ノーマンクックの日本語と英語のWIKIを見比べてみろ。
日本語版はテクノであるとかなり強調してある。
しかし英語版にはテクノなんて言葉は全く使われていない。
どうでもいいけどさ。
>>713 >>714 これ日本版ひどいな。でも日本でのダンス音楽とかテクノとかノーマンの
認識考えたらこれが最大公約数かもしれないけど。
UKでノーマンがテクノなんてありえないな。どこをどう押せば・・・・
要はピコピコ音楽=テクノっていう認識なんだな。
ロキオンとかスヌーザーの罪は深いな。ロック経由でダンス聞くようになった人間に
そういうゆがんだ意識を植え付けたっていう点で。
それが
>>671で言ったtechnoが未だにわからない理由でもある
テクノの歴史 日本編
1970年クラフトワーク結成。
1978年イエロー・マジック・オーケストラ結成。
1979年「テクノ御三家」のP-MODELがデビュー。ほかの二家もこの前後。
この辺の流れで、テクノポップ、テクノ歌謡などの和製ジャンルが形成され、
その結果、日本人の頭の中に「電子音楽=テクノ」と刻み込まれる。
一方、1980年代に入って、アメリカのシカゴで、黒人音楽の派生として「ハウス」が生み出される。
80年代の後半、ハウスがデトロイトに伝わり、クラフトワークなどの影響を受けながら、
実験的な音づくりが試みられる。
(この辺の流れはこのスレを上から読み返せば詳しく書いてある)
これに目をつけたイギリスのヴァージンレコードが「テクノ」と名づけ売り出し、
舞台をイギリスに移しながら、90年代初頭あたりまで流行る。
日本「テクノ」の後にデトロイト「テクノ」が直接関係ない形で生まれ、
二つの「テクノ」が並立することに。
1989年、クラフトワークやYMOに傾倒し、「テクノ」造りを希求した石野卓球が、
ピエール滝とともに「電気GROOVE」を結成。
当初は怪しいラップを歌っていたが、自ら求める音楽を探索して欧州の「テクノ」に接触。
1993年、「FLASH PAPA MENTHOL」「VITAMIN」などのアルバムを通じて欧州の「テクノ」を伝道。
それを聞いたクラブミュージックのディープなファンではない多くの日本人が、
「そうか!!これが外国の新しい「テクノ」なのか!!カク(・∀・)イイーッ!!」となり、
その結果二つの「テクノ」が交雑。
ジャンル定義が混乱したまま、「電子音楽」が消費され、現在に至る。
と、こんな感じのストーリーで歴史認識しているんだけど。
2ちゃんのテクノ版が良い見本だな。
あそこにスレが立つ基準みたいなものが日本でいう“テクノ”。
ロック雑誌に載りそうな電子系音楽。