[反日民主党] 売国行為監視総合スレ02 [間接侵略]

このエントリーをはてなブックマークに追加
63名無しさん@お腹いっぱい。
>>61
■第1回日韓交流座談会
「宗家文書」収集を 両国政府へ働きかけへ

 宗家文書は、江戸時代の対朝鮮外交を取り仕切った対馬藩主の宗家に伝わる文書。日々の
日朝間の出来事、外交のやりとり、幕府からの指示と対応などが日記として書きつづられ、
日朝の関係、交渉の実際を検証する重要な文書とされる。
 しかし、明治維新で対朝鮮外交権は新政府の一括所管となり、日韓併合後は、同文書のうち
重要な部分は、日本の朝鮮半島植民地政策を統括した朝鮮総督府が研究用に保管した。
日本の敗戦後、朝鮮総督府保管の文書はそのまま韓国に残り、韓国の国史編纂(へんさん)
委員会などが管理している。また、日本に残った文書も散逸し、双方の研究者らから、国境を
超えた同資料の自由閲覧が望まれている。
http://web.archive.org/web/20020112184213/http://www.yomiuri.co.jp/sports/wcup2002/special/zadan01/zadan01_e.htm

対馬宗家文書目録集 全8巻(9分冊)

【対馬宗家史料が韓国に渡った経緯】
大正14年6月、朝鮮総督府は朝鮮史の編纂と朝鮮関係史料の収集を目的として朝鮮史編修会を設置した。
この会の顧問に任命された東京帝国大学教授黒板勝美博士は当時宗伯爵家の後見をしていた大木遠吉
伯爵より相談をうけ、対馬史料を朝鮮総督府に譲渡する交渉をまとめ、1926年と1936年の2 回にわたって
京城(ソウル)に送られた。光復(解放)とともにこれらの文書は韓国の国史館で保存・管理するようになった。
朝鮮史編修会の業務を受け継いだ申?鍋は1945年9月に国史館館長となり、1951年4月韓国文教部に
国史編纂委員会が設置され、その事務局長となり対馬史料保管の責に任じた。同史料は厳重に管理されて
いたため、朝鮮戦争による被害を被ることなく、1988年果川庁舎移転にともない同史料も新庁舎に移管された。
http://www.vistaps.com/Tsusima-cat.pdf