「オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・)( ´∀`)
⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y
し'(_) し'(_)
「あぁ 恋せよ アミーゴ♪踊ろう セニョリータ♪」
∧_∧ ∧_∧
(・∀・) (´∀`)
⊂、 つ⊂ つ
Y 人 Y 人
(_)'J (_)'J
「眠りさえ忘れて 踊り明かそう♪サーンバ ビバ サーンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ´∀`)
( つ⊂ ) ( つ⊂ )
ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_)し' (_)し'
「マ・ツ・ケ・ン サーンバー♪オレ♪」
∧_∧ ∧_∧
∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩
〉 _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ
し´(_) し´(_)
「オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・)( ´∀`)
⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y
し'(_) し'(_)
「あぁ 恋せよ アミーゴ♪踊ろう セニョリータ♪」
∧_∧ ∧_∧
(・∀・) (´∀`)
⊂、 つ⊂ つ
Y 人 Y 人
(_)'J (_)'J
「眠りさえ忘れて 踊り明かそう♪サーンバ ビバ サーンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ´∀`)
( つ⊂ ) ( つ⊂ )
ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_)し' (_)し'
「マ・ツ・ケ・ン サーンバー♪オレ♪」
∧_∧ ∧_∧
∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩
〉 _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ
し´(_) し´(_)
「オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・)( ´∀`)
⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y
し'(_) し'(_)
「あぁ 恋せよ アミーゴ♪踊ろう セニョリータ♪」
∧_∧ ∧_∧
(・∀・) (´∀`)
⊂、 つ⊂ つ
Y 人 Y 人
(_)'J (_)'J
「眠りさえ忘れて 踊り明かそう♪サーンバ ビバ サーンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ´∀`)
( つ⊂ ) ( つ⊂ )
ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_)し' (_)し'
「マ・ツ・ケ・ン サーンバー♪オレ♪」
∧_∧ ∧_∧
∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩
〉 _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ
し´(_) し´(_)
レイバーはヒッピー文化の継承者とか言ってるのは畑違い。
日本のクラブシーンで一般的に呼ばれる「レイバー」は、米国西海岸スタイルの奴らを指す。
ファッション的にはレイパン、バイザー、グロー、白手、などなど。
ステップ、ハンドグロー、ポップ、グローストリング等を嗜む人達。
そもそもこいつらの歴史にヒッピーの文化なんぞ毛ほどにも無い。
どっちかというとキャンディーレイバーの背景がある。
西欧のハードコアやエピック〜ハードトランスのシーンで発展して、帰国子女や海兵隊あたりを通じて90年中盤あたりに日本に流れてき
た。
ヒッピーの継承言ってるのは別物。
ここ五年位でサイケの野外レイヴを一口でレイヴと呼び、そこに行ってる民族系の衣装の人達がレイバーと名乗るようになった。
インドとかあっち流れの背景だな。
よく混合されて知らない奴は混乱するが。
同じレイバーと呼ばれてはいても、両者は全くの別物。
歴史も背景も精神性も全く違う
レイバーになって(ダンクラからトランスに移行して)4ヶ月だけど、8キロ痩せたよ。
68キロあった体重が今は60キロ、身長は176センチあるので痩せすぎかもしれん。
腹についてた贅肉はほとんどなくなった。
踊りに行くと30分でシャツがビショビショになる。
2時間も踊ると汗で体中ビショビショ、トイレで着替えて、もう一回踊って・・・
いろんなダイエットしても効かなかった、というより長続きしなかったけど、
レイバーダンスはテキメンで効いたよ。
元々、ダンクラ踊ってたから、リズム取るのは得意だった。
初めてレイバーダンスを見たのが、今年の春。
そこから見よう見まねで練習して、リズム取れるようになったのが5月くらい。
それから楽しくて、毎週末、クラブに通うようになった。
ダンクラやってたときも毎週末クラブに行ってたから、行くクラブが変わっただけだけど。
使う筋肉は違うけど、ジョギングより激しい運動になってる。
尚且つ、技を競うという張り合いがあって、飽きない。
サウナにいくと、「俺より先に入ってた奴には絶対負けないゾ」と思ってガンバルけど、
それでもせいぜい40分が限界。
でも、レイバーダンスは楽しいときは2時間くらい踊ってる。ぜんぜん飽きない。
食生活をほとんど変えずに、ここまで痩せられるとは思わなかった。
新たな投資というと、運動靴買ったことくらいかな。
顔もなんかシャープになってきたらしい、家族に言わせると。
ま、8キロ肉が落ちたから、当然かもしれん。
DNAやDance or Dieのイベント関係者がベルファーレでレイバーに声かけてスカウトしてる。
いや、日本のレイバーは上手いよ。
特にラビットやLAのレベルはドイツやオランダのパーチーより上。
イスラエルは行ったことないから、本場のラエリーのダンスがどうだかは知らんけど。
それで不思議なのは、ソウルダンスもヒップホップもR&Bもヘタクソだった日本人が、
なぜトランスに限って、ダンスレイバーなんて集団が出てきたのか?
それも急激に増殖してきたからね。
すごく不思議。
ダンスって集団で上手くなっていくんだと思う。
黒人がR&Bのダンスが上手いのも、先天的なものというよりも、すでにロールモデルになる集団がいたから。
あとは真似していけばいいわけだから、ある一定レベルに比較的早く到達できる。
レイバーダンスも、ここ数年でレイバーのグループが形成されてから、一気に人口が増えた。
みせつけたら間違いなく尊敬される。
LAとかのステップは西海岸から伝わったけど
今じゃ日本のレベルのほうが圧倒的に上。
ベルアフで外人のレイバーが本場のレイバーより上手いって誉めてくれるし。
でもグローは外人のレイバーや帰国組の方が上手い奴多いよな
結局は楽しみ方の相違だよな。
クラブでLAやラビットステップ、グローやリキッドを楽しむ事を主体とするダンスレイバー
そうじゃない海外組レイバー
ただそれだけの話
レイバーになって(ダンクラからトランスに移行して)4ヶ月だけど、8キロ痩せたよ。
68キロあった体重が今は60キロ、身長は176センチあるので痩せすぎかもしれん。
腹についてた贅肉はほとんどなくなった。
踊りに行くと30分でシャツがビショビショになる。
2時間も踊ると汗で体中ビショビショ、トイレで着替えて、もう一回踊って・・・
いろんなダイエットしても効かなかった、というより長続きしなかったけど、
レイバーダンスはテキメンで効いたよ。
元々、ダンクラ踊ってたから、リズム取るのは得意だった。
初めてレイバーダンスを見たのが、今年の春。
そこから見よう見まねで練習して、リズム取れるようになったのが5月くらい。
それから楽しくて、毎週末、クラブに通うようになった。
ダンクラやってたときも毎週末クラブに行ってたから、行くクラブが変わっただけだけど。
使う筋肉は違うけど、ジョギングより激しい運動になってる。
尚且つ、技を競うという張り合いがあって、飽きない。
サウナにいくと、「俺より先に入ってた奴には絶対負けないゾ」と思ってガンバルけど、
それでもせいぜい40分が限界。
でも、レイバーダンスは楽しいときは2時間くらい踊ってる。ぜんぜん飽きない。
食生活をほとんど変えずに、ここまで痩せられるとは思わなかった。
新たな投資というと、運動靴買ったことくらいかな。
顔もなんかシャープになってきたらしい、家族に言わせると。
ま、8キロ肉が落ちたから、当然かもしれん。
DNAやDance or Dieのイベント関係者がベルファーレでレイバーに声かけてスカウトしてる。
いや、日本のレイバーは上手いよ。
特にラビットやLAのレベルはドイツやオランダのパーチーより上。
イスラエルは行ったことないから、本場のラエリーのダンスがどうだかは知らんけど。
それで不思議なのは、ソウルダンスもヒップホップもR&Bもヘタクソだった日本人が、
なぜトランスに限って、ダンスレイバーなんて集団が出てきたのか?
それも急激に増殖してきたからね。
すごく不思議。
ダンスって集団で上手くなっていくんだと思う。
黒人がR&Bのダンスが上手いのも、先天的なものというよりも、すでにロールモデルになる集団がいたから。
あとは真似していけばいいわけだから、ある一定レベルに比較的早く到達できる。
レイバーダンスも、ここ数年でレイバーのグループが形成されてから、一気に人口が増えた。
みせつけたら間違いなく尊敬される。
LAとかのステップは西海岸から伝わったけど
今じゃ日本のレベルのほうが圧倒的に上。
ベルアフで外人のレイバーが本場のレイバーより上手いって誉めてくれるし。
でもグローは外人のレイバーや帰国組の方が上手い奴多いよな
結局は楽しみ方の相違だよな。
クラブでLAやラビットステップ、グローやリキッドを楽しむ事を主体とするダンスレイバー
そうじゃない海外組レイバー
ただそれだけの話
よく知らないが、流れで言えば後継なんだろうけど、時代とともに色々変わるし
表の人間も裏の人間も、それをいいように利用しようとする奴がいる。
それによっても流れは複雑に変わって行くわなぁ...
ここで理念、理念って繰り返していても何も変わらないよね。
自分がその理念をできる限り実践して、シーンに居続けなきゃ。
受け止める器ができていないのに、そこに受け止めきれないような量の物を流し込もうとしたって無理な話だよ。
本当に理念を伝えて行きたいなら、受け止める側の器から作っていくくらいの気概があってもよさそうなもんだが。
でもそれは時間がかかる。
たかが5,6年くらいで広まり、変わっていくようなもんじゃないだろ?
ここで叫んでいる人は、すばらしい物を見つけた熱に当てられて、暴走ぎみに見える。
そして自分の中にその理念の芯が通っていないんだろう。そして自分の中にも器ができていないのさ。
自分の中に芯が通っていれば、まわりに左右される事は無いはずだ。
そして、その事に自分の人生の時間を費やす気が無ければ、ただそれまでの事だったのだろうし。
自分の器に理念をとうして得た物を溜め込み、それを他の人の器に注いでいく。
注がれた器と、中身をどうするかはその人に任せる。
器を枯らす人もいれば、とても大きな器を作り上げて、大勢の人に注ぎ込む人も出るだろう。
人間を信じ、相手を信じて、託す。
「知っていればイイ」だけじゃ無い事なのだから、決して理念を連呼するのだけが伝える方法じゃ無い。
自分がどれだけ本気なのか、もう一回自問自答してみれば?
今や、あのアトムですら、ルミカライトを禁止にしたりして、ちゃらいギャル系のイメージを払拭させようする動きがでてきてますね。
月1で第4月曜日には、レイバーを対象としたハード ダンスのイベントも打つようになりました。
一時期コードやヴェルファーレでも、レイバー(レイパン履いた人)の入場を禁止にする動きに出たこともありますが、、、
それが、また認められたというのはなぜでしょう?
クラブというのはDJがかもし出す音、VJが披露するCG、ファッション、ダンススタイルなどすべてが、流行、芸術、時代の最先端を行ってるからだと思います。
ダンスだけで言えば、、ハイハイばっか、やっててなんも進化しないです。
まぁ、ナンパやノリだけを楽しみに来てる人はそれでいいんですが。。
10数年前に始まった、トランス、テクノというジャンルと共に世界中で生まれたハード ダンス スタイル共にレイバーファッションもまでも生み出し、、なを進化を遂げていく芸術であるとうことがわかってる人はたくさんいるっていうことなんです。
ハイハイ、トラパラなどにように周りと同一、共感して楽しむってことも否定することはできませんが、、フリースタイルで踊り、個々人が音と楽しみ、周りをも自分のスタイルで楽しませるというのがハード ダンス シーンであります。
どちらが、クラブシーンにとってよいと言えるかわからないですけどレイバーもクラバーも共有、共感できる、クラブシーン、トランスシーンが全国のクラブで成り立つといいですね☆
1. 全てのシーンにおいて、知識など不要。だから例え愚かに思える質問でもされたらこまるのでそういうことは最初
から考えない。
2. シーンの基本はファッションとダンス。音楽ではない。だからステップができないやつは、最初からいくべきじゃ
ない。
3. マジネタを食ったことないからとりあえず批判で。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。だから表向きだけでもそういうことには一切触れないのが得策。
4. ネタについては、本当は欲しいんだが。でもドラッグは違法。でもまあ、そんなものとは関係なく
格好だけマネしておけば、とりあえず安心なわけだな。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーと面識があればゲストにしてもらえ。ベルアフとか、
事前にそれらしいジャンルの音楽がかかっている場所を調べてとりあえずいっとけ。
6. 『ステップを』を練習するべし。とりあえず一般客と違う踊りとファッションで世間の
注目を浴びることが第一。 基本はダンスだ。
7. PLURってなんだよ。限られた仲間へのrespect(尊敬)で充分だろ。だって知らないやつは他人なんだし。
2chで馴れ合あうのが楽しいな。内輪ネタでもりあがりスレで自分らの名前を出せば出すほど有名になった気分になれるし
な。
8. 派閥こそすべて。ダンスバトルで注目を浴びるべし。
9. とにかく苦しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかが問題だ。いかに
パーティーと関係なく己のダンスを追求するかが大事だ。
10. 初心者は徹底的にけなすべし。自分がどれだけ鍛練してきたかを思いだして、へたくそなやつには冷たい視線を
あびせてやり、見下すことによりハードルを作れ。初心者に自分の存在をアピールできてこそ偽レイバーってもんだろ。
○⌒\
(二二二)
(⌒( ・∀・) ヤア!
( o つ
(__し―J
/⌒○
(二二二) チョットマッテテ
(・∀・ )
((o; と ) ゴソゴソ
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アレ…?
(・∀・;)
((o; と ) ゴソゴソ…
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アタッ♪
(・∀・ )
(o; と )
(__ノ―J
○⌒\
(二二二) ドゾ
(⌒( ・∀・)
( o つ愛
(__し―J
楽しいクリスマスを迎えられますように。
○⌒\
(二二二)
(⌒( ・∀・) ヤア!
( o つ
(__し―J
/⌒○
(二二二) チョットマッテテ
(・∀・ )
((o; と ) ゴソゴソ
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アレ…?
(・∀・;)
((o; と ) ゴソゴソ…
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アタッ♪
(・∀・ )
(o; と )
(__ノ―J
○⌒\
(二二二) ドゾ
(⌒( ・∀・)
( o つ愛
(__し―J
楽しいクリスマスを迎えられますように。
スレ立てに熱心で初期のころからずっと貼り付いてて
自信満々で自演も交えて独りよがりの論理を
定期的に晒す気味の悪い自慢厨一人さえ消えてくれれば
このスレだって荒されることもなく良スレにもどるはずだが
21 :
名無しチェケラッチョ♪:2006/01/05(木) 11:47:37 ID:/UuRg4EP
はじめまして。とりあえずレイバーになってみたいのですが
サンバイザー、T-Shirt、レイパン(太いパンツ)、首輪腕輪たくさん、おしゃぶり
でOKですか?踊りとかはめんどくさいのでひたすら跳ねまくりでいくつもりです。
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
この物語は青い水晶の嵐の年・自己存在の月19日/(10・竜<赤い惑星の竜
(KIN101)>)の日に侍達の立方体の旅の中で生み出された秩序の中の無秩序の話である。
SAMURAIとTANNYは東南アジアのタイの首都バンコクでタイ北部チェンマイ経由
パイ行きのバス停で4年振りに再会した。。。
そして2人はこの先に待ち受ける衝撃的なシンクロニシティsynchronisity知る由もなく
《Samurai Tribe in PAI》を開催。地元の人たちの協力を元にPAI初発信の
ゴアトランスパーティーは大盛況の宴となり
国籍を超越した人々の笑顔は夜明けまで途切れることがなかったという。
その後、南インドのゴアにて《Samurai Tribe in GOA 白い倍音の世界の橋渡し》を
大阪を拠点としているMAO、TADASHI、HIROと、東京を活動拠点としている
TANNY、GOを中心とした侍メンバーのプロデュースの元に
驚異的な集客人数と圧倒的なサウンド構成により、それまでここ2〜3日
雲の中に隠れていたゴアの太陽もこの日は幻想的なヴィジョンを我々に提供してくれ
友情侍参戦オランダ首都アムステルダム発信のJIMBOもその夜の宴に極彩色の華を咲かせてくれ
GOAはPAI同様、いやそれ以上に大盛況の宴となった。。。
更にはタイ南部の孤島KOH-PHANGANにて開催された
《Samurai Tribe in KOH-PHANGAN 赤い月の月》では大阪のMAO&TADASHI
東京のGOを中心とした東西侍メンバー、
そして地元のHMF(www.halfmoonfestival.com)の協力によるプロジェクトの元、
GOA・PAI同様大盛況、大成功のうちにその宴は幕を閉じるのであった。。。
そして侍達は今、日本で集結する。。。
時は平成 世は不況
さぁ活目せよ!!
Samurai Tribe in JAPAN
ここに見参!!!
何か誤解がある様だが。
一回スレ立てると規制がかかるから2chのスレは連続して立てられないぞ。
あまりにも門外漢が荒らしまくってるから、俺はpart3からダンスレイバースレに改名して
ダンス好きレイバーのスレだと名言して立て直してみたけど、門外漢の荒しはとまんねww。
最近part7を立てたけど他は誰が立てたなんか知らねーぞ。
落ちそうになったら暇な有志が立て直しするのが2chのルールだし。
スレ立てしてる奴はバラバラ。
本part7立てたのは俺だが。
別に俺が立て直さなくても他の誰かが立てただろうし。
誰も立て直さなきゃ他板のレイバー系スレに流れるだけだろう。
誰も立て直さなきゃ別名でそのうちここにもレイバー系スレが立つ。
DJ板だってもう何年も霊婆学園スレやら何やら散発的にたってたからなw
part3とpart7で誰か晒されたりした荒しで嫌な思いをする奴がいたならそれは俺の責任か?
このスレが無ければ他板のレイバースレで晒されてただけではないのか?
俺は最近のレイバー(ダンスレイバーいうの?)だけど。
海外では〜だから日本のレイバーは〜みたいな叩きをよくみる。
海外デビュー帰国組のレイバーが俺らを叩く理由もわからんでもない。
クラブで踊り激ウマな奴らがいて目立ってれば、ファッションだけであまり踊れない帰国組は居場所なく感じるかも。
そりゃ嫉妬感や疎外感も感じると思われ。
誤解があるようだが。
俺らは周りに見せ付ける為にステップ踏んでたりグローやったりしてるわけじゃねえぞ。
こういう踊りを好きだからやってる。周りの上手い人に憧れて頑張ってる。
自分の上手さを見せつけるとかそんなチンケな理由でステップやグローの修行に耐えられるわけないだろ。
表には見えないが、上手い奴はそれなりに裏で練習したり自分のスタイルに悩みぬいたりしてんだ。
しかもそんなに早く上手くなるわけじゃない。
何ヶ月もかけて練習して苦労して上達してんだ。
中には踊りへのこだわりが行き過ぎマイナスな方向に捻じ曲がっちまって、
他のレイバーの価値をステップの上手さだけで測って踊れ無い奴を見下す様な人もいるのは認める。
少なからずそういうのが存在するのは残念だけど事実だ。
でもそんな人はごく少数に過ぎないのは分かって欲しい。
一部の悪い人を見ただけで全員が全員そうだと断定して語るのは辞めてくれ。
おまえら喧嘩するんなら、こんなとこでやるのは卑怯だぞ
もう秋田
クラブでやれよウジ虫ども
来週の土日は喧嘩祭りにしようよ
それぞれの集団を見て指差して笑ったり、
踊るの邪魔したりとか、とにかくいろいろ考えてきてね?
基本的にダンスレイバー、海外レイバー、ギャルオ同士の喧嘩だけど、
参加希望のヤンキー、893もやる気さえあれば、入れてやる
もちろん、寝返ったり、裏切ったり、してもいいよ
場所はまだ決めてないんだけど、また告知するよ
ここでみんなしてダンスレイバーのスレを土俵にして喧嘩するのは卑怯に思う。
今後のシーンを担うためにも、一回会ってみたほうがいいよ
逃げた者が多かったグループも負だね
俺の予想としては、ダンスレイバーに武があると思う。
常の臨戦態勢の侍魂見せてくれ
DNAやDance or Dieのイベント関係者がベルファーレでレイバーに声かけてスカウトしてる。
いや、日本のレイバーは上手いよ。
特にラビットやLAのレベルはドイツやオランダのパーチーより上。
イスラエルは行ったことないから、本場のラエリーのダンスがどうだかは知らんけど。
それで不思議なのは、ソウルダンスもヒップホップもR&Bもヘタクソだった日本人が、
なぜトランスに限って、ダンスレイバーなんて集団が出てきたのか?
それも急激に増殖してきたからね。
すごく不思議。
ダンスって集団で上手くなっていくんだと思う。
黒人がR&Bのダンスが上手いのも、先天的なものというよりも、すでにロールモデルになる集団がいたから。
あとは真似していけばいいわけだから、ある一定レベルに比較的早く到達できる。
レイバーダンスも、ここ数年でレイバーのグループが形成されてから、一気に人口が増えた。
みせつけたら間違いなく尊敬される。
LAとかのステップは西海岸から伝わったけど
今じゃ日本のレベルのほうが圧倒的に上。
ベルアフで外人のレイバーが本場のレイバーより上手いって誉めてくれるし。
でもグローは外人のレイバーや帰国組の方が上手い奴多いよな
結局は楽しみ方の相違だよな。
クラブでLAやラビットステップ、グローやリキッドを楽しむ事を主体とするダンスレイバー
そうじゃない海外組レイバー
ただそれだけの話
1. 全てのシーンにおいて、知識など不要。だから例え愚かに思える質問でもされたらこまるのでそういうことは最初
から考えない。
2. シーンの基本はファッションとダンス。音楽ではない。だからステップができないやつは、最初からいくべきじゃ
ない。
3. マジネタを食ったことないからとりあえず批判で。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。だから表向きだけでもそういうことには一切触れないのが得策。
4. ネタについては、本当は欲しいんだが。でもドラッグは違法。でもまあ、そんなものとは関係なく
格好だけマネしておけば、とりあえず安心なわけだな。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーと面識があればゲストにしてもらえ。ベルアフとか、
事前にそれらしいジャンルの音楽がかかっている場所を調べてとりあえずいっとけ。
6. 『ステップを』を練習するべし。とりあえず一般客と違う踊りとファッションで世間の
注目を浴びることが第一。 基本はダンスだ。
7. PLURってなんだよ。限られた仲間へのrespect(尊敬)で充分だろ。だって知らないやつは他人なんだし。
2chで馴れ合あうのが楽しいな。内輪ネタでもりあがりスレで自分らの名前を出せば出すほど有名になった気分になれるしな。
8. 派閥こそすべて。ダンスバトルで注目を浴びるべし。
9. とにかく苦しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかが問題だ。いかに
パーティーと関係なく己のダンスを追求するかが大事だ。
10. 初心者は徹底的にけなすべし。自分がどれだけ鍛練してきたかを思いだして、へたくそなやつには冷たい視線を
あびせてやり、見下すことによりハードルを作れ。初心者に自分の存在をアピールできてこそ珍舞団ってもんだろ
よくあるレイバー用語への質問回答
俺が把握している範囲ではあるが。俺の解釈が間違ってたら詳しい奴が指摘してくれ。
ダンスを言葉で表すのテラキビシス
レイバーステップ:トランス、ハードコア、ハードハウス等の高速ビートに合わせて日本のレイバーの間で発展したダンスの通称。
実際には関東発祥系のスタイルと関西発祥系でやや異なる。
関東発祥系は関西に比べ優雅で、「軽さ」を強調した特徴を持つ。ハウスの影響強し?
関西発祥系はハードコアスタイルと呼ばれ、デストロターンに代表される攻撃的かつキレのあるアグレッシブなムーブを特徴とする。格闘技(カポエラ?)の影響を強く受けていると思われる。
よく目にするレイバーステップのムーブ(俺が知ってる範囲)
ラビット:高速で飛び跳ねる様な感じのステップ
LA:足を左右交互に繰り出す、ブレイキンのランニングマンに近いステップ。
スライド:サイドから切り込む様に足をスライドさせていくステップ
フロッグ:高速屈伸、立ち上がりざまに開脚するステップ。
ターン:普通のターン。アウトサイドから回る事が多し。
ハーフターン:普通の半回転。イン、アウト共に技の繋ぎ目に入れられる事が多し。
フロッグターン:連続フロッグの締めに使われる事が多い。しゃがみ状態から立ち上がりざまにターン。
デストロターン:両手を広げ駒の様に回転する派手なターン。
キックターン;前蹴りの要領で足を前に振り上げ、その足に引き付けられる様に反転しながら瞬間移動するステップ
グロー系は技の名前とかよく解らんし面倒になってきたので後は頼むwww
グロー:ハンドグロー(手でルミカを使ったダンス)
※紐グロー・・・ポイ。ルミカに紐をつけて回すダンスパフォーマンス。
レイバーがよくやるポップ系のダンス
リキッド:ポップの一種。水が流れる様な流動性が特徴のポップダンス。
ボックス: 正式にはタット(tutting)と呼ばれるポップダンスの一種。
書いておいてなんだがな。。
ダンスのムーブなんて実際に見なきゃわかるはずもないw
180に合わせるのなんてどんなんでもできるだろ?しっかり動けるのは2,3分だろ?
そこまで高速になるのはハピコアとかだろ?
ハピコアやら、高速BPMのイベいかねぇから見た事無いけど、どんな風に躍ってるのさ?
ステップだけならどんなジャンルでも合わそうと思えばいけるだろう。
合わせられる種類のステップあるだろうし。
タットやウェーブならポッピン野郎どもがいるし。
違いはさぁ、慣れてるくらいじゃないのかな?その早さに。
見劣りしない人は確かに少数いるみたいだけど、今時は見ないね。
グロウが上手いのが今は多いよね。ステップとボディームーブは本当にドングリの背比べ。
俺もドングリだけどなw
何かできそうな雰囲気はあるから出てみれば?
見劣りするかしないかは、自分できめる事じゃなくて、見た相手がきめる事だしな。
>各個人の参加の意欲とその持続性、創造性が必要
これはどんなジャンルでもそうじゃないか?新しいムーブ作って行かなきゃ行けないんだし。
系統だてる必要なんかない種類のダンスだけど、あえて分けるなら
系統はほぼ出てるんじゃない?
ステップ系、グロウ系、タット、ポップ系、(ブレイキン系)
こんなもんじゃない?
ジャンル事体で特徴的なのはグロウ>ステップ>タット、ポップ
の順番だろう。
つーか、うぜぇくらいの長文すまんねw
サイドステップ追加。
よくあるレイバー用語への質問回答 ver1.1
レイバーステップ:トランス、ハードコア、ハードハウス等の高速ビートに合わせて日本のレイバーの間で発展したダンスの通称。
実際には関東発祥系のスタイルと関西発祥系でやや異なる。
関東発祥系は関西に比べ優雅で、「軽さ」を強調した特徴を持つ。ハウスの影響強し?
関西発祥系はハードコアスタイルと呼ばれ、デストロターンに代表される攻撃的かつキレのあるアグレッシブなムーブを特徴とする。格闘技(カポエラ?)の影響を強く受けていると思われる。
よく目にするレイバーステップのムーブ(俺が知ってる範囲)
ラビット:高速で飛び跳ねる様な感じのステップ
LA:足を左右交互に繰り出す、ブレイキンのランニングマンに近いステップ。
スライド:サイドから切り込む様に足をスライドさせていくステップ
サイドステップ:後ろ足をゆっくりとサイドに送っていき、一気に切り返すステップ
フロッグ:高速屈伸、立ち上がりざまに開脚するステップ。
ターン:普通のターン。アウトサイドから回る事が多し。
ハーフターン:普通の半回転。イン、アウト共に技の繋ぎ目に入れられる事が多し。
フロッグターン:連続フロッグの締めに使われる事が多い。しゃがみ状態から立ち上がりざまにターン。
デストロターン:両手を広げ駒の様に回転する派手なターン。
キックターン;前蹴りの要領で足を前に振り上げ、その足に引き付けられる様に反転しながら瞬間移動するステップ
グロー系は技の名前とかよく解らんし面倒になってきたので後は頼むwww
グロー:ハンドグロー(手でルミカを使ったダンス)
※紐グロー・・・ポイ。ルミカに紐をつけて回すダンスパフォーマンス。
レイバーがよくやるポップ系のダンス
リキッド:ポップの一種。水が流れる様な流動性が特徴のポップダンス。
ボックス: 正式にはタット(tutting)と呼ばれるポップダンスの一種
よく知らないが、流れで言えば後継なんだろうけど、時代とともに色々変わるし
表の人間も裏の人間も、それをいいように利用しようとする奴がいる。
それによっても流れは複雑に変わって行くわなぁ...
ここで理念、理念って繰り返していても何も変わらないよね。
自分がその理念をできる限り実践して、シーンに居続けなきゃ。
受け止める器ができていないのに、そこに受け止めきれないような量の物を流し込もうとしたって無理な話だよ。
本当に理念を伝えて行きたいなら、受け止める側の器から作っていくくらいの気概があってもよさそうなもんだが。
でもそれは時間がかかる。
たかが5,6年くらいで広まり、変わっていくようなもんじゃないだろ?
ここで叫んでいる人は、すばらしい物を見つけた熱に当てられて、暴走ぎみに見える。
そして自分の中にその理念の芯が通っていないんだろう。そして自分の中にも器ができていないのさ。
自分の中に芯が通っていれば、まわりに左右される事は無いはずだ。
そして、その事に自分の人生の時間を費やす気が無ければ、ただそれまでの事だったのだろうし。
自分の器に理念をとうして得た物を溜め込み、それを他の人の器に注いでいく。
注がれた器と、中身をどうするかはその人に任せる。
器を枯らす人もいれば、とても大きな器を作り上げて、大勢の人に注ぎ込む人も出るだろう。
人間を信じ、相手を信じて、託す。
「知っていればイイ」だけじゃ無い事なのだから、決して理念を連呼するのだけが伝える方法じゃ無い。
自分がどれだけ本気なのか、もう一回自問自答してみれば?
私は人と比べたりする、されるのが嫌いだから自由に踊ってきたのね。
ぶっちゃけ基本云々から間違ってると思うの。
音楽を感じてアウトプットするんだから聴覚からの神経伝達回路がしっかり
出来てないとダメでしょ。必然的に。
例えば指で16ビート刻めるよね。
次は32ビートに挑戦しよう、って只これだけのこと。フロアではもちろん体でね。
私は音ゲーなんてやったこと無いけど。W
少なくても毎週末+n回/月に音浴びて踊ってたら1年後には
足へ指令する神経伝達網が自然に形成されるよ。
一度壊れた神経網とシナプスは元通りにはなんないけど。大切に。
当然私は好きでやってたからね。
昔はみんな恥ずかしがりばっかりだったのに、今は競ってるみたい。
卑下とか見下すなんて気持ちはフロア共有してて出るわけないじゃん。
以上、薬なんてやってたら出来るわけないと思うんで書いちゃいました!
〜東京。
最近のヴェルアフを中心とした新世代・新興勢力とも言うべき、
「ダンス(珍舞)レイバー」のノリや勢いにおされてしまい、
「Love & Peace」を心がけクラブには欠かせない存在かつ、
イベントの華でもあった、従来のレイバー達は最近では発言権すら失いつつあり
レイバーをやる意義を失ったり、居心地が悪くなり引退したり等
今や「風前の灯」状態にあります。
あっちのスレを見れば判るように、
国内には珍舞レイバーの毒気があまりにも充満しすぎてしまったようです。
ちょっと、批判をすれば即フナ蟲扱いされてしまうような状況ですので。
常に争いが耐える事のない国内のレイバー事情の実情を覆すことは難しいでしょう。
せめて、このスレだけは珍舞の毒気に犯されていない、
本来あるべき「Love & Peace」をモットーにした
レイバー同士が有意義に語り合える場にしたいと思います。
-フナ蟲のガイドライン-
フナ蟲:俺は本物のRaverだ!!!
一般人:ハア?そのしょぼい踊りで何言ってるのwwww?カエレ!
一般人:踊り一つもできないのにレイバーだってさwww
レイバー:フナ蟲さ、レイバーとか名乗るの辞めてくれよ。
レイバー:お前みたいに口だけのダサい奴がレイバーを名乗ると評判が下がる。
フナ蟲:え、、すいませんでした。ごめんなさい。怖い事しないで下さい。もう帰りますから。
フナ蟲:ちきしょうちきしょう!ダンスが何だ!あいつらは珍舞だ!ちきしょう!
フナ蟲:レイパン履いてると一般人が俺をダンス上手いと勘違いする・・・
フナ蟲:もう怖くてレイパン履けない・・・普通の格好でいよう。
フナ蟲:精神+ファッション+ダンスの三つが揃ってレイバーなんて嘘っぱちだ。
フナ蟲:精神がレイバーなら俺はレイバーなんだ!例え誰も俺をレイバーと呼ばなくても
フナ蟲:ちきしょう、なんでこのスレの奴らはレイバーと呼ばれてるんだ。
フナ蟲:俺こそが真のレイバーだ!ダンスを覚える根性が無くても、レイバーなんだ!!
フナ蟲:パンピンでダンスバトルがなんだ!あいつら俺を笑ってた。
フナ蟲:妄想レイバーとか言って笑ってるんだ!
フナ蟲:ちきしょう・・・荒らしてやる。スレを荒らしてやる。
フナ蟲:お前らはレイバーじゃないんだよ!珍舞なんだよ!お前らに笑われたくなんてないんだ!
フナ蟲:ちきしょう!ちきしょう!ちきしょうおおおおおおおおおおおおお!
347 :名無しチェケラッチョ♪ :2005/10/06(木) 18:29:54 ID:???
>>337 排他主義の差別主義の塊みたいのが紛れていると
パーティー自体が成立しねーのを早くきづけよ
そういう人種や考え方の違いの壁を率先して崩してきたのが本来のRAVERの存在
ところが国内に存在するRAVERの格好してRAVERの踊りを真似てる
珍舞団の連中ときたらサイケのパーティーいけばジャンキー批判
atomにいってはギャル&ギャルヲ批判、そしてここベルのスレでも
>>337をとか
>>331とか枚挙にいとまがない。。。
ひとのふんどしに乗ってもともといた客の批判ばっかして
そのくせ自分らのパーティー作ってミソ?といえば
『口先ばかりでお前が作れ』と居直る始末。
別に不良外人がいようがギャルギャルヲがいようが
秋葉系のアニヲタがいようがいちいち反応して干渉すんなよ。
人に毒吐いて、他人を批判して差別して自分らがイチバン偉い
みたいなやつらが必死こいて練習した踊りをおまえら努力が足りない
みたいな顔してみせつけられたらマジ落ちるしキメーんだよ。
そんなRAVER世界中さがしてもみたことない。
そんなやつらがRAVER名乗るなんてマジありえない。
348 :名無しチェケラッチョ♪ :2005/10/06(木) 18:43:31 ID:???
フナ虫AAまだ〜???w
おまえヒマすぎ
よく知らないが、流れで言えば後継なんだろうけど、時代とともに色々変わるし
表の人間も裏の人間も、それをいいように利用しようとする奴がいる。
それによっても流れは複雑に変わって行くわなぁ...
ここで理念、理念って繰り返していても何も変わらないよね。
自分がその理念をできる限り実践して、シーンに居続けなきゃ。
受け止める器ができていないのに、そこに受け止めきれないような量の物を流し込もうとしたって無理な話だよ。
本当に理念を伝えて行きたいなら、受け止める側の器から作っていくくらいの気概があってもよさそうなもんだが。
でもそれは時間がかかる。
たかが5,6年くらいで広まり、変わっていくようなもんじゃないだろ?
ここで叫んでいる人は、すばらしい物を見つけた熱に当てられて、暴走ぎみに見える。
そして自分の中にその理念の芯が通っていないんだろう。そして自分の中にも器ができていないのさ。
自分の中に芯が通っていれば、まわりに左右される事は無いはずだ。
そして、その事に自分の人生の時間を費やす気が無ければ、ただそれまでの事だったのだろうし。
自分の器に理念をとうして得た物を溜め込み、それを他の人の器に注いでいく。
注がれた器と、中身をどうするかはその人に任せる。
器を枯らす人もいれば、とても大きな器を作り上げて、大勢の人に注ぎ込む人も出るだろう。
人間を信じ、相手を信じて、託す。
「知っていればイイ」だけじゃ無い事なのだから、決して理念を連呼するのだけが伝える方法じゃ無い。
自分がどれだけ本気なのか、もう一回自問自答してみれば?
だから長いって。簡潔に言わんと読まんよ
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
>最近のヴェルアフを中心とした新世代・新興勢力とも言うべき、
「ダンス(珍舞)レイバー」のノリや勢いにおされてしまい、
「Love & Peace」を心がけクラブには欠かせない存在かつ、
イベントの華でもあった、従来のレイバー達は最近では発言権すら失いつつあり
レイバーをやる意義を失ったり、居心地が悪くなり引退したり等
今や「風前の灯」状態にあります。
悪いがあんたの文章は完全に被害妄想やと思う。まじ意味解らんわ。なにかされたの?
もしそうじゃなければ、理由もなしに
>>1のようなことをほざける人間のほうが、
よっぽどLove & Peaceではない気がするのは俺だけか?
こちら側の人間がフナ虫とか言って煽ってるのは確かに悪いと思ってるが、
俺が過去レスをざっと見た限りではあんた等が無用の喧嘩を先に吹っかけたことが原因だと思ってる。
まぁ、こちらもそれに反応してるから結果双方悪いが、
>>1のフナ虫扱いされて〜・・みたいな自分達側だけが被害者みたいな言い方はよしてくれ。
一応過去レス見るのかなりめんどかったけど、俺なりにざっと目を通してみて思ったことや。
もし、一方的じゃなくこちらにも相応の非があったのなら申し訳ない。
俺は別に自分の考えを押し付けたいわけじゃないからな。
ただ余りにも無用な言い争いなので、
もーちっと大人になれないもんかな〜と思っただけや。
価値観や住む世界が違うもの同士、仲良うしろってのも無理な話があるとは思うが、
別にこんな掲示板ごときで言い争ってお互いを罵り合わなくてもいいだろと。
他の関係ない人からみたら醜い争いすぎる。
それによってレイバー全体が悪いイメージもたれたら
双方にとってマイナスな結果ちゃうかな?
こっち側の人間も、もう煽るのやめーや。
ちょーどスレが分かれたんだから、
お互いの専用スレで互いの悪口言わずにやっていきたいものだな。
長文すまなかったね。最後まで読んでくれた人には感謝する。
長すぎて3つに分ける羽目になってしまった。。orz
俺は別に自分の考えを押し付けたいわけじゃないからな。
ただ余りにも無用な言い争いなので、
もーちっと大人になれないもんかな〜と思っただけや。
価値観や住む世界が違うもの同士、仲良うしろってのも無理な話があるとは思うが、
別にこんな掲示板ごときで言い争ってお互いを罵り合わなくてもいいだろと。
他の関係ない人からみたら醜い争いすぎる。
それによってレイバー全体が悪いイメージもたれたら
双方にとってマイナスな結果ちゃうかな?
こっち側の人間も、もう煽るのやめーや。
ちょーどスレが分かれたんだから、
お互いの専用スレで互いの悪口言わずにやっていきたいものだな。
長文すまなかったね。最後まで読んでくれた人には感謝する。
長すぎて3つに分ける羽目になってしまった。。orz
本ひっぱってきた 危ない1号によると(W
ハウス、イギリス入り
↓
伝説のクラブ<SHOOM>がオープン(87年)
↓
クラブの中に入れない数千人の人々がオックスフォード・ストリート
で路上パーティーを始める
↓
予期せぬ事態に業を煮やしたイギリス政府がハウス・ミュージック弾圧
に乗り出す
↓
シーンは一時的に失速するが警察の取り締まり強化が逆効果
↓
どうしてもハウス・ミュージックとエクスタシーを楽しみたい人々が野外
でパーティーを始めてしまう。これが"レイヴ"の始まりである。
このスレを覗きに来た一般の民共...
ごきげんよう
我々、レイバーはいつの時代においてもクラブ界・ダンス界の頂点であり、
クラブに遊びに来る一般の民やちょっとダンスをかじった事の在る民共の憧れの存在であります。
クラブ初心者やダンス経験者から良くある質問で、
「どの様にしたら貴方様の様なレイバーになれますか?」
と尋ねられる事があります。
それはこの素晴らしいこちら側(レイバー)の世界を共有する事の出来る、
同士が増えると言うことなので大変喜ばしく素晴らしい事なのですが、
大変残念な事ではありますが、現状、全ての民がレイバーに成ろうと思っても、
簡単に成る事は出来ないと言わざるを得ないでしょう。
なぜならば、それはレイバーの見よう見まねでダンスやステップの努力を積み重ねればなれるという訳では無く
神によりその存在を許された、一握りの選ばれし者のみが成る事のできる存在なのです
すなわちこれは神の意思で決まった事であり、レイバーとしての生を受けている我々は神の子であるだと言う事です。
そんな、我々の言葉は神の言葉と同等であり君達一般の民共にとっては救いと成る事でしょう。
どんな、些細な質問でも構いません。
一般の民共である貴方がたが救われるのであれば我々はどんな質問にだって答えます。
さぁ、それでは救いの時間を始めようではないか!!
某マスコミのジャンル別意識調査によると。
ミーハー系トランスのイベントの場合、ギャル嬢は男選びの際、男の顔やファッションを重視するらしい。
ダンスにおいては、無関心らしい。
だから、ハイハイだけと、酒とナンパされるだけで満足し、歳を取ると何も持ってない自分は若い子の居るクラブには行けないから、今度は大人系の系のクラブに住み着くという形を取っていくと思う。
要は流行に流されているだけ。ファションと同じ。
その点、テクパラ、パラパラ、ディスコのほうが、ずっと踊りを楽しめるという点で優れていると思う。
逆に、B系の場合は男の顔より、ダンスの上手な人に惹かれるみたいである。
B系のイベントにも数回行ったが、ダンスができる人モ、できない人も、一人一人が空気を読んでうまく調和してる。
俺も空いてる時に思い切り踊って、混んでいる時に周りを蹴散らしてまで踊ってないはずだから、
そういう風に言われるのは心外である。
実際そうか否かは人それぞれだが。。。
ダンスレイバーにおいては、B系にかなり近い位置に存在すると思う。
あと、ダンスのできる女性、男性問わず、近くで思い切り踊っても引かない。
そういう事実と自分の未熟さを認識してもらいたい。
みんなと一緒でこれで楽しいからいいや♪という日本人的発想が、、、最後に自分自身の孤立を招くということを。。。
ジャンルはなんですか?
えっと、最近B系のイベント行ったり、B系のイベント情報拝見させてもらうと、やたらダンスバトルやダンスショーの告知ありますね(名古屋限定の話)
スクール通って、自分達の決めた曲に振り付けきめて、毎日、毎日練習してさぁークラブで披露(^0^*)ノワショーィ
お金払って観に来てるお客より、高台でダンス披露してさ、、、、、
ほとんどが、、、、 ε= (´∞` ) ハァー
本当のダンスバトル、実力者ってのは、どんな音でも華麗に踊れるダンサーのこと指すんじゃないの???
日本のダンスシーン盛り上げていると思ってる、オーガーナイザーも、スクールの教師も全部XXじゃないの?ww素人論w
一番強いのは、野生化したクラブ通いまくって、常にいろんな音でダンスしてる奴でしょ!
スクールにしか通わず、クラブも行かない奴は家畜と同じだと思います!
やるなら、ダンサーも抜き打ちフリースタイル、ダンスバトル、ダンスショーやってほしいね!!ジャンル問わず!
レゲエ、HIP HOPダンサーがハード コア、ガバでいきなり踊るとか、
ダンスレイバーが、80’s R&B レゲエで踊る、しかも観客の前で、そういうダンスバトル、ショーのほうが
見応えあって、おもろいと思う今日この頃w
人生ムダだらけですよ。普通はそうですよ?
毎日充実した、生きてて楽しい人生なんか送りたくないね!
そういうのは自分自身が錯覚してる極道の人生です。
銭湯で、穴の空いた靴下履いて、よれよれの服着て銭湯来てる、全身刺青入れたおじいさん、おばあさん観ててね。。
結末はこうなるんだなーというのがわかるような気しますね。。。。
そういうことしてても、その道を極めてる人は別で、そういう風にはなってませんが。
無駄や、結果だせなくても、そのことから来る経験や、いきなりやってくる些細な幸運に、満心の喜びや幸せを
感じることができると共に、次になんかやってみようというアイデアと行動力が湧くんです。
それから、また無駄や苦労の人生がはじまるんですけど、、そのことが、人間の成長につながると思いますよ。
音を聴くことと、ダンスすることは好きで楽しいんで、そのことが嫌いになるか飽きるまで幕は閉じられませんね。
1,スクールばっか行かないで、クラブにも来いっていいたいのねw
〜〜やってた。ってww、どの世界でもピン、キリじゃんw
BPM180でダンスできるHIP HOPダンサーって全国にどれくらい居るのよ?
HIP HOPの基本スタイルはほとんど使えないと思うよー
アーティストみたいに、その場でどんどん技を生みだしてみよう!って言いたいのさ。
レイバーは歴史浅いけど、小学生なら、大人以上にこれからも、いろいろ可能性あるんだし、
大人に勝ったとしたら、場はめちゃ盛り上がるでしょww
この世の中、ピアニストが空手有段者に喧嘩で勝ってしまったことあるぐらいだからw
渋谷??@@; エイジアかブエノスぐらいしか行った覚えがない。。。汗
サイ○って????サイケ?
スピード ハード コア BPM400のDJ CーTYPEのCD売り切れてて
買えなかったp_q)4949
全くその通りです。関東にはすごいレイバーごろごろしてます。
で、そんなことは現時点の自分にとってはどうでもいいことなんです。
例え、どんなジャンルでも、ダンスで全国1、世界1のコンテストで優勝しても
世間一般で、認知されてますか??
ダンスに興味ある人、ダンサーの中だけで、認知されてるとか思えませんねー。
自分は普通のクラバー、一般人に慕われ、なおかつ存在証明をアピールできることを念頭においてるんです。
で、ダンスレベルにおいては、自分は44歳をピークと見てるんですよw
30歳からダンスやり初めて、33歳の今まで、ゆるやかですが、日に日に上達はしてます。
この歳で20歳前後の若い子達と同じようにやってることも、売りかもしれませんが、
44歳ぐらいになるともっといろんなことでアピールできますね♪
そう、この歳の子供が丁度クラブ通いだす子達なんですよ。
絶対、自分の親達と、44歳でファションとダンスに力入れてる自分を比較して、
すごいな!と思うはずですよ。。それが狙いのうちの一つです>続く
マークさんはメンズ○ッグのモデルからも信頼されているレイバーですよ。
そりゃ踊りはスクールの子にくらべたらおそまつかもしれないですが
見るものをひきつける力は抜群だとおもいます。そりゃいろんな人が
応援してくれますよ。最初はこのひとなんだろう?って笑えましたが
いまは笑えないつうかリスペクトですよw
マークにはダンスの神様が降りてきているのです。
ナチュナルDEハイなんです。賛否両論あるでしょうが、今、時代は
賛よりも否なヤツがおもしろいんだ。そういう意味では、マークは
アリだな。
クラブでは、あまり見かけないが、レイブ(サイケ)には非常に多くのジャンキー(麻薬中毒者)を見かけるーー;
サイケデリックトランスというのは、麻薬を使わずして、麻薬を使ったと同じ効果が得られるという音楽が建前だが、、、
実際はサイケのアーティストは麻薬(大麻)を使った時に聞こえる音をさらに快感に聞こえるように作曲してる。。
で、なんでもいいんだけど、、、
麻薬ってさ、日本の法律で禁止されてるんじゃん。
で、あーだーこーだ法律的にとか、医学的にとか言う気ねーけど、
ジャンキーって顔の引きっつって、白目むいて、ふらふらして、、、マジきもいんだよねーー;
踊りの邪魔だしーー;
端から見て、気分悪くするような行為はするべきじゃないよ!!
泥酔して、倒れる人よりたち悪い。。。だって、レイブには家族つれの子供も来てるんだよ。。。
薬やってタコだか、ゴキブリだかわかんないような踊りしてる奴ばっかの集まりが本来のレイブか?
ほんでもって、サイケ歴何年とかほざいてる馬鹿もいるw
てかね、大麻使うと普段聞こえない音まで、聞こえて快感とか言うけどね、俺は薬使わずあがりぱなしだよ??
サイケ語る前に自分の感性と情緒、5感の無さをまず嘆いたほうがいいんじゃない?
もし、どうしてもやりたかったら、もういい大人なんだから、
たしなむ程度にしておきなw
白目むいて、ふらふらして、、、
自分さえよければ、いいという考え方、
そんなあなたは、空想、現実、夢の世界、どこに行っても、廃人で終わりますよ。。。
と、レイブ行く度にむかついてる俺の愚痴書いてみました。。。
クラブでは、あまり見かけないが、レイブ(サイケ)には非常に多くのジャンキー(麻薬中毒者)を見かけるーー;
サイケデリックトランスというのは、麻薬を使わずして、麻薬を使ったと同じ効果が得られるという音楽が建前だが、、、
実際はサイケのアーティストは麻薬(大麻)を使った時に聞こえる音をさらに快感に聞こえるように作曲してる。。
で、なんでもいいんだけど、、、
麻薬ってさ、日本の法律で禁止されてるんじゃん。
で、あーだーこーだ法律的にとか、医学的にとか言う気ねーけど、
ジャンキーって顔の引きっつって、白目むいて、ふらふらして、、、マジきもいんだよねーー;
踊りの邪魔だしーー;
端から見て、気分悪くするような行為はするべきじゃないよ!!
泥酔して、倒れる人よりたち悪い。。。だって、レイブには家族つれの子供も来てるんだよ。。。
薬やってタコだか、ゴキブリだかわかんないような踊りしてる奴ばっかの集まりが本来のレイブか?
ほんでもって、サイケ歴何年とかほざいてる馬鹿もいるw
てかね、大麻使うと普段聞こえない音まで、聞こえて快感とか言うけどね、俺は薬使わずあがりぱなしだよ??
サイケ語る前に自分の感性と情緒、5感の無さをまず嘆いたほうがいいんじゃない?
もし、どうしてもやりたかったら、もういい大人なんだから、
たしなむ程度にしておきなw
白目むいて、ふらふらして、、、
自分さえよければ、いいという考え方、
そんなあなたは、空想、現実、夢の世界、どこに行っても、廃人で終わりますよ。。。
と、レイブ行く度にむかついてる俺の愚痴書いてみました。。。
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
あ〜。正月の名論議はどこえやら
レイバーになって(ダンクラからトランスに移行して)4ヶ月だけど、8キロ痩せたよ。
68キロあった体重が今は60キロ、身長は176センチあるので痩せすぎかもしれん。
腹についてた贅肉はほとんどなくなった。
踊りに行くと30分でシャツがビショビショになる。
2時間も踊ると汗で体中ビショビショ、トイレで着替えて、もう一回踊って・・・
いろんなダイエットしても効かなかった、というより長続きしなかったけど、
レイバーダンスはテキメンで効いたよ。
元々、ダンクラ踊ってたから、リズム取るのは得意だった。
初めてレイバーダンスを見たのが、今年の春。
そこから見よう見まねで練習して、リズム取れるようになったのが5月くらい。
それから楽しくて、毎週末、クラブに通うようになった。
ダンクラやってたときも毎週末クラブに行ってたから、行くクラブが変わっただけだけど。
使う筋肉は違うけど、ジョギングより激しい運動になってる。
尚且つ、技を競うという張り合いがあって、飽きない。
サウナにいくと、「俺より先に入ってた奴には絶対負けないゾ」と思ってガンバルけど、
それでもせいぜい40分が限界。
でも、レイバーダンスは楽しいときは2時間くらい踊ってる。ぜんぜん飽きない。
食生活をほとんど変えずに、ここまで痩せられるとは思わなかった。
新たな投資というと、運動靴買ったことくらいかな。
顔もなんかシャープになってきたらしい、家族に言わせると。
ま、8キロ肉が落ちたから、当然かもしれん。
DNAやDance or Dieのイベント関係者がベルファーレでレイバーに声かけてスカウトしてる。
いや、日本のレイバーは上手いよ。
特にラビットやLAのレベルはドイツやオランダのパーチーより上。
イスラエルは行ったことないから、本場のラエリーのダンスがどうだかは知らんけど。
それで不思議なのは、ソウルダンスもヒップホップもR&Bもヘタクソだった日本人が、
なぜトランスに限って、ダンスレイバーなんて集団が出てきたのか?
それも急激に増殖してきたからね。
すごく不思議。
ダンスって集団で上手くなっていくんだと思う。
黒人がR&Bのダンスが上手いのも、先天的なものというよりも、すでにロールモデルになる集団がいたから。
あとは真似していけばいいわけだから、ある一定レベルに比較的早く到達できる。
レイバーダンスも、ここ数年でレイバーのグループが形成されてから、一気に人口が増えた。
みせつけたら間違いなく尊敬される。
LAとかのステップは西海岸から伝わったけど
今じゃ日本のレベルのほうが圧倒的に上。
ベルアフで外人のレイバーが本場のレイバーより上手いって誉めてくれるし。
でもグローは外人のレイバーや帰国組の方が上手い奴多いよな
結局は楽しみ方の相違だよな。
クラブでLAやラビットステップ、グローやリキッドを楽しむ事を主体とするダンスレイバー
そうじゃない海外組レイバー
ただそれだけの話
56 :
名無しチェケラッチョ♪:2006/01/05(木) 20:25:21 ID:hS37U1iv
なんだこの糞スレ?
よく知らないが、流れで言えば後継なんだろうけど、時代とともに色々変わるし
表の人間も裏の人間も、それをいいように利用しようとする奴がいる。
それによっても流れは複雑に変わって行くわなぁ...
ここで理念、理念って繰り返していても何も変わらないよね。
自分がその理念をできる限り実践して、シーンに居続けなきゃ。
受け止める器ができていないのに、そこに受け止めきれないような量の物を流し込もうとしたって無理な話だよ。
本当に理念を伝えて行きたいなら、受け止める側の器から作っていくくらいの気概があってもよさそうなもんだが。
でもそれは時間がかかる。
たかが5,6年くらいで広まり、変わっていくようなもんじゃないだろ?
ここで叫んでいる人は、すばらしい物を見つけた熱に当てられて、暴走ぎみに見える。
そして自分の中にその理念の芯が通っていないんだろう。そして自分の中にも器ができていないのさ。
自分の中に芯が通っていれば、まわりに左右される事は無いはずだ。
そして、その事に自分の人生の時間を費やす気が無ければ、ただそれまでの事だったのだろうし。
自分の器に理念をとうして得た物を溜め込み、それを他の人の器に注いでいく。
注がれた器と、中身をどうするかはその人に任せる。
器を枯らす人もいれば、とても大きな器を作り上げて、大勢の人に注ぎ込む人も出るだろう。
人間を信じ、相手を信じて、託す。
「知っていればイイ」だけじゃ無い事なのだから、決して理念を連呼するのだけが伝える方法じゃ無い。
自分がどれだけ本気なのか、もう一回自問自答してみれば?
今や、あのアトムですら、ルミカライトを禁止にしたりして、ちゃらいギャル系のイメージを払拭させようする動きがでてきてますね。
月1で第4月曜日には、レイバーを対象としたハード ダンスのイベントも打つようになりました。
一時期コードやヴェルファーレでも、レイバー(レイパン履いた人)の入場を禁止にする動きに出たこともありますが、、、
それが、また認められたというのはなぜでしょう?
クラブというのはDJがかもし出す音、VJが披露するCG、ファッション、ダンススタイルなどすべてが、流行、芸術、時代の最先端を行ってるからだと思います。
ダンスだけで言えば、、ハイハイばっか、やっててなんも進化しないです。
まぁ、ナンパやノリだけを楽しみに来てる人はそれでいいんですが。。
10数年前に始まった、トランス、テクノというジャンルと共に世界中で生まれたハード ダンス スタイル共にレイバーファッションもまでも生み出し、、なを進化を遂げていく芸術であるとうことがわかってる人はたくさんいるっていうことなんです。
ハイハイ、トラパラなどにように周りと同一、共感して楽しむってことも否定することはできませんが、、フリースタイルで踊り、個々人が音と楽しみ、周りをも自分のスタイルで楽しませるというのがハード ダンス シーンであります。
どちらが、クラブシーンにとってよいと言えるかわからないですけどレイバーもクラバーも共有、共感できる、クラブシーン、トランスシーンが全国のクラブで成り立つといいですね☆
このスレを覗きに来た一般の民共...
ごきげんよう
我々、レイバーはいつの時代においてもクラブ界・ダンス界の頂点であり、
クラブに遊びに来る一般の民やちょっとダンスをかじった事の在る民共の憧れの存在であります。
クラブ初心者やダンス経験者から良くある質問で、
「どの様にしたら貴方様の様なレイバーになれますか?」
と尋ねられる事があります。
それはこの素晴らしいこちら側(レイバー)の世界を共有する事の出来る、
同士が増えると言うことなので大変喜ばしく素晴らしい事なのですが、
大変残念な事ではありますが、現状、全ての民がレイバーに成ろうと思っても、
簡単に成る事は出来ないと言わざるを得ないでしょう。
なぜならば、それはレイバーの見よう見まねでダンスやステップの努力を積み重ねればなれるという訳では無く
神によりその存在を許された、一握りの選ばれし者のみが成る事のできる存在なのです
すなわちこれは神の意思で決まった事であり、レイバーとしての生を受けている我々は神の子であるだと言う事です。
そんな、我々の言葉は神の言葉と同等であり君達一般の民共にとっては救いと成る事でしょう。
どんな、些細な質問でも構いません。
一般の民共である貴方がたが救われるのであれば我々はどんな質問にだって答えます。
さぁ、それでは救いの時間を始めようではないか!!
クラブでは、あまり見かけないが、レイブ(サイケ)には非常に多くのジャンキー(麻薬中毒者)を見かけるーー;
サイケデリックトランスというのは、麻薬を使わずして、麻薬を使ったと同じ効果が得られるという音楽が建前だが、、、
実際はサイケのアーティストは麻薬(大麻)を使った時に聞こえる音をさらに快感に聞こえるように作曲してる。。
で、なんでもいいんだけど、、、
麻薬ってさ、日本の法律で禁止されてるんじゃん。
で、あーだーこーだ法律的にとか、医学的にとか言う気ねーけど、
ジャンキーって顔の引きっつって、白目むいて、ふらふらして、、、マジきもいんだよねーー;
踊りの邪魔だしーー;
端から見て、気分悪くするような行為はするべきじゃないよ!!
泥酔して、倒れる人よりたち悪い。。。だって、レイブには家族つれの子供も来てるんだよ。。。
薬やってタコだか、ゴキブリだかわかんないような踊りしてる奴ばっかの集まりが本来のレイブか?
ほんでもって、サイケ歴何年とかほざいてる馬鹿もいるw
てかね、大麻使うと普段聞こえない音まで、聞こえて快感とか言うけどね、俺は薬使わずあがりぱなしだよ??
サイケ語る前に自分の感性と情緒、5感の無さをまず嘆いたほうがいいんじゃない?
もし、どうしてもやりたかったら、もういい大人なんだから、
たしなむ程度にしておきなw
白目むいて、ふらふらして、、、
自分さえよければ、いいという考え方、
そんなあなたは、空想、現実、夢の世界、どこに行っても、廃人で終わりますよ。。。
と、レイブ行く度にむかついてる俺の愚痴書いてみました。。。
4月に入って、最初の頃にやり取りしたメールがようやくHotwired上にアップされ始めましたね。
最初の頃のメールから読み直してみると、よくもまあレイヴのことでここまで話が続いたものだと感心もします。
もちろん話題の対象は進行中のムーヴメントであり、話の種はぜんぜん尽きないのですが、そろそろまとめに入る頃合かもしれません。
>�先日は久しぶりにパーティーで会えたのに、
>�僕は体調がいまいちで、途中車の中でゴロ
>�ゴロしていたので、あまり話もできず、残
>�念でした。
これは3月の終わりに山中湖近くの山小屋でやったパーティの話ですね。
僕はあのパーティは相当楽しめちゃったので、逆にそのあとがけっこうしんどかった(苦笑)。
>�調子が悪い時は最初から踊りに行かないとい
>�うのも、僕たちぐらいの歳になると(笑)大
>�事かもしれないです
という清野さんの言葉がありましたが、耳が痛いです(笑)。
調子が良すぎても。
悪くても、踊るコンディションとしてはむずかしい……となると、なんとも厄介ですね。
たぶんもっと若い世代がレイヴについて話し合ったとしたら、また違った意見なり展開があったかもしれないけど、
僕らには僕らなりの“リアリズム”があるわけですからね。
ちょうどその山小屋の1週間後に、代々木公園で行なわれたレインボーパレードの「春風」というフリーイベントのアフターとして、
清野さんが久々にやったフリーパーティでも会ったんですが、こっちは清野さんはDJ/僕は参加者のひとり、というわけで、ただただ楽しませてもらった次第。
せっかくなので、そのへんパーティの感想から書き出してみます。
山小屋でのパーティはMATSURI TOKYOのDJ. YODAさんが、ほぼ半年振りにひとりで9時間ぐらい回すという趣向でしたが、概してサイケデリック・トランスが主流を占める日本のレイヴパーティにて、YODAさんのかける音はちょっと異色ですよね。
ゴア・トランスだともっぱら古めのナンバーで、それにエピック・ハウス(プログレッシブ・ハウス)やユーロトランス、果てはディープハウスっぽい歌ものやロックまでかかって、トランシーなリズムトラックという部分でそれらがスムーズに繋げられていく。
最近あまり聞かないけど、いわゆるバレアリックスDJとでもいうのでしょうか?
ジャンルを横断しながら、独特の流れ(展開)がプレイの基調にあって、とりわけ「明け方」のオープンエアとかにフィットするサウンドなので、個人的にはかなり好きなタイプだったりします。
清野さんはどちらかというと、もう少しダークというかデモーニッシュな音が好みでしたっけ?
でも僕もミニマルやブレイクビーツの要素を取り込んだ新しめのトランスとか、正直いって前はあまり得意ではなかったのだけど、このごろホームリスニングしていて“新鮮さ”を感じるのは、案外そっち系だったりもします。
快楽の様態同様、音の嗜好というのも、一種の耐性がついてしまうせいか(もとの好みというのは、あるにせよ)、時期と場合によって、サウンドの傾向に“ノれ”たり“ノれ”なかったり、というのはありますね。
前に清野さんが指摘していたよう、同じDJでも日によって印象が相当違ったりすることも、ありますし。
でもって、一週間後の代々木公園で清野さんがやったアフターパーティーも(お世辞ではなく)これまた良いパーティだった。
ああいうふうに、ジャンルや時代が交錯するプレイリストというのは、なかなか気持ちの良いものです。
それは別に懐メロや名曲にノスタルジーを感じるから良いというわけではなく、大バコのパーティ等で人気DJが用意してくれるハイエッジな選曲からは取りこぼされてしまったような部分が、
そこにあるからであって……それをつきつめていくと、やっぱりフリーパーティの醍醐味、ということに集約されるのでしょうか。
◆オーガナイザーだって生活していかなければならない
>�レイヴの場合(特にトランスの場合)、基本
>�的にはフリーパーティーというか、DIYと
>�いうか、最初からカネ儲けが目当てじゃない
>�ところがあるので、オーガナイザーは並大抵
>�の苦労じゃないです。これは自分でパーティー
>�をやっててもそう思います。
と、前のメールで清野さんは書いていましたが、これは実感がこもってますよね。
昨年の秋にも、清野さんは代々木でフリーパーティをやりましたけど、
その時の感想記か何かで「雨のなか、機材の搬出や後片付けをやって、
車に帰ってみたらタイヤが壊れている。
ヘトヘトのクタクタで、もうフリーパーティーなんか二度とやるもんか、と思いながらも、また懲りずにスピーカーを持って繰り出す自分の姿が見えてくる……」みたいなことを、たしか書いてましたよね。
たとえば本場ゴアのパーティなどは原則フリー(無料)だ、と伝え聞きます。
ゴアはそれが地場産業みたいなところだから、特別なのかもしれないけど、イベントとしてのパーティというものを考えてみると、やはり商売のベースに乗るような採算構造で行われているものではないという現実があるでしょう。
日本でもパーティの入場料は安くて2000円、海外からアーティストを招聘したりすれば5000円前後と、それくらいしますよね。
海外と較べると、ずいぶんいい値段だ、とも言われます。
しかし室内のハコで数百人とか集客したとしても、それで主催者が大儲けするというものでもなさそうです。
会場費やサウンドシステム代、現実的な諸経費を差っ引いたら、スタッフの多くは手弁当に近い状態だという話です。
メインの「春風」もフリーパーティであったことには変わりはないのだけれど、清野さんの方はもう必要最低限の機材と公園の片隅をスペースにするという、
ミニマムスケールの催しということもあって……別に判官贔屓ということでもないのだけど……メインよりも“パーティらしい”雰囲気がありました。
音の傾向も清野さんの好みを反映させつつ、新旧おりまぜた選曲で、ヨークやマン・ウィズ・ノー・ネームから、ケミカル・ブラザースにアンダーワールド、
果てはプライマル・スクリームまでかけてくれましたよね。
もちろんそれぐらいの規模にとどまっているからこそ、大手代理店が介在したりスポンサードみたいな制約を被ったりすることもなく、
よりストレートな趣味嗜好の反映としての「パーティ」が成立するのでしょうが、オーガナイザーだって生活していかなければならないわけで(長期的な展望で見ていけば)そこにはジレンマが発生する。
つまり……
>�レイヴに行っているうちに、レイヴそのもの
>�を中心に生活が回って行くようになって、いっ
>�そのことそれで生活をしよう、というふうに
>�なる人
のジレンマ、とでもいいましょうか。
期せずしてこの対談はHotwiredの「Next Citizen」というコーナーで配信され、
そこには「ライフスタイル」というカテゴライズがほどこされているのですが、
(前の清野さんの指摘どおり)果たしてレイヴ的なスタイルが“ライフスタイル”として確立しえるものか……
というところは難しい話ですよね。
レイヴは消費社会/産業社会にたいするカウンター(対抗勢力)として存立するものではなく、
前提とされるスタンダードな社会のほころび目にできた、異分子的な“在り方”ではないか、という話はここでも再三してきました。
その異分子というのに否定的な意味合いはないけれど、それをあまりにも手放しで礼賛しちゃっても、
実際のパーティの担い手たちの労苦から、逆に目をつむることになりかねない。
◆レイヴにおけるDIYの精神
話ついでになりますが、レイヴ的スタイルにコミットする態度ということでいえば、運営者側に回る、
というところまで極端に向かわなくても、参加者の側でやれること、というのもまた、十分あるようにも思えます。
前にも話したことの繰り返しかもしれないけど、
パーティというのは純粋に商業的なエンターテインメント・ショウではないので、
たとえば「入場料3000円払ったから、その分は楽しませてもらう」というような手合いのものでもないと思うんです。
もちろん支払った代価に見合うサウンドシステムやスペース、出演者を提供することが、
主催者側の最低限の責務だというのは当然の話として、
そこにプラスアルファされる付加価値的なもの……抽象的な説明になってしまいますが、
参加者の意気込みとか、
そこでの振るまいとか盛り上げとか……は、自発的に持ち寄っていかないと、どこからも出てこない。
つまり入場料を払った上で、さらに持ち寄るものが必要なんです。
オーガナイザーというのは、そういう「持ち寄り」の場をお膳立てすると同時に、
「持ち寄り」の達人みたいな能力をもつひとではないでしょうか?
(だからこそ「持ち寄り」の達人が、いつのまにか順・運営者みたいになるというのも、よくある話でしょうが)。
レイヴにおけるDIYの精神とでもいうものを、僕なりに説明すると、そんな感じなんですが、
じっさいにフリーパーティを日本でやってきた清野さんのモチヴェーションとは、どんなものなのですか?
その先日のフリーパーティの話で言い足せば、清野さんはあれで一銭も稼ぐわけではないし、
かたや参加したみんなの中には、
遠路はるばる交通費をかけて代々木まで来たひともいるかもしれないけど……基本的に無償で行われているパーティなわけですよね。
なのに、花見のシーズンとかぶっていたとはいえ、
あの場所のゴミの散らかり具合などは(清野さんもあとで嘆かれていたよう)ちょっとどうか?
という気がしましたよね。
エコロジーとか環境保護とか……それらはレイヴ・カルチャーと比較的親和性のあるイデオロギーだったりもしますが
……そういうものに倣って、
ゴミを片づけようという以前の話でしょう。
純然たるフリーパーティで、場所だって暫定的に“借用”しているところで、
好き放題やって汚しっぱなしにすれば、いずれは使えなくなる。それを回避したかったら、
吸い殻と空き缶ぐらい残していくな、と。パーティのカオティックな部分を愛する清野さんにしても、
それくらいの秩序はあったほうがいいと、常々思われているのではないでしょうか。
◆ダンスや放浪といったアクションから得られる“気づき”
ところで、ここでメールをやり取りしているうちに判明してきたのだけれど、
今年の夏〜秋は日本でも驚くほどたくさんのパーティが催されるみたいですね。
もちろん屋内のクラブでは、2〜3年前から毎週末のようにあちこちでパーティが林立するようになって久しいのだけど、
野外で2〜3日間といった比較的大掛かりなレイヴが、このぶんでは毎月のように開かれるのではないでしょうか。
DJやアーティストも有名どころは続々来日しますし……パーティーフリークにしてみれば、
なんとも喜ばしい事態かもしれないけど、わがままな意見をいわせてもらえば、
逆に目新しさとか有難みみたいなものは、いささか目減りしてきたような感もいなめません。
これだけパーティの数が増えたぶん、お客やシーンが拡大したり成長したりしているのかどうかも、さだかではありません。
数が増えればある段階から淘汰みたいなことが始まるかもしれないし、
うまく運営していかないと騒音や集会などの面から規制が加えられないとも限らない。でも、それもこれも含めて「何やら先行きが知れない」くらいのほうが、"rave"という言葉の原義には見合っているのかもしれません。
この往復メールを読んだひとがレイヴに関心をもち、実際にパーティーに参加してみたいというひとが出たら、
それはそれで素晴らしいことだと思います。僕も(おそらく清野さんも?)
「誰もがレイヴに参加するようになればいい」と思っているわけではない……つまりレイヴ宣教師なんかでは決してないわけだけど、
ある人たちにとって、そこでの体験は、自分の生活信条や価値観などを根底からゆり動かすような衝撃があるかもしれないわけで、
そういう経験は他にいくらでもあるものでもないでしょう
(ただそれが、本人にとっていいことなのかどうかは、何とも言えないという但し書きつきで)。
ちなみに前回のメールにて、清野さんはレイヴがひとに及ぼす影響について……
>�これは旅についても言えるけれど、そうする
>�人はレイヴになんか行かなくても、仕事をし
>�ていても同じことを考えたりしたりするはず
>�だとも思う。
とありましたよね。たしかにそうかもしれない。レイヴや旅のせいではなく、
もともと自分に内在していたものが浮かび上がってきただけ、
と考えれば。と同時に、ちょっと前の(3信目の)清野さんのメールにあったよう、
>�踊ってみてはじめてわかることがあるのと同
>�じように、移動してみてはじめてわかること
>�というのは(確かにある)
ということも、もう一方での事実だと思うのです。
きっかけにしか過ぎないのだけど、そういう契機が日常生活ではなかなか巡り合えなくなっている。
レイヴも旅も、その体験としての質を過大評価したり、いわゆる「自分探し」的な御題目に据えようとしても、
そううまくはいかない。ただ(これもまた、清野さんが続けて書かれていたよう)自己なり他者なるものを強烈につきつけられたり、
そういう実感を得たりすることが、普段の暮らしからごっそり抜け落ちているような状況下では、
ダンスや放浪といったアクションから得られる“気づき”というものも、そうそう「捨てたものではない」。
◆「濃密な体験」を求めたり感じたりしている気運が、同時代的に進行している
話はまた逸れますが、社会学者の宮台真司氏によれば、近代社会が完成を迎えたのち、
「意味や物語」から「強度や体感へ」という、
別のフェイズの充実や濃密さを求める動きが(ほぼ例外なく)世界中のあらゆる成熟社会で進展しているそうです。
彼の主たる考察対象である、援助交際や少年事件などから、レイヴのようなダンスブームまでもが、
こうした流れによって説明できる、といいます。援交のことはさておき、
ことダンスについては、たしかにそういう流れから説明することできるかも、
と思いました(清野さんの最初のメールでも、近い指摘がありました)。
と同時に、レイヴほどドラスティックなものではなくても、また別の手段によって、
似たような「濃密な体験」を求めたり感じたりしている気運が、
同時代的に進行しているのかもしれないとも思いました。
ちなみにここで付言しておけば、清野さんがパーティで感じる「物語性」とは、
大文字のイデオローグたる“物語”とは別物だろうし、僕がしばしば強調したレイヴから派生していく「動機づけ」の部分も、
いわば菓子のオマケみたいなもので、旧態依然とした“価値観”に比類するものではありません。
ただ、ひとがダンスにおける強度や体感を味わったのち、その「強烈な体験」を納得したいがため、
そこに何らかの「意味や物語」を見いだしたくなる心持ちというのは、わからなくもないし、
人間社会が「意味や物語」をまったく捨象して存立しえるのか、というのも疑問は残ります。
たしかに「(レイヴは)どこにも回収され得ないし、されなくてもいい」ものだけれど、そこで流れるサウンド同様、
パーティもまた、つねにゆるやかな変化を余儀なくされていくと思います。
僕らが「(自分達にとっての)レイヴとは、こういうことだ」と言葉を費やしてきたものも、
レイヴのほんの一面を語っただけかもしれません。そもそもお互い、パーティーの最中に、
こういうことを考え回したり話し合ったりしているわけでは全然ないのであって(笑)。
とりあえずこの往復メールでは、僕が聴き役として、清野さんにあれこれ問い掛けをぶつけるという役回りだったのですが、
いざ始めてみると、とりとめもなく思いついたことを僕が書き連ねたような感じになってしまいました。
でも、レイヴやトランスについて忌憚なくの話せるというのは、「踊る快楽」とはまた別の「気持ち良さ」があってよかった。
清野さん、どうもありがとうございました。次はまた、パーティ会場の渾沌たる“どんちゃん騒ぎ”の只中で、会いましょう。
◆パーティーはビジネス、か?
清野より
木村さんへ
ゴールデンウィークに入って、今年も野外のパーティーがはじまってしまった。
木村さんのメールにもあったけれど、今年は大きなパーティーがいくつも予定されてるようです。
富士ロック・フェスティバルも、去年はお台場でしたが、今年は苗場で三日間、アンダーワールドやケミカル・ブラザーズまで来るらしいです。
今年はゴアでもかなりたくさんパーティーがあったとゴア帰りの友達から聞きました。
どうも、パーティーの盛り上がりには「一年おき周期」というのがあるみたい。
まったくの偶然だけど,日本やゴアは実際に一年おきに波が来てる感じがする。
それで、今年になって思うのは、パーティーの入場料がかなり高くなったな、ということです。
昔は三千円ぐらいだったトランスのパーティーでも五千円ぐらいが今は普通だし、テクノのイベントだと一万円なんてのもある。
一万円も払ったライヴといえば、ローリングストーンズの東京ドームぐらいしか記憶にないです。
今年のロックフェスは三日間で三万九千円もするらしい! 確かにすごいバンドがたくさん来るけど、
これじゃいちばん行きたいはずの若い子たちはなかなか行けない値段だと思う。
インドのゴアのパーティーは、確かにタダです(今もそうだと思います)。
これはどういう仕組みになっているかというと、オーガナイザーがある程度のお金(数百ドル)を事前に用意して、
地元の警察と交渉して(具体的にはドネーションを払って)パーティーをする許可をもらっているようです。
パーティーの前や途中でドネーションの箱が回ってきて、パーティーに来た人から少しずつお金を集めるんですが、
あれだけでまかなえているとは思えないので、他にもいろいろ苦労があるんだろうと思います。
>�イベントとしてのパーティというものを考え
>�てみると、やはり商売のベースに乗るような
>�採算構造 で行われているものではないという
>�現実があるでしょう。
と木村さんは書いていましたが、ゴアは特別として、ヨーロッパでも、日本でも、
商業的な「イベント」と、そうではない「パーティー」に分かれてきているなという感じはします。
イギリスの場合は法律があって、パーティーの許可をもらうために警察に警備名目のお金を払ったりということがあって、
そのために、スポンサーまでついた商業的なものと、無許可のアンダーグラウンドなパーティーとの区分けがはっきりできていると言う人もいます。
日本でも、そこまでではないにしても、全体的に入場料はあがっているし、トランス以外のテクノのパーティーはかなりイベント色が強いものが増えていると思う。
僕の知り合いのあるイスラエル人は、「パーティーはビジネスだ」とはっきり言います。
日本の場合は、場所代が高い、ということもあるのだろうけれど、
それ以上に、台風と雨という自然条件がパーティーの値段を高くしているような気もします。
実際に、パーティーが台風に襲われて多額の借金ができた、という話などもあって、
連続してパーティーをやって行くにはある程度のお金をプールしないと続けて行けないという現実があるんだと思う。
◆まず、「自分たちで音を鳴らして楽しもう」
> じっさいにフリーパーティを日本でやってき
> た清野さんのモチヴェーションとは、どんな
> ものなのですか?
という質問が木村さんからあったので、そのことを少し書いてみます。
僕と僕の友達たちがそれをはじめたのは、三年前の冬ぐらいのことで、
最初はただ単に、寒くなってきて外のパーティーがなくなったて来たから自分たちでどこかで音を鳴らしてみない?
という感じでした。スピーカーも家のステレオのしょぼいものだったけれど、それでも知らない人が何人も手伝ってくれて、盛り上がった。
僕は前にクラブでDJをやったりしたことはあったんだけれど、フリーパーティーが自分たちでできちゃうんだというのは自分にとっても、
たぶん他の人たちにとっても新鮮な発見で、そこに来ていた他の人が、じゃあ来月はおれがやってみるわ、みたいな感じになって行った。
だから、モチベーションというほどのモチベーションは最初からなくて,自分たちが楽しめればいい、というスタンスは今も変わってないです。
というか、それを外れちゃうと、最初はただ楽しくてやっていたはずのことに、それ以外の要素がくっついてきてしまうようなところがある。
例えば、何度もパーティーをやってるうちに、人の数が増えて来て、時には数百人なんてことになった。そうなると、こっちももっと音を大きくしようとか、DJの数を増やしてみようとかいう方向に向かったことが過去にはあって、
その規模がある一線を超えると(どのぐらいというのは具体的に言うことが難しいのですが)、
「オーガナイザーと客」のような関係があそこの場所でもできて来てしまい、
「音が悪い」だとか「曲がどうの」だとか「何時から何時までやる予定なんだ」とか、そういうことを言われたりして、
友達と勝手に楽しんでたはずのことが面倒なものになって行った時期もあったのです。
パーティーが終わるたびにファミレスに行って,そういう話を何度も友達とした記憶があります。
やがて,ほどほどの規模というか,適当に踊れるけれど大がかりではないというか,そういう形が自然にできて行って,
今のような感じになっています。
いくら小さいパーティーでもお金は当然かかるし(たいした額ではないですが),車も必要だったりするんですが、
友達が出資してくれる以外にあそこでドネーションを集めないのは、そういう理由からです。お金を集めれば、たぶん
>�たとえば「入場料3000円払ったから、そ
>�の分は楽しませてもらう」
みたいなことが出てくると思ったから。やっていないのでわからないけれど。。そうなると、最初の「自分たちで音を鳴らして楽しもう」というのからどんどん外れてしまうような気がした。それに、
>�花見のシーズンとかぶっていたとはいえ、あ
>�の場所のゴミの散らかり具合などは(清野さ
>�んもあとで嘆かれていたよう)ちょっとどう
>�か?という気がしましたよね。
というのが現実で、いくら何でもひどい状況という時もままあります。
結局,こちらもそういう部分では何かを期待しているわけではないし,あそこに来る人も,
まあやっていることはだいたいわかっていて,こういう感じだよね,
というぐらいの微妙なバランスの上であそこのパーティーは成り立っています。
音に関しても、もっと大きな音を出そうと思えば出せるんだけれど、
何度も試行錯誤を繰り返すうちに、みんなが気持ち良く踊れてかつ大がかりでもない、
最小限のサンドシステムに落ち着きました。三年の間にいろいろ試したんですが、
最初はジネレーターを使っていて,これはあたりまえですが,
エンジンの音がうるさいのとガソリンを使うのでスマートじゃないということになって,
次は乾電池を使ってみようということになった。
乾電池で踊れる音が出せるサウンソシステムなんかどこにも売ってないから,自分で作るしかない。
乾電池時代というのがしばらく続きました。そのころは,乾電池でやってるのを知ってる人たちが,
乾電池の差し入れを持ってきてくれたり,寒い時にはホッカイロで乾電池をあっためたり,
鍋で電池を煮たりして,あれはあれで面白かったです。今年になってからは,車のバッテリーを使って,
前よりかなりいい音が出せるようになった。モチベーションはないと書きましたが、
音に関していえば、最小のサイズで最大の音が出るサウンドシステムを作るという作業はいつもある。
ただ、そんなことをやってるうちに、知らない人がビールを持って来てくれたり、片づけを手伝ってくれたり、
サウンドシステムに驚く人がいたり、パーティーをやってることそのものに感激してくれる人がいたりして、
だから、あのパーティーはこれからもずっと続けて行くと思います。
それが、
> “ライフスタイル”
ではないけれど,考えてみると、海外に旅行に出るく時はもちろん、ちょっと公園に散歩に行く時でも、
小さいスピーカーを抱えて行くのは自分の日常生活の一部になっていたりはします。
それと同じように、多くのパーティーに来る人にとっては、たまに自然の中で思いっきり踊って帰って来ることが、
生活のリズムの一部になっている面があると思う。昔はよく踊っていたのに最近はパーティーにあまり行かなくなったという人でも,
パーティーで味わった感じというのはずっとカラダやアタマの中に残っていると思う。
◆レイヴやパーティーは,僕たちから,シニカルな態度を取っ払ってしまった
>�社会学者の宮台真司氏によれば、近代社会が
>�完成を迎えたのち、「意味や物語」から「強
>�度や体感へ」という、別のフェイズの充実や
>�濃密さを求める動きが(ほぼ例外なく)世界
>�中のあらゆる成熟社会で進展しているそうで
>�す。彼の主たる考察対象である、援助交際や
>�少年事件などから、レイヴのようなダンスブー
>�ムまでもが、こうした流れによって説明でき
>�る、といいます。援交のことはさておき、こ
>�とダンスについては、たしかにそういう流れ
>�から説明することできるかも、と思いました
>�(清野さんの最初のメールでも、近い指摘が
>�ありました)。と同時に、レイヴほどドラス
>�ティックなものではなくても、また別の手段
>�によって、似たような「濃密な体験」を求め
>�たり感じたりしている気運が、同時代的に進
>�行しているのかもしれないとも思いました。
という部分を読んで考えてみたのですが、「意味や物語」が人間の観念に関することだとすれば、
「強度や体感」はより身体性=カラダに近い部分の快楽なり感触だと思う。
僕は『Rave Traveller』を書いた時に、細かい経緯はここでは省きますが、最後に観念と身体性という所に行き着いて、
そのことをいろいろ書いたのですが,結局踊ることはどうしたって、身体性の話で,
観念の先の部分で快楽を感じたいという身体的な欲望の病のようなものだと思った。
観念だけでは射精できない、どうしようもないカラダがそこにはある。
そのカラダが、踊らせるのだ。意味を突き抜けた快楽を求めさせると。ただそれが,
身体性にだけリアリティーがあるということなのかというと,そうではない。
巨大な自然や、旅や、八時間のダンスの果てに感じるものは、
自分がそれまで抱えていた何かを……自分の中にたまった重さや,観念的なものや,
身体的なものを,どこかで突破する感触だと思う。そうさせるのは,カラダだけではない。
カラダを突き詰めて行ったときに、日常の意識が剥がされて、その奥にあるものが剥き出しになるような事態が起きる。
それを求めるのは,自分の資質に関わる事態だといってもいいし,欲望に関わる事態だといってもいいと思う。だから,
レイヴは社会現象として語られがちだけれど,実はそれは,文学や,宗教や,セックスや,旅や,犯罪といったものと同じ範疇にある,
濃密な体験のひとつなのだと思う。
そうやって,レイヴやパーティーは,僕や,僕の友達たちから,シニカルな態度を取っ払ってしまった。
僕は確かに,十年前よりはずっと凶暴な日常を生きている。
ユーゴスラビアが爆撃される時代に生きている。ダブルバインドかトリプルバインドかもわからないような時代に生きている。
経済だけが根本原理になった時代に生きている。そこで陥ってしまいがちなシニカルさを,レイヴは取っ払ってしまった。
そして,パンクがそうだったように,イノセントや,熱狂や,暗さや,混沌や,快楽や,強さや,信頼を,
月や太陽の下で地面を踏みつけるどんちゃん騒ぎを、つまりは生命力をもたらした。
三十歳に差しかかってますます重く面倒でわけのわからないものになっていくアタマとカラダを、熱の中でもみくちゃにした。
僕と木村さんとのメールの交換は,ほぼ四カ月間にもわたり,最初の予想よりはかなり長くて,
枝葉の多いものになったと思います。パーティーで踊っている時はもちろん,
こういう話を誰かと面と向かってしてみたことはほとんどなかったので,
自分の中にも何か大きなものが残されたような気がしています。
ゴールデンウィークに久しぶりに日本の山の中で踊って思った言葉を最後に書きます。
パーティーはいいものだ。
こうして自分の負の部分を押さえきれないで、ぶちまけちゃってるのってさ
後で自分で見てどう思うんだろうな。
何か本気で可哀想だよ・・・・・ずいぶん前から怒る気にもならない・・・
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
サニヤシンとは、何かを ”信仰する人” ではないということ
あなたを神から遠ざけているのは信仰だ。
信仰が落とされたら、ただちにあなたは神の中にいる。あなたは神だ。
信じることには何の意味もない。
あなたは知らないものだけを信じる。
信仰は無知から生まれる。
あなたは神を知らない。
あなたが神の存在を信じるのはそのためだ。
そして、もしあなたが信じつづけるとしたら、気をつけなさい。
あなたはけっして知るには至らない。
信仰とは、あなたが自分の無知を隠していることに他ならない。
あなたはそれを隠し、飾り立て、もう少し心地よく、便利で、無難なものに仕立て上げてゆく。
神を知らずにいることは不安であるがゆえに、あなたは信仰にしがみつく。
そして、いかにも私は知っていると感じるようになる。
自分を仕向ける。
何度も何度もその信条を不断にくり返すことで、あなたは「私は知っている!私は信じている!」という一種の自己催眠をかけはじめる。
>>80 必死にヒッピー被れの精神論を垂れ流してるのに誰も相手してあげないからだろw
スルーして削除依頼だしとけ
日本人って踊らないですよね。レイブやパラパラが好きな人とか、ダンスチーム
みたいな一部の人以外、特に30代以上の男性は踊りが少ない気がします。
以前NPO活動で南米のエクアドルに行っていた方に聞いたのですが、現地の宴会で
サルサのような音楽で踊りを楽しんでいる現地の人にこう言われたそうです。
「日本人はいいよなー。だって、豊かな国だから、毎日踊りが踊れるだろ?
オレたちは貧しいから週に3回しか踊れない。 エッ? 日本人はほとんど
踊ってない? そんなの豊かになった意味がないじゃないか」
この話、私には結構インパクトがあったのですが、
日本人には踊りが足りない、という事実はもっとちゃんと課題として
検討してもいいのではないかと。
レイブで踊ってトランスする、という若い人達の欲求はすごくよくわかるのですが
そういう呪術的空間への退行ではない、「ダンス」「ヴォイス」のありかたというのは、
どうすれば可能なのでしょうか?
これは日本人の日常生活の振る舞いをある種制御してきた「所作」という概念
とも関係してくると思うのですが。
2年程前、様々なレイブのオーガナイザーがパネリストとなった 集まりがありました。
人生を変えてしまうような素晴らしいパーティを現実に行った人たちです。
彼らの話を興味深く聞いていたところ、最後の方でこんな質問をした女の子がいました。
「森の中でそんなに大きな音を出して、動物達が怖がったりしないんですか?」
その時、Takechanはとんでもないショックを受けました。そんなこと、その時まで考えた事もなかったからです。
その場にいた誰もが一瞬、言葉に詰まっていました。
レイブパーティが例えば「自然との一体感」だとか、 「参加者全員の一体感」といった言葉で表現されるとき、
それはそれで真実ではあるし、確かに"あの"感覚は素晴らしいものがあるのだけれど、
そこに果たしてどれだけ自分らのエゴが介在しているのだろうか、
そんなことを考えたとき、自分のやりたいパーティが見えてきました。
自然の中で自由な空間を作り出すことはとても難しいけれど、 でも”とてつもなく楽しい”営みです。
これをなるべく多くの人とシェアしたい。
WaterAirSunlightは、パーティの名前ですが、同時にプロジェクトの名前でもあります。
テーマは「DIY」と「トランスパーソナル」そして「ナレッジシェアリング」。
最終目標は「レイブ」「エコロジー」「トランスパーソナル」の3つを統合することです。
そのために、
1.なるべく環境負荷の少ない方法で手作りのパーティを行い
(パーティ自体のコンセプトは下にまとめてあります)、
2.なおかつ「トランスパーソナル(超個)」の意識レベルを体感し(後述)、
3.生み出した方法論を随時HPや小冊子で公開していきます。
WaterAirSunlightは、サイケデリックトランスを中心とした野外パーティですが、
その母体は、 あかねというお店でやっていた 「テクノナイト」です。
主催のmakossaとtakechanはテクノが大好きで、以前から「自分達でパーティをやりたいな〜」と思っていました。
しかし二人ともお金を持っていませんでしたので、
「まず、機材を揃えてから・・・」などと言っていては いつまでたってもパーティが始められないことは最初から分かっていました。
ですから、CDウォークマン2台をミキサーに繋いで、店の機器から音を出す形で クラブイベントをやっていました。
CDウォークマン2台とミキサーだけでも立派なパーティができる! というのは発見、でした。
そのうちに、あかねを根城とする だめ連 のKaminagaさんもレイヴ好きになり(折に触れてレイブやトランスに関する発言が多くなる)、
トークライブの後、店舗の機材を借りて参加者が各々、好きな音楽をかけて踊る「クラブだめトランス」というパーティを始めました。
Takechanは、そこでも良くDJをやっていました。
また、 Kaminagaさんは二子玉川の土手や野川公園で「ラジカセレイブ」をやったりしていたそうです。
それに続く形で、Makossaは清野栄一氏のHP を参照し、自作のスピーカーとアンプでパーティを行います。
高さ40cm程のスピーカー1つとウォークマン2台、カーバッテリーと 電池で動くミキサー、プラスチックの弁当箱に入った小さな自作アンプ。
たったそれだけをカートに積んで、 Makossaは野川公園・二子玉川でパーティを開きました。
最低限の機材、それも主要なもののほとんどが素人の自作、というパーティでしたが、
そこにはパーティの面白さがぎゅっと濃縮されているようにTakechanには感じられました。
"パーティを自分でやる面白さ"を知り始めたばかりのTakechanもこれに参加し、自分のパーティを開く決心をします。
"お金や経験や人脈が無くっても、工夫次第で面白いパーティが作れる"という確信を深めたTakechanは、
Makossaに続いて自作のスピーカとアンプを作る決心をします。
実際にアンプとスピーカを作ってみたTakechanはそのあまりの簡単さ&低コストさ
(材料費だけなら一式3万円以下!しかも内1万は絵の具代)にびっくりします。
ちょっとしたはんだ付けの経験( ○ ○)と、時間さえあれば、 誰でも数万円のお金で小規模なパーティを開けることが分かりました。
この方法を公開しない手はない!ということで、パーティ開始に前後してこのHPを立ち上げました。
後ほど書きますが、レイブパーティには自然と触れ合う機会だけではなく、
今では数少なくなった「人間性を回復させてくれる機会」を提供してくれます。
閉鎖的で排他的な印象を与えかねないクラブや、一晩で5000円もの料金を取る
(しかも車が無いと行けない)大型のレイブパーティにはなかなか行けない人が、
このパーティには来てくれればいいと思います。
お金が無かったり、いきなり他人と会話したりするのが厳しかったりする若者が、
もっと気軽に参加できるレイブパーティが増えてくれればいいとTakechanは思っています。
5 concept
WaterAirSunlightは、他のレイブパーティとは幾分異なった特徴を持っています。
1、化石燃料をなるべく使わない
・・・サウンドシステムは充電したバッテリーを用いる。充電には太陽電池を使う場合がある。
2、フリーパーティ(入場料を取らない)である。
・・・経費はカンパで賄う。当然、機材や交通費はなるべく切り詰める。
3、機材はなるべく手作り
・・・今のところ、スピーカー、アンプは自作している。
4、表現の機会
・・・「僕もDJをやってみたい」という人にはDJプレイをお願いする。お客で来たミュージシャンにも積極的に演奏をお願いしている。
5、「トランスパーソナル心理学」をパーティの基本コンセプトに置いている。
例え一般的なレイブに行ったことのない人でも、「ちょっと変わったことをやっているな」と思われると思います。
順に説明していきます
「1、化石燃料を用いない」
化石燃料に依存したエネルギーは、資源の枯渇、二酸化炭素の排出だけではなく、
最近では石油の利権を求めて様々な悲惨な争い(原因はそれだけでは無いでしょうが)が起こっていることも周知のとおりです。
パーティという空間を、化石燃料を全く使わずに構築してみせることは、
工夫次第で持続可能な社会を作り出すことは可能だ(しかも楽しく!)ということを示す絶好のデモンストレーションになるでしょう。
当然、機材は消費電力の少ないものを使わざるを得ませんし、あえて制約を設けることによって、様々なアイデアが生まれてくることもあります。
「2、お金を取らない(カンパ制)」
この地球上で生きていく上で、「お金」というものの本質を知ることは重要です。
現代ほど、お金に関しての恐ろしい誤解が広まっている時代はありません。
世界中の人間が日本人と同じ生活水準を維持しようとすると、地球が3つ、必要になるそうです。
お金を沢山稼ぎ、沢山消費するという、私たちの標準的なライフサイクルは、既に環境が許容している範囲を大きく逸脱してしまっています。
生活の必要よりもはるかに沢山のお金を稼ぎ、それによるストレスを、お金を沢山消費することによって解消しようとする、
そうした生活モデルそのものが見直しを迫られています。
「機材はなるべく手作りする」にも関連していますが、パーティをなるべくローコストで行い、その分参加費は無料にしています。
必要な経費はカンパで賄います。
(具体的には、パーティが盛り上がった時に、カンパの箱をお客さんに回します。
そうすると、お金の無い人は数百円、ある人は沢山のお金を箱に入れてくれる、というシステムです)
「お金をかけなくてもこれだけ楽しいことが出来る」ということを証明することが出来れば、
現在何となく常識とされてしまっている「楽しみにはお金がかかる」という概念のアンチテーゼになります。
実際、レイブに来る若者には「たくさん稼いでたくさん消費する」ライフスタイルには疑問を持っているひとが多いようです。
節約してお金をため、長期の旅行に出る人も居ます。
「3.機材はなるべく手作りする」
このコンセプトには、コストを圧縮する目的の他に、DIY(Do It Yourself)の精神があります。
お金や専門知識がなくても、野外パーティをやりたいという意思があれば、パーティを開くことが出来ます。
パーティには人と人とを出会わせ、人間性を回復させる力を持っています。
ましてや、パーティを自ら主催することによって、非常に多くの、貴重な体験をすることが出来ます。
金銭やノウハウの壁によってパーティが開けないのは惜しいことです。
ここでは、スピーカー等機材の作り方や、太陽電池を使った充電のやり方などをHPで公開しています。
「4.表現の機会」
レイブパーティがいわゆるディスコパーティと異なる最も顕著な特徴は、参加者が受身的でなく、
自らその場の流れを作り出すこと、とされています。
面倒なルールや規制の価値基準からなるべく自由な「場」を、参加者全員が作り出し、共有します。
その際、オーガナイザーやDJが「触媒」の役割を果たします。
また、自然の中というシチュエーションを上手に利用したデコレーション、
工夫を凝らした料理(やはり、成熟したパーティなどでは、オーガニックフード等が好まれる傾向にあるようです)、
音響システム等も重要な要素です。
WaterAirSunlightでは、来てくれた人に、こうした表現の機会をなるべく多く持ってもらう機会を提供しています
(無料の為、オーガナイザーの負担を減らす工夫でもありますが)。
各々が「生き物」としてのパーティに加わることにより、受信者でもあると同時に発信者でもある、という経験を共有してもらいます。
パーティを単なる消費で終らせない為の工夫です。
「5.トランスパーソナル」に関しては,別項とコラムで解説します。
feel the transpersonal
パーティ、特にダンスによって自らの内面を周囲に表出し、それを不特定多数の人に受容してもらう、という体験・・・。
これは、現在の日本では全くといっていいほど体験できないものですが、心理学的な面から見ても、
非常に優れたセラピー効果があることが分かってきています。
大学・大学院で生物学を学んだTakechanは、分子の相互作用のみによって意識を説明しようとする方法論に限界を感じ、
生物学者になるのを諦め(パーティ三昧で勉強しなかったから、いう説も一部にありますが)、コンサルティングの会社に入りました。
ところが皮肉なことに、このビジネスの現場で「人間の心理」についてより深い洞察を得る必要に迫られました。
その末にたどり着いたのが「トランスパーソナル心理学」だったのです。
「トランスパーソナル心理学」は、60年代アメリカ西海岸における思想のごった煮の中から生まれました。
1960年代、人間心理を「神経症」「性欲」「本能」といった低次の部分によって説明する従来の心理学に対抗し
「自由」「創造性」「愛」「自己実現」など人間のより高次な部分をも研究対象とする「人間性心理学」が、
マズローらによって提唱されました。
そしてさらに、人間の意識経験として、「真・善・美」に通じる至高的体験・・・個別の肉体によって他者や環境から分離している、
個人的(パーソナル)な意識体験に加え、他者や包括的な人類、地球・宇宙全体に一体化するようなより広く深い意識状態・・・も存在を認め、
こうした至高の体験も心理学の対象として扱おう、という動きがトランスパーソナル心理学です。
従来の心理学に加え、個人性を超える意識体験に学問の光を当てる心理学であるといえます。
また、こうした取り組みの成果により、日本の禅やインドのヨーガといった東洋宗教に対しても、
西洋心理学の科学的メソッド(仮説−実験−証明のプロセス。この場合はセラピーによる臨床報告の解析などが含まれる)を用いた研究を行い、
様々な成果が生まれています。
日本では、まだ紹介されてから20年程しか経っていませんが、今後ますますこの考え方は広まって行くだろう、とTakechanは考えています。
トランスパーソナルの考えによれば、人間の意識は
「前個的」(自我が未発達な段階・乳幼児など)
→「個的」(自我が完成された段階・旧来の心理学ではこれが到達点とされていた)
→「超個的」(自我を内側に含みつつ、自我を超えた意識状態)
という段階を経て成長します。この「意識進化」のモデルを提唱したことはトランスパーソナル研究の大きな成果であるといえます。
そして、このトランスパーソナルが説明する様々な「意識」に関する考察は、
現代のシャーマニズムともいえるレイブパーティがもたらす劇的な効果を目の当たりにしてきたTakechanにとって、非常に納得のいくものでした。
パーティがもたらすポジティブな効果・・・社会的に押し付けられた「仮面(ペルソナ)」としての自己ではなく、
そのもっと奥に潜む自己の存在に気付く事。
そしてそれを周囲の人々に非常にポジティブな形で受け入れてもらう経験をもつという事は、
これは既に娯楽の一線を超えた意識進化の効果をもたらすのではないか、と最近のTakechanは考えています。
「意識進化」というキーワード、つまり「私達が意識を進化させていくこと」、その意味を考えてみる時、ひょっとしたら、
これこそが、現在私達が直面している様々な難問の究極的な解決手段となりうるのではないか、とすら、Takechanは考えています。
part of nature
以前の僕は、音楽好きの若者が野外で遊びに行くようになり、自然と触れ合うことの有効性についてなんら疑いを持っていませんでした。
実際、レイブパーティに行くようになってから、傷ついた人間性を回復した者を僕は何人も知っています。
面白い例としては、引きこもりから脱出した人もいます。
しかし、「森の中でそんなに大きな音を出して、動物達が怖がったりしないんですか?」
という問いには、答えることが出来ませんでした。
僕達は何十回も森の中でパーティをやっていながら、森に住む動物達について深く考えることがなかったのです。
それなのに「自然のなかで踊る楽しみ」などと謳っていたわけです。
僕は今、東京に住んで働き、週末は自然の中に遊びに出かけていく、という生活をしています。
このような生活をしていると、どうしても自然環境そのものを「癒し」だとか「保護するもの」というような視点で、
まるでテレビや冷蔵庫のような「道具」として見てしまっているように感じてしまうことがあります。
自然の中で思いっきり楽しく遊んで、自然と一体化した気持ちになる、それ自体は素晴らしいことです。
しかし、自然の捉え方を一歩間違うと、僕達を「消費者」「ユーザー」の位置に押しやり、
逆に自然を「僕達にサービスしてくれる存在」と捉えるようになってしまいます。
「環境保護」を「私たちにきれいな空気や水を提供(サービス)してくれる存在を守ろう」というなんとも傲慢な発想が生まれてしまいます。
あの質問は、自然の側からの僕達に対する問いかけであったように思えてなりません。
「あなたは「自然の中で遊ぶ」というけれど、あなた自身も自然の一部ではないの?」と。
ディープエコロジーの思想では、自然と自我を本質的には同一のものと定義し、
自然を傷つける=自分自身を傷付ける という発想から環境保護を捉えなおそうとしています。
レイブパーティそれ自体は、人々を自然に誘う引力を持っています。
自然の中に音楽や踊りを持ち込み、生活にフィードバックする営みは文明成立以前から人類が行ってきたことです。
言葉は似ていますが、レイブを通じて
「自然と一体化したように感じる」ことと
「自分は最初から自然の一部であることに気付く」こと、
この両者のギャップをどう解消するか、というのが、本当にいいパーティを作り出すための課題なのかもしれません。
WaterAirSunlightは、今、この認識のもとに動いています
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
なにこの低次元のなりすましwww
しかも
>>80>>83をはじめとするご丁寧な自演つき
前スレでコピペ発狂してた(ふりしてた)のも
なんかあるとすぐ別スレたてて事の沈静化をはかろうとしてんのも
全てにおいてアチャーなお前だろ
こいつ一人がこの界隈からきれいさっぱりいなくなるだけで
レイバーをとりまく印象が相当よくなるはずだと切におもうが
↑誘導乙www
延々と糞つまらん精神論をほざいた挙句がコピペと低レベルな誘導か?
お前の言うヒッピー被れのレイヴ文化とやらなんて誰も興味ねーんだよ
煽り以外で反応した奴なんて一人も居なかっただろ?
自分の考えを受け入れない奴を偽レイバー扱い結構だが
そろそろ自分一人だけのオナニーって事をわかれよwwwwwwww
せっかく一生懸命語ったのに誰も反応せず、切れてコピペ荒らし結構だが。
その前に寝言はチラシの裏にでも書いとけ厨房wwwww
無職でも朝ちゃんと起きるんですね。
90年代という時代は、後世ふりかえったときに、どんな時代だったという風に記憶されるのだろう。
永遠に続くと思った冷戦があっけなくソ連の負けで終わり、いまだに真相がよくわからない湾岸戦争が起こって、
日本ではバブルといわれたキチガイじみた時代が終わった。
気がついたらアメリカは相変わらず世界の中心で、洗練をきわめる消費資本主義は、ぼくらの欲望と消費との間隔を秒単位まで圧縮している。
世界中を神経回路のように覆いつくすインターネットは、いまやあらゆる欲望がデジタル化され、取り引きされる場となった。
セックスや物欲だけでない。表現欲までもが野放しになっている。
脳みそが欲情したとたん、欲望のパルスは電子化され、世界中を駆けめぐり、クレジットカードの口座から引き落とされる。
資本主義の夢みる最終形態はもうすぐだ。情報エロティシズムを基礎にする資本主義。
ここでは脳味噌自体がネットに直結し、勃起したとたんに射精させられるのだ。
その反対にあるのが、「身体というデバイスの脱身体化を通してエクスタシーに至る」
というプロセス主体のエロティシズム、つまりセックス、ドラッグ、ダンスミュージックだ。
これのいいところは(やり方さえうまければ)カネがあまりかからないことと、エクスタシーへいたる道筋を自分でコントロールできることだ。
物欲に基づいた消費は、あくまでも引き延ばされた快楽への予感でしかないから、快楽殺人と同じで、限度がない。
それに、物を買うことでイクやつはいない(いたら尊敬してやる)。
1988年、セカンド・サマー・オブ・ラブと(ごく一部だけで)呼ばれたあの年。
死にかけていたロックは、ダンスミュージックと出会うことで息を吹き返した。
音楽が聴くためものではなくて、踊るためのものである、ということに気づいた人は、少しづつ、しかし確実に増えていった。
踊ることは、自分に気づくことだ。自分の体と精神をコントロールして、ゆっくりと快楽に導くことだから。
……前フリが長くなってしまったけど、そんなことを、清野栄一という人が書いた『RAVE TRAVELLER ―― 踊る旅人』を読んで思った。
なにより文章がいい。この本は、踊ることに取り憑かれた一人の日本人の放浪記として読んでもいいし、
素直に90年代の青春の記録として読んでもいいと思う。僕にはこの作品は小説のように読めた。
ダンスミュージックという謎をとくための何かを探しつづける、シーク&ファインドのロードノヴェルだ。少なくとも、
これはニュージャーナリズムではない。
『RAVE TRAVELLER―― 踊る旅人』には、インターネット上にあるさまざまなレイヴにかんする情報源のURLが掲載されている。
それだけではなくて、ネットワークとウェブという概念を基礎に革命を論じたハキム・ベイの『T.A.Z.』という著作への言及もある。
『T.A.Z.』とはテンポラリー・オートノマス・ゾーン、「一時的に解放された自由な空間」という抽象的な概念だ。
テント芝居とか野外レイヴのようなフィジカルな空間だけでなく、ある種のウェブサイトを思い浮かべてもいい。
お望みなら五月革命とか、さらにパリコミューンまで遡ってもいい。
インターネット上でも英語のテキストが流布していたが、ようやく『T.A.Z.――一時的自律ゾーン』というかたちで翻訳され、日本語で読めるようになった。
ただし、前書きで著者本人が書いているように、この本が書かれた80年代と今とでは、世界はまったく変わってしまった。
冷戦中に書かれたこの著作は、いまでは批判的再読以外には耐ええない。
にもかかわらず、翻訳版の訳者あとがきからは、著者自身のあきらめに似た前書きと対照的な、楽天的なインターネット幻想しか読みとれない。
これでは読み手を決定的な誤読に導くだろう。政治幻想から醒めない人だけが、アート幻想をいまだに持ち続けられる。
一種のエリート主義者だけが、呑気にインターネットを革命の場だなんていえるのだ。ポストモダン思想は、そういう呑気な幻想を持った人にとってこそ、いいクスリだったはずなのに。
そんなことを考えつつ、「90年代文化論」という副題のついたギルバート・アデアという人の『ポストモダニストは二度ベルを鳴らす』を読む。
いまとなっては、ここで議論されていることがらですら、とんでもなく大昔の話のような気がするくらいだから、
『T.A.Z.』の訳者の時代錯誤には哀れみを感じる。そういう意味では、この二冊は対にして読むといいだろう。
92年に出版されたこのエッセイ集は、書き下ろしの序文をのぞくと、刊行にさきだって様々な雑誌や新聞に発表された文章をあつめている。
ここで論じられているのは、おもに1990年前後、東西冷戦終了前後のポップカルチャーの状況だ。
これらがすでに懐かしく思われるのはなぜか。ポストモダンなんて言葉が空々しく聞こえるほど、現実の世界はシビアな状況にあるからだ。
時代の状況は、まちがいなくどんどん悪くなっている。
総ての価値が等価だなんて呑気なことを言える人は、ネコの首も人間の首も同じだと思った少年と同じだ。
そういう立場は「ありうる」けど、それをいい続ける勇気はあるのだろうか?
いざとなったら、反動的な保守主義者になって、伝統的な文化とかアートとか政治に逃げ込むんじゃないのか。
アデアという人は、イギリスの作家兼批評家らしいが、批評家でありながら作家でいられる人を僕は信じない。
たしかに『ポストモダニストは二度ベルを鳴らす』というのは気が利いたタイトルだけど、そのあとにこう続けるべきだろう。
「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」。
気を取り直して、アーウィン・ウェルシュの最新刊を読もう。
短編集『エクスタシー』だ。映画『トレインスポッティング』はサントラも含めてすごくよかったけれど、
正直言って原作を読む気にはなれなかった。その後二作目の長編『マラボゥストーク』もなんとなく読まなかったのに、
ウェルシュの三冊目は装丁がよかったのでつい買ってしまった。
阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』のときと同じで、完全なジャケ買いだけど、これは大正解だった。
「三つのケミカル・ストーリー」と題された、三つの短編のコンピレーションだが、ここに治められた三作品の味わいの違いからも、
この作家がかなり幅広い芸風をもった人、つまり一時的な流行ではない、本物の作家だということがわかる。
僕の場合、ハーレクインロマンスを脱構築したみたいな一話目「ロレイン、リヴィングストンへ行く」で大笑いして、
ひとつとばして、ダグラス・クープランドをちょっと思わせる三話目のいかにも90年的なXジェネレーション恋愛小説「懲りない」でホノボノとし、
二話目のハードコアなピカレスク・ロマン「幸福はいつも隠れている」を最後に読んで、完全に打ちのめされた。
全部読んでから思ったけれど、おそらく載ってる順に素直に読むのがいちばんいいだろう。
あとがきによれば、この作品はすでに映画化が決まっているらしい。
もし三作とも映像化するなら、サウンドトラックにはABCだけでなく、モリッシーの「モンスターが生まれる11月」を必ず入れてくれるようにお願いしたい。
なぜ、僕らは「レイブ」へ向かうのか・・
◆レイブ体験の深みや広がりを話しあいましょう。
レイヴをテーマにした往復メールというのがここでの趣旨でして、そもそもこれは昨年の春〜夏頃、
Hotwired内のCAVEという(オルタナティヴ・ヴァリューを合い言葉にした)コーナーに、
「レイヴ」とか「サイケデリック・トランス」といったトピックを、僕が寄稿したあたりに端を発した話でもあります。
最初におさらいしておけば、ここでいうレイヴ(あるいはパーティ)とは「野外あるいはそれに準じた場所で、
集団で踊り明かす営為」と要約できますよね。音楽、主にテクノ・ミュージックに合わせて、深夜から朝方〜はては昼過ぎまで、
みんなで自由気ままに飽きるまで踊る……こうしたムーヴメントが、80年代終盤のイギリスやヨーロッパに端を発し、
ここ10年の間にアジア・アフリカのリゾート地や、さらには日本にまで広がりをみせているのが現状です。
数のうえでは、ロックやポップスのような“マス・マーケット”には到底及ばないとしても、その影響力は、
たんなる音楽体験にとどまらず、(大袈裟に聞こえるかもしれないけど)身体や意識、生活の在り方そのものまで変えていくような深度をそなえおり、そういう意味で僕はレイヴに「オルタナティヴ・ヴァリュー」を見出していた……そんな感じです。
CAVEの解説はほんの概略でしかなく、レイヴの「オルタナティヴ性」を説明するためには、
もう少し踏み込んだ記述が必要な気がした一方、レイヴやパーティには「体験主義」的な(セオリー化しづらい)側面が色濃いこともあって、
ある客観性をもってそれを記述するのが、けっこうむずかしい気もしました。
また僕自身レイヴを体験するようになったのは、ここ2年くらいの(それも国内に限った)話だという、経験上の制約もあります。
そんなことから、ここでは世界各地のレイヴシーンに通暁している清野さんを相手に、
レイヴ体験の深みや広がりをざっくばらんに話しあうことで、あまり独りよがりにならない話ができればと考えています。
もちろんそれはレイヴ礼賛に終始する必要もなく、レイヴの魅力や可能性の裏にひそむ問題点や限界みたいな話になってもいいかと思います。
◆“集団”で“バラバラ”に“身体を動かす”行為
僕の持論としては、レイヴの面白さ=経験としての目新しさは「“集団”で“バラバラ/ふぞろい”に“踊る=身体を動かす”」という、
この3つの要素の重なり合いにあるような気がします。自宅でCDに合わせてひとりで踊っても、そんなに心地良くはない。
かたや動作はバラバラとはいえ、(サウンドやスタイルに関する)ある志向を共有する有志が何百〜何千人と集まり踊ることで醸し出される「場」の盛り上がり……
それは従来のコンサートやスポーツ観戦、集会等にも存在したけれど、それらには主役←→観衆という区分けが厳然とありました。
しかしレイヴやパーティの場合、アーティストやDJも大切だけど、参加者の気質や“ノリ”が「場」の形成を大きく左右するという意味で、
既存のイベントとはずいぶん様子が違うように思えます。
集団と身体性という意味では「団体スポーツでもやればいいじゃないか」という声もあるけれど、
スポーツにはルールや様々な決め事があって“バラバラ”では成立しえない。レイヴでの決まり事といえば、せいぜい「(あからさまに)人を不愉快にしないこと」ぐらいでしょう。
集団で踊るといっても、ダンスの型すら全然決まっていない。伝統舞踊やモダンダンス、
あるいはディスコダンスとの決定的な違いはこの「不定形さ」でしょう。自分が一番気持ちいい運動をすればいい。
踊りたくなければ休んでいたってかまわない……ひじょうに自由度が高い営みです。
と同時に、レイヴにおけるダンスは(鶴見済氏の言を借りれば)「徹底的に無意味な行為」でもあります。
にもかかわらず、僕を含めた少なからずの人間が「“集団”で“バラバラ”に“身体を動かす”」ことに親和性を持っているということは、
逆のフェイズである「“個別的”で“決め事にしばられた”“頭脳的”」な営為――たとえば「労働」や「学習」や「生産」、
一般社会における「人間関係」などなど――にたいする反動のようにも考えられます。
それだけでは「現実逃避」かもしれないけれど、実社会の閉塞感にただ押しつぶされるよりは
「踊らずにはいられない身体」に気づき(一時とはいえ)それに忠実になるというのも、また「オルタナティヴな態度」ではないか、と。
のっけから「レイヴの社会的/思想的な意味合い」など切り出してもどうか思い、
まずはごく感覚的な話から始めたかったのですが……とりとめもない前振りになってしまいました。
もちろん「ダンスとトランス」「旅とレイヴ」など、まだ触れてない話題も多々ありますが、
とりあえずは清野さんにも「(自分が)レイヴに惹きつけられるのは何ゆえか?」みたいなところからお話を伺ってみたいです。
もちろんそれが社会性なり文化背景と関連するものであれば、そういうことに触れられてもかまいません。
◆レイブは「一人称」
最初に木村さんにレイヴについての俯瞰的なことをまとめていただいて、僕のほうはだいぶ入りやすくなったという感があります。
だって、レイヴについて何かを語って下さいと言われた時に、何を、どこから書けばいいものやらわからないほど、それに付随したり、
そこから広がった事柄があり過ぎるからです。
レイヴは確かにひとつの社会現象なのですが、個人にとっては強烈な「体験」です。
その「体験」は、パーティーに来た人それぞれにとって全く違った個人的なものなのに、ひとつのパーティーはまぎれもないひとつの集団でもある・・・なんてことは、踊りに行ったことがある人ならば誰でも感じていると思うのですが、
じゃあそれについて何かを書くとなった時に(具体的には、前の本を書いた時ですが)、客観的な書き方というのは成り立たないんじゃないかという思いがあって、自然と「一人称」というのが出てきたわけです。
今回は、往復メールという形をとりながら、自分と木村さんの一致している部分や違っている部分などが出てくれば面白いんじゃないかと思っています。
◆レイヴは、パンク以来の最大の衝撃だった
>とりあえずは清野さんにも「(自分が)レイヴに惹きつけら >れるのは何ゆえか?」みたいなところからお話を伺ってみたいです。
ちょっと長くなるかもしれませんが、そのへんから書いてみます。
レイヴに来るほとんどの人がそうだと思うのですが、はじめて行ったパーティーの「ファースト・インパクト」というのがあって、
僕の場合は十年前のヨーロッパでした。その時に生まれてはじめて「ダンスの快感」を味わったわけです。
僕は中学生のころからずっとパンクを聴いて育って、大学に入った頃はバブル経済とジュリアナ東京の真っ盛りでした。
だから、インダストリアル・ミュージックは別にして、その頃のテクノやハウス(いわゆるダンス系の音)にはほとんど興味がなかったし、
日本の社会の風潮そのものがすごく嫌で、日本の経済や政治やシステムなんか早くぶっ壊れてくれればいいのにと思っていたし、
休みになる度に海外を旅してました。それから一年間パリに住んでたのですが、その頃のヨーロッパの景気は今よりもかなりひどくて、
どこの街にも失業者やジャンキーがあふれていたし、ベルリンの壁のような空気の軋轢もあった。
そういう状況の中で、イギリスではじまってヨーロッパに伝播しはじめたレイヴ・パーティーの波に、僕は偶然遭遇した。
それからタイやインドの旅先で、やっぱり同じようなパーティーに何度かめぐり合う機会があった。
でもそれは、自分が住んでいる日本のことではなかった。
それから仕事をはじめて、あまり長い旅行をしなくなって、前ほど音楽も聴かなくなり、世の中ではバブル崩壊と言われ、
家族や、学校や、経済や、企業社会といったシステムのほうが勝手に麻痺したり、壊れはじめて、
ある意味で戦後の日本社会を全否定するようなオウム真理教の事件があった。
僕もショックを受けて、突きつけられるものはあったけれど、シンパシーなど何も感じなかったし、それで何かが変わったわけでも、それについて自分が何かを書くということもしなかった。
その翌年から、日本で毎月のようにレイヴが開かれるようになった。
それが自分にとっては、パンク以来の衝撃だったわけです。
今思うと、文章を書いたり本を読んだりすることは別にして、自分は十代の頃に影響を受けたパンクの延長線上というか、
その惰性で三十近くまで生きてきて、もう世の中にはパンクが自分に与えたほどのインパクトを与えてくれる何かや、
のめり込む音楽や、心底関わるシーンなど、自分の目の前の世界ではもう起こらないんだという思いが漠然とあったの。
だからレイヴは、パンク以来の最大の衝撃だったし、開放だったし、エネルギーだった。
レイヴはカオスでありながらシンプルだったし、集団でありながら一人だった。今までにない強烈な体験だった。
そういうことが、まだ世の中には何かが起こり得るんだ、自分にこういうことが起こり得るんだという思い、
それが、自分をレイヴに惹きつけた最大のものだったような気がします。
◆社会のシステムが疲弊したり、社会の枠組みそのものが変わったりした時に、レイヴは「起きた」
この話を社会状況的に考えてみると、ヨーロッパでも日本でも、社会のシステムが疲弊したり、
社会の枠組みそのものが変わったり(ドイツではベルリンの壁が崩れたり)した時に、レイヴは「起きた」んだなという気もします。
偶然かもしれないけど、結果としては確かにそうです。
だから、十年前には日本でもテクノやアシッドハウスがかなり流行ってはいたのに今のようなレイヴは起きなかったし、
それが数年前から日本で一気にはじまったのは当然だ、と言うのは言い過ぎかな。
これをもっと拡大して考えていくと、学校や企業や家族や経済や政治といったシステムやイデオロギーをつくり出してその上に成り立っていたのが近代社会だとすると、
それのシステムやイデオロギーが実質的には機能しなくなったり、世界観を与えることができなくなったりしている。
経済は巨大化して、誰の手にもおえないものになっている。ティモシーリアリーは「ドロップアウトしろ」と言ったけれど、
ドロップアウトなんて言葉自体がリアリティーを持たなくなった。
ニューエイジ思想や新宗教は癒しや救いを与えようとしたけれど、社会はますます狂暴化して、日常生活はサバイバルになっている。
でも麻痺しかけた「近代」に代わるものは生まれていない。
そこに、レイヴが、システムでもイデオロギーでも方法論でも観念でも共同体でも資本主義でも戦争でもない、
まったく別なものとして登場した・・・かなり筆が走ってしまいましたが、
レイヴという言葉を、別な言葉(例えばインターネットという言葉)に置き換えてみても、同じようなことが言えるような気がします。
そういう意味で、レイヴは過去の数々の「オルタナティブ」とはだいぶ性質が違ったもののような気もします。
ただ、レイヴの場合独特なのは、それが肉体(カラダ)を伴った快楽(エネルギーの蕩尽やトランスと言い換えてもいいですが)だということだと思います。
肉体を伴った歓喜の極限の姿の一つだと。
だいぶかたい話になってしまいましたが、自分はもともと山とか海とか、自然の中で遊んだり考え事をしたり、
山の中を歩いたりするのが子供の頃から好きで、レイヴで同じような時間を過ごしているというのが、今踊りに行くいちばんの理由かもしれないですね。
そこで、自分を発散する。それが単純な形ではなくて、一晩の時間の中に複雑な物語のような流れがあるのが、
パーティーのいいところだと思います。この物語のような時間の流れは、例えば、修験道の山を歩くことにも近いと思います。
小説にしても映画にしても、そういう時間の流れ−物語というものに自分の感情は共鳴しますね。
「音」がそれほどのものだったというのは、はっきり言って音楽を「聴いて」いた間はわからなかった気がする。
十年前に最初のパーティーで踊った時に、はじめて実感したわけです。
◆同じパーティには2度と巡り会えない
>レイヴは確かにひとつの社会現象なのですが、個人にとっては強烈な「体験」です。
>その「体験」は、パーティーに来た人それぞれにとって全く違った
>個人的なものなのに、ひとつのパーティーはまぎれもないひとつの集団でもある・・・
そうなんですよね。
たとえばコンサートや映画、あるいは本の感想というのは、当然個々人まちまちだとしても、そこには“批評”が成立し、一定の評価が下される基盤がある。
しかしそのような意味で「レイヴ評」みたいなものが成立するかというと、けっこう難しいような気もします。
というのもレイヴの成否は、サウンド(DJ)やオーガナイザー(主催者)の善し悪しもさることながら、
ロケーションや天候、参加者総体のムード、そして(何よりも)参加している自分自身の体調/心調など、
いくつもの重層的なパラメータの兼ね合いでしかはかれないところがあるからです。
だからこそ、同じパーティーには2度と巡り合えないし、参加することの“意義”が(他の諸体験と較べても)濃密になっていく……まあこれは、
ひじょうに理想論的な見方ですが。
◆運動体としてのレイヴの目新しさであり、強みでも弱みでもある
インフォメーションひとつとっても情報誌で得られるようなものはほとんどなく、
口コミやフライヤー、インターネットといった(決してマスではない)メディアでしか流布されない。
集団で野営し、ひと晩じゅう大音響を出せる野外ともなると、会場も人里離れた場所にならざるをえない……こうした諸条件から、
そこに集うひとびとにも(コンサートやクラブに気ままに立ち寄るというより)強力な「気合い」が要求されてくる。
結果、レイヴァー特有の雰囲気は、部外者からみれば一種異様な(宗教的な?)ノリすら連想させる……という感想もしばしば聞かれます。
しかし音と踊りと場という最低限の共通項を除けば、そこには何の教義もイデオローグもない。
それは運動体としてのレイヴの目新しさであり、強みでも弱みでもあります。だから……
>ヨーロッパでも日本でも、社会のシステムが疲弊したり、
>社会の枠組みそのものが変わったり(ドイツではベルリンの壁が崩れたり)した時に、
>レイヴは「起きた」んだなという気もします。
>偶然かもしれないけど、結果としては確かにそうです。
とありましたが、まさにレイヴは、20世紀終盤の社会の変容とともに立ち現われたのだけれど、
レイヴそのものが社会を改革する運動たりうるかというと、どうもそうではなさそうです。
ただし、レイヴが社会をまるごと変えるようなものではないとしても、そこに参加した個人を(内面から)激変させる影響力があることは、
疑いようがありません。またもや清野さんの言葉を借りれば、それは……
>肉体(カラダ)を伴った快楽(エネルギーの蕩尽やトランス)
への“気づき”ということです。もはやイデオロギーや理念では、個々人を束ね、その意識を一定方向に向かわせるようなことは容易ではない。
しかし誰もがそなえている最も根源的な基盤である「身体」を、ダンスによるトランスの快楽を通じて束ね、解放する。
これまでの近代社会においても、たとえばスポーツやセックスや様々なレクリエーションによって「身体の快楽」が追求され解放される局面はありました。
しかし、個と群の境界が曖昧になるような共感覚……身体と音と場がシンクロするような「一体感」は、
原始的な祭祀や一部の儀礼にしか認められなかった。それを現代風にアップ・トゥー・デートしたのが、レイヴという「発明」だと思うのです。
◆強烈な「一体感」という錯覚に賭ける
僕自身もそうですし、おそらく清野さんにも覚えがあろうかと思われますが、レイヴ体験のなかで、音と運動を集団で共有していくうち、
強烈な「一体感」を覚えるということが、しばしばあります。
身近なレベルでいえば、それは参加者同士が気楽に声をかけあったり、必要なものをシェアし助けあう……みたいなオープンマインドな振舞いとして現われもするし、
極端な例でいうと「人種や性別、年齢などを超えて、踊るみんなが“同じ人間”だ」という悟りにたっしたり、
あるいは「人間と自然……動物や植物、大地や天空と自分が、バラバラに存在するのではなく、
それらが深く密接につながっている」ことを思いだすひとも、まれではありません。 まあ、このあたりを強調しだすと、
ニューエイジ的な先入観や宗教じみたイメージを抱かれてしまうものだけれど、
たとえばそういったアニミズムなりシャーマニズム的な感覚というのは、そもそも人間にあまねく備わっていたにもかかわらず、
それが近代以降の社会システムの中で抑圧され、発動する機会を失っていた……ともいえます。
そして、社会システムそのものが解体しかけた今、音とダンスでトランスし、変性意識的な境地にアクセスする「仕掛け」として、レイヴが現われた。
もちろんつきつめてみれば、それは轟音と運動が醸し出す熱気が生んだ、錯覚にすぎないなのかもしない。
しかし錯覚にこそ希望があるならば、それに賭けてみるのも“あり”ではないかと思うわけです。
日本のレイヴ……というと現状ではほとんどがトランス系テクノなのですが、そんなトランスのパーティ・ピープルのなかには、
音楽やデザインやファッションのみならず、その延長線上として、たとえば宇宙論や先住民族の知恵、精神世界などに素朴に関心を寄せ、
書物などを読みだす若いひとが、少なからず現れてきています。
作家の宮内勝典氏が以前、「日本ではオウム事件を契機に、精神性を求める若者たちが幻滅し、ニヒリズムに陥ってしまうのではないか」といった危惧を洩らしていましたが、
一見すると音楽に合わせて馬鹿騒ぎしているような風潮の中に、こうした関心の芽が吹いていることを、個人的には素直に喜びたい気持ちもあります。
しかし別の角度から見ると、レイヴそのものが、この時代の「ニヒリズム」的産物であるとも言えなくもありません。
スレも長くなってしまったので、そろそろこのへんでまたバトンを譲ろうと思いますが、
そんな思いを僕にいだかせたのは、清野さんの著書『RaveTraveller』の中で、個人的に一番印象に残り、共感した、こんな一節からです。
レイヴ・パーティのメッカ、インドのゴアに清野さんが滞在していた時の話です。
「僕らは、物価の安いムラに来て、なりふり構わずに、自分の国ではできないぐらいのどんちゃん騒ぎをしているのだ……それがいいとか悪いとかいう話ではない。
それでもここに来て踊っている、踊りたい、ろくでもない自分がいるということだ」
“踊る”ことで、みずからの身体と意識の拡がりを再確認し、他者や自然や世界とのつながりを認識しなおす……それ自体は素晴らしい体験だとして、
代償としてそこで支払われるエネルギーの蕩尽/浪費の側面は、どう考えたらいいのでしょう?
レイヴをただ理想主義的に紹介するだけでは、あの「熱気」とそれに巻き込まれる自分たちのありよう、
快楽に忠実であることの困難さなどが、なかなか伝わらないというもどかしさから、あえてそのあたりを改めて、清野さんにうかがってみたいのですが。
◆レイブとヒッピームーブメントはどう繋がっているのか
確かに、パーティーは一回きりのもので、
>だからこそ、同じパーティーには2度と巡り合えないし、参加することの“意義”が( >他の諸体験と較べても)濃密になっていく
だからこそ、次のパーティーこそは今までに体験したこともないような最高のパーティーなんじゃないかという期待が常にある。
それがパーティー・フリークになってしまう理由のひとつでもあるんですが・・・。
>(コンサートやクラブに気ままに立ち寄るというより)強力な「気合い」が要求 >されてくる。
時間も、金も(日本の場合は特に)かなりかかる。体力もかなり消耗する。
僕の場合、キャシングしたお金でパーティーに言って、帰ってから二日間寝込んだこともあったりします。
じゃあ、そういうレイブなりパーティーが、いったい何のためになるの? 何であんたら踊ってんの? というのは、多くの人が思うかもしれない。
>レイヴそのものが社会を改革する運動たりうるかというと、どうもそうではなさそうで
>す。(中略)まあ、このあたりを強調しだすと、ニューエイジ的な先入観や宗教じみた
>イメージを抱かれてしまうものだけれど・・・。
レイヴにはもともと、社会をどうこうしようということが前提としてはないと思う。
結果としてどうなのと言われても、別に踊ったぐらいで社会がどうにか変わるもんでもない。
ただ、そこへ来た一人一人の中に、何かの動機とか、力のようなものを与えていることだけは確かだと思うのです。
この話にも関係するんですが、僕は『レイヴ・トラヴェラー』を書いた時に、今のレイヴシーンと70年代のヒッピームーブメントはどうつながっていて、
どこらへんが違うのかということを、どうしても考えざるを得ませんでした。
だって、日本のレイヴってほとんどトランスだったし・・・。
問題はどう違うかということで、イギリスに行った時に、
『エクスタシー&ダンス・カルチャー』を書いたニコラスサンダースとそのへんのことをしつこく話したわけです。
彼はヒッピームーブメントと今のレイヴシーンの両方に関わっている世代で、彼の意見では、ヒッピー世代の頃に、
社会からドロップアウトして、ある価値観とか、そういうのに基づいた共同体を作る運動があって、それが政治や闘争や、自然保護運動にまでつながって行った。
それはいいんだけど、その結果として、元々はオルタナティブであったはずのものが硬直化して行くという現実もイギリスにはあった。
でも、今のエクスタシー世代は、社会の外に出るのではなくて、もっと日常に近い部分でレイヴに来て踊ったりしている。
それが、ひとつの同じ価値観に基づいたものとか、それで世界をどうしようなんて考えはそこにはないし、
それについて深く議論したりもしないけれど、より深い部分でスピリチュアルな変化が起きている。
おれはそれに期待してるんだと、簡単に言うとそういう分析です。
◆90年代のテクノカルチャー世代は、もっと暗い時代を生きている
これは、時代的な違いでもあると僕は思いました。社会のシステムが確固たるものとして、
まだ信じられていた時代(日本の高度成長期とか)と、近代のシステムとかイデオロギーが麻痺しかかっていることにほとんどの人が気づいているのに、それに変わるものがない。
もしくは、まだその幻想にすがりつきたい人がいる時代の違いだとも言えると思ったわけです。
同じ意味で、自分が十代の頃に衝撃を受けたパンクは、音楽としてやスピリット的には存在し得ても、
アンチ、の部分はもはや成り立ちづらくなってしまったような気もします。
イギリスにはレイヴァーのコミューンというのもたくさんあるんですが、ヒッピー的なシーンとほとんど接触がないコミューンも多くて、
彼らは山にこもったり、社会の外に自分たちの共同体を作るという方向とは全く逆に、
積極的に現実社会(の問題、失業とか、イギリスだと、クリミナルジャスティスとか)にコミットして行くようなスタンスがそこにはありました。
ちなみに、ティモシーリアリーは、現代のレイヴァーのことを、「機敏で陽気で自分に自身を持つ、個人主義かつ禅風便宜主義者」と、
テレンスマッケナは「ハイテク化したヒッピーの集会(ビーイン)」だと言ってます。
ここで、僕が本の中でも引用した、ある文章をまた引用してみます。
「彼らの思想は今よりもっと楽観的でいられた時代、市民権というものがいつか手に入るように思えた時代、
LSDの小さなカプセルに手を延ばすだけで涅槃に到達できた時代に誕生した。
だが、90年代のテクノカルチャー世代は、もっと暗い時代を生きている。
六十年代のパラダイムは、このもがき、この落ち込み、このヤク切れ状態をなんとかやりくりしてゆくためのヒントを与えてはくれない」(マシュー・コリン)
この一文は、賛否はともかくとして、ヒッピー世代(時代)とレイヴ世代(時代)を考える上で、大きなヒントを僕に与えたくれたのは事実です。
自分にとってはその回答が、「自分はなぜここまでして踊るのか」を書くことだったわけですが。
>たとえば宇宙論や先住民族の知恵、精神世界などに素朴>に関心を寄せ、書物などを読みだす若いひとが、少なからず現れてきています。
それも、最初に書いた、動機づけのひとつなのだと思います。
僕の身近な話では、僕の友達の大学生に、日本でレイヴに来るようになってから海外に旅に行きたいと思うようになったという人もいました。
これは、旅に言っているうちにレイヴに出会ったという僕や僕の上の世代に多いパターンとは、もう全く逆ですよね。
>しかし別の角度から見ると、レイヴそのものが、この時代の「ニヒリズム」的産物
>であるとも言えなくもありません。
(中略)
>“踊る”ことで、みずからの身体と意識の拡がりを再確認し、他者や自然や世界と
>のつながりを認識しなおす……それ自体は素晴らしい体験だとして、代償としてそこ
>で支払われるエネルギーの蕩尽/浪費の側面は、どう考えたらいいのでしょう? レ
>イヴをただ理想主義的に紹介するだけでは、あの「熱気」とそれに巻き込まれる自分
>たちのありよう、快楽に忠実であることの困難さなどが、なかなか伝わらないという
>もどかしさから、あえてそのあたりを改めて、清野さんにうかがってみたいのですが。
◆自分の中にある何かを燃やし尽くしたい
ここで最初の話に戻るのですが、これほどの金と時間と体力を使い、時には世界の果てまで出かけて行って、
大義名分もなく、それで何かをどうにかしようという目的もあるわけでもなく、踊り倒して帰って来るというのは、
巨大なエネルギーの消費、蕩尽に他ならないと僕も思います。そんなことやってて人に迷惑がかからないわけはないのもまた事実だと思う。
その蕩尽を、どうして自分や、世界じゅうのこれほど多くの人たちが飽きもせずにやってるのか、
というのが、僕自身、レイヴについていろいろ書いて行った末にたどり着いたひとつの部分でした。
僕はそれを、ひとことで言うと、人間に備わった欲望の問題だと思っています。
「蕩尽」について書いたフランスの思想家に、ジョルジュ・バタイユがいます。
彼は、スペインの闘牛に熱狂する群衆を見て、古代の祝儀にはあったはずの熱狂、飛んだり跳ねたりしていたあの熱狂が、
我々には書けてしまっているのだと書く。戦争を、人間が行う巨大なエネルギーの蕩尽と位置づける。
信仰告白ではない、神秘的な「内的体験」を「生きなければならない」と書き、「(人間が)存在するというのは、他でもない、荒れ狂うことなのだ」と書く。
人間は「死なずに死ぬ(小死)」ことを繰り返しているのだと・・・。
僕は学生時代にバタイユを読んでから、しばらくごぶさたしてたのですが、
今読み返してみると、こうしたことはそのまま、レイヴに行く自分にあてはまっているような気もしました。
僕は、レイヴに行って生命力を感じるのと同じぐらい、自分の中にある何かを燃やし尽くしたいとか、壊したいとか、
ある「果て」を見極めてみたいといった方向のベクトルを感じる時があります。
それは、ひとつの「死への欲動」と言ってもいいのだと思う。セックスにも、そういう部分はある。
それは別に、プラスとマイナスにたとえればマイナスなんだろうけども、ネガティブではないし、
「生と死が表裏一体だ」という二元論敵なものでもない
肉と魂が同時に存在すること自体が、そういうことなんだという気が僕はします。
パーティーではカオスと単純さがそこに同居しているし、破壊と想像が一緒くたになってもいる。
端から見たら、ええじゃないかの、勝手放題の、どうしようもない集団なのは、あたりまえといえばあたりまえでしょう。
なのにそれをやるというのは、もう欲望の問題だという気がします。
で、そこで踊っただけで家に帰って来るんですが、これは例えば、ほとんどの宗教に見られる「死と再生」というイニシエーションの基本的な形にそっくりだとも思います。
でも、それは、ある種システム化された修行やイニシエーションや宗教ではない。
バタイユが書いたような、観念的なこと・・・どうしても日常では到達できない観念の余白を意味づけるといったことでもない。
じゃあカラダの伴った身体性にだけリアリティーがあるのかというと、自分が文章を書いていることからして、決してそうではない・・・。
というぐらいのところまで、前の本の最後のほうに書いたので、読んでらっしゃると思います。
もちろん、レイヴが嫌いだ、好きじゃない、という人もたくさんいます。
どっちにしても、結局は自分の欲動の果てを見極めたいという病のようなものが、
ほとんどの人間にはあって、僕の場合はそれが自分を踊らせたり、旅に行かせたりしているのだという気もします。
自分が自分自身になるための。
それはたぶん、人間の頭やカラダが、想像力とか、妄想する力というのを持っていて、
そこにリアリティーを感じ得る(例えば、映画や小説やゲームはそこで成り立っているのだし)、それでいながら現実を現実としてとらえてもいる、
ということと関係してるんじゃないか、と最近は思います。
こういうことを書いてると、簡単なことをこねくり回して難しくしてるだけなんじゃないの、と思ったりもしてきたすので、このへんにしときます。
だいぶレイヴのことから話がずれて来てしまったので元に戻しますが、僕はパーティーで、
目の前で踊っている誰かも知らない何百人もの人たちを見て思ったことがあります。
彼らは、自分の足で、地面を踏みしめて、すっくと立っている。
その姿に、僕が感じたのは、強さです。
その強さを、僕は信頼しているのだと思います。
いろいろ断片的に書きましたが、肉体のことも、頭のことも、そこで起きる矛盾も、何もかもひっくるめて、「トランス」なんだと思います。
トランスというコトバは元々は精神医学の用語だと思いますが、それが今は「病気」を表すものではなく使われてますよね?
トランス、といった時に、どういう状態をイメージしますか?「音」や「ダンス」やレイヴという「場」とトランスについて・・・。
◆同じパーティには2度と巡り会えない
>レイヴにはもともと、社会をどうこうしようということが前提としてはないと思う。
>(中略)ただ、そこへ来た一人一人の中に、何かの動機とか、力のようなものを
>与えていることだけは確かだと思うのです
たしかに、パーティー体験をきっかけに仕事や学業を張り切りだすひともいれば、
パーティー中心の生活に邁進するあまり、会社や学校を辞めたり、恋人と別れたりするひとも出てくる。
ある対象に熱中し耽溺するあまり、過度に散財したり、日常生活すら放棄しかねない「危うさ」は、今日的な趣味嗜好に広くそなわっている「罠」だとしても、
ことレイヴの場合、時間や金銭のみならず、気力や体力までをも、その「場」が貪欲に要求してくるだけに、その代償はシビアなところがあるように思います。
逆にいえば、金から時間からエネルギーまで、そこまで全面的に投与することで得られる代償こそが、
レイヴの醍醐味……というと、なんか「新興宗教のお布施」めいた話でしょうか?(苦笑)
……そういう熱気をはらんだ“参加”の代償のなかに(清野さんが挙げていた)「蕩尽」や「小死」みたいな部分まで含まれてくるというのは、
僕にも覚えがないわけではありません。
あたかもロウソクの灯を急速度で燃やすような……聞こえは悪いけど「生き急ぐ」的なこころとからだの加速状態に身を置くことで、
ようやく「生命の実感」にたどりついたとき、自分は今“死なずに死んでいるんだ”みたいな気分でしたから。
ところで前回、僕は“レイヴそのものが、この時代の「ニヒリズム」的産物かも…”というようなことを書きましたが、
よくよく考えてみれば「パーティーに参加し、踊り続ける」境地には、とてもではないけどニヒリスティックな姿勢では到達できない。
しかし(繰り返しになりますが)レイヴには社会を変革するような運動や現象では、
どうもなさそうだ……すると「ただ踊ってても仕方ないじゃないか?」という反論も当然出てくるだろうし、
レイヴァーに「社会参加の意志を持たない快楽主義者」という(ある意味ニヒリスティックな?)レッテルが貼られないともかぎらない。
しかしそこで、これまた清野さんの指摘にあったような、かつてのヒッピー時代とレイヴ時代の社会背景そのものの違いを考慮すれば、
社会ではなく個人のレベルに(動機づけや力を与えることで)変質をもたらすレイヴの効用には(副次的ではあるにせよ)ある種の希望をもてなくもない。
◆◆◆トランス……それはレイヴにおける、ひとつの核心的な話題
……と、これまでけっこう客観的(というか、妙に中庸的)なスタンスで、僕はレイヴについてあれこれ語ってきましたが、
正直な話、自分がレイヴなりパーティで「トランス」するまで踊る体験をし、
それに熱中したあとのエクスキューズとして……そこに何らかの意義なり価値なりを見出したいがための“方便”をこねくり回していたふしもあります。また、このダンスで「トランス」という“体験”を、ほかの第三者にも教えてあげたいという気持ちと同時に、
こうした“体験”を誰彼かまわず勧められるものだろうか?、
という戸惑いの気持ちも一方にあったりして……そのへんが、どちらつかずの態度になっていたともいえます。
レイヴやパーティによって(こころが)解放され、癒されたという人も、たくさんいます。
同時にレイヴやパーティがきっかけで、道を誤ったり“きびしくなった”人がいないわけでもない。
処方箋としてレイヴを扱うには、一筋縄ではいかないところがあります。
>自分の欲動の果てを見極めたい
という衝動をレイヴに託す時、それは同時に自分が「どこまで果てに行けるか」を試される時でもあります。
僕はレイヴの性格や魅力を「バラバラで自由度の高い身体的快楽の営み」として紹介しましたが、
そういう快楽なり自由をとことん追求し、掘り下げたり維持したりしていこうとすると、
そこである種の条件的“きびしさ/残酷さ”に直面することは避けられないのではないか?……うまく言葉にできないのですが、
そのあたりが僕の偽らざるレイヴ観、だったりします。でもって……
>肉体のことも、頭のことも、そこで起きる矛盾も、何もかもひっくるめて、
>「トランス」なんだと思います。トランスというコトバは元々は精神医学の用語だと
>思いますが、それが今は「病気」を表すものではなく使われてますよね?
>木村さんは、トランス、といった時に、どういう状態をイメージしますか?
トランス……それはレイヴにおける、ひとつの核心的な話題ですよね。
辞書的な語義としては、恍惚、夢中、忘我、脱魂、失神、昏睡状態……果ては神がかりみたいな憑依状態などをさし示すものだとして、
パーティで踊っている自分にとってのトランスとは、どういう状態か?
音やダンスがひとをトランス状態に誘う“メカニズム”については、
ここでははしょらせていただくとして……たしかにサウンドやビートにあわせたダンスによって、
日常的な意識の状態とは様子の異なる、いわゆる「トランス」状態へといざなわれた体験は、僕にもあります。
これもうまく言葉になりませんが……そこでは鳴っている音やリズムと、自分のカラダやこころ、そして周囲の人間や場所、
景色や時間の推移が、常態と異なった「関係性」や「物語性」をもって、つながったり並び変わったりしつつ立ち現われてくる……といった感じです。
「物語」という部分でいいかえれば、たとえば自分が時には「子供(の状態)」に立ち戻ったり、「今とは違う時代の住人」になったり、
「人間以外の生き物」になったり……きわめてイメージ的な言い回しですが、
その時の自分や周囲のコンディションによって、そういう状態に片足を突っ込みながら、
あくまでも踊る身体は今この世界にとどまっている……そんな感じです。
◆◆◆レイヴにおける「トランス」は、インスタントな「トランス」か
しかしレイヴにおけるトランス体験において、こうした精神性のような意識への“気づき”が語られる場合、
それらは宗教的・神秘的な法悦や瞑想、あるいはシャーマニズム的な儀礼に酷似した体験として説明されるケースがひじょうに多いですよね。
と同時に、どうもその両者が、まったく同質な体験だともいいきれない気がすることもたしかです
(とはいえ、純粋な神秘体験やシャーマン体験があるわけでないので、あくまでも類推なのですが……)。
善し悪しは別として、レイヴにおける「トランス」は、伝統的な宗教〜シャーマン〜神秘体験の、あるエッセンスを抽出し、
それを「大衆向け」にアレンジした、コンビニエンスでインスタントな「トランス」のような気が、僕はするのです。
もっともだからといって、レイヴの「トランス」がダメだ、とかニセモノだ、というつもりもありません。
それが「動機づけ」となって、本来的な「トランス」のメソッドを追求する動きが出てきてもおかしくないし、
そうでなくても、伝統的な「トランス」が抱えている困難さや硬直性になりかわるものが、
レイヴにおける「(コンビニエンスな)トランス」に内在しているのなら、そういう有効性を追求するのも“あり”ではないかと思うからです。
話はまた横道に逸れるかもしれませんが、そもそもパーティというのは、日常生活とは様相が異なる“ハレ”の場、ですよね。
そういう意味でいっても、パーティに行って「トランス」するという営為は、
ある種の「旅行」……異境の地をさすらうような……に近い体験ではないのか、という気もするんです。
もっと言ってしまえば、レイヴにおけるトランスとは「旅のシミュレーション」なのではないか?、と。
しかし、旅にかんしても清野さんがエキスパートですので、僕は素人なりの仮説をしたためて、是非を問いたいところですが、
レイヴと旅……それらの共通点として、ある意味でひとを「シンプルにする」ということがあるのではないのでしょうか?
「旅行者」は移動し、食事をして、宿泊地を探すことが日々の目標であり“仕事”ですよね。
途中で何かを“生産”するわけでもなく、ひたすら“生息”すること自体が目的となるようなシンプルさが、そこにはある。
ダンスのトランスもまた、音と群衆に対峙しつつ、踊る肉体として「シンプル」になるなかで、日常生活における自分のペルソナが剥ぎ取られていく。
意識の状態にかんする「気づき」や、前で触れた「動機づけ」の獲得、みたいなことでも、旅とパーティには共通点があるように思えるのですが、いかがなものでしょう?
余談ついでにいえば、世界中のレイヴ・パーティを転々と移動しつづける、トラヴェラーといわれる本格的なレイヴァーというのは、
地理的/意識的な「旅」を入れ子構造的に体現しつづけるような存在ですよね。
長期にわたって海外を放浪したような体験が僕にはないので、ひとつこのへんも、一度清野さんにお聴きしたかったところなのですが、
トラヴェラーといわれる人々のモチベーションは、いかなるものなのでしょう?
たとえばそれは「世界の果て」と「自分(の欲動)の果て」を同時に見極めたいというようなものなのでしょうか?
>「ただ踊ってても仕方ないじゃないか?」という反
>論も当然出てくるだろうし、レイヴァーに「社会参加の意志を持たない快楽主義者」
>という(ある意味ニヒリスティックな?)レッテルが貼られないともかぎらない。
そう言われても、「仕方ない」と「快楽」っていう部分については「そうそう。その地通り」って思います。だって、その通りだもの(笑)。
「仕方ない」という言葉の前提には、何かをする(体を動かしたり、頭を使ったり)するためには目的とか原因とががないといけない、っていう考えがあるのだと思う。
行動−目的とか、原因−結果という関係で物事はすべてそう成り立ってるんだとか、
何かをするんだったら何かが代償にあるはずだっていう損得勘定のようなものとか、
約束ごととか・・・そして、経済とか、社会は確かにそれがあるという前提で成り立っている。
そこから見たら「仕方ない」のは当然だと思います。
踊ることに何かあるとしたら、快楽、結局そこに行き着くと僕は思う。そういう欲動に、
いわゆる社会的なシステムの尺度があてはまらないのは、別にレイヴに限ったことではないと思うんだけど、
だからといって「社会参加の意志がない」ということにはならないとも思う。
そういう話でいうと、ヨーロッパとかイスラエルとかのほうが、レイヴに対する風当たりは強いという印象が僕にはあります。
それは、シオニズムという宗教的な運動が共同体そのものの根底にあったり(イスラエル)、キリスト教的な価値観とか、
「市民社会」という枠組みの歴史がかなり長い間あったりするヨーロッパと、日本という独特の文化や社会的な土壌の違いだと思います。
例えば、キリスト教系の団体が教団のパンフレットの中で「レイヴで感じる自由やスピリチュアルなものは信の救いではない」という議論を展開していたり、
逆に、ミサの時にテクノをかける教会がドイツにあったり、
レイヴ・コミューンを教会関係者が視察に来たり(これはぜんぶほんとうに起きていることです)というのは、日本ではちょっと想像できないですよね。
イキリスにはレイヴ(も含めたいくつかの現象)を取り締まる権限を警察に与える法律があったりするとか。
日本だったら、宗教的な縛りがそれほど強くないということもあるけれど、
神道や仏教の思想(広く言ってしまうと東洋思想ということですが)の中にレイヴ的なものに合致する部分があったりするし、
盆踊りやお祭りなんか全国津々浦々でやってたりする。そういう意味では、かなり「ゆるい」と思います。
でも、イスラエルやヨーロッパの「きつさ」が、ヨーロッパにあれほど巨大なシーンを生み出したり、
ゴアに行ったらイスラエル人がいちばん多いことの背景にあるのかなという気がします。
◆◆◆レイヴのトランスと、宗教のトランス
>そういう快楽なり自由をと
>ことん追求し、掘り下げたり維持したりしていこうとすると、そこである種の条件的
>“きびしさ/残酷さ”に直面することは避けられないのではないか?
と同時に、「飽きる」ということもたぶんある。これはかなり人間にとって大きなことだと僕は思うんです。
快楽や自由に果てがあるかというと、これはないはずのわけで、だんだんレイヴに飽きてきたりする。
もっと先を求める人もいるし(踊る側からオーガナイザーになったりDJになったりとか)、全く別のことにそれを求める人もいる。
でも、「踊るのが快楽なんだ」というのは、パーティーに行かなくなっても残ると思います。
それがわかってしまったことが、レイヴに行って気づいたいちばんのことだとも思います。
で、その快楽・・・それを生み出すトランスの話なんですが。
>そこでは鳴っている
>音やリズムと、自分のカラダやこころ、そして周囲の人間や場所、景色や時間の推移
>が、常態と異なった「関係性」や「物語性」をもって、つながったり並び変わったり
>しつつ立ち現われてくる……といった感じです。(中略)
>それらは宗教的・神秘的な法悦や瞑想、あるいはシャーマ
>ニズム的な儀礼に酷似した体験として説明されるケースがひじょうに多いですよね。
>と同時に、どうもその両者が、まったく同質な体験だともいいきれない気がすること
>もたしかです。
いちばんの違いは、宗教やシャーマニズムのトランスは、修行や苦行や修道によって得られるできごとであって、「快楽」ではないということだと思うんです。
もうひとつは、宗教のイニシエーションやシャーマニズムは長い歴史の中で開発されてきた意識変容のひとつのシステムだけれど、
レイヴには「どうトランスしたらいいか」なんていうシステムも決まりもない。
また、宗教に限っていえば、それは世界の根本原理や、人間の意識について解明しようという哲学です。
それで人間を救済しようということもある。だから、レイヴのそれとは、そのあり方や内容も、根本的には別物だという気が僕はします。
ただ、それを通常の意識の状態(というか、トランスでてない状態)で考え直してみた時に、
自分が日常とは違う体や頭や意識の状態(より深層意識に近い部分だと思うのですが)にあるのは確かで、
それは、宗教的な瞑想やシャーマニズムの最初の段階がやることと同じといえば同じなわけです。
レイヴの場合、そこに入って行くし方も、そこで何を考えるかとか、出てくる気持ちとか、思い描く映像とか、そういうことはぜんぶ、
個人の勝手ですよね。良くも、バッドにも、どういう状態になってもいい。
だから、いわゆるニュー・エイジとよばれて来たさまざまな意識変容や癒しのあり方とも、かなり違うと思うんです。
宗教で得られることに近いものを得る人もいるだろうし、全く別の人もいる。
その方向は、決まってない。同じ人でも、その時々で違っていたりする。
それが、
>「コンビニエンスなトランス」
だといえば、そうかもしれません。だって、踊って気持ち良くなるのは、五体満足ならば何の知識も苦痛もなく誰にだってできるんだし。
その、誰にでもできる、というのが重要だという考えも成り立つだろうし、結局は宗教や原始的なイニシエーションの代替物だと言う人もいます。
確かに、「梵我一如」とかいうことを本を読んで頭でわかっても、それを宗教的体験として「わかる」のはたいへんなことだと思う。
それが、レイヴで踊ってみたら(そういう言葉ではないにしても)自然にわかった、というようなことは、もしかしたらあり得るかもしれない。
結局は、何にリアリティーを感じるかということだという気がします。
僕は哲学や思想体系としての宗教にはそれを感じるし、修験道の山を歩く体験も好きです。
でも、寺や神社や教会という「場」にはさほど感じないし、ニュー・エイジも好きじゃない。
パーティーの「場」や「体験」にもっと強烈なものを感じる。そういうことのような気がします。
だからこそ、前に書いたように、宗教がそれを脅威に感じたりする事態まで起きているのだと思います。
DNAやDance or Dieのイベント関係者がベルファーレでレイバーに声かけてスカウトしてる。
いや、日本のレイバーは上手いよ。
特にラビットやLAのレベルはドイツやオランダのパーチーより上。
イスラエルは行ったことないから、本場のラエリーのダンスがどうだかは知らんけど。
それで不思議なのは、ソウルダンスもヒップホップもR&Bもヘタクソだった日本人が、
なぜトランスに限って、ダンスレイバーなんて集団が出てきたのか?
それも急激に増殖してきたからね。
すごく不思議。
ダンスって集団で上手くなっていくんだと思う。
黒人がR&Bのダンスが上手いのも、先天的なものというよりも、すでにロールモデルになる集団がいたから。
あとは真似していけばいいわけだから、ある一定レベルに比較的早く到達できる。
レイバーダンスも、ここ数年でレイバーのグループが形成されてから、一気に人口が増えた。
みせつけたら間違いなく尊敬される。
LAとかのステップは西海岸から伝わったけど
今じゃ日本のレベルのほうが圧倒的に上。
ベルアフで外人のレイバーが本場のレイバーより上手いって誉めてくれるし。
でもグローは外人のレイバーや帰国組の方が上手い奴多いよな
結局は楽しみ方の相違だよな。
クラブでLAやラビットステップ、グローやリキッドを楽しむ事を主体とするダンスレイバー
そうじゃない海外組レイバー
ただそれだけの話
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
レイバーになって(ダンクラからトランスに移行して)4ヶ月だけど、8キロ痩せたよ。
68キロあった体重が今は60キロ、身長は176センチあるので痩せすぎかもしれん。
腹についてた贅肉はほとんどなくなった。
踊りに行くと30分でシャツがビショビショになる。
2時間も踊ると汗で体中ビショビショ、トイレで着替えて、もう一回踊って・・・
いろんなダイエットしても効かなかった、というより長続きしなかったけど、
レイバーダンスはテキメンで効いたよ。
元々、ダンクラ踊ってたから、リズム取るのは得意だった。
初めてレイバーダンスを見たのが、今年の春。
そこから見よう見まねで練習して、リズム取れるようになったのが5月くらい。
それから楽しくて、毎週末、クラブに通うようになった。
ダンクラやってたときも毎週末クラブに行ってたから、行くクラブが変わっただけだけど。
使う筋肉は違うけど、ジョギングより激しい運動になってる。
尚且つ、技を競うという張り合いがあって、飽きない。
サウナにいくと、「俺より先に入ってた奴には絶対負けないゾ」と思ってガンバルけど、
それでもせいぜい40分が限界。
でも、レイバーダンスは楽しいときは2時間くらい踊ってる。ぜんぜん飽きない。
食生活をほとんど変えずに、ここまで痩せられるとは思わなかった。
新たな投資というと、運動靴買ったことくらいかな。
顔もなんかシャープになってきたらしい、家族に言わせると。
ま、8キロ肉が落ちたから、当然かもしれん。
レイバーはヒッピー文化の継承者とか言ってるのは畑違い。
日本のクラブシーンで一般的に呼ばれる「レイバー」は、米国西海岸スタイルの奴らを指す。
ファッション的にはレイパン、バイザー、グロー、白手、などなど。
ステップ、ハンドグロー、ポップ、グローストリング等を嗜む人達。
そもそもこいつらの歴史にヒッピーの文化なんぞ毛ほどにも無い。
どっちかというとキャンディーレイバーの背景がある。
西欧のハードコアやエピック〜ハードトランスのシーンで発展して、帰国子女や海兵隊あたりを通じて90年中盤あたりに日本に流れてき
た。
ヒッピーの継承言ってるのは別物。
ここ五年位でサイケの野外レイヴを一口でレイヴと呼び、そこに行ってる民族系の衣装の人達がレイバーと名乗るようになった。
インドとかあっち流れの背景だな。
よく混合されて知らない奴は混乱するが。
同じレイバーと呼ばれてはいても、両者は全くの別物。
歴史も背景も精神性も全く違う
よく知らないが、流れで言えば後継なんだろうけど、時代とともに色々変わるし
表の人間も裏の人間も、それをいいように利用しようとする奴がいる。
それによっても流れは複雑に変わって行くわなぁ...
ここで理念、理念って繰り返していても何も変わらないよね。
自分がその理念をできる限り実践して、シーンに居続けなきゃ。
受け止める器ができていないのに、そこに受け止めきれないような量の物を流し込もうとしたって無理な話だよ。
本当に理念を伝えて行きたいなら、受け止める側の器から作っていくくらいの気概があってもよさそうなもんだが。
でもそれは時間がかかる。
たかが5,6年くらいで広まり、変わっていくようなもんじゃないだろ?
ここで叫んでいる人は、すばらしい物を見つけた熱に当てられて、暴走ぎみに見える。
そして自分の中にその理念の芯が通っていないんだろう。そして自分の中にも器ができていないのさ。
自分の中に芯が通っていれば、まわりに左右される事は無いはずだ。
そして、その事に自分の人生の時間を費やす気が無ければ、ただそれまでの事だったのだろうし。
自分の器に理念をとうして得た物を溜め込み、それを他の人の器に注いでいく。
注がれた器と、中身をどうするかはその人に任せる。
器を枯らす人もいれば、とても大きな器を作り上げて、大勢の人に注ぎ込む人も出るだろう。
人間を信じ、相手を信じて、託す。
「知っていればイイ」だけじゃ無い事なのだから、決して理念を連呼するのだけが伝える方法じゃ無い。
自分がどれだけ本気なのか、もう一回自問自答してみれば?
俺は最近のレイバー(ダンスレイバーいうの?)だけど。
海外では〜だから日本のレイバーは〜みたいな叩きをよくみる。
海外デビュー帰国組のレイバーが俺らを叩く理由もわからんでもない。
クラブで踊り激ウマな奴らがいて目立ってれば、ファッションだけであまり踊れない帰国組は居場所なく感じるかも。
そりゃ嫉妬感や疎外感も感じると思われ。
誤解があるようだが。
俺らは周りに見せ付ける為にステップ踏んでたりグローやったりしてるわけじゃねえぞ。
こういう踊りを好きだからやってる。周りの上手い人に憧れて頑張ってる。
自分の上手さを見せつけるとかそんなチンケな理由でステップやグローの修行に耐えられるわけないだろ。
表には見えないが、上手い奴はそれなりに裏で練習したり自分のスタイルに悩みぬいたりしてんだ。
しかもそんなに早く上手くなるわけじゃない。
何ヶ月もかけて練習して苦労して上達してんだ。
中には踊りへのこだわりが行き過ぎマイナスな方向に捻じ曲がっちまって、
他のレイバーの価値をステップの上手さだけで測って踊れ無い奴を見下す様な人もいるのは認める。
少なからずそういうのが存在するのは残念だけど事実だ。
でもそんな人はごく少数に過ぎないのは分かって欲しい。
一部の悪い人を見ただけで全員が全員そうだと断定して語るのは辞めてくれ。
何か誤解がある様だが。
一回スレ立てると規制がかかるから2chのスレは連続して立てられないぞ。
あまりにも門外漢が荒らしまくってるから、俺はpart3からダンスレイバースレに改名して
ダンス好きレイバーのスレだと名言して立て直してみたけど、門外漢の荒しはとまんねww。
最近part7を立てたけど他は誰が立てたなんか知らねーぞ。
落ちそうになったら暇な有志が立て直しするのが2chのルールだし。
スレ立てしてる奴はバラバラ。
本part7立てたのは俺だが。
別に俺が立て直さなくても他の誰かが立てただろうし。
誰も立て直さなきゃ他板のレイバー系スレに流れるだけだろう。
誰も立て直さなきゃ別名でそのうちここにもレイバー系スレが立つ。
DJ板だってもう何年も霊婆学園スレやら何やら散発的にたってたからなw
part3とpart7で誰か晒されたりした荒しで嫌な思いをする奴がいたならそれは俺の責任か?
このスレが無ければ他板のレイバースレで晒されてただけではないのか?
よくあるレイバー用語への質問回答
俺が把握している範囲ではあるが。俺の解釈が間違ってたら詳しい奴が指摘してくれ。
ダンスを言葉で表すのテラキビシス
レイバーステップ:トランス、ハードコア、ハードハウス等の高速ビートに合わせて日本のレイバーの間で発展したダンスの通称。
実際には関東発祥系のスタイルと関西発祥系でやや異なる。
関東発祥系は関西に比べ優雅で、「軽さ」を強調した特徴を持つ。ハウスの影響強し?
関西発祥系はハードコアスタイルと呼ばれ、デストロターンに代表される攻撃的かつキレのあるアグレッシブなムーブを特徴とする。格闘技(カポエラ?)の影響を強く受けていると思われる。
よく目にするレイバーステップのムーブ(俺が知ってる範囲)
ラビット:高速で飛び跳ねる様な感じのステップ
LA:足を左右交互に繰り出す、ブレイキンのランニングマンに近いステップ。
スライド:サイドから切り込む様に足をスライドさせていくステップ
フロッグ:高速屈伸、立ち上がりざまに開脚するステップ。
ターン:普通のターン。アウトサイドから回る事が多し。
ハーフターン:普通の半回転。イン、アウト共に技の繋ぎ目に入れられる事が多し。
フロッグターン:連続フロッグの締めに使われる事が多い。しゃがみ状態から立ち上がりざまにターン。
デストロターン:両手を広げ駒の様に回転する派手なターン。
キックターン;前蹴りの要領で足を前に振り上げ、その足に引き付けられる様に反転しながら瞬間移動するステップ
グロー系は技の名前とかよく解らんし面倒になってきたので後は頼むwww
グロー:ハンドグロー(手でルミカを使ったダンス)
※紐グロー・・・ポイ。ルミカに紐をつけて回すダンスパフォーマンス。
レイバーがよくやるポップ系のダンス
リキッド:ポップの一種。水が流れる様な流動性が特徴のポップダンス。
ボックス: 正式にはタット(tutting)と呼ばれるポップダンスの一種。
書いておいてなんだがな。。
ダンスのムーブなんて実際に見なきゃわかるはずもないw
-フナ蟲のガイドライン-
フナ蟲:俺は本物のRaverだ!!!
一般人:ハア?そのしょぼい踊りで何言ってるのwwww?カエレ!
一般人:踊り一つもできないのにレイバーだってさwww
レイバー:フナ蟲さ、レイバーとか名乗るの辞めてくれよ。
レイバー:お前みたいに口だけのダサい奴がレイバーを名乗ると評判が下がる。
フナ蟲:え、、すいませんでした。ごめんなさい。怖い事しないで下さい。もう帰りますから。
フナ蟲:ちきしょうちきしょう!ダンスが何だ!あいつらは珍舞だ!ちきしょう!
フナ蟲:レイパン履いてると一般人が俺をダンス上手いと勘違いする・・・
フナ蟲:もう怖くてレイパン履けない・・・普通の格好でいよう。
フナ蟲:精神+ファッション+ダンスの三つが揃ってレイバーなんて嘘っぱちだ。
フナ蟲:精神がレイバーなら俺はレイバーなんだ!例え誰も俺をレイバーと呼ばなくても
フナ蟲:ちきしょう、なんでこのスレの奴らはレイバーと呼ばれてるんだ。
フナ蟲:俺こそが真のレイバーだ!ダンスを覚える根性が無くても、レイバーなんだ!!
フナ蟲:パンピンでダンスバトルがなんだ!あいつら俺を笑ってた。
フナ蟲:妄想レイバーとか言って笑ってるんだ!
フナ蟲:ちきしょう・・・荒らしてやる。スレを荒らしてやる。
フナ蟲:お前らはレイバーじゃないんだよ!珍舞なんだよ!お前らに笑われたくなんてないんだ!
フナ蟲:ちきしょう!ちきしょう!ちきしょうおおおおおおおおおおおおお!
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W#=XW @-@ `*@X +--,,----- +- *==-,- * =*XX== HX*X =-X@@ .@= 8
WWX `8@--X=.`.-*X----`--- H -----,.`` `,-H .X8--X+ +*+ --..` X
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#@WW##@W@@@WW#WWXX------------------,---------=*X*X+*X8@#WWW@W#@+`##
◆◆◆レイヴと旅は、かなり重なっている
ここまでひたすら、レイヴは「仕方なくてもいいし」「快楽だ」みたいなことを書いて来たんですが、そういう状態がいつまで続くのかな、と今ふと考えてしまった。
例えば、ニュー・エイジや宗教がある意味では「救済」とか「癒し」といったあるモチベーションを持つことで存在して来たように、
レイヴもそういうものを持ちはじめるんじゃないかとか、カオス的な部分やわけのわからない怪しい部分が薄まって行くんじゃないかとか・・・
シーンとしてそういうことは起きなくても、個人的にレイヴに「飽きる」というのも、最初はいらなかったはずなのに、
だんだん自分なりのモチベーションを考えはじめたりするから「飽きる」んじゃないかとか。
レイヴに行って「壊れる」だけで良かったはずが、ただ壊れられなくなったりとか、
何も考えないで踊っていたはずがいろいろ考えはじめたりとか・・・そういうことは、いい悪いはわからないけど、いろいろ起きると思います。
>レイヴにおけるトランスとは「旅のシミュレーション」なのではないか?
(中略)
>トラヴェラーといわれる人々のモチベーションは、いかなるものなので
>しょう?
レイヴと旅は、かなり重なっていると思います。日常を離れる(逃れるということも含めて)という意味でもそうだし、
そこに目的も(観光や買い物を目的とした旅ならば別ですが)、生産的なことも(旅先で仕事をする人もいますけど)ない。
一人でほとんどのことを決めなければならないし、考える時間だけはいくらでもあるから、
そこで自分自身を探す「自分探し」のようなことは旅について昔からよく言われるけれど、
旅になど出なくても人によっては毎日それをやってるし、日常の中でこそやらなければ見つかるはずもないわけで、そういうことでもない。
でも何か日常生活の中で行き詰まったり溜まったり区切りがついたりした時に旅に出たいと思うのは、
「探す」んじゃなくて、そういう自分の重さとか、酸欠状態とか、からまった糸クズみたいな日常とかを、
「捨ててる」んだと、僕はある時から思うようになった。旅に出るのは、自分の中にたまったゴミアクタを捨てに行くのだと。
酸欠の金魚が水面に出て口をパクパクさせてやっと空気を吸うみたいに。これはレイヴに行くのとかなり近いです。
クレジットカードを財布の中に入れて。
それで、はっきり言うと、おそらく多くの人が帰って来るのは旅に出るのより大変です。
旅してる間は、楽だもの。金がなくなって、航空券の期限がせまって、さあどうしようと思いはじめる。
自分についてどうこうというのは、旅から帰って、前と同じ日常の中に戻ったときに、
旅の途中よりも何倍もたいへんなこととして立ち現れて来るのだと思います。
で、旅に出て、また帰って来て、また旅に出て・・・を繰り返す。
そうしてるうちに、日本にいてもいつも旅してるのと変わらない状態になる時もあって、日本にたまに金を稼ぎに帰ってくる、などという人もいる。
この場合は(というより、旅から帰るというのは)日本に帰ることのほうにモチベーションがあるってことになったりして・・・。
◆◆◆旅で感じる生命の実感
ただ、踊ってみてはじめてわかることがあるのと同じように、移動してみてはじめてわかることというのは確かにあって、
自分の世界観が変化するというか、世界地図の見え方がかわるというか、そういう感触は何度旅に出ても新鮮に襲って来ますよね。
同じように、自分が住んでいた日本や東京の見え方が変わったり。
僕は東北の田舎の生まれなんですが、たまに田舎に帰ると旅から東京に帰った時と似たような感覚があります。この「移動」、それが旅なんだと思います。
スイスで生まれてニューヨークへやって来た写真家ロバート・フランクの写真集『アメリカ人』の序文を書いたジャック・ケルアックは、
「自動車に乗ってアメリカを横断することは、アメリカの<さよならの感覚>を痛切に体験することなのだ」
(『アメリカン・イメージ』伊藤俊治)と言ってます。
「車に乗って人々から別れ去ってゆくときのあの気持ち、人々の姿が平原の上にしだいに小さくなり、
やがて小さな点となって消えてゆくときのあの気持ち、あれはいったい何なのだろう。それはあまりにも巨大な世界がわれわれを飛び越えてゆくこと、
つまりそれがさよならというものだ。しかし、ぼくらは大空の下を次の気狂いじみた冒険へ向かって乗り出してゆく……」
(『路上』ジャック・ケルアック)
この文章は、「移動」がもたらす感覚を言い当てていると僕は思います。
『夜の果ての旅』を書いたセリーヌに言わせれば「僕らが一生を通じて探し求めるものは、たぶんこれなのだ。ただこれだけなのだ。
つまり生命の実感を味わうための、身を切るような悲しみ」。
レイヴの刹那に感じる生命の実感は、旅で感じるそれと同じもので、その痛切さが、旅に人を駆り立てるのだという気がします。
かたや同じ土地に同じ景色を見ながら何十年も住んでいる自分の両親がいて、彼らは死ぬまで旅になど出ないかもしれない。
そういう自分自身に対する突き詰め方というか、たったひとりで、ひとつの景色の中でくたばるために必要な力など、自分にはないのだとも思う。
「この景色に、負けるのだ。打ち負かされて、逃げ出すのだ。何もない山や、一点の曇りもない霧や、海に降るじゅうたんのような雨の前から、
走り去るのだ。この足を、ここから別な場所へと突き動かすのだ。」
最後の「」は、自分の小説(『146BPM』)からの引用なので、ここだけ取り出すと誤解があるかもしれませんが、
そうして移動して行く足の「強さ」というのは、大地を踏みしめて踊っている人間の「強さ」と同じものだと同じものだと思います。
旅にしても、パーティーにしても、そこにはある強烈な景色が目の前に立ち現れる。
その景色の記憶というのは、音と密接に関係してると思います。
音を聴いて、どうしてある景色を思い浮かべたりするんだろう?
人間の頭がそういう構造だといってしまえばそれまでなんですが。
今日はこのへんにしときます。
◆ヨーロッパ、日本、アメリカ、それぞれの「きつさ」と「ゆきづまり」
>そういう話でいうと、ヨーロッパとかイスラエルとかのほうが、レイヴに対する
>風当たりは強いという印象が僕にはあります。
(中略)
>でも、イスラエルやヨーロッパの「きつさ」が、ヨーロッパにあれほど巨大なシーンを
>生み出したり、ゴアに行ったらイスラエル人がいちばん多いことの背景にあるのかな
>という気がします。
なるほど。踊る行為には目的とか結論がないとしても、
ダンスに駆りたてられる個人が拠りどころとする社会背景との対応で(現象としての)レイヴの意味合いもまた、違っていくわけですね。
世界的な事情が話題にのぼったついでといっては何ですが、
レイヴやテクノについて語られるテーゼのひとつに……それが言語を介在させない文化ということもあって……国境や人種・民族を越えたグローバルな拡がりをもつ潮流である、
みたいな説明がされるケースがありますよね。たしかにレイヴ・パーティの参加者は、開催国の人間のみならず、
世界各地から流れてきた多国籍・多民族の集合体だったりすることは事実です。
ただしそれが、地球単位の営みかというと……いささか過大評価っぽい言い方のような気が、僕にはします。
社会システムの疲弊や枠組の変容が(結果的に)レイヴの出現をお膳立した……という指摘が、
本対話メールのはじめの頃にありましたが、そういう意味でもヨーロッパ諸国のような伝統社会における“ゆきづまり”が、
その後のシーンの繁栄をもたらしたというのは、何となく理解できます。
そしてインドのゴアに代表されるようなリゾート地や旧植民地帯へと飛び火していく流れも、予測はつく。
かたや日本にはそうした“伝統”ゆえの「きつさ」は認められないけれど、
戦後民主主義や高度経済成長といった「拠りどころ」が(バブル経済の凋落と前後して)崩れていったことが、
今のシーンの前提に横たわっていることも、ある程度実感できる。
しかしそうした成熟と老化のプロセスを経ていない社会では……当たり前のことですが……「踊っている場合ではない」境遇の人間だって、
この地球上にはゴマンといるわけですし。
先進諸国といわれる中でも、たとえばアメリカではレイヴはそんなに盛んではないですよね。
もちろんLA郊外やサン・フランシスコ周辺では、それなりに屋外パーティが催されているとは伝え聞きます。
しかし国勢的な規模からいっても、アメリカでのレイヴ・シーンはヨーロッパや日本のそれからしてみれば、
ささやかな潮流ではないでしょうか
(さらに付言すれば、ハウスやドラムンベースと比較しても、
テクノそのものがアメリカではヨーロッパほど定着〜浸透していないようでも、ありますが)。
逆にいえば、ブラック・ミュージックのようなシーンやカルチャーの拠点であることを考慮すれば、レイヴ的なものを必要としない、
もしくは必要とされているのはレイヴ的なものではない社会……というのが、現在のアメリカなのか、などと漠と考えたりもするのです。
そういえばレイヴやトランスのパーティでは、黒人の参加者の姿をあまり見かけないようにも思えるのですが、
それは日本のみならず、海外でも同様なのでしょうか?
(テクノそのもののオリジネータには、名だたる黒人アーティストがいるにもかかわらず……)。
そういったレイヴの背景にある、人種的・文化的な“障壁”みたいな部分について、
清野さんなりに何か感じられていることがあったら、一度聞いてみたかったのですが。
◆スピリチュアルな経験をするひともいれば、あまり縁のないひともいる
そしてもうひとつ、先のメールで話題になった、レイヴにおけるトランスと宗教やシャーマニズムにおけるそれとの比較について……
>いちばんの違いは、宗教やシャーマニズムのトランスは、修行や苦行や修道によっ
>て得られるできごとであって、「快楽」ではないということだと思うんです。
(中略)
>ただ、それを通常の意識の状態(というか、トランスでない状態)で考え直して
>みた時に、自分が日常とは違う体や頭や意識の状態(より深層意識に近い部分だと思
>うのですが)にあるのは確かで、それは、宗教的な瞑想やシャーマニズムの最初の段
>階がやることと同じといえば同じなわけです。
若干補足しますと、前のメールで僕がダンスでトランスした際のイメージとして、
たとえば「別の時代の住人」とか「人間以外の生き物」になる……みたいな表現をしたのですが、
もしかするとそれって、かつて自分が書物や何かで、
宗教体験やシャーマニズムの儀式における変性意識についての知識や情報を見聞きしたところからくる、
先入観の産物なのかもしれない……と思ったりもします。
パーティ仲間と話をすれば、レイヴである意味スピリチュアルな経験するひともいれば、
そういう心持ちにはあまり縁のないひともいることがわかりますよね。そしてそういう心持ちを経験したひとが、
必ずしも伝統宗教や精神世界的なものに以前から馴れ親しんでいたとも限らない。
だから固定したメソッドではない=かなり「ゆるい」道筋なのだけれど、方向づけとしては、ダンスによるトランスが、
瞑想や修業によって到達する境地に近いところへと向かうことは、それなりの頻度で“ありうる”と……このぐらいのことは、
かろうじて言えるように思えます。
ただし、例えば「夢」の記述がまさにそうであるよう……日常意識以外の状態、変性意識なるものを言葉やイメージに置き換えようとするとき、
必ずやそれは事後的な想起と何らかの「翻訳」をともなった作業であるから、
そのものズバリを言いあてるというよりは、様々な先入観やヴォキャブラリーに限定された「記述」でしかありえないというのは、
当然といえば当然なのかもしれません。関連して……
>レイヴには「どうトランスしたらいいか」なんていうシステムも決まりもない
ことは明らかですが、逆にそこで、特別な修業や苦行を媒介せずとも、
ある導入的なトランス段階へと(効率よく?)導いていくための“仕掛け”としてあるのが、
サウンドやパーティのデコレーションだったりするのではないか……ということです。
とくにこれはサイケデリック・トランスといわれるジャンルに顕著なことなのですが、
レイヴ・パーティのある割合(日本ではほとんど)をそれが占めているだけに、
レイヴと無関係でもない話題だということで、取り上げさせてください。
◆「踊る快楽」を突きつめた“装置としての必然”
日本のレイヴ黎明期から、トランス系パーティのデコレーション(装飾)をずうっと作ってきたひとに、
以前話をきく機会があったんですが、彼の話で印象的だったのが「自分の作っているものはいわゆる(美術)作品ではない。
ダンスの邪魔にならず、反対に集まったみんなが主人公になれるような「場」をしつらえるための、装置やパーツなのだ」という部分でした。
清野さんもご存じのよう、サイケデリック・トランスのアルバムジャケットやフライヤーには、
ヒンドゥーの神々や風水、マンダラやカバラの図形など、様々な宗教的イコンやシンボルが(ゴッタ煮的に)盛り込まれていたりするケースが多いじゃないですか。
もともとの図像学な文脈からすれば、それは“誤用”でありデタラメな“剽窃”なのかもしれないが、
そういった共通言語的なシンボルや図形をパッチワークしていくことで
(伝統的なロジックやシステムに依拠するのではない)現在流のトランスを演出する「場」をデザインする……というのは、
テクノのもつサンプリング的な姿勢とか匿名性にも通じる、ひとつの新発明のような気がします。近代以降の芸術作品は作家個人の表現……
エゴの反映というのが大前提にあったことを思い返しても(いい悪いは別として)そういう機構とは違った装置が、
そこで編みだされたように思えたのです。
ついでにいえば、トランス系テクノのサウンドというのも、ある意味ひじょうに無骨で、
一般でいう音楽的洗練とか進化の方向からすれば、
逸脱というか後退というか……かなりズレていますよね。とくにイスラエリ・トランスの楽曲のように、
メロディラインがはっきりしていて、展開もあからさまに解りやすく、そこに民族音階どころか、
演歌のような“泣き”のマイナーラインが入ってくるような旋律が流れたりすると……
さすがに「カッコいい」音楽とはお世辞にも言えなくなってくる。トランスに馴れ親しんでいるわれわれをしても、
「コテコテ」とか「ベタベタ」とか、自嘲気味に形容してしまうサウンドのことです。
しかし“それ”がかかっている場で踊ったときの気持ち良さ……
曲の展開が醸し出す「物語性」の流れに身をゆだねる心地よさをひとたび体験してしまうと、
“それ”にはそれなりの「踊る快楽」を突きつめた“装置としての必然”が込められているよう思えてならないのです。
とはいえ、そうしたトランスの典型的なスタイル性が、逆に間口を限定していたり、
シーンの煮詰まりを導き出さないとも限らない。
「場」や「音」の衝撃というのも、耐性がつかないとはいえないわけですよね。早い話、
>「飽きる」
ということは、これだけ新しい現象でありながら(その勢いが盛んであればあるほど)避けがたいという面も、
あるのでしょう(個人差もある、とはいえ)。
>旅にしても、パーティーにしても、そこにはある強烈な景色が目の前に立ち現れる。
>その景色の記憶というのは、音と密接に関係してると思います。音を聴いて、
>どうしてある景色を思い浮かべたりするんだろう?
共感覚……たとえば匂いや味が記憶を呼びさましたり、
昔のある曲を聞いて、その時代の想い出が甦るといった体験は、
大抵のひとに憶えがあることとはいえ、パーティーにおける音と景色というのは、
相当強烈な喚起力をもっていますよね。
どこかで一度だけ踊ったことのある曲を事後的に聞き返して、その時の気分や感情が蘇ったり、
以前はつまらない曲だと思っていたものが、あるパーティの流れの中で聞いて以来、とても印象深い曲になったり……
こういうことは、パーティ・ピープルのなかではよくある話だと思います。
そこで想起される「景色」というのは、単なる“風景”というよりも、
デコレーションや会場のロケーション、集まってきた参加者の顔ぶれや当日の天候、自分の心身の状態などと、
そこで流された音によっておりなされた“場”……としか説明できないのではないでしょうか?
またとりとめもなくなってきたので、旅と移動の話題など、まだ残されていますが……今回はこのへんにします。
ところで清野さん自身は「音を聴いて、思い浮かべた景色」を、
ご自身の小説などに反映させていますか?……もっとシンプルな質問をすれば、
清野さんにとって印象深い「音と景色」とは、どんなものだったのでしょう?
-フナ蟲のガイドライン-
フナ蟲:俺は本物のRaverだ!!!
一般人:ハア?そのしょぼい踊りで何言ってるのwwww?カエレ!
一般人:踊り一つもできないのにレイバーだってさwww
レイバー:フナ蟲さ、レイバーとか名乗るの辞めてくれよ。
レイバー:お前みたいに口だけのダサい奴がレイバーを名乗ると評判が下がる。
フナ蟲:え、、すいませんでした。ごめんなさい。怖い事しないで下さい。もう帰りますから。
フナ蟲:ちきしょうちきしょう!ダンスが何だ!あいつらは珍舞だ!ちきしょう!
フナ蟲:レイパン履いてると一般人が俺をダンス上手いと勘違いする・・・
フナ蟲:もう怖くてレイパン履けない・・・普通の格好でいよう。
フナ蟲:精神+ファッション+ダンスの三つが揃ってレイバーなんて嘘っぱちだ。
フナ蟲:精神がレイバーなら俺はレイバーなんだ!例え誰も俺をレイバーと呼ばなくても
フナ蟲:ちきしょう、なんでこのスレの奴らはレイバーと呼ばれてるんだ。
フナ蟲:俺こそが真のレイバーだ!ダンスを覚える根性が無くても、レイバーなんだ!!
フナ蟲:パンピンでダンスバトルがなんだ!あいつら俺を笑ってた。
フナ蟲:妄想レイバーとか言って笑ってるんだ!
フナ蟲:ちきしょう・・・荒らしてやる。スレを荒らしてやる。
フナ蟲:お前らはレイバーじゃないんだよ!珍舞なんだよ!お前らに笑われたくなんてないんだ!
フナ蟲:ちきしょう!ちきしょう!ちきしょうおおおおおおおおおおおおお!
>>> 踊っているうちに強烈な素の感情だけが沸き上がってくる
> しかしそうした成熟と老化のプロセスを経て
> いない社会では……当たり前のことですが……
> 踊っている場合ではない」境遇の人間だっ
> て、この地球上にはゴマンといるわけですし。
(中略)
> 先進諸国といわれる中でも、たとえばアメリカ
> ではレイヴはそんなに盛んではない
> ですよね。
(中略)
> レイヴ的なものを必要としない、もしくは必
> 要とされているのはレイヴ的なものではない
> 社会……というのが、現在のアメリカなのか、
> などと漠と考えたりもするのです。
これは前にも書いたんですが、ゴアやタイの島なんかに行くと、そういうことを考えざるを得ないです。
まあ、ゴアの場合は、そこがひとつのレイヴ村みたいな感じで、外の社会とは隔絶されてるようなところがあって、
踊ってるほうも現実を考えなくていいし、土地のインド人もそれでかなりの金が儲かる、
みたいな相互関係ができあがっていて、そこを一歩出た時に、いろいろと考えてしまった経験があります。
それと同じではないんですが、踊ってる場合じゃない、と思う時は日本に住んでいてもあって、
仕事が忙しいのに踊りに行っちゃったりとか、台風で人が死んでる時に山の中まで出かけていったりとか、
友達にどっか行こうと誘われたのに断って踊りに行くとかしてる時に、
こんなことやってていいのかよ、と思う時はあります。
アメリカについては、僕も向こうに行ったDJから話を聞いたりして、今考えてみると三つの理由があると思うんです。
ひとつはサイケデリック・ムーブメントやそこから派生したカウンター・カルチャー、ニュー・エイジといったものが、
あそこまで広範囲なものとしてあって、その力が強すぎたこと。
二つめは、ロックの呪縛が根強いこと。三つ目はアメリカ社会そのものに内在するアメリカ主義みたいなことです。
三番目には、アメリカの経済がまだ絶好調なことも含まれると思います。
それは、アメリカではロックがまだ日本やヨーロッパ以上にリアリティーを持っているということだし、
ヒップホップは社会への「カウンター」という意味ではロックの延長線上にあると思います。
僕はアメリカに行ったことはないですが、ヨーロッパではだいぶ減ったヘロインやクラックの消費量が、
アメリカでだけは伸びているということを、同じ文脈の中でとらえている人もいます。
ロシアや東欧でもロックはリアリティーを持っていると思うんですが、レイヴも盛んです。
ここには、ロックもテクノも同じ時期に、自由の旗印として大量に入って来たという事情があると思います。
面白いのは、六〇年代にゴアに行ったヒッピーの多くがアメリカ人だったのに、今はアメリカ人は(たぶん)ほとんどいないんですよね。
その当時からゴアに住んで今でもDJをやってるゴア・ギルしか僕はあわなかった。
でもかたやアメリカには、砂漠で行われるバーニングマンのような、アメリカ独特の祭があったり、
ヒッピー世代ではないコミューンも多いと聞きます。
でもそれが、いわゆる日本やヨーロッパのレイヴかというと、行ってないので想像ですが、ちょっと違うと思うんです。
これがもしアメリカでレイヴが爆発したらすごいことになる、と言う人もいるし、
ゴア・ギル本人が言うように、アメリカは何でも最初からビジネスに結びつけるから駄目なんだという意見もある。
今後どうなるのかはわかりませんが、アメリカはおそらく(中国共産党がつぶれたりしない限り)、最後のレイヴ暗黒大陸なのは確かだと思います。
メキシコの国境近くのほうとかではかなりやってるみたいですが。
◆トランスの世界には黒人が少ない、というのが正しい?
> そういえばレイヴやトランスのパーティでは、
> 黒人の参加者の姿をあまり見かけないように
> も思えるのですが、それは日本のみならず、
> 海外でも同様なのでしょうか?
トランスに限っていえば、同じです。ゴアにもほとんどいません(いないわけではないけれど)。
ちなみに、ガバのパーティーにもほとんどいません。でも、トランスに限らずに見れば、かなり多いと思います。
日本にいてそう感じるのは、トランス以外の野外のパーティーがほとんどないからだと思います。
イギリスのドラムンベースの世界なんかだと、DJは黒人が多かったりするけど、客のほうには人種の壁はないです。
イギリスのエグゾダスというジャングルのレイヴ・チームのDJは、自分たちのシーンについてこう言ってます。
「マルチカルチャリズムっていう言葉がある。それは、違った文化が混ざり合うことだ。僕らは白人と黒人だ。
でもひとつの文化なんだ。トライバル・イングリッシュ・カルチャーっていう、ひとつの文化なんだ」
全体的にみると、四つ打ち(トランスやガバなど)=白人DJがメインのシーン、
ブレイクビーツ(ドラムンベースなど)=黒人DJがメインのシーンという傾向は確かにあるように思います。
これは、リズムに対する文化的な土壌とか、もともとのシーンのはじまりがそうだったとか、いろいろ理由はあるのかもしれません。
でも、普通のテクノやミニマル、ハウスの世界になると、黒人のDJも客も多かったりするし……そう考えると、
トランスの世界には黒人が少ない、というのが正しいような気もします。
そういう意味では、日本人は幅が広いというか、トランスからドラムンベースから、何でもやってますよね。
イスラエル人のドラムンベースのDJとかいるんだろうか? イスラエルに行ったらいるんだろうな。
トランスのシーンにどうして黒人が少ないか……やっぱり、サイケデリックの流れが基本的には白人文化だったということなんでしょうか?
ドラムンベースやミニマルはそういう意味では違う流れだと思うから。
◆レイヴはもっと開いて行く方向のトランス
> 前のメールで僕がダンスでトランスした際の
> イメージとして、たとえば「別の時代の住人」
> とか「人間以外の生き物」になる……みたい
> な表現をしたのですが、もしかするとそれっ
> て、かつて自分が書物や何かで、宗教体験や
> シャーマニズムの儀式における変性意識につ
> いての知識や情報を見聞きしたところからく
> る、先入観の産物なのかもしれない……と思っ
> たりもします。
そうですね。僕らが話してる内容じたい、そういう先入観のもとに議論が成り立ってるところもあるし。
> だから固定したメソッドではない=かなり
>「ゆるい」道筋なのだけれど、方向づけとし
> ては、ダンスによるトランスが、瞑想や修業
> によって到達する境地に近いところへと向か
> うことは、それなりの頻度で“ありうる”と
> ……このぐらいのことは、かろうじて言える
> ように思えます。
そう思うんですが、その近い、というのが、同じトランスでも、僕にはやっぱり違うことのような気がどうもするんです。
僕は本格的な瞑想も、修行やヨガも、したことがないのですが、修験道の山歩きというのは何度か体験したことがあります。
これは、激しい体の動きもともなう修行で、三途の川を渡って山(他界)に入り、また現世へ戻って来るという、物語性の非常に高い世界です。
そこでは確かに、トランス感とか、満足感とか、そういうものが得られるんですが、レイヴのそれとはかなり違うと僕は思いました。
修験道が自分の内面的な「死と再生」への旅だとすると、レイヴはもっと開いて行く方向というか、
解放してまた自分に戻るというか、そんな気がちょっとしました。と書いたすぐ後で、
レイヴでも限りなく内面に入っていって最後に突き抜けるという方向の時もあったりするなあ。
結果的には、木村さんがいうようにやっぱり「近い」んだろうか。
◆レイヴは発明だ
> トランス段階へと(効率よく?)導いていく
> ための“仕掛け”としてあるのが、サウンド
> やパーティのデコレーションだったりするの
> ではないか……ということです。
(中略)
> テクノのもつサンプリング的な姿勢とか匿名
> 性にも通じる、ひとつの新発明のような気が
> します。
レイヴは発明……これは、何年も前によく友達とよく話してました。
そう、発明なんです。僕の中では、デコレーションもそうだけど、高速道路を車で走って地図を頼りに会場にたどり着く、
というところからして、レイヴのかなり重要な一部です。帰りに温泉に入ってまた車で帰って来るのも。
デコレーションということでいうと、ここまでデコレーションに力をいれてるパーティーは、トランス以外にはないんじゃないかな。
他のレイヴだと、スピーカーはものすごくても、デコレーションはほとんどなかったりすることも多いし。
トランスの場合は、空間=場そのものがパーティーの重要な要素だというのがあって、
オーガナイザーのかける意気込みにはものすごいものを感じます。
でも最近は、昔みたいなインド風は減ってきて、もっとサイバーな感じになってますよね。
◆音は、猛スピードで進化している
それ以上に、音の進化っていうのはものすごいと思う。
去年の音と今年の音は、聴いてみると間違いなく進化してるし、二年前のCDだと、よっぽど好きな曲じゃないと僕は聴けなかったりします。
テクノのこのスピードは、今までの音楽にはなかったものだと思う。
トランスに限っていうと、去年あたりからニミマルっぽい曲が増えてきた時に、僕ははっきり言うと、最初はあまり好きじゃなかったんです。
でも、ある日、かなりミニマルなんだけどいいDJがいて、踊ってみたらものすごかった。
最近はミニマルだけどものすごくトランスという曲が結構あって、そういうのばかり聴いてたりします。
かたや、スズキツヨシのように、ドラムンベースをかなり取り入れた曲を作っている人もいて、これも僕はものすごく好きです。
ヤマツカアイのライヴとかも、同じ年代でロックを聴いてきた自分はかなり好きです。
それに、最近はトランスのDJとドラムンベースのDJが一緒にパーティーをやったりしていて、そういうパーティーはこたえられないです。
結局、常に新しい音に挑戦してるDJとか、新しいことをやってくれるパーティーとか、そういうパーティーが好きなんだと思います。
ただ、それで昔の曲を聴かないかといえばそうではないし(自分でDJする時も五年も前の曲をかけたりします)、
ミニマルだけで一晩やられたら、ちょっとつらいものがあったりします。
オーストラリアでツヨシのパーティーに行ったんですが、前半ミニマルなトランス、途中ブレイクビーツで、
最後はしっかり四つ打ちのトランスっていう、ものすごい構成になってました。
余談だけど、DJのうまい下手っていうのは、これは絶対にあると思います。同じDJでも、日によってかなり違ったりしますよね。
そういう全体の流れというか、「物語性」というか、これはトランスに限らず(ドラムンベースのパーティーにしたって)かなり大きな部分だと思います。
結局、人間の体が、そういう「時間の流れによって感じる変化」を気持ちいいと思うようにできてるんだという気がします。
で、僕がどうして昔のコテコテの音を聴いていいと思うか、ということなんですが。
> 相当強烈な喚起力をもっている
ということだと思うのです。音を聴いて涙を流して泣いたことさえあります。
> トランス系テクノのサウンドというのも、あ
> る意味ひじょうに無骨で、一般でいう音楽的
> 洗練とか進化の方向からすれば、逸脱という
> か後退というか……かなりズレていますよね。
と書きましたが、確かに、普通にテクノを好きな人の中には、トランスってダサい、とか、ヘビメタみたい、などと言う人はかなりいます。
それと同じことなのですが、僕の友達の中には、テクノは大嫌いだけどトランスのパーティーで踊るのは大好き、というロックファンも何人かいます。彼らにとっては、結局、トランスって、テクノじゃないんですよね。
曲の展開とか、ブレイクとか、メロディーとか、そういう部分のうねりの具合は、インダストリアルやテクノよりもロックに近いと僕も思います。
木村さんが書いた「泣き」ということになると、ほとんどロックの「泣き」と同じです。
ミニマルな曲でも、ドラムンベース調のやつでも、トランスはそうです。
ドラムンベースもロックに近いです。トランスもドラムンベースも、ギターの音が入ってる曲が受けたりします。
これは、基本的に作り手も客のほうもロックだから(それを聴いているかいないかは別にして)だと僕は思います。
そう考えると、トランスコアとかニュー・エナジーのほうはまだテクノ寄りのような気がします。
でも、そのトランスが、進化していない音楽かというと、僕はそうは思いません。
石野卓球がどこかの雑誌で「これからはもうダンスやります」って言ってたと友達に聞いたんだけど、
つまり、ダンス・ミュージックって、結局そういう方向がすべてだと思うんです。
レコード会社が宣伝しようがしまいが、作った人が有名だろうが、無名だろうが、客が踊りたい音がプレイされて、
また新しい音を誰かが作って、その中で客が踊りたい音が残っていくっていう。
だからトランスの中でだって細分化していくし、他のジャンルとクロスオーバーしていくのはあたり前だと思うんです。
今は昔のようなイスラエリーっぽい曲はイスラエルのDJもあまりかけなくなったけれど、
またそういう音を求める人が増えれば新しい形でそういう音が出てくるだろうし、まったく別な音が出てくるかもしれない。
誰が決めているわけでもないのに、全体的な波というのはかなりあると思うのです。
◆踊っているうちに強烈な素の感情だけが沸き上がってくる
> 共感覚
と書いたこと……音を聴いて景色や気持ちを思い出す、ということなのですが、
これはおそらく、レイヴのトランスには、感情、が関わっているからだと僕は思います。
それは、決まったひとつの感情というものではなくて、うれしいとか、楽しいとか、せつないとか、こわいとか、いとしいとか、
不安だとか、泣きたいとか、笑いたいとか、その局面によっていろいろあると思うんですが、とにかく、そうした感情が突然起きるわけです。
でもそれは、普通に感じるような感情……誰かと話をしたり、小説を読んだり、テレビのニュースを観ていて沸き起こる感情とは違う。
特別な人に何かされたり言われたりしたわけでも、そういう話を読んだわけでもないのに、
踊っているうちに強烈な素の感情だけが沸き上がってくるような、そんな感情のような気がします。
感情の体験は、レイヴの場でも、そうではない場でも、強烈なことだと思います。
おそらく、その場所で、自分と、隣で踊っている人が、
その強烈な感情(それぞれの感情の種類は違っていたとしても)の対象物として共有できるものは、音と景色だけです。
だから、音が景色を喚起する、ということが起きるような気がするのです。
前のメールにも少し書きましたが、僕が前に書いた小説や、現在執筆中の小説では、音(もしくは声)と景色はかなり重要な位置を占めています。
それは、誰かと、ある景色を見ていた時に沸き起こった感情や、どうしようもなさを、目の前の景色に投影させているということでもあるし、
景色の記憶があるからこそ、その一瞬を強烈な記憶として思い出すことができるということかもしれません。
盲目の人にとっては、また別の何かがあるのだと思いますが、自分にはそういう実感があるのです。
例えば、自分と自分の恋人の間に起きた強烈な体験の記憶が、ある景色に結びついているようなことです。
それと同じように、音が呼び起こす体験や感情もまた、景色と結びついているのだと思ったわけです
最後に、僕にとって、印象深い音と景色は? というご質問があったので、少しだけ書きます。
まず、僕には、自分が山に囲まれた盆地で生まれ育ったということもあって、山の景色というものがいつでも心に浮かぶ場所としてあります。
それ以外には、いちばん最近のことでいうと、オーストラリアの荒野の景色です。
今それをモチーフに小説を書いているので、秘密にしておきたいのですが、簡単に書きます。
僕は荒野の中のパーティーで曲をかけていて、僕の彼女が横に来て、小声で「ねえねえ。ぜんぶあるよ」と言った。
そう言われて見渡した時に、三六〇度の地平線の中に、朝と、夜と、雨と、太陽と、砂嵐と、蟻とサソリがうごめく大地とがすべて一度にあった。
それがわかった瞬間に、広くてとりとめがなかったはずの荒野の景色が、一枚の白紙に描いたマンダラのように自分の中に入って来た。
それが、ここ数カ月の間でいちばん印象深い景色として残っています。
ここ何回かのメールのやりとりで、僕と木村さんは、どちらかというとレイヴをポジティブなものとしてとらえてきたように思います。
でもそこには、誰でも知っているように、今日は調子が悪くて楽しめなかった、とか、よけいすっきりしないまま帰る、
といったバッドな場合もなきにしもあらずで、別にそうならなくても、レイヴから帰った後に仕事するのがうざったいとか、
旅行から帰った後に日常生活になじむのがたいへんだというような経験は、多くの人が持っていると思うのです。
そういうことに関して、木村さんの意見を少し聞いてみたいと思っています。
◆ダンスによるトランスのさなか、「気づく」瞬間がある
まずは、ダンスにおけるトランスと瞑想や修業によるトランスは、はたして近似なものと受けとれるのか、
あくまでも別物なのか……という話題について
> その近い、というのが、同じトランスでも、
> 僕にはやっぱり;違うことのような気がどうも
> するんです。
(中略)
> と書いたすぐ後で、レイヴでも限りなく内面
> に入っていって最後に突き抜けるという方向
> の時もあったりするなあ。結果的には、木村
> さんがいうようにやっぱり「近い」んだろうか。
このへんは一概に決められない話かもしれませんね。
トランスという体験や状態にかんするリアリティの持ち方なのかもしれませんが……。
日常的な意識や感覚のありようから離れていく「距離」的なものは双方に認められるとして、
そのベクトルや深度は必ずしも一致してるとはいいきれませんし、ね。
ダンスによるトランスにかんしては、必ずしもそれが毎回同じ方向と深さへと向かうわけでもない、
気まぐれな側面もありますから、型にあてはめてそれを説明してしまうと、たぶん実際のレイヴ体験からは遊離してくる感じもします。
逆に宗教や儀式におけるトランスのほうが(決まった手続きを必要とするぶん)定型化されやすいものかもしれません。
ただひとつ実感をもっていえることとして、ダンスによるトランスのさなか、
参加者は時として様々なことに「気づく」瞬間があるように思えます。
僕はそのことを、レイヴにおける「わかったタイム」と、かりに呼んでいるのですが……ちょっと前のメールに遡りますと、そこで清野さんが
> 「梵我一如」とかいうことを本を読んで頭で
> わかっても、それを宗教的体験として「わか
> る」のはたいへんなことだと思う。それが、
> レイヴで踊ってみたら(そういう言葉ではな
> いにしても)自然にわかった、というような
> ことは、もしかしたらあり得るかもしれない。
と書いていましたが……まさにそういうことです。
とはいえそこでの「気づき」は、必ずしも宗教的/精神的なものに限るわけでもなく、
知識や情報として僕らが知っている(けれど、いまひとつそこにリアリティを感じ取れない)理念なりテーゼが、
踊ったり騒いだりしているさなかで、意外なほどすんなりと受け入れられたりすることって、ありませんか?
たとえば旅に出ることで、日頃の生活では気づかない「自分の境遇」なり「世の中のあり方」みたいなことが見えてくるというケースも、
一方にはある。同様に、日常意識からズレた心持ちからあらためて自覚できるものとして、
レイヴにおけるそういうものを、僕なりの所感で言葉にすれば、それは「関係性」/「つながり」みたいなことではないか、と思うのです。
これまた前のメールでに清野さんが書かれていた「印象深い景色」の話……
> 僕は荒野の中のパーティーで曲をかけていて、
> 僕の彼女が横に来て、小声で「ねえねえ。ぜ
> んぶあるよ」と言った。そう言われて見渡し
> た時に、三六〇度の地平線の中に、朝と、夜
> と、雨と、太陽と、砂嵐と、蟻とサソリがう
> ごめく大地とがすべて一度にあった。
> それがわかった瞬間に、広くてとりとめがな
> かったはずの荒野の景色が、一枚の白紙に描
> いたマンダラのように自分の中に入って来た。
これもまた、ひとつの「わかった」という瞬間の意識ではないのでしょうか?
当然僕はその場に居合わせていないけれど、清野さんのメールを読んで、
その「すべてが一度にあった」感を自分なりに想像できるような気がしました。
恐らくそこでは、それぞれの要素が視界内に全部おさまったというだけではなく、同時にそれぞれの諸要素の関係性が、
ひとつの風景の中で不思議なくらい調和を取って「見えて」きたということ……それがマンダラのような景色ということではないのでしょうか?
そして、そういう調和をきわだたせるのが、音やリズムや場の推移などが織りなすレイヴの「物語性」なのだと思うのですが。
ただ、こうした(「わかった」という)発見は時として、パーティの熱にうかされた単なる錯覚なのかもしれないし、
事後的/客観的に吟味してみたら、全然大したことではなかったりするかもしれません。
何よりも僕らは「気づき」たくて踊っているわけではなく、
(この対話メールでさんざ話してきたよう)「気持ちいい」から踊っているという大前提は、しつこく強調しておいたほうがいいでしょう。
とはいえ、その「快楽」の副産物としての「気づき」というのは、これまた以前のメールで話題にのぼった、
レイヴにおけるさまざまな「動機づけ」をもたらしていることも、また事実です。
171 :
よじ:2006/01/07(土) 01:31:05 ID:hc2auyaF
みんなーーー!!!ウルマリでケテーイ!!!
ともすれば、そうした「気づき」を過大評価するあまり、レイヴでトランスしたことで、
何か特別な悟りや意識改革を受けたよう、性急に思い込んでしまうというのも(個人的には)違和感を拭えなかったりします。
むしろそこで「気づいた」ことを、レイヴ以外の日常生活の場にまで引き継いでいけるかどうか……
「気づき」にある普遍的な意味があるかどうかは、その辺で真価が問われていくのでしょう。
それ次第では、もしかして、もともと単なる「馬鹿騒ぎ」であったはずのレイヴが、思わぬ波及効果や展開をみせるかもしれない。
ただこれはあくまでもレイヴ文化の「オマケ」の部分の話だと思うのです。
オーガナイザーによっては、エコロジーやスピリチュアリティ的なメッセージ色をパーティに強く打ちだすところもありますよね
(日本だけでなく、そういうのは海外でもあるのでしょうか?)。
ただ前面に打ちだしたからといって、必ずしも伝わるとは限らないのは、レイヴ(によるトランス)の気まぐれたるゆえんですよね。
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
174 :
よじ:2006/01/07(土) 01:34:59 ID:hc2auyaF
173ーーー!!!ウルマリでケテーイ!!!
レイバーはヒッピー文化の継承者とか言ってるのは畑違い。
日本のクラブシーンで一般的に呼ばれる「レイバー」は、米国西海岸スタイルの奴らを指す。
ファッション的にはレイパン、バイザー、グロー、白手、などなど。
ステップ、ハンドグロー、ポップ、グローストリング等を嗜む人達。
そもそもこいつらの歴史にヒッピーの文化なんぞ毛ほどにも無い。
どっちかというとキャンディーレイバーの背景がある。
西欧のハードコアやエピック〜ハードトランスのシーンで発展して、帰国子女や海兵隊あたりを通じて90年中盤あたりに日本に流れてき
た。
ヒッピーの継承言ってるのは別物。
ここ五年位でサイケの野外レイヴを一口でレイヴと呼び、そこに行ってる民族系の衣装の人達がレイバーと名乗るようになった。
インドとかあっち流れの背景だな。
よく混合されて知らない奴は混乱するが。
同じレイバーと呼ばれてはいても、両者は全くの別物。
歴史も背景も精神性も全く違う
DNAやDance or Dieのイベント関係者がベルファーレでレイバーに声かけてスカウトしてる。
いや、日本のレイバーは上手いよ。
特にラビットやLAのレベルはドイツやオランダのパーチーより上。
イスラエルは行ったことないから、本場のラエリーのダンスがどうだかは知らんけど。
それで不思議なのは、ソウルダンスもヒップホップもR&Bもヘタクソだった日本人が、
なぜトランスに限って、ダンスレイバーなんて集団が出てきたのか?
それも急激に増殖してきたからね。
すごく不思議。
ダンスって集団で上手くなっていくんだと思う。
黒人がR&Bのダンスが上手いのも、先天的なものというよりも、すでにロールモデルになる集団がいたから。
あとは真似していけばいいわけだから、ある一定レベルに比較的早く到達できる。
レイバーダンスも、ここ数年でレイバーのグループが形成されてから、一気に人口が増えた。
みせつけたら間違いなく尊敬される。
LAとかのステップは西海岸から伝わったけど
今じゃ日本のレベルのほうが圧倒的に上。
ベルアフで外人のレイバーが本場のレイバーより上手いって誉めてくれるし。
でもグローは外人のレイバーや帰国組の方が上手い奴多いよな
結局は楽しみ方の相違だよな。
クラブでLAやラビットステップ、グローやリキッドを楽しむ事を主体とするダンスレイバー
そうじゃない海外組レイバー
ただそれだけの話
177 :
よじ:2006/01/07(土) 01:37:46 ID:hc2auyaF
よく混合されて知らない奴はーーー!!!ウルマリでケテーイ!!!
レイバーになって(ダンクラからトランスに移行して)4ヶ月だけど、8キロ痩せたよ。
68キロあった体重が今は60キロ、身長は176センチあるので痩せすぎかもしれん。
腹についてた贅肉はほとんどなくなった。
踊りに行くと30分でシャツがビショビショになる。
2時間も踊ると汗で体中ビショビショ、トイレで着替えて、もう一回踊って・・・
いろんなダイエットしても効かなかった、というより長続きしなかったけど、
レイバーダンスはテキメンで効いたよ。
元々、ダンクラ踊ってたから、リズム取るのは得意だった。
初めてレイバーダンスを見たのが、今年の春。
そこから見よう見まねで練習して、リズム取れるようになったのが5月くらい。
それから楽しくて、毎週末、クラブに通うようになった。
ダンクラやってたときも毎週末クラブに行ってたから、行くクラブが変わっただけだけど。
使う筋肉は違うけど、ジョギングより激しい運動になってる。
尚且つ、技を競うという張り合いがあって、飽きない。
サウナにいくと、「俺より先に入ってた奴には絶対負けないゾ」と思ってガンバルけど、
それでもせいぜい40分が限界。
でも、レイバーダンスは楽しいときは2時間くらい踊ってる。ぜんぜん飽きない。
食生活をほとんど変えずに、ここまで痩せられるとは思わなかった。
新たな投資というと、運動靴買ったことくらいかな。
顔もなんかシャープになってきたらしい、家族に言わせると。
ま、8キロ肉が落ちたから、当然かもしれん。
今や、あのアトムですら、ルミカライトを禁止にしたりして、ちゃらいギャル系のイメージを払拭させようする動きがでてきてますね。
月1で第4月曜日には、レイバーを対象としたハード ダンスのイベントも打つようになりました。
一時期コードやヴェルファーレでも、レイバー(レイパン履いた人)の入場を禁止にする動きに出たこともありますが、、、
それが、また認められたというのはなぜでしょう?
クラブというのはDJがかもし出す音、VJが披露するCG、ファッション、ダンススタイルなどすべてが、流行、芸術、時代の最先端を行ってるからだと思います。
ダンスだけで言えば、、ハイハイばっか、やっててなんも進化しないです。
まぁ、ナンパやノリだけを楽しみに来てる人はそれでいいんですが。。
10数年前に始まった、トランス、テクノというジャンルと共に世界中で生まれたハード ダンス スタイル共にレイバーファッションもまでも生み出し、、なを進化を遂げていく芸術であるとうことがわかってる人はたくさんいるっていうことなんです。
ハイハイ、トラパラなどにように周りと同一、共感して楽しむってことも否定することはできませんが、、フリースタイルで踊り、個々人が音と楽しみ、周りをも自分のスタイルで楽しませるというのがハード ダンス シーンであります。
どちらが、クラブシーンにとってよいと言えるかわからないですけどレイバーもクラバーも共有、共感できる、クラブシーン、トランスシーンが全国のクラブで成り立つといいですね☆
前スレなにか途中で止まってたと思いきやそうだったのか
というかこの、その日にこのレス数、既存の名言総復習コピペ、実にワロスw
ただ結構古今東西ダンスレイバーシーンの勉強になるので別段良いかと思われ
いいぞいいぞその調子だ
181 :
名無しさん:2006/01/07(土) 01:53:07 ID:EZ5n2ouL
ステップがうまいとかって、模倣が巧い日本人特有のことだよね。
ステップが巧いとか下手じゃとかじゃなく、土着のものなんだよ。アチラの人は巧そうに見えても実は巧くない。でも
かっこよく見えたりする。歴史とか民族からくるもんだよ。模倣じゃないから。
日本人でも演歌とか民謡も独特のものであって。技のレベル違っても、スタイル(金髪、8頭身)には「ダンス」文化にはかなわないんだよ。
↑コピペ荒らし風情がよく言う
サイドステップ追加。
よくあるレイバー用語への質問回答 ver1.1
レイバーステップ:トランス、ハードコア、ハードハウス等の高速ビートに合わせて日本のレイバーの間で発展したダンスの通称。
実際には関東発祥系のスタイルと関西発祥系でやや異なる。
関東発祥系は関西に比べ優雅で、「軽さ」を強調した特徴を持つ。ハウスの影響強し?
関西発祥系はハードコアスタイルと呼ばれ、デストロターンに代表される攻撃的かつキレのあるアグレッシブなムーブを特徴とする。格闘技(カポエラ?)の影響を強く受けていると思われる。
よく目にするレイバーステップのムーブ(俺が知ってる範囲)
ラビット:高速で飛び跳ねる様な感じのステップ
LA:足を左右交互に繰り出す、ブレイキンのランニングマンに近いステップ。
スライド:サイドから切り込む様に足をスライドさせていくステップ
サイドステップ:後ろ足をゆっくりとサイドに送っていき、一気に切り返すステップ
フロッグ:高速屈伸、立ち上がりざまに開脚するステップ。
ターン:普通のターン。アウトサイドから回る事が多し。
ハーフターン:普通の半回転。イン、アウト共に技の繋ぎ目に入れられる事が多し。
フロッグターン:連続フロッグの締めに使われる事が多い。しゃがみ状態から立ち上がりざまにターン。
デストロターン:両手を広げ駒の様に回転する派手なターン。
キックターン;前蹴りの要領で足を前に振り上げ、その足に引き付けられる様に反転しながら瞬間移動するステップ
グロー系は技の名前とかよく解らんし面倒になってきたので後は頼むwww
グロー:ハンドグロー(手でルミカを使ったダンス)
※紐グロー・・・ポイ。ルミカに紐をつけて回すダンスパフォーマンス。
レイバーがよくやるポップ系のダンス
リキッド:ポップの一種。水が流れる様な流動性が特徴のポップダンス。
ボックス: 正式にはタット(tutting)と呼ばれるポップダンスの一種
俺は最近のレイバー(ダンスレイバーいうの?)だけど。
海外では〜だから日本のレイバーは〜みたいな叩きをよくみる。
海外デビュー帰国組のレイバーが俺らを叩く理由もわからんでもない。
クラブで踊り激ウマな奴らがいて目立ってれば、ファッションだけであまり踊れない帰国組は居場所なく感じるかも。
そりゃ嫉妬感や疎外感も感じると思われ。
誤解があるようだが。
俺らは周りに見せ付ける為にステップ踏んでたりグローやったりしてるわけじゃねえぞ。
こういう踊りを好きだからやってる。周りの上手い人に憧れて頑張ってる。
自分の上手さを見せつけるとかそんなチンケな理由でステップやグローの修行に耐えられるわけないだろ。
表には見えないが、上手い奴はそれなりに裏で練習したり自分のスタイルに悩みぬいたりしてんだ。
しかもそんなに早く上手くなるわけじゃない。
何ヶ月もかけて練習して苦労して上達してんだ。
中には踊りへのこだわりが行き過ぎマイナスな方向に捻じ曲がっちまって、
他のレイバーの価値をステップの上手さだけで測って踊れ無い奴を見下す様な人もいるのは認める。
少なからずそういうのが存在するのは残念だけど事実だ。
でもそんな人はごく少数に過ぎないのは分かって欲しい。
一部の悪い人を見ただけで全員が全員そうだと断定して語るのは辞めてくれ。
よくあるレイバー用語への質問回答
俺が把握している範囲ではあるが。俺の解釈が間違ってたら詳しい奴が指摘してくれ。
ダンスを言葉で表すのテラキビシス
レイバーステップ:トランス、ハードコア、ハードハウス等の高速ビートに合わせて日本のレイバーの間で発展したダンスの通称。
実際には関東発祥系のスタイルと関西発祥系でやや異なる。
関東発祥系は関西に比べ優雅で、「軽さ」を強調した特徴を持つ。ハウスの影響強し?
関西発祥系はハードコアスタイルと呼ばれ、デストロターンに代表される攻撃的かつキレのあるアグレッシブなムーブを特徴とする。格闘技(カポエラ?)の影響を強く受けていると思われる。
よく目にするレイバーステップのムーブ(俺が知ってる範囲)
ラビット:高速で飛び跳ねる様な感じのステップ
LA:足を左右交互に繰り出す、ブレイキンのランニングマンに近いステップ。
スライド:サイドから切り込む様に足をスライドさせていくステップ
フロッグ:高速屈伸、立ち上がりざまに開脚するステップ。
ターン:普通のターン。アウトサイドから回る事が多し。
ハーフターン:普通の半回転。イン、アウト共に技の繋ぎ目に入れられる事が多し。
フロッグターン:連続フロッグの締めに使われる事が多い。しゃがみ状態から立ち上がりざまにターン。
デストロターン:両手を広げ駒の様に回転する派手なターン。
キックターン;前蹴りの要領で足を前に振り上げ、その足に引き付けられる様に反転しながら瞬間移動するステップ
グロー系は技の名前とかよく解らんし面倒になってきたので後は頼むwww
グロー:ハンドグロー(手でルミカを使ったダンス)
※紐グロー・・・ポイ。ルミカに紐をつけて回すダンスパフォーマンス。
レイバーがよくやるポップ系のダンス
リキッド:ポップの一種。水が流れる様な流動性が特徴のポップダンス。
ボックス: 正式にはタット(tutting)と呼ばれるポップダンスの一種。
書いておいてなんだがな。。
ダンスのムーブなんて実際に見なきゃわかるはずもないw
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
レイバーになって(ダンクラからトランスに移行して)4ヶ月だけど、8キロ痩せたよ。
68キロあった体重が今は60キロ、身長は176センチあるので痩せすぎかもしれん。
腹についてた贅肉はほとんどなくなった。
踊りに行くと30分でシャツがビショビショになる。
2時間も踊ると汗で体中ビショビショ、トイレで着替えて、もう一回踊って・・・
いろんなダイエットしても効かなかった、というより長続きしなかったけど、
レイバーダンスはテキメンで効いたよ。
元々、ダンクラ踊ってたから、リズム取るのは得意だった。
初めてレイバーダンスを見たのが、今年の春。
そこから見よう見まねで練習して、リズム取れるようになったのが5月くらい。
それから楽しくて、毎週末、クラブに通うようになった。
ダンクラやってたときも毎週末クラブに行ってたから、行くクラブが変わっただけだけど。
使う筋肉は違うけど、ジョギングより激しい運動になってる。
尚且つ、技を競うという張り合いがあって、飽きない。
サウナにいくと、「俺より先に入ってた奴には絶対負けないゾ」と思ってガンバルけど、
それでもせいぜい40分が限界。
でも、レイバーダンスは楽しいときは2時間くらい踊ってる。ぜんぜん飽きない。
食生活をほとんど変えずに、ここまで痩せられるとは思わなかった。
新たな投資というと、運動靴買ったことくらいかな。
顔もなんかシャープになってきたらしい、家族に言わせると。
ま、8キロ肉が落ちたから、当然かもしれん。
うっは〜、一昨日くらいで止めたと思ったが・・・まだやってるねぇ・・・・
まあ、がんばれ。500kまでしか一スレで書けないから
後半分くらいだぞ。
もう、応援してやるよw
どうせ次スレ立つんだろうし・・・虚しい事やってるなぁ・・
190 :
渡辺薬局:2006/01/07(土) 07:37:32 ID:???
>上質エス
しねよ
192 :
名無しチェケラッチョ♪:2006/01/07(土) 14:15:53 ID:5ueqv0qq
そうとうレイバーの類に馬鹿にされたか、辱められたか、女でもとられたか、、、いや、こういう奴に女がいるわけ、、、おっつ、、、、すまない、つい本音が。。
いやいや、けっこう、、もっと頑張って荒らしてくださいねww
どうせ、荒らすのも中途半端でもうすぐやめちゃうと思うけどww
まぁ、おれなら初志貫徹で全て埋め尽くすまでやるけど。
根性ないからきっとできないよねぇ〜。絶対、汚舞じゃできないからw
中途半端にがんばってねぇ〜w期待してないから
ばぁ〜い
くまさんかわいい。
そうとうレイバーの類に馬鹿にされたか、辱められたか、女でもとられたか、、、いや、こういう奴に女がいるわけ、、、おっつ、、、、すまない、つい本音が。。
いやいや、けっこう、、もっと頑張って荒らしてくださいねww
どうせ、荒らすのも中途半端でもうすぐやめちゃうと思うけどww
まぁ、おれなら初志貫徹で全て埋め尽くすまでやるけど。
根性ないからきっとできないよねぇ〜。絶対、汚舞じゃできないからw
中途半端にがんばってねぇ〜w期待してないから
ばぁ〜い
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◆「素の感情」だけが沸き起こる
音と風景がシンクロし、思わぬ「気づき」をもたらすこともあるレイヴのトランス……などと記述すると、
体験のないひとには何やらいかがわしい/神憑り的な状態を想像させるかもしれませんが、
要するにそれって(音や運動やいくつかのコンディションが整ったところで)、
普段以上に「鋭敏な感覚」が開かれていく……というだけの話だと思います。
共感覚とか、一体感ということにしても、別段それは超能力や神秘体験では全然ないわけで……だからこそ、
そこにリアリティを感じられるのだともいえます。
そのあたりに関連して、清野さんの前のメールをまた引かせていただくと……
> レイヴのトランスには、感情、が関わってい
> るからだと僕は思います。
(中略)
> でもそれは、普通に感じるような感情……誰
> かと話をしたり、小説を読んだり、テレビの
> ニュースを観ていて沸き起こる感情とは違う。
(中略)
> 踊っているうちに強烈な素の感情だけが沸き
> 上がってくるような、そんな感情のような気
> がします
この「素の感情」というのは、とても正鵠を得ていると思います。
何らかの原因にたいする反応結果が「普通の感情」だとしたら、むしろ「理由なき感情」みたいなものが、
レイヴにおけるトランスの心持ちを端的に言い表しているからです。
夕日を見ていたら理屈抜きで泣きそうになったとか、
ものすごい絶景を目の当たりにして感慨にふけってしまうとか……そういう(美的範疇でいうところの「崇高」とでもいうような)体験は、
多くのひとにあるものですが、音や光や運動といった抽象的な感覚所与が折り重なっていく先のトランス状態では、
「泣いたカラスがもう笑った」的な……そう、子供の気分にも近い感情が広がっていく瞬間があるように思えるんです。
子供とか、未開人とか、動物とか……連想はまちまちだけれども、理性よりも感情が優るような鋭敏な感覚の持ち主に、
レイヴのトランスが向かっていくところには、そういった志向性が横たわっているのではないでしょうか。
……などと、レイヴのトランスについて、多少分析めいた話をしたあとで
> ここ何回かのメールのやりとりで、僕と木村
> さんは、どちらかというとレイヴをポジティ
> ブなものとしてとらえてきたように思います。
> でもそこには、誰でも知っているように、今
> 日は調子が悪くて楽しめなかった 、とか、
> よけいすっきりしないまま帰る、といったバッ
> ドな場合もなきにしもあらずで、別にそうなら
> なくても、レイヴから帰った後に仕事するのが
> うざったいとか、旅行から帰った後に日常生活
> になじむのがたいへんだというような経験は、
> 多くの人が持っていると思うのです。そういう
> ことに関して、木村さんの意見を少し聞いてみ
> たいと思っています。
この問い掛けについて最後に触れておきましょう。
◆レイヴのハレの空間と折り合いをつける
これまで語ってきたように、レイヴとは、何はさておき「快楽」を求める場です。
同時に好き放題踊って騒いだ果てに、いろんな感情が喚起されたり、
普段ならやり過ごしてしまうような些事に「気づき」を覚えたりする……個人差があるとはいえ、そういう体験総体がレイヴの魅力なんだと思います。
そして特別な資格を有していなくても、音とダンスが好きな者なら、
誰でも参加することができる……しかしその境地を極めようとすると、身体的にも精神的にもかなりの先行投資を要求されるところもあります。
以前僕が、レイヴの快楽や自由を追い求めつづけると、その裏腹にある“きびしさ/残酷さ”に直面することが出てくるのでは……といったのも、
それに近いニュアンスでした。ヘトヘトになるまで踊ったり、感覚が鋭敏になればなるほど、トランスのテンションもまた上がっていく。
しかしそれは、身を削り、生命を燃やして快楽をむさぼっているような……
これまた最初の頃に話題にのぼった「蕩尽」や「小死」と形容するのが相応しい状態です。
肉体的/精神的な自己のキャパシティを熟知し、コンディションを整える術を知っていればまだしも……
なにせ快楽の追求には際限がないわけで、大抵の場合、そんなみみっちい自制心よりも好奇心のほうが勝ってしまい、
楽しいはずのレイヴを楽しめなかった、みたいなことは(程度の差こそあれ)少なからずのレイヴァーが体験していることなのかもしれません。
たとえば僕も、いろんな発見や「気づき」にみまわれたのは良かったとして、逆に「気づきすぎた」みたいな面持ちにいり、
へこまされてしまったことはありましたから(このへんのニュアンスは、なかなかうまく言い表わせませんが)。
そこまで追いつめられなかったとしても、今度は快楽追求としてのレイヴという仕組みそのものに「飽きる」という事態もありますし、ね。
このようなパーティそのものをコンディション的に楽しめる/楽しめないというケースと微妙に関連してくるのが、
2番目の「レイヴで過ごした時間や体験と日常生活との折り合い」という問題です。
クラブでのパーティと違って、レイヴともなると日本の場合、参加者の年齢層がけっこう高かったりするため、
かなりの参加者は、仕事をこなしつつパーティにきているよう見受けられます。
そして快楽追求の場としてのレイヴは、一般社会とはやや別個のモードによって成立している、一種の「代替社会」ですよね。
そこでは日常生活における価値観……本来的な生産性とか契約関係に縛られないため、自律性やオープンマインド、
助け合いや奉仕の精神が生まれる余地が意外にあったりします。
従来的な社会性を窮屈に思っている人間にとって、そこはしごく居心地が良かったりもします。
感覚が鋭敏になっていれば、そういう境遇がなおのこと「素敵」に思えるでしょう。
だけどそれは一時的・避難所的なものでしかない。旅行者が土着の人間でないがゆえ、異郷の地で味わえる愉楽があるよう,限定条件つきの「境遇」なんです。
また、かつての祭祀のように、一年のうちの特別な暦や日時に限ってハレの空間をたちあげるならいざ知らず、
きょうびのレイヴは下手すれば(シーズンには)毎週末のように行われるわけで、
そういうサイクルで日常生活と祝祭空間を行きつ戻りつするというのは(ハマればハマっただけ)しんどくなると思います。
だからこそ(前述したよう)、週末のパーティで感じたり気づいたことを、平日の暮らしや仕事に反映させる……あるいは折り合いをつける、
みたいなことが求められてくるんだと思います。
純粋に娯楽と生活、と割り切れるうちは、そういう「動機づけ」みたいなものは必要ないのかもしれませんが。
じゃあ「そういうお前はどうしているんだ?」と改めて問われても、じつはうまい回答が見つからなかったりもします。
2つの場を往復することで、疲弊することがないとはいえませんし、ただ単純な「楽しみ」としてレイヴとつきあうだけでは、
この先、ある瞬間「飽きる」かもしれないな……などと感じてはいるところです。
そもそも僕や清野さんのように、そこでの体験をこうやって文字化し見直してみるというのも、
彼岸と此岸の間の橋渡し的な作業の一環なのかもしれませんけど(かといってお互い、こういうことだけ書いているわけでもないですし、ね)。
で、清野さんにとって、パーティと日常生活の折り合いというのは、どうでしょう?
清野さんの場合、そういう体験を「小説」という創作の場にフィードバックさせる回路があるというのは、
またひじょうに特別なケースなのかもしれませんが。
先日は久しぶりにパーティーで会えたのに、僕は体調がいまいちで、途中車の中でゴロゴロしていたので、あまり話もできず、残念でした。
木村さんは前のメールで「コンディション」という言葉を使っていましたが、パーティーに行って自分がどんな状態になるかには、
いろんなコンディションの要素がありますね。いちばんはその日のDJがかける音の具合。
それと、場所の雰囲気。外の場合は(特に台風の多い日本は)気候もかなり大きい要因だし、パーティーの全体的な流れというのももちろんある。
そういうもろもろの外的なコンディションのほかに、自分のコンディションというものが、かなり大きな比重を占めているとも思います。
思いつくままにあげてみると、その時々の体調。二番目は、パーティーに行く前の精神状態。
三番目は、次の日に何か別の大事な予定があるかないかというようなプレッシャーの有無。
自分が何時にそのパーティーに行くかとか、いつ踊っていつ休むかという時間配分。
それに、そのパーティーに誰と一緒に行くのかというのも、大きなコンディションのひとつです。
だから、
> 肉体的/精神的な自己のキャパシティを熟知
> し、コンディションを整える術
というのが、自分なりに必要になってくるのだけれど、
> そんなみみっちい自制心よりも好奇心のほう
> が勝ってしまい
ということに、まあ、なる場合もあります。
だから、外のパーティーに行く場合は特に、腹痛や風邪の薬とか、キャンプ用具とか、食べ物と水とか、他にもいろいろ、
もしもの時を考えて、自分が楽になれるようなものや、自分が好きなものを事前にいろいろ準備して持って行くし、
調子が悪い時は最初から踊りに行かないというのも、僕たちぐらいの歳になると(笑)大事かもしれないです。
それでも状況によってはほとんどサバイバル状態になる時もある。僕はこの間オーストラリアを旅していたんですが、
あるパーティーでは、入り口のゲートからダンスフロアまでが車で三キロ、
いちばん近いスーパーが二十キロ先、炎天下、一日一回ストームが襲い、シャワーなし、
という状況で四日間!……かなり準備して行ったつもりでしたが、はじめて「もしかしたら……」と思ったほどサバイバルなパーティーでした。
日本でも、一昨年には暴風雨に見舞われた富士ロック・フェスティバルなどもあった。
でも自分の場合、そういう大変なパーティーほど強烈に心に残っていたりもします。
自然状況の部分は、準備と体力と心がけで、何とか乗り切れるのですが、それよりも大きな問題が、自分の精神的な部分だと思います。
パーティーでトランスすることには、一度自分の日常的な思考を壊して、また組み立てるような部分がある。
だからこそ、木村さんが「気づき」という言葉で書いたこと、
> 日頃の生活では気づかない「自分の境遇」な
> り「世の中のあり方」みたいなことが見えて
> くる
ということが起きるんですが、うまく行かないと、壊れたままの状態で、
ちゃんと「終わらない」うちにパーティーから帰って来るということにもなりかねないし、
バッドトリップまで行かなくても、何となく落ちたままの状態でパーティーが終わってしまうこともあると思う。
例えば、サイコセラピーや宗教的なイニシエーションには、ある程度の精神状態まで行った後に、
必ず「戻って来る」ための部分や時間や道筋が、「行く」のと同じぐらいの比重で用意されていますよね。
禅の瞑想でも、ヨガでもそれは同じです。そこがすごくシスマチックにできている。レイヴはそれとは違って、
行って戻って来るためのセオリーが決まっているわけでもないし、DJはいるけれども、一人のグルがいてそれを手ほどきしてくれるわけでもない。
それがレイヴの良さだし、僕と木村さんも散々そのことを言ってきたのだけれど、それゆえの危うい部分もまたレイヴにはあるかもしれない。
(くどいようですが、その危うさとか、そのパーティーが最終的にどうなるかわからないカオスな部分が好きでもあるんですが)。
ここまでは、あるパーティーに行ってバッドだったとかハイだったとかいう話なのですが、もっと問題なのは、
何度もパーティーに行っているうちに、自分がどうなっていくかということだと思います。
何度もパーティーに行っている人ならわかると思うのですが、最初の頃は何も考えずに楽しめていたのに、
何度も行っているうちにいろんなことを考えるようになってしまったりする人もいる。
> (ハマればハマっただけ)しんどくなる純粋
> に娯楽と生活、と割り切れるうちは、そうい
> う「動機づけ」みたいなものは必要ないのか
> もしれませんが。
と木村さんが書いたことで、カラダの面でも、精神的な面でも、それはある。
自然条件とか体調といった、何度もパーティーに行って慣れたり準備をすれば解決されるような問題でもない。
僕自身、そういう経験をしたことがあるし、場合によっては、それでかえって日常生活までうまく行かなくなったり、
精神的にすぐれなかったり、というリバウンドが起きることもあるでしょう。
それが直接の原因ではないにしても、仕事をやめたり、離婚したり、鬱になったり、という場合だってある。
何か一つのことにそれほどエネルギーを燃やせば、カラダや生活や精神にリバンウンドがあるのは、
別にレイヴに限った話ではないと思うんだけれど。
> このようなパーティそのものをコンディショ
> ン的に楽しめる/楽しめないというケースと
> 微妙に関連してくるのが、2番目の「レイヴ
> で過ごした時間や体験と日常生活との折り合
> い」という問題です。
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1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ。
イナッフ乙。
一言だけ、言いたい。
「大変よ、ハグリットが暴れているわ。誰かランブルドア先生を呼んで来てちょうだい」
乙。
いじめられっこは一°きれるとチョーしつこい
211 :
192だ:2006/01/08(日) 22:03:19 ID:???
>210
まだまだだよ。全然だよ。
もう埋まってスレ全壊だと思ったのに、ホント中途半端。
全然しつこくない。。
早く荒らしてよ
疲れたならもういいけどw
それだったらもう中途半端なことすんなYO
えっ、ここでコピペ嵐のヤシはイナッフに来てたヤシ?
誰だ?名を名乗れ!w
・・・って別に知らんわ、詮索したくないなー
みんな仲良く行こうよー、リアルもネットもさぁー。
今度こそ本当に終わったかな?
イナッフ(地下2階)、お疲れ様です。
だんだん仲間の数が減っていきますな。
666 :名無しチェケラッチョ♪ :2006/01/08(日) 23:33:56 ID:???
>>662>>664おまい来るとこ間違ってるし。
今ごろ飛び込んできていちいちアゲてんじゃねぇ。
そんなに奥義自慢したかったらレイバースレで勝負してみな。
ガキじゃ無理だろうが。
667 :名無しチェケラッチョ♪ :2006/01/09(月) 00:49:13 ID:???
レイバースレ、荒れちゃっててつまんなくなったね。
昨日のサイバーもレイバーが少なくて、さびしす。
668 :名無しチェケラッチョ♪ :2006/01/09(月) 02:24:07 ID:JNENercw
今日はマジつまんないよね、EXのあつし似マジカッコイのがいた!あの集団だけ踊りもルックスもいけてた!誰か
みた人いる?よくくるのかなぁ?誰か情報キボンヌ
669 :名無しチェケラッチョ♪ :2006/01/09(月) 02:35:58 ID:???
また、ジサクジエンか。
EXILEのアツシなんて顔わからん。
レイバーなのか?
いつも端っこで激しく踊ってるおっちゃんがいなかったのがさびしい。
レイバーって、なんかみんな年行ってるよね?
若くてレイバーみたいに踊れる人って見たことないんだけど。
いたら、かっこよくない?
イベサーみたいなんだけど、トランスかかったらめちゃくちゃハードダンス。
なんでいないんだろ?
>>216 わかんねー。
エグザイルってHIPHOPじゃん。
レイバーの意味わかってますか?
レイバーって4つ打ちなら何でも踊れるんですか?
どんなジャンルでも。
ジャンルで言うと4つ打ちはなんだ?
トランスとUKハードハウス限定でしょ。
エレクトロハウスになるとハウサーの方が踊れると思う。
ニュースタルガバだと3連でステップできるよ。
◆自分と他者ということが、強烈に突きつけられる体験
そのことについて、ちょっと書いてみたいと思います。
レイヴに行っているうちに、レイヴそのものを中心に生活が回って行くようになって、いっそのことそれで生活をしよう、
というふうになる人は、回りを見てるとたまにいます。
バンドをやっている人が「プロになって音楽で飯を食おう」というのと同じだけど、
レイヴの場合、ただ踊ってるだけのプロというのは存在しないので(ディスコのサクラなら別だけど)、
DJになるとか、オーガナイザーになるとか、フリーマーケットで店を出すとか、そういうことですね。
ヨーロッパでは商業的なパーティーも結構あるし、ドイツやイギリスでは、テクノやパーティーは、
ひとつの産業といってもいいほどの規模だから、アメリカのブロンクスの若者がラッパーになって大金持ちになってやるぜ、
っていうのと同じように、おれはdjで有名になってやるぜ、というのは世界共通にあると思いますが、
レイヴの場合(特にトランスの場合)、基本的にはフリーパーティーというか、DIYというか、
最初からカネ儲けが目当てじゃないところがあるので、オーガナイザーは並大抵の苦労じゃないです。
これは自分でパーティーをやっててもそう思います。
最近はバンドよりDJが人気かもしれないけど、実際にDJだけで生計を立てている人はごくわずかです。
僕はトランスの超有名なあるDJに、いったいどうやって飯を食っているのか聞いてみたことがあるんですが、
毎週のように世界を飛行機で飛び回って、その日のパーティーのあがりの中から、
ドイツに行けばマルクで、ギリシアに行けばドラクマで……というふうに、現金でもらってるらしいです。
たまに銀行振込もあるらしいけど、ほとんど日雇いに近いでしょ?
テクノの有名なDJの中にはビジネスクラスの飛行機にしか乗らない、などという人がいるらしいけど、世界でもごくひと握りのひとたちです。
それでも、気骨のあるオーガナイザーやDJの数が増えているのは確かだし、いつも旅をしているトラヴェラー件レイヴァーの人も多いです。
それから、スクワットハウスとかで共同生活をしている人たちもヨーロッパには結構います。
でも、たまにレイヴに行きながら、日常はまったく別な仕事をして生計をたてている人がほとんどでしょう。
そこで、レイヴ的な雰囲気とか、そこで得られた体験を、個人の内面的な部分ではなくて、
日常の社会的な部分であてはめようとしてみても、僕はこれは無理だしナンセンスだと思うんです。
だって、社会はそんなところで動いてないと思うし、そういう社会だからこそレイヴのようなことが起きているわけだから。
レイヴ的なこと(というのもあやふやな言葉だけれど)を社会にあてはめて、それで社会が変わるんだとか、
変えていこうというのは、七十年代までのオルタナティブがやった方向性と同じことだし、
それが成り立たない時代だからこそ……という話も散々ここでしたと思います。
ただ、個人の中ではいろいろな変化が起きていることは確かで、これは、言ってしまえば世界観の問題のようなものです。
自分の欲望とか、世界観が変化するとか、生まれるとかいうことはあるかもしれない。
でも、それで仕事を辞めようが、旅に出ようが、自分について考えようが、躁になろうが鬱になろうが、
これは旅についても言えるけれど、そうする人はレイヴになんか行かなくても、仕事をしていても同じことを考えたりしたりするはずだとも思う。
レイヴに何もお題目がないように、結局、自分と、自分にとって大切な他者が持ち込んだことしかそこにはないという気がします。
それが、自分がレイヴに行ってわかったいちばん根本に転がっていることだし、その果てに、
自分の目の前に横たわった、グロテスクな自分の芯を見るような体験があるのだと思う。
そういう、自分と他者ということが、強烈に突きつけられる体験が日常生活の中に希薄になっているといえば、確かにそうかもしれない。
自分には他者などいない、自己などわからない、という感覚で生きている人も多いかもしれない。
そう考えると、レイヴには一人一人の個人にそういうことを思わせる力はある。
レイヴが何か大きな枠組みを変えて行くかもしれないとすれば、そういう方向性のような気が僕はします。
ちょっと観念的な話になりましたが、僕がここで言っているのはそのまま、小説や映画や漫画といった表現がどういうものなのか、というのと同じことです。
木村さんが言ったように、僕は文章を書いています。それは、いくら自分のことを一人称で書こうが、
何かの物語である限り(メタ・フィクションだとかそうでないとかいうことは関係なくして)、
それを書いたり読んだり観たりするのは、自分や他者について書いたり、考えたりすることだと思うからです。
◆踊るようになってから自分の書く文体が変わった
> 清野さんにとって、パーティと日常生活の折
> り合いというのは、どうでしょう? 清野さ
> んの場合、そういう体験を「小説」という創
> 作の場にフィードバックさせる回路があると
> いうのは、またひじょうに特別なケースなの
> かもしれませんが。
という質問が最後にありましたが、木村さんも文章を書いているから同じところがあると思うけれど、
文章を書くことと、踊ることは、頭の使い方も、カラダや精神の状態も、まったく違いますよね。
僕の友達に、自分と同じように物書きで踊るのも好きな人がいて、たまに話すのですが、音というのは文字にくらべたらより一時的な表現です。
耳を塞いだって人間はカラダの骨で音を聞いているわけで、それにくらべれば、文字を書いたり読んだりするには、
最低でも日本語という共通の土台がなきゃいけないし、言葉そのものが記号的なものだし、音にくらべると、
そういう、二次的な部分がすごくつきまとう(楽器を買って音楽を作るよりも金だけはかかりませんが)。
その不自由さというのは言葉には確かにあると思います。僕のような仕事でなくても、他のいろいろな仕事にもそれはある。
ただ。文章を書いている時の精神状態が踊っている時と同じぐらいハイだったり、自分の直観というか、
頭でない部分から出てくるものが文字の行間から立ち上がって来るようなのっぴきならない感触を感じる時はあって、
それが書く場合にも、読む場合にも、自分を揺さぶるのだという思いがあります。その部分は、レイヴ的なものに近いです。
それに、パーティーは物語だという話があったけど、文章を書くもまたそうです。
この間、ある編集者の方から「肉体と意識」という特集で、ダンスについての原稿を書いてくれという依頼があって、
その人から、「作家の村上春樹が、マラソンするようになって自分の文体が変わったと言ってるんですが」という話を聞きました。
それから自分のことを考えてみたのだけれど、僕の場合には、踊ってから自分の書くものが変わったという面があるのかもしれないと思います。
それは、言葉の使い方とか、書く題材とかいうことではなくて、「文体」としか言えないようなものです。
もう少し具体的にいうと、レイヴでトランスした果てに、ある漠然とした心象とか、どうにも言葉にならないのにはっきりした感触というか、
そういうものを持つ時がたまにあって、その時はまだ何なにかわからずにいて、でも後になってみて、
それが今自分が書こうとしていることや考えていることにつながって行ったりした場合に、
そのひとつの感触がひとつの大きな突破口になって書いていくうちに自分の文章ができあがる、ということが、
前の小説を書いている時にもあったし、今書いているものの中にもありました。
それは、体験そのものをフィードバックすることではまったくないのですが、自分の芯の部分というか、底の部分に一度降りて行って、
そこにある何やらわけのわからない、ゴロン、と目の前に横たわった得体の知れないものを、ひっつかむか吐き出すかして、
また机の前に戻ってきて、何かができあがる。そんな感じです。漠然とした話ですみませんが、自分にはそういうことがありました。
レイヴを仕事にしている人でない限り、レイヴの経験を日常にそのままフィードバックするようなことはないと思うのだけれど、
そこで得られた感触とか、わけのわからない何かが、後になってみて、まったく別な時間や作業につながるようなことは、
あるんじゃないかと思います。そこにはあるせつなさが伴うかもしれないし、のっぴきならない瞬間が横たわっている。
それが自分にとっていいことなのか、自分を悩ませたり元気をなくすことなのかというのは、
自分を生かすのか、殺すのかということは、自分にもわからない。
僕や木村さんは、こういうメールのやりとりをする(言葉を書く)中でそれを考えたり消化している部分がある。
まったく別のやりかたでそれをやっている人もいると思う。
レイヴに行くようになってから、精神世界的なことを考えたり、自分が何をやって生きて行けばいいのかを考えたりする人がいるのも、
それと同じことのような気がする。強烈な体験をどうにかして納得しないと不安になるように人間ができているといえばそうかもしれない。
でも、ヒッピームーブメントからニューエイジやコミューンが生まれたような方向で、
あるいはパンクからニューウェーブが生まれたような方向で回収されていくようなものではないと思う。
どこにも回収され得ないし、されなくていいのだ。 今日はこのへんで終わりますが。最後にひとこと。
「おれの存在を頭から輝かさせてくれ!」(遠藤みちろう・スターリン)
前スレなにか途中で止まってたと思いきやそうだったのか
というかこの、その日にこのレス数、既存の名言総復習コピペ、実にワロスw
ただ結構古今東西ダンスレイバーシーンの勉強になるので別段良いかと思われ
いいぞいいぞその調子だ
2ちゃのリンクなんぞ何が出てくるか分からんから先ず進ぬことはない、ブラクラとか冗談にならんし
最近ダンス関連でコピペ厨は誰だよ、ま、関連性のあるのだからまだいいが、こんなところで歪んだ自己主張はみっともないのでヤメレ
4つ打ちというけど、結局どのジャンルも4ビート、8ビートで区切れるから強引に合わせて踊ろうと思えば踊れるがね
ニュースタルガバ
URLが2ch内じゃんんか。
しかもブラクラごときで落ちるようなショボいマシンは使ってない。
>ごときで落ちるようなショボいマシンは使ってない。
なんか常に小学生の会話のようなやつがいるんだが
◆フリーパーティの醍醐味があった
4月に入って、最初の頃にやり取りしたメールがようやくHotwired上にアップされ始めましたね。
最初の頃のメールから読み直してみると、よくもまあレイヴのことでここまで話が続いたものだと感心もします。
もちろん話題の対象は進行中のムーヴメントであり、話の種はぜんぜん尽きないのですが、そろそろまとめに入る頃合かもしれません。
> 先日は久しぶりにパーティーで会えたのに、
> 僕は体調がいまいちで、途中車の中でゴロ
> ゴロしていたので、あまり話もできず、残
> 念でした。
これは3月の終わりに山中湖近くの山小屋でやったパーティの話ですね。
僕はあのパーティは相当楽しめちゃったので、逆にそのあとがけっこうしんどかった(苦笑)。
> 調子が悪い時は最初から踊りに行かないとい
> うのも、僕たちぐらいの歳になると(笑)大
> 事かもしれないです
という清野さんの言葉がありましたが、耳が痛いです(笑)。
調子が良すぎても。悪くても、踊るコンディションとしてはむずかしい……となると、なんとも厄介ですね。
たぶんもっと若い世代がレイヴについて話し合ったとしたら、また違った意見なり展開があったかもしれないけど、
僕らには僕らなりの“リアリズム”があるわけですからね。
ちょうどその山小屋の1週間後に、代々木公園で行なわれたレインボーパレードの「春風」というフリーイベントのアフターとして、
清野さんが久々にやったフリーパーティでも会ったんですが、
こっちは清野さんはDJ/僕は参加者のひとり、というわけで、ただただ楽しませてもらった次第。
せっかくなので、そのへんパーティの感想から書き出してみます。
山小屋でのパーティはMATSURI TOKYOのDJ. YODAさんが、ほぼ半年振りにひとりで9時間ぐらい回すという趣向でしたが、
概してサイケデリック・トランスが主流を占める日本のレイヴパーティにて、 YODAさんのかける音はちょっと異色ですよね。
ゴア・トランスだともっぱら古めのナンバーで、それにエピック・ハウス(プログレッシブ・ハウス)やユーロトランス、
果てはディープハウスっぽい歌ものやロックまでかかって、トランシーなリズムトラックという部分でそれらがスムーズに繋げられていく。
最近あまり聞かないけど、いわゆるバレアリックスDJとでもいうのでしょうか?
ジャンルを横断しながら、独特の流れ(展開)がプレイの基調にあって、とりわけ「明け方」のオープンエアとかにフィットするサウンドなので、
個人的にはかなり好きなタイプだったりします。
清野さんはどちらかというと、もう少しダークというかデモーニッシュな音が好みでしたっけ?
でも僕もミニマルやブレイクビーツの要素を取り込んだ新しめのトランスとか、正直いって前はあまり得意ではなかったのだけど、
このごろホームリスニングしていて“新鮮さ”を感じるのは、案外そっち系だったりもします。
快楽の様態同様、音の嗜好というのも、一種の耐性がついてしまうせいか(もとの好みというのは、あるにせよ)、
時期と場合によって、サウンドの傾向に“ノれ”たり“ノれ”なかったり、というのはありますね。
前に清野さんが指摘していたよう、同じDJでも日によって印象が相当違ったりすることも、ありますし。
でもって、一週間後の代々木公園で清野さんがやったアフターパーティーも(お世辞ではなく)これまた良いパーティだった。
メインの「春風」もフリーパーティであったことには変わりはないのだけれど、
清野さんの方はもう必要最低限の機材と公園の片隅をスペースにするという、
ミニマムスケールの催しということもあって……別に判官贔屓ということでもないのだけど……メインよりも“パーティらしい”雰囲気がありました。
音の傾向も清野さんの好みを反映させつつ、新旧おりまぜた選曲で、ヨークやマン・ウィズ・ノー・ネームから、
ケミカル・ブラザースにアンダーワールド、果てはプライマル・スクリームまでかけてくれましたよね。
ああいうふうに、ジャンルや時代が交錯するプレイリストというのは、なかなか気持ちの良いものです。
それは別に懐メロや名曲にノスタルジーを感じるから良いというわけではなく、
大バコのパーティ等で人気DJが用意してくれるハイエッジな選曲からは取りこぼされてしまったような部分が、
そこにあるからであって……それをつきつめていくと、やっぱりフリーパーティの醍醐味、ということに集約されるのでしょうか。
◆オーガナイザーだって生活していかなければならない
> レイヴの場合(特にトランスの場合)、基本
> 的にはフリーパーティーというか、DIYと
> いうか、最初からカネ儲けが目当てじゃない
> ところがあるので、オーガナイザーは並大抵
> の苦労じゃないです。これは自分でパーティー
> をやっててもそう思います。
と、前のメールで清野さんは書いていましたが、これは実感がこもってますよね。
昨年の秋にも、清野さんは代々木でフリーパーティをやりましたけど、その時の感想記か何かで
「雨のなか、機材の搬出や後片付けをやって、車に帰ってみたらタイヤが壊れている。
ヘトヘトのクタクタで、もうフリーパーティーなんか二度とやるもんか、と思いながらも、
また懲りずにスピーカーを持って繰り出す自分の姿が見えてくる……」みたいなことを、たしか書いてましたよね。
たとえば本場ゴアのパーティなどは原則フリー(無料)だ、と伝え聞きます。
ゴアはそれが地場産業みたいなところだから、特別なのかもしれないけど、イベントとしてのパーティというものを考えてみると、
やはり商売のベースに乗るような採算構造で行われているものではないという現実があるでしょう。
日本でもパーティの入場料は安くて2000円、海外からアーティストを招聘したりすれば5000円前後と、それくらいしますよね。
海外と較べると、ずいぶんいい値段だ、とも言われます。
しかし室内のハコで数百人とか集客したとしても、それで主催者が大儲けするというものでもなさそうです。
会場費やサウンドシステム代、現実的な諸経費を差っ引いたら、スタッフの多くは手弁当に近い状態だという話です。
もちろんそれぐらいの規模にとどまっているからこそ、大手代理店が介在したりスポンサードみたいな制約を被ったりすることもなく、
よりストレートな趣味嗜好の反映としての「パーティ」が成立するのでしょうが、
オーガナイザーだって生活していかなければならないわけで(長期的な展望で見ていけば)そこにはジレンマが発生する。つまり……
> レイヴに行っているうちに、レイヴそのもの
> を中心に生活が回って行くようになって、いっ
> そのことそれで生活をしよう、というふうに
> なる人
のジレンマ、とでもいいましょうか。
期せずしてこの対談はHotwiredの「Next Citizen」というコーナーで配信され、
そこには「ライフスタイル」というカテゴライズがほどこされているのですが、
(前の清野さんの指摘どおり)果たしてレイヴ的なスタイルが“ライフスタイル”として確立しえるものか……というところは難しい話ですよね。
レイヴは消費社会/産業社会にたいするカウンター(対抗勢力)として存立するものではなく、
前提とされるスタンダードな社会のほころび目にできた、異分子的な“在り方”ではないか、という話はここでも再三してきました。
その異分子というのに否定的な意味合いはないけれど、それをあまりにも手放しで礼賛しちゃっても、
実際のパーティの担い手たちの労苦から、逆に目をつむることになりかねない。
◆レイヴにおけるDIYの精神
話ついでになりますが、レイヴ的スタイルにコミットする態度ということでいえば、
運営者側に回る、というところまで極端に向かわなくても、参加者の側でやれること、というのもまた、十分あるようにも思えます。
前にも話したことの繰り返しかもしれないけど、パーティというのは純粋に商業的なエンターテインメント・ショウではないので、
たとえば「入場料3000円払ったから、その分は楽しませてもらう」というような手合いのものでもないと思うんです。
もちろん支払った代価に見合うサウンドシステムやスペース、出演者を提供することが、
主催者側の最低限の責務だというのは当然の話として、そこにプラスアルファされる付加価値的なもの……抽象的な説明になってしまいますが、
参加者の意気込みとか、そこでの振るまいとか盛り上げとか……は、自発的に持ち寄っていかないと、どこからも出てこない。
つまり入場料を払った上で、さらに持ち寄るものが必要なんです。
オーガナイザーというのは、そういう「持ち寄り」の場をお膳立てすると同時に、「持ち寄り」の達人みたいな能力をもつひとではないでしょうか?
(だからこそ「持ち寄り」の達人が、いつのまにか順・運営者みたいになるというのも、よくある話でしょうが)。
レイヴにおけるDIYの精神とでもいうものを、僕なりに説明すると、そんな感じなんですが、
じっさいにフリーパーティを日本でやってきた清野さんのモチヴェーションとは、どんなものなのですか?
その先日のフリーパーティの話で言い足せば、清野さんはあれで一銭も稼ぐわけではないし、かたや参加したみんなの中には、
遠路はるばる交通費をかけて代々木まで来たひともいるかもしれないけど……基本的に無償で行われているパーティなわけですよね。
なのに、花見のシーズンとかぶっていたとはいえ、あの場所のゴミの散らかり具合などは(清野さんもあとで嘆かれていたよう)ちょっとどうか?
という気がしましたよね。
エコロジーとか環境保護とか……それらはレイヴ・カルチャーと比較的親和性のあるイデオロギーだったりもしますが……そういうものに倣って、
ゴミを片づけようという以前の話でしょう。
純然たるフリーパーティで、場所だって暫定的に“借用”しているところで、好き放題やって汚しっぱなしにすれば、いずれは使えなくなる。
それを回避したかったら、吸い殻と空き缶ぐらい残していくな、と。
パーティのカオティックな部分を愛する清野さんにしても、それくらいの秩序はあったほうがいいと、常々思われているのではないでしょうか。
◆ダンスや放浪といったアクションから得られる“気づき”
ところで、ここでメールをやり取りしているうちに判明してきたのだけれど、
今年の夏〜秋は日本でも驚くほどたくさんのパーティが催されるみたいですね。
もちろん屋内のクラブでは、2〜3年前から毎週末のようにあちこちでパーティが林立するようになって久しいのだけど、
野外で2〜3日間といった比較的大掛かりなレイヴが、このぶんでは毎月のように開かれるのではないでしょうか。
DJやアーティストも有名どころは続々来日しますし……パーティーフリークにしてみれば、なんとも喜ばしい事態かもしれないけど、
わがままな意見をいわせてもらえば、逆に目新しさとか有難みみたいなものは、いささか目減りしてきたような感もいなめません。
これだけパーティの数が増えたぶん、お客やシーンが拡大したり成長したりしているのかどうかも、さだかではありません。
数が増えればある段階から淘汰みたいなことが始まるかもしれないし、
うまく運営していかないと騒音や集会などの面から規制が加えられないとも限らない。
でも、それもこれも含めて「何やら先行きが知れない」くらいのほうが、"rave"という言葉の原義には見合っているのかもしれません。
この往復メールを読んだひとがレイヴに関心をもち、実際にパーティーに参加してみたいというひとが出たら、それはそれで素晴らしいことだと思います。
僕も(おそらく清野さんも?)「誰もがレイヴに参加するようになればいい」と思っているわけではない……
つまりレイヴ宣教師なんかでは決してないわけだけど、ある人たちにとって、そこでの体験は、
自分の生活信条や価値観などを根底からゆり動かすような衝撃があるかもしれないわけで、
そういう経験は他にいくらでもあるものでもないでしょう
(ただそれが、本人にとっていいことなのかどうかは、何とも言えないという但し書きつきで)。
ちなみに前回のメールにて、清野さんはレイヴがひとに及ぼす影響について……
> これは旅についても言えるけれど、そうする
> 人はレイヴになんか行かなくても、仕事をし
> ていても同じことを考えたりしたりするはず
> だとも思う。
とありましたよね。たしかにそうかもしれない。
レイヴや旅のせいではなく、もともと自分に内在していたものが浮かび上がってきただけ、
と考えれば。と同時に、ちょっと前の(3信目の)清野さんのメールにあったよう、
> 踊ってみてはじめてわかることがあるのと同
> じように、移動してみてはじめてわかること
> というのは(確かにある)
ということも、もう一方での事実だと思うのです。
きっかけにしか過ぎないのだけど、そういう契機が日常生活ではなかなか巡り合えなくなっている。
レイヴも旅も、その体験としての質を過大評価したり、いわゆる「自分探し」的な御題目に据えようとしても、そううまくはいかない。
ただ(これもまた、清野さんが続けて書かれていたよう)自己なり他者なるものを強烈につきつけられたり、
そういう実感を得たりすることが、普段の暮らしからごっそり抜け落ちているような状況下では、
ダンスや放浪といったアクションから得られる“気づき”というものも、そうそう「捨てたものではない」。
◆「濃密な体験」を求めたり感じたりしている気運が、同時代的に進行している
話はまた逸れますが、社会学者の宮台真司氏によれば、近代社会が完成を迎えたのち、
「意味や物語」から「強度や体感へ」という、別のフェイズの充実や濃密さを求める動きが(ほぼ例外なく)世界中のあらゆる成熟社会で進展しているそうです。
彼の主たる考察対象である、援助交際や少年事件などから、レイヴのようなダンスブームまでもが、こうした流れによって説明できる、といいます。
援交のことはさておき、ことダンスについては、たしかにそういう流れから説明することできるかも、
と思いました(清野さんの最初のメールでも、近い指摘がありました)。
と同時に、レイヴほどドラスティックなものではなくても、また別の手段によって、
似たような「濃密な体験」を求めたり感じたりしている気運が、同時代的に進行しているのかもしれないとも思いました。
ちなみにここで付言しておけば、清野さんがパーティで感じる「物語性」とは、大文字のイデオローグたる“物語”とは別物だろうし、
僕がしばしば強調したレイヴから派生していく「動機づけ」の部分も、いわば菓子のオマケみたいなもので、
旧態依然とした“価値観”に比類するものではありません。ただ、ひとがダンスにおける強度や体感を味わったのち、
その「強烈な体験」を納得したいがため、そこに何らかの「意味や物語」を見いだしたくなる心持ちというのは、わからなくもないし、
人間社会が「意味や物語」をまったく捨象して存立しえるのか、というのも疑問は残ります。
たしかに「(レイヴは)どこにも回収され得ないし、されなくてもいい」ものだけれど、
そこで流れるサウンド同様、パーティもまた、つねにゆるやかな変化を余儀なくされていくと思います。
僕らが「(自分達にとっての)レイヴとは、こういうことだ」と言葉を費やしてきたものも、レイヴのほんの一面を語っただけかもしれません。
そもそもお互い、パーティーの最中に、こういうことを考え回したり話し合ったりしているわけでは全然ないのであって(笑)。
とりあえずこの往復メールでは、僕が聴き役として、清野さんにあれこれ問い掛けをぶつけるという役回りだったのですが、いざ始めてみると、
とりとめもなく思いついたことを僕が書き連ねたような感じになってしまいました。
でも、レイヴやトランスについて忌憚なくの話せるというのは、「踊る快楽」とはまた別の「気持ち良さ」があってよかった。
清野さん、どうもありがとうございました。次はまた、パーティ会場の渾沌たる“どんちゃん騒ぎ”の只中で、会いましょう。
JPOPとかマジカスwwwww
あーげはーチョーとか、あいしあう〜とか、マジキモイんだよww歌詞付きとかwww
しかもローテンポ、ってかテンポマジ遅い!!眠くなる!ってか寝る!!
そもそも音楽じゃねぇよwwwww「楽曲」であってさ、
大抵ファンは、歌手の顔、歌声でスキキライの大半決めてるんだろ?wwww
それでさ、歌詞がイイ!とか言っちゃってさ。歌詞だけなら小説でも読んでろよww泣けるぞww
んでライブとか行っちゃって。金もったいねwwwレイヴなら解るがww
音楽を本当に好きな人はトランスしか聴けないと思う。
おまえかっこいいなw
そんなにとらんすがすきなんだね。
248 :
レイバー ◆tsGpSwX8mo :2006/01/10(火) 18:25:38 ID:oQ4cyoSV
レイバーって悔しいけど消えかけてるよねw
なんで?踏み方がわからないとか?それとも興味なし?
う〜ん、つらいとこだな、、、
目立つのに!
「なんか、あの人輝いてない??」
「ちょーかっこいいんだけど〜」みたいなw
そんで、女の子の場合。
ぶっちゃけトラパラやってるよりかわいいよね。未熟なステップかわいいよね。
かっこよく踏めるのなら尚のこと、イカス!!
そんなわけで。
そこの、目立ちたい君!!華麗に舞ってみてはいかがかな???
>>248 おめぇいいかげんにしろっつの。板から消えろってんだよ。
他人の名語ってこんな稚拙な文書いてんじゃねえ。
コピペ禁止されてもガキの感想文は同じなんだよ。
あちこち汚してんじゃねえぞ!
760:マーク(侍) :2006/01/03(火) 06:28:23 ID:Hr8g5+RL
今や、あのアトムですら、ルミカライトを禁止にしたりして、ちゃらいギャル系のイメージを払拭させようする動きがでてきてますね。
月1で第4月曜日には、レイバーを対象としたハード ダンスのイベントも打つようになりました。
一時期コードやヴェルファーレでも、レイバー(レイパン履いた人)の入場を禁止にする動きに出たこともありますが、、、
それが、また認められたというのはなぜでしょう?
クラブというのはDJがかもし出す音、VJが披露するCG、ファッション、ダンススタイルなどすべてが、流行、芸術、時代の最先端を行ってるからだと思います。
ダンスだけで言えば、、ハイハイばっか、やっててなんも進化しないです。
まぁ、ナンパやノリだけを楽しみに来てる人はそれでいいんですが。。
10数年前に始まった、トランス、テクノというジャンルと共に世界中で生まれたハード ダンス スタイル共にレイバーファッションもまでも生み出し、、なを進化を遂げていく芸術であるとうことがわかってる人はたくさんいるっていうことなんです。
ハイハイ、トラパラなどにように周りと同一、共感して楽しむってことも否定することはできませんが、、フリースタイルで踊り、個々人が音と楽しみ、周りをも自分のスタイルで楽しませるというのがハード ダンス シーンであります。
どちらが、クラブシーンにとってよいと言えるかわからないですけどレイバーもクラバーも共有、共感できる、クラブシーン、トランスシーンが全国のクラブで成り立つといいですね☆
◆パーティーはビジネス、か?
ゴールデンウィークに入って、今年も野外のパーティーがはじまってしまった。
木村さんのメールにもあったけれど、今年は大きなパーティーがいくつも予定されてるようです。
富士ロック・フェスティバルも、去年はお台場でしたが、今年は苗場で三日間、アンダーワールドやケミカル・ブラザーズまで来るらしいです。
今年はゴアでもかなりたくさんパーティーがあったとゴア帰りの友達から聞きました。
どうも、パーティーの盛り上がりには「一年おき周期」というのがあるみたい。
まったくの偶然だけど,日本やゴアは実際に一年おきに波が来てる感じがする。
それで、今年になって思うのは、パーティーの入場料がかなり高くなったな、ということです。
昔は三千円ぐらいだったトランスのパーティーでも五千円ぐらいが今は普通だし、テクノのイベントだと一万円なんてのもある。
一万円も払ったライヴといえば、ローリングストーンズの東京ドームぐらいしか記憶にないです。
今年のロックフェスは三日間で三万九千円もするらしい! 確かにすごいバンドがたくさん来るけど、
これじゃいちばん行きたいはずの若い子たちはなかなか行けない値段だと思う。
インドのゴアのパーティーは、確かにタダです(今もそうだと思います)。
これはどういう仕組みになっているかというと、オーガナイザーがある程度のお金(数百ドル)を事前に用意して、
地元の警察と交渉して(具体的にはドネーションを払って)パーティーをする許可をもらっているようです。
パーティーの前や途中でドネーションの箱が回ってきて、パーティーに来た人から少しずつお金を集めるんですが、
あれだけでまかなえているとは思えないので、他にもいろいろ苦労があるんだろうと思います。
> イベントとしてのパーティというものを考え
> てみると、やはり商売のベースに乗るような
> 採算構造 で行われているものではないという
> 現実があるでしょう。
と木村さんは書いていましたが、ゴアは特別として、ヨーロッパでも、
日本でも、商業的な「イベント」と、そうではない「パーティー」に分かれてきているなという感じはします。
イギリスの場合は法律があって、パーティーの許可をもらうために警察に警備名目のお金を払ったりということがあって、
そのために、スポンサーまでついた商業的なものと、無許可のアンダーグラウンドなパーティーとの区分けがはっきりできていると言う人もいます。
日本でも、そこまでではないにしても、全体的に入場料はあがっているし、
トランス以外のテクノのパーティーはかなりイベント色が強いものが増えていると思う。
僕の知り合いのあるイスラエル人は、「パーティーはビジネスだ」とはっきり言います。
日本の場合は、場所代が高い、ということもあるのだろうけれど、それ以上に、台風と雨という自然条件がパーティーの値段を高くしているような気もします。
実際に、パーティーが台風に襲われて多額の借金ができた、という話などもあって、
連続してパーティーをやって行くにはある程度のお金をプールしないと続けて行けないという現実があるんだと思う。
物凄いレスと文字の量だな・・・レイバーってダサい踊りするか2chするしか能がないのか?
もの凄い暇人の集まりなんだな。キモさを再確認したよ。
253 :
名無しチェケラッチョ♪:2006/01/10(火) 21:09:12 ID:8aZ7z63q
なんか凄いスレッド見つけちゃった・・・・・。
文章量多くていちいち見てられないけど・・・・。
レイヴァーって言葉が一人歩きしてるね。
レイヴァーパンツって最近見ないなあ・・・イカげそパンツ。
>>253 1. 全てのシーンにおいて、知識こそが力だ。だから例え愚かに思える質問でも先輩諸氏にガンガン聞くべし。
2. シーンの基本は音楽。ドラッグではない。パーティをシラフで楽しめないなら、最初からいくべきじゃない。
3. ネタを食うなら自己責任で。朝、パーティー帰りにガソリンスタンドの店員に食ってるって事がバ
レルようなら、そりゃ食いすぎってもんだろ。知らない奴からネタをもらうな。偽モノか、自分じゃ
コントロールできないモノを体にいれるのが落ちだ。
4. ネタやるなら、各々隠れてこっそりやるべし。ドラッグは違法。ドラッグこそが世間でのシーンの
認識を貶めてる元凶なわけ。たった一人のジャンキーが捕まれば、それでパーティーは終わってしまう事を認識せよ。
5. -重要- パーティーのオーガナイザーを知るべし。知らないオーガナイザーのパーティーに参加する
時は、事前にそのオーガナイザーについて周囲に聞いておいたほうがいい。金と時間の浪費を避けられるだろう。
6. 『音楽』を知るべし。アンビエントとハピコアの違いも知らないのなら、パーティーを選択する時
の優先順位を考え直したほうがいい。基本は音だ。
7. PLURを実践すべし。peace(平和),love(愛),unity(調和),respect(尊敬)。一度に全部行うのが辛
いのなら、一つずつ実践せよ。最低限として、君の周囲全員へのrespect(尊敬)から始めるべし。
8. 高校生じゃないんだから下らない派閥を組むのは止めるべし。
9. とにかく楽しめ、そして踊れ。それが全てだ。上手く踊れるかどうかは余り問題じゃない。いかに
パーティーをアゲるのに貢献できているかが大事だ。
10. 初心者の頃の事を思い出すべし。自分がどう扱われれば嬉しいかを思いだして、その通り接して育
ててあげよう。絶対に見下したりするな。初心者こそが未来のシーンを繁栄させていく唯一の存在だ
なぜ人は踊るのか、踊ると言う言葉は健康的だが、なぜレイブするのか。
レイブとは本来は荒れ狂う、らんちき騒ぎという意味だそうだが、大型スピーカーから流れる機械音に踊り狂うパーティのことを言う。
そのレイブにかり出される若い奴の精神と生態が実に良く認識できる本だ。
何時の時代も若い時は集団をつくりたがるし、その反面孤立もしたくなる。しかし、今の時代はより過激に無目的は進んでいるようだ。
70年代のヒッピーは集団を作り、ウッドストックで踊ったり、ドラッグで朦朧としていたが、ピースを旗印に存在価値を誇示していた。
レイブの目的はレイブという無目的さは、ちょっと暗い気持になってくるが、より踊りの本質に近づいていっているのだろうか。
私も学生の頃ディスコに行ったが、傑作だったのが新宿にあった三輪明宏さんのディスコで、壁が全面鏡になっていて、全員が鏡に向かって踊っている光景だった。
鏡に向かうなら一人で良さそうなのだが、集団がないと、つまり同じことをしてる人達がいないとナルシスチック恍惚感はやってこない。
踊りに集団が不可欠とは実に不思議だった。なぜ人は一人では踊らないんだろう。集団はどこか暴力の匂いがあり。
確かに興奮させてくれ、意味不明の連帯感と強烈な孤立を感じさせるからだろうか。でも鏡に向かう行為はまさに70年代のディスコを象徴している。
まだ自意識を持ちながら踊り狂っていた訳だ。
ところがレイブは自意識を捨てることから快楽を得ようとする。音に身を貫かせ、ひたすらトランス状態を目指す。
個人のために集団を利用することが明確になってきている。作者の言葉を借りれば「死なずに死ぬ」行為だという。
オヤジの老婆心だが、それが生活の中心になった時、インドならいざしらず、この日本ではレイブの後に現実社会に適応できるんだろうか。
余計なお世話だが、祭りやマラソンのナチュラルハイのように日常の区切りとして、踊り狂って欲しいと思ってしまう訳だ。
作者はレイブを求めて各国を旅する。レイブは随分前から世界的なは現象らしい。人間は知的でありたいと思う反面、知を忘れたい動物なのだろう。
原始への回帰、よりシンプルな生活の憧れは強くある。このまま物質文明が進んでいく恐怖は、その社会を外側からみれる自己破壊願望の若者にしか分からないのかも知れない。
レイブはやはり屋外が気持いいらしい。大地を踏みしめて集団で踊る原始的な行為は、確かに現代人が忘れてる宗教とは別次元のより人間的な行為なのかも知れない。
明日は土の地面を探して裸足でマラソンでもしてみるかな。あるのかいなそんなとこ。
↑すげえ暇人w
だれもよんじゃいないのにw
○⌒\
(二二二)
(⌒( ・∀・) ヤア!
( o つ
(__し―J
/⌒○
(二二二) チョットマッテテ
(・∀・ )
((o; と ) ゴソゴソ
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アレ…?
(・∀・;)
((o; と ) ゴソゴソ…
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アタッ♪
(・∀・ )
(o; と )
(__ノ―J
○⌒\
(二二二) ドゾ
(⌒( ・∀・)
( o つ 白手、グロウスティック、レイパン、バイザー、ビーズアクセ
(__し―J 彼女、彼氏、エリック、ダンススキル、PLURな精神
○⌒\
(二二二)
(⌒( ・∀・) ヤア!
( o つ
(__し―J
/⌒○
(二二二) チョットマッテテ
(・∀・ )
((o; と ) ゴソゴソ
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アレ…?
(・∀・;)
((o; と ) ゴソゴソ…
(__ノ―J
/⌒○
(二二二) アタッ♪
(・∀・ )
(o; と )
(__ノ―J
○⌒\
(二二二) ドゾ
(⌒( ・∀・)
( o つ うんこ隊、グロウスティック、レイパン、ゲロ水、ビーズアクセ
(__し―J ブッカケ、ちんぽ、ヒューザー、ダンススキル、PLURな精神
◆まず、「自分たちで音を鳴らして楽しもう」
> じっさいにフリーパーティを日本でやってき
> た清野さんのモチヴェーションとは、どんな
> ものなのですか?
という質問が木村さんからあったので、そのことを少し書いてみます。
僕と僕の友達たちがそれをはじめたのは、三年前の冬ぐらいのことで、
最初はただ単に、寒くなってきて外のパーティーがなくなったて来たから自分たちでどこかで音を鳴らしてみない? という感じでした。
スピーカーも家のステレオのしょぼいものだったけれど、それでも知らない人が何人も手伝ってくれて、盛り上がった。
僕は前にクラブでDJをやったりしたことはあったんだけれど、フリーパーティーが自分たちでできちゃうんだというのは自分にとっても、
たぶん他の人たちにとっても新鮮な発見で、そこに来ていた他の人が、じゃあ来月はおれがやってみるわ、みたいな感じになって行った。
だから、モチベーションというほどのモチベーションは最初からなくて,自分たちが楽しめればいい、というスタンスは今も変わってないです。
というか、それを外れちゃうと、最初はただ楽しくてやっていたはずのことに、それ以外の要素がくっついてきてしまうようなところがある。
例えば、何度もパーティーをやってるうちに、人の数が増えて来て、時には数百人なんてことになった。
そうなると、こっちももっと音を大きくしようとか、DJの数を増やしてみようとかいう方向に向かったことが過去にはあって、
その規模がある一線を超えると(どのぐらいというのは具体的に言うことが難しいのですが)、
「オーガナイザーと客」のような関係があそこの場所でもできて来てしまい、
「音が悪い」だとか「曲がどうの」だとか「何時から何時までやる予定なんだ」とか、そういうことを言われたりして、
友達と勝手に楽しんでたはずのことが面倒なものになって行った時期もあったのです。
パーティーが終わるたびにファミレスに行って,
そういう話を何度も友達とした記憶があります。やがて,ほどほどの規模というか,適当に踊れるけれど大がかりではないというか,
そういう形が自然にできて行って,今のような感じになっています。
いくら小さいパーティーでもお金は当然かかるし(たいした額ではないですが),車も必要だったりするんですが、
友達が出資してくれる以外にあそこでドネーションを集めないのは、そういう理由からです。お金を集めれば、たぶん
> たとえば「入場料3000円払ったから、そ
> の分は楽しませてもらう」
みたいなことが出てくると思ったから。やっていないのでわからないけれど。。
そうなると、最初の「自分たちで音を鳴らして楽しもう」というのからどんどん外れてしまうような気がした。それに、
> 花見のシーズンとかぶっていたとはいえ、あ
> の場所のゴミの散らかり具合などは(清野さ
> んもあとで嘆かれていたよう)ちょっとどう
> か?という気がしましたよね。
というのが現実で、いくら何でもひどい状況という時もままあります。
結局,こちらもそういう部分では何かを期待しているわけではないし,あそこに来る人も,まあやっていることはだいたいわかっていて,
こういう感じだよね,というぐらいの微妙なバランスの上であそこのパーティーは成り立っています。
音に関しても、もっと大きな音を出そうと思えば出せるんだけれど、何度も試行錯誤を繰り返すうちに、
みんなが気持ち良く踊れてかつ大がかりでもない、最小限のサンドシステムに落ち着きました。
三年の間にいろいろ試したんですが、最初はジネレーターを使っていて,これはあたりまえですが,
エンジンの音がうるさいのとガソリンを使うのでスマートじゃないということになって,次は乾電池を使ってみようということになった。
乾電池で踊れる音が出せるサウンソシステムなんかどこにも売ってないから,自分で作るしかない。
乾電池時代というのがしばらく続きました。そのころは,乾電池でやってるのを知ってる人たちが,乾電池の差し入れを持ってきてくれたり,
寒い時にはホッカイロで乾電池をあっためたり,鍋で電池を煮たりして,あれはあれで面白かったです。
今年になってからは,車のバッテリーを使って,前よりかなりいい音が出せるようになった。
モチベーションはないと書きましたが、音に関していえば、最小のサイズで最大の音が出るサウンドシステムを作るという作業はいつもある。
ただ、そんなことをやってるうちに、知らない人がビールを持って来てくれたり、片づけを手伝ってくれたり、サウンドシステムに驚く人がいたり、
パーティーをやってることそのものに感激してくれる人がいたりして、だから、あのパーティーはこれからもずっと続けて行くと思います。
それが、
> “ライフスタイル”
ではないけれど,考えてみると、海外に旅行に出るく時はもちろん、ちょっと公園に散歩に行く時でも、
小さいスピーカーを抱えて行くのは自分の日常生活の一部になっていたりはします。
それと同じように、多くのパーティーに来る人にとっては、たまに自然の中で思いっきり踊って帰って来ることが、
生活のリズムの一部になっている面があると思う。
昔はよく踊っていたのに最近はパーティーにあまり行かなくなったという人でも,
パーティーで味わった感じというのはずっとカラダやアタマの中に残っていると思う。