瓦だって木材があるから作りまくれる。でもそんなもん
で壁中心の(木材は柱中心)機密性の高い家つくったら、

 @梅雨 →換気不全で家中カビダラケ
 A夏  →同様に蒸し風呂地獄。昼間の熱ため込んで夜も地獄
 
 B地震→あっというまに崩壊。特に煉瓦壁中心の家は弱い

 これで木材が豊富にあったらやっぱ木造に行くでしょう。
同様にクソ熱い東南アジアとかマヤも石造建築があるけど、
基本的には一般住宅はニッパ屋根の木造だしな。
 
35名無し組:2001/02/16(金) 11:51
>34
欧州や中国、朝鮮のあたりの石造建築はどうなの?
36名無し組:2001/02/17(土) 17:01
土や粘土を使えば、木造より
巨大な建築物が容易に作れたんじゃないの?
37バウエン:2001/02/18(日) 09:50
日本の石アーチの技術は、たしかなところでは、長崎眼鏡橋が最初でしょう。
肥後の石工の伝統技術もあるけど。
沖縄には、もっと古い石アーチがある。
中国では漢代にアーチ天井の墓があった。朝鮮半島にも伝わった。
日本ではアーチ天井の古墳はない。まだ見つかっていない。
おそらく中国や朝鮮半島に渡って見てきた日本人はいたろうが
石アーチ技術は難しいわりに日本向きではないと思ったのではないかな。
日本には豊富な木材があるし。
石舞台古墳はただ大石を積んだもの。技術的にはアーチに及ばない。
38名無し組:2001/02/18(日) 13:26
てことは石造に関しては、
日本は屑同然の技術ということ?
39名無し組:2001/02/18(日) 22:03
>38
なんかオマエはどーしてもその結論に導きたいのか?
せっかくの人の話はちゃんと理解しろよ。
40日本@名無史さん:2001/02/19(月) 01:30
簡単に説明しよう。

まず基本的に木造というのが建築を築くうえでもっとも手軽かつ手っ取り早い
方法であることを理解すべきである。しかしながら良質の木材の採取できない
地域、もしくは気候その他の条件上木造が適当でない場所も地球上には存在し、
古より、そのような場所で生活してきた人々がいた。
そして彼らの住居は木以外の手法で造らざるをえなかったのである。
石造文化はそのような地域で発祥し、発展の歩みを開始した。
やがて石造文化はその発祥地から比較的近距離の周辺にある他の文化圏にも広まり、
以後の歴史の中で発展を遂げて行った。

日本はどうだったか?
・まず、緑(木)豊かなこの国には、石造文化が発祥するような素地など全く無い。
・次に日本周辺に高度な石造文化圏は存在しないし、そもそも他文化圏との間に
歴史上それほど盛んな交流が無かった。

こう考えれば日本の石造技術が屑だったとかいうのではなくて、
風土的・地理的にいって石造文化など発展しえなかったということがわかる。
41名無し組:2001/02/19(月) 14:17
>40
でも木造では大型の巨大な建築は
困難になるんだよな
42名無し組:2001/02/19(月) 14:34
それは石造でも同じこと。
43名無し組:2001/02/19(月) 15:43
>41
あなたが言いたい巨大建築物ってのはどんなものだ?
例をあげてくれよ。
44名無し組:2001/02/19(月) 18:16


>40
おおむね同意だが、少し異論もあるぞ。それは中世以降のヨーロッパの
建造物。森林資源が豊富な欧州で、なぜ石造・レンガ系建築(正確には石造
と木造が混在)が大型建築物の主流となったのかということ。文化圏の
発想は確かに説得力があるが、少し物足らない。
45名無し組:2001/02/19(月) 18:21
今のヨーロッパの森は植林によるものじゃないの?
中世には古代から切り続けてヨーロッパ中が禿山
と化したんではなかった?
46名無し組:2001/02/19(月) 18:22
日本は地震国ってこと忘れてない?
47名無し組:2001/02/19(月) 18:24
追加
>35
朝鮮半島には基本的に基本的に木造。ただし北部は圧壁で壁中心
なので日本の木造建築とはタイプが少し異なる。また、王宮関係
では石材がかなり使用されていて、構造に石積みが組まれている。
もっとも、これを「巨大」というかは少し論のあるところだろう。

 中国は気候風土や文化も地方によって大きくことなるので
一概には言えない。内モンゴル〜満州では土壁中心、華北では
一般民家は土壁中心の木造、華南では日本に近い木造という感じ。
いずれにしろ日干しレンガに近いものの上に塗るこめるのが
民家のパターン。チベット等では石積みもあるらしい。
 巨大建造物という点では、石材を使用するパターンも多いが、
実は城郭のほとんどは土を固めたものや日干しレンガの上に
化粧壁を塗っているタイプ。望楼は木造のものとレンガのタイプ
両方あるが、日本よりは土壁の役割が大きい。宮殿等をみれば
それはわかる。
48名無し組:2001/02/19(月) 18:30
組石造は地震に対して強度志向だから
有効だと思うよ。関東大震災で煉瓦造の
建物が軒並み到壊したのは、地震のない
アメリカ東部で開発されたシステムを
導入したからじゃないのかな。大谷石造の
帝国ホテルはほとんど無傷だったんだし。
地震国だから石造が採用されなかったという
説明は疑問が残るなぁ。
49名無し組:2001/02/19(月) 18:36
>45
基本的に中世は「森の海」状態。氷河期以降の植生パターンに乏しい
針葉樹林が覆ってた。中世末期から「大開拓時代」が始まる。それで
近代に到るまでに切り尽くされた。古代(ローマ期)は殆ど手をつけ
られていない。基本的に水運を使用できないところの木材は船材にも
使用されなかった(レバノン、ギリシア等は切られまくった)。

 われわれが現在見る欧州の巨大建造物(殆どが教会と城郭)は、
中世末期から建造が始まった。技術的には、これはやはり石材の
本格的使用に負うところが大きい。木材だけではなく、石材を使用
して初めてなしえた。クレムリン等ももともとは木造だったが、次第に
石材とレンガに代えていった。
50名無し組:2001/02/19(月) 18:39
>48
全くそのとおり。コンドルの帝国ホテルや三井は大丈夫だった。
ということは、やはり「気候説」と「資源説」かな?
51名無し組:2001/02/19(月) 18:52
>>49
中世といえばゴシックの尖塔が登場しだしたんでは?
落雷による焼失がその初期に相次ぎ、やむなく
ヴォールト開発して石造の教会を造りはじめたのが
切っ掛け?
52日本@名無史さん:2001/02/20(火) 01:14
40>44
>中世以降のヨーロッパの建造物。
>森林資源が豊富な欧州で、なぜ石造・レンガ系建築(正確には石造
>と木造が混在)が大型建築物の主流となったのか

断言はできないが、それは建築の付加価値的側面によるものではないかと思う。
すなわち用 強 美でいうところの用以外のふたつの面のことである。

まず、欧州においては時代によらず、ギリシヤ、ローマの存在が強烈だったというのがあると思う。
ルネサンスの意識的、爆発的な古代回帰主義の到来を待つまでもなく、
中世暗黒時代においても、潜在的にではあるがギリシア、ローマの存在は常に隅にあったとおもう。
さらに、様式は別にしても、石造建築を造る上での構造手法も既にほぼ完成していたわけで
技術面ではそれほど苦はなかったから、石造に対する抵抗はさほどなかったと思われる。

また上で、教会建築の話が出ているので西洋東洋の宗教観と宗教建築とを関連付けて考えてみる。

絶対的・普遍的存在である神が住み(?)、人が神と関わりをもつ「場」に対しても、
人が神同様の普遍性・完全性を追求したのは自然なことであって、それが建築に装飾的、比率的な美として
具現化されて行くと共に、あくまで人間尺度的な視点ではあるが、やはり石造の方が木造に比べれば
朽ちにくい性質を持っているが故に、可能であるならば石造が相応しいとされたのではないだろうか。
その点、当初木造で組まれた教会建築がのちの歴史の中で石造化・大規模化し、かつ壮麗さを増して
いった点は説明がつく。

一方で仏教の輪廻思想下においては、もしかするとその点さほど問題にならなかった
(壊れたらまた新しく造ればいいじゃんみたいな)のかもしれない。
日本の神道では伊勢神宮が「遷宮」で全く同じ社を建て替えるという手法をとっているのが興味深い。
53バウエン:2001/02/20(火) 08:18
ここはなかなか良い。ほかの掲示板にくらべて程度が高い。
ヨーロッパの教会だけど、北欧に行けば木の教会があるよ。
材料が手に入りやすいもので作ることもあったんじゃないかな。
それと、ヨーロッパの石造教会は、それを造る技術者集団つまり石工がいて
石橋(アーチ)の技術の応用という面があったと思う。
ヴォールト技術と石アーチ橋技術、互いに競いあい、影響を与えながら育っていったんでないかな。
日本でも、大工の棟梁が木の橋を作ったんではないだろうか。
レンガ積みはそれだけでは地震に弱いはず。無筋コンクリートみたいなものだから。
中国西安の大雁塔や小雁塔なども、地震の被害を受けている。やはり中に鉄筋を入れるとか工夫しないと。
54名無し組:2001/02/20(火) 13:12
無筋コンクリートの壁体でも面内せん断力に対する耐力はあるよ、
面外方向には擁壁を付加してやれば良い訳だし。
煉瓦造の場合おおむね煉瓦同志の接着モルタルのせん断耐力で決まってくるから、
大雁塔や小雁塔などにどんな接着材が使われていたのかが重要だよね。
でも塔といえば五重の塔の芯柱説とヤジロベェ説は興味深い。
出雲大社は地震も風もないのに突然倒壊したらしいけど、
地震によって倒壊した五重の塔ってないんじゃない?
55バウエン:2001/02/21(水) 08:41
>面外方向には擁壁を付加してやれば良い訳だし。
ゴシック教会の飛梁や控壁がそれ。
五重塔の耐震性の秘密 いろんな文献を読んだが学会の永遠のテーマ
木構造の力の逃がし方 それはいろんな要因があると思う。
五重塔の柱の底部 雨水が伝わって腐って無くなっている。それは結果的に耐震性を増したという。
56名無し組:2001/02/21(水) 12:52
ゴッシクのバットレスはむしろヴォールトのスラスト処理用みたいだね。
五重の塔の芯柱は最初から吊っちゃってるのもあるよね。
近世のものは吊ってるんじゃないかな。今朝の朝日新聞で
五重塔の芯柱のことが載ってたけど、底部は腐って消失してる
のを見て、芯柱を吊るようになったのかと思う。
57日本@名無史さん:2001/02/21(水) 13:24
フライングバットレスは学術書にはよく
スラストを処理しているって書かれているけど
実際のところは耐震補強程度の働きしかしていません。
58名無し組:2001/02/21(水) 13:40
結局それは着眼点の問題だと思うよ。
建設過程ではスラスト処理に有効だが、
完成すれば耐震補強程度しか働かないのかもしれない。
鹿島出版から光弾性でゴシック教会の応力状態を解析した
本が出てなかったっけ? あれではどうなってるかな?
59考える名無しさん:2001/02/21(水) 19:54
>57.58
おや初耳。でも、当時の石工は、スラスト処理の意図だったのでしょう。
6058:2001/02/21(水) 20:26
>>59
そう思うんだけど57さんが言い切っちゃうから・・・
61バウエン:2001/02/22(木) 07:47
>底部は腐って消失してる のを見て、芯柱を吊るようになったのかと思う。
私もそうだと思う。
技術というものは、そうやって試行錯誤的に
だんだんできていったものだろう。はじめから意図したんじゃなく。

フライングバットレスは重いアーチ天井の水平反力をとるため
考えられたものだと理解している。
あれを使わないと、厚い壁の重量で支えないといけないから。
だからロマネスク教会は重厚な壁だらけ。重力式ダム
ヨーロッパで地震対策はあまり意識しなかったんじゃないかな。
今でもヨーロッパの高速道路の橋脚を見ると、日本に比べて細すぎる。
ピルツ橋脚はドイツで考えられた形式だが、地震のないドイツ向きで、日本の阪神大震災で欠点が見つかった。
62名無し組:2001/02/22(木) 15:08
age
63名無し組:2001/02/23(金) 14:33
age
64名無し組:2001/02/24(土) 21:28
age
65バウエン:2001/02/25(日) 07:59
ageの意味がいまいちわからないが...
ここで話題提供をひとつ。
昔は日本にたくさん木造巨大建造物があったが、ひとつには材料に恵まれていた。
現代では、必要な太さのヒノキが国内では手に入らず台湾にまで求めるという。
それでも、法隆寺や東大寺の修復に必要な1本ものの樹はもうないと聞く。
集成材の時代かもしれない。
あの東大寺大仏殿の天井、広いスパンに張り渡す梁材が得られないから
鋼トラスで組んだと関係者から聞いたことがある。天井の裏の秘密。
66名無し組:2001/02/25(日) 16:59
age
67吾輩は名無しである:2001/02/26(月) 11:37
昭和の大修理の時か・・・。
西岡棟梁だったら絶対に反対したんだろうな。
しかし重源の時代にも周防国の寺領から調達してたから
東大寺近辺では手に入らなくなってたんだろう。
出雲大社の例の長大な柱も一本ものではなく
三本柱を抱き合わせにしてたらしいから、
長大な一本ものの桧なんて中世でなくなっていたのかな。
諏訪の御柱も小さくなってるんじゃないの。
68名無し組:2001/02/27(火) 15:48
age
69バウエン:2001/03/07(水) 07:57
ヨーロッパの大聖堂を見たとき
これを造るのに数百年もかかったという話を聞いて
何代にもわたって巨大な建造物を造るという、そのしつこさ、強い信仰心
になかばあきれた。日本人は淡泊なんだろうか。
70名無し組:2001/03/31(土) 13:14
宗教力?
71名無し組:2001/03/31(土) 17:03
明治神宮の鳥居も台湾ヒノキだな。
72名無し組
>69
日本人は全然淡白ではないよ。
日本の天皇制を見ても、同じ一族で1000年以上(対外的には皇紀2661年)
以上延々と継承していく様は世界でも例がない。

法隆寺や正倉院なんかを見ても、同じ事が言える。
石造の建物は、ほっといて残るが、木造は管理しないとすぐ朽ちてしまう。
これを見ても日本人は全然淡白ではない。