http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n120113 戦後、在日朝鮮人は、日本の諸政党の間を移動しながら、反日活動を展開してきた。
最初は日本共産党に所属し、日本国家の転覆、共産党政権(朝鮮人政権)の実現を目指した。
戦後、日本共産党を再建したのは、在日本朝鮮人連盟である。
1945年から1953年までの8年間、日本共産党は在日朝鮮人が支配していました。
自称沖縄人の朝鮮人=徳田球一をリーダーとする日本共産党内の朝鮮人グループ、いわゆる『行動派』が、
1950年から展開した軍事方針と称する武装闘争戦略は、朝鮮人による「日本国家乗っ取り運動」でした。
これは結局失敗し、日本共産党のイメージダウンを招いただけで終わります。
宮本顕治をリーダーとする日本共産党内の日本人グループは、大反撃に出て、
朝鮮人グループに握られていた共産党の指導権を取り返し、権力闘争に勝利しました。
すると、朝鮮人グループはあっさりと日本共産党と袂を分かち、
全学連を結成して反国家活動=日本国家乗っ取り運動を続行しました。
同時に、日本共産党から日本社会党への「民族大移動」を敢行しました。
こうして、日本社会党内に誕生したのが「社会党・左派」です。
つまり、日本共産党・行動派と日本社会党・左派は、実は同じグループなのです。
単に看板を変えただけであり、その正体は暴力革命を目指す朝鮮人グループだったのです。
日本社会党および現在の社民党が、むかしから朝鮮総連と深い関係にあるのは、そういう裏事情があるためです。
これは重要な事実ですので、しっかりと頭に入れておかなければなりません。
革マル派、中核派、解放派、赤軍派、これらの組織は、全て朝鮮人の団体なのです。
南京大虐殺記念館も、社会党の田辺が中国共産党に作らせたもの。
記念館の設計は日本人。建造費は総評という全国組織の労働組合が工面した。
民主党の旧社会党勢力が成り済まし在日朝鮮人であることを知っていますか?
ほとんどの在日朝鮮人が共産主義者であったことをソ連(ロシア)が利用し、
米軍が駐留している日本を軍事的に侵略することは無理なので日本内部からの革命を企てた。
その為に、在日朝鮮人(徳田球一ら)を多く入党させた日本共産党にその革命を負わせた。
しかし。日本人の戦前の共産党アレルギーによりうまくいかず、
ソ連(ロシア) は日本国民にうけの良かった社会党に乗り移ることしした。
日本共産党の成り済まし在日朝鮮人を社会党に移し松本浩一郎をモスクワに呼び「密命」を授けた。
その「密命」は「何も武装闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、
みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる。」
「青少年に対し祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛等の精神を植え付けることが、革命への近道だ」
日本文化及び日本人の若者を破壊し、共産主義を日本に浸透させる。
戦後レジームの脱却という安倍氏に相応しいテーマではないでしょうか? GHQも二派対立していた事をご存知でしょうか?
G1とG2です。 これは右と左の対立でもあります。アメリカ本国ではレッドパージが行なわれました。
日本に今も残る左翼朝鮮人は、この左側の残党です。
学校の授業では戦後史を教えていません。 戦後レジームとは教育そのものとも言えます。
「近隣国条項」を廃止して、正しい歴史を施さなければならないのです。
日教組を作ったのは、羽仁五郎という人です。尾崎秀実と学生時代からの親友であり、同じ共産主義者です。
戦後社会の教育上層を、まさか戦争誘引工作員集団と朝鮮人集団で構成されていたとは、
国民の大多数は信じれないかもしれません。 しかし事実なのです。 犯罪者は証拠隠滅をします。
戦争を引き起こした連中が、二度と戦争を起こさない、平和というスローガンを掲げて、
今も捏造慰安婦や捏造南京大虐殺で飯を食べているのです。 国民の手で、真の悪党を排除しなければいけません。