ハウスって70年代からあるってほんとうですか?

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81名無しチェケラッチョ♪
>>1
Wikipediaを見ろって言いそうになったが、実際日本語のWikipediaには何にも書いていないな。
オレの受け売りの知識でよければ伝えよう。
分かりやすく断定調でいく。

そもそも収集や分類オタクが多いはずの日本で、いまだに「テクノとハウスの違いってなんですか?」とかこの辺のダンスミュージックはものすごく混乱しているし、
そのまま放置され続けている。解説も漠然としか書かれない。
新しいものを追い続けるのがかっこいいクラバーっと思っている人がいるのが一つ。
あまりに決まった解答が示されていないので、皆独自解釈で喧嘩しあう「群盲ゾウをなでる」が嫌いだからジャンル分け自体を避ける人がいるのが一つ。
後は、日本に快楽主義から生まれたハウスミュージックが到達したのがあまりに遅かったってのがある。
初の日本産で明示的にやったハウスは1989年の小泉今日子「コイズミ イン ザ ハウス」だそうである。
日本のハウスDJ歴が長い福富幸宏は雑誌で「90年代初め頃やっと日本にハウスが入ってきた」「最初全く相手にされなかった」と話している。日本で「ハウス」という言葉がメディアに普通に出るようになったのが90年代初めだから、
日本ではハウスもテクノも出始めたのはほぼ同時期だ。
またテクノは「テクノ」という日本のテクノポップ(クラフトワークやYMOなど)と似た名前を持っていたから同一視されて、後から来たのにハウスをおおってしまった。
「テクノからハウスなどすべての電子ダンスミュージックが生まれた」なんて当時の日本の雑誌には当たり前に書かれていた。
まあ、日本の今の混乱の発端はこんな感じ。
続く
82名無しチェケラッチョ♪:2008/10/13(月) 23:59:08 ID:???
とりあえず記録的な曲を並べよう。

録音で踊るという発想が生まれたのは戦後のディスコ。電子ダンス音楽の出発はここ。
時は飛んで70年代初めニューヨークのディスコで黒人でクスリまみれのゲイがディスコでDJをしていた。
流された曲は、アバやサタデーナイトフィーバーじゃない。あれはディスコが商業化し白人が金になると思って作った「ディスコ風」音楽。
黒人音楽、ソウルやブルース、今でいうR&Bだね、を流していた。
流行っていたジェームズ・ブラウンやスライやジョージ・クリントンなども。
この辺のファンクが根底にあって、今みんなが想像する「ディスコ」って音楽がある。
ディスコの均等なキック、ハウスの四つ打ちにつながる初めてのレコードはフランク・ウィルソンって人が作った「ガール・ユー・ニード・ア・チェンジ・オブ・マインド」だそうだ。長いインスト部分に四つ打ち。ゴスペルから来ているそうだ。
でニューヨークのディスコで流れていたたくさんの曲の中に、サルソウルやフィリーインターナショナルがある。
これらはフィラデルフィアのプロデューサーが作っていたため「フィリー・ソウル」と呼ばれていた。
83名無しチェケラッチョ♪:2008/10/14(火) 00:06:34 ID:???
「ラリー・レヴァン」と「フランキーナックルズ」という仲のよいおホモダチがいて、ラリーが自分で作ったディスコ「パラダイス・ガラージ」でニュージャージーのプロデューサーが作ったディスコのレコードを多く回していた。
当時「ジャージー・サウンド」と呼ばれていた曲は、イギリス雑誌にパラダイス・ガラージの音だから「ガラージ」と書かれ、これが今の「ガラージ」になる。
これもゴスペル歌唱の女性ボーカルで、ピアノのメロディ。みんながハウスと聴いて一番先に思い出すだろう。これが73年。
74年にレヴァンはパラダイスガラージを辞めフランキーナックルズに譲る。
ここを辞めたナックルズはシカゴにお呼ばれされ新しいシカゴのクラブに移る。77年。そのクラブがシカゴの「ウェアハウス」。「ハウス・ミュージック」の名前の起源だ。
しかし、ナックルズはウェアハウスで70年代終わりから80年代に入っても、70年代頭の古い音楽サルソウルをかけていた。
ニューヨークではおなじみの古い音だがシカゴの人々には新鮮に聴こえたらしい。
ウェアハウスはシカゴで爆発的人気で、シカゴのレコード屋は「ウェアハウスミュージック」コーナーを作った。
結論、この後から出てくるウェアハウ
84名無しチェケラッチョ♪:2008/10/14(火) 00:23:38 ID:???
結論が切れた

結論、この後から出てくるウェアハウスミュージックを金儲けの手段とするシカゴの少年たちによるDIYディスコから、
ほかとは明らかに毛色が違うシカゴハウスやアシッドハウスが出てくるわけで、
ナックルズのウェアハウスではちょいと古いディスコがかかっていただけ。
後期にはサルソウルにドラムマシンでキックを加えていたらしい。
そしてシカゴのDJはキックを強めるためにみなドラムマシンを買ったそうだ。
初のハウスミュージックとも呼ばれるべき、シカゴで作られたレコードは、
DJジェシー・サンダースの「オン・アンド・オン」持っていたレコードの部分をテープレコーダーでつなぎ合わせてTR-808に載せた。
このあきらかに誰でも作れる曲がラジオで流れてからみんな真似して曲を作り始めた。
コピペ音楽の本当の始まりだ。1984年。
>>1の答えになったかな
85名無しチェケラッチョ♪:2008/10/14(火) 00:48:25 ID:???
一聴して分かるとおり、ガラージとシカゴハウスは明らかに別物。
土地と時間と音が余りに違う。ガラージとシカゴハウスには約10年の開きがある。
ガラージはニュージャージー州ニューアークのクラブのDJトニー・ハンフリーズが作っていた音だ。
本物のバンドに聴こえる音、ゴスペル歌唱中心、ジャズ風味、メロディ中心。これがガラージ。
のちのニュージャージー生まれの音楽プロデューサー「トッド・エドワーズ」が「UKガラージ」を作り出したりしている。

一方のシカゴハウスは、ほぼドラムマシンのみのミニマルな曲が多く、単調さが力強い。そのまま「テクノ」につながっていくのがよく分かる。
2000年以降フランスに飛び火してフランスのダンスミュージックはシカゴのアーティストをたくさんリミックスに使ってる。
今のフランスはシカゴハウスの影響がモロにある。
まあ、もう日本人もガラージを"NYハウス"なんて呼ぶのはやめよう。
長文連投失礼
86名無しチェケラッチョ♪:2008/10/14(火) 23:16:09 ID:???
>>1
この本を買いな
http://www.amazon.co.jp/dp/4860202813

70年代のディスコとハウスをつなぐ時期を焦点にした歴史本。元々博士論文として作られていたそうだから、信頼性はバッチリ。