阪神大震災が起こった瞬間 1995 part2の続き
>>スマソ!つづき・・完結編(前回から文体が常体になってますが気にしないでね)
そしてそうするうちに知らぬ間に眠った。・・・しかしやはり胸騒ぎで目が醒めた。
ビデオデッキのデジタルで確認するとam5:30頃だったか。あたりはしんと静まりかえっている。
もちろん真冬ゆえ真っ暗だ。普通なら休み明けの朝早めに目が醒めた場合、ああもう少しうとうとできる
な〜という貴重な時間。しかし何か違う。妙に頭が冴えた感じだが寒気というか逆に体が熱くなってくる
のがわかる。
狭い6畳にも満たない2階部屋。コタツの上に置いたメガネを取り、もう眠れる状態じゃないことを
思いながらかけた。なんとなく窓を開ける。そして座る。蛍光灯は点けなかった。
何分位が過ぎたのかはわからない。
何か外が一瞬明るく光ったような気がした。「あれ?」と思った瞬間!・・
少し後に凄まじい地鳴りが!!「ゴゴゴゴゴ・・・・〜!!」
「う!」と同時に何が起こったかわからないほどの揺れ、というより下からの突き上げ!
ただの揺れではない。正直最初は地震という感覚よりも戦争でも始まったのかと思う、つまり
爆撃を喰らったような揺れだった。しかしその第一波の揺れは非常に長く感じられたと同時に
それが地震によるものという感覚に変わっていった。部屋の中ではすべてのものが倒れ、寝ている
姿勢での私の頭の位置にはテレビが落ちていたがそれがわかったのは後でのことだ。
とにかく既に起きていたことと、例の腕(体)の予告で思わず「うおおおおお〜」と叫びながら
「このことやったんか〜」と反芻し、確認しながら家族が眠る1階へ飛び降りるように落ちた。
瞬間的に停電。家族の部屋に到達するまでモノが倒れているため時間がかかった。
幸い、何も倒れるもののない部屋であり(それでも蛍光灯は落ちていた)全員無事であった。
特に下の子どもは当時生後3ヶ月。余震の度に覆いかぶさる母親の姿は忘れることができない。
気丈にも上の子ども(当時小学2年)が「玄関の戸、開けといた方がいいよ」と言ったことも鮮明
に覚えている。
第一波が終わったあと何が恐いか。そう「余震」である。報道もされたが何千回という余震があった。
余震の揺れの中、外の様子を確認しにいく。まだ真っ暗であるが近所の人の「大丈夫ですか〜」の声が
聞こえる。外に出ると斜め下の家は新築間もないにも関わらず崩れ落ちている。
南を見渡すとあちこち4ヶ所位に火の手を確認した。
これは大変なことが起きた。
そのあとの水不足と交通の不便さ、特に人間の色んな面を垣間見た。
人間のよい面と醜い面の両方がこの地震を通じてよくわかった。
それと水を求めて国道43号線(近くに会社の支店がある)まで行ったときに間のあたり
にした高速道路倒壊現場を見たときと全体に変に日当たりがよくなった(建物がなくなった)
ことが印象深い。
だいぶ長レスになってしまいスマソです。
またちょくちょく寄ります。