だれだ、それ?
マジィー?まだ若いんじゃないの?
残念です。
以前、内井先生の審査されたコンペに入賞したことがあります。
大変人柄の良い方でした。ご冥福をお祈りいたします。
合唱。
健康な建築
F・L・ライトは長生きだったはず、作風真似ても(以下略
うわー。
>2
知らないのか!?おまえがだれだ!シロートか?
お疲れ様でした。
巨匠だったかどうかはさておき、先生クラスの中では
奇跡的に「いいひと」だったという話。
学生時代にゃ建物巡りしたなあ。。世田谷美術館とか好き。
早稲田ではあんまり評価されてなかった内井昭蔵
不健康な建築目指すバカが叩くもんだから・・・・・
オープンデスクでお世話になりました。
人格者であったことは肌で感じました。
ご冥福お祈りいたします。
がーん!ショックです。
>>7 人の訃報に対して最低な奴だな
お前の作風とやらは、さぞかし独創的なんだろうな・・・高崎正治なみに(w
16 :
シンデモまうすヲハナシマセンデシタ:02/08/04 00:27
合掌・・・あと10年くらいは現役で活躍されるものと思っていました。
なんかさびしいね。
事務所には入れてもらえなかったけど、
お世話になったことは確かでした。。。
ご冥福をお祈りします。
最後の作品が例の森ビルの超高層マンションだったとしたら、
死んでも死にきれないだろうなあ。
内井昭蔵さん69歳(うちい・しょうぞう=建築家、滋賀県立大教授)3日、心不全のため死去。葬儀は6日正午、東京都千代田区神田駿河台4の1の神田ニコライ堂。自宅は世田谷区奥沢4の29の14。喪主は妻乃生(のぶ)さん。
早稲田大大学院工学研究科修了。71年、横浜市の「桜台コートビレッジ」で日本建築学会賞。「世田谷区立美術館」で毎日芸術賞(85年度)や日本芸術院賞(88年度)を受賞。93年に落成した吹上新御所の設計も手掛けた。
独自の美学や主義に偏った同時代の建築デザインを批判し、「健康な建築」論を展開した。(毎日新聞)
>19、同感。
でも最近(っつても、3年くらい前か??)の竣工物件では、神谷町の教会がよかったよ。
15年前の学生時代、桜台コートビレッジを知って、見に行った。
外壁のコンクリート打放しは、吹付けに塗り替えられていたけど、
その形態に、パワーを感じた。
同じ学生時代、事務所に1週間位だっただろうか、バイトにいった。
世田谷美術館のスタディ模型が置いてあったと記憶している。
内井先生に直接会う機会はなかったけれど。
ご冥福をお祈りします。
同時代に生きている中で共感できる建築家が一人逝ってしまった。
菊竹スクール
>>12 石山とは水と油の関係だからね。 俺はどっちもちょっと・・
死ぬなら、妹島に死んで欲しかった。
桜台コートビレッジって青葉台の?
どこにあるのかおせ〜〜て
神谷町の教会、あれは良かったね・・・
あんだけ業績残した人なのに、これしか人が集まらないのは残念。。
高校の先輩でもあります。。
ご冥福をお祈りします。
>>27 文字通り「桜台」だ。青葉台までわかるなら、ちったー勘を働かせろよ。
まともな人がMビルと仕事をすると命をもっていかれる。例、うちいしょうぞう
あこぎな人がMビルと仕事をすると金をもってこられる。例、おーえくまけんご
ご冥福をお祈りいたします。
建築学会大会に行くために羽田空港へ行って、
そこで倒れられたことは聞きずてにしりましたが...
昨日の濱マイク見たら、あれっと思って調べたらYWCA野辺山が舞台だった。タイムリーでびっくり。
>>34 そうだったのですか。
好い建築家の急逝に心が痛みます。
・・・那覇の隣に浦添市があるが、そこの図書館やら美術館やらを・・・
・・・設計してたなぁ・・・当時の市長が急死してからは・・・仕事が切れたみたい・・・
我が家の近所に彼の設計した修道院があり、毎日そこを眺めながら犬の散歩
をしています。建物の性格上あんまりじろじろ見られませんが。彼の作品
の中ではあまり話題にのぼらない小品ですが、僕は大好きです。建物がいい
齢のとりかたをしている、現代建築では稀有な例だと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
>>39 それ、井の頭公園のそばのやつかい?
あれいいよね。俺も好きです。でも内井はたしか正教徒のはず。カソリック
では宗旨違いのはずだけど・・ さらに、明治学院はプロテスタントだったり
するな。
突然のことだったんですね・・・・。
ご冥福をお祈りいたします。
アンはまだ元気なのかなあ。
昔学生の頃、桜台コートビレッジ、見に行ったなあ、暑いさなか。
汗だくになって。
先生のご冥福をお祈り申し上げます。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
内井さんの真摯な姿勢に感動しておりました。自己顕示欲の
塊のような建築界に惜しい人を無くしました。
ライト亜流の声もあるが人格者でしたね。早稲田の建築では
本来の評価をされなかったのがお気の毒。
アンは年を取ったが元気でした(去年までは)
>>43 アンの消息ありがとうございました、よかった元気でいるなら。
内井先生がいわゆる「巨匠」と呼ばれなかったのは
奇をてらった作品を出したり、
メスメディアに顔を出しまくったり、といった
売名のようなことをなさらなかったから、と思っています。
(メディアに顔を出すのが悪い、とは言いませんが・・・)
一個人としての内井先生は、奥様の乃生先生に
「そんな脂っこいものばかり食べて!」なんて怒られて
不服そうな顔をされたりするのが、かわいい、という言い方は失礼ですが、
とても親しみの持てる方でした。
とてもお太りのご様子で心配はしていたのですが・・・。
45 :
?1/4?3?μ?g:02/08/11 23:33
教育者内井昭蔵は国士舘大学からキャリアが始まったんだってさ。助教授までいったそうだぜ。でも、これを経歴書に書かなかったってほんと?。
なぜだろう?
>43
キナコも元気?
全国的には昨日(8/20)発売の週間朝日の連載の、
コンセント抜いたか!(嵐山光三郎)によると、
先生が倒れたシャトルバスで隣にすわっていたのは同氏らしい。
このスレ知ったのは今日だったので、レスが遅くなりました。
内井先生のお葬式に行ってきました、ニコライ堂。
お祈りが終わるまでみんな外でスタンバイ、炎天下で辛かったけど
たくさんの人が見えてましたね。若いひとたちは、教え子だったのかな。
N修道院のシスターたちも来てました。
ご冥福をお祈りします。
69か…。高齢化社会にあって、有名建築家にかぎっては
夭逝する人が多いな。まあ妖怪みたいな人もいるが。
69で逝く…
恥ずかしい最後ですな
>>49 69で逝く…
ある意味幸せ。(・∀・)イイ!
スレ違いで悪いんですけど、わざわざスレ立てることも無いかと思ったので..
以下まちBBSより引用。大島哲蔵さん亡くなってたんですね。
>東天満の洋書屋スクウォッターについて書いた者です。
>今朝がた友人から、店主にして建築批評家の大島さんが6月初旬に病気により
>亡くなられた事を聞きました。
>このスレに、ふと気紛れに書き込んだこと、
>久しぶりに、あの狭苦しくも愛すべき本屋について思い出したことと、電話口で
>聞かされたあまりにも悲しい偶然に、今日は一日考え込んでしまいました。
>大島さんが、書店という場所から数多くのメディアを通じて日本の建築界に与えた
>影響などという獏とした事ではなく、
>建築家やデザイナーを志す若者(かつての自分も含めて)に
>著名な批評家ではなく一介の本屋のおじさんとして、膨大な知識を惜しみなく
>与えていただいたことに改めて感謝せにゃあかんなあと思うことしきりです。
>わずか数年間の邂逅でしたが、あんなユニークな本屋に出会えたということが
>文字どおり自分の知識の血肉となっていることにも。
>
>
>>20さんが書かれているように、スクウォッターが未だ存在しているならば
>ぜひ大阪の、特に若い人に行ってみて欲しいです。
>場所は天満橋のたもと、ダイコロビルの並びの安藤忠雄設計によるビルの西隣
>少し薄汚れた茶色いタイル貼のビルの3階です
純粋な 本当に純粋に”建築”が好きな建築家(当たり前の事だが)だったと思います。
本当に満面の笑みでライトの事、建築のことを話していたのが印象的でした。
あれだけ建築家らしい建築家はもう出てこないのではないでしょうか(出てきても表には出てこないかな?)。
ここ数年の作品は解りませんが若い人は是非 世田谷美術館は見て欲しい物です。